第17話 決意
「……因果は、巡る……か」
無意識に、そんな言葉が口をついて出た。
私が過去に犯した過ちが、時を経て、姿を変え、目の前の無垢な少女を苦しめている。まるで、お前も同じ苦しみを味わえと、運命が私に突きつけているかのように思えた。
もちろん、そんな事はあり得ない。
因果律の流れから考えると、私の失敗が彼女に回り巡る事は無いのだ。
迷信的思考である。
「十凪さん、しっかり」
隣に立つ羽々桐さんの静かな声が、渦巻く思考の沼から私を引き上げた。彼の目は冷静に少女を見据えている。
「あなたのせいじゃない。今は、目の前の彼女に集中しましょう」
「……はい」
そうだ。感傷に浸っている場合ではない。
私には、やるべきことがある。
私は深く息を吸い、精神を研ぎ澄ませた。恐怖も、後悔も、今は全て脇に置く。ただ、法術使いとして、法術師を目指す者として為すべきを為す。
「N沢さん、ご両親にいくつか質問を。彼女は、最近どこか変わった場所へ行ったりしませんでしたか?例えば、いわくつきの場所とか……」
羽々桐さんが穏やかな口調で尋ねる。
その間に、私は懐から水晶でできた振り子を取り出した。
憑読のための道具だ。
まずは原因の特定。
闇雲に術を施しても、それは対処療法に過ぎない。根を断たなければ、いずれまた同じことが起こる。
私は少女のベッドの傍らに膝をつき、振り子を彼女の身体の上、数センチのところで静止させた。
心を無にし、問いを念じる。
「この不調の原因は、彼女自身の内にあるか、外から来たものか答えよ……」
振り子は、しばらく小さく揺れた後、明確に、力強い円を描き始めた。外からの影響。間違いない。
続けて、さらに深く問いかける。
『その原因は、生者の念か、死者の念か』
生者の念であれば、誰かが強い憎悪や嫉妬を彼女に向けていることになる。死者の念であれば、何らかの形で浮かばれぬ魂に憑かれてしまったということだ。
振り子は、再び揺れ始めた。先ほどよりも複雑な動きを見せる。やがて、それは一つの方向性を定め、ゆっくりと、しかしはっきりと回転を始めた。
生者の念。
「……誰かが、この子を呪っている……?」
「惜しいですね、十凪さん」
背後から、羽々桐さんの声がした。振り返ると、彼は静かな笑みを浮かべていた。
「『外から』というのは当たりです。精度が上がってきましたね。でも、根本は少し違う。これは、死者の念が核になっています」
「え……?しかし、振り子は生者だと……」
「ええ。そう出たのも無理はない。十凪さんの憑読は、間違ってはいません。ただ、真実の一つの側面を捉えたに過ぎない」
そう言うと、羽々桐さんは心配そうにこちらを見ているN沢さんと彼の叔父夫婦に向き直った。
「お父さん、お母さん。娘さんは最近、どこか心霊スポットと呼ばれるような場所へ、肝試しに行ったりしませんでしたか?」
その言葉に、夫婦は顔を見合わせ、母親の方がおずおずと口を開いた。
「そういえば……一ヶ月ほど前に、友達と、隣町の廃墟になったホテルへ行ったと……。すぐに体調を崩したので、そのせいだったのでしょうか……」
「おそらくは」
羽々桐さんは頷き、私に向かって解説を始めた。
「大半の心霊スポットなんてものは、ただの噂話が独り歩きしただけの、霊的には何もない場所です。
ですが、ごく稀に、『本物』がある。
もともとは、そこで亡くなった人の弱い念が漂っているだけの場所だったのでしょう。ですが、そこに興味本位の若者たちが次々と訪れる」
彼の言葉に、私はうなずく。確かにそうだ。
心霊スポットと呼ばれるようになった場所には。興味本位の野次馬が殺到する。
来歴として全くそういうことがなかった場所でも、だ。
「彼らは、『怖い』『何か出ろ』『呪われろ』といった面白半分の邪念を、その場所に撒き散らしていく。
その生者たちの穢れた念が養分になるんです。
消えゆくはずだった死者の念は、それを吸収し、増幅され、力を蓄えていく。
そして、たまたま波長の合ってしまった人間――霊的に弱い、つまり感受性の強い人間――に取り憑く」
なるほど。だから振り子は「生者の念」と反応したのか。
