古典文学にもテンプレはあった! 「デビット・コパフィールド vs キャンディ・キャンディ」再考
初出:令和7年10月3日
さて、このシリーズで「デビット・コパフィールド vs キャンディ・キャンディ」というタイトルで投稿したところ、予想以上にアクセス数が稼げた。時事問題や思想論より、文学論の方が人気のようだ。
しかし前回はタイトル通りの両作品の比較はほとんどしなかった。
そこで今回は前回やり残した両作品の比較文学(漫画?)論を中心に書こうと思う。
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どうでもいい話だが、「なろう」テンプレにかぎらず、古典文学を含め、およそ文学と名の付くものには古今東西、テンプレが存在していたのではないか。
最近、そう思うようになった。
テンプレが存在するのは小説だけではない。映画、ドラマ、漫画、アニメ、ゲーム、演劇、オペラにいたるまで、テンプレなしではこれらの物語アートは存在し得ない。それくらいテンプレは幅をきかせている。
とは言え、小生は「なろう」テンプレに賛成というわけではない。
正しいか正しくないかでなく、好きか嫌いかで言えば「なろう」テンプレは嫌いだ。
だがテンプレが文学につきものならば、理論的にテンプレは正しいという理屈になる。
1.少女小説または19世紀長編近代文学のテンプレ
ところで前回の「デビット・コパフィールド vs キャンディ・キャンディ」では、両作品は少女小説のテンプレ物語だと述べた。
厳密には.ストーリー展開が、”少女小説または19世紀長編近代文学のテンプレ”に沿っているといえる。
蛇足ながら最近小生が読んだエミリー・ブロンテ「嵐が丘」も部分的にこのテンプレが当てはまる。
では”少女小説または19世紀長編近代文学のテンプレ”とは何か。以下に箇条書きで説明する。
①主人公は孤児(または片親)で、少年時代、または少女時代は貧しい
②主人公は少年時代、または少女時代、悪役のいじめに会う
③ラストは青年時代または前期中年時代で主人公は金持ちになっている
④主人公の恋愛物語が全編のほぼ中核になっている
⑤読者を飽きさせないため、ミステリー的”謎”がある
2.作品ごとにテンプレを検証してみる
①主人公は孤児(または片親)で、少年時代、または少女時代は貧しい
「キャンディ・キャンディ」の主人公、キャンディは捨て子で「ポニーの家」なる孤児院で育つ。孤児院育ちだからキャンディの少女時代は経済的に裕福とは言い難い。
一方、「デビット・コパフィールド」の主人公、コパフィールドの方は、生まれる半年前に父親が死に、母親に育てられる。
その母親はマトードンという男と再婚し、コパフィールドが少年時代に病気で亡くなる。最初は片親だが少年時代に実質、孤児になる。
召使いがいる家だから幼少時代のコパフィールドはそれほど貧しくなかったが、母の死後、マードストンはコパフィールドに学校を中退させ、ロンドンに下宿させ、倉庫で働かせる。
この時点でコパフィールドはかなり貧しい生活をするが、下宿の主人が破産して家がなくなり、コパフィールドはホームレス状態になる。
そこで伯母のベッチー・トロッドウッドの家があるドーバーまで野宿しながら徒歩で行く。このときがコパフィールドが一番貧しかった時期になる。
②主人公は少年時代、または少女時代、悪役のいじめに会う
孤児のキャンディはラガン家に引き取られ、ニールとイライザの兄妹などからいじめを受ける。
一方、コパフィールドの方は、新しい父親マードストンとその姉からいじめを受ける。
③ラストは青年時代または前期中年時代で主人公は金持ちになっている
キャンディは大人になり看護師として病院で働き、その後、孤児院「ポニーの家」で働く。
金持ちには見えないが、孤児が社会人となって働いているから、裕福になったと言うべきか。
それよりもキャンディはアードレー家の正式な養女になったことで、遺産相続の際はちょっとした財産をゲットできるのではないかと夢想してしまう。
一方、コパフィールドの方は作家として大成功したので金持ちだ。ホームレスを経験以降、経済的に苦労したことはなく、学校を卒業後は司法書士や速記者として収入が入るが、作家として成功して以降は著作業が本職になったようだ。
作者ディケンズの自伝的小説とのことだが、富も名声も手に入れたコパフィールドはディケンズそのものだ。
④主人公の恋愛物語が全編のほぼ中核になっている
少女漫画だから「キンディ・キャンディ」は恋愛物語も充実している。
キャンディの最初の恋人アンソニーは落馬して死亡する。
次の恋人テリーとは結局、破局する。
ハッピーエンドにしなかったところが少女漫画にしては大人向きの物語か。
一方、コパフィールドの方は恋愛物語の部分は概ねハッピーエンドだ。
コパフィールドは最初、ドーラと結婚する。ところがドーラは病気で早死にしてしまう。
コパフィールドは当初、失意のどん底に突き落とされるが、全編のラストではアグニスと結婚し、三人の子供に恵まれ、めでたし、めでたし、となる。
ところでコパフィールドは恋愛に関しては「なろう」テンプレのチートのようなところがある。
口説いたり、告ったりした女性は100%、落としてしまい、失恋率は0%なのだ。
主人公だから超絶イケメンという設定なのか、まだ金持ちでも偉くもなってないうちから女性にモテモテといったところ。
ドーラと結婚するまで、実はドーラの父親がコパフィールドとの結婚に猛反対するといった、恋愛の障害はあったが、この父親は交通事故(馬車から転落)で亡くなり、結果的に結婚できる。
⑤読者を飽きさせないため、ミステリー的”謎”がある
恋愛物語だけでは読者を引き付ける力は弱い。ミステリーばりの”謎”かなくては読者から逃げられてしまう。
「キンディ・キャンディ」では、”丘の上の王子さま”は誰か、”ウイリアム大おじさま”は誰か、といった二大ミステリーが全編を引っ張っている。
一方、「デビット・コパフィールド」では主人公の伯母ベッチー・トロッドウッドに付きまとう謎のホームレス男が出てくる。この謎のホームレス男の正体は誰かが読者の関心を引き付ける。
実のところ、この謎のホームレス男はベッチーの元愛人だった。
若い頃はイケメンのいい男だったが、働かずにギャンブルで散財し、酒に溺れているうちに、中高年にはすっかりダメンズになってしまい、ときどきベッチーに金の無心に来ていたのだった。
3.まとめとして
古典文学にもテンプレはあった。
この他にも「枠物語」が19世紀欧米文学の一つのテンプレになっていたという話も書き添えたかったが、書く体力がなくなったので、「枠物語」はまたの機会とし、とりあえずこのへんで筆を置くことにしたい。
(つづく)




