古典はトンデモ本 プラトン VS ヘロドトス
初出:令和6年4月2日
今回のどうでもいい話はプラトン「饗宴」とヘロドトス「歴史」。
どちらもトンデモ本である。
実は「饗宴」は岩波文庫で読んだが、「歴史」の方は図書館で第1話だけしか読んでない。だったら「歴史」の方はコメントすべきでない、というのが常識だろうが、そこはシリーズ「どうでもいい話」ということで、コメント有資格者でなくとも一言でしゃばらせていただく。
要は、古代の古典にはトンデモ本が多いということを言いたいのだ。
プラトン「饗宴」とヘロドトス「歴史」。世界史の教科書に載っていたから書名と著者名は暗記しているが、中身を読んだことはない、という人が多いのではないか(あるいは書名も著者名も知らない人がさらに多数派かもしれないが)。
同様にカエサル「ガリア戦記」、マルコ・ポーロ「東方見聞録」も著者名と書名だけ暗記して読んだことがないという人が多数派だろう。
小生は「ガリア戦記」も「東方見聞録」も図書館でパラパラめくって読んだ程度だが、やはりトンデモ記述が目につく。
日本人になじみが深いところでは「古事記」というトンデモ本がある。
小生は小学校低学年のとき、学級文庫の絵本で古事記を読み、高学年になると子供向け児童書の古事記を読んだ。
大人になってから岩波文庫の古事記を読んでみた。
イザナギ、イザナミの天地創造神話の箇所は、18禁描写満載。「なろう」に書いたら、即、ミッドナイトノベルズ行きの有害図書ではないか。
子供のころ読んだ児童書では、天の岩戸の神話ではアメノウズメノミコトが歌って踊ったと書いてあった。ところが原書ではアメノウズメノミコトは天の岩戸の前でストリップショーを演じていたようだ。
①プラトン「饗宴」
哲学者が五人くらい集まって、「愛とは何か」について一人ずつ意見を述べる。
トップバッターの哲学者は同性愛を礼賛。なんと古代ギリシアの兵隊はノンケよりゲイまたはペドフェリアが標準であることが書いてある。
男女の恋愛は赤ちゃんを生産するための手段としての愛であるのに対し、同性愛はそれ自体が目的の愛である。よって同性愛の方が異性愛より高尚で正しい愛である、とのこと。
この後、別の哲学者たちがそれぞれ「愛とは何か」について自説を述べる。
アガペーとエロスの違いなど教科書に書いても大丈夫な記述が続く。
そして最後に登場するトリの哲学者がソクラテス。「おまえらまだまだ修行が足りん」といった風情で愛について論じると、「恐れ入りました」と前座哲学者たちがこうべを垂れるといった感じ。
ところがこのソクラテスが一番ぶっ飛んだトンデモ思想を披露する。
ソクラテスによれば、人間は生まれる前、首が二つ、手足が四本ずつの化け物で、この世に生まれるとき、体の半分が千切れ、男と女に分離する。そしてこの世では自分の体半分を探し、見つけたら結婚する。
運命の相手とは赤い糸で結ばれているのでなく、あの世で体のもう半分だった異性だったのだ。
精神的恋愛という意味のプラトニックラブという言葉はフロイトがプラトンの思想から考えた名称らしいが、フロイト先生は本当に「饗宴」を読んだのか。はなはだ疑問ではある。
首が二つ、手足が四本ずつの怪物がプラトニックラブの正体だったとは。
②ヘロドトス「歴史」第1話
エジプトの王様があるとき壮大な人体実験を試みた。
世界にはたくさんの言語があるが最初の言語は何か。
現代人の常識では赤ちゃんは育ての親がしゃべる言語を聞いて言葉を覚える。親が日本人なら赤ちゃんは母国語が日本語になり、親が米国人なら英語が母国語になる。
ところが王様はそう考えなかった。赤ちゃんを放置したら生物学的に自動的にしゃべる言語があるはずだ。
その言語こそ世界最初の言語であり、その言語をしゃべる民族は文化レベルが高いはずと王様は考えた。
ところが大人が赤ちゃんの側で何か言語をしゃべると赤ちゃんはそれを真似してしゃべるようになり、放置してもしゃべるはずだった世界最初の言語、人間が生物学的にしゃべる本来の言語を忘れてしまう。
王様は赤ちゃんを育てる建屋を建造し、赤ちゃんの世話をする召使全員の舌を切ってしゃべれなくし、その上で赤ちゃんが最初に口にする言葉を記録するという実験を行った。
すると赤ちゃんは「アー」とか「オー」とか唸ったが、それがある奴隷民族の単語だった。
世界最初の言語はエジプト語でなく、奴隷民族の言語だったのだ。
これまで王様はその奴隷民族を軽蔑し、手荒く扱っていたが、以後は心を入れ替え、奴隷を丁重に扱うようになったという。
めでたし、めでたし。
ところで「歴史」は学術的な歴史書ではなかったのか。トリビアを集めた読み物だったのか。
古代の書物は現代人の感性からするとすべからくトンデモ本である。
(つづく)




