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器械騎士と蛇女  作者: ティーケー
傲慢なリリム

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回顧


 マルアハ『ベトール』の縄張りに“小熊の置物”が送り込まれた。 光を反射して神々(こうごう)しく輝くガラスの小熊――それは、イナ・フォグによって異空間へ転送されたゼルナー達が再びこの世界へ戻ってくる際の“ゲート”であった。

 異空間は通常の何倍もの速さで時が流れている。 器械達が異空間で待機できる時間はせいぜい一日。 それ以上は器械達の時間同期が狂い、異空間から戻って来た際に内部機器が混乱する恐れがある。


 つまり、明日にはベトールと戦闘を始めなければならなかった。


 ベトールとの戦いの準備に丸三年の歳月を費やした。 グレイプニルで大量製造した航空機、ドローン、戦車、車両は数千台を超えた。 この星で稼働する全てのゼルナー達に供給できる重火器が揃い、グレイプニル製の防具も充分に確保した。

 非戦闘員である一般器械達は三年の間に地上へ物資を輸送する為のパイプラインを設置し、航空機を飛ばす為の滑走路を建設した。

 ベトールの縄張りからかなり離れた場所にある『ハーブリム』と『ナ・リディリ』以外の地底都市には滑走路が建築され、地底から次々とステルス戦闘機が配備された。

 各都市のゼルナー達はすでに地上に出てベトールの縄張りを目指していた。 武装車両、戦車、バイクから編成された大規模な部隊であり、都市にいる(ほとん)どのゼルナー達である。 もし、他のマルアハが地底都市を襲撃すれば(むか)え撃つ事は不可能だろう。


 『ベトールを今ここで討伐しなければ、器械達の未来は無い』


 他のマルアハ達が襲撃して来たら打つ手がない事は分かっていたが、マザーによって器械達が誕生して以来の『最大の戦い』に戦力を温存(おんぞん)できる余裕などなかった。

 全面戦争への準備は万端である。 一度の失敗も許されない作戦がいよいよ明日開始されるのである。


 作戦開始が刻一刻と近づく中、各都市のゼルナー達の緊張は頂点に達していた。 緊張のせいかオーバーヒートで倒れる者が続出し、中には恐怖で耐えきれず逃げ出す者もいた。

 一方、一般器械達(民間人)の様子は各都市によって全く異なっていた。

 ハーブリムはゼルナー『リクイ』による“決意表明”が功を奏したのか、民衆は地上へ赴くゼルナー達を拍手喝采、万歳三唱で送り出していた。 ゼルナー達は意気揚々(いきようよう)と決戦に挑む者達が多く、民衆の士気も高かった。


 ディ・リターとエクイテスの連合軍も一見するとハーブリム同様、兵士達の士気は高かった。

 ところが、彼等の顔を一人一人見てみると、皆どことなく悲壮感が漂っていた。 本当は怖くて仕方が無かった兵士達はアセナ、レグルスという絶対的なリーダーによる圧力パワハラによって逃げ出すことも出来ず、半ば諦念(ていねん)の境地をもって死地へ向っていたのである。

 ディ・リターの市民はそんな兵士達の心の内など露知らず、まるでお祭りのように大騒ぎしていた。 緊迫した様子で地上へ向う兵士に平然とマイクを向けるマスコミや、戦地へ(おもむ)く家族を見送る市民に対し墓石を売りつける不謹慎者(ふきんしんしゃ)、兵士達の様子を見学に来た民衆を相手に露天を開いて商売を始める商人など、たとえマルアハが攻めてきてもしぶとく生き残りそうな図々しくも(たくま)しい市民が殆どであった。

 ハーブリムに比べて兵士の実力、兵力共に強大であるディ・リターとエクイテスであったが、“民度”に関してはハーブリムよりかなり劣っていたのである。 しかし、それでもバハドゥル・サルダールの民衆に比べればまだ可愛い方であった。


 バハドゥル・サルダールではベトールとの戦いに都市が参加する事自体に反対する市民が多く、兵士が出兵する以前に内紛が勃発(ぼっぱつ)していた。

 賛成派と反対派の市民との間で小競り合いがしばしば起こり、都市は混乱を極めていた。 町のあちこちで爆発が起き、治安部隊が市民を制圧すると言った有様であり、もはや戦いに参加出来る状況ではなかった。 ところが、都市の首長であるゼルナー『ファルサ』は「どうせ、戦いが始まりゃ、皆一丸となって戦うだろ」と達観しており、隣で茶を(すす)るゼルナー『サン』とボードゲームに興じていた。

 

 このように、都市によって民衆の戦争に対するモチベーションにかなり違いがあった。 いずれにせよ明日にはベトールとの決戦が始まる事もあって、各都市の民衆は皆浮き足だっていた事に違いは無かった。



 ――



 ライコウは去年からずっとイナ・フォグと生活を共にしていた。

 フルを討伐してすぐ後はお互い忙しく二人で生活をする事が出来なかったが、戦力が整い作戦も固まった事で逆に戦闘開始までやることが無くなった。 その為、イナ・フォグ、ヒツジ、セムの四人で仲睦(なかむつ)まじく平和な暮らしを満喫(まんきつ)していたのであった。


 四人はまるで家族のようであった。

 ある時は、ヒツジとライコウが人工池で釣を楽しんでいる背後でセムを抱いたイナ・フォグが温かく見守っている光景があった。

 またある時は、公園で寝そべっているライコウの頭を膝に乗せているイナ・フォグの姿があった。 微笑みながら同じ方向を見ている二人の視線には、ヒツジとセムが遊んでいる様子が見える。 暖かい日差しを浴びて人工芝の上で二人の子供がはしゃいでいる光景は、イナ・フォグがいつか夢見た”家族の愛”そのものであった。


 そんな(おだ)やかな日々でライコウはイナ・フォグに対して“特別な感情”を抱いていった。 それはヒツジに対して抱いている感情と同じ“愛”であったが、その言葉をイナ・フォグに伝えることは何故か心がくすぐられるような恥ずかしさがあった。

