老人のボルカ(助けてぇ)…左卜全 がいなくなった国
✦老人のボルカ(助けてぇ)──左卜全がいなくなった国
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むかしむかし、
いや、ほんの少し先の未来の日本の話じゃ。
ある朝、お釈迦様は王宮を出た。
「この国の人々は、
なぜこれほど豊かで、
なぜこれほど疲れとるんじゃろう。」
そう呟いて、
九つの門をくぐる旅に出た。
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❥第一の門 歯医者の国
白い診察台の上で、人々は口をくちゅくちゅさせていた。
棚には、スーパーで売っているモンダミンのボトルが並んでいる。
だが歯医者が奥から出してきた液は別物だった。
一般用の倍の濃度、殺菌力は桁違い。
「これが医療専用です。
スーパーと 売っているものとは別物です。」
と歯科医が笑った。
お釈迦様は黙って見つめた。
儲けるためには「安かろう悪かろう…」
庶民は、
薄めた希望をくちゅくちゅしているように見えた。
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❥第二の門 スーパーの国
冷蔵棚の中はいくらの宝石、うなぎの香り。
だが裏の倉庫には、香料と着色料の袋が山積みになっていた。
「これはカニですか?」
「いいえ、スケトウダラです。
赤く塗って“紅ずわい”と呼んでます。」
“北海道産ししゃも”の袋の中にはアイスランドの魚。
“うなぎ”と書かれた切り身はナマズだった。
お釈迦様は思った。
「この国では、“味”も“産地”も、心地よい嘘で包まれとるのか。」
その頃、田んぼでは米が実りすぎて倒れていた。
政府が増産を命じた翌週、米はスーパーにあふれ、
零細農家は笑うどころか泣いている。
「食べ物が余る国で、なぜ腹が減るんだろう。」
お釈迦様はつぶやいた。
「豊かさも行き過ぎれば、飢えと変わらぬ。」
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❥第三の門 道の国
道路のガードレールは足だけ残り、
農家のハウスは骨組みが消えていた。
盗まれた金属は翌週、“再生資材”として
大手の倉庫に並んでいた。
お釈迦様は拾った鉄片を見つめた。
「盗む者も、買う者も、
その両方に痛みがある。
見ぬふりをする者も、また同じだ。」
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❥第四の門 寿司屋の国
「いらっしゃい! 本まぐろに生うに!」
皿は光っていた。
だが冷凍庫の箱にはこう書かれていた。
“マグロ風味着色マグロ”
“うに風味ペースト”
“いくら風人工球”。
職人が苦笑いした。
「本物を出せば赤字なんですよ。
安くしないと客が来ない。」
お釈迦様は箸を置いた。
「便利さの裏で、人の舌が真実を忘れている。」
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❥第五の門 若者の国
若者たちはスマホの光に顔を照らされ、
笑顔を貼りつけていた。
「友達の笑顔がまぶしすぎて、自分が見えない。」
と少年が言った。
お釈迦様は頷いた。
「心の筋肉が衰えれば、人は転ぶ。
二人に一人の若者が倒れる国…
それは魂のバランスを失った証じゃ。」
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❥第六の門 借金の国
街は「月々3,000円から」であふれていた。
若者はカードを差し込み、「少しだから」と笑った。
だが翌月、請求書を見て立ち尽くした。
金利は上がり、リボの回転は速くなる。
「足りないから苦しいのではない。
“足る”を知らぬから苦しいのだ。」
お釈迦様の声は、夜のコンビニの灯りに溶けた。
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❥第七の門 沈黙の放送局
丘の上のアンテナが風に鳴っていた。
「AMは2028年で止まり、BSも光を弱めています。」
老いた技師が言った。
「遠くまで届く声ほど、先に消えるんです。」
お釈迦様は空を見上げた。
「この国は、真実を語る声を恐れておる。
遠くへ届く電波を絶やし、
沈黙を“平和”と呼んでおる。」
画面の中では芸人が笑い、
翌日には姿を消していた。
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❥第八の門 お金の国
海の向こうで、日本のお金が働いていた。
対外純資産は533兆円、16年連続の増加…
しかし町には財布の音がなかった。
外国人が土地を買い、銀行にお金を預けていた。
「世界の安全資産」と呼ばれた日本。
だが、その安全は、資産を持つ者の上にだけ降った。
「お金は外で稼ぎ、民は中で沈む。
名は落ちても、資産は肥える。
だが器が小さければ、
豊かさはこぼれて地を濡らすだけじゃ。」
お釈迦様はつぶやいた。
「国は信用で生き、人は足るを知って生きていた。
だが、どちらも今、その意味を忘れておる。」
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❥第九の門 悟りの国
夕暮れの風に、
「ボルカ(助けてぇ)」という老人の声が混じった。
それは左卜全のような、
人間臭い笑い声だった。
お釈迦様は微笑んだ。
「背伸びをやめても、背は伸びる。」
若者はスマホを伏せ、
“月々3,000円”の契約画面を静かに閉じた。
風が吹き、お金の冷たさを洗い流した。
お釈迦様は最後に言った。
「この世は二重構造の苦海…
口に入るものも、耳に入るものも、
真実の味が失われておる。
だが、本当に気づく者には、
まだ救いの手が差し伸べられる…」
その声を聞いた若者が、
小さくつぶやいた。
「自分の生き方を、もう一度考えてみようかなぁ。」
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❥あとがき…
この物語に出てくる“九つの門”は、
どこにでもある街の風景かもしれません。
けれど、少し目を凝らせば、
その中に自分自身の姿が見えてくるはずです。
便利さの裏に、本物を探す勇気を…
静けさの中に、自分の声を取り戻す力を…
あなたが今日、
スマホを閉じて空を見上げたなら――
その一瞬こそが、悟りのはじまりです。




