プロローグ
青空の中を、プロペラ機が飛んでいく。空から、色とりどりの小さい紙が舞い降りている。今日は、客船の就航記念式典だ。それと同時に、新しい貨物船の処女航海でもある。
暖かいペルレ海に面した国、シュルデン=マーレ。その中心を流れるグラティオ川は、国を都市部と農村部に分けている。北部は農地が多く、主に酪農や穀物栽培を行っている。北部の海辺では、小さな漁村が並び、温暖な気候を活かしてオリーブやオレンジなどの作物も育てている。
南部は都市であり、行政や経済の中心である。学園地区や、貿易港、省庁が並び、いつも賑やかである。その南部の都市の一つ、ハーフェンポルテは非常に大きな港町である。シュルデン=マーレの玄関口として、経済面でも観光面でも非常に重要な都市である。今日は、そこの記念式典が開かれている。
ハーフェンポルテの街は、いつも賑わっている。旧市庁舎を改修した新庁舎の前の広場には、いつもマルシェが開催されており、北部で採れた新鮮な作物が並ぶ。市庁舎の西側には行政地区となっており、人々が常に行き交い、落ち着くことはない。また、東側は繁華街となっていて、観光客や、市民などが楽しそうな時を過ごしている。市庁舎から港まで、一直線の大通りが敷かれており、そこにはトラムが走っている。トラムは、市庁舎周辺のみならず、シュルデン=マーレを縦横無尽に走っている。まさに、人々の足となっている。
市庁舎前の広場から、北方面に進む通りがある。この道は、レストランやカフェが立ち並び、シュルデン=マーレの食の流行の発端となっている。それらだけでなく、ビストロや宿も豊富にあり、特に、夜に賑わう。安い店から高級店まで、どの様な価格帯も揃っている。
その道をひたすら北に進むと、学園地区が見えてくる。ここには名門大学から職業養成学校、軍事学校、芸術大学など様々な分野の大学が揃っている。この学園地区は、小高い丘に位置しており、市庁舎を含めた、街全体や港などが一望できるようになっている。そこには、多種多様な建物が並び、石造りのものから、レンガ、更には最先端のビルのような大学まである。
その中に赤いレンガ造りの立派な建物がある。初期の頃に作られた建物をそのまま現在まで使っているようだ。内部は何度か改修しているが、外部や骨組みは建築された当時のままである。この大学はハーフェンポルテ大学という。この大学は非常に長い歴史のある名門校である。全国の学生が、この大学に進学することを夢見ている。この大学では、哲学を基本とし、教養を大切にしている。非常に高度な学習内容が多く、神学や文学、考古学に歴史学、哲学や倫理学、更には音楽や芸術学などもある。それだけでなく、物理学や数学、天文学、博物学なども要しており、まさに、すべてが揃っている。この大学の権威は学生の間のみならず、教員側でも同じである。「いつか、ハーフェンポルテ大学で研究をしたい」と目標にする研究者も多くいる。それだけ、この大学は高尚であり、憧れであり、目標なのである。
その中の人文基礎研究科は、この大学の中でも最も古く、権威のある研究科だ。その中の第一研究室にセレナ・シュバルツベルクという若い、美しい女性がいる。元々、職業養成学校に進学するはずであったが、幼少期から勉学に励んでいたため、この大学に進学することになった。
彼女は、家族の中では異端であった。彼女の家系は、男性は海軍や陸軍の軍隊学校に進み、女性は職業養成学校へ進学する。彼女の家もまた、伝統のある家系ではあるが、セレナはそれをあまり良く思っていなかった。それに、彼女はおとなしい性格であったため、家族には、とりわけ、母親には自身のことを多くは言わなかった。進学する時になって初めて、両親に彼女の夢のことを言ったのだった。
彼女の心の支えは、一人のメイドだった。名をソフィアと言い、子供の時から彼女を世話していた。この家では、十歳という節目を迎えると、職業養成学校を卒業する新米のメイドを、その子供に付けるのが伝統である。古くからそうであった。子供とメイドが共に一人の「女性」として成長していくように。
職業養成学校は年齢制限がなく、ソフィアは十五歳で卒業した。当時では、相当優秀だった。
何をするにも、二人は一緒だった。共に、人生を歩んできた。彼女が心から信頼し、何でも話せる人であった。
「たとえ、お父様やお母様に反対されようと、私は、セレナ様の夢を応援しております。」
初めて、セレナが、彼女に夢を話したときだった。彼女は優しく、包み込むように抱きしめた。そこで、彼女は決心したのだった。この家の伝統を破ることになっても、夢を追うことを。
この物語は、セレナの成長物語ではない。成長物語と捉えることもできるかもしれないが、そうではない。一人の女性が、自分の人生を歩み、人を知りたいと願うようになる、未来の自分へ宛てた手紙なのである。