核にあるのは死者の念だが、その周囲を無数の生者の邪念が取り巻き、強化している。まるで、雪だるまのように。
「君の憑読が『生者』と判断したのは、その念を構成する大部分が、そこを訪れた生者たちの邪念だったからです。もっと修練を積めば、その核にあるものまで見抜けるようになりますよ」
「……勉強になります」
原因は特定できた。ならば、あとは対処するのみ。
羽々桐さんが私の肩を叩いた。
「では、始めましょうか。十凪さん、あなたが主導で。我々はフォローに徹します。これが、あなたの初陣だ」
「……はい!」
緊張で喉が渇く。だが、それ以上に、この手で人を救えるかもしれないという使命感が、私を奮い立たせた。
私は、かつて師匠が私にしてくれた治療を思い出した。
――白蓮術。
両手のひらを、そっと少女の額と後頭部に当てる。触れるか触れないかの、ギリギリの距離で。
意識を集中させ、彼女の頭の中に黒い光をイメージする。それが彼女を侵す悪いもの、それを引き寄せる導線となる。
その黒い光の玉を、釣り糸で釣るように指で引きずり出すイメージ。指先に確かな感触をイメージする。
法術はイメージこそが大切だ。本当に肉体で感じるように、強くイメージする。
「……」
じわり、と汗が滲む。想像以上の集中力と、気の消耗だった。だが、やめるわけにはいかない。
引きずり出した黒い光を散らして消し去るイメージを行い、それを角度方向を変えて三度繰り返す。
その後、白い光が彼女を包み癒すイメージなどの術をいくつか繰り返し儀式を行った。
無論、私が描く漫画のように、術を行い終わった瞬間に快癒する、などということは間違っても起きない。
それでも……彼女の表情が少しだけ和らいだ気がした。
「今日はこれで終わりです」
羽々桐さんが言う。私に対して、そして彼女とご家族に対してだ。
「ええ、そしてこれで終わりではありません。これから毎日、私が術を行います。また、夜に遠隔術式も行います」
遠隔の術は高度だ。私にできるか、どこまで効果があるかはわからないが、それは彼らには伝えない。
不安にさせないためだ。
「本人も、呼吸法や気導の基本修業を行うように。法術の基本は自力本願、自分を救えるのは自分だけ。我々はその手伝いをするだけですから」
その私の言葉に、羽々桐さんが頷いた。
「はい……わかりました。十凪先生、これからもお願いします」
ご両親のその言葉を受けながら、私たちは彼女の家を去る。
「……なんか見ててすごかったです。ええと、これからもお願いしますね、十凪先生」
N沢さんが言う。その言葉に私は頷いた。
これからは、羽々桐さんは同行しない。私だけで行わねばならない。
今日も自宅に戻ってからおさらいをし、深夜に彼女に対して遠隔の術を行う必要がある。
忙しくなる。
「……頑張らないとな」
夜の道の中、私はつぶやいた。
◇
翌月、私は道場で、如月師匠の前に座っていた。
檜の香りが漂う静謐な空間で、今回の件の顛末をありのままに報告する。
「……というわけで、N沢さんの従姉妹は、後遺症もなく無事に回復しました」
二週間ほど私は彼女の家に通った。
その結果、無事に回復したのだ。
師匠は、目を閉じたまま静かに私の報告を聞いていたが、やがてゆっくりと瞼を開けた。
「そうか。それは良かった。いい体験を積んだね」
その声は、いつも通り厳格さを保っていたが、どこか温かい響きがあった。
「はい、師匠」
私は深く頭を下げた。
師匠は、ふ、と口元を緩めた。
「その調子でいけば、あと十年ほどみっちり修行すれば、ですが……晴れて『法術師』を名乗れるかもしれないね」
それは、師匠からの最大限の賛辞であり、未来への期待が込められた言葉だった。
普通なら、舞い上がって喜ぶべき場面だろう。
だが、私の心は、不思議なほど静まり返っていた。
今回の件で、人を助けることの尊さを知った。法術の力が、確かにこの世に存在し、苦しむ人を助けることができるのだと実感した。
だが、同時に、分かってしまったのだ。
法術は素晴らしい。それは紛れもない真実だ。
だけど。
だけど……!
「師匠。私は……」
一呼吸置き、私は決意を言葉にする。
「法術師を志す事を、やめようと思います」




