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(上手くいって良かった)
天佑はわたしが勉強することを許し、彼自らが教師を選定すると言っていた。
そして昼過ぎ。勉強する準備が整ったと知らせを受けて、書庫に入る。迎え入れてくれたのは、かつて天佑を教えていたこともあるという老年で、目尻の皺が印象的な優しそうな人だ。
「お初にお目に掛かります。私の名前は黄 李俊と申します。どうぞよろしくお願い致します」
「こちらこそよろしくお願いします」
自己紹介をして、机に向かい合って座る。彼は穏やかに尋ねた。
「さて、貴妃様はこの国の歴史を学ぶために文字を知りたいと……でしたら、まずは簡単にこの国の生い立ちについて説明しようと思うのですが、いかがでしょうか?」
「はい。よろしくお願いします」
黄先生が語る……。
この国は周囲にあった十一の小国を取り纏めてできた国である。そして、この国には十一の特別な家があり、それはかつての小国の王の血筋である。ゆえに家ごとに気質が異なる。
子家は、ずる賢いくて子悪党が多い。
牛家は、猛凸することからそれぞれの分野で天才が出てくる。
虎家は、勇猛な武将を多く排出するも、プライドが高い。
兎家は、特筆することはあまりないが、美人が多く生まれる。
龍家は、この国の王族である。
巳家は、執念深く、業つくばり。
馬家は、真面目で優れた文官を多く排出している。
羊家は、商人を優遇し、領地を上手く経営している。
猿家は、表面上の調子は良いものの曲者揃い。時世を読む能力に長けている。
戌家は、優秀な武将が多く、王家に忠実。
鳥家は、情報通で、優秀な宰相を多く排出。
猪家は、優れた芸術家が多い。
黄先生はオブラートにそれぞれの家について語ってくれたけれど、家の気質についてはゲームでも描かれていた。
その中でわたしが興味を持った家は、巳家と兎家だ。巳家は先代の正妃の実家で、兎家は天佑の母の実家だったからだ。だから、その二家について他の家よりも多く質問してしまった。
けれど事情を知らないはずのわたしが、ピンポイントに天佑と関わりの深い家に興味を示すのは愚かなことであったことをーーのちに思い知る。
***
「それにしても陛下が本当に稀人様を召喚されるだなんて……」
「稀人、ですか?」
稀人、ってなんだろう。
ゲームでも『琴葉』を稀人と呼ぶ人は居なかった。初めて聞く単語を繰り返すと、黄先生は穏やかな声で語ってくれた。
稀人とは百年に一人。異界から渡ってくる人のこと。この国を興した王と結ばれた相手も稀人であった。
それゆえに。この国では稀人と結婚出来た王の治世は安定すると言われていて、稀人は信仰の対象でもあるらしい。
(そんなの知らない)
ゲームでは出てこなかった情報に戸惑う。
だってわたしは『琴葉』には当て嵌まらないけれど、『稀人』としては当て嵌まるのだから。稀人は特別な存在で、基本的に王族と結婚するのだと黄先生は言っていた。
以前、わたしと婚姻を結んでも反対されないだろうと天佑が零していた理由はコレだったのだ。
(それならもし『琴葉』が見つからなかった場合、わたしは天佑と結婚するの?)
賭けはした。
でも、それは天佑と個人で交わした約束である。
国が、臣が、民が、『稀人』との結婚を望めば、天佑は拒み切れるのか……。
そもそも天佑がこの事実を伏せていたのはわざとじゃないのか?
そんなことを考えていると黄先生は「陛下のことをお頼み申し上げまする」と言って、深々と頭を下げた。
(止めて。わたしはそんな存在じゃない……)
ーー着実に逃げ道が塞がっていく。
そんな暗い予感があった。
***
黄先生との勉強が終わってからも妙に心臓が騒いだままだった。手を見れば、小刻みに震えている。陰鬱な気分を沈めようと歩いていると、ちょうど庭園が目に入った。
少し庭園を歩きたい、と武官に告げて、ゆっくりと歩く。庭園は色とりどりの花が咲いていて、それを見ていると少しずつ心が和んでいくように感じる。
(さっきまで落ち込んでいたくせに)
我ながらなんて単純なのだろう。
けれど、ずっと暗いままよりも良いじゃないかと自分を鼓舞する。
それにここは『鏡の国』の世界だ。
せっかくなのだから、聖地巡礼くらいしてもバチが当たらないのではないだろうか。
(……たしかここを右に曲がれば、ハッピーエンドのスチルで出た四阿があるんだっけ)
ゲームのマップで大まかな場所は知っている。だから、ぼんやりとしながらも足取りに迷いはないーーそれを止めたのは後ろから唐突に投げ掛けられた平坦な声。
「随分と迷いなく歩くのだな」
振り向いた先に、天佑が立っていた。彼は顎で護衛に離れるように命令すると、不審そうに眉を顰めた。
(しまった。ゲームのマップで場所を知っていたからつい……)
なんで油断してしまったのだろう。ぼんやりしていたとはいえ、慢心もいいところだ。絶対に目撃されてはいけない人物に見られてしまったことを後悔しても、もう遅い。
「広い庭園をどうして迷いなく歩ける? 私は昔、『琴葉』に庭園の見取り図を口頭で伝えたことがある。お前はそれを覚えているのではないか?」
やはりお前が琴葉なのだろう、と天佑が続ける。
(違う。わたしが迷いなく庭園を歩けたのは、『鏡の国』の知識があったから……)
自分の迂闊さを悔やんでいるうちに、天佑に腕を掴まれる。
「賭けは私の勝ちだな」
暗い喜色ばんだ声にゾッとする。
このままではまずい。
本当に『琴葉』だと天佑に思い込まれてしまう。
「違います。適当に歩いていただけです!」
必死に誤魔化そうとした。
ゲームの情報はわたしにとって数少ない切り札。やすやすと教える訳にはいかない。
(でも、どうやって切り抜ければ……)
物理的に逃げたところで、無駄であろう。
なら、わたしだって彼に言いたいことがあった。
「……わたしが『稀人』であると、どうして教えてくれなかったんですか?」
「別に私はお前が『稀人』だから好いているわけではない。そのような情報を最初に与えれば、混乱するだろうと思ったから……」
「その場で混乱しても、わたしはちゃんと事実を受け止めます。天佑はわたしを信じてはくれないのですか?」
「それは……」
「稀人が現れると王族と婚姻を結ぶ。その事実にわたしが怯んで逃げるかもしれない……だから意図的に黙っていたのではないのですか?」
言い淀む天佑から離れる。それを彼は咎めはしない。
ーー少しは縮まったかもしれない心も離れていったようだった。
***
夜になっても天佑はやってこなかった。
明らかに避けられている。
けれど、天佑の訪問がなかったこと事実に胸を撫で下ろしたわたしも同じようなものだ。そう思いながらも……結局天佑のことを考える。
(ちゃんと眠れているのかな……)
クマが濃かった天佑の顔を思い出して、心配する。
どうか眠れていると良いとながら、眠ろうとした。
……けれど、一人ぼっちで横になると、無性に心が寂しいと感じたのだ。




