嘘つきの真実
地上からハーブリムの出入口へと降りたライコウ達は、久しぶりに巨大なパイプが陳列されている荒涼とした赤い大地を見た。
イナ・フォグは三日月のような物体をイヤリングにして右耳に着けていた。 あんな物体がフワフワと浮いたままではさすがに目立つので、ライコウが頼んでイナ・フォグに術を使用してもらい、三日月の物体を隠してもらったのだ。
また、イナ・フォグは、服装も紫色のパジャマのような服装から元の黒いドレスに戻っていた。
イナ・フォグが乗っていた三日月のような物体は手を突っ込むとズブズブと手が中に入り、様々な者を保管する事が出来た。 イナ・フォグは寝るときや気温が低い時は大体パジャマのような紫色の服を着ていたが、それ以外は初めてライコウと出会った時と同じく、真っ赤な下着が薄っすらと透けている黒いドレスを着ていた。 ただ、真っ白い天使のような翼と、頭上に輝く輪っかはパジャマを着ていた時と変わらなかった。
足は相変わらず裸足のままであったが、翼を使って少し浮いていたので、裸足のままでも問題はなかった。
イナ・フォグは物珍しそうに彼方に光る街の灯りを見ていた。
――すると、その灯りの方から、こちらへと近づいてくる砂煙が見えてきた……。
巨大なパイプの間を縫って、もうもうと沸き上がる砂煙――それは、一台の白いバイクが猛スピードで近づいて来ているからだと分かった時、そのバイクから激しい銃声と共に大量の銃弾がこちらへ向かって飛んで来た!
「何じゃ、何じゃ――!? って――
あれは――」
銃弾はライコウ達ではなく、ライコウの隣にいるイナ・フォグにだけ向けられていた。
「――サクラ!!」
銃撃をしてきているバイクは『サクラ2号』という女性型のバイクであった。
彼女の白い車体は真珠のように光沢があり、車体を覆っている両側面のカウルには、青い風に桜が吹いているデザインがあしらわれていた。 その側面のカウルにはいくつか空気を取り込める穴が開いており、内部に過給機が装備されている事が覗えた。
タイヤはゴム製のようだが、通常のゴムとは異なるようで、荒れた岩肌も難なく駆け抜けている。 タイヤのホイールも白く輝くホイールであり、全身が白で統一されているようだ。
前面の四角いヘッドライトは曲線を描いたカウルと一体化しており、ライトの光は多段階にわたって調整が可能であるようで、現在は薄いピンク色のライトを煌々とイナ・フォグに向けて放っていた。
前面カウルの左右には、ちょうどバックミラーを付ける位置に小さい機銃が装備されていた。 前輪のフロントフォークの間からは大きな銀色のラジエーターが見える。
後部には三脚で立てられた回転式の巨大な機銃が装備されており、車体から大きくはみ出た金属製のキャリアで固定されていた。
彼女は後部に備え付けられた巨大な機銃から大量の銃弾をイナ・フォグに向けて撃ち続けていた……。
――サクラ2号はライコウ、ヒツジとは旧知の仲であり、二人がウサギの工場から出入口まで行く際に、地上の出入口まで二人を送ってあげようとしていたバイクである。
その二人の知人が何故イナ・フォグに向けて機銃を乱射してきているのか――?
「おい、こら、サクラ! お主、どうしたんじゃ!? 止めんか――!!」
ライコウが叫んでもサクラ2号は全く止まる気配がない。 相変わらず大量の銃弾をイナ・フォグに向けて撃ち続け――ついに、猛スピードで彼女へ突っ込んできた!
(アイツ……一体、どうしちまったんだ?)
「――フォグ! 避けろ!」
まさか、サクラ2号がそのままイナ・フォグに突っ込んでくる事は無いだろうと考えていたライコウは、見事にその予想を裏切られた。 サクラ2号は何も言わずにイナ・フォグへ突っ込んで行く――。
イナ・フォグはライコウの呼びかけに応じる事なく、サクラ2号が突っ込んで来る様を悠然と見つめていた。
サクラ2号が放った銃弾は全て正確にイナ・フォグを襲った。 しかし、イナ・フォグの目の前には薄っすらと紫色の霧がかかっており、イナ・フォグに向かってきたすべての銃弾は霧に包まれて消えていき、イナ・フォグの体にはカスリもしなかった。
銃撃が効かないと見るや、サクラ2号はスピードを緩めずにイナ・フォグの目と鼻の先まで迫って来た! ライコウは止むを得ず、背中に納めている剣を抜いて、サクラ2号を迎撃しようとした――。
その時、ライコウとイナ・フォグの前にラキアが立ちはだかった。
「――止めろ! サクラ!!」
「――!?」
ラキアが両手を広げてサクラに向かって叫ぶと、サクラ2号は『ギギギィィ――』と激しいブレーキ音を上げながら、ドリフトをしてラキアを避けた。
イナ・フォグは通り過ぎるサクラ2号の横風に桜色の髪を靡かせながら、平然とした様子で怒り狂ったバイクがタイヤを軋ませながら転回する姿を眺めていた。
――
ドリフトをしながら回転し、勢いを殺して停止したサクラ2号――。
「アンタは……」
サクラ2号は薄いピンク色に輝くライトを、ラキアの顔へ照らしながら呟いた。
「サクラ……。 久しぶりだな……」
ラキアとサクラ2号は知り合いだったようだ。
「おい、こら! サクラ――! お主、何故フォグを襲ってきた!」
両手を上げて激怒するライコウがサクラ2号へと駆け寄ってきた。
「場合によってはこの刀でお主を錆びとしてくれようぞ!」
ライコウはそう言って、背中へ収めた剣ではなく、以前ウサギに造ってもらった腰に佩いている刀をヌッと引き抜いた。
「――ウルサイわね! 早く、そこをどきなさい!」
ライトを激しくパッシングさせて怒鳴るサクラ2号。
……サクラ2号は命拾いした事に気付いていなかった。
先ほど、ラキアがライコウの前に出なければ、サクラ2号はライコウの剣によって一刀両断にされていた事だろう。
ライコウはイナ・フォグを護る為に躊躇しなかったはずである。
たとえ、イナ・フォグにとってサクラ2号の体当たりなど風に吹かれた紙屑が体に当たるくらいの衝撃であったとしても……。
「ぐぬぬ……! お主っ! そこへ居直れ!」
周知のとおり、ライコウの怒りが収まっていた事は、ライコウの言葉遣いを聞けば良く分かった。 ラキアがライコウの凶行を止めてくれたおかげで、ライコウは落ち着きを取り戻していたのである。
――刀を振り上げて怒鳴るライコウに、ハイビームを照らして威嚇するサクラ2号。
すると、ラキアがライコウの肩をポンと叩いて、ライコウに落ち着くよう諫めた。
イナ・フォグはヒツジを抱きながら不思議そうな目で二人の諍いを眺めている。
「――ライコウ。 済まないが、サクラは俺に任せてくれないか?」
ラキアがそう言って前に出ると、サクラ2号はより強くヘッドライトから閃光を発して、エンジンの回転数を上げた!
