決意
ウサギの家は工場の裏手にあった。 平屋の倉庫のような外観の家は玄関扉だけが妙に新しく、壁や屋根は塗装の剥げた錆び付いた金属で造られていた。
そして、何故か全体が紫色の煙に覆われていた。 ボロボロの家に紫煙が取り巻く様子は、遠目から見ると廃屋に不気味な妖気が漂っているように見えた。
酒場の歌姫『ナナ』はしばらく仕事を休んでおり、このウサギの家に身を隠していた。
彼女は“最優秀バトラー”という栄誉ある賞をマザーから授かるという名目で、マザーのいる最深部へ連れて行かれそうになったが、寸前のところでイナ・フォグに助けられたのであった。
「……ったく、なんでアタシがオメェ等の面倒見ねぇといけねぇんだってんだよ」
仏頂面のウサギが、丸椅子に座るナナに向って悪態をついた。 ナナは藍色の髪を指先でいじりながら申し訳なさそうに目を伏せている。 人工皮膚で覆われていない鉄の指先は無骨な見た目に依らず滑らかに動いている。 人差し指で髪をクルクルと巻き付けるとまた解き、手持ち無沙汰を持て余しているようにも見えた。
「ウサギ! そんな事言っていると、アラトロン様に言いつけるぞ!」
ナナの隣にはラキアが座っていた。 相変わらず煤けた顔をしているラキアはナナの“美しい手”を取ると「君が気にする必要は無いよ」と緑色の瞳を潤ませながら爽やかな笑顔を見せる。 そんなラキアの後ろでは床に座ったヒツジとセムがボードゲームに興じていた。
「チキショウめ! やっとグレイプ・ニクロムの加工が終わったってのに、アタシは自宅で休む事も出来ねぇってのかよ!」
ウサギは『アラトロン』という言葉に身震いして、忌々しそうに床に座り込む二人の子供に視線を向けた。
腕を組んだヒツジが床に浮かび上がる3Dの将棋盤を見つめている中、セムが緊張した様子で盤上の駒を指で動かしている。 一つ目のライトを黄色く光らせるヒツジの様子は何処となく得意げに見えた。
「……よりにもよって、あんなガキ共の面倒も見にゃならんなんて……」
ウサギは子供達を見ながら苦虫を噛みつぶした顔をすると、不満そうに両手でグシャグシャと頭を掻いた。
メンテナンスをしていないウサギの頭からモワモワとホコリが舞い上がる。 ナナとラキアは迷惑そうに口を抑えて咳払いをした。
「ゴホッ……。 それもアラトロン様の命令だろ! 文句があるならアラトロン様に言えよ!」
ラキアはそう言うと立ち上がり、部屋の奥にある裏口に目を遣った。
「ほらっ、さっきからサクラが呼んでるって言ってるだろ! さっさと行ってやれよ!」
ラキアがウサギに視線を移して顎をしゃくると、不貞腐れた様子のウサギはテーブルに置いてあるデコボコのコップを手に取りオイル茶を飲み干した。
「……ったく、まだメンテナンス中だってのに何の用だってんだ?」
ラキアはサクラ2号の用件をウサギに伝えていなかったようだ。 思い出したように「ああ、そうだった」と顔を上げると、とんでもない用件を口走った。
「今、ライコウが来ているそうだから『どうせ喧嘩になるから間に入ってくれ』ってさ」
「――うぇ――!?」
ラキアの説明にウサギは仰天した。
「……アイツにサクラの事がバレたのか?」
ウサギはバツが悪そうにヒゲを垂らしラキアを見た。 ところが、ラキアは「そんなのとっくにバレてるよ」と冷然に言い放ち、言葉を続けた。
「バラしたのはサクラ自身さ。 デバイスでライコウに連絡を取って、自分から打ち明けたんだ」
ウサギはラキアの話しを聞くと「アイツ、何やってんだ」と呆れた表情を見せて耳を垂らした。
「……んで、ライコウはなんて言ってたんだ?」
「激怒してたらしいよ。 『今からお前のところへ行く』って……。 それでサクラが慌てて助けを求めてきたんだよ」
ウサギは思わず身震いをした。 ライコウが激怒したときの恐ろしさを知っていたからである。 そんな険悪な状況を自分が仲裁する事など、まさに火中の栗を拾うようなものだ。
「アタシが行ってどうしろってんだよ……」
ウサギはヒゲを触りながら困惑している。 ラキアは何故かソワソワしており、隣に座るナナをチラチラ見ながら「いいから早く行ってやれよ!」とウサギを突き放した。
「今の身体がいかにスゴイ性能なのかライコウに説明して、ライコウを納得させたいんだよ! だからお前の能書きが必要なんだってさ」
本当にサクラ2号がそんな事をラキアに頼んだのか? 何故、ウサギに直接頼まないでラキアを通したのか?
