第5話 法術師
「法術師……?」
聞いた事のない言葉だ。響きから察するに仏教系だろうか。しかしそれにしては僧侶の格好をしていない。
しかし、除霊依頼のダブルブッキングか。こういうこともあるのだな、と私は変な意味で感心した。
「いいんですか、こういうのって」
私はM堂に聞く。
「よくはない……けど、まあ仕方ないでしょう。逆に説得力は増しますからね」
「増す……?」
M堂は私の問いかけに、ニヤリと口の端を上げた。
「ええ、増しますとも。考えてみてください。二人の霊能者が同時に除霊を行う。しかも、それぞれが別の流派、あるいは異なるアプローチを取っていると見せかける。しかし、最終的には同じ結論に達し、同じ方法で解決を図る。これほどまでに説得力のある演出がありますか?
互いに知らないふりをして、偶然居合わせたかのように振る舞い、しかし裏では密に連携を取る。これが、我々霊能者業界のプロの技というものです」
「なるほど……。しかし、そこまで周到に準備されるとは思いませんでした」
「当然です。お客様の信頼を勝ち取るためには、これくらいは当然。さあ、そろそろ本題に入りましょうか」
M堂はそう言うと、気を取り直したように、居住まいを正した。
M堂は懐から、丁寧に折りたたまれた数枚のお札を取り出した。それらは真っ白な和紙に、朱色の墨で複雑な梵字のようなものが描かれている。彼はそれを、部屋の四隅に、そして障子や襖の枠に、手際よく貼り付けていく。その動作には一切の迷いがなく、長年の経験がなせる業なのだろうと、私はただ見守るしかなかった。
「この家には、先祖の霊が取り憑いているようですな。長年の供養が疎かになった結果、浮遊霊と化し、この家の住人たちに障りを引き起こしている。まずは、先祖供養を執り行い、彼らを鎮めるところから始めましょう」
M堂は厳かな声でそう告げた。私は彼の言葉に、思わず頷きそうになった。先祖供養。確かに、日本の家屋によくある霊障の原因としては、最も一般的なものの一つだろう。
しかし、その時だった。
「その必要はありません」
凛とした声が、M堂の言葉を遮った。私はハッと顔を上げ、声の主を見る。羽々桐氏氏だった。彼は、いつの間にかM堂の背後に立っており、その表情には一切の動揺が見られない。
M堂は、突然の言葉に、貼り付けようとしていたお札をぴたりと止め、眉をひそめた。
「ほう? それはどういう意味ですかな、羽々桐先生」
M堂の声には、わずかに苛立ちが混じっていた。
羽々桐氏は、M堂の問いかけにも動じることなく、静かに答えた。
「この部屋を拝見しましたが、そういった祖先の霊気は感じられません。
確かに、長年住み続けた家には、住人の念が染み付くものですが、それはあくまで生者の残した痕跡に過ぎません。死者の遺した念とは、根本的に性質が異なります。この家に障りを引き起こしている原因は、別のところにあります」
M堂は、羽々桐氏の言葉に、明らかに不快そうな顔をした。彼は霊能者としての経験と実績に自信を持っているのだろう。自分の見立てを、若輩の羽々桐氏に否定されたことに、プライドを傷つけられたのかもしれない。
「ふむ……では、羽々桐先生は、一体何が原因だとおっしゃるのですかな?」
M堂は挑むような口調で言った。羽々桐氏氏は、M堂の挑発には乗らず、ただ静かに、部屋の中央に立つ私とM堂の間を通り過ぎていった。彼の視線は、部屋の奥の一点に向けられている。
「私は先ほど、この家の夫妻にも、息子さんにも、そして従業員の方々にも、『憑読』という術を行いました」
「ツクヨミ……?」
私は聞き慣れない言葉に、思わず口を開いた。羽々桐氏は、私の方を一瞥すると、説明を続けた。
「ええ。『憑読』とは、対象の気の流れを視る術です。その者の心身の状態、あるいは周囲に漂う念の影響などを読み取ることができます。ですが、夫妻にも息子さんにも、従業員の方々にも……原因となるような気の乱れは一切見られませんでした。彼らの心身は至って健全です」
羽々桐氏はそう言って、再び視線を部屋の奥へと向けた。彼女の視線の先には、古びた襖があった。
「問題は、そちらの奥の部屋にあります」
羽々桐氏はそう告げると、躊躇なくその襖に手をかけ、ゆっくりと横に開いた。
襖の向こう側には、小さな物置のような部屋があった。そして、その部屋の薄暗い中に、ひっそりと置かれた一体の人形が、私たちの目に飛び込んできた。
それは、古びた日本人形だった。その瞳は、ガラス玉のように虚ろで、しかし何かを訴えかけるかのように、私たちを見つめているように感じられた。
「あれは……母が骨董品屋で買ってきたものです」
M堂の背後から、旅館の女将が、震える声で言った。彼女の顔には、恐怖と困惑の色が浮かんでいる。
