第13話 タルパの祓浄
「お久しぶりです、十凪先生」
唐突に来た編集者K林からの電話は、いつも通りの気まぐれな響きを帯びていたが、その内容は私の心に奇妙な波紋を広げた。
受話器の向こうで、K林のどこか楽しげな声が聞こえる。私は思わず眉をひそめた。彼が私に連絡してくるのは、大抵、何らかの厄介事か、彼自身の好奇心を満たすための情報提供を求めるときだ。そして、その厄介事には、必ずM堂が絡んでいる。
「どうされたんですか」
私は警戒を込めて尋ねた。
「ほら、前に紹介した霊能者の先生、いるでしょう? 協会の」
K林の言葉に、私の脳裏にあの男の顔が浮かんだ。M堂だ。
「ああ……」
私の返答に、K林はさらに声を弾ませた。
「彼がね、ちょっと手痛いミスをしてしまったようなんですよ。それで、協会には言えないので、私のツテで、何か助けてくれる人いないかっていうので……十凪先生と如月法術の方はどうかなって」
K林の言葉に、私は一瞬、耳を疑った。
あの男が、私たちに助けを求めている?
M堂が協会の目を避けて、如月先生の法術に頼ろうとしているというのか。
無いわ。
それともあれか、盛大なドッキリか?
「いや……」
私は思わず言葉を詰まらせた。怒りというよりも、呆れ、そして一抹の嫌悪感が湧き上がる。
自分たちの手が負えなくなった途端、私たちに擦り寄ってくるその厚顔無恥さ。彼らは、常に自分たちの利益と体面しか考えていない。
ある意味ではとてもすがすがしいが。
「私らを敵視してたじゃないですか、あの霊能者」
私の言葉に、K林は涼しい声で答えた。
「そうですが。私には関係ないし。むしろ、面白くないですかね、この展開」
おい。
「一番邪悪なのって、あなただと確信したのですが」
私は半ば本気でそう呟いた。K林は、それに対して愉快そうに笑うだけだった。
この野郎。
まあこういう厚顔無恥でなければ編集者なんてやってられないのだろうけど。
「で、何があったんですか。一応、如月先生に聞いては見ますが」
私はため息をついた。個人的な感情はさておき、もし本当に困っている人がいるのなら、如月先生は決して見過ごさないだろう。
「それがですね……」
K林は、そこで言葉を区切った。その間が、これから語られる事態の深刻さを物語っているようだった。
「式神の暴走……だと」
K林の言葉に、私は思わず「は?」と声を上げた。
式神。それは、陰陽道や修験道において、術者の意のままに動く霊的存在を指す言葉だ。
「M堂先生は頼まれて、若者に式神を授けたそうなんです」
「式神って、そういうものじゃあ……」
私の疑問に、K林は間髪入れずに答えた。
「今ネットで流行ってる、タルパって奴の変種らしいんですが。イメージと対話で汲み上げる、人工的な霊的存在という……それを教えて、儀式を行ったら、暴走したと」
タルパ。
その言葉は、確かにインターネット上で目にしたことがあった。
チベット密教の奥義を基にしたとされる、想像によって生み出される思考の創造物。
一言で言えば、イマジナリーフレンドだ。
そして、インターネットの情報というものは危険だ。
人は自分の信じたいもののみを信じ、求める。ネットではなおさらだ。
西洋高等魔術の魔術書を書店で求めるというのならまだ良い。ああいうものは専門の研究者が書いている信頼できるものもある。
だが、ネットのオカルト情報というものは、術の実践について必要なものが欠けていることが大半だ。
それもそうだ、本格的な実践者は大切なことは口伝、あるいは秘伝の記述で残すのみでネットには決して書かない。
私とて、ここで書いていないことはたくさんある。書いてはいけないからだ。
そしてそういうネット情報によって語られ作られたタルパは……あえて断言しよう、全てが失敗作でしかない。
それを式神と称していれば、それは暴走もするというものだ。
「……やばそうですね」
私は正直な感想を漏らした。
もし、それが単なる思い込みや幻覚の範疇を超えているとしたら、一体どれほどの事態になっているのだろう。M堂の霊能者が、自分たちの手には負えないと判断するほどの事態だというのなら、それは相当に深刻なはずだ。
「はい。私もちょっと見たけど、けっこう……」
K林の言葉の端々から、彼でさえも事態の異常性を感じ取っていることが伺えた。私は、如月先生に相談するしかないと判断した。
「相談してみるだけ、相談してみますよ」
電話を切った後、私はすぐに道場へ向かい、如月先生にK林からの連絡と、その内容を伝えた。如月先生は、私の話を聞きながら、いつものように穏やかな表情で茶を啜っていたが、タルパという言葉が出たところで、少しだけ表情を変えた。
「法術には、識神というものがある」
如月先生は静かに語り始めた。
「己の分身であり、それぞれの術を使うため特化させた霊的存在ですが、そのタルパとは似て非なる者ものす」
識神。それは、法術の修行の中で、私自身もその存在を学び始めていたものだ。
術者の「念」が形を成し、特定の役割を担う分身のような存在。それは、確かに「人工的な霊的存在」という点では共通しているが、如月先生の言葉からは、タルパとは根本的に異なるものであることが示唆された。
「ネットで広まっているのは、姿を想像して対話して育てる、チベット密教の奥義とありますが……そもそも奥義の真実が、ネットで広まるはずもない」
如月先生は淡々と続けた。その言葉には、世に溢れる安易な情報への警鐘が含まれている。真の奥義とは、簡単に手に入るものではなく、厳しい修行と深い理解によってのみ到達できるものだ。
「そういったものを作るには確かに、想像と対話は不可欠ですが、それだけでは足りない。根本的に要素が欠けているわけです」
如月先生の言葉は、M堂の霊能者が犯した過ちの根源を指し示していた。
タルパを「授けた」という表現自体が、彼らがその本質を理解していない証拠だ。
識神は、術者自身が血の滲むような修行と研鑽を積むことで、初めて生み出せるものだ。それは、まるで自分自身の魂の一部を切り離し、特定の機能を持たせたようなもの。想像力や対話だけで簡単に作れるような代物ではない。
「先生たちは、その識神はいるんですか」
私は尋ねた。
「はい。当然暴走などもしません。正しく作れば、暴走する要素がそもそも無い」
如月先生の言葉は、識神とタルパの決定的な違いを明確にした。識神は、術者の厳格な制御下にあり、その「念」の純粋さと強さによって維持される。
暴走するという事態は、術者の修行不足か、あるいは根本的な制作方法の誤りに起因するのだろう。
「その霊能者を助ける義理は無いですが、被害者がいるなら仕方ないね」
如月先生は、私が考えるまでもなく、そう結論付けた。
如月先生は、常に人の苦しみに寄り添い、真に助けを必要とする者には手を差し伸べる。それが、彼の法術師としての揺るぎない信念なのだろう。