 結局、イナ・フォグに自分の思いを伝えることは出来なかったが、イナ・フォグは彼の態度からその愛情をひしひしと感じており、今までに経験した事が無いほどの多幸感をこの一年で感じていたのであった。


 しかし、この一時の幸福な生活も明日には出来なくなる。 明日はハーブリムから地上へ出て二日後の戦闘に備えなければならない。


 (……本当は……本当はもうこのままライコウと一緒に……)


 イナ・フォグは願った。

 ベトールも討伐せず、トコヨにも行かず、マザーの“謀略(ぼうりゃく)”など無視し、ずっとこのまま四人で暮らしていきたい――。

 

 『この身体に巣くう()まわしい闇の波動がいつの間にか消え失せ、目が覚めれば人間となっていたらどれだけ幸福な事か』


 だが、それは叶わぬ夢であった。

 イナ・フォグとライコウが人間になる為にはベトールを討伐しなければ不可能なのである。


 『マルアハを形成する核――アマノシロガネ”。 マルアハを討伐し”アマノシロガネ”を回収すれば、イナ・フォグとライコウを人間にする事を約束する』


 二人が人間となる為にはこのマザーの提案に乗らなければならならず、そのためにベトールを討伐する必要があった。

 とはいえ、イナ・フォグがマザーの言う事など信用するはずもない。 マザーの提案は言い方を変えれば彼女の“謀略”に外ならないと、イナ・フォグは考えていた。

 つまり、仮にイナ・フォグがアマノシロガネを回収したとしても、そんな約束など反故にされ人間になる事が出来ない可能性がある事をイナ・フォグは承知していたのである。

 

 しかし、それでもイナ・フォグは人間になる事が出来る可能性があると確信していた。 マザーの企みを利用して、自分とライコウが人間になる方法を考えついていたのである。


 イナ・フォグは何故そこまでして人間になりたいのか?

 

 その理由はライコウがかつて人間であったからに外ならなかった。 彼女はライコウと初めて出会う前からすでにライコウの事を愛していたのである。

  

 ()()()()()()()のライコウを。


 (ライコウ……アナタがかつて“人間”だった頃から、ワタシはアナタを愛していた)


 (……その事をようやく思い出した。 アナタによってこの身を斬られ、全ての記憶を失い仄暗(ほのぐら)い霧の中で息を(ひそ)めていた時も、アナタの面影(おもかげ)だけはずっとココロの中に残っていた)


 千年の時を経て、マナスによって殆どの記憶が消失してしまったイナ・フォグ。

 マルアハ達の名など一部の記憶しか覚えていなかったイナ・フォグはハギト、フルとの戦いを経て、記憶を完全に取り戻す事が出来たのである。

 

 『何故、これ程までにライコウを愛しているのか』


 『何故、ファレグに対して他のマルアハとは違う親近感を抱いているのか?』


 イナ・フォグは全て思い出した。

 もちろん『マザー』の正体も。 そして『ヒツジ』の正体も……。


 記憶を取り戻したイナ・フォグはマザーの企みに気付いた。 イナ・フォグに“アマノシロガネ”を集めさせて何をしようとしているのかを。

 マザーの企みに乗ってしまった事――それは今となってみればイナ・フォグにとって都合が良かった。 ベトールを討伐すれば、閉ざされていた”ヘーレムの門”を開くことが出来るからだ。

 

 マザーは記憶を失ったままのイナ・フォグに“アマノシロガネ”を集めさせ、”ヘーレムの門”を開いてもらおうと企図(きと)していたのであろう。 ”ヘーレムの門”を開くと何があるのかはイナ・フォグも知らないが、恐らくそこに人間になる為の何かが隠されているはずだ。


 そう、マザーもまたイナ・フォグと同じく人間になる事を望んでいたのである。


 ……いや、正確にいうと『人間に戻る』事を望んでいた。


 マザーはイナ・フォグにアマノシロガネを集めさせ、そのアマノシロガネで自分が人間になろうと企んでいたのである。 それが、マザーの“謀略”であった。

 イナ・フォグはそんな彼女の企みを逆に利用しようとしているのだ。


 マザーにとってイナ・フォグの記憶が蘇ったことは“想定外”であった。 もはやマザーはイナ・フォグの邪魔をすることは出来ず、ベトールを倒せば“ヘーレムの門”は開かれる。

 自分が人間になる為にハギトとフルの討伐に助力したマザーであったが、結果的にイナ・フォグが人間になる手助けをしてしまったのである。


 もう、イナ・フォグはマザーに忖度(そんたく)する必要は無い。 イナ・フォグが人間となる材料さえ(そろ)えれば、マザーはイナ・フォグに手出しが出来なくなる。 先日、イナ・フォグがマザーに会いに行き、自分の記憶が回復している事を示唆(しさ)したことはマザーに対する“宣戦布告”であったのだ。

 もちろん、ハギトとフルを討伐してアマノシロガネを手に入れただけでは、いくら記憶が戻ったところでマザーと戦うことは『得策では無い』と考えていた。

 しかしイナ・フォグの姉『イナ・ウッド』の記憶が回復していると確信したことで、彼女はベトールを討伐する前に敢えてマザーに()()()()()()のである。


 愛するものを奪い返す戦いを――。



 ――



 イナ・フォグが記憶を回復した原因は何だったのか? 彼女は少なくともマルアハ『フル』を討伐した後、しばらくは記憶が回復していなかったはずである。

 イナ・フォグが記憶を回復することが出来たのは、ライコウが古代遺跡に調査へ行っている時であった。 イナ・フォグはその間、マルアハ『ファレグ』の行方を捜しに“ベエル・シャハト”という場所へ来ていた。

 イナ・フォグが今の状態で“ベエル・シャハト”へ来たところで、“イェネ・ヴェルト”へ続く固く閉ざされた門――“真実の門”――を開くことが出来ない。 イナ・フォグは門の前に立ち、ファレグがいないことを確認すると、踵を返して帰ろうとした。


