第6話 道場へ
「なんだあの連中は!法術師だと、仏教系か? とこの協会どこの派閥であれ、霊能者のタブーを破るとは。自分たちのことしか考えてない最悪な奴らだ!」
M堂の怒りに震える声が、耳の奥でまだ響いているようだった。
霊能者業界の暗黙のルール、不文律。同業者同士、互いの邪魔をせず、話を合わせるのが基本だと。しかし、羽々桐氏はそんなものには一切耳を貸さず、M堂の見立てを真っ向から否定し、自身の「法術」とやらで問題を解決してしまった。
本当にそうだろうか。M堂の言うことが、全て正しいのだろうか。
この時から、私の心に麻痺していた疑念が再び生じていた。
M堂の霊能協会に入って以来、私は彼の言葉を鵜呑みにしてきた。彼の言う「霊障」は、依頼人の心が生み出す幻覚や妄想であり、だからこそ一度解決しても再発し、それが良い商売になるのだと。しかし、あの民宿の件は、その理論と矛盾する。
あれからあの民宿は、霊障がぴたりとやんだらしい。
女将が電話口で安堵した声でそう教えてくれた。
法術師、羽々桐氏鷹也の行った儀式によって。
もし M堂の言うとおり、霊障が全て心が生み出す幻覚や妄想で、一度霊障にあった人間は何度でも霊障にあうものならば、羽々桐氏の行った処置で解決するのはおかしい。
彼の除霊は、根本的な解決になっていないことになる。
それとも、まだ再発していないだけで、いずれ再発して再び除霊して金を稼ぐタイミングを羽々桐氏が待ち構えているのだろうか? いや、羽々桐氏のあの態度からして、そんな姑息な真似をするようには思えなかった。M堂のように、霊障の再発を前提としたビジネスモデルを構築しているわけではないように見えた。
わからないなら、取材だ。
私はそう決めた。私は漫画家である、取材する生き物だ。そもそもH心霊協会だって、制式に所属しているわけでなく取材だしな。
旅館の女将から彼らの本拠地について聞いてある。
N県A市。私はさっそく、羽々桐氏に取材を申し込むことにした。
◇
N県A市――。
私は彼らの本拠地にいた。
都心から電車を乗り継ぎ、さらにバスで揺られること数十分。目的地のバス停を降りて、少し歩いた先にそれはあった。
都会の喧騒から離れた、のどかな住宅街の一角。ごく普通の一軒家だった。庭には手入れの行き届いた植木が並び、玄関先には小さな花壇が設えられている。
どこにでもあるような、ごく一般的な日本の家屋だ。
しかし、玄関の表札の下に飾られた木製の看板が、その家が只者ではないことを示していた。
「如月神法道術道場」……簡素ながらも力強い筆致で書かれたその文字は、どこか古めかしい響きを持っていた。
インターホンを押すと、しばらくして玄関の引き戸が静かに開いた。
現れたのは、先日民宿で会った羽々桐氏鷹也、その人だった。あの時とは違い、黒い作務衣に身を包んでいる。彼の鋭い眼光は変わらない。
しかし、怒りに震えるM堂を前にしても動じなかった彼の表情は、どこか穏やかなものだった。
「どうも、お久しぶりです」
私が頭を下げて挨拶すると、羽々桐氏は小さく頷いた。その視線は、私を値踏みするようで、しかし敵意は感じられない。
「はい。先日の一件で色々と気になりまして……取材をと思いまして」
私は単刀直入に用件を伝えた。羽々桐氏は私の言葉に、特に驚いた様子もなく、ただ静かに私を見つめている。
「かまいませんが……その前に一つ。
協会からは何と?」
羽々桐氏の問いは、私の意図を正確に見抜いていた。M堂が私を監視の目として送り込んだのではないか、とでも思っているのだろう。私は正直に答える。
「……特に言われていません。あくまで私本人の意思で、疑問と疑念を追求しに来させていただきました。M堂さんはいたくご機嫌斜めでしたが」
私の言葉に、羽々桐氏の口元にわずかな笑みが浮かんだ。それは、嘲笑ではなく、苦笑であった。
「そうでしょうね。我々は嫌われていますから」
羽々桐氏はそう言って、私を家の中へと招き入れた。
