恩人
大の字になって空気を貪った。肩で息をしているが、なかなか呼吸が整わない。
「こらユーリ。本気でやらないと鍛錬にならんぞ」
拡張戦闘モードに変身したガラが鞭のように繰り出す複数の枝。それを、木刀を使って捌く訓練をしていたのだが、開始五分でこの有様だ。
それにしてもK・Tの野郎、この猛攻を捌きながら俺に向かって話しかけていやがったのか。
「負けて……られっか」
立ち上がった俺に向け、ガラは容赦なく枝の鞭を揮った。
木刀の長さを利用して、複数の枝を同時に捌く。
“肉を切らせて骨を断つ”――集中攻撃にさらされた場合は、致命傷を受けそうな攻撃を正確に見極め、それらを優先的に処理しなければならない。そして、常に最小限の動きで対処しないと短時間でスタミナが切れてしまう。
「わかっちゃ……いるんだ……よっ!」
乾いた音を立て、木刀が転がる。
技量のなさを示す右腕のミミズ腫れを、俺は忌々しげに睨み付けた。
「まだまだ休ませないぞ、ユーリ。早く木刀を拾え!」
「お、おう、師匠!」
「本番では、敵は待ってはくれないぞ」
本番なら、武器を落とした瞬間にさらなる猛攻に襲われる羽目になる。それを自らに言い聞かせて木刀を拾うのだが、数分と待たずに新たなミミズ腫れが増え、木刀を取り落とす結果を繰り返した。
「K・Tの動きを目で追っていただろう、ユーリ。奴との違いをイメージしてみろ」
最初の休憩の時、ガラはそう言った。
剣を振る時、あいつは滅多に片手保持をせず、大抵は両手を添えていた。左手の軌道が正中線から外れることも、上体が地面に対して斜めに傾くこともほとんどなかったような気がする。それをガラに告げた。
「わかっているじゃないか。まあもっとも、あれほど基本に忠実でありながら自由自在に剣筋をコントロールできるからこそ、達人なのだがな」
達人か。敵を褒めるのは癪に障るが、ガラの意見には賛同せざるを得ない。
「この訓練では、奴との格の違いが体感できればそれでいい。奴に真正面から剣で対抗するなど、どだい無理な話だからな」
お。いよいよ、必殺技とやらの訓練か。
言葉よりも雄弁な俺の眼を見た瞬間、ガラはこちらの意図を察したようだ。釘を刺されてしまった。
「慌てるな未熟者。中国には“生兵法は怪我の元”という諺がある。次は武器なしの体術だ」
どうやら、必殺技までの道のりは長そうだ。
「必殺技はいずれ教えるが、今日はまだだ。その前に、お前には加速能力という強力な武器がある。私が知る限り他に類を見ない能力だが、その発動は偶然に頼っていて実戦ではあてにならん。さっきも言ったが、お前は怪我を負った時、無意識に代謝機能を加速している。つまり、怪我さえしなければ余計な能力を使わずに済み、通常の加速能力が発動する確率が高まるのではないか。そうすれば、少しは使い物になるかもしれん。ま、それは私の推測に過ぎないので断言はしないが、な」
そう言って口元を歪めるガラの笑顔に、どこかサディスティックな陰影を見たような気がして、俺の背筋を嫌な汗が伝って落ちた。
「じゃあ、もしかして体術ってのは……。さっき木刀で捌いたあの攻撃を、丸腰で避けまくれとか言うんじゃねえだろうな」
「ふふふ。察しが良いな。全くもってその通りだ」
何故だろう。この時ガラが見せた素敵な笑顔と、日本の文化である般若の面が俺の脳内でオーバーラップしていた。
* * * * * * * * * *
何度目かの、それこそ回数を数えることさえ億劫になるほどの休憩を全力で貪っていると、ガラが話を切り出した。
「私とリューには、共通の恩人がいる」
俺は疲れでぼんやりしかけた頭を振り、ガラに顔を向けると話に意識を集中した。
「私とリューが《監視機構》に手を貸し、現実世界で過激派どもと戦い始めたばかりの頃、奴らの罠に嵌って火攻めに遭ったことがある。人間にも幻妖にも何人もの被害が出た。場所は、あの時も日本だった」
犯行声明のないテロだの放火だのといった事件のうち迷宮入りしたものについて、そのいくつかの事件の真相は幻夢側過激派による攻撃なのかもしれない。ぼんやりとそう考えた時、ふと疑問が湧いた。
「ちょっと待てよ。現実世界だと? 幻夢の奴ら、こっちに入り込めないはずだろ」
「いたのさ、K・Tみたいな殺し屋以外にも人間の内通者が。スパイとわかっていた連中はあの時に全員潰した。だが、ああいう連中はそう簡単に根絶やしにはできないものだ」
あの中国人のノートを思い出す。組織の中にいるスパイ。昔から暗躍しているということか。
「どういうことなんだ。現実世界の環境を幻夢世界と同様に作り替えたら、俺たち人間が住めなくなるじゃないか」
「うむ。なにも現実世界の全てを幻夢の連中に提供しようというのではないらしい。どうやら場所を限定して提供し、見返りを得ようということだ。どんな見返りかわからんが、ろくなものじゃないことだけは確かだ。それに――」
「確信犯か。自分達が正しいと信じ込んでいるから、戦いに殉じることさえ厭わない」
「そういうことだ」
なんてこった。まるっきりテロ集団じゃねえか。