 ……その時だった。


 突然、イナ・フォグは目眩(めまい)を覚え、その場に倒れ込んでしまった。


 数日間、“真実の門”の前で気を失っていたイナ・フォグ。 その間、彼女の頭の中にまるで洪水のように今までの記憶が蘇って来たのである。

 イナ・フォグが目覚めると、身体は何ともなかった。 むしろ、マナスはすっかり回復し、彼女の身体は充実感に満ちていた。 さらに気を失っている間に夢見た記憶が消失せず、そのまま頭の中に留まっていたのである。

 それは驚くべきことであった。 通常、マルアハの体内にマナスが満ちると記憶を喪失(そうしつ)してしまう。 しかし、イナ・フォグは夢の中で思い出した記憶を覚えていたのである。


 “夢見る星”と呼ばれるこの惑星に存在する物質――”真素”(マナス)。 それはこの世界を維持する為に必要な物質である。 もともとこの星に住んでいた『メカシェファ』と呼ばれる種族は自分の核(心臓)にマナスのエネルギーを利用して生存していた。

 マナスが暗黒子(あんこくし)などの特定の粒子と衝突し、分裂した時のエネルギーは膨大(ぼうだい)である。 暗黒子を体内に宿し、マナスのエネルギーを利用できるメカシェファ達はどんな生物よりも強大であった。

 マナスはメカシェファにとって生存する為の大事なエネルギーであり、彼女達を偉大ならしめる強力な武器でもあったのだ。


 ところが、マナスを利用する彼女達はマナスの恩恵ばかりを享受(きょうじゅ)していた訳ではなかった。

 マナスが内包する絶大なエネルギーにより、メカシェファの脳に刻まれた記憶を深い綿津見(わだつみ)の底へ封じ込めてしまうのである。 

 メカシェファの核にマナスが満ちると、彼女達の記憶が失われてしまう。 強大なマナスの力でメカシェファは暴走し、力を解放しなければ生きとし生けるものを皆殺しにしてしまい、挙げ句の果てには力に耐えきれず自爆してしまう。

 メカシェファはそんなマナスの恐るべき副作用を理解していた。 そこで、彼女達は自分達の核に取り込むマナスを減少させる事で身体が滅びるまで記憶を保つ術を身につけたのである。

 核に取り込むマナスを減少させれば、記憶は維持出来る。 その代わり、マナスを利用する呪術や身体能力は大幅に弱体化する事となった。


 しかし、メカシェファは力を維持するよりも、記憶を維持する事を選択した。 彼女達はこうして幾千年もの間、マナスと共にこの星で生存し、この星の記憶を(つむ)いできたのである。


 イナ・フォグ達『マルアハ』の核(心臓)は“最後のメカシェファ”と言われた『ミコ』の核が分離したものだと言われていた。

 メカシェファの子供達であれば、体内のマナスが飽和状態になれば記憶を失う事も(うなず)ける。


 しかし、記憶が戻ったイナ・フォグはその理屈をもう一度思い返すと、酷く違和感を覚えた。


 「何故、ミコ様だけ核を分離することが出来たの?」


 ミコの核である“トガビトノミタマ”は“アマノシロガネ”と“ヨミノクロガネ”に分離したと言われている。 これは他のメカシェファには出来ない事であり、唯一ミコだけが出来る能力であった。 ミコが『突然変異のメカシェファ』であると言えばそれまでなのだが、どうも違うような気がする……。

 それにメカシェファの核は人間達から“トガビトノミタマ”と呼ばれており、“アマノシロガネ”とは形状も色も異なる。 記録ではメカシェファ達は桜色の髪をしており、瞳は体内に宿す暗黒子の影響で漆黒(しっこく)であった。 髪色はイナ・フォグと同じでも瞳の色がまるで違う。 ミコの瞳も黒ではない。


 「メカシェファが“神の子”である事は間違い無い。 それはラヴィニアも指摘している。

 でも……だからと言って、ミコ様が“神の子”であるとは言い切れない」


 『もしかしたら、ミコはメカシェファではないのではないか?』


 イナ・フォグはそんな仮説を立てて、体内にマナスが満ちた状態でも記憶を維持する事が出来た理由を考察した。


 「ミコ様は一体何者なの? ライコウの記憶を蘇らせる為にも、やっぱり『トコヨ』へ行って確かめないと」


 イナ・フォグが抱いた違和感の正体を探るため、彼女は結局トコヨへ行かなくてはならなかった。



 ――



 イナ・フォグはライコウ、ヒツジ、セムと幸福な一日を過ごした後、ヒツジを抱きながらベッドで考え事をしていた。

 隣にはライコウが穏やかな寝息を立てており、ライコウの胸には気持ちよさそうにセムが眠っていた。


 幸福な家族はまだイナ・フォグの手の中にあった。


 この幸福はいつか姉達と過ごした一時の幸福にも似ていた。


 隣に寝ているライコウと初めてあった時の胸のトキメキ……。


 過去を思い出せるようになったイナ・フォグは改めて今この瞬間の幸福に感謝し、誕生してから記憶を失うまでの過去を思い返していた――。


 ミコは“アマノシロガネ”と呼ばれる核と“ヨミノクロガネ”と呼ばれる核を持っていた。 “アマノシロガネ”は分離してイナ・フォグ以外のマルアハ達の核となり、イナ・フォグは“ヨミノクロガネ”をそのまま核としていた。

 もともと、ミコは“アマノシロガネ”しか持っていなかった。 “ヨミノクロガネ”はミコの負の感情によって“アマノシロガネ”が変異した核であったのだ。


 ミコはその負の感情を持った核を自分の体内から追い出した。 “ヨミノクロガネ”からイナ・フォグを生み出し、全ての負の感情をイナ・フォグに押しつけた。 イナ・フォグは嫉妬(しっと)、恨み、憎悪、怒り……ミコが抱いていた負の感情をミコの代わりに引き受けたのである。

 イナ・フォグは生まれた時から憎悪に身を(ゆだ)ねていた“()み子”であった。 そんな事情からジングウの神官達から“危険分子”とされたイナ・フォグは、マルアハ(姉)達から隔離されジングウの地下へ封印された。

 ジングウの地下は深く、冷たい暗黒の空間であった。 何も聞えず、何も感じない。 歩いても、走っても永遠の闇の中。 声を出しても、手を差し出しても、誰も答えず、誰も手を差し伸べる者など居ない孤独な世界。


