刺客
誘拐、なのか?
幻夢世界側の過激派。《監視機構》内のスパイ。あるいは、それらと無関係な人間による犯行。身代金。警察。
いくつかの単語が頭に浮かんでは消える。
相手の声が機械音声であることから、俺はまずアンドロイドを連想した。だが、これまで対峙してきたアンドロイドどもの声は人間の女性の肉声そのものだった。そもそも、幻夢の連中が誘拐犯なら音声を変えるなどして正体を隠す必要などあるまい。
――くそ、リカをひとりで帰したりしなければ。
いや、今は後悔している場合じゃない。
「我々、だと。てめえら、何者だ。リカに手を出すな」
俺は言葉を選ぶ余裕もなく、食いしばった歯の隙間から絞り出すような声で告げた。
「あわてるな。結城リカに危害を加えるつもりなど毛頭ない。むしろその逆だ」
相手の音声以外に、何か手掛かりとなるような音が聞こえてこないものかと聞き耳を立てていたが、受話器からは余計な音は一切聞こえてこない。そのせいで、言葉の内容に対する反応が少し遅れた。
「……なんだと? 逆と言ったのか。どういう意味だ」
「悪いが、詳しく説明している時間がない。結城リカは丁重に扱うので心配無用だ。今、きみのそばにいたら巻き込まれてしまうからな。それより、よく聞け。今からそこは戦場になる」
“センジョウ”――戦場? 何を言っていやがる、この機械音声野郎は。
「本来ならきみを守るためのスタッフを応援によこすべきところだが、生憎戦えるスタッフが出払っているのでね。すまんが自力でなんとかしてくれ」
「言っている意味がわからない。ここに誰かが襲ってくると言うのか」
「その通り。一匹狼の殺し屋だ。現実世界の人間なのだが、幻夢の過激派どもに与している」
勘弁してくれ。殺し屋だと?
「口ぶりからすると、あんたらはその殺し屋の動向を正確に掴んでいるようだな」
「うむ。殺し屋には尾行を張り付かせている。ああ、その尾行も非戦闘員でね。戦闘になれば……」
言いにくそうに口ごもる機械音声に、血の通った人の体温を感じつつも、俺はぶっきらぼうに言い放った。
「とっととケツまくるってわけか。で、その殺し屋、ナジアなんだな。俺の位置はとっくにロックオンされてて、逃げる時間もない、と」
忌々しいことに、幻夢の連中は俺たちナジアの位置を特定する手段を持っているらしいのだ。アンドロイドどもの襲撃が少ないのは、奴らの絶対数が少ないからだと聞いている。
「……察しがいいな」
しかし、このタイミングで、たかが俺ごときを消すために殺し屋を差し向けるとは。
待てよ。なぜ《監視機構》からの正式連絡ではなく、正体を隠した機械音声野郎が伝えてくるんだ。いや、まずはこの非常事態に対処しなければ。
「で、その殺し屋、あとどのくらいでここに来るんだ」
「ナジアとしての能力には個人差があるが、その殺し屋は半径五十メートル以内にいるナジアであれば自分のナジールに引きずり込めるそうだ。それを計算に入れれば、遅くとも数分のうちに――」
――キイイィィン!