ウサギが不審そうに鼻をヒクヒクさせていると、ラキアがいよいよ立ち上がってウサギの背中を押した。
「ほらっ、早く行けってば!」
ウサギはラキアに催促されて憂鬱そうに目を窄ませると「ハァ……」と一つ溜息を吐いた。 そして、意を決したように床に浮かぶ電子盤の上を通り過ぎ、奥の裏口へ向かって行った。
「お前、折角良い所だったのに――!」
盤上の駒を動かそうとしていたセムは、ウサギが通り過ぎたせいでバラバラになった駒を見て激昂し、背後からウサギを蹴り飛ばした。
「ギャァァ――!!」
踏んだり蹴ったりのウサギは裏口の扉目がけて激突すると、扉を壊しながら外へ飛び出して行った。
――
ウサギの家の隣には大きな格納庫が建っていた。 太いパイプで囲まれた格納庫の外観はさながら要塞のようである。
格納庫の裏には大型の出力装置が設置されている。 稼働中のようでモクモクと煙を出しながら計器類がバタバタと針を振らしていた。
入口の前には何台もの武装車両が駐車しており、その中にはサクラ2号のボディである流線型のバイクも止まっていた。
「サクラ、お主は本当にそれで良いのか?」
ライコウは格納庫の中にいた。
「しつこいわね! もう、決めた事なんだから!」
ホコリの舞う部屋の奥からサクラの声が響き渡った。 ライコウはその声に応えるようにデバイスを展開させる。 すると、デバイスの画面上に女性の顔が映し出された。
女性は桜の花びらを模したヘアブローチを艶やかな黒い髪に付けている美しい容姿をしていた。 細い眉を怒らせ、ピンク色のアイシャドウを付けた気の強そうな目に不満の色を滲ませながら画面上からライコウを睨んでいる。
「……まぁ、確かにベトールと戦う為にはバイク型の身体では無理じゃ。 お主の主張も分からなくもない」
ライコウはサクラを宥めるようにそう答えると、フィールドの奥に見える巨大な影に目を移した。
薄暗い部屋の中では全体の様子が分からなかった。 しかし、デバイス越しから見るとその美しい造形が鮮やかに浮かび上がった。
その物体は戦闘機であった。
ミサイルのように尖った頭部に設置されたコクピット。 シールドの表面は波のように青や緑の電気が流れており、液晶モニタのようである。 胴体から伸びる巨大な両翼は桜の花びらがあしらわれている。
全身は黒い金属で出来ており、デバイスの表示では『未知の金属』と表示されていた。 恐らくこの金属がグレイプニルだろう。
後ろには垂直に立ち上がる二つの翼が顔を覗かせていた。 翼の先端には胴体の両翼と同じく桜の花びらが描かれており、簡単に折れそうもない分厚い尾翼に支えられていた。
戦闘機の腹には太いミサイルが装着されている。 この場で放てばハーブリムを消滅させるに違いと思わせる物々しいミサイルは、恐らく核弾頭だろう。
サクラ2号はバイク型器械から戦闘機型器械へと生まれ変わった。 戦闘機はウサギによって製造された。 グレイプニルを機体に使用し、高火力の機関銃を供え、巨大な核弾頭を装備する随一の戦闘能力を持つ戦闘機。 格納庫に隠している理由はマザーによって核弾頭の開発が禁じられているからであった。
ライコウはウサギからサクラ2号が戦闘機へ変わった事を聞いて不満を持っていた。 バイク型である彼女の姿が好きだったからだ。 サクラ2号を元のバイク型器械へ戻すべく、彼女を説得しようとやって来たのだ。
ライコウはサクラ2号から戦闘機になった経緯を聞いた。 彼女の揺るぎない決意にライコウはこれ以上反対することが出来なくなった。
だが、ライコウは心配していた。 バイク型であったサクラ2号の背中に乗って共にマルアハと戦ったゼルナー『ジスペケ』の事を。 彼はサクラ2号が戦闘機型へと変貌を遂げたことにショックを受けていた。 サクラ2号の姿を見て狼狽したジスペケはウサギの家を飛び出したきり、今もまだ戻って来ていなかった。
ライコウはサクラ2号にジスペケの心情を慮るように窘めた。 そして、もう一度『バイク型へ戻る気は無いのか?』とサクラ2号に聞いた。