 イナ・フォグはそんな虚無(きょむ)の世界で長きに渡り、一人(さび)しく膝を抱えて眠り続けていた。


 そんな中、イナ・フォグの姉『ファレグ』こと『イナ・ウッド』が自身を形成する“アマノシロガネ”を“ヨミノクロガネ”と共存させる呪術を身につけた。 彼女はイナ・フォグを救おうと紆余曲折(うよきょくせつ)を経て、その()()()()呪術を身につけたのである。

 ミコはイナ・ウッドの提案を受け入れ、イナ・フォグの封印を解こうとした。 ところが、ミコの夫である『ヤスツナ』がイナ・フォグの封印を解く事に反対した。

 ヤスツナはマルアハ達との押し問答の末、結局彼の友人である『ヨリミツ』に説得されて、不承不承(ふしょうぶしょう)ながらイナ・フォグの封印を解く事を了承した。


 こうして、イナ・ウッドはイナ・フォグの封印を解いた。

 そして、身につけた呪術を用い、イナ・フォグの核である“ヨミノクロガネ”の一部を自分の体内へ移植し、代わりに自分の核である“アマノシロガネ”の一部をイナ・フォグの移植したのであった。


 この日から、イナ・フォグとイナ・ウッドは本当の意味での姉妹となった。

 イナ・ウッドは妹を可愛がり、イナ・フォグもまた自分を救ってくれた姉を(した)った。


 穏やかな日の光が降り注ぐ外の世界。 生まれてから闇の世界しか知らなかったイナ・フォグは困惑した。

 イナ・ウッドだけでなく、他の姉達も長年にわたって暗澹(あんたん)とした孤独な空間で息を潜めていた妹の境遇に同情し、ようやく外へ出る事が出来た彼女を歓迎した。


 初めて見る姉達の温かな眼差(まなざ)し。


 初めて見る緑豊かな木々のざわめき。


 可愛らしい小鳥の美しい歌声――。


 イナ・フォグは心が(はず)んだ。 生まれて初めて自分が『この世界に生きている』という実感を得た。


 「イナ・フォグ……。 今までアナタには辛い思いをさせてしまったわね」


 イナ・フォグの母『ミコ』はそう言ってイナ・フォグに謝罪した。

 ミコはイナ・フォグと同じ桜色の髪をした目尻の上がった(りん)とした目をした女性であった。 その瞳は銀色に輝いており、唇は(あで)やかな紫色をしていた。 その姿は美しいというよりも妖艶(ようえん)であり、人間というよりもまるで“人形”のようであった。

 

 イナ・フォグはミコの謝罪を受け入れる事が出来なかった。 長きにわたり絶望が満ちた地下へ自分を閉じ込めていた母に対する“複雑な感情”があったからである。

 イナ・フォグは謝罪をするミコに対して冷然と背を向けた。 その時もイナ・フォグは何故か『この世界に生きている』という実感を抱いた。


 孤独と絶望――今までそんな(むな)しい感情しか無かったイナ・フォグの心に様々な感情が怒濤(どとう)のように押し寄せた。 姉達と共にする幸福な日常の中、イナ・フォグは喜び、楽しみ、哀しみ、怒りといった姉達と同じような感情を表現できるようになった。


 その一方で、姉達とは唯一異なる感情がイナ・フォグの心を(むしば)んでいた。。


 その心は闇より深い漆黒の底で眠っている心であった。

 それは孤独と絶望に生きていたイナ・フォグが抱いていた“憎悪”――自分に負の感情の全てを押しつけ、幸福に身を委ねていた母に対する恨みであった。


 イナ・フォグは自分を心の奥底で(うごめ)くその忌まわしい感情の正体が何なのか分かっていなかった。 まだ、彼女には“憎悪”という感情がどういうものなのか分からなかったのである。



 ――



 ある日、イナ・フォグは一人の女性と歩いている“トコヨの戦士”の姿を見た。


 (あのニンゲンは……?)


 イナ・フォグが呆然と“トコヨの戦士”を見つめていると、彼はイナ・フォグの視線に気が付いた。

 

 「君は……もしかして?」


 “トコヨの戦士”はそう(つぶや)き、イナ・フォグに視線を送った。 ところが、彼と仲睦まじく歩いていた女性によって手を引っ張られ、そのまま彼は廊下を歩いて行ってしまった。


 「あの優しい眼差し……。 ニンゲンとは悪辣(あくらつ)で、意地汚く、卑怯で、臆病な生き物だと聞いていた。 でも、あの人間の瞳は……」


 イナ・フォグはその日から“トコヨの戦士”の姿が頭から離れなくなった。

 

 イナ・フォグは地下から出た後、イナ・ウッドが使っていた部屋を与えられた。 アンティーク調の家具が並んだ西洋風の部屋。 ベッドには人間の子供が好きな“ぬいぐるみ”が幾つも置いてあり、イナ・フォグの心を躍らせた。

 彼女は“トコヨの戦士”を見た時から、毎晩のように彼の顔を思い出しながら眠りについていた。


 ……その日の晩もイナ・フォグは“トコヨの戦士”の姿を思い出し、頬を染めていた。


 『コン、コン……』


 すると、部屋のドアを誰かがノックする音が聞えてきた。


 「……誰? 姉さん……?」


 イナ・フォグはイナ・ウッドが自分を気に掛けて訪ねてきたのだと思った。 イナ・ウッドは口が悪いが、誰よりも妹のことを可愛がってくれる信頼出来る姉であった。

 イナ・フォグは軽やかな足取りでベッドから降りると、ドアへ向って駆けていった。


 「姉さん――」


 ドアを開けた瞬間、イナ・フォグは目を見張った。


 「やぁ、起こしてしまったかい?」


 それは先日見た“トコヨの戦士”の姿であった。

 素直に降ろした黒い髪で額を隠した浅黒い肌をした人間。 丸みを帯びた大きくて青い瞳。 恥ずかしそうに微笑(ほほえ)みを浮かべ、白い歯を見せる姿はまるで少年のようであった。


