哲学書読書遍歴について
初出:令和6年3月31日
若いころ、哲学に興味を持ったことがある。
読んだことのある哲学書は思いつくかぎり以下の通り。
デカルト「方法序説」
メルロー=ポンティー「知覚の現象学」
キルケゴール「死に至る病」
プラトン「饗宴」
カール・ヤスパース「哲学の学校」
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番外編
アーサー・ケストラー「ホロン革命」
ケン・ウイルバー「眼には眼を」(途中まで読んだ)
ルドルフ・シュタイナー「人智学?」(途中まで読んだ)
この他、哲学解説書として、講談社新書「新哲学入門」がある。
実はカール・ヤスパース「哲学の学校」も哲学書というより、哲学入門書で、もっと言えば「新哲学入門」の種本ではないかと思っている。
通常、哲学の入門書は西洋哲学史の本だ。時代順に哲学者の名前と著者名が羅列され、著作や思想の簡単なダイジェストが紹介してある。
これに対し、「哲学の学校」や「新哲学入門」は哲学でよく取り上げられるテーマごとに主な哲学者の思想を解説した哲学入門書だ。
図書館でハイデガー、ヘーゲル、カントなどドイツ哲学の本をペラペラめくったことがあるが、数ページも読まずにやめた。
フランス哲学は法律や公文書の文章のように一文が長く、論理的だ。だから文章を何度も読み返さないと意味がわからないが、一度文章を理解すれば、論文の全体が明瞭に理解できる。
これに対しドイツ哲学は一文が短く、文章自体は容易に理解できるが、論文全体で何が書いてあるのか理解しづらい。
ドイツ哲学の場合、哲学の前提知識がないと理解しづらい。一方、フランス哲学は前提知識がなくても、ひたすら論理を追っていけば理解可能だ。
実のところフランス哲学の本で読んだのはデカルト「方法序説」とメルロー=ポンティー「知覚の現象学」の二冊のみ(サルトル「存在と無」も図書館でペララペラめくった程度)。
だからフランス哲学について上記のように断言していいものかどうか、心もとないものがあるが。
デンマークのマイナーな哲学者、キルケゴールの「死に至る病」は文学的エッセーといった感想を持った。
古代ギリシアのプラトンの「饗宴」は現代人が読むとトンデモ本だ。どこがトンデモなのかは別稿で説明したい。
(つづく)