「アンタ!! こっ……この! 皆を見殺しにしておいてノコノコ帰ってきやがって――!」
サクラ2号は興奮しながら、前面カウルの両端に取り付けられている機銃を――
――なんと、ラキアに向かって掃射した!
『ズダダダダ――!!』
「馬鹿野郎――!」
銃声が鳴り響く中、ライコウが慌ててラキアの前へ出て彼を守ろうとする――ところが、ラキアはライコウを制止して、そのまま後ろの仲間を護るように両手を大きく広げて、サクラ2号の凶弾を浴び続けた……。
すえた硝煙の匂いと黒煙で、周囲の視界が霧のように曇る――。
銃撃は30秒くらいしてようやく鳴りやみ、ラキアはそのまま前のめりにドサッと倒れ込んだ……。
「――ラキア!!」
呆気に取られるヒツジとイナ・フォグをよそに、ライコウが倒れたラキアに駆け寄った。
未だ、銃口から吐かれた白い煙が周囲を漂う中、ラキアは口から若干オイルを垂らし、苦しそうに息を切らしていた。
ライコウがデバイスを使用してラキアの容態を見る――フィールドの緑色の窓枠が拡大されて、ラキアの状態が表示された。
『!!警告!! 型名:蒼穹-A0159……CPU:XWE5-7880Z……234THz……CTMP:122.3℃……冷却パイプ破損……オイルパイプ破損 エラー番号:AA02F:C0001:B100F:BD001――』
デバイスに表示されたラキアの状態は、詳細を表示するときりがないくらいのエラー番号が羅列されていたが、エラーの大半は破損した鎧を直していなかった事が原因であった。
サクラ2号によって損傷した箇所と言えば、胸に開いた鎧の穴から体に貫通した銃弾によるものであり、銃弾によってオイルパイプが損傷して、若干オイル漏れを起こしているくらいであった。
だが、中央処理装置の温度が122度と非常に高く、恐らくこれは冷却装置が故障している事が原因であった。 その為、サクラ2号の銃弾を受けて自己修復装置が作動し、処理が集中してオーバーヒートとなり倒れてしまったようだ。
ラキアは安静が必要ではあるが、補助冷却装置も無事であるので急を要する状態ではないと判り、ライコウは少し安心した。
……だが……
「サクラ……貴様……どういうつもりだ……」
サクラ2号の暴挙にライコウはついに堪忍袋の緒が切れた。
ライコウは兜の面頬をガシャリと降ろし、ゆっくりと立ち上がった。 そして、サクラ2号を睨みつけ――背中の剣を抜いた。
――ライコウの様子が変わると、異様な緊張感がサクラ2号との間に張り詰める――。
「……待って……くれ……」
ラキアの震える右手がライコウの足を掴む――。
「……これは、俺とサクラとの問題だ……」
ラキアがそう言ったその時――
「ふざけんな!!」
――とライコウの怒声が響き渡った。
あまりの声の大きさに、後ろで見守っていたイナ・フォグとヒツジも目を丸くした。
イナ・フォグとヒツジの後方では、凄まじい銃声と怒声を聞きつけて、出入り口の入出者を管理する『関所』の中にいたゼルナー達も飛び出して来ていた……。
「――貴様らの問題など、俺は知らん!
サクラ2号……お前に聞いている――」
ライコウはラキアに左足を掴まれたまま、再びサクラ2号に剣を向ける――。
その迫力は、もはや先ほどのライコウの姿ではない。
サクラ2号が回答を拒否すれば、ライコウはその瞬間、サクラ2号の車体を真っ二つに切り裂くつもりだ……。
サクラ2号もライコウの異様な圧力を車体に感じたのか、さすがにライトを下に向けて抵抗を止める素振りを見せた。
「……」
「フォグを――アラトロンを狙った理由を言え! 3秒以内に言わねば、貴様を破壊する――
3……」
有無を言わさずライコウはカウントを数え始めた……。
――すると、突然ライコウの眼前にイナ・フォグの背中が飛び込んできた!
「――!?」
ライコウが一瞬驚くと、すぐにイナ・フォグは振り返り、兜をかぶったライコウの顔を両手で押さえ、自分の顔を近づけた。
「ライコウ……今のアナタの話し方……キライ」
まるで涙を流さずに泣いているような悲しげな表情でライコウに訴えるイナ・フォグ。
ライコウはイナ・フォグの表情を見て、何だか胸が一瞬ズキッと針で刺されたような気がして、力なく右手に握っていた剣をスルリと落とした。
突然の出来事にヒツジも周りのゼルナー達も呆然とする中、沈黙していたサクラ2号の口がゆっくり開いた。
「……あっ、アンタが……私の……
お姉ちゃんを……」
サクラ2号は言葉を絞り出すように話し出した……。 消えかかったヘッドライトはまるで泣いているかのように焦点が合わずにゆらゆらと揺れていた。
「お姉ちゃん……?」
ライコウはサクラ2号の言葉を聞いて、なんとなく彼女の目的が分かったような気がした。
イナ・フォグはライコウに顔を近づけたまま、真っ赤な瞳を潤ませて、心配そうな顔で唇を震わせていた。
「フォグ……心配かけて、済まなかった……のう。 もう、大丈夫じゃ」
ライコウはイナ・フォグに優しく微笑んで、イナ・フォグの頭を撫でる――。
すると、イナ・フォグは桃の葉のような目をゆっくりと細め、麗しい笑顔を見せた。
「ふふっ……。 やっぱり、今のアナタの話し方がスキ……」
――
サクラ2号の姉はラキアの仲間であるアカネであった。
アカネは周知のとおり、ラキアを沼地から救出した後……力尽きた。
ライコウがアラトロンを仲間にした事は、ナ・リディリの兵士達から世界中へ瞬く間に伝わった。
ライコウは今やハーブリムの英雄、いや、世界の英雄として賞賛されていたのだが、サクラ2号はアラトロンに姉を殺された恨みを募らせ、ライコウがアラトロンを連れて帰って来た時を狙ってアラトロンを破壊しようと攻撃してきたのであった……。
――サクラ2号はもともと、ライコウと同じく『エクイテス』という都市の出身であった。
同時に製造されたアカネとオイルを分かち合い、オイルの割合が多いアカネが姉として二人は姉妹となった。
サクラ2号はその当時、まだ『サクラ』という名であった。
姉のアカネはサクラより数段性能が上で、製造して一年経たずしてゼルナーとなった。
妹のサクラは他の車両型器械と比べてもそれほど性能が突出している訳ではなく、マザーから『並』という判断を下され、輸送用の車両型器械としてハーブリムへ転籍となった。
サクラは姉の事を尊敬していた。
生まれ持っての性能も、もちろん上であったが、それよりもアカネの努力にサクラは尊敬の眼差しを向けていたのだ。
アカネはフレームを強化する為に、フレームにマナスを結合させた。 その方法は想像を絶する高熱と圧力に数か月もの間耐えなければならず、多くの車両型のゼルナーは熱暴走をして身も心も破壊されたり、音を上げて途中で諦めたりした。
アカネはそんな拷問のような苦痛に耐えて、幼くしてゼルナーになる事が出来たのだ。
その後、アカネはラキア達と共にハーブリムへやって来た。
アカネはアラトロンの協力を得る為に、ハーブリムを経由して『ダカツの霧沼』へ向かおうとしていたのである。
久しぶりの再会に喜び合うサクラとアカネ――アカネは必ずアラトロンを仲間にして戻ってくるとサクラに約束し、ナ・リディリへと旅立った。
――ハーブリムへ悲痛な訃報が届いたのは、それから数か月後の事であった。
サクラはラキア隊がアラトロンの説得に失敗し、ラキアを除く全員がアラトロンに破壊されたと聞いた。
サクラは輸送兵なので勝手に地上に出る事は出来ない――この時ほど、自分が地上を自由に出入りできるゼルナーになれない事を恨んだ事はなかった。
地上へ出る事が出来ないサクラは、何故、ラキア達がアラトロンの説得に失敗したのかをハーブリムで必死に調査した。
すると、ラキア達がアラトロンを説得する為ではなく、実はアラトロンを討伐する為に沼地へ遠征した事が分かった。
――何故、そんな無謀な事をしたのか?