M堂は、その人形を見て、すぐに自身の見立てを修正しようとした。
「そ、そうですね。なるほど、亡くなった持ち主の霊が、この人形に宿り、それがこの家に障りを引き起こしている、と……」
M堂は、羽々桐氏の指摘を受けて、何とか自身の霊能者としての面目を保とうとしているようだった。しかし、羽々桐氏は、M堂の言葉を冷たく遮った。
「違います。あなたは、死者の遺した念と、生者の送っている念の区別もつかないのですか?」
羽々桐氏の言葉は、M堂にとって、屈辱以外の何物でもなかっただろう。
M堂の顔は、みるみるうちに赤みを帯びていく。しかし、羽々桐氏は一切気にすることなく、淡々と説明を続けた。
「この人形には、前の所有者の強力な念が染み付いています。
しかし、それは死者の念ではありません。前の持ち主は、今も普通に生きています。そして、この人形を、それはそれは大切にしていたのでしょう。
モノというのは、持ち主の気が強く宿る性質があります。特に、愛情や執着といった強い感情が込められたモノは、まるで受信機のように、その念を呼び込む性質を持つようになります」
羽々桐氏は、人形に近づき、その表面にそっと触れた。しかし、すぐに手を離し、私たちの方を向いた。
「この人形は、前の持ち主の強烈な念を吸い込み、そしてそれを常に発し続けています。この家の住人や客からしたら、それは異質な他人の強烈な気であり、心身に合いません。違う血液型の血が体に合わないようにね。
それが、この旅館全体を包み込み、住人や客に様々な障りを引き起こしているのです」
私は、羽々桐氏の説明にそういうこともあるのか、と思った。なるほど、霊障の原因は、必ずしも死者の霊とは限らない。生者の念、いわゆる「生き霊」というやつか。
「しかし、これは悪意や害意のある念、つまり呪詛ではありません。
前の持ち主は、ただ人形を愛していただけのこと。だから、そこまでの致命的な障りを引き起こすことはありませんが、それでも、この家にいると、金縛りにあったり、悪夢を見たりすることはあるでしょう」
羽々桐氏は、人形をじっと見つめながら、淡々と言葉を続けた。
女将は、羽々桐氏の説明に、青ざめた顔で尋ねた。
「では、この人形は……燃やしてしまった方が良いのでしょうか?」
羽々桐氏は、首を横に振った。
「いいえ、その必要はありません。
この人形に宿る念を、丁寧に浄化し、除去すればそれで済みます。そうすれば、この人形はただの骨董品に戻り、再び誰かに愛されることもできるでしょう」
羽々桐氏の言葉に、女将は安堵の表情を見せた。しかし、その安堵は、M堂の激昂によって、一瞬にして吹き飛ばされることとなる。
「ふざけるな! どこの霊能者だ、貴様は!」
M堂は、顔を真っ赤にして、羽々桐氏に詰め寄った。その声は、怒りで震えている。
「同業者の邪魔をしない、口を合わせるというのが、我々霊能者業界の暗黙のルールだろうが! それを貴様は、こともあろうに、私の見立てを真っ向から否定し、勝手なことを言いおって!」
M堂の怒りは、私の想像をはるかに超えるものだった。彼は、自身のプライドだけでなく、霊能者としての縄張りを荒らされたことに、激しい憤りを感じているようだった。私は、M堂の剣幕に、思わず身をすくめてしまった。
羽々桐氏は、激昂するM堂の言葉を、ただ静かに聞いていた。そして、M堂が言葉を終えると、氷のように冷たい声で、淡々と答えた。
「そういうのは、あなたたちが勝手に決めたルールに過ぎません。私には、あなたたちの業界の慣習や、暗黙の了解など、一切関係ありません」
羽々桐氏の言葉は、M堂の怒りに、さらに油を注ぐ結果となった。M堂は、怒りで顔を歪め、羽々桐氏を指差して恫喝した。
「後悔するぞ、貴様! 顔も名も覚えた! この業界で生きていけなくしてやる!」
M堂の言葉は、明らかに脅迫だった。私は、M堂のあまりの剣幕に、羽々桐氏が怯むのではないかと心配したが、羽々桐氏は微動だにしない。
「ふむ。これまでも、名誉棄損や営業妨害で訴訟すると言った霊能者は、たくさんいました。あなたも、その一人に過ぎない、ということですか」
羽々桐氏は、M堂の恫喝を、まるで子供の戯言のように受け流した。その態度に、M堂はさらに激昂し、何かを言い返そうとしたが、羽々桐氏はそれを許さなかった。
羽々桐氏は、M堂の目をまっすぐ見据え、冷徹な声で言い放った。
「そう、霊能者の業界のルールなんて、私たちには関係ありません。私たちは、あなたたちのような霊能者とは、根本的に存在が異なるのですから」
そして、その言葉に、決定的な一言を付け加えた。
「私達は、法術師なのだから」
その言葉が、静まり返った部屋に響き渡る。
これが、私と法術師、羽々桐鷹也氏の出会いだった。