JAL123便―トロン陰謀論の反駁
初出:令和7年8月26日
どうでもいい話だがネットではトロン陰謀論が再び盛んになっているので、一言でしゃばりたくなった。
1985年8月、日本航空123便の墜落事故が起き、520名の死者が出た。
公式のニュースでは日本航空側の責任で機体整備不良による事故とされているが、陰謀論的には米軍または自衛隊が故意または過失により同機を墜落させたという話がまことしやかに語られている。
この陰謀論のバリエーションは複数あるが、オレンジ色の無人機が123便に追突したせいで同機が墜落したという説が一般的か。
実はこの123便には松下電器に勤務する国産OS、トロンの開発技術者が十数名乗っており、彼らが死亡したことにより、トロンがPC向けOSのデファクトスタンダードになることができず、マイクロソフトのウインドウズがかわりに市場シェアを独占した。
これがトロン陰謀論の概略だ。
小生はJAL123便墜落の陰謀論は支持する。つまりあれは単なる事故でなく、米軍が意図的に墜落させたと思う。同じ時期、大韓航空機が二機墜落しているが、123便を含めて、三機の事故はCIAが関与した工作だろう。
しかしながらトロンの話はいくつかの理由から信じがたい。
以下、トロン陰謀論の反駁を試みる。
①「トロンは米国に潰された」は本に書いてある
さて、トロンは米国の政治的圧力により、PC向けOSのデファクトスタンダードになることを妨害されたという話は陰謀論でもなんでもない。市販の本に書いてある。
小生が90年初に読んだ本で、陰謀論の本でも政治の本でもなく、IT業界のビジネス書だ。
日米半導体協定の席で米国国務省が圧力をかけてきたとのこと。
米国としては日航機を墜落させるまでもない話ではないか。
②当時、トロンは松下でなく日立
トロン陰謀論で最大のまゆつばと思うのは、松下電器(現パナソニック)のエンジニアが暗殺されたという話である。
この時期、トロンを扱っていた企業は松下でなく、日立製作所だったと思うのだ。
今日、PCのCPUはインテル社またはAMD社の86互換チップ、OSがマイクトソフト社のウインドウズがデファクトスタンダードと言えるが、これに対し、通産省(現・経産省)は、CPUを日立のSHマイコン、OSをトロンといった、国産品で対抗しようと目論んだ。
もともとトロンは組み込み向けOSだったが、通産省はそれをPC向けにまで拡張しようとした。
この時期、松下のエンジニアはトロンに深く関与していたとは思えない。
90年代後半、μITRON2.0準拠のリアルタイムOSが東芝や松下の家電製品、特にセットトップボックスでよく採用された。
松下がトロンをよく使うようになったのはこの時期だ。
123便に日立のSHマイコンのエンジニアが乗っていたという話ならトロン陰謀論も信憑性があるが、松下のエンジニアを暗殺して意味があるのは日航機墜落から10年後である。
③墜落後がトロンの全盛期
123便墜落から二年後の1987年、週刊朝日でトロン特集をやっていたのを覚えている。
これまで業界の人間だけにしか知られてなかったトロンが、一般の人にも認知されるようになったのだ。
つまり墜落事故でトロンが衰退したのでなく、墜落後にトロンが盛り上がったのである。
この事実をもってしても、トロン陰謀論は矛盾がある。
マスコミのトロンのピークは1987年から下がって来たように思えるが、トロンの本領発揮はむしろその後だった。
前述のμITRON2.0準拠のリアルタイムOSが国内の電器製品に採用されたのが90年代後半ぐらい。
この時期、リアルタイムOSはPCのOSにくらべ、群雄割拠状態だが、トロンはウインドリバーやP-SOSに次いで世界シェア3位、国内シェア1位とそれなりに普及した。
トロンはPCには採用されなかった。厳密にはB-TRONのPCも開発されてはいたが、ウインドウズやMACにくらべれば、広く普及したとは言い難い。
そのトロンだが、現在では組み込みリナックスに市場を奪われて衰退した感がある。
トロンを潰したのは123便墜落でなく、組み込みリナックスというのが業界の人たちの共通認識だろう。
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以上、どうでもいい話だが、仮に小生の仮説が正しいとして、つまりトロン陰謀論が嘘だとして、今、ネットでトロン陰謀論が盛んに唱えられている理由はなにか。
トロン陰謀論を人々が信じたらだれが得をするのか。
このへんがどうもわからない。
(つづく)




