抵抗
振り下ろされる切っ先は、いつまでたっても俺の頭上に留まっている。神速の剣捌きを披露していた殺し屋の剣は、今にも止まりそうなほど。
「加速?」
しめた。ナジール内にいなくても、加速能力が発動する場合もあるのか。
だが、喜んでなどいられない。加速状態の維持には限界がある。
どうすればいい。――真剣白刃取り? だめだ、奴の膂力は並みではない。取った刀を奪わない限り反撃できないのだ。仮に奪うことができたとして、右足に力が入らない状態の俺は、満足に刀を振り回すことさえできない。
「そうだ、この手があった」
俺は壁際まで這い進み、リモコンを拾った。
――キイイィィン!
ひとまず加速状態でナジールに逃げ込んだので、時間稼ぎにはなったはず。奴が現実世界で他のナジアを捕捉する距離は五十メートルだと言うが、ナジールという空間自体を移動させる手段があるのかどうか――多分あるのだろうが――、その方法は俺にはわからない。
偶然とは言え何度か加速状態を体験したことで、加速状態の解き方だけはわかってきた。俺の体力を温存するため、なるべく早く加速状態を解かなきゃならないが、解いた途端に奴は追ってくるだろう。
「ふう」
落ち着かなければ。俺は、声に出して深呼吸した。
このリモコン、どのボタンを押すと何が起きるのか、俺には全くわからない。だが、奴が追ってきたら、とにかくなんでもいいからボタンを押す。
何もせずに斬られるよりは、ギリギリまで足掻いてやる。徹底抗戦だ。
こうして時間を稼いでいれば、あの機械音声野郎の仲間――出払っているという戦闘要員――が助けに来てくれるかも知れない、という期待をするのは虫が良すぎるだろうか。
「よし」
――キイイィィン!
加速を解くのと同時に、殺し屋の姿が目の前に現れた。
ロフトでの、ついさっきまでの位置関係とほぼ同じだ。
覚悟していたというのに、俺は泡を食った表情を隠すことができなかった。殺し屋の奴、こうも正確に俺の位置を掴んでいやがるとは。
「往生際の悪い……。だが、驚いたぜ兄ちゃん。まだナジールに逃げ込む体力があるとはね」
迷っている場合じゃない。俺は殺し屋に向けて、リモコンのボタンを押した。
「エスケープ・ポッド」
リモコンが発する機械音声に続けて、濃いグレーの球体が殺し屋の身体を包み込む。
「おわ! なんだこれは」
半輝度というより濃いサングラスなみの球体の内側で、殺し屋が球体の壁面を拳で打ちつけているのが見て取れる。
やがて球体は回転し、俺が発生させたナジールの壁面へと押し付けられた。
エスケープ・ポッド――脱出カプセル。使えるじゃねえか、このリモコン。
リモコンに目を落とすと、今押したボタンが点滅している。なるほど、もう一度押せば奴を放り出せるんだな。
だが、俺は奴のしぶとさを甘く見ていた。
「げえっ……マジかよ」
銀色の軌跡がスパークを生む。
ガラスを引っ掻くのに等しい不快な音が響きわたり、思わず耳を押さえた俺の視界の隅――真っ二つに断ち斬られたグレーの球体の中から、殺し屋が這い出て来た。
「おいおい、兄ちゃんよお」
立ち上がった殺し屋は、歯を剥いた。
「どうしてくれんだ、楽しくなってきちまったじゃねえか。ハーハハハァ!」
全く、こいつは。
「何て野郎だ」
「あ? 名前か。高橋貫一って言うんだ、普通だろ。イニシャルはK・T。そう、アンドロイドどもの名前の由来だ。もともとあいつら、個体番号しか持ってなかったんだけどな。戦闘プログラムを組むにあたり、俺の基礎動作を参考にしたらしくて、そのプログラム名としてケイティって名付けられたのさ」
「なんだって」
しまった。奴の話術に嵌るわけには。
「ぐあっ」
突然、俺の手の中にあったリモコンが弾き飛ばされた。
何だ。何をされたんだ、今。
痺れる手首をさすりつつ、弾き飛ばされたリモコンと殺し屋を見比べた。
破裂音はなかった。硝煙の臭いもしない。
「パチンコだよ。ハジキは俺の趣味に合わん。余程のことがなきゃ持ち歩かねえ」
いつの間にか、殺し屋はその手に剣を持っておらず、代わりにY字型の器具にゴムが結わえつけられた道具を握っていた。それを懐にしまうと、改めて剣を取り出した――パチンコをしまったのと同じ懐から。
「どうなっていやがるんだ、てめえのスーツは」
「お前さんが時間の進み方をどうにかできるように、俺様は少しだけ空間をどうにかできるんでね。おっと、喋りすぎたかな」
殺し屋が歩み寄ってくる。まだこちらの手の内を探っているのか、その歩みはとても慎重だ。
俺はもう、何にも隠し持ってねえ。だが、せめて一矢報いてやる。どうすれば。考えろ、考えろ。
殺し屋は間合いの外側で慎重に剣を構えている。軽口を叩く気は無いようだ。
沈黙という名の糸がぴんと張りつめる。
「えぇいぃやあああぁぁ」
聞きようによっては女性の悲鳴のように聞こえなくもない、しかしそれは武道の達人が放つ気合い。
――カィン!
