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第7話 入門

 携帯から鳴り響く着信音は、私の思考を現実へと引き戻した。M堂からのメール。その内容は、私の心を再び掻き乱すには十分すぎるものだった。


「……スパイしろ、と」


 私は、羽々桐さんと如月先生の座す和室で、そのメールの内容をそのまま読み上げた。静寂が場を支配する。羽々桐さんは眉一つ動かさず、如月先生は穏やかな笑みを浮かべたまま、しかしその瞳の奥には深い洞察が宿っているように見えた。


「だろうね。彼らの考えそうなことだ」


 如月先生の声は、まるで予見していたかのように落ち着いていた。その言葉に、私はM堂の協会の本質を改めて突きつけられた気がした。彼らは、自分たちの利益のためなら、どんな手段も厭わない。私を監視の駒として利用しようとすることなど、彼らにとっては取るに足らないことなのだろう。


「実際に今までも、いろんな所からスパイは来たからね」


 如月先生は、まるで昔話でもするように淡々と語る。その言葉から、如月神法道術道場が、M堂のような「霊能者」たちから、長年にわたり様々な干渉を受けてきたことが窺えた。それは、彼らが提唱する法術が、既存の霊能者業界にとってどれほど異質で、脅威となり得るかを示しているかのようだった。


「うわー、その話描いてみてぇ!」


 思わず、漫画家としての本能が顔を出した。この道場の歴史、M堂のような組織との確執、そこで繰り広げられたであろう人間模様。それらは全て、私の創作意欲を刺激する魅力的な題材に思えた。だが、今はそれよりも、もっと重要な決断をすべき時だ。


「まあもうあそこに、未練も執着もないですけど」


 私は、M堂の協会への決別を明確にした。霊能者への憧れは、すでにそこでの欺瞞によって砕かれ、今は真実を求める探究心が私を突き動かしている。如月先生と羽々桐さんの話を聞き、私の心はすでに、新たな道へと傾いていた。


「なるほどね。嘘はついていないようだね」


 如月先生は、私の目を見据え、その言葉に確信を得たように頷いた。まるで、私の心の奥底を見透かされているような感覚。しかし、それは不快ではなく、むしろ深い安堵をもたらした。M堂の協会で感じていた、常に誰かに監視されているような、疑われているような感覚とは全く異なる、温かい信頼の眼差しだった。


「君の入門を認めよう」


 その一言が、私の人生の新たな扉を開いた。長らく彷徨っていた私の心に、ようやく確かな居場所が見つかったような気がした。霊能者として人々を救いたいという漠然とした願いは、法術師として真実を探求し、自らの力で問題を解決するという明確な目標へと昇華されていく。私は深々と頭を下げた。


 そして私は、法術の門を叩いた。




 私の法術師としての修行は、翌週から始まった。まずは、基本的な身体の鍛錬と、気の感覚を養うための「宝珠五行」と呼ばれる基本業からである。


 道場に通い始めると、まず驚かされたのは、その清潔さと静謐さだった。余計な装飾は一切なく、ただ清らかな空間が広がっている。M堂の協会の、どこか薄汚れた事務所とは対照的だ。早朝の澄んだ空気の中、羽々桐さんの指導のもと、私は宝珠五行に取り組んだ。


 宝珠五行は、文字通り五つの段階からなる。

最初は呼吸法だ。胸式と腹式呼吸、そしてその複合呼吸を繰り返し行う。

ただ息をするだけではない。意識の全てを呼吸に集中させ、体内に清らかな「気」を取り込み、不要なものを吐き出すイメージを繰り返す。


 次に、「気」を体内で巡らせる訓練だ。手のひらに温かいエネルギーの塊、まるで小さな光の珠があるかのようにイメージする。その珠を、腕から肩、そして全身へとゆっくりと巡らせていく。


 そして、体を揺らして弛緩させる体操。これは、まるで柳のようにしなやかに体を揺らし、全身の力を抜いていくものだ。最初は不格好で、まるで踊っているように見えたかもしれない。だが、この体操は、体の奥深くに潜む緊張を解き放ち、心身を一体化させる効果があるという。


 最後に、能動的イメージ瞑想。これは、想像の世界で自由に動き回り、様々な状況を体験する訓練だ。例えば、深い森の中を歩いたり、巨大な滝の前に立ったり、あるいは、光り輝くエネルギーの源に触れるイメージを持つ。


 以上が基本修業である。

 これらを一日に一回、毎日1セット行うのだ。


「……気功やヨガの訓練みたいですね」


 ある日の修行の後、私は率直な感想を羽々桐さんに伝えた。実際に、私がこれまで見聞きしてきた気功やヨガの動作と共通する部分が多かったからだ。


「細部に差異はありますが、そうですね」


 羽々桐さんは頷いた。彼の表情は、以前の鋭さに加え、穏やかな師の顔つきになっていた。


「古今東西の神秘行の基礎は、同じなんですよ。人が自身の内なる力、そして外界との繋がりを探求しようとすれば、自ずと似たような手法に辿り着くものです」


 如月先生が、お茶をすすりながら補足した。その言葉は、私の中にあった、法術に対する「特殊な能力」というイメージを打ち砕き、普遍的な人間の営みとして捉え直すきっかけとなった。

 要するに、これはラジオ体操なのだ。

 基本にして基礎、心身を整える準備体操。ストレッチ。

 どんなプロのアスリートも、基礎を疎かにしている者はいない。例外なく、だ。


「そこからコツが失伝していった流派も多くありますが、如月法術は幸いにも、その本質を現代まで伝え続けてきた数少ないものの一つです」


 如月先生の言葉に、私はこの道場の歴史の重みを感じた。単なる怪しげなオカルトではなく、何百年もの時を超えて受け継がれてきた、確かな知恵と技術なのだと。



 ◇

 基礎訓練の後は、テキストを用いた座学である。如月法術の組織が自費で出版しているテキストであり、一般販売は一部を除いて行われていないという。このテキストを自宅でも勉強し、道場では如月先生の講話を聞き、さらに理解を深めていくのだ。