サクラ2号はライコウの問いに首を横に振った。 『戻る気は無い』と断言した。 ジスペケには『私なんかより他のバイク型ゼルナーの背中に乗ればもっと能力を発揮できる』と言い放ち、泣きじゃくるジスペケに別れを告げたとの事であった。
……今まで苦楽を共にした相棒から一方的に切り捨てられた哀れなジスペケ。 ライコウは『これではジスペケがあまりにも可哀想だ』と彼の心情を想い、胸を痛めた。
――サクラ2号は何故そうまでして戦闘機になりたかったのか――
サクラ2号の揺るぎない決意――それはベトールとの戦いに命を懸けて挑むことであった。
ハギト、フルとの戦いでも確かに命懸けであった。 しかし、彼女は前線で戦っていた訳ではなかった。 ライコウとイナ・フォグ、そしてアセナやカヨミの後方に回り支援をしていたのである。
それだけでも充分立派な活躍であった。 あの身の毛のよだつ怪物と対峙し、凍て付いた吹雪に耐えたという事実だけでも賞賛に値した。 ところが、各都市の民衆は前線で活躍したゼルナー達を称え、後方で支援した者達には目もくれなかった。 むしろ、サクラ2号が『アカネ』の妹だと知っていた者達は後方で駆け回る彼女を「所詮、姉と同じで前線で活躍する事が出来ないポンコツなんだ」と嘲ったのである。
サクラ2号の姉『アカネ』は屈強なエクイテスのゼルナー達の中でも優秀なゼルナーの一人であった。 当時はエクイテスのゼルナー達に慕われていたが、同郷のラキア達と共に抱いた大きな野望故に世界中のゼルナー達から非難される事となったのである。
その野望とは『アラトロンを破壊し、英雄となる』という無謀な挑戦であった。
言うまでもなく、この分不相応な挑戦は失敗に終わった。 部隊の全滅という悲劇的な結果によって……。
マザーの命令を無視し、あろうことか『アラトロンを破壊する』などという蛮勇を振りかざしたアカネ達を世界中のゼルナー達は批判し、嘲笑した。 さらに、仲間を捨てて逃げ帰ったラキアを「薄情者」と糾弾した。
世間から後ろ指を差されたのはラキアだけではない。 ラキアの仲間『アイム』の母『ライム』や、サクラ2号もいわれのない誹謗中傷を受けた。 二人は身の程を弁えないゼルナーの家族として容赦なく鉄クズを投げられ、罵声を浴びせられたのだ。
ハギトを討伐し、フルを討伐してもサクラ2号の評価は変わらなかった。 そればかりか、姉よりもさらに性能が低い『未だゼルナーになれないポンコツ』とサクラ2号を侮辱し、彼女の活躍をやっかみ、中傷するゼルナーも多かった。
サクラ2号はこの事実が悔しくて堪らなかった。 自分が馬鹿にされるのは構わない。 ただ、命を懸けて仲間を守り抜き、信念を貫いて死んでいった姉が自分と同じように馬鹿にされる事に耐えられなかった。
「確かに私はライコウ達とは違う。 マルアハの動きに付いていく事が出来ず、まるで刃が立たなかった。 後方で支援するにしてもただ物資を運ぶだけしか出来ず、ヤツ等に馬鹿にされるのも仕方無い。
……でも……
でも、お姉ちゃんは前線で勇敢に戦った! 臆病者の私なんかとは違って! お姉ちゃんは命を懸けて仲間を守り抜いた!」
ハギト、フルとの戦いで満足な活躍が出来なかったサクラ2号は、今度こそ姉『アカネ』の名誉を回復しようと前線でベトールと戦う決意をしたのであった。
「この戦いはお姉ちゃんの為の戦い。 お姉ちゃんを馬鹿にしたヤツ等を見返してやるために、私は全力で戦って必ずベトールを倒す。
その為にはジスペケが邪魔なのよ」
サクラ2号はライコウにそう言った。 デバイスの画面に移る悲愴な顔をした女性の姿。 これはサクラ2号が心の中でイメージしている人型となった自分の姿であった。
「……違うな」
ライコウは真っ直ぐに画面に映るサクラ2号の顔を見つめた。 彼女はライコウの言葉に目を見開いた。 そして、自分の言葉を否定したライコウに怒りを見せた。
「はっ!? ふざけんな!! 何が違うって言うのよ!!」
サクラ2号の言葉に偽りはなかった。 彼女は姉の名誉を回復する為に自分が前線に立ってベトールを倒すべく、苦難を乗り越えて戦闘機へと変貌を遂げたのである。
しかし、ライコウはそんなサクラ2号の決意を否定した。 当然、サクラ2号は自分の信念をライコウに否定され激怒した。 ところが、ライコウは彼女が戦闘機へ変わった動機を否定した訳ではなかった。