突然の耳鳴りに思わず膝を折った。だが、俺も少しは慣れてきたためか、受話器を取り落としたりはしなかった。
「ぐ! くそ、時間切れみたいだぜ」
何が数分だよ、適当なこと言いやがって。
「ま、待て! リモコン! エアコンのリモコンを……」
ふざけているのか、この機械音声は。この非常時にエアコンがどうしたって言うんだ。
その言葉を最後に、俺の手から受話器の感触が消失した。
視界がぶれたと思った一瞬後には、予想通り床も壁面もグレーの空間――見慣れたナジール――の中に立っていた。
「ほう。今度のターゲットは腕利きのナジアと聞いていたが、どうやら本物だな。ナジールに強引に引きずり込んでやったというのに耳も押さえず平然と立っていられるとは。腕が鳴るぜ」
背後から男の声。殺し屋のイメージを裏付けるかのような、鋭利な刃物を思わせる冷たい声だ。
ゆっくり振り向き、睨み付ける。ナジールの内側は俺のステージだ。こっち側の人間の殺し屋ごときにびびってるようじゃ、リカを守れるわけがない。
「なんだガキか。だが、いい眼をしている。せいぜい、俺を楽しませてくれよ」
日本人か。中年で、スーツを着こなしている。背も体格も、俺とそう変わらない。普通に歩いていればそこらのサラリーマンと見分けが付かないだろう。しかしこうして対面していると、瞳の奥に宿す剣呑な光と、まるで隙のない立ち姿――自然体というのだろうか、武道の達人のような雰囲気が見て取れる。
落ち着け。俺はアンドロイドどもと互角以上に渡り合って来たんだぞ。しかし……。
男は、左右いずれの手にも銃もナイフも持っていない。懐に何らかの武器を隠し持っている可能性はあるが、武器がなくてもその威圧感はアンドロイドどもに勝るとも劣らない。体格以上にでかく見えやがる。こいつ、強い。
戦うと決めて振り向いた決意が早くも揺らぎそうになった。はやる動悸を無理矢理抑えつけ、俺は努めて平静を装った。
「一応聞いておこうか。何の用だ」
「お前を殺しに来た」
男は余計な修飾もなく簡潔に答え、歯を剥いて獰猛に笑った。
「――金のためにな。ハハハァ!」
「な!」
いつ間合いを詰められたのか、目の前に男の顔があった。
その顔が遠ざかる。少し遅れて腹に衝撃。
「が……はっ」
速すぎる。蹴りではない。俺は奴のパンチで吹っ飛ばされたのだ。
「なるほど。俺の一撃を食らっても立ち上がれるか」
男の笑みが深くなり、瞳の光が一層強まった。
「肉体強化。アンドロイドどもが敵わないわけだ」
言い終える前に回し蹴りが襲ってきた。ハイキックだ。
反射的に頭部を腕でガードして――、しかしなかなか衝撃に見舞われない。
「っしゃ!」
加速状態だ。反撃。
男の背に回り込み、首筋に狙いを定める。
「卑怯な気はするが、大人しく殺されるつもりはないんでね」
遠慮のない気合いを込めた右脚を、男の延髄にぶちこんだ。
「っ――!?」
声にならない苦鳴。俺は右脚を抱えて転げ回った。
「お前さんが土壇場で加速能力を発揮することは調査済みだ」
あまりの衝撃に、加速状態が解けてしまったようだ。余裕に満ちた男の声に、絶望的な劣勢を思い知らされる。
「肉体強化能力は、俺様の方が一枚上手のようだな」
よくわからないが、俺もこの男も戦闘に際して『肉体強化』なる能力を発揮できるようだ。俺の蹴りは、たしかに男の首筋に命中した。だが、ダメージを受けたのは俺の方だった……。
「どうした兄ちゃん。もうおしまいか。もうちょっと頑張ると思ったんだがな」
「くそったれ」
痛みを無視して立ち上がった。
「そうこなくっちゃ」
嬉しそうに笑った表情のまま、男が間合いを詰めてくる。
俺は祈る時のような形に組み合わせた両手を振りかぶり、カウンターを狙って男の顎に叩きつけた。
「うお、ぐあっ!」
金属の塊を殴りつけたかのようだ。今回もダメージを受けたのはこっち。
「ぐ……ふ」
しかも、再び転げ回る結果となった。同時に脇腹を蹴られていたらしい。
「ふむ。俺の蹴りをまともに食らっても、出血もしないとは驚異的だな。無粋なことこの上ないが、依頼を確実に果たすためにも、ここは武器を使うとするか」
痛みを堪え、固く閉じていた目をなんとかこじ開ける。すると、銀色の輝きが俺の目を射た。
「!!」
いつの間にか、男の手には武器が握られていた。
それは、いつもの夢の中で俺を斬り刻んできたものと寸分違わぬ、銀色の剣。




