第15話 法術の原罪
「変な話をあまり持ってこないようにと怒られました」
「でしょうね」
私の言葉に、羽々桐さんは苦笑した。
確かにそう返すしかないだろう。霊能者がらみの案件を持ち込むなど、ある見方では霊能者の手助け、しりぬぐいをしてくださいと言ったようなものだ。場合によっては破門されても仕方あるまい。
説教だけで済んだのは僥倖だった。
「でも、少し気になったんです。先生のあの時の怒り方、単に法術の教えに反するからというだけじゃないような……もっと根源的な何かに対する怒りのように感じました」
私の言葉に、羽々桐さんは少しだけ表情を引き締めた。
「……詳しいことは、自分も知らない部分が多いんです。ただ、先生の霊能者やああいうオカルトに対する怒りが本物だということだけは確かですね」
彼は一呼吸置いて、続けた。
「十凪さんが最初にここに来た時のことを覚えてますか? あの時、もし君に霊能者や協会への強い失望や、真実を求める心がなかったら……先生は、適当に追い返していたと思いますよ」
「あー……まじですか」
「先生の元にはね、これまでにも利用しようと近づいてくる連中がたくさんいたんですよ。力を試したいとか、自分の教団に引き入れたいとか、面白半分の取材とかね」
羽々桐さんの目は、どこか遠くを見ていた。
「……マンガのネタとして、ある意味利用しようと近づいてきたわけですけどね、俺も」
自嘲気味に呟くと、羽々桐さんは「はは、まあそれはお互い様だ」と笑った。
「でも、君の場合は違った。君の中には、偽物への純粋な怒りがあった。だから先生は君を受け入れたんだと思います」
確かに、私の中には偽物――霊能者への疑念と怒りはあった。
なるほど、それが理由だったのか。
「なぜ、法術はそこまで霊能者と敵対するんですか? やっていることは似ている部分もあるように思うんですが……」
ずっと心の内にあった疑問を、私は口にした。
如月先生の教えは、巷の霊能者のそれとは一線を画す。だが、見えない力を扱い、人の悩みを解決するという点では共通しているはずだ。いんちき、詐欺師が多いとはいえ、なぜあれほどまでに強い拒絶を示すのだろうか。
羽々桐さんは、しばらく黙って何かを考えていたが、やがて意を決したように口を開いた。
「……これは、歴史的な証拠がはっきりと残っているわけじゃない。あくまで、法術の世界で口伝として伝わってきた話です。そのことをふまえて、聞いてほしい」
彼の真剣な声に、私はゴクリと唾を飲んだ。
「いんちきな宗教や、悪徳な霊能者を生み出した元凶は……法術だと言われているんです」
「え……?」
予想だにしなかった言葉に、私は絶句した。
法術が、M堂のような詐欺師を生んだ? どういうことだ。
「私が考えるに、正しくは『法術が生んだ』というよりは、『同じ源流から派生したもの』だと思っていますけどね」
羽々桐さんは、私の混乱を察したように言葉を補った。
「同じ源流……」
「そう。そして、その一部が……墜ちたんですよ。魔道に」
魔道。その禍々しい響きを持つ言葉に、私は背筋が寒くなるのを感じた。
「法術が、まだ法術という名前で呼ばれる以前……古来の神秘行法があった時代。神仙道とも、オニノスベとも、あるいは呪禁道とも言われていた頃の話です」
羽々桐さんは、まるで古い物語を語るように、静かに話し始めた。
「その時代、術師たちは人々の畏敬の対象でした。天候を読み、病を癒し、時には呪詛をもって敵を討つ。その力は、時の権力者たちにとって非常に魅力的だった」
「……なるほど」
「術師たちの力を利用しようとする権力者たちが、大金を積んで彼らを召し抱えようとした。そして……その金に目がくらんだ者たちがいた」
羽々桐さんの声が、少し低くなった。
「過度な金銭や、地位名誉というものは、容易に人を堕落させます。それはどれだけ厳しい修行を積んだ術師とて、決して例外ではない。むしろ、力を持つ者ほどその誘惑は強いのかもしれない。それは、悪しき因果の道なんです」
私は、心霊協会の人間たちの顔を思い出していた。高価なスーツに身を包み、信者から集めた金で贅沢な暮らしをする彼らの姿を。
「そして、道を踏み外した者たちは己の欲望のために術を濫用するようになった。
政敵を呪い殺したり、富や女を手に入れるために術を使ったり……。また、金銭で容易に術を教えるようにもなったんです」
「でも……修行もしていない人間に法術は使えないはずじゃ……」
私が疑問を口にすると、羽々桐さんは深く頷いた。
「そう。そこが問題なんです。
本来、法術の体得には血の滲むような修行と、因果律への深い理解が不可欠。
だが、堕ちた者たちはそんな面倒なことは教えない。儀式の『形』だけを教え、さも力があるかのように見せかけた」
「……!」
「結果、どうなるか。
形だけで、何も見えず、何も感じない、ただ口が上手いだけの詐欺師の誕生です。
彼らは、自分に力がないことを自覚しているからこそ、言葉巧みに人々を騙し、不安を煽り、金を巻き上げる。その方がよっぽど手っ取り早く儲かるから」
それは、まさに心霊協会のやり方そのものだった。
彼らは、法術という大樹から分かれ、地に落ちて腐った枝だったのだ。
「その流れは、古来だけでなく、いつの時代でも起きてきたことなんです。特に、社会が不安定になった明治や大正の頃にもね。新しい宗教や霊能力者が、雨後の筍のように現れては消えていった」
なぜ、世の中にこれほど多くの偽物の霊能者が存在するのか。なぜ、彼らの手口はこうも似通っているのか。その根源は、遥か昔の術師たちの堕落にあったのだ。
「だから……如月法術は、一子相伝で歴史の裏でひっそりと隠れてきた……。闇に墜ちる者を、これ以上生まないように。
今、こうやって先生が道場を開き、世に出しているのも、師匠の長年の苦悩の末の決断なんだと思います。
本来、法術を公にすることは、それだけ危険なことなんですよ。新たな堕落者を生む可能性も、権力に利用される可能性もある」
「では、なぜ……」
「だけど、今は逆に、いんちきな霊能者や悪徳な術者が世に溢れすぎている。十凪さんがいた、あの協会だってそうだろう?」
羽々桐さんの視線が、まっすぐに私を射抜く。
「……はい。本当に、ひどいものでした。人の弱さや信仰心を利用して……」
「師匠は、そういう悪徳霊能者やカルト宗教が、人々を惑わし、苦しめてきたのを、これまで数え切れないほど見てきたんです。私もね」
彼の声には、静かだが確かな怒りが込められていた。
「だからこそ、決断されたんだ。偽物が蔓延るこの時代だからこそ、本物を育てなければならない、と。因果の法を正しく理解し、その力を己の欲望のためではなく、世のために正しく使える人間を……本物の、法術使役者を」
本物の、法術使役者か……。
「なれるのかな……俺に」
思わず、弱音がこぼれた。
「さあ? それは俺にも分かりません。十凪さん自身が決めることです」
彼はそう言うと、すっくと立ち上がった。
「ただ、一つだけ言えるのは、そうやって悩めるうちは、まだ大丈夫だということですよ。本当に危ないのは、自分はもう大丈夫だ、なんて思い上がった時ですから」
その言葉は、憑読みの術で呪詛の品に触れ、顔面神経麻痺になった時の自分の傲慢さを抉るようだった。
「……肝に銘じておきます」
私は、そう言うほかなかった。
まだまだ私は未熟なのだ、色々な意味で。