「今さらだけど、そのスパイをあぶり出すのがガラの役目で、俺はそれに協力すればいい、って話なんだよな?」
「すまん、肝心なことを言っていなかったな。その通り。だから私のことは《監視機構》への定時連絡で報告しないでくれ。K・Tが動き出したので、今は何よりも奴への対処が優先事項だ」
ガラがここにいることを定時連絡で報告すれば、スパイにもわかってしまうのだろう。今は動いている幻妖が全くいないということにしておきたい、というところか。
「なあ、K・Tは幻夢の過激派とつながってるんだろう。奴を通じてガラのことがスパイに伝わってるんじゃないかな。それに、奴のことを定時連絡で報告しなくていいのか」
「K・Tは金で殺しを請け負う殺人狂だ。依頼主に余計な義理を作らず、ターゲットの生死以外は報告しない。K・Tの性格が私の知っている頃と変わっていなければ、の話だが」
俺も戦ってみて――もとい、襲われて――わかったが、K・Tって奴はスパイだの誘拐だのといった回りくどい事には一切頓着せず、ただ強い奴や強そうな奴を叩き潰したいだけなんだろう、という感想を持っている。
おっと、話がずれているぞ。
「そうだ、ガラ。火攻めに遭ったって言ったよな。どうやって脱出したんだ」
ガラは一瞬遠くを見る目つきをし、「炎熱地獄だった」と呟いた。
その単語に、軽い既視感が脳裏を過ぎる。
「私はリューとふたり、燃え盛る建物の中に閉じ込められたのだ。自力での脱出は不可能だった。彼――恩人がいなければ、あの時点で焼け死んでいただろう」
“焼き討ち”された現場は、一般の人間も多く暮らす住宅街だったという。日本では珍しい、自然発火現象に端を発する大火災として報道され、家屋六棟の全焼と死者十一名という悲惨な結果を招いた。
「あんたほどの幻妖がみすみす罠に嵌るとはな。よほど巧妙な罠だったのか」
「人間の幼い男の子がいてね。ちょうど、ユーリみたいな栗色の髪をした子だった。私もリューも、どうしても助けたくてつい無理しちまったのさ。結果、男の子を燃え盛る建物の外に出すことには成功したものの、私たちはその建物内に閉じ込められた。諦めかけたところを、人間の剣士が救ってくれた。燃え盛る壁を剣で両断してくれたのだ」
ガラの言葉を音として聞きながら、俺の脳裏には鮮明な光景が展開されていた。
白昼夢とかフラッシュバックといった現象に近いのかも知れないが、俺は落ち着いていて、現在ガラと会話中だという認識はしっかりと持っている。
『うわあああ』
視界を埋めつくす炎の壁。逃げ場もなく、目を閉じることさえできない。
『ぃええええええいぃぃ』
オレンジ色の壁の中央を、銀色の光が上から下へと一直線に走る。
火の粉を撒き散らして左右に分かれる壁の向こう側に、人影がひとつと――顔を持つ植物がふたつ。
『坊や、大丈夫かい』
剣で壁を両断した男が話しかけてきた。長身痩躯で、日本人にしては彫りが深く、高めですっと通った鼻梁の持ち主――忘れかけていた記憶が、今この瞬間に像を結んだ。そして男が腰の鞘にしまった剣、あれはまさしくK・Tが使っていたもの。
植物の片方が話しかけてきた。
『ひどい怪我をしているね。でも私たちならすっかり治してあげられるよ。だから、強くなりなさい』
今ならわかる。ガラだ。ガラは今とほとんど変わらない容姿だが――、頭部にあたる部分に黄色いリボンがついている。
『名前、なんてえんだ』
リューフィンだ。こいつは今と全然変わってねえ。
『ユーリ。ユーリ・シルベストル』
「それって何年前の話だ」
知らず、声が低くなる。
「十八年前かな。まだ、ユーリが生まれる前だ。……そうか、ユーリ。お前、偶然あの子と同じ名前なんだな」
偶然なんかじゃない。これは実体験だ。理屈ではなく、俺はそう思った。
「この話、K・Tも絡んでるんだろう」
「ふむ。なぜ、そう思うんだ」
「その恩人が使っていたのは、今K・Tの野郎が使っている剣なんじゃねえのか」
「…………! なぜ、お前がそれを知っている」
今度は、ガラの声が低くなった。
「説明するよ」
結局、昨夜の最後に予定していた訓練は中止した。俺とガラはそのあとずっと話し込んだのだ。
俺が繰り返し見る夢の話を伝え終えると、目を閉じ静かに聞いていたガラは唸った。
「うーん。たしかに、偶然とは思えないね。K・Tの剣は、お前が言う通り、もともと恩人が使っていたものだ」
「殺されたのか」
「いや、恩人はご存命だ。ただ、K・Tに敗けて瀕死の重傷を負い、剣はその時に奪われた。その時の怪我がもとで左腕が肩より上に上がらなくなり、戦士を引退した。その後《監視機構》幹部スタッフとなったことまでは聞いている」
もう間違いない。
「幹部は現場スタッフ以上に極秘任務が多いからな。一度イギリスに渡ったと聞いて以来、もう随分長いことお会いしていない。それこそ、十年以上」
絶対だ。俺は、心当たりの名前を口にした。
「佐々木慎吾」
「な!?」
初めて見るガラの狼狽した表情を見て、俺はなんとなくリューフィンとの共通点を見つけたような気がした。
「やっぱりね。俺の……、実の父親だ」




