第2話 セッション
鑑定会が終わった後、私はホールの隅でぼんやりと立ち尽くしていた。
霊能者の言葉に涙を流す依頼人たちの姿や、会場を包む熱狂的な空気は、確かに印象的だった。
だが、あの違和感――まるで舞台の上で繰り広げられる巧妙なパフォーマンスを見せられているような感覚が、どうしても頭から離れなかった。
「十凪さん、初めての鑑定会はどうでしたか? なかなか刺激的でしょう?」
M堂の声は軽やかだったが、なぜかその言葉には重みがあった。私は少し迷いながら答えた。
「ええ、すごかったです。依頼人の方々があんなに感動するなんて……正直、驚きました。でも……」
私は言葉を切り、胸に渦巻く思いをどう表現すべきか悩んだ。
M堂は私の躊躇を見逃さず、静かに先を促した。
「でも?」
「いや、なんというか……本当にあれは霊的な力なんですか? 言葉が曖昧だったり、誰にでも当てはまりそうなことを言ってるようにも感じて……」
私の言葉に、M堂は一瞬だけ目を細めたが、すぐに柔らかな笑顔に戻った
「ふむ、鋭いですね、十凪さん。さすが漫画家、観察力がありますね」
彼はそう言うと、ゆっくりとホールを歩き始め、私に並んで歩くよう促した。ホールを出て、施設の廊下を進みながら、彼は静かに話し始めた。
「十凪さん、霊能というものは、確かに神秘的で、時に説明しがたいものです。しかし、同時に、それは人間の心と深く結びついている。依頼人が求めるのは、必ずしも『真実』そのものではありません。彼らが欲しいのは、希望や安心、時には自分を肯定してくれる言葉なんです。我々は、霊的な力を通じて、それを提供しているのです」
私は思わず立ち止まり、彼の顔を見た。
「じゃあ、あの鑑定会って……ただのパフォーマンスってことですか?」
私の直球な質問に、M堂は小さく笑った。
「パフォーマンスという言葉は、少し厳しいですね。確かに、依頼人にわかりやすく伝えるために、多少の演出はあります。だが、それは彼らの心を開き、霊的なエネルギーを受け入れやすくするための手段に過ぎません。
十凪さんも、これから訓練を重ねれば、その『本質』が見えてきますよ」
M堂の言葉は、まるで謎かけのようだった。彼が何を言わんとしているのか、完全には理解できなかったが、その裏に何か隠された意図があるような気がしてならなかった。
私はさらに尋ねようとしたが、彼は軽く手を挙げて話を遮った。
「さて、十凪さん。今日は見学だけでしたが、明日からはいよいよ本格的な訓練が始まります。準備はできていますか?」
私はごくりと唾を飲み込み、頷いた。
「はい……やってみます」
M堂は満足げに頷き、廊下の奥へと消えていった。私はその背中を見送りながら、胸の中で複雑な感情が渦巻いているのを感じた。
◇
H霊能協会の門を叩いてから、数週間が過ぎた。
私の生活は一変した。以前は締め切りに追われながら自宅で漫画を描く日々だったが、今は毎日……というわけではないが、都心のモダンなオフィスビルへと「出社」する。
そもそも私は千葉県に部屋を借りているので、毎日協会へと出社するのはとても無理である。金銭的にも。
それはともかく、霊能者を目指すという、非日常的な目標を掲げながら、その実態は驚くほど日常的で、拍子抜けするほど「普通」のサラリーマン生活と大差なかった。
……もっとも、私はサラリーマンなど体験した事のない、無職と大差ない漫画家だったので、サラリーマン生活など想像上のものでしかなかったのだけど。
閑話休題。
出社した私の仕事は、基本的に他の霊能者志望と同じく、見習いの小間使いである。
さきほどサラリーマンと言ったが、そこで大きく違う所があった。
私達は学ばせていただいている身である。昔の言葉で言うと弟子だ。
