訪問
炎熱たぎる路上。焼き尽くされる街。
また、あの夢だ。
燃え上がる塀が俺の視界いっぱいに迫る。
展開のわかっている夢。夢と気付いているのに、なかなか醒めてくれない。今日も、ここで目覚めることはできないのか。
銀色の剣が、炎の壁を両断した。
炎の向こうに揺らめく影が、次第に人の形へと像を結んでいく。意外に背が低い。
「な……、お前は」
夢だ。夢なのだから何でもありだ。
剣を持って立っていたのは、分厚いレンズの眼鏡をかけ、髪を七三に分けた学生服の男。
「原田!」
夢だとわかっているからという条件付きではあるが、正体不明の殺人鬼に斬られるならまだいい。だが、知り合い――それもよりによってクラスメイト――に斬られるなんて、たとえ夢でも何か嫌だ。
幸いと言うべきか、いつもと違う奴が夢に出てきたんだから、この後の展開だっていつもと同じとは限らないじゃないか。現に、前回見たこの夢の中で、俺は斬られていないのだ。
「だったら」
――このままおとなしく斬られてたまるか。
続く言葉を胸中につぶやき、俺は原田が持つ剣の切っ先に意識を集中した。
光る剣筋が俺の肩口に迫る。
スローモーション。俺はナジールの中での時間支配に成功した時と酷似した感覚を味わった。これなら楽に避けられる。しかし……。
「やめろ、くそっ」
金縛りにあったように体が動かない。せっかく剣筋が見えているというのに、斬られるしかないのか。夢だというのに、斬られたら痛覚に苛まれることになる。それは現実の斬り傷には遠く及ばない些細なものだが、不愉快な痛覚には違いないのだ。
しかし、どうせ夢だ。避けられないのなら仕方がない。俺は嘆息しながら正面の原田を観察した。原田の奴、どことなく恍惚の表情を浮かべていやがる。夢なのだから原田本人には責任がないとは言え、気味が悪い。
突然、俺の髪が揺れたかと思うと、原田の顔が――姿が見えなくなった。
一陣の風。何かが、俺の視界を遮る。
閉じるも伏せるもままならない視界の隅から、新たな影が飛び込んできたのだ。
次いで、肉を裂くおぞましい音が俺の鼓膜に突き刺さる。
何が起きているのか、冷静に観察する間を俺に与えることなく、矢継ぎ早に状況が変化していく。
その直後、視界を染める鮮やかな赤。
「……!」
何者かが、俺をかばって銀色の剣で斬られた――そう理解するまでに時間がかかった。
視界を遮る影が、地面へと崩れ落ちる。仰向けに倒れ込んだのはセーラー服の少女。
長い漆黒の髪が放射状に広がっており、先ほど俺の視界を染めた鮮やかな赤色もまた、彼女の肩口を中心に放射状に広がっている。
それを見下ろした俺の時間が、止まった。
「う」
嘘だ。こんな、ことが。
「リカ、リカぁ!」
声を限りに張り上げようとしたが、掠れ声しか出てこない。
「……リ。ユーリ」
リカの顔が間近にある。彼女はしっかりと目を開けている。どこにも怪我をしていない。
「リカ。ゆ……め?」
そうだ、夢だ。判っていたはずなのに。あまりにリアルだったので、俺は取り乱してしまったようだ。俺は今、ベッドの上で上体を起こしていて、リカに顔を覗き込まれている。
「大丈夫? だいぶうなされて――え、ちょ、なに」
リカのあわてる声を聞き、俺は自分がリカに抱きついたのだと知った。考える間もない、反射的な行動。
「よかった、リカ。なんともなくて」
そう言えば、日本に来てからこの夢を見たのは、これで二回目だ。二回とも炎の壁が崩れる時点で目覚めることはなく、しかし、それにもかかわらず俺自身は二回とも斬られずに済んだ。……済んだのだが。
――くそったれ。俺自身が斬られる夢より、ずっと痛えじゃねえか。
「もう。一体どんな夢を見たのよ、ユーリ」
微かな笑いを含む声とともに、リカの手が俺の背を優しくたたく。俺は心底安心した。
俺は、結城老人の前で宣言したのだ。リカを守る、と。これじゃ逆じゃないか。こんなんじゃダメだ。
「俺は、強くなる。リカを、守るんだ」