サクラは彼らの真意をどうしても理解できなかった。 アカネがそんな無謀な事をするような姉だとはどうしても思えなかった。
(たぶん……アラトロンが説得に応じるようなヤツじゃなかったのよ。 それで、お姉ちゃん達は止むを得ず……。 きっとそうに違いない)
サクラはそう言い聞かせて、アラトロンに対する恨みを募らせた。
ところが、ナ・リディリからハーブリムへ戻って来たゼルナーの話では、ラキア達はアラトロンを討伐しようという野心を親しい仲間に打ち明けていたと言うのだ……。
こうして、サクラは自分の怒りと憎しみ、そして悲しみのやり場を失くし――ついに、全てラキアが悪いと思い込んだ。
「アイツが仲間達を唆して、お姉ちゃんを……そして、仲間を……」
ラキアは仲間を唆して、アラトロンと戦わせて仲間を犠牲にした。 そして、あまつさえ、自分だけ生きながらえて『サナトリウム』とかいう施設でのうのうと生活している――。
「許さない……。 ゼッタイに……アラトロンもアイツも……」
サクラはアラトロンだけでなく、ラキアに対しても恨みを募らせて、どんな手段を使おうとも二人に復讐しようと決意した。
――それから数日後、ライコウがヒツジによってエクイテスからハーブリムに連れて来られた。 そして、ハーブリムにてサクラと知り合った。
サクラとは同郷という事もありすぐに仲が良くなった。 だが、ライコウはゼルナーになる前から『すぐにでもゼルナーになれる逸材』として兵士達に注目されていた。 サクラにしてみれば、エクイテス出身の器械達は殆どがゼルナーとなっているのに、自分は未だにゼルナーにもなれない事が悔しかった。
そこで、サクラは都市一番の技術者であったウサギに頼み、自身のフレームをマナスとの親和性の高い改造フレームに変えてもらう事で、さらなる性能の強化を目指した。
アカネは自身のフレームに暗黒子を結合させることで、暗黒子を媒体としてマナスを結合させた。 ところが、サクラは暗黒子を媒体としてではなく、別の人工素粒子を結合させたフレームを使用してマナスを結合させた。
ウサギはまだ実験段階の改造フレームをサクラに使用する事をはじめは躊躇したが、サクラの強い要望を断り切れずに、サクラのフレームをその改造フレームに変えたのであった。
――本来であれば、物体とマナスを結合させる為にはマザーの許可が必要である。
ところが、ウサギはマザーの許可を得ずに秘密裏にサクラへ改造を施したのであった。
何故、ウサギはそんな事が出来たのか?
マザーは全ての器械を管理し、監視しているはずであり、器械がそのような違法な行為を行えばたちまちマザーの耳に伝わるはずである。
だが、ウサギはマザーの監視を逃れた。
その理由は、あるゼルナーがウサギに協力したからであった。
そのゼルナーはウサギにアニマとマナスについての研究を手伝ってもらう代わりに、ウサギがマザーの監視を逃れる為、自身の能力を提供していたのである。
だが、ウサギが監視を免れたとしても、フレームを違法改造したサクラの罪は免れない。 マザーはサクラが許可なく改造フレームを使用した事を重く見て、サクラを聴聞にかけた。
ところが、サクラは自分の努力の結果、自身のフレームにマナスを結合させることに成功したとして違法改造を行った訳では無いと主張――マザーもどういった経緯でサクラが改造フレームを用いたのか調査する事が出来なかったので『改造フレームを取り付けたかどうかは不明』という事なり、結局、サクラの違法改造はお咎め無しとなった。 (しかし、マザーはその後、サクラとウサギの行動を逐一監視するようになった)
マザーがサクラを咎めなかった理由は、もう一つあった。
それは、マナスは無事フレームに結合されたが、暗黒子と比べれば媒体としての性能が低く、極少量のマナスしか結合する事が出来なかったので、フレームを取り換えただけでは大幅な性能強化にはならず、爆発の危険性も無かったからである。
それでも、以前と比べて性能が強化されたサクラは、今や並みのゼルナーと遜色ない能力を持った。
しかし、サクラはゼルナーにはなれなかった……いや、結局、サクラはゼルナーにならない事を選択した。
その理由は、マザーによってゼルナーとなる際に、記憶の全てをマザーに知られてしまうからであった。
記憶を知られれば、ウサギはもちろん、ウサギの協力者も逮捕されてしまうだろう。
彼女はウサギとその協力者の為に、ゼルナーにはならなかったのである。
(――とは言え、マザーがその気になれば、聴聞時にサクラの記憶を引き出すことは容易であったはずだ。 だが、サクラの記憶の一部はマザーでも外せないプロテクトが掛かっており、記憶を引き出すことが出来なかったのだ)
――こうして、サクラはフレームを総入れ替えしたこともあり、ウサギから新生サクラだとして『サクラ改』と呼んだ。
ところが、ウサギの協力者が『サクラ2号』と間違えて呼び始めたこともあって、ウサギもその名でサクラを呼ぶようになり――結局、知らぬ間に皆からサクラ2号という名で呼ばれることになったのであった。
