シューティングプロレスを知ってるか
初出:令和6年2月18日
今回のどうでもいい話。
諸君はシューティングプロレスを知っているだろうか。
かくいう小生も上から目線で語れるほどシューティングプロレスを知っているわけではない。
ウィキやユーチューブ動画で調べれば、小生の知識をすぐ超える情報が得られるはずだ。
昭和末期から平成初期ぐらいだろうか。
シューティングプロレスは、従来の昭和プロレスと総合格闘技の中間にある競技といったところだろうか。
総合格闘技とちがい、顔面パンチは反則。プロレスのようにフォールによる勝ち負けはなく、関節技によるギブアップか、キックによるKOか、あるいは点数制による判定で勝敗が決まる。
細かいルールはシューティングプロレスの団体によって異なる。
シューティングプロレスは最初、キックの応酬から始まり、組み合うとスープレックスがあり、両者がグランドに倒れると関節技の勝負となる。そこで勝負が決まらない場合、また両者立ち上がって、キックの応酬が始まる。基本的にはこの繰り返し。
シューティングプロレス団体は潰れてしまうか、総合格闘技団体に移行するかして、現在では消滅してしまった。
シューティングプロレス団体の試合はつまらなかった。だから潰れたのだと思う。
ただし、普通のプロレスラーとシューティングレスラーの異種格闘技戦?が最高に面白かった。
昔、シューティングプロレスの元祖というべきUWFという団体が経営に行き詰まり、新日本プロレスと対抗戦を行った。
パワーのある大男のレスラーを小男のシューティングレスラーが技で仕留める。
一寸法師が知恵と使って鬼退治をしているようで見ていて小気味よい。
”柔よく剛を制す”とはこのことか。
昭和の時代、プロレスはガチでやっているとだまされていたプロレスファンは多い。
小生もその一人だ。
またプロレスはガチだったら見る価値あるが、ヤオだっら見る価値なし、という価値観を持っている人が昭和には多かった。
こうした中でうすうすヤオであることがバレてきたプロレスに替わってガチを標榜する総合格闘技が注目されたのだろう。だが現在ではプライドなど総合格闘技団体も潰れ、再びプロレスにファンが戻って来た感もある。
総合格闘技は観てもあまり面白くなかったのだ。
米国でも同じ頃、総合格闘技団体UFCが立ち上がる一方、ヤオを公言するプロレス団体、WWEが興行的に大成功。プロレスの方が総合格闘技より面白かったのだ。
シューティングプロレスはこうした流れの中、ガチを標榜していたようだが実はヤオだったらしい。
ガチだろうがヤオだろうが面白ければよし。つまらなければだめ。これが令和の価値観だと思う。
ガチだろうがヤオだろうがおよそ格闘技なるスポーツはケンカが発展してできたスポーツなので野蛮で嫌い、というのがうちの家内の弁だが、これは令和の正論だろう。
シューティングプロレス団体がほぼすべて消滅した頃、新日本プロレスでは当時まだ新人といっていい、中西学選手と永田裕志選手の試合が人気を博していた。
大男のパワーファイター中西に挑む永田はまさにシューティングプロレス流の戦い方をした。
大男プロレスラー vs 小男シューティングレスラーの戦い。これが見て面白い試合なのだ。
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ところで90年代初、当時新婚だった小生は家内を連れてUWFインターの試合を観に神宮球場へ行った。メインイベントは高田延彦選手対スーパーベイダー選手。
季節は冬。屋外の神宮球場は夕方はそれほど寒くなかったが、9時頃のメインイベントの第10試合をやる前には寒くてたまらなかった。
会場ではアナウンスが流れ、「寒くなってきましたので、UWFインター公認トレーナーを買って高田選手を応援しよう」が連呼された。
グッズ販売が入場料にも増して興行団体には重要な収入源だという話は聞いていた。
トレーナーは1~2万円だったかな? とにかく高いので買わないで我慢していた。
ところが家内が寒いからどうしても帰りたいと言い出すので、高田ベイダー戦だけ観ないで仕方なく帰宅した。自分たちと入れ違いで高田ベイダー戦だけ観ようと入場する客がいたが、彼は賢いと思った。
次の日、東京スポーツの一面トップはもちろん高田延彦選手対スーパーベイダー選手の試合。
「冬の寒さを吹っ飛ばす熱い試合だった」と東京スポーツには書いてあったがこれは嘘だ。
公認トレーナーを客に買わせるために、UWFインターはわざと冬の神宮球場で試合したのではないか。
以上、どうでもいい話でした。