息を呑む気配。リカの手が止まり――、俺の背に巻き付いた。とても強く。
――なさい。強く、なりなさい。
リカ? いや、違う。リカは黙っている。……空耳か。
しばらく黙っていたリカが、遠慮がちに口を開いた。
「あのさ、ユーリ。いつまでこうしてるの……かな。そろそろ朝ご飯食べないと、遅刻しちゃうよ」
「うん。あと一分だけ」
疲れていたのだろうか、俺は。不覚にも寝惚けてしまった。たとえ一瞬とは言え、夢と現実を混同してしまうとは。
俺は《監視機構》の関係者であるリカというパートナーを得ている上、事情を知らない一般生徒とは言えクラスメイトのさつきとユウジにも、いつも助けてもらっている。そんな俺の環境は、各校に潜入中のエージェントの中でもきっと恵まれている部類に入るに違いない。
中国人エージェントとリューフィンの安否も気になるし、恵まれた環境にいる俺が疲れたなどと言っている場合じゃない。
「結城老人とリューフィンが戻ってくるまでに、できるだけのことはやっておかないとな」
「うん」
体を離す一瞬、頬に感じたのは、柔らかくて暖かい感触。
「ありがと、ユーリ」
もう一度抱きしめたい衝動を抑え、夢に出てきた鮮やかな赤色のイメージを意識の外に追い出した俺は、リカに笑顔を向けて無言でうなずいた。
* * * * * * * * * *
相変わらず学校での時間はいつも通りに過ぎていき、そして相変わらず田嶋真由美は休んでいた。
「行ってみるか」
見舞いを口実に訪問してみよう。会えるとは限らないが、ウイルスナジアリストに名を連ねる生徒が学校に来ないのでは話にならない。
「あたし、田嶋さんの家わかるよ。一緒に行こう」
結局今回も、さつきとユウジの好意に甘えることにした。三人で見舞うなら、もう一人加えても――そしてそれが下級生でも――違和感はあるまい。そう思ってリカも誘ったが……。
「ごめん。エアコンの修理を頼んでたんだけど、修理屋さん今日来るのよ。おじいちゃんいないから、今日はまっすぐ帰らないと」
たしかに、この季節にエアコンが使えないなんて地獄だ。
放課後、俺たちは三人で田嶋真由美の家を訪問することにした。
他愛もない話をしながら歩いていく。途中までは見知った景色だ。リカも一緒に歩いていた。リカと別れた後、割とすぐにさつきの足が止まった。
「どうした。迷ったのか」
さつきが立ち止まるのが早すぎて、俺はてっきり田嶋邸への道がわからなくなったのだと思った。
「違うよユーリ。ここさ」
さつきより先に、ユウジが答えた。彼が軽く掌を開いて指し示す方を見ると、そこには二階建ての一軒家があり、表札に「田嶋」と書かれていた。
「ここ、なのか」
「どうかしたの、ユーリ」
俺の様子を訝るさつきに、俺はようやくのことで「なんでもない」と答えた。
そうさ、ただの偶然だろう。ここは、結城老人が俺をナジールに引きずり込んだ場所なのだ。
呼び鈴を押すため玄関に近付いていくさつきとユウジを見送っていると、突き刺すような視線を感じて俺は思わずぞくりと身を震わせた。
視線の主をさがして見上げると、そこは田嶋邸二階の窓だった。
目が合った――と思ったのも束の間、田嶋真由美と思しき人影は部屋の奥へと引っ込んで、二階の窓に感じた視線も気配も消え失せてしまった。
田嶋邸の二階から気配が消えたまさにその瞬間、俺は強烈なプレッシャーを感じて目を見開いた。九月の陽気のせいではない、別種の汗が頬を伝う。
強い殺気。後ろだ。
この感じ、覚えがある。あの日、結城老人によってナジールに引きずり込まれる直前に感じたのと同じ――まさにそのものだ。
――今度は何だ。やれやれ、今日は何て日だ。
唐突に肩を掴まれ――
「うわおっ!?」
身構えていた。振り向かず、背後の気配に警戒してもいた。それなのに、心構えとは裏腹に、俺は情けなくも叫び声を上げてしまった。
振り向いた俺の視線が、そいつの視線とぶつかった。
「お前はっ――」