――
地上への出入り口の近くに『関所』と呼ばれる建物がある。
この建物はライコウとヒツジが地上へ出る前に出国手続きをした場所である。
車両型の器械でも建物内に入る事が出来るように、一階の出入り口は広い間口になっており、上階へも階段に据え付けられたスロープで昇降する事が出来た。
地上へ出る為には、全ての器械がこの関所で出国の許可を得なければならず、ゼルナーではない一般の器械は原則地上への出国が認められていなかった。
その関所の二階では、銀色のテーブルを囲って、ライコウとイナ・フォグ、そしてヒツジが椅子に座っていた。
三人が囲うテーブルの傍には、サクラ2号がヘッドライトを薄く灯して悄然とした様子でライコウの言葉に耳を傾けている――。
テーブルの奥には金属製のベッドが置いてあり、そのベッドにラキアが寝かされていた。
ラキアは再度イナ・フォグの術によって眠らされ、先ほどサクラ2号に受けた損傷を回復していたのであった。
「――お主の言いたいことは良く分かった……」
ライコウはサクラ2号からイナ・フォグを襲撃した理由を聞いた後、そう答えた。
ライコウの隣に座るイナ・フォグの後ろには関所のゼルナーが三人控えており、テーブルの上にある陶器製のカップに注がれた飲み物が無くなるたびに、恭しく継ぎ足しながら粛然と三人の様子を見守っていた。
「……じゃがのぅ。 それが何故、フォグが悪いことになるんじゃ……」
ライコウの言葉にサクラ2号は何も答えない……。 ライコウはサクラ2号の様子を一瞥すると言葉を続けた。
「ふむ……。 サクラよ、お主の姉がラキアとその仲間と共にフォグを説得しようと沼地へ侵入した。
ところが、ラキアが皆を騙してフォグを破壊しようとして、フォグの怒りを買って、お主の姉もろとも仲間が破壊されてしまった。
――ラキアがお主の姉と仲間達を騙したかどうかは、ワシには分からん。 それは、あ奴の目が覚めた後に聞けば良い。
だが、そんな事はフォグには関係ないじゃろう。
フォグはお主の姉等が自分を破壊しようとしていたから、抵抗しただけに過ぎん。
その結果、お主の姉等はフォグに負け、ラキアは逃げた――。
そこで、もう一度、お主に聞く――」
ライコウが次の言葉を出そうとした時、サクラ2号がライコウの言葉を遮って重い口を開いた。
「……わ……分かってるわよ! アラトロンは悪くない。 襲われたから抵抗しただけ……。
そんな事……そんな事は分かってる」
――今にも消え入りそうなヘッドライトを下に向けて、車体を震わすサクラ2号。 ライコウはサクラ2号をこれ以上責めるつもりはなかった。
「……お主の気持ちはよう分かる。 そりゃ、そのような形で姉を失えば相手を恨みたくもなろう……。
じゃが、その恨みに正義はあるのか?
正義なき恨みはただの私怨じゃ。 私怨に塗れた者はやがて『鬼』となり、いずれ身も心も壊れ果てる……」
ライコウはそう言うと、おもむろにイスから立ち上がり、下を向いているサクラ2号の傍に行き、サクラ2号の燃料タンクをポンと叩いた。
「――ワシはお主がこれ以上壊れていく様を見とうない。 ワシらは仲間じゃ。 じゃから、矛をしばらく収めてはくれんか?」
サクラ2号も自分の行いが私怨によるもので、決して正義では無いと認識はしていた。 先ほどの絞り出すような言葉は、サクラ2号の本心であった。
だが、そうだとしても……やはり、最愛の姉を破壊した張本人が目の前にいる事がどうしても許せなかったのである。
サクラ2号はライコウに返事をしなかった。
「まったく……しょうがないオナゴよのぅ」
ライコウが呆れたように肩を竦めると、ヒツジが見かねてサクラ2号の傍にピョコピョコと歩み寄った。
「ねぇ、サクラ――。 ボク達はキミがもうフォグを攻撃しないなら、これ以上キミに干渉するつもりはないよ。 ハーブリムもすぐに出て行くし、キミとはもうしばらく会う事もないしね……。
すぐに恨みを消すことは難しいかも知れない――でも、もうフォグを攻撃する事はやめて欲しいんだ。
それはキミの為にもならないし、キミのお姉ちゃんの為にもならないと思う」
ヒツジは暗に脅迫じみた発言をしていた。
『サクラ2号がイナ・フォグを攻撃しようとしたころで、ライコウとヒツジがイナ・フォグを護るので無意味であり、しかも、サクラ2号は彼らによって確実に破壊される。
その目に見えた結末を、サクラ2号の姉――アカネも望んではいないだろう』と。
サクラ2号もヒツジの言いたいことは良く分かっていた。
先ほど、あれだけアラトロンに銃弾を浴びせたにも拘わらず、当の本人は掠り傷一つなく、今も欠伸をして眠そうな顔をしている。
自分がいくら攻撃しようが、アラトロンに対しては無力であり、ましてやライコウの力にも遠く及ばない。
自分が復讐を果たせる確率などゼロである。
だが、そうだとしても……この恨み、この憎しみのやり場をどうしたら良いのか……?