「サクラ、君はまだ俺に嘘をついている。 本当はジスペケと離れたくないんじゃないのかい?」
「――!?」
サクラ2号は言葉に詰まった。 彼女はライコウの顔から目を逸らした。
サクラ2号は下を向いたまま黙りこくっている。 彼女はライコウの問いに答えることが出来なかった。
「サクラ、君がいくら戦闘機へ姿を変えたところで、君の力ではベトールを倒すことは出来ない。
だから、君がいくら『姉さんの名誉を回復させる』と意気込んだところで、その命をただ犠牲にするだけだ。
そんな事、君自身も分かっているはずだろう?」
ライコウの非情な言葉にサクラ2号は下を向いたまま沈黙している。 ライコウは悄然とした彼女を見ながら言葉を続けた。
ライコウは彼女の言葉が“虚勢”だと分かっていた。 本当はジスペケと別れる事が誰よりも辛かったに違いないと確信していた。
ライコウに嘘指摘されたサクラ2号は、ジスペケに別れを告げた理由を赤裸々に語り出した。
「……本当は……本当は私以外の背中に乗る事なんて、アイツが出来ない事は分かっている。 でも、ジスペケにはこの戦いに参加して欲しく無いの。
……アイツには生きていて欲しいの。 生きていればきっと別のバイクと良い出会いがあるはずよ。 その時は私なんて忘れて新たな道を進んで欲しい」
画面上に映る涙を流す女性の姿。
サクラ2号は他者とのコミュニケーションを円滑にする目的で、人型の映像を用いて会話する機能をウサギに実装してもらった。 もし、サクラ2号がバイク型器械のままでライトを青色に点滅させて感情を表現するだけなら、彼女がそこまで思い詰めているとライコウも思わなかっただろう。 バイク型であった時よりも多様な感情を表現出来るようになった事はサクラ2号にとっても、仲間にとっても良かったのかも知れない。
だが、一方で不都合な面もあった。 人型の映像を利用する事で隠したい感情を隠すことが出来なくなるという弊害が生まれた。 サクラ2号はこの美しい女性の姿が自分のココロを映し出す鏡である事をすっかり忘れていたのである。
サクラ2号は迂闊であった。 器械は涙を流す事が出来ないが、ココロの中では涙する。 隠したかった本音が涙となって女性の頬を伝っていた事をサクラ2号は気付かなかったのである。
サクラ2号は黙っていた。 ライコウも彼女をこれ以上責めなかった。 サクラ2号がジスペケに対してどう思っているのかは、目の前に映る涙目の女性の姿で良く分かったからだ。 後はサクラ2号がジスペケに対して正直に自分の気持ちを打ち明ければ良いと考えたのである。
「君の思いは分かった。 ただ――
――!?」
ライコウがサクラ2号に対して何か告げようとした時、格納庫へ誰か入って来た。
ライコウが慌てて後ろを振り向くと、強張った顔のウサギが重そうな足取りで近づいて来る姿が見えた。
ウサギはライコウの表情が柔らかくなっている事に内心ホッとしたようで、いつものように威勢の良い声を投げつけた。
「おう、ライコウ! もう、アニマも移植しちまったからバイク型には戻せねぇぞ! お前がいくら文句を言っても無駄だ! とっとと帰りやがれ、このスットコドッコイ」
喧嘩の仲裁に来たにしては、火に油を注ぐように口ぶりのウサギ。 ライコウはそんなウサギの威勢に唖然とし「別に文句など言ってはおらん」とウサギを拍子抜けさせた。
「はぁ? だって、オメエが激怒してるからってサクラが……」
ウサギは豆鉄砲を喰った鳩のようにキョトンとしている。
「私はそんな事言ってないわよ! ラキアが勝手にそう言っただけでしょ!」
「なっ……!? 何がどうなってやがるんだ!?」
ウサギは困惑した。 何故ラキアがそんなウソを付くのか、ウサギには分からなかった。
サクラ2号が『ライコウが格納庫へ来る』事をラキアに告げたことは事実である。 しかし、彼女はウサギに仲裁を求めるような話はしなかった。 別にライコウが激怒しようが、彼女にとって『恐るるに足らず』ことだからである。
「そんな事より丁度良かった! アンタが付けたデバイスの調子が悪いのよ!