銀色の軌跡が、しかし緑色の螺旋に阻まれ、高い金属音と共に火花を散らす。
緑色!
待ちに待った援軍か。
まさに喜色満面といった態で、俺は振り向いた。
「リュ――!?」
息を呑んだ。
そこには、大木の化け物が立っていたのだ。
「ウイルスにやられた、幻妖」
呆けたように呟く俺の横で、殺し屋は剣を振り回していた。
大木の枝が複数、鞭のようにしなり、殺し屋に襲いかかっていたのだ。
「なん、で、俺だけ。そう、か。武器を、持って、いる、から、か。くそっ、たれ」
俺を追い回している時にはついに見せることのなかった、真剣な表情。しかし、殺し屋は今のところ、大木が繰り出す枝の鞭を完璧に捌いている。
「ちいっ。待ってろ、少年。お前さんを殺るのはこいつを斬り刻んで、からだ」
殺し屋め、本当にしつこい奴。だが、俺も安心してはいられない。殺し屋と幻妖、どちらが勝っても、その後は俺の番だ。ピンチであることには変わりがない。
その時、俺の手許にリモコンが転がってきた。幻妖の根――足というべきか――が、偶然リモコンを蹴り飛ばしたのか。
「?」
なんだろう。今、この幻妖と目が合ったような……。こいつ、本当は暴走していない?
――ざくっ。
枝が一本、殺し屋に斬り落とされた。本体から離れた枝は、生きている蛇のように苦しげにのたうち、すぐに動かなくなった。
この幻妖、味方? ええい、ボタンを押せ。
「エスケープ・ポッド」
「封印!」
機械音声に続き、別の声が短く叫ぶ。
今の声――女かな。
思わず幻妖を見た後、殺し屋に視線を戻した。すると、殺し屋を包み込むグレーの球体の外側を、さらに緑色の螺旋――大量の葉っぱが包み込んでいた。
――カィン!
球体の内側で、殺し屋が剣を振り回している。螺旋状に包み込む葉っぱの影響なのか、殺し屋の剣は脱出カプセルに裂け目を入れられないようだ。
しばらくして、殺し屋は片膝をつき、腰だめに剣を構えた。柄を前方に、切っ先を後方に向けている。あれは、居合い抜きの構えだろうか。
俺は手許に視線を落とした。リモコンのボタンが点滅している。
「えぇいぃやあああぁぁ」
脱出カプセル越しに、くぐもってはいるが鋭い気合いが轟く。
スパークが弾け、何割かの葉っぱが風に吹き散らされる枯葉のように飛び散って包囲網を緩めた。まだ、脱出カプセルは無傷のようだ。
「なにしてる、ユーリ。早くイジェクト!」
叱りつけるように叫びつつ、幻妖は新たな葉っぱを脱出カプセルに投げつけた。
「おっおう」
再び、同じボタンを押す。すると、球体は俺のナジールの壁面に吸い込まれ――、外側へと弾き飛ばされてしまった。
今度こそ、助かったのか。
幻妖の枝が、鞭のように殺し屋を襲った時とは明らかに違う動きで、俺の足に絡みつく。傷口に触らないように。そうか、怪我の程度を調べてくれているようだ。
俺はこの幻妖に助けられた。そのことは疑いようがない。
俺は礼を言おうとして――。