「分かったわ……もう、私はアンタ達とは関わらない。 その代わり、私の前からとっとと消えて欲しい……」
サクラ2号の言葉に、ヒツジは青い瞳を称えて、悲しそうな様子で俯いた。
ライコウはヒツジの頭をポンと撫でて、サクラ2号に告げる――
「承知した。 ワシらはもうお主とは関わらん。 そして、そこで寝ておるラキアとも暫くお別れじゃ……」
ライコウがそういうと、イナ・フォグが「……えっ?」と言って、憮然とした様子でイスから立ち上がり、ライコウに不満を言った。
「……ライコウ、私はアナタに仕えるようカレに言ったはずよ」
イナ・フォグの言葉にライコウはベッドで寝ているラキアを一瞥して、少しはにかんだ笑顔をイナ・フォグに見せた。
「じゃが、いくら万全の体調ではなかったとはいえ、サクラの銃撃を受けてノビているようなヤツでは、この先、ワシもお主もあ奴のオモリが剣呑じゃろう。
正直、そんな弱いヤツはいてもいなくても変わらん――。
ワシがお主とヒツジを護るだけで良い」
ライコウは歯に衣着せぬ辛辣な言葉を放った。
さすがに、サクラ2号はライコウの言葉にムッとしたのか、ヘッドライドを煌々とライコウの顔へ照らし、建物内にもかかわらずブルンとエンジンをかけた。
対照的にイナ・フォグは「ふふっ、それもそうね……じゃ、私とヒツジはアナタに護ってもらうわ」と言って、椅子からピョンと飛び降りて、裸足の足をペタペタさせながらライコウの傍へ近づくと――そのまま、ライコウを抱きしめて甘える素振りを見せた。
イナ・フォグの様子を見たサクラ2号は、大きな声で「フンッ!!」と鼻を鳴らして、エンジンをブンブンと空ぶかしした。
――その時、どこからか錆びた鉄の欠片がライコウに抱き着いているイナ・フォグの頭にポカッと当たった。
「……!? 誰――?」
イナ・フォグが慌てて後ろを振り返る――後ろには一階へ続くスロープ状の階段があるだけで、そこには誰もいなかった。
(気のせいかしら……。 それにしても変ね……)
イナ・フォグは一瞬訝しげな表情を見せたが、ライコウの言葉が余程嬉しかったのか、すぐに鉄片の事など忘れてしまった。
――ライコウはラキアとサクラ2号の二人だけで話し合う場を持たせたかった。 恐らく、ラキアは目が覚めれば、イナ・フォグとの約束通り、そのままライコウ達に同行してサクラ2号と話し合う時間など持てなくなるだろう。
サクラ2号の前でラキアを貶したのは、サクラ2号のラキアに対する怒りの留飲を下げる為と、サクラ2号がラキアに対してどう思っているのかの本音を探ろうとした為であった。
サクラ2号はライコウがラキアを貶した時、明らかに不快感を表明していた。
それは、サクラ2号がまだラキアに対して恨みの感情以外の感情を抱いている事の証左であり、ライコウはサクラ2号の反応でラキアとの話し合いによってはまだ二人の関係は修復できる可能性があると感じたのであった。
――
ラキアはそれから数時間後にようやく目覚めた。 サクラ2号によって受けた傷は完全に修復しており、中央処理装置の温度も下がったので蛇に食われた左腕以外、殆ど修復は完了していた。
ラキアが目覚めると、すでにライコウとヒツジ、そしてイナ・フォグはいなかった。
代わりにサクラ2号がサイドスタンドを降ろして休んでいた。
「やっと、目が覚めたわね!」
サクラがぶっきらぼうにベッドから起き上がったラキアに言った。
「……サクラ。 ライコウは……?」
「ウサギの工場へ行ったわ……あんな奴らはもう関係ない……」
――サクラ2号はラキアが眠っていた間にライコウと話した内容をラキアに伝えた。
そして、ラキアのこともまだ恨んでいると言った。
「……アンタは私に伝える義務がある――。
何で、お姉ちゃんと仲間達を危険に晒してアラトロンを破壊しようなんて馬鹿な事を考えたのかを!」
サクラ2号は再び感情的になり、アクセルをひねりエンジンの回転数を上げている。
「……済まなかった。 いくら悔やんでも、悔やみきれん……。 俺はお前に破壊されても仕方がない事をしてしまった……。
お前が望むなら、俺が仲間達と共に沼地へ目指した時の事……そして、その沼地で一体何が起こったのかをお前に全て伝えよう……」
「当たり前よ! 早く、話しなさい! 今すぐ!!――
――と言いたいところだけど……」
サクラ2号はそう言うと、車体を小刻みに振動させて落ち着いた様子を見せて、言葉を続けた。
「ライコウのヤツが、私を都市の外に出られるようにしてくれたのよ。 アンタの話はナ・リディリに着いたときに詳しく聞くわ……」
サクラ2号はナ・リディリに行き、それからラキアを連れて沼地へと行こうと考えていた。
そこで、アカネと仲間たちの破片を探そうとしていたのだ。
ところが、ラキアがナ・リディリのゼルナーに救出されたとき、ナ・リディリのゼルナーはアカネの亡骸も一緒に回収していた。
それはマザーの命令であり、アカネの亡骸はナ・リディリの中央兵舎へ保管されていたのであった。
その事実は、サクラ2号はもちろんのこと、ラキアも知らなかった。
二人が再びナ・リディリに着いたとき、恐らく二人はアカネの亡骸に対面することになるだろう。
そして、サクラ2号はラキアだけの独断ではなく、マザーの了解の下、仲間全員でアラトロンを討伐しようとした結果、力及ばず散っていった事を知るだろう。
その時、サクラ2号は自身の体の中で燃え上がらせる恨みの炎を消し去る事が出来るだろうか?
「じゃ、アンタがナ・リディリまで私を案内しなさい!」
そう言うと、サクラ2号はキュルキュルとリアタイヤを鳴らして、一階へ続くスロープを降りようとした。
「分かった! だが、落ち着け――あんまり焦ると、地上へ危険だ――!」
サクラ2号の傍若無人な口ぶりを後ろから窘めるラキア――。
サクラ2号の話し方は、アカネの話し方とそっくりであった。
ラキアの目には、サクラ2号の白い車体に重なって、真っ赤な凛々しいアカネの車体が薄っすらと映し出されていた……。
――
ライコウ達三人は、ラキアとサクラ2号を関所に残し、都市のはずれにあるウサギの工場へと辿り着いた。
――ライコウ達が工場の入り口に着くと、入り口の前で青いチョッキを着て、ハンチング帽を被ったカワウソのような外見の器械『フルダ』が何やら困った様子で、全身真っ白の金属で出来た器械と話し込んでいた。
「これ、フルダ!」
ライコウがフルダに向かって叫ぶと、フルダと相手の器械は慌ててこちらに振り向いた。
「あっ! ライコウのダンナ!!」
二人はライコウの到着を待ちかねていた様子で、ライコウを見るや唐突に駆け出したが、慌てて駆け出したせいか足がもつれあって二人並んで勢い良く転んでしまった……。
「……なに、やっとんじゃ? お主等……」
フルダと白い器械は土埃に塗れながらヨロヨロとライコウの傍に歩み寄ってきた。
その姿が面白かったのか、イナ・フォグが「ふふふ……」と笑う――。
フルダは微笑んだイナ・フォグを見て、素っ頓狂な声を上げた。
「うへっ! そのお方が……! あの……アラ……アラ?