アンタ、もしかして“バッタモン”付けたんじゃないでしょうね?」
サクラ2号はゼルナーでもないのにデバイスを装備していた。 そのデバイスはウサギが取り付けたものであったが、どうも調子が悪いらしい。
だが、ウサギはサクラ2号の主張に猛然と反論した。 サクラ2号に取り付けたデバイスは稼働時間の少ない希少な中古であり『バッタモンでは無い』と主張した。
「そこまで言うなら調べてやらぁ!」
自分が手がけた機械にプライドを持っていたウサギは、サクラ2号の売り言葉に買い言葉で応えて戦闘機が鎮座する部屋の奥へと消えて行った。
「一体何が何だか……」
一人取り残されたライコウは首を傾げながらウサギの家に戻ってきた。 すると、ウサギの家ではラキアとナナが互いに手を握り合い、頬を染めながら談笑している姿があった……。
「あっ、ライコウ! お帰り!」
ライコウが部屋に入るや否や、セムがライコウに駆け寄ってきた。 ライコウはセムの頭を撫でながらラキアとナナの姿を見て、ラキアが何故ウサギにウソを言ったのか分かったような気がした。
(本当はサクラもジスペケと……)
ライコウはラキアとナナの仲睦まじい様子を眺めながら、サクラ2号の悲しい決意に胸を痛めた。
――
地底都市『ハーブリム』から地上を出て東へ向かうと、毒々しいほど鮮やかな湖を北側に見る事が出来る。 湖の奥にある枯れ果てた森は神々しく輝きを放っており、見る者を惑わせる。 かつて多くのゼルナーが『森の中にお宝があるに違い無い』と危険を省みず侵入を試みたが、帰ってくる者はいなかった。
マルアハ『ベトール』はこの“輝く森”を縄張りとしており、侵入者を見つけると瞬時に捕獲し、鉄の一片も残さずに喰う。 ところが、煌びやかな格好をした侵入者は喰わずに自身のコレクションとして森の中で保管する。
黄金色に輝く鎧を身に纏った偉そうなゼルナー。 鏡のような銀色の鎧で意気揚々と地上を闊歩するゼルナー。 そんな不用心なゼルナー達はベトールに発見されると瞬きする間に連れ去られ、彼女のコレクションとなった。
ベトールは翡翠色に輝く特殊な鎧を身に纏った女性の姿をしていた。 龍の頭を象った荘厳な兜で素顔を隠し、腰にレイピアのような細身の剣を佩いている騎士の姿。 紫がかったピンク色の唇に逆三角形の整った輪郭。 唇と同じ色をした肩まで掛った艶のある髪。
もし、ベトールが兜を脱げば目を見張る美貌に息を呑むに違い無い。 それと同時に、きっと腰を抜かして言葉を失うだろう。
彼女の素顔が“世界最強”と言われているゼルナーとそっくりである事に。
さて、一見すると勇壮な竜騎士のようであったベトールであったが、もちろん彼女は竜騎士なんかでは無い。 器械達に仇をなす恐るべきマルアハである。 上半身から視線を下へ移せば、彼女が竜騎士では無い事などすぐに分かった。
思えばマルアハ『フル』も類い希な美貌を持っていた。 ところが、フルはその小さな顔からは想像もつかない熊のような太い両足を持っていた。 氷河を抉る深い爪と鋼鉄を破壊する剛力でゼルナー達を苦しめた。
ベトールはフルのような熊の両足ではなかったが、代わりにワシのような強靱な両足を持っていた。 茶色い羽で覆われた逞しい二本の足は金属を容易に切り裂く恐ろしい鉤爪を光らせている。 どんな金属も切り裂く事が出来る鉤爪で捕縛されればショル・アボルだろうが、ゼルナーだろうが誰も逃れる事は出来なかった。
そんな凶悪な両足を持つベトールであったが、彼女の本当の恐ろしさはこの両足ではなかった。
空を飛ぶときだけ背中から飛び出す極彩色の天使の翼。 羽が舞う度に周囲を七色に煌めかせる幻想的な翼こそ、彼女がマルアハの中で最も恐れられている“武器”であったのだ。
――
ある日、ベトールが“虹の翼”を羽ばたかせながら空を警戒していたところ、地上に眩しく光る物体が落ちている事に気が付いた。