 「――! あ、アナタは……」


 イナ・フォグは紅い瞳を丸くして、両手で口を覆った。 あまりの衝撃に立ち尽くし、言葉を続けることが出来なかった。


 「突然、訪ねて来て驚かしてしまったようだね」


 トコヨの戦士はそう言うと笑みを浮かべながら、イナ・フォグの桜色の髪を優しく撫でた。


 「あっ……」


 “トコヨの戦士”の優しい手の温もりがイナ・フォグの頭に伝わって来た。

 イナ・フォグはこんな暖かい手に触れられた事など生まれて初めてだった。


 “トコヨの戦士”には妻がいた。 彼は妻からイナ・フォグについて聞いた時「なんて、哀れな子だろう」と彼女をずっと気にしていたという。

 それから数年後、イナ・フォグの封印を解こうとするマルアハ達と、それに反対するヤスツナ達が言い争いをしていると妻から聞き、彼は急いでヤスツナの許に駆け付け、ヤスツナ達反対派を説得したのである。


 「君が生まれてから今日までの境遇は聞いておる。 ミコは口では君の事を哀れんでおるが、彼女の“悪意”を全部君に押しつけて『知らぬ、存ぜぬ』だからのぅ。

 一度の謝罪だけじゃ済まん。 一発、引っ叩いてやっても良いくらいじゃ」


 不思議な言葉遣いをするトコヨの戦士にイナ・フォグは『クスリ』と笑った。


 「ハハッ! 気になるかのぅ? この話し方」


 “トコヨの戦士”は手を後ろに回して恥ずかしそうに頭を掻いた。 しかし、イナ・フォグは気にならなかった。

 むしろ、可笑しな話し方のほうが彼女にとって心が愉快になるような気がしたので「そのままで良い」と彼に伝えた。


 「アナタの話し方……面白いから好き……」


 トコヨの戦士は名を『水元頼光(みずもとよりみつ)』と言った。

 彼はもともとトコヨの民間人であったそうで、トコヨの戦士になったのはヤスツナに助けられた事がきっかけであったそうだ。


 「ヤスツナはワシの妻『杏奈(あんな)』を助けてくれた。 ただの“学生”だったワシが杏奈をあの“研究所”から救える訳もなかった。 しかし、アイツはそんなワシに力を貸してくれて、杏奈を救ってくれたんじゃ。

 それからというもの、ワシはアイツを尊敬した。 アイツと同じように強くなりたいと願いトコヨの戦士となった。 アイツの戦い方、メシの食い方や話し方までマネをした」


 イナ・フォグはベッドの上で頼光と話をしていた。 部屋の中央に丸テーブルとイスが置いてあったが、二人はイスに座らずベッドの上に腰を降ろしていた。

 頼光は親友であり、恩人であるヤスツナのマネをして独特な話し方をしていたそうだ。 しかし、その話し方を彼は「もう止めようと思う」と語った。


 「……残念ながら、ヤスツナは変わってしまった。 ミコと結婚してから彼は絶大な権力を握った。 この国の王となり、全ての者から尊敬を集めるようになった。

 すると、彼は次第に傲慢(ごうまん)になっていった。 諸外国と戦争を引き起こし、君達マルアハを戦争の道具に使い始めたんだ。

 ミコはそんなヤスツナを悪く言う事は無かった。 彼女はヤスツナを愛しており、ヤスツナの言いなりだった。 もちろん、君の姉達もミコの子供達だ。 親が愛するヤスツナを悪く言う訳が無い」


 頼光の蒼い瞳には怒りが(にじ)んでいた。

 彼は親友のヤスツナが中立国であったジングウを裏切り、諸外国を支配しようと企んでいるのだと糾弾し、ヤスツナの暴挙を止めようとしていた。

 

 「ヤスツナの行動に不審感を持っていたのは、俺だけじゃない。 君の姉さん『イナ・ウッド』もまた俺と同じく奴の行動に不満を持っていた」


 「姉さんが……?」


 イナ・フォグはルビーのような美しい紅い瞳を丸くした。 雪のような白い肌に紅い瞳が美しく輝く姿に頼光は一瞬目を奪われた。

 

 「……そう。 だから彼女は君をあの仄暗い絶望の地下から解放した」


 頼光はそう言うと、イナ・フォグの(ほお)を優しく撫でた。 頼光の暖かい手の感触がイナ・フォグの頬に伝わると、彼女はほんのりと頬を紅に染めた。


 「で……でも……。 何故、姉さんはワタシを地下から……?」


 頼光は恥ずかしがる少女に優しく笑みを浮かべた。

 彼はイナ・フォグの問いに答えなかった。 その代わり、こんな深夜に何故イナ・フォグに会いに来たのかを語り出した。


 「日中、俺が君に会うには杏奈の監視が厳しくてね。 彼女は何か勘違いしているようだが、俺はイナ・ウッドと同じく君を救いたくてどうしても話がしたかったんだ」


 「救いたい……?」


 イナ・フォグは再び目を丸くした。

 すると、頼光はベッドからおもむろに立ち上がった。

 頼光は黙ったままイナ・フォグに向って手を差し伸べる。 イナ・フォグは一瞬躊躇(ちゅうちょ)したが、頼光の穏やかな笑みに()かれて彼の手を取った。


 ゴツゴツした硬い手の感触がイナ・フォグの柔らかい手に伝わってきた。 その手は(たくま)しく、そして愛おしかった。

 イナ・フォグの心は温かくなっていた。 それは生まれてから今まで感じたことのない奇妙な感じであった。

 冷たい闇の中で眠り続けていたイナ・フォグ。 彼女の心は冥界の吹雪に吹かれ、凍り付いていた。 暗黒の鎖で縛られていたイナ・フォグの心を解放したのはイナ・ウッドであり、凍り付いた心を温めてくれたのが頼光であった。

