8話
父を待つルドルに声を掛けてきた老いた魔族のことを、ルドルは知らなかった。一方で、その老いた魔族はあえてルドルに声をかけてきたようだった。
「ワシはオルド。長年この組合で働いておる者だ。もっとも、最近はほとんど隠居しているようなもんじゃがね」
そう言って笑うオルドは、「君の父上とは知り合いなのじゃよ」と付け加えた。
「今日は君の父上から相談があると呼び出されての。まだ時間には少し早いが待合室を覗いてみたら、なんとまぁ父上と瓜二つの男の子がおったもんでな。すぐに分かったよ、君が噂のルドル君だと」
「僕のこと知ってるの?」
噂の、という言葉が気になり、ルドルは尋ねた。オルドは微笑みながら頷いた。
「勿論だとも。女の子を黒狼から救ったんじゃろ?」
そう言ってオルドは、手に持っていた紙コップのひとつをルドルに差し出した。ルドルがそれを受け取ると、オルドはニコッと笑って言った。
「少年の勇気に。よくやったのう」
自らの持つ紙コップをルドルの方へ軽く掲げて微笑むオルド。ルドルも同じように紙コップを掲げると、二人は冷たく甘い飲み物を喉に流し込んだ。
そのまま二人は、飲み物を楽しみながらたわいもない話に花を咲かせた。ルドルの父が用を終えて戻ってきたのは、それから十五分ほどが経ってからだった。
「待たせたなルドル……オルド爺さん! もう来てたのか」
「遅いぞ。年寄りを待たせるもんじゃない。待ってる間にうっかりお迎えが来たらどうしてくれる」
「それ毎回言ってるが、いつもピンピンしてるじゃないか」
父とオルドは笑い合った。
「……僕ちょっとトイレに行ってくる」
「おお、年寄りの長話に付き合わせて悪かったの。トイレはむこうの廊下を進んだ先じゃ」
オルドの案内に頷くと、ルドルはトイレへと向かった。
建物内には男女問わず、多くの狩人たちが行き交っていた。装備も様々で、ルドルは周囲の様子を観察しながらトイレへと向かっていく。
用を済ませて廊下へ戻ると、突然背後から声をかけられた。
「おい! そこのガキ! オルドさんとはどういう関係だぁ?」
振り向くと、ルドルと同じくらいの背丈で、綺麗な褐色肌とボブカットの少女が仁王立ちしていた。その態度は明らかに威圧的だった。
「と、父さんの知り合いだけど……」
突然の問いに驚きつつも、ルドルは素直に答える。
「あ〜〜〜ん??? ただの知り合いの息子が、オルドさんと楽しく話してたんか〜〜〜? あ〜〜〜ん?」
少女はさらに詰め寄ってくる。だがルドルは、戸惑いながらもその態度に屈せず、毅然とした面持ちで少女を見続けた。これは父から教わった「相手をよく観察する」ことを実践していたのだ。
「何も言えないのか~?」
ひたすら見続けるルドル
「な、なんか言ってみろよ!!」
動じずにひたすら見続けるルドル
「な、なんだよ!! なんとか言えよ!!」
少女がたじろぎ声を荒げたその時、
「こら!! フレネリス!!!」
怒鳴り声と共に、彼女の頭にゴツンと拳が落ちる。
「いってえーーー!!」
「ごめんなさいね〜。この子、オルドさんをすごく慕ってて。どうせ嫉妬したんでしょ」
ルドルに頭を下げつつも、少女には鋭い睨みを向ける女性。
「いえ、謝られるようなことはされてませんよ」
ルドルは笑顔で答えた。そして、もしかしたら友達が欲しかったのかもしれないと考え、手を差し出した。
「ぼくは、ルドル」
少女はそっぽを向いていたが、女性の視線に気づいたのか、渋々ながら手を握り返す。
「フレネリス」
と、ぼそりと名乗った。
「これで友達だね」
ルドルの笑顔に、フレネリスはどこか照れくさそうな顔を浮かべた。
「じゃ! 僕は戻るね!」
そう言って手を振りながら立ち去るルドルは、
「可愛い子にそういう言葉遣いは似合わないよ!」
と一言残して去っていった。
フレネリスはハッとしたように息を呑み、小さく口を開いたが、声にはならなかった。何かを言おうとしたのに言葉が出ず、ぽかんとしたままその背を見送る。
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ルドルがトイレに向かうその背を無言で見つめた後、父は切り出した。
「……それで。ルドルが使った魔法のことなんだが。何か分かることはあるか?」
「少なくとも魔族の魔法ではないの」
「そうか」
ルドルの父は、魔法を使えこそするが、得意なわけではない。どちらかと言えば斧術や格闘の方が得意で、狩りにおいても魔法はあくまで威力を高めるための補助的な使用しかしていなかった。
一方でオルドは、この辺りの魔族達には名の知れた魔法通だった。そのため、ルドルの父は予め手紙で事のあらましを説明したうえで、ルドルが発動させた謎の魔法について助言が欲しいと伝えてあったのだった。
「我々魔族の魔法は、専ら攻撃的なものが多い。それはかつて人類との戦いの中で磨かれた技だからじゃ」
「一方で今回ルドル君が発動させた魔法というのは、状況を聞く限り足止めにしかなっておらん。広く魔法という言葉でいえば、確かに魔法なのじゃが、少なくともこれは魔族の魔法の体系からは外れているように思えるの」
自らの見解を披露したオルドはさらに続ける。
「発動時に青く光ったというのもまた珍しい。魔族の魔法では、そのようなものは数が限られる」
「そしてその中に、敵を足止めするような効果のものは見当たらない、と」
父の指摘にオルドは軽く頷いて続ける。
「そうじゃな。我々魔族からすればまさに異色の魔法というわけじゃ」
「その魔法で救ったのが『色付き』の女の子、っていうのも何か筋書きめいたものを感じるよな」
そう言ってルドルの父は苦笑した。
基本的に白髪の多い魔族の中で、それ以外の髪色の者は珍しく、『色付き』と呼ばれている。そして奇しくも、ルドルが黒狼から救ったリーアは、青い髪を持った『色付き』の女の子だった。
「そもそも魔族の魔法ではないのかもしれんの」
「……」
魔法は魔族だけが使えるわけではない。かつて魔族と戦った人類にも、魔族とは異なった体系の魔法があり、それは今も続いている。
「知ってのとおり、世が平和になってからも、魔族と人類は積極的な交流はもっておらん。まぁ当然といえば当然じゃな。それまで互いを殺し合っていた仲なのじゃから。いきなり手を取り合うというのは難しい」
そう言ってから、おもむろに手に持った飲み物を飲み干すオルド。そして、続ける。
「その結果、魔法の分野でも、魔族と人類の知識は分かたれたままじゃ。当然ワシも人類の魔法には明るくない。しかしな。おとぎ話や噂話くらいは耳に入ってくるもんじゃ」
「……心当たりがあるのか?」
「一応な。それに、それはワシだけじゃなく、お主もよく知っている話じゃよ」
「俺も?」
そうじゃ、と頷いてから。オルドは続ける。
「勇者様のお話じゃよ」