「何だ……? “ポンコツ共”にしては少し小さい気がするが……」
地上に出ているゼルナー達は殆どが大人型のゼルナーである。 子供型のゼルナーが地上へ出ている事など滅多にない。 ましてや地上で光るその物体は子供型ゼルナーよりもさらに小さかった。
ベトールは初め『ショル・アボルではないか?』と疑った。 だが、全身が光り輝いているショル・アボルなど見た事がない。 ショル・アボルは元々人間が戦争の為に開発した生物兵器である。 闇に紛れて大量の人間を虐殺する為に開発された兵器がピカピカ光っているはずもなかった。
「取りあえず、持って帰るか……」
何故そんな発想になるのか分からないが、キラキラ光る珍しいモノは反射的に持って帰ってしまう習性があるのだろう……。 上空に立ち止まっていたベトールは“電子の翼”を小さく畳むと、地上へ向かって隕石のように急降下した。
カミナリのような速さで地上へ降り立ったベトール。 そのエネルギーは尋常ではないはずで、地上は隕石が墜ちた時のように大爆発を起こすものと思われた。
ところが、ベトールが地上に降りると彼女の周りに『フワッ』とつむじ風が舞っただけで何も起きなかった。 彼女はまるで空中を漂いながら地上へ落ちた羽毛のように軽やかな足取りで地上へ降りて来たのである。
「こ……これは……!?」
ベトールは光り輝く物体を見るや否や、言葉を失った。 空からでは視認できなかった物体が、地上へ降りるとはっきりとした造形を曝け出していた。
ベトールはその小さな物体に目を疑い、驚愕した。
「こ、“小熊ちゃん”だと……?」
それは、水晶のような素材で造られた小熊の置物であった。
「な……なんと言う事だ! ポーラ型のショル・アボルすら地上では全滅し、見る事が出来なかったというのに!」
ベトールは小熊の置物を見つめながらワナワナと身震いした。 怯えているのではない。 緊張している訳ではない。 怒りに身を震わしている訳でもない。
「ああっ! 夢じゃ無いかしら♪」
ベトールは喜びに身を震わせて、透明な小熊に飛びかかった。
「キャァ♡ クマちゃん、クマちゃん! 好き好き、大好き♡」
先ほどまでの冷然と様子とは打って変わって、喜々として小熊の置物を抱きしめるタカ足の乙女。 どうやら、彼女は小熊が好きであるようだ……。
磨き抜かれた水晶の小熊は、太陽の光を反射して燦然と輝きを放っていた。 一体、何故荒れ果てた大地に小熊の置物などが放置されているのか? そもそも、そんな物が長年放置されていれば、上空を常に飛行しているベトールであればもっと早く気が付いていたはずである。
つまり、クリスタルの小熊が何者かによってこの場所へ意図的に置かれたものである事は明白であった。 しかも、つい最近に。
荒涼とした地に無造作に置かれていた小熊。 それは誰が見ても眉を顰める怪しげなオブジェであった。 ショル・アボルですら警戒して近づこうとはしない。 もしかしたら、ゼルナー達が仕掛けた爆発物かもしれないからだ。
ところがベトールは小熊の愛くるしさに心を奪われたのか、そんな危険物を何の警戒もせずに両手で抱きしめたのである。
幸い、水晶の小熊はベトールの手に抱かれても爆発する事はなかった。 どうやら、ゼルナー達が仕込んだ爆弾ではなさそうだ。 とはいえ、慎重な者であればますますこの物体が置かれた意図を不審に思うはずである。 爆発物でなくとも怪しげな物である事には変わらないからである。
ベトールはマルアハの中でも聡明な女性であった。 個性的な妹達は大概自分勝手な行動を取る。 長女でも手を焼く妹達を統率する役目を担っていたのが次女のベトールであった。
しかし、ベトールは何故かこの小熊に対して何の不審感も抱かなかった。 七色の輝きがベトールの判断力を鈍らせたのか、彼女はひとしきり小熊を愛でると、満面の笑みを浮かべながら縄張りへ持って帰ってしまったのであった。