……」
フルダはどうやらアラトロンという名を忘れてしまったようで、隣の白い器械がゴニョゴニョとフルダに耳打ちした。
「そう、そう――! アラトロン様でやんしょ!?」
フルダの問いにイナ・フォグは返事をしなかったが、代わりにイナ・フォグの前に立つライコウが「そうじゃ……」と言って、この工場の主――ウサギの所在を確認した。
「それより、ウサギは工場の中か?」
イナ・フォグに驚いて本来の目的を忘れていた白い器械は――
「いえ、それが大変なんです!!」
と言って、フルダと二人でライコウにしがみ付き、フルダがさらに言葉を続けた。
「お、親方が……警察に逮捕されたんでやんす!」
「な、何じゃと――!?」
フルダの言葉に飛び上がるライコウ――。 ヒツジも驚いた様子で黄色い目をチカチカと点滅させ、フルダに理由を聞く。
「なっ、何でウサギが? もしかして……暴行罪?」
フルダはヒツジの問いにブルブルと頭を振る――すると、頭を振った勢いでフルダが被っているハンチング帽が白い器械の顔にバシンと当たり、白い器械は痛そうに顔を覆った。
「そんなんでいちいち逮捕されてたら、親方なんてすでに『死刑』になってるでやんす」
「じゃあ、何の容疑で逮捕されたのさ?」
「アレでやんす! アレ!」
「アレじゃ、分からないよ!」
ヒツジとフルダが問答を繰り返していると、白い器械がたまらず口を差し挟む――
「あの……ウサギさんは『脱獄犯蔵匿罪および証拠隠滅罪』で逮捕されたのです……」
遠慮がちに小さい声で白い器械が言うと、ヒツジはさらに橙色の目を光らせて「えぇーっ!?」と仰天した。
――
ウサギの工場の裏には、ウサギが住むバラック小屋が建っていた。
その小汚いバラック小屋の中――オイルの匂いが充満した陰気臭い部屋で、ライコウ達はブリキで出来た丸机を囲って、フルダと白い器械の話を聞いていた。
「――俺っちは親方が誰かを匿っていた事は知っていたんでやんす……。
もちろん、この『ジスペケ』も……でも、まさか脱獄犯を匿っていたなんて……」
「それで、その脱獄犯というのは誰なんじゃ?」
ライコウの問いかけに、フルダが隣の白い器械に顔を向けて顎をしゃくった。
オドオドして自信なさそうな様子を見せている白い器械は『ジスペケ』という名前らしい……。
――彼はラキアの仲間であったフリーグスに近い外見をしていた。
真っ白いツヤツヤした金属で出来ている体は、側頭部から後頭部にかけて整列されたネジが幾つも並んでいた。
顔はフリーグスと同じくマネキンのようで、目は青色に光っていた。
体は胸のあたりがガラスのような透明な金属で出来ており、赤や青の小さなランプが付いたり消えたりしている基盤から細いケーブルや太いダクトが伸びている様子が見えた。
腕や足は関節部分を金属のパネルで何重にも補強しているようで、関節を取り囲むように小さなネジが付いていた。
腰回りには警棒のような形をした武器をぶら下げており、その棒の柄は胸と同じく透明なガラスのような金属で出来ていて、全体が薄っすらピンク色に光っていた。
ジスペケもライコウとヒツジとは旧知の仲であるようだ――。
「……はい。 脱獄犯さんは『アル』さんと言って……」
ジスペケがそう言うと、ライコウとヒツジは吃驚して飛び上がった。
「――ええっ!? あの『嘘つきアル』をウサギが匿ってたって!?」
ライコウはそう叫ぶと、机に置いてあったコップを掴んで飲み物を一気飲みした。 その様を、隣に座るイナ・フォグが退屈そうな目で見つめていた。
ライコウの言葉にジスペケは「はい……」と再び返事をして、何やら恥ずかしそうにモジモジしていた。
「どうして、そんな奴をウサギは匿って――?」
ヒツジが矢継ぎ早にジスペケに質問を浴びせようとすると、フルダが話を遮った。
「――とにかく、ライコウのダンナ! 細かい話は後で良いんで、親方を助けてくれねぇでやんすか?」
「……『助けろ』って言われてものぅ……。 大体、何でウサギがあんな大ウソつきの犯罪者を匿ったのか分からんし……」
ライコウが腕を組んで「うーむ……」と唸ると、フルダが「――何言ってんでやんすか!」といきり立って、ライコウの顔にツバを飛ばしながら捲し立てた。
「――俺っちもジスペケも、まさか、あのアルを匿ってたなんて知らなかったでやんす!
知ってたら、親方を説得してアルを自首させてたでやんす!」
そう言ってペッペとライコウの顔にツバを飛ばすと、少し落ち着いたのか椅子に座って、「……ふぅ」と一息吐きながら、ライコウの前にあったマグカップを手に取り、ゴクリと一気にマグカップの中のオイルを飲み干した……。
「……俺っちは、きっと親方がアルに弱みを握られて、嫌々アルを匿っていたに違いねぇと思ってるでやんす!」
フルダがそう断言すると、ジスペケも「うん、うん!」と力強く頷いた。
「むぅ……。 確かにお主等の言う通りかも知れんのぅ……。 ウサギが何故犯罪者を匿うのか、今のところ合理的な理由が見つからんからのぅ……」
そう言うと、ふと、ライコウはフルダの隣で俯いて座っているジスペケが気になった。
「――ところで、お主は何でここにおるんじゃ?」
ジスペケはいきなりライコウに話を振られたので「――ひぃ!」と一言、あたふたした様子を見せて――
「――いえ、僕ちはサクラさんを追いかけてここに……」
と言いかけると、悄然とした様子を見せた。
(なるほど、コイツは大方サクラに『フォグを襲撃する』ことを聞かされて、慌ててサクラを止めようと……まあ、コイツならあながちやりそうな事だ)
ライコウは消え入りそうな青い目をチカチカさせているジスペケの気持ちを慮り、ジスペケにウソを言った。
「あぁ、サクラならのぅ――。 フォグの今までの辛い過去を聞かせたら、フォグに同情しおってのぅ……。 あ奴の姉は残念であったが、それもお互い様じゃということで、フォグとはもう仲良くなったのじゃ。 お主が心配するに及ばん――」
「えっ!? そうなんですか? じゃあ、サクラさんは何処に?」
「遠い遠い山の向こうの空遠くじゃ……」
「……」
微妙な空気が場を包む中、ライコウとジスペケの問答を聞いていたヒツジは赤い瞳をチカチカと光らせながら――
「キミ! 何、適当な事言ってるのさ!」
とライコウを叱りつけた。
そして、ヒツジがサクラとのいきさつをジスペケに話した――。
――
「――そうだったんですか……サクラさん、可哀そう……。
でも、それじゃ、ライコウさん達とサクラさんはもう二度と仲直りする事はないんじゃ……」
ジスペケが心配そうに顔を上げ、ライコウを見つめた。
「――いや、今のあ奴は姉に対する復讐心が拭えぬと思うが、ラキアがきっとあ奴を説得して、もう一度ワシらの仲間になってくれるはずじゃ。
お主はいらぬ心配をせずに、サクラが戻ってきたら刺激せんように暖かく見守ってやれ――」
ライコウはそう言うと、テーブルから身を乗り出して、向かいに座るジスペケの肩をポンポンと叩いて励ました。
(……全く。 あんな適当なウソ言わないで、初めからそう言えばいいのに……)
ヒツジは白い瞳を光らせて、ライコウの様子をみつめていた……。
――
ライコウに話を脱線されていたフルダはソワソワと貧乏ゆすりをしながら、腕を組んで再び話始めるタイミングを窺がっていた。
