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漫画家ですが、実は私は霊能者を目指していました。  作者: 十凪高志


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第12話 動物霊

 引っ越しを終え、M堂からの脅迫から物理的な距離を置いた私は、ようやく心穏やかに法術の修行に集中できる環境を手に入れていた。


 そんなある日の午後、道場に一人の女性が訪れた。

 K賀さんというその女性は、どこか憔悴した様子で、小さなハンドバッグを握りしめていた。羽々桐さんが茶を出し、如月先生がいつものように穏やかな眼差しでK賀さんを促す。


「あの、先生……実は、愛犬が助けてくれたんです」


 K賀さんは、絞り出すような声でそう話し出した。私はメモ帳を手に、彼女の言葉に耳を傾けた。


「数ヶ月前のことなんですが、私が車を運転している時に、トラックとの衝突事故に遭いそうになったんです。

 本当に間一髪のところで、ハンドルを切って助かりました。その時、はっきりと、亡くなった愛犬の吠えた声が聞こえて……その声に導かれるように、私は助かったんです」


 K賀さんの話は、世間一般でよく聞かれる「亡くなったペットが守ってくれた」という類の体験談だった。しかし、彼女の表情は晴れない。


「それは……よかったですね」


 如月先生は、K賀さんの言葉を遮ることなく、静かに相槌を打った。私もまた、彼女が無事であったことを心から喜んだ。


「はい。だけど……最近、夢にその子が、出てくるんです。苦しんでいて……」


 K賀さんの声が震えた。

 亡くなった愛犬が、夢の中で苦しんでいる。それは、彼女にとって、助けてくれた愛犬への申し訳なさや、何かを訴えかけているのではないかという不安に繋がっているようだった。


 私は、K賀さんの言葉を聞きながら、心の中で如月先生の教えを反芻していた。

 法術において、幽霊など存在しない。

 この人はきっと、愛犬を思うあまり、気に病んで夢に見ているのだろう。

 M堂であれば、ここで「亡くなった犬があなたに何かを訴えかけていますね。それは成仏できていない証拠です。高額な供養が必要です」などと言い出すに違いない。だが、如月先生は違う。


「そうですね」


 如月先生は、K賀さんの不安を受け止めるように、ゆっくりと頷いた。


「生前好きだったものを、墓前にそなえておけばいいでしょう。その魂は、苦しんではいません。

 ただ、お腹が空いているのかもしれませんし……そうやって大切に思い、冥福を祈っていたら、守護霊として助けてくれるでしょう」


 如月先生の言葉は、K賀さんの心を安堵させるような、優しい響きがあった。それは、K賀さんの一般的な「霊」に対する認識に寄り添いつつも、法術の教えに反しない、絶妙な表現だった。私は、如月先生の言葉の選び方に感銘を受けた。


「あれは……嘘も方便、という奴だよ」


 K賀さんが帰り、羽々桐さんがそう呟いた。

 私は、少しばかり複雑な気持ちになった。

 嘘ではない。しかし、全てを語ってもいない。それは、M堂の欺瞞とは全く異なる種類のものだった。


「そもそも、嘘は言っていない。全てを語ってもいないけれど、それでいいんですよ。騙して金をむしり取ったのしていないし」


 如月先生は、羽々桐さんの言葉を受けて、そう付け加えた。そして、私の方を見て、さらに説明を続けた。


「まあ、金取ってませんしね。

 死者の魂は苦しまない。苦しむというものは、肉体や意識があって初めて起こるものなのです。

 意識とは、脳と魂の連関によって生じるもの。魂だけでは、苦しむ事はないんです」


 如月先生の言葉は、以前にも聞いたことがあったが、K賀さんの件を通して聞くと、より深く心に響いた。

 苦しみとは、肉体的な感覚と、それを解釈する意識(脳)があって初めて生じる。

 魂そのものには、苦痛を感じる機能はない。それは、まるで物理学の法則を説くかのように、論理的で明快な説明だった。


「また、動物の意識は、憎む、恨むといった言語思考を持たないため、障りを引き起こす残留思念を残すこともない」


 如月先生は続けた。


「動物霊の祟り――というものは、人間が想像し、生み出したものなんです。

 他者・死者の念から生まれる幻覚を、見る人が『これは動物のものだ』と勘違いすることでうまれるものだったり、あるいは、M堂のような輩が、金儲けのために作り出す虚構に過ぎません」


 私の脳裏には、M堂で教えられた「動物霊は人間に憑依し、災いをもたらす」という言葉が蘇った。

 それは、人々の不安を煽り、高額な除霊費用を請求するための、典型的な詐欺の手口だった。

 如月先生の言葉は、その欺瞞を再び暴き出す。

 動物は、人間のような複雑な感情や、特定の個人に対する恨みといった「言語的思考」を持たない。だからこそ、人間のような「残留思念」を残すこともないのだ。


「先ほど、守護霊として――と言ってましたが、あれもまた、一般に言われる守護霊とは異なります」


 如月先生は、K賀さんに話した「守護霊」の言葉の真意を、私たちに語り始めた。


「守護霊とは、宇宙に偏在する死者の記憶たちだ。

 それは意識はないが、近しいものをとりまき、生者の強い求めに応じて、直感や智慧を引き下ろす。

 霊能者や宗教が語る守護霊とは違うが、そうやって守護霊の働きは存在しているんですよ」


「宇宙に偏在する死者の記憶たち」――その言葉は、私の想像力を掻き立てた。

 それは、まるで広大な情報ネットワークのようだ。個別の意識を持たないが、集合的な記憶の層として存在し、特定の条件が揃えば、生者に影響を与える。それは、因果律に基づいた法術の教えに合致する、極めて合理的な説明だった。


 M堂で教えられた「ご先祖様が守ってくださる」とか「守護霊様があなたを導いている」といった、具体的な人格を持つ守護霊のイメージとは全く異なる。


 M堂のそれは、人々を「他力本願」に陥らせ、霊能者という仲介者に依存させるための方便に過ぎなかったのだ。如月先生の語る守護霊は、私たち自身の「求め」に応じる死者の記憶の集合体であり、その力を引き出すのは、他ならぬ私たち自身の「意思」なのだ。


「K賀さんの場合も、愛犬が助けてくれたという強い思い込みと、愛犬への深い愛情が、宇宙に遍在するその子の『記憶』と共鳴し、K賀さんの直感力を高めた結果、事故を回避できたのでしょう。

 そして、夢に苦しむ姿が出てくるのは、単にK賀さんの心が愛犬を心配するあまり、そうしたイメージを作り出しているに過ぎません。

 愛犬の魂が本当に苦しんでいるわけではないのです」


 如月先生は、K賀さんのケースを法術の観点から明確に分析してくれた。

 それは、感情的な慰めではなく、論理に基づいた安心感を与えるものだった。


 ふと、私はかつて飼っていた愛犬の事を思い出した。

 あの愛犬の魂も、記憶として私の周りに在ってくれているのだろうか。

 そう思うと、すこし……暖かくなった、そんな気がした。

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