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第1話 H霊能協会

「ここがH霊能協会か……」


 私はK林編集から渡された、簡素な名刺の裏に手書きされた住所を頼りに、その場所に足を踏み入れていた。


 都心の雑踏を抜け、高層ビル群が立ち並ぶ一角に、その異質な目的地は存在している。霊能者協会――その名が脳裏に描くのは、秘密裏に怪しげな儀式が執り行われる隠れ家のような、人里離れた場所だった。


 しかし、私の目の前にそびえ立っていたのは、そんな古めかしい幻想とはかけ離れた、まばゆいばかりのガラス張りのモダンなオフィスビルだ。

 唯一、その建物が特別な場所であることを示すのは、磨き上げられたステンレスのプレートに、控えめながらも確かな存在感を放って記された「H霊能協会」という文字だけであった。


 ロビーは白とグレーを基調とした、いかにも現代的なデザインで統一されていた。足元には埃一つない磨き上げられた大理石の床が広がり、壁には抽象的なアートが飾られている。


 受付カウンターには、制服らしきスーツを完璧に着こなした若い女性が一人、パソコンの画面に向かって何か作業をしていた。

 私が近づくと、彼女は顔を上げにこやかな営業スマイルを私に向けた。


「いらっしゃいませ。ご予約の方でしょうか?」

「え、ええと……」


 私は喉の奥で言葉を探し、ようやく絞り出した。


「十凪高志と申します。S出版のK林さんからのご紹介で……」


 私の曖昧な物言いを、受付の女性は動じることなく受け止めた。


「十凪様でいらっしゃいますね。承知いたしました。3階の会議室にてお待ちしております。エレベーターはあちらでございます」

「は、はい、ありがとうございます」


 私は反射的に頭を下げ、言われるがままにエレベーターへと向かった。


 エレベーターの扉が開くと、中は鏡面仕上げの壁が映し出す私自身の姿が、どこか頼りなく揺れていた。

 乗り込むと同時に、扉は音もなく閉まり、外界との繋がりが完全に遮断される。静かに「3」のボタンを押すと、エレベーターは滑るように上昇を始めた。


 霊能者という、常識では計り知れない存在との邂逅。テレビや漫画、創作の中でしか見た事がない彼ら……。

 それは、私の人生を大きく変えることになるかもしれない、そんな予感にも似た感情が、胸の奥底で渦巻いていた。


 エレベーターの扉が再び静かに開くと、そこはまたしても、拍子抜けするほど普通のオフィスフロアだった。

 案内された「会議室C」の前に立ち、私は一度大きく深呼吸をした。肺いっぱいに吸い込んだ空気は、少しだけ冷たく、私の高鳴る心臓を落ち着かせようと努めているかのようだった。

 和手氏は意を決して、私はその扉を二度、軽くノックした。


「どうぞ、お入りください」


 中から聞こえてきたのは、予想よりもはるかに落ち着いた、そしてどこか響き渡るような男性の声だった。その声には威圧感はなく、むしろ穏やかで、しかし確かな自信のようなものが感じられた。


 ドアをゆっくりと開けると、会議室の内部が視界に飛び込んできた。そこは、想像通りのシンプルな空間だった。


 テーブルの向こう、窓を背にするようにして座っていたのは、40代くらいに見えるスーツ姿の男性だった。彼は私の入室に気づくと、穏やかな笑みを浮かべ、ゆっくりと椅子から立ち上がった。


「初めまして、K心霊協会のM堂(仮)です」


 彼は差し出された私の手を取り、温かく、しかし力強く握手をした。

 M堂と名乗った彼。彼は霊能者なのだろうか、それともこの協会の運営に携わる、ただの事務職員なのだろうか。


 M堂は、私が着席するのを待ってから、自分も再び椅子に腰を下ろした。彼の柔らかな声が、静かな会議室に響く。


「S出版のK林さんから、貴方様のことについてはお話を伺っておりますよ。霊能者を目指される……でしたっけ?」


 M堂は私の顔色を伺うように、問いかける。


「あ、はい……」


 私は少し気恥ずかしそうに答えた。


「正直なところ、彼の口車に載せられた部分も大きいのですが……私自身、昔からそういうものには、漠然とした興味……ええ、興味はあったんですけどね」

「なるほど、それは素晴らしいことです。

 我々H霊能協会は、真に霊的な能力を開花させたいと願う方々を、全力で支援しています。我々の指導に従い、真摯に学びを深めて行けば、必ずや貴方も霊能者としての道を歩むことができるでしょう」


 本当に、自分にもそんな力が宿るのだろうか。漠然とした憧れが、現実味を帯びてくる。


「あ、はい。……よろしくお願いします」


 これが、私と彼らとの、そして私自身の運命を大きく左右するであろう、最初の出会いだった。

 その時はまだ、この出会いがどれほどの意味を持つのか、私には知る由もなかった。



 ◇

 協会に入ってしばらく経った頃、私は協会の活動の一端として、定期的に行われる「鑑定会」というものを見学する機会を得た。


 それは、心霊に興味のある、または心霊関係で困っている、そして困りごとの解決を心霊に求めている……そういう人たちを集め、相談を受けるというものだった。

 会員のみの秘密の会合……というわけではなく、インターネットのホームページを見れば誰でも無料で参加できると書かれている、実にオープンなものだった。


 会場となったのは、協会の一階にある、広々としたホールだった。

 そこには数十脚の椅子が並べられ、既に多くの人が着席していた。彼らの顔には、それぞれ深刻な悩みや、未来への期待、あるいは縋るような思いが色濃く浮かび上がっている。


 鑑定会の流れは至ってシンプルだった。

 まず、依頼人たちは事前に配布されたアンケート用紙に、自身の抱える悩みや質問を具体的に記入する。その用紙は、進行役の職員によって回収され、ステージに立つ担当の霊能者に手渡される。霊能者は、その質問用紙を読み上げ、依頼人の顔をじっと見つめ、そして彼らの悩みに「霊視」という形で答えを示すのだ。

 ある時は、失せ物の場所を言い当て、またある時は、人間関係の悩みに具体的なアドバイスを与え、そしてまたある時は、未来の出来事を予言する。

 霊能者の言葉は、時に抽象的でありながらも、依頼人の心に深く刺さるような響きを持っていた。

 鑑定が進むにつれて、ホールからは感嘆の声が次々と漏れ聞こえてくる。


「なるほど!」

「流石先生!」

「当たってます!」


 依頼人たちは、まるで魔法を見せられた子供のように目を輝かせ、霊能者の言葉の一つ一つに深く頷き、感動を露わにしていた。中には、涙を流して感謝する者までいる。

 その光景は、一見すると、純粋な感動と信頼に満ちているように見えた。

 しかし、その熱狂の渦中で、私は多少の違和感を感じていた。

 霊能者が発する言葉は、確かに依頼人の状況に合致しているように見える。しかし、その「合致」は、本当に霊的な力によるものなのだろうか。


 その時は、その違和感が一体何なのか、明確に理解することはできなかった。

 私はまだ、霊能者としての道を歩み始めたばかりの未熟者だ。この違和感は、きっと私の経験不足や、霊的な感受性の欠如からくるものなのだろうと、自分に言い聞かせた。

 そして、目の前で繰り広げられる依頼人たちの純粋な感動と、彼らの満足そうな表情を見ていると、「彼らが感動しているのだから、それでいいのだ」と、半ば無理やりに自分を納得させるしかなかった。


 しかし、この小さな違和感が、後に私の心に大きな影を落とすことになろうとは、この時の私はまだ知る由もなかった。


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