 まるで日だまりの芝生で寝転んでいるような心地よさを感じたイナ・フォグ。 思わずウットリと目を(すぼ)めると、頼光から思いがけない言葉を投げかけられた。


 「君を……君の心に巣くう“混沌(こんとん)の女王”から君を救いたい」



 ――



 イナ・フォグと頼光はイスに座って話を続けていた。 二人の間を挟む丸テーブルには一輪の造花が挿さった花瓶が置かれている。

 燃えるように赤いバラのような造花。 頼光はその造花を見つめながらイナ・フォグに恐ろしい事実を告白した。


 『イナ・フォグを存在ならしめる“ヨミノクロガネ”は“混沌の女王”という「外の世界の神」によって汚染されている』


 ”混沌の女王”は別名『ダカツ』と呼ばれている。 文字通り、蛇蝎(だかつ)のごとく醜悪な姿からそのように呼ばれていた。

 イナ・フォグが負の感情を抱くとき、“混沌の女王”が“真実の門”を開いて“イェネ・ヴェルト”からやって来る。 そして、イナ・フォグの身体を浸食し、彼女の身体を使って現世に顕現(けんげん)するというのだ。


 「……そ、そんな……」


 イナ・フォグは絶望した。 生存する為の核である“ヨミノクロガネ”が忌まわしい邪神に汚染されている。 汚染された“ヨミノクロガネ”はもはや元には戻らない。 いずれイナ・フォグが強い憎悪を抱いた時、“混沌の女王”は醜悪な蛇の姿となってイナ・フォグの身体を乗っ取り、この世界を破壊せしめる。

 “混沌の女王”の復活を阻止する為には汚染された“ヨミノクロガネ”を消滅させるしかない。 それはすなわち、イナ・フォグが『死ぬ』という事である。


 「怖がらなくても大丈夫。 そうさせない為に君の姉さんが自分の核を君に与えた。 お陰で“ヨミノクロガネ”の影響は大分抑えられた。

 それに、ミコが君に押しつけた負の感情を抱かなければ“混沌の女王”に乗っ取られることは無い」


 頼光はそう言うと、イスから立ち上がりイナ・フォグの両手を取った。


 「あっ……」


 イナ・フォグは頼光の手の温もりに戸惑った。


 「君が恨みや憎しみをそのココロに抱かずに、愛を持てば“混沌の女王”から逃れる事が出来るはずだ」


 「愛……?」


 頼光はイナ・フォグの問いにニッコリと頷いた。


 「――そう。 君はもう一人じゃないんだ。

 君を救ってくれたイナ・ウッドや君を心配してくれる姉さん達がいる。 君が“心地良い”と感じる姉達を君が愛すれば、他の者達への憎悪など消えてしまう。

 “混沌の女王”に身体が乗っ取られる事はないはずだ」


 頼光の言う通り、姉達はイナ・フォグの事を可愛がってくれた。 イナ・フォグはそんな姉達の事が大好きであったが、頼光が言う“愛”とは違うように感じた。

 

 「それが……“愛”……なの?」


 イナ・フォグが困惑した様子で頼光に問うと、彼は笑顔を崩さずに再び(うなず)いた。


 まるで青空のように澄んだ瞳を細める頼光。 少年のように大きな瞳を細め、イナ・フォグに優しい視線を送る彼の姿にイナ・フォグは確かに愛を感じていた。

 頼光が向けていたイナ・フォグへの愛は、姉達が彼女へ向けていた愛と同じであった。 一方、イナ・フォグが頼光へ向けた愛は、姉たちに対する愛とは異なっていた。


 イナ・フォグはその違いに違和感を抱いていたのである。 頼光はその違和感に対する答えを教えてはくれなかった。


 (――なら、ワタシはアナタを愛したい――)


 イナ・フォグは選択した。 姉達へ向ける愛より、もっと自分のココロが温まる頼光への愛を。

 

 それ以来、イナ・フォグは頼光を愛した。 その愛は姉達へ向けていた親愛の情ではなく、イナ・フォグが知らなかった異性に対する思慕であった。


 イナ・フォグはこの日から頼光に対して恋愛感情を抱くようになった。



 ――



 ある日、イナ・フォグはジングウの庭を散歩していた。 うららかな日差しが庭に降り注ぎイナ・フォグの頬に柔らかい風が撫でると、緑豊かな木々がザワザワと歌い始めた。

 木々の歌に小鳥たちが『チュン、チュン』と合いの手を入れる。 木漏れ日を称えながら楽しそうに唄う木々と小鳥たちの共演に、イナ・フォグは気持ちよさそうに耳を澄ましていた。

 

 ところが、廊下の奥から女の声が聞えてくると、イナ・フォグはにわかに不安を抱いた。


 イナ・フォグは急いで木に隠れ、木の陰から顔を(のぞ)かせて廊下を見た。 すると、廊下の奥から頼光の妻『杏奈』の姿が見えてきた。

 イナ・フォグはその瞬間、胸がシクシクと痛むような不思議な感覚を覚えた。

 杏奈は誰かと楽しそうにお喋りをしながら廊下を歩いていた。


 「まさか、頼光と……?」


 イナ・フォグは不安に駆られながら、彼女が話している相手を確認した。


 「違う……」


 杏奈と話をしている者は頼光ではなかった。 筋骨隆々(きんこつりゅうりゅう)の無精ヒゲを生やした人間であり、頼光とは似ても似つかぬ熊のような男であった。

 杏奈はその男がまるで自分の夫であるかのように馴れ馴れしく腕を組み、寄り添いながら廊下の先にある部屋へ向って行った。

 

 イナ・フォグは木の陰から出ると、コッソリと二人の後ろについて行った。


 仲睦まじく行き止まりにある部屋へ入って行った男女。 イナ・フォグは悪趣味な金色の(ふすま)を少しだけ開けて、中の様子を盗み見した。

 部屋の中は薄暗く、奇妙な匂いがイナ・フォグの鼻をついた。 恐らく人間が好んで使用する香水の匂いだろう。

 部屋の奥にはさらに襖で仕切られた部屋があり、二人は恐らくその中にいると思われた。 イナ・フォグの耳に何やら怪しげな息づかいと、女の”嬌声(きょうせい)”が聞えて来た。

 