つまり、給金など無いのであった。
「むしろ、本来ならこっちが金払ってしかるべきですからね。空手道場とか絵画教室とか、そういうのって参加者が月謝払うじゃないですか。そういうのないぶん、良心的ですよ」
そう言ったのは同じく霊能者を目指して協会に入った青年だった。彼は霊感があるといい、それを皆の為に活かしたくて霊能者の門戸を叩いたという。
さて、私の仕事の合間、M堂は常に穏やかな笑顔を絶やさず、私に協会の理念や、霊能者としての「心構え」について語った。
「十凪さん。前もお伝えしましたが、霊能者とは、単に目に見えないものを見るだけではありません。最も重要なのは、人の心に寄り添い、その悩みを理解し、解決へと導くことなのです」
彼の言葉は、まるで洗練されたビジネスセミナーの講師のようだった。
「我々の協会では、真の霊能者となるための独自のメソッドを確立しています。それは、霊的な感受性を高める訓練と、人間心理への深い洞察力を養う訓練、この二つが柱となります」
具体的な訓練は、私が想像していたものとは大きく異なっていた。瞑想や座禅、滝行といった、いかにも霊能者らしい修行は皆無だった。
代わりに私に与えられたのは、分厚いファイルと、パソコンの画面に表示される膨大なデータだった。
ファイルの中身は、過去の鑑定会の記録や、依頼人からの相談内容、そしてそれに対する霊能者の「鑑定結果」が詳細に記されていた。私はそれらを読み込み、依頼人の悩みと鑑定結果の関連性を分析するよう指示された。
「依頼人がどのような言葉を求めているのか、どのような状況で、どのような表現が心に響くのか。それを理解することが、霊能者としての第一歩です」
M堂はそう説明した。
「これは、鑑定の精度を高めるためのものです。事前に依頼人の背景を知ることで、より深く共感し、的確なアドバイスを提供できますから」
M堂は悪びれることなくそう言ったが、私の胸には、またしてもあの「違和感」が湧き上がってきた。これは「霊視」ではなく、「情報収集」ではないのか。
しかし、M堂の理路整然とした説明の前では、私の素朴な疑問を口に出すことはできなかった。
「エクソシストについて知っていますか」
彼は言う。私は、まあ常識程度には、と答えた。
「キリスト教の公式な悪魔祓いはですね、大切なのはまず鑑定なんです。
自分には悪魔が憑いている――そう言ってくる依頼人はとても多い。多すぎる。だけど、そのうち「本物の悪魔憑きだ」と協会が認める割合はどのくらいかしっていますか」
「いえ……」
「ほんの数%。一割にも満たないのです。いえもしかしたら、1%以下かもしれない。
あとは妄想、病気や薬物による幻覚体験、ストレス、嘘、そして精神疾患です」
「……」
「私達が何故情報を集めるか。それは、心霊現象か否かの真贋を常に見極め、相談者に的確なアドバイスを行わねばいけないからです。
まあ、キリスト教の認める基準は実に厳しく、実際に心霊現象は彼らの言うよりもはるかに多く実在しますけどね」
M堂は言う。キリスト教のエクソシストの定める判断基準はとても厳しく、それでは人を救えないと。
「この国で心霊現象に苦しむ人たちも同じです。巨大な伝統宗教は、その規模故に真に困っている人たちを救う事は出来ない。霊に憑かれて、祟られて、呪われて困っている助けてくださいと駆け込んでも、ろくに調べもせずに適当な祝詞や読経を行いお祓いをしたと言って金を毟り追い返すだけです。彼らはね、依頼人に病院を紹介する事すらしないんですよ。本当の霊障だろうが、病気で苦しんでいるだけだろうが、それを精査することすらしない。
だけど実際には、しっかりと調査して見極めることが大事なんです」