そんなフルダの様子を知ってか知らずか、イナ・フォグが突然口を開いた。
「私がアイツに言って、そのウサギという子を解放してあげるわ……」
イナ・フォグはそう言いながら、細い電気コードを両手に絡ませ、アヤトリのような遊びをしている……。
「そりゃ、有難いでやんすが……アイツって誰でやんすか?」
「スペキュラム・ファティよ……」
「……」
相変わらず意味の分からない回答をするイナ・フォグに、皆一同顔を見合わせて困惑した様子を見せる――。
「んんっ、ゴホンッ……フォグよ、その『スペペなんちゃら』って言うのは、つまり、マザーの事じゃな?」
イナ・フォグはコクリと頷いて「そう――」と答え、椅子から降りてペタペタと足を鳴らしながら、出入り口の方へと向かった。
「お、おい! フォグ……?」
ライコウが慌ててイナ・フォグを呼び止める――。
すると、イナ・フォグは――
「ライコウ……心配いらないわ。 アイツの居場所はもう分かっている。 私が一人で行ってくるから、少し待っていてね……」
と言って、さらにヒツジに向かって――
「ヒツジ……良い子にしていてね。 お母様はすぐに戻ってくるから……」
と言い残し、パタパタを白い翼をはためかせて空を飛んで行ってしまった。
「……行ってしまったでやんす……」
お互いの顔を見合わせて呆気に取られるフルダとジスペケ――対照にライコウはイナ・フォグが一人でマザーに会いに行く事が何となく不安になり、ヒツジと一緒にイナ・フォグを追いかけようとした。
「ヒツジ――フォグを追うぞ! おい、ヒツジ!?」
ヒツジは何やらピンク色の瞳を光らせながらボーッとしており、ライコウの呼びかけが聞こえていないようであった……。
「こりゃ、ヒツジ――」
ライコウがヒツジの頭を両手でグシャグシャすると、ヒツジはようやく「うわぁー!!」と飛び上がり「何すんだよ!」と瞳を赤色に変えて怒った。
「ほれ、ヒツジ! 早くフォグを追うぞ!」
「えっ!? あ……う、うん!」
こうして、ライコウとヒツジは出入り口のドアを蹴破り、慌てて外へ飛び出してイナ・フォグを追いかけていった。
「……本当に親方を救い出してくれるんでやんすかね……?」
バタバタと三人がいなくなったウサギの家で、呆然と立ち尽くすフルダとジスペケ……。
「……うん。 た、たぶん……。 それにしても、ドアを蹴破る事ないのに……」
ジスペケはフルダの問いにこう答えるしかなかった……。
――
ハーブリムは表向き地下二階までであるが、実は地下三階も存在する。 地下三階へはゼルナーでなければ行くことが出来ない。
その地下三階がマザーのいるフロアである。
地下三階へは地上の出入口のある地下一階から直通の昇降機があり、その昇降機を使用しないと行くことが出来ない。
ライコウがゼルナーとなった時、ライコウは地下二階にある錆び果てた鉄製の部屋の中にある機械式のベッドでしばらく眠っていた。
その部屋の隣には、これまた錆び果てた鉄製の観音扉で仕切られている大広間がある。 四枚もの幅の広い鉄扉の前には厳重に武装したゼルナーが四人、侵入者が来ないか常に監視している。
大広間の中は、古びた鉄製の扉とはうって変わってカーボンのような金属で出来た四角いタイルが整然と敷き詰められており、部屋の中心には十名ほどのゼルナーが二メートルくらいのスロープに囲まれた大きな穴を守護している。
スロープに囲まれたその大穴はさながら火山の火口のようで、スロープを上ると手摺も無く、そのまま大口を開けた穴に吸い込まれそうな恐怖を覚える。 恐る恐るその穴を覗き込むと、遥か下のほうで銀色に青みがかった不思議な液体が揺らめいているのが見えるだろう。
『もし、足を踏み外すとその不思議な液体へドボンと落ちて、恐らく生きて帰っては来れない――』
そんな恐怖を感じるほど神秘的で不気味な液体だが、実は、大穴は透明な床に覆われているので誤って落下する事は無く、そのまま大穴の上を歩く事が出来るのだ。
ガラスよりも透明なその床を歩くと、まるで空中を散歩しているような錯覚に陥るだろう。
そして、そのまま床の中央まで歩くと、床はゆっくりと自然落下するようにスーッと下降をはじめる。 床に乗っている者は、徐々に銀色の液体が目の前に迫る事に恐怖を感じるはずだ。
銀色の液体が目前まで迫り――いよいよ液体の中に落ちてしまうと覚悟を決めた時、ピタッと床が停止する。
それは、まるで水面に浮いているような感覚である。
見渡すと辺り一面広大な銀色の海が広がっており、ここまで降りて来た誰もが、ここがハーブリムの地下である事を忘れてしまうだろう。
だが、ここは大海原の中心ではない――。
前を見据えると、ポツポツと青色の炎のような一列の光が道標のように奥まで伸びており、その光の先に直径5メートルほどの銀の球体が浮かんでいるのが目に映る。
その球体こそ、器械達がマザーと呼んでいる者であった。
――
『お久しぶりですね……イナ・フォグ。 お元気そうでなにより――』
イナ・フォグは銀の球体の前に立ち、フワフワと浮かんでいるその球体を見上げている。
声はその球体から響いて来ているようであった。
銀の球体はイナ・フォグの背後に続く青色の炎の列を映し出しており、この球体全体が鏡である――つまり『球体鏡』である事が覗えた。
……だが、奇妙な事に、鏡に映るはずであるイナ・フォグの姿が映し出されていない。
鏡にはイナ・フォグに代わって『チョウチンアンコウ』のような深海魚が体を七色に光らせながら、ゆらゆらと揺らめいている姿が映し出されていたのである……。
「私は元気よ……。 でも、アナタは元気かどうか分からないわ」
イナ・フォグは社交辞令の挨拶などどこ吹く風で、鏡に映るチョウチンアンコウのような生き物に向かって答えた。
『うふふ――。 相変わらずですね』
マザーは上品な微笑を漏らす。
すると、イナ・フォグは――
「それはそうと、アナタ……ライコウとヒツジはもう『私のモノ』だから、アナタはチョッカイださないでね」
と突如としてライコウとヒツジの所有を主張した。 そして、さらにマザーの言葉を待たずして、今度はウサギを釈放するように要求しだした……。
「それと『ウサギ』とかいう子をアナタの監視から外しなさい。
その子がどんな子かは知らないけど、私が保護するわ……」
すると、チョウチンアンコウの頭から伸びている触手の先――丸い先端から緑色の光がピカピカと点滅し出した。
『相変わらず「イナ・ウッド」に似て利己的なヒトですね……。 ライコウとヒツジは貴方にお任せしますが、ウサギについては貴方の要求をお受けできませんわ』
マザーの答えにイナ・フォグは憮然とした様子を見せる。
「……何で?」
チョウチンアンコウは定期的に頭から尻尾の先まで波のように七色の光が流れては消えていた。
『ウサギは「AL-617A6966」という子に唆されて、アニマとマナスを使って私の許可なく違法な実験をしようとしていたのですわ。
そして、そのALは貴方が暮らしていた沼地の先――聖域へ足を踏み入れましたの……』
マザーの言葉にイナ・フォグが目を丸くして驚いた。
「……私が気付かずに? そんな事って――!」
『私も驚きましたわ……。 しかし、あの子は私たちの電波を無効化する能力があるようなの。
何故、あの子がそんな能力を身に着ける事が出来たのでしょう?
