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接触

 所狭しと立ち並ぶ家々の様子は、異国情緒を味わうには雑然としすぎている。

 歩道を我が物顔で行き交う自転車に閉口しつつ歩を進めた。俺の目的地は名細亜(なじあ)学園だ。

 栗色の髪が額にまとわりつく。背すじに汗が流れるたび、不快感に顔をしかめてしまう。

 つい数日前までイギリスで暮らしていた俺にとって、八月の日本は炎熱地獄だ。

 それに何だ、このうるさい音は。日本について全くの無知というわけではない俺は、蝉の鳴き声だってことは知っている。イギリスにもいるが、これほどうるさくはない。

 まとわりつく湿気に加え、このやかましい音が暑さを倍増させている。

「あっちーな、くそぉ。まるで、街が燃えているようだ」

 繰り返し夢に現れる、火事の光景がリアルな映像と共に脳裏に甦る。

 俺の実体験ではないが、街が燃える光景が目に焼き付いている。その街は、ちょうどこんな街並みではなかったか。

 ふと気付くと、俺は右肩から左の腰にかけて、無意識に手でさすっていた。


* * * * * * * * * *


 炎熱たぎる路上。焼き尽くされる街。

 取り残された幼い少年の髪は栗色だが煤で黒ずみ、白い顔も煤と涙で汚れ、服はところどころ焦げている。

 すっかり展開を覚えてしまっている、いつもの悪夢。

 とっくに夢だと気付いているのに、映画館にでも閉じ込められ、強制的にスクリーンを見せつけられているかのように、俺は目覚めることが出来ずにいるのだ。

 やがて燃え上がる塀が少年目掛けて倒れかかってくる。

 この時、俺は少年を観察することが出来ない。俺自身の視点が少年の視点となってしまっているからだ。

 今朝方の悪夢は、そこで幕を引いてはくれなかった。

 銀色に光る剣が、炎の塀を両断する。

 塀の向こう側に、剣を振り抜いた人物が立っている。しかし、炎と煙に遮られ、シルエットしか見ることが出来ない。ゆらゆらと揺らめくシルエットだけでは、大柄なのか小柄なのかさえ判然としない。

 くそ、憂鬱だぜ。

 俺は夢の展開を知っている。ここで目覚めることができなかった日は、俺はその剣で右肩から左の腰にかけて斬られてしまう。おそらくは実際の何十分の一、いや、もしかしたら何百分の一に過ぎないのかも知れないが、リアルな痛みを感じながら目覚めることになるのだ。

 ――また斬られる。

 ぎゅっと目を閉じる。すると夢の中とは言え、視界を暗闇だけが支配する。

「――――なさい」

 頭を撫でられた。

 予想外の展開に大きく目を見開いたが、俺の目に映ったのは剣を持った人物でもなければ炎に包まれる街並みでもなかった。

 プロペラが回転しているのが目に入る。ここは日本での俺の家。ロフトの天井だった。


* * * * * * * * * *


 今朝は何故斬られなかったのだろう。お陰で痛みを感じることのない目覚めとなったのは幸いだが、俺はいつもの癖で斬られる予定だった箇所をさすってしまっている。

 いかんいかん。昼間っから夢のことなど考えている場合ではない。

 俺は軽く頭を振ると、片手でこめかみを掴んで揉んだ。

 ここは日本。母が俺を生んだ場所。ここを離れてもう十年以上も経つ。母はイギリス人だが、父は日本人なのだ。

 俺は日本の小学校に上がる前に、商社勤めの父の転勤によりイギリスに移り住んだ。転居後、両親は頻繁に喧嘩するようになった。幼い俺がしつこく喧嘩の理由を尋ねても、父も母もまともに教えてはくれなかった。やがて両親は離婚し、俺は母に引き取られてイギリス国籍となった。日本には二度と来ないと思っていた。

 十五歳になったとき、俺は独り暮らしを始めた。

 日本人の父と別れた後、母はイギリス人と再婚して子供を生んだのだ。俺が独り暮らしを決めたのはそのせいではない。母には感謝しているし、彼女が幸せならそれでいい。俺は新しい父とも頻繁に連絡を取り合っているし、妹に会うのが楽しみなので用事のない週末にはなるべく帰ることにしている。