「法術とは、人が人として正しい道を進む為の法と術です」


 如月先生は、静かに、しかし力強く語り始めた。


「その法とは『因果律』。全ては原因があり結果がある。その正しい道を学び、自分が正しく生きていくことに役立てる実践哲学……形而上学です」


 哲学……学問。その言葉に、私は改めて驚きを隠せなかった。M堂の協会では、全てが金儲けのための「霊能力」と称する詐欺だった。しかし、ここでは「哲学」であり「学問」だという。霊能者への憧れから足を踏み入れた世界で、まさかこんなにも知的で深遠な真理に出会うとは、夢にも思わなかった。


「じゃあ、法術師というのは、学者や哲学者に近い存在なのでしょうか?」


 私の問いに、如月先生は微笑んだ。


「『法術師』は、認可を受けた一部の者だけが名乗れる称号ですが、それはありがちな霊能者や呪術師のように、術で生計を立てているとは限りません」


 先生は続けた。その言葉は、M堂の協会がいかに「霊能者」という肩書を金儲けの手段として利用していたかを浮き彫りにした。


「そもそも法術を商売として行ってはならないと決められていて、みな本業があり、それで生計を立てています。学者だったり、公務員だったり、会社員だったりと色々です。羽々桐も、普段は別の仕事をしていますよ」


 羽々桐さんが、以前民宿で会った時の「法術師」としての姿だけでなく、普段は一般的な職業に就いていると聞いて、私はさらに驚いた。

それは、法術が特定の誰かの特別な能力ではなく、誰もが学び、自身の人生を豊かにするための「道」であることを示唆しているようだった。

M堂の協会では、霊能者であることが唯一の生計手段であり、それが彼らを欺瞞へと駆り立てる大きな要因となっていた。しかし、ここではそうではない。法術は、生きるための手段ではなく、生き方を律するための哲学なのだ。



「しかし、法術って今回初めて知りましたが、こう……なんていうか、マイナーですよね」


 ある時、私は素朴な疑問を口にした。これほどの深遠な教えを持つ法術が、なぜ世間にほとんど知られていないのだろうか。


「確かに」


 如月先生は、私の言葉を肯定した。そして、その理由を語り始めた。


「神仏や霊を否定し、人間の持つ力そのものを鍛え、因果律の道をゆく実践哲学。まず、大衆受けする要素がないからね」


 先生の言葉に、私は深く納得した。

 現代社会において、人々は手軽な救いや、神秘的な力を求める傾向にある。M堂の協会が「霊能者」という肩書で多くの人を集められたのも、そのニーズに応えていたからだろう。しかし、法術は真逆を行く。


「祈って願えば救われるという他力本願を根本から否定し、人を救えるのは自分自身のみ……と突き放している」


 その言葉は、一見すると冷たく、突き放しているように聞こえるかもしれない。しかし、私にはそれが、真の強さと自立を促す、力強いメッセージに思えた。


「冷たく、そして傲慢な教義と受け取る人も多い。世間にも、マスコミにも、権力にも迎合しない。広まる要素がないのだよ」


 如月先生は、淡々と、しかし誇りをもってそう語った。

 彼らの道場が、世間の流行や権威に流されることなく、独自の道を歩み続けてきたことが、その言葉の端々から感じられた。

 M堂の協会の、世間の目を気にし、巧妙な演出で人々を欺く姿とは、あまりにも対照的だ。

法術は、大衆に媚びず、真理を追求する。その姿勢こそが、彼らが「マイナー」である理由であり、同時にその純粋さの証なのだと、私は理解した。


「インターネットの発達した今だからこそ、あなたの目に留まる機会もあったけど、そうでなければ、ずっと密かに隠れて細々と続いていっただけだろうからね」


 如月先生の言葉に、私は深く頷いた。

 私が直接如月法術のホームページから知ったわけではない。しかし、民宿の女将はインターネット経由で法術を知り、助けを求めたのだという。

 もしインターネットが普及していなければ、私は法術という存在を知ることもなかったかもしれない。この偶然とも言える出会いが、私の人生を大きく変える転機となったことに、改めて感謝の念が湧き上がった。


「確かに……」


 私は、如月先生の言葉を反芻した。これほどまでに、世間の評価や利益に囚われず、ただひたすらに真理を追求し、その教えを密かに守り続けてきた人々がいる。その歴史の重みに、私は深い感銘を受けた。

 そして、一つの疑問が、私の心に浮かび上がった。


 こんなものを継いできて、そして、今のこの時に世に出す決心をした、如月真一先生……この人に、どんな過去が、どんな人生があったのだろうか、と。


 時代に逆行するかのような教えを、なぜ彼は守り続け、そして現代に伝えようと決心したのか。その背景には、きっと壮絶な人生と、揺るぎない信念があったに違いない。

 私は、その物語を、その真実を、ぜひとも知りたいと強く思った。

 そして、それを漫画として描き、世に伝えることが、私の新たな使命となるのではないか、と。

 ……いや、単に「ネタになるし面白そうだぞゲヒヒヒヒ」と思っただけの、漫画家としての本能と言うか欲望に過ぎないのではないか、と言われたら、そうですごめんなさいと言うしか出来ないのではあるが。

 ごめんなさい。欲望です。

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どうなるのか。草葉の陰からそっと見守っております。
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