恐らく「バハドゥル」の地下で眠っているメカシェファの遺体からトガビトノミタマを盗み出したのでしょうね。 あの子はそもそも「バハドゥルのリター」に創らせた子ですから……。
もちろん、私はALを捕まえて、ALの記憶を洗いざらい調査しましたわ……。
ところが、電波を無効化する能力について全く記憶から出てこない――。
一体どうやって、外部アクセスに対してプロテクトを掛けているのか、その時は分からなかったのですわ。
結局、あの子はその後、脱獄してしまって――それ以降、私の監視の前から姿を消してしまいましたの……。
さらに、それだけではありませんですわ……。
その後、ALが関係したとみられる自動二輪型器械に改造フレームが換装されていた問題で、その改造フレームに暗黒子以外の人工素粒子を媒介としたマナスが結合されている事が判りましたの。
もし、あの子が関係している事が間違いなければ、それはあの子が物質とマナスを簡単に結合できる特別なスキルを持っているという事になるわ……。
つまり、ALは電磁波を無効化できる能力と、物質にマナスを簡単に結合させる事が出来るという能力の二つを持っているという事になりますわ』
イナ・フォグは「むぅ……」と一言呟くと、唇に人差し指を当てて難しい顔をした。
「……それで、アナタはそのALという子をどうしようと言うの? 破壊するつもり?」
『そんな可哀そうな事出来ませんわ』
「じゃあ、どうするつもりなの?」
『あの子を探し出して、私たちの電波をどうやって無効化したのか問い質しますわ。 今度は逃げられないようにね……。
そして、その技術を応用して「スカイ・ハイ」を破壊しますわ』
「スカイ・ハイを――!? ……確かに私たちの発する電波を無効化できれば、スカイ・ハイの電磁波を無効化できるかも知れないけど……」
『周知の通り、スカイ・ハイは私達よりも強力な電磁波を発することが出来るから近づくだけでも難儀しますわ。
もし、スカイ・ハイの電磁波を無効化できれば、生物兵器でも細胞が崩壊せずにスカイ・ハイを攻撃する事が出来る――』
マザーの言う生物兵器とはショル・アボルの事のようだ。
スカイ・ハイが発する電磁波はガンマ線よりも波長の短い超高周波である。 ショル・アボルなどはスカイ・ハイが近づくだけで放射線に晒されて細胞が破壊され死に至る。
器械やマルアハでさえも強力な電磁波の影響は免れず、スカイ・ハイと戦うだけでも異常な体力を消耗してしまうのである。
「むぅ……。 アナタの言う事が本当であれば、ALを急いで捕らえないとダメね」
イナ・フォグがそう言うと、マザーは不服そうにイナ・フォグに答える――
『あら、まるで私がウソを付いているかのような口ぶりですね……』
マザーの言葉に、イナ・フォグが冷然とした様子で答えた。
「だって、私とライコウを人間にするというウソを付いてるじゃない……アナタ」
イナ・フォグの容赦ない言葉に、マザーはため息交じりの落胆した声を出す――。
『……あぁ、貴方にそんな風に思われるのは悲しいですわ……。 私は貴方にもライコウにもウソを付いていませんよ。
貴方と私が協力してリリム達を消滅させれば、私は貴方の望み通り、貴方を人間にできる手段をもう用意しているのですよ……もちろん、ライコウもね』
そう言うマザーの言葉をイナ・フォグは疑いの目を向けて聞いていたが、自らを納得させるように――いや、むしろ、諦めるように目を閉じてマザーに答えた。
「ふぅ……まあ、いいわ……。 どの道アナタを信じるしかないから……。 それより、アナタがウサギの記憶にアクセスして強引にALの情報を手に入れようとするよりも、私がウサギに詳しい話を聞いた方が、ウサギは安心して話せるんじゃないかしら?」
少し毒舌気味であるイナ・フォグの提案にマザーも負けじと『……貴方が? うーん……もし、ウサギが何も話さなかったら、癇癪起こしてウサギを破壊して食べられでもされると困りますわ』などと、イナ・フォグを挑発した。
「――むぅ! そんな事、しないわ! 私じゃなくて、ライコウに聞いてもらうから大丈夫よ!」
イナ・フォグは珍しく声を荒げてプンスカした様子を見せた。
その様子が可愛らしくてマザーは「うふふっ――貴方はよほどライコウの事をお気に召したようね」と控えめな微笑を洩らした。
『――まぁ、貴方のヒトらしい怒り方に免じて、ウサギは貴方にお任せしても良いですわ。
但し、ウサギの記憶装置は私が常時アクセス出来るようにバックドアを設置しているから承知して下さいね』
マザーはイナ・フォグにウサギを任す事にしたが、その代わり、ウサギの記憶には常時アクセスできるようにした。 イナ・フォグもこれを了解し、イナ・フォグがウサギからALについての情報を聞き出せれば、ダイレクトにマザーへとその情報が転送されるようにしたのであった。
マザーはウサギを逮捕した時、もちろん、ウサギの記憶にアクセスをしてALの情報を取り出そうとした。 ところが、ウサギの記憶装置の一部はマナスが結合されたプロテクトで覆われており、第三者が記憶にアクセスできないようになっていたのである。
この細工はALが行ったものに違いないとマザーは断定した。
ALはこのように多様な物質をマナスと容易に結合させるスキルを持っている。 もし、ALがマザーに協力する気が無ければ、マザーはALを破壊してその技術を奪い取るつもりである。 だが、ALがマザーに協力さえすれば、ALの自主性を重んじて見守っているつもりでもあった。
――『AL-617A6966』――通称『アイナの嘘つきアル』
彼女が沼地の先へと辿り着いたことは真実であった。 理想郷を見たという言葉はウソであったにせよ、ライコウ達より前に沼地の先へとたどり着いた唯一のゼルナーとして、彼女の卓越した能力は紛れもなく本物であったのだ。