 ところが、何の因果か俺は今日本にいる。ある任務を帯びてやってきたのだ。そう、俺は世を忍ぶ組織《監視機構》のエージェント。もっとも、アルバイトみたいなものだけれども。《監視機構》が何なのか、実のところ俺自身よく理解していない。端的に言えば、異世界のテロリストと戦う組織といったところか。

 任務のことはもちろん、《監視機構》の存在さえ母には一言も言えないため、説得には苦労した。

 日本への滞在期間は長いが、ギャラがいいのだ。俺は日本語を勉強したいふりを装い、結構がんばった。そんな俺に、新しい父が味方についてくれた。そうでなければ、この任務は俺ではない別のスタッフが担当していたところだ。彼には感謝している。

 この国には実の父親がいるかも知れないが、会ってみたいとも思わない。写真もなければ面影も覚えていない男に対して、俺は何の感情も持ち合わせてはいない。そのことは、母にもはっきりと伝えてある。


 俺の名はユーリ・ウィルソン、十七歳。GCSEを受け、イギリスにおける義務教育は修了しているが、この九月から日本の高校に編入され、来年三月まで通うことになっている。

 こんな俺にも、今は相棒がいる。昨日はこの国における俺たちの住み処に押し込んだ荷物――と言っても着替えやごくわずかな身の回り品だけ――を適当に整理し、今日は連れ立って街中を見物しているのだ。俺たちの住み処は日本円で月額十二万円のロフト、無駄に広い。そんな物件、《監視機構》が金を出してくれなきゃとても住めない。

 俺の年齢であれば、交換留学ではない上に保護者不在の独り暮らしというのはどう考えても不自然だが、《監視機構》が何とかしてくれたらしい。実際に何とかなったのだから、俺が深く考える必要はない。

「いつまで巻き付いている気だ、リューフィン。暑いじゃねえか」

「つれないことを言うなよ、ユーリ。この炎天下じゃ、俺の身体が乾いちまう」

 一番長い部分は高さと幅が約一メートルずつの細い身体をした、観葉植物のモンステラを思わせる全身緑色の物体が姿を現した。こいつがリューフィンという名を持つ異世界の幻妖――幻夢世界の住人でありながら、俺たち現実世界の人間に協力してくれている生物――だ。リューフィンの奴、剣に変身できる以外にもいくつか特技があるらしい。

「抜かせ。人間の何十倍も丈夫な身体構造を持っていやがるくせに。透明モードになってろよ。人に見られたら厄介じゃねえか」

「もっと老人をいたわれよな。それに大丈夫だ。半不可視モードだから一般人には俺を見ることができない」

 老人というのは大袈裟だが、リューフィンは俺の倍は生きているらしい。そんなことより、リューフィンの後半の言葉を聞き返した。

「一般人には? ってことは俺みたいなナジアには――」

「ああ、見える。つまり、リトマス試験紙だ。半不可視モードの俺が見える奴はまず間違いなくナジアだぜ」

 俺は大袈裟にため息をついた。

「じゃ、何か。お前、俺が通うことになってる高校にもついてくる気なのか」

「……ったり前だ。ナジアが何か知らない奴に“お前はナジアか”とでも聞くつもりだったのか、ユーリ」

「ぐ。できっこねえな……、ごもっとも」

 くそ。返す言葉もない。

 俺たちは学園生活を楽しむために日本に来たわけじゃない。

 今、俺とリューフィンのコンビは《監視機構》からの指令を受けて動いているのだ。

「おい、ユーリ。さっきから何か嫌な感じがするぜ」

 そう言われても俺にはよくわからない。

「来るぞ」

 リューフィンに言われ、俺は身構えた。何がどこから来るのか全くわからないのだが……。

「――くっ」

 唐突な耳鳴り。俺はうずくまった。

「気をつけろ、リューフィン! 俺たち、異空間(ナジール)に引きずり込まれる」

 いきなりハンターが出てきやがったというのか。しかも、こんな街中で。

 どこだ?

 俺は歯を食いしばって耳鳴りに耐えつつ、気力を振り絞って目を開き続けた。

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