江戸の町人文化とヒップホップカルチャー
初出:令和6年2月11日
小生は中学生のころ、”下町”は英語でダウンタウン(downtown)だと習った。
ダウンタウンは繁華街のような意味になるそうだ。
ところで東京で”下町”と言えば、浅草、葛飾、日本橋、銀座といった江戸情緒豊かな地域を思い浮かべる。
銀座は確かに繁華街だが、”下町”よりむしろ新宿、渋谷、池袋のような副都心の方が繁華街ではないだろうか。子供心に長い間そう思っていた。
だが江戸時代、山手は江戸城を含む武家屋敷、下町は町人が住む地域だった。
つまり”下町”は英語でスラム(slum)ではないか。
しかし中学の教科書にそんなことを書いたら”下町”の住民や関係者の差別発言になるのでダウンタウンにしておいたのだろう。
ところでスラムと言えば、ニューヨークのスラム街やそこで生まれたヒップホップ文化を思い浮かべる。
よく考えると江戸時代の町人文化とヒップホップは同じスラム文化だからか共通項がある。
第一に下ネタ。
昔、浅草の寄席に行って落語を聴いたことがある。テレビで見る落語と違い、下ネタオンパレードの落語だった。
浮世絵は今でこそ芸術作品として評価されているが、江戸時代では浮世絵と言えば、性的描写の”春画”が主流だったのだろう。
浮世絵は江戸町人にとって、AVやヌード写真集のようなものだったのではないか。
一方、ヒップホップのラップミュージックも性的な卑猥な歌詞がスタンダードだ。
しかしながら文化としてのヒップホップは全部が全部、くだらないわけではない。
ダンスや刺繍もすばらしいし、ラップの歌詞の中には政治批判や世相風刺をした”社会派”もある。
同様に江戸の町人文化も下ネタがすべてではない。
明治維新のときに文明開化という語ができたが、これはそれ以前に日本には、あるいは江戸には文化がなかったような表現である。
ところがそばやすしを食べてうまいと思うとき、これを発明した江戸時代の人は本当は偉かったのではないか、と考えることがある。
ニューヨークのデリにすしが売っている時代。ピザがイタリア人の独占物ではないように、すしもインターナショナルな料理に昇格したのか。
以上、下町=スラムという、どうでもいい話でした。
(つづく)