 イナ・フォグは思い切って襖を開けて部屋の中へ入ろうとした。


 「――!?」


 すると突然、イナ・フォグは後ろから誰かに肩を叩かれた。


 泡を食って後ろを振り向いたイナ・フォグ――。


 「ね、姉さ――!?」


 イナ・フォグの肩を叩いた者は彼女の姉『イナ・ウッド』であった。

 イナ・ウッドは思わず叫びそうになったイナ・フォグの口を慌てて塞ぎ「シィ!」とイナ・フォグに向って目配せをした。


 「イナ・フォグ、お前にはこの先の光景は刺激が強すぎる」


 イナ・ウッドはそう言うとイナ・フォグの手を取って、彼女を部屋から遠ざけた。


 イナ・ウッドの話では頼光の妻『杏奈』は頼光が不在の間、ジングウ内の男達と不貞(ふてい)をはたらいているとの事であった。 先ほどの熊のような男だけでなく、不特定多数の男達と……。 そればかりか、なんとミコの夫である『ヤスツナ』とも逢瀬(おうせ)を重ねていたのだ。


 「アイツはどうしようも無いクズさ。 頼光と“娘”が可哀想だよ。 お前もあんなヤツには近づかない方が良い」


 イナ・ウッドは誰よりも妹思いのマルアハである。 彼女は妹に人間の意地汚い欲望を見せたくないと、普段からイナ・フォグを杏奈から遠ざけていた。

 

 「アイツに対して一番ムカついているはオナ・クラウドさ。 なんせ、クラウドは頼光の事が“好き”だからね」


 (えっ……!? ま、まさか……!)


 イナ・ウッドの衝撃的な発言に、イナ・フォグは言葉を失った。


 「……ん? イナ・フォグ、どうした? 何処か体調でも悪いのか?」


 眠たそうな二重(ふたえ)の目を(すぼ)め、心配そうにイナ・フォグを見つめるイナ・ウッド。 イナ・フォグに視線を向けながらも、彼女の頭から生えているキツネのような耳はしっかりと杏奈のいる部屋の方へ向いていた。


 「い、いえ……ちょっと、疲れただけ。 何でも無いわ」


 イナ・フォグはそう言ってはぐらかしたが、その言い訳が裏目に出たようだ。


 「――キャッ――!」


 イナ・ウッドは元気が無さそうな妹を突然抱きかかえた。 目を丸くするイナ・フォグに向って「お前、まだ地下から出たばっかりだと言うのに無理しすぎなんだよ」と(とが)めると、そのままスタスタと妹の部屋へ向って行った。


 姉に無理矢理寝かしつけられたイナ・フォグは、ベッドの上で頼光の事を考えていた。


 (……杏奈、頼光のココロを傷つけている酷いニンゲン。 頼光は何故、彼女を愛しているの?)


 イナ・フォグは頼光の暖かい手の温もりと、頭を撫でられた時に感じたなんとも言えない心地良さを思い出し、杏奈に対して強い(いきどお)りを覚えた。

 

 (……それにオナ・クラウド。 彼女も頼光の事を愛している?)


 『リリム=オナ・クラウド』はマルアハの長女であった。

 彼女は妹達を束ねるリーダー的な存在であったが、常に忙しく世界中を飛び回っていたのでイナ・フォグとは殆ど顔を合わせる事がなかった。

 

 (そんな大して親しみのない姉が、あろうことか頼光を慕っている……)


 イナ・フォグのココロから杏奈に対する憤りだけでなく、オナ・クラウドに対する嫉妬(しっと)沸々(ふつふつ)と湧き出て来た。


 「はっ――!? ダメッ! 頼光から固く言われているのに!」


 思わず“負の感情”を抱いてしまったイナ・フォグは、慌てて頭を振って布団に潜り込んだ。


 『“負の感情”を抱くと“混沌の女王”がやって来る』


 イナ・フォグは頼光の言葉を思い出して、怒りや嫉妬を掻き消した。

 そして再び愛しい頼光の姿を思い出し、今日の夜も頼光が部屋に来てくれる事を願った。



 ……しかし、頼光は二度と彼女の部屋へ来る事はなかった。



 イナ・フォグは次の日から再び地下へ身を隠すこととなった。

 絶望、怒り、孤独……全ての“負の感情”に打ちのめされたイナ・フォグが“混沌の女王”に支配されないようにする為、姉達が苦渋の決断でイナ・フォグを封印したのである。


 「うぅ、うぅ……グスッ……。 頼光……頼光……」


 イナ・フォグは冷たく暗い地下で膝を抱えて悲しみに暮れていた――。


 昨夜未明、頼光の自宅があるジングウの郊外が敵対国であるヤマタによって攻撃された。

 頼光の自宅は無差別爆撃により粉々に破壊され、自宅周辺は火の海と化した。 マルアハ達によって火災は迅速に消し止められたが、マルアハ達の到着は一足遅かった。

 焼け跡から頼光の遺体と杏奈の遺体が見つかったのである。 二人の間には娘がいたが、その娘は行方が分からなかった。 恐らく爆撃によって粉々にされてしまったのだろう。

 頼光と杏奈の遺体はマルアハ達によって密かに回収された。


 ミコの夫『ヤスツナ』は親友が亡くなったことに対し、ただ『哀悼(あいとう)の意』を示しただけで積極的にヤマタに対して報復しようとはしなかった。 マルアハ達はそんなヤスツナの姿に失望の色を隠せなかった。

 そこで、オナ・クラウドとイナ・ウッドはミコの反対を押し切り、ヤマタに対して報復をすると宣言した。 二人はその日の内にヤマタの都市を攻撃した。

 怒り狂った二人の天使の攻撃はトコヨの全てを焼き尽くすのではないかと思う程苛烈(かれつ)であった。 ヤマタはオナ・クラウドとイナ・ウッドによってあっという間に灰燼(かいじん)と化し、マルアハの恐ろしさを改めて世界中に知らしめた。


 その後、マルアハ達は頼光の死を悲しみ、頼光の遺体から細胞を培養して彼にそっくりな器械を創った。 器械となった頼光は一応人間であった時と区別する為に『ライコウ』と名付けられた。 ところが、マルアハ達は自分達で名前を変えたのにもかかわらず、いつまでもライコウを『ヨリミツ』と呼んでいた。 結局、ライコウと言う名はいつの間にか(すた)れてしまい、彼はヨリミツと呼ばれる事に慣れてしまった。