通されたのは、和室だった。畳の香りが心地よく、壁にはシンプルな掛け軸が飾られている。道場というにはあまりに普通の、しかし清浄な空気が漂っていた。
そしてそこには、一人の中年男性が座っていた。
「初めまして。羽々桐氏の師の、如月真一です」
彼がこの道場の主。
如月真一と名乗った男性は、60代前半くらいに見えた。白髪交じりの短い髪に、穏やかな笑みを浮かべた顔は、どこか温かみのある雰囲気を漂わせていた。
だが、その瞳の奥には、羽々桐氏と同じような鋭さが潜んでいるように感じられた。彼は正座したまま、軽く頭を下げて私を迎えた。
「十凪高志さんですね。鷹也から話は聞いています。漫画家として、霊的な世界に興味があると。どうぞ、こちらへ」
如月先生は畳の部屋の中央に置かれた座布団を指し、穏やかに促した。
私は少し緊張しながら正座し、改めて自己紹介をした。
「はい、十凪高志です。H霊能協会の取材をきっかけに、いろいろな疑問が湧いてきて……特に、先日の民宿の一件で、羽々桐氏さんの除霊が気になりまして。取材させてください」
私の言葉に、如月先生は静かに頷き、羽々桐氏と視線を交わした。羽々桐氏は無言で座布団に座り、腕を組んで私の話を聞く姿勢を見せた。
私は改めて、先程の問いを投げかけた。
「法術師って、霊能者に嫌われているんですか? 同じようなことしているのに」
私の素朴な疑問に、羽々桐氏は静かに首を振った。
「一般からはそう見えるかもしれませんが、本質的に違うんですよ。我々は、意思と自我を保持し動き回る幽霊も、宗教の語る神仏も、そしてそれらが暮らす死後の世界も、認めては居ません」
その言葉は、私の知る「霊能者」の概念を根底から覆すものだった。霊能力とは、死者の魂と対話し、神仏の力を借りて悪霊を退けるものだと、私は思っていた。しかし、羽々桐氏は、それら全てを否定するという。
もっともそれは、M堂も同じではあったのだが。
「……えっ。でもこの間、人形の持ち主の念が霊障を、って」
私は混乱し、旅館での出来事を引き合いに出した。あの時、羽々桐氏は確かに「念」が霊障の原因だと説明した。
それは、霊の存在を認めていることに他ならないのではないか?
羽々桐氏は、私の混乱を見透かしたように、ゆっくりと説明を始めた。
「はい。ですが我々は一度も幽霊とは言っていません。
では、そうですね。まずは『人が霊を見る』原理について解説しましょうか。
霊感が強いと言われるものは、常人よりも幽体と呼ばれる霊的防御力……バリアーのようなものが弱く、薄く、貧弱で、一言で言えば『霊的に弱い』人間なのです。
だから死者の残した念や、他者の放つ想念に影響され、幻覚や幻聴、記憶の混乱、人格の豹変などが起きる。
これが霊感体質や憑依体質と呼ばれるものだと思ってください」
羽々桐氏の言葉は、衝撃的だった。
霊感が強いというのは、霊的な力が強いことだとばかり思っていたのに、実際はその逆、霊的弱者であるという。
例えるなら、そう……花粉症体質や免疫過敏症のようなものだろう。常人には特に害のない花粉や菌などに反応してしまい、様々な症状が起きてしまう。
その「症状」が、霊を見る、ということなのか。
「つまり、霊そのものに意思はなく、憑かれた人が見る幻覚だと」
「はい」
羽々桐氏は簡潔に答えた。
私の頭の中では、M堂の言葉と羽々桐氏の言葉が激しくせめぎ合っていた。
霊能者の協会では、霊はただの幻覚でしかないと言っていた。しかし、そこには霊の原因というものは曖昧にされ、全て依頼人の心の弱さや思い込みに帰結させていた。
だが、ここでは、その幻覚の原因として「死者の残した念」や「他者の放つ想念」という、ある種の「霊的なエネルギー」を認めている。しかし、それ自体に自我や意志はない、というのだ。
「だけど、それそのものに意思や自我はない……と。人が見る幽霊が死者の残留思念や他者の放つ想念、そして己の心を原因として生じる幻覚であるなら、幽霊は実在するといえるのでは?」
私はさらに疑問をぶつけた。もし、幻覚の原因が「念」であるなら、その「念」自体が幽霊と呼べるのではないか?
