毒親越えで一人前
令和6年5月8日
60年代以前、日本はお見合い結婚が主流で恋愛結婚は少数派だった。
それが70年代に入るとすでに逆転し、現在では圧倒的に恋愛結婚が主流になった。
生涯未婚率が上昇したのは、お見合い結婚が減ったからだという意見も多い。
一方で欧米社会ではそもそもお見合い結婚の制度がない、と言い切ったら語弊があるが、昔から恋愛結婚が普通だった。
古今東西、上流階級の家庭では配偶者は本人が決めるのでなく、親や親戚やその他取り巻きの意見が優先される。
典型的なのが王族だ。
ヨーロッパの王族は政略結婚が普通であり、王子が生まれると数年のうちに大臣たちが許嫁候補となる幼女を他国の王族から選ぶ。
「戦争は外交の一手段である」はクラウゼビッツの弁だが、王族の結婚もまだ外交の一手段なのだ。
閑話休題、欧米では普通の家庭は昔から恋愛結婚する。
お見合いする人にもいろいと悩みはあるだろうが、恋愛結婚する人にも悩みはある。
恋愛結婚の先輩である欧米人にくらべると、日本人は恋愛結婚特有の悩みを理解してない人が多く、文学作品にそれが表れているのではないか、と最近考えた。
たとえはシェークスピアの「ロミオとジュリエット」は何の物語かおわかりだろうか。
親から結婚を反対された若い独身男女の苦悩の物語なのだ。
遠い昔のファンタジーではなく、現代でも恋愛結婚する人の何割かがこうした悩みに直面するはずであり、だからこそ「ロミオとジュリエット」は不朽の名作になったのだ。
”毒親”という語ができたのはいつだろうか。
たとえばむやみに子供の結婚に反対する親は毒親に分類されるようだ。
毒親という概念が出てきただけでも日本人は昭和より精神的に成長したと思うが、まだ未熟である。
実は毒親とそうでない親に二分できるのではなく、どんな親もある程度、毒親的性質を持っており、毒親指数が高いか低いかで親を評価するのが正しいと思う。
また欧米人の常識では毒親が悪いというより、子供が精神的に毒親を乗り越えたら一人前という考えがあると思う。
文化人類学で言う成人のイニシエーションが現代社会では毒親越えなのである。
ユングによれば、世界中の神話には共通項があり、これは共同的無意識から来ているという。
つまり英雄が竜のような怪物を倒してお姫様と結婚するという共通のストーリーが、世界中の神話に散見する。
古事記ではスサノウノミコトがヤマタノオロチを倒し、クシナダヒメと結婚する。
北欧神話ではジークフリートがサラマンダーを倒し、ブリャンヒルデと結婚する。
ギリシア神話ではペルセウスが怪物クラーケンを倒し、アンドロメダ姫と結婚し、テセウスが怪物ミノタウロスを倒し、アリアドネ姫と結婚する。
ユングによれば、英雄は独身男性を指し、怪物は彼の毒親もしくは恋人の毒親を指し、お姫様は恋人を指すという。
怪物を倒したら、そのご褒美で恋人と結婚できるという話だ。
これまで親の価値観を言い聞かされて育ってきた子供にとり、親の持つ偏見や親の毒親ぶりに気づくことは難しい。
しかし、それを乗り越えてこそ、つまり怪物を倒してこそ、英雄なのだ。
ユングは世界の神話をそのように解説している。
今回も結論らしい結論はないが、お見合い結婚の歴史が長い日本では、こうした考え方を知らない人が多いのではないかと思い、一言でしゃばらせていただいた次第。
(つづく)