M堂の言葉は、たしかに論理的で腑に落ちた。霊かと思ったらそうではない、そういったことは枚挙に暇がないだろう。それらを雑に読経や祝詞をあげただけで追い返すという宗教に比べたら、なんとも良心的な事だ。
「ところで……」M堂は言う。「後日、霊能者を志す人たちを集めた初心者向けのセッションが行われるのですが、参加されますか?」
それは、郊外でのセッションの案内だった。
◇
翌日、私はH霊能協会の研修施設に足を踏み入れた。
都心から電車で一時間ほど、緑豊かな郊外に佇む洋館のような建物だ。
表札には「Hリトリートセンター」とあり、昨日までのオフィスビルの無機質さとは対照的な、どこか落ち着いた雰囲気が漂っていた。
門をくぐると、若い女性が迎えに出てきた。彼女は白い制服のような服を着ていた。彼女の名前を仮にT中とする。
「十凪さん、ようこそ。初日の訓練、楽しみにしてくださいね。私もここで訓練を受けた一人なんですよ」
T中が私を連れて行ったのは、地下にある広々とした訓練室だった。そこには、円形に並べられたクッションと、壁際に設置された奇妙な機械が目に入った。
すでに数人の参加者がクッションに座っており、私と同じく新入りのようだった。彼らの表情は、緊張と好奇心が入り混じっている。
訓練を担当するのは、50代くらいの女性霊能者だった。名前を仮にS木先生とする。
「皆さん、H霊能協会へようこそ。今日から、皆さんは霊的な世界への第一歩を踏み出します。私たちの目的は、霊的エネルギーを感知し、制御し、実践すること。恐怖や迷信に囚われず、科学と精神の融合を目指します」
S木先生の言葉は、昨日M堂が語ったことと重なっていた。彼女は私たちに、まずは「オーラ測定器」と呼ばれる装置を装着するよう指示した。ヘッドセットのようなものを頭に付け、ディスプレイに映る波形を見ながら、自分の意識を集中させるのだという。
「目を閉じて、深く呼吸してください。自分の心臓の鼓動、体の感覚に意識を向けて……」
S木先生の誘導に従い、私は目を閉じた。最初は何も感じなかった。だが、静かな呼吸を繰り返すうち、胸の奥に微かな温かさが広がる感覚があった。ディスプレイを見ると、確かに私の周りに淡い光の波が映し出されていた。
「十凪さん、素晴らしい! 初日でここまで反応が出る人は珍しいですよ」
S木先生の声に、訓練室から小さな拍手が起こった。
私は驚きと少しの誇らしさを感じながらも、どこかで冷静な自分が囁いていた――これは本当に霊的な力なのか? それとも、装置の仕掛けなのか?
訓練の後、T中が私に近づいてきた。
「十凪さん、いいスタートですよ。明日の登山も楽しみですね」
「登山……ですか?」
「ええ。近くに霊山がありまして、そこに昇り、山の霊的な自然のパワーに触れ、吸収するんです」
なるほど。要するにパワースポット巡り、という奴だ。
T中の言葉に、私は一瞬戸惑った。「霊山」だの「自然のパワー」だの、どうにもうさん臭さを感じてしまう。
だが、彼女の気さくな笑顔と、どこか楽しそうな口調に、つい引き込まれてしまう。私は頷きながら、内心で少し笑った――漫画のネタとしては、こんな体験、最高じゃないか。
「登山、ですか。面白そうですね。どんなことをするんです?」
T中は目を輝かせ、まるで遠足を楽しみにする子供のようだった。
「山の頂上には、古い祠があるんです。そこに集まるエネルギーを感じながら、S木先生の指導で瞑想をするんですよ。十凪さんの感性なら、きっと何か感じるはず!」
彼女の言葉に、私はあの幽体離脱の感覚を思い出した。あの軽やかで、どこか現実離れした浮遊感――もし、それが本当に霊的な力と繋がっているなら、この登山で何か新しい発見があるかもしれない。
期待と不安が交錯する中、私は参加を決めた。