「ヨハネの黙示録」とキリスト教史の陰謀論的解釈
初出:令和7年1月6日
あなたがもしキリスト教の信者なら、以下のエッセーはスルーして読まないでいただきたい。ただしあなたがどうしても読みたい場合、批判的コメントは書かないと約束できるなら、そのかぎりではない。
最近、SNSの「ガンダム」グループで「ガンダムは太平洋戦争の反戦アニメだ」という内容のエッセーをリンクしたところ、批判的コメントで炎上した。しかも半数が小生に対する個人攻撃、人格攻撃だ。「政治的発言はけんかになるからやめろ」といったコメントもいただいた。
たかが”ガンダム信者”を刺激しただけでこうなるなら、こてこての世界宗教、キリスト教をディスったらどうなるか。推して知るべしである。
ところで「ヨハネの黙示録」をご存じだろうか。
新約聖書の最後の章。つまり聖書のオーラスだ。
十二使徒の一人、ヨハネがあるとき神のお告げで孤島の洞窟に入る。そこで神から未来の出来事を映像で見せられる。
神と悪魔の最終戦争、ハルマゲドンが勃発。最後は神が勝って死者がよみがえり、千年王国ができる。めでたし、めでたし、というのが大まかなストーリーなのだが、途中、キングギドラのような首が複数ある怪物がでてきたり、四騎士(戦争、貧困、疫病、死の象徴)の話が出てきたりする謎めいたファンタジーで、様々な解釈が可能な物語だ。
その中で一番意味深なのは悪魔を表す”666”、いわゆる「獣の数字」だろう。
昔、ホラー映画「オーメン」が上映されて以降、有名になった。
666は何かについて様々な解釈があるが、日本語のユーチューブ動画で奇妙なものを見つけた。
ゲマトリア数秘術?で666はローマ法王、またはバチカンを示しているというのだ。
かつてルターなどがプロテシタントを興して宗教改革を推進した動機が、このへんにあるらしい。
新約聖書の福音書でキリストがよく口にする言葉「ニセ予言者に注意せよ」は、自分の死後、数百年後に誕生するバチカンをキリストは予知していたのではないか。
中世ヨーロッパでは聖書を読める人は全人口の上位数パーセント以下のエリートだけだったと思う。
現代社会にくらべ、庶民の識字率は低かったし、聖書は写本で作成されるので本の単価は高い。
このため聖書に何が書いてあるかは庶民は教会で神父に教えてもらっていた。
ところがグーテンベルクが活版印刷技術を発明して以降、聖書の単価が下がり、聖書を読む人の人口が増えた。とは言え、全人口の半分以上の庶民はまだ読めなかったと思われる。読むのはある程度のエリート層だ。
宗教改革を興したルターなどはこの時代、聖書を読んだエリート層だろう。聖書を読んでみると教会の説明とは違う。また免罪符などという悪徳ビジネスをカソリックがやっているのも気になった。
そこでプロテシタントが生まれた、というのが教科書的な宗教改革の説明だ。
しかしそれだけでは弱い。当時、西欧で教会を批判することは、現代の北朝鮮内で庶民が金政権を批判したり、戦前の日本で庶民が天皇を批判するようなことと同じだろう。つまり不敬罪で死刑に処せられる危険がある行為なのだ。
ルターはなぜそこまでリスクを冒してまで宗教改革を断行したのか。
カソリックがキリスト教でなく、666の悪魔教だとわかれば、義憤のために命を賭して己の信じる正義を主張するのもわかる気がする。
そもそもローマ帝国でキリストが十字架にかけられてから、300年経ったらキリスト教が国教になっていたというのも奇妙な話だ。
地下鉄サリン事件の300年後、日本の国教がオウム真理教になっていたというのと同じではないか。
キリストが十字架にかけらてた当時、普通のローマの庶民はキリストを死刑囚だから悪い人だと思っていたはずだ。キリストが聖人でローマ帝国政府が悪玉だと当時思っていたのは十二使徒とその周辺のカルト信者ぐらいだ。
キリスト教をローマ帝国の国教に定めたコンスタンチヌス帝自身も実はキリスト教を信じているわけではなかったらしい。キリスト教を国教とした方がローマ帝国を治めやすい事情があったのだろう。
一方、庶民がキリストの教えを文字情報で入手できなかった当時、政府に都合のいい思想をキリスト教と称して広めることができた。
こう書くと小生がプロテシタント信者でカソリックをディスっているように思えるかもしれないがそうではない。
プロテシタントは様々な団体があり、一つ一つはカソリックに対抗できる勢力がない。だが全部まとまってプロテシタント連合を作ると対抗できる。そこで近代フリーメーソンがプロテシタント連合の役割を果たした。
フリーメーソンは部外者から見ると宗教だが、信者からすれば宗教でなく、宗教のオプションサービスかもしれない。フリーメーソンの多くはプロテシタントの信者であり、冠婚葬祭はそちらで済ませ、それにプラスしてフリーメーソンにも所属している。
宗教がシャンプーならフリーメーソンはリンスだ。シャンプーだけで洗髪を済ませる人もいれば、シャンプーの後にリンスをする人もいる。
カソリック、フリーメーソン、イギリス国教会。この三つのキリスト教が西欧および米国の宗教のメインストリームであり、これらはかつて対立もしていたが、現在ではわれわれ人民を支配するために協力して支配者連合を形成していると小生は考えている。
もともと西欧の国王たちはローマ教皇の部下であり、主権国家の絶対主義という概念は十六世紀以降から出てきた。それ以前は宗教団体は政治権力の主体だった。だから今日でもカソリック、フリーメーソン、イギリス国教会の三つが連合することもまた、西欧、あるいは世界の政治に多大な影響を与える圧力団体になりえるはずである。
表向きは国際連合が世界の政治に影響を与え、裏では有力な宗教団体が力を持つ。
およそ宗教団体なるものはわれわれ人民を支配する組織であり、カソリックもプロテシタントもイギリス国教会も正教もよくない。またキリスト教だけでなく仏教、イスラム教、ヒンズー教、神道もよくない。これが小生の結論だ。
原始キリスト教と言っていいグノーシス派は、キリストは教会を作ることを禁じたという。
おそらくこれがキリストの本当の教えなのかもしれない。
モラルを説く抽象的な宗教哲学は大事だが、人間が作る宗教団体は権力を持ち、人々を支配する。
福音書を読むと、キリストと十二使徒は住所不定、職業不詳のホームレスたちで、各地を行脚してはキリストがモラルを弟子たちに教えるというストーリーだ。
バチカンのようなヒト・モノ・カネを集約した巨大組織でもなければ、政治的権力も持たない。
だから福音書を読めば、バチカンやローマ教皇を見て、キリストの教えと違うのではないか、と考えるのが自然だろう。
以上、まとまりのない話だが、個人的に小生はキリスト教をこのように理解している。
(つづく)