 ヨリミツは殺害された時の忌まわしい記憶を消去され、人間であった時の記憶だけマルアハ達によって復元された。

 ヨリミツの製造を主導したのは長女のオナ・クラウドであった。 彼女はイナ・ウッドの知識を借りてまるで人間であった時の『頼光』と変わらない器械を創り上げたが、妹達に内緒である機能を実装しようとしていた。


 「()()()()だけを愛すること」


 これで器械であるヨリミツは未来永劫オナ・クラウドのみ愛し続ける。

 オナ・クラウドは妹達を出し抜いて如何わしい機能を実装しようとしている事に後ろめたさを感じていた。 しかし、ヨリミツに対する情欲には逆らえなかった。

 とは言え、このまま記憶を復元させると不都合な事が起きる。 人間であった頃の頼光は杏奈という妻を愛していた。 記憶を復元すれば杏奈への愛情も当然復元される。 杏奈を愛したままの頼光ではオナ・クラウドの(みだ)らな目的は達成出来ない。 だからと言って、杏奈の存在だけスッポリと消去してしまうと他の記憶にも影響するのでそういう訳にもいかなかった。

 そこで、オナ・クラウドは一計を案じた。 彼女が実行した計画は妹達が度肝を抜くほど奇抜かつ大胆な計画であった。 オナ・クラウドはそこまでしてでもヨリミツと愛し合いたかったのである。

 こうして、オナ・クラウドはヨリミツが自分を愛するよう、()()()()()()“魔改造”を施し、無事ヨリミツの愛を手に入れたのであった。


 再び地下へ封印されたイナ・フォグは地上でそんな『忌まわしい計画』が実行されている事など知らなかった。

 イナ・フォグはそれから“厄災”が起きるまでの間、頼光の死によって深く傷ついた心を癒やせぬまま、ただ寂寥(せきりょう)とした闇の空間で涙を流し、膝を抱えて(うずくま)っているだけであった。



 ――



 イナ・フォグは“厄災”が起こるまでの間の自分の過去を思い出した。 思い返してみても幸福だった時はほんの一瞬だけであった。

 

 「この平和な時もほんの一瞬の間だけ……?


 ……いや、もう二度と失いたくない」


 イナ・フォグはそう自分に言い聞かせると、目を開けてベッドから半身を起こした。


 イナ・フォグの隣ではライコウが穏やかな寝息を立てて眠っていた。 

 イナ・フォグは絹のような白い手をそっとライコウに向って伸ばすと、彼の髪をゆっくりと撫でた。


 (もう、あの日の悲しみを思い出したくない)


 イナ・フォグはそう思い、今思い出していた辛く、悲しい過去を消去しようと頭を振った。

 先ほどまでは記憶が消えなかった事を喜んでいたイナ・フォグであったが、辛い過去を思い出すと今度はその過去を忘れたくなった。


 「我ながら身勝手ね」


 イナ・フォグが自虐的に笑みを浮かべていると、眠っているはずのライコウの口から思いがけない言葉が漏れてきた。

 

 「フォグ……」


 確かにライコウはまだ眠っていた。 どうやらイナ・フォグの夢を見ており、うっかり彼女の名を口にしてしまったようだ。

 イナ・フォグは自分の名前を口に漏らし幸せそうに眠っているライコウが愛おしくて(たま)らなくなった。


 「頼光……愛してるわ」


 イナ・フォグはふっくらとした麗しい唇をライコウの唇に重ねた。 そして再び横になると、ライコウの身体に身を寄せて眠りについた。



 今年もお読みいただき有難うございました。

 遅々として進まない話に付き合っていただき、感謝申し上げます。


 出来るだけ投稿ペースを上げて行こうと頑張っているつもりですが、連載を始めています『復讐は自分でやりなさい』と並行して書いておりますので時間が足りず、こんな体たらくで申し訳無く思っています。

 だだ、『復讐――』を書き進める為には本作品も書き進めなけらばならない事から決して投げ出した訳ではありませんし、また途中で終わらせる訳には行きません。


 というのも、本作品と『復讐――』さらには『生神いきがみ』をお読みいただいた方にはお分かりになると思いますが、『復讐――』と『生神』は本作品の後日談だからです。

 したがって、本作品を途中で投げ出せば『復讐――』と『生神』を完結させても作品全体が『未完』となる事から本作品は書き続けなければならないのです。(たとえ、アクセス数が伸びなくても読者がいる限り)


 何でそんなややこしい構成にしたのか? それは、小説を書き進めるにあたって自分のモチベーションをどう保とうか考えた末の結論でした。

 二つ、三つの作品を並行して書き、それぞれの作品に関係性があればいずれの作品も完成させる必要があるので、どれも途中で投げ出すことが出来なくなるからです。


 まあ、ネタバレした方が面白いかなと思ったというのも理由の一つこういう構成にしたのですが、『復讐――』を読んでいただいている方には『復讐――』のストーリーを補完する”裏設定資料”として本作品をさらっと読んでいただくと『復讐――』がもっと面白くなるかも知れません。 (もちろん、本作品を読まなくても楽しめるように書いておりますが)


 第四章が終わったら、一度本作品を改めて書き直そうかと思っています。 もちろん、ストーリーはそのままで。

 理由は一話一話のエピソードが長すぎる点と、初めの文章の雑さがあまりにも目立ち過ぎてこのまま最後まで物語を進める事が苦痛になってきたからです。

 エピソードが長すぎる理由は、正直、どの程度が読んでいただける文字数なのか分からなかったからです。

 「二万字くらいが丁度良いか」なんて思っていたら、他の先生の作品を拝見すると大体二千~三千字程度なので「あぁ、やらかしたな」と後悔しております。

 とはいえ、いきなり文字数を少なくする訳にはいかないので、第四章を終わらせるまではこのまま突っ走ろうかなと思っております。


 長くなりましたが、来年も宜しくお願い致します。


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