――その夜――
ベトールは枯れ果てた森の中で眠っていた。
水晶の小熊を抱きながら満足げに寝息を立てている様子は、姿だけ見れば美しい乙女と変わらない。 そして、兜を脱いだ顔立ちはやはりマザー直属のゼルナーとそっくりであった。
ベトールは夢を見ていた。 胸に抱く小熊の置物と似ている愛くるしい妹の夢を――。
『姉さん、イナ・フォグの状態はどうだい?』
ベトールの目の前に、灰色の髪で片目を隠すクマ耳の少女が立っていた。 ベトールに向かって「姉さん」と呼んでいる事から、彼女はベトールの“妹”なのだろう。
夢の中のベトールは少女の問いに『もう少しかかりそうだ……』と溜息交じりに答えると、後ろを振り向いた。
ベトールが後ろを振り向くと、木製の大きな扉が視界に映った。 まるで鳥居のように太い朱色の柱が両端についている立派な扉。 中央には重々しい閂が付いており、物々しい太い鎖が何重にも巻かれている。
扉にはお札のような紙も貼られていた。 その様子から扉の奥に“忌わしい何か”を閉じ込めている事が容易に想像出来た。
『だが、大丈夫だ。 イナ・フォグの身体を浸食していた“混沌”はイン・ケイオスが取り込んだ。 したがって、ヤツは“イェネ・ヴェルト”から出る事は出来ないはず。 時間が経てばイナ・フォグも元気になるはずだ』
ベトールは妹を元気づけるためにそう言った。 だが、彼女は内心不安だった。
(混沌だけじゃない。 イナ・フォグに心の中にある絶望を掬ってやらなければ、再びヤツはやって来る……)
ベトールはジッと扉を見つめていた。 クマ耳の少女はそんな彼女の様子に悲しげな眼差しを向けている。 姉と同じく、彼女も不安であったのだ。
『何だか最近不安になるよ。 僕達がいずれ離れ離れになって行く気がして……』
クマ耳の少女の心配そうな声にベトールは再び振り返ると、少女へ歩み寄った。
『フリーズ・アウト、心配するな。 イナ・フォグは必ず元気になる。
イン・ケイオスが“ダカツ”を必ず“イェネ・ヴェルト”へ追放してくれるさ。
したがって、我等姉妹が離れ離れになる事など無い。 我はお前達の傍から離れる事は無い。 安心しろ』
ベトールはそう言ってフリーズ・アウトを励ますと、彼女をその身に引き寄せた。
(我は忘れるものか……。 可愛い妹達は我が必ず守り抜く)
――小熊を抱きしめながらベトールは目を覚ました。 どうやら夢を見ていたようだが、夢の内容は覚えていなかった。 ただ、何故だか心に中に微かな温もりが残っているように思えた。
「フリーズ・アウト……。 何故、ヤツの名など夢に出てくるのか?」
ベトールには過去の記憶が無かった。 もはや『姉妹が居た』という事実すら忘れてしまっていたのである。
ただ、フルやハギトと違い『自分と同じ存在』が居る事だけは記憶に残っていた。
ハギト、フル、ファレグ、オフィエル……そして、もう一人のマルアハ。
彼女達が自分の姉妹である事は忘れてしまっていたが、“同族”である事だけは記憶にあった。
ベトールが特に仲の良かった姉妹はマルアハ『フル』――リリム=フリーズ・アウト――であった。
三女であったフルは長女よりも次女のベトールを慕っており、ベトールもまた他の妹達よりもフルを可愛がった。 そんな愛する妹でさえ、今となってはただ自分と特徴が似ているだけの敵となってしまったのである。
ベトールはハギト、アラトロン、オフィエルと度々戦った。 だが、フルだけとは戦おうとしなかった。 クマの特徴を一部持つフルの外見を見ると、何故か攻撃する事を躊躇ってしまうから。 一方のフルは困惑しているベトールなどお構いなく、ベトールを発見するや否や猛烈な攻撃を仕掛けて来た。
こうして、ベトールは次第にフルを敬遠するようになった。 何故、フルを攻撃する事に気が引けるのか自分でも良く分からなかったが、なるべくフルに近づかないようにした。