「答えは『しない』ですよ」
羽々桐氏は、私の問いを否定した。
そして如月先生が言う。
「そもそも幽霊とは、江戸時代に考えられた新しい概念だよ。
それより以前も、『生者の前に現れる死者』の話はあったが、幽霊と違い肉体、実体を持っていたし、有名な人物や落ち武者などの軍勢だった。
あるいは、姿も無く、ただ祟り障りだけの存在……。
時代や文化によって死者の霊は、その姿や設定がころころと変わる……つまり人の心の産物でしかない、とていうわけです」
二人の言葉は、私の固定観念を次々と破壊していく。
確かに、昔の怪談や伝説に出てくるのは、怨霊や魑魅魍魎といった、もっと実体を持った存在だった。
幽霊という、半透明で足のない姿は、確かに江戸時代以降に確立されたイメージだ。諸説あるが、円山応挙という絵師が当時流行っていた幽霊画を掻いていた時に、水をその絵にこぼしてしまい、それによって幽霊の足が滲み消えてしまったたころ、「これはそれっぽいぞ」と採用したことが足のない幽霊の始まりであると言われている。
それ以降、幽霊とは足が無いものだと伝わり、その認識が広まり浸透したのだ。
それはつまり、偶然が関わっているとはいえ、人間の想像力が生み出した「型」に過ぎないということなのだろうか。
「確かに、映画でテレビから出て来る某怨霊が流行ってから、幽霊の姿もみんなあれと同じように……」
「ですね。そしてそれは神も同じです」
「神様……も?」
「それらは意志を持つように見えても、実際には意志を持たず体験者の主観にのみ存在するものでしかない。
夢の登場人物は、自分の意思をもって動いているように見えるだろう? それと同じだよ」
如月先生はそう言った。
全ては空想。それは霊能者M堂の言っている事と同じではあった。しかし、決定的に違う事もある。
それは、「念」というものの存在だ。
そういうものが本当に存在するのだろうか? 迷信では無いのか? 私にはわからない。
しかし……。
「だから前回ではその「念」が宿泊客や住人に触れることで、幻覚や障りが起きたと」
「はい」
羽々桐氏は言った。
そう、確かに私は前回、彼の言う通りの「人形の夢」という障りにあったのだ。
ただの夢――と一笑に付することは、私には出来なかった。
「その念そのものに意志も自我もありませんが、血液型の違う他者の血か毒になるように、他者の念に当てられるとそのようなことが起きることもあるんですよ。
なのでそれらの原因を特定し、法術によって除去したのです」
理路整然としている……と、私は思った。
納得できるし、なによりも。
全て被害者の空想で妄想、勘違いによるもの。だから金儲けのカモだとうそぶく協会の霊能者とは違う……。
もちろん、今の説明で全てか納得できた訳じゃない。
では、彼ら法術師の言う「念」や「気」とは何なのか。
なぜそれらが物体に付着し、他人に影響を与えられるのか。
そして、彼らはどうやってそれらを除去――祓ったのか。
私はこの法術というもの話に、自分が求めていたのはこれではないか、と強く思うようになった。
つい最近、霊能者の協会というものに騙されて、心霊オカルトへの幻想を壊された直後だというのに、我ながら失笑ものではあるけれど。
本格的に法術を学んでみたい――
私は、そう思った。
その時だった。
携帯からメールの着信音が鳴ったのは。
「あ、失礼します――え?」
そのメールは、M堂からだった。
そして文面は――
“こないだのあの法術師の所に潜入してください”
そのような、ものだった。