ただ、フルと距離を置くようになってから何だか急に寂しくなる時があった。 そんな時はポーラ型のショル・アボルを抱いて寂しさを紛らわした。 しかし、そのショル・アボルも数十年前に壊れてしまった。
そんな中、荒涼とした大地に突如として現れたクリスタルの小熊。 ベトールは小熊の可愛らしい姿にかつて愛した者の面影を見た。 それは冷たい水の中から見える水面の暖かい光のようであった。
ベトールはその光に誘われて、何の警戒もせずに小熊の置物を縄張りへ持って帰ってしまったのである。
この小熊が囮であるとも気が付かずに。
――
「ふぅ……。 さすがにこれだけの人数を異空間へ送り込むのは疲れるわ」
紫煙に包まれたイナ・フォグは、岩の影からベトールの様子を窺っていた。 ベトールは嬉しそうに小熊の置物を抱きかかえながらフワリと空に舞い上がり、光の速さで“輝く森”へと帰っていった。
イナ・フォグはそんなベトールの様子をジッと見守っていた。 ……哀しげな瞳を称えながら。
イナ・フォグはすでに記憶が戻っていた。 ベトールが妹達の中でフルを最も愛していた事を知っていた。 イナ・フォグはフルに似た小熊の人形でベトールを誘い、小熊を縄張りに持って帰らせるように仕向けたのである。
「ライコウ様の部隊を異空間へ転移させ、異空間への“ゲート”を小熊の置物に変化させる。 その“ゲート”をベトールの縄張りへ持ち帰らせ、ワガハイ達がベトールに攻撃を仕掛けると同時に“ゲート”を開放し、前後からベトールを挟撃するという戦略……うーん……」
イナ・フォグの隣には透明な身体に変化したラヴィが腕を組んで唸っていた。 彼女はイナ・フォグが考えついた作戦を実行に移しながらも、その作戦に不安を持っていた。
イナ・フォグはそんなラヴィの心配をよそに「別に挟み撃ちをする為の作戦ではないわ」とラヴィの言葉を否定した。
「――? 汝はベトールを“輝く森”に閉じ込めようとしているのではないのか?」
ラヴィは目を丸くした。 彼女は“輝く森”にいるベトールに攻撃を仕掛けてベトールの意識を前方の敵へと向けさせた後、不意に背後から奇襲をしてベトールを“輝く森”に釘付けにしようという作戦をイメージしていたのである。
「違うわ。 彼等は奇襲部隊ではない。 むしろ、主力部隊よ」
イナ・フォグはそう言ってラヴィの予想を否定すると、ラヴィに作戦の内容を伝え始めた――。
「……成る程」
ラヴィはイナ・フォグから作戦の詳細を聞くと、ようやく合点がいったようだ。
「ハーブリムのゼルナー達がすでに滝の壁面に穴を掘り始めている。 準備には少し時間がかかりそうだけど、ヤツの電磁波を防ぐ最も重要な作戦だから妥協は出来ない。
ヤツを滝の中へ引き摺り込めば、あの忌まわしい翼を奪うことが出来る。
その後、“輝く森”で待機していたライコウ達が一気呵成に攻撃をする。 ライコウが『ヨリミツ』の力を呼び出せば、ベトールを破壊する事が出来るはず。 彼がこの戦いのキーマンなの」
イナ・フォグの解説にラヴィは哀しげな顔を浮かばせた。
「……ウソを付くな。 ライコウ様を異空間に待機させたのはライコウ様の力を期待した訳じゃないだろう。
ベトールを滝に呼び寄せるゼルナー達は皆全滅する。 ヤツの電磁波によって。
ライコウ様にそんな危険な役を任せたくなかっただけだろう?」
ラヴィの指摘は図星であった。 イナ・フォグがどんな方法でベトールを滝におびき寄せるのか分からないが、その過程でイナ・フォグと共にベトールと戦うゼルナーは一人残らず翼から放たれる電磁波によって破壊されるだろう。
「そうね……。 アナタの言う通りだわ、ラヴィニア」
イナ・フォグはラヴィの指摘を素直に認めた。 今までラヴィの事を『アル』と呼んでいたイナ・フォグはこの時初めて彼女の事を『ラヴィニア』と呼んだ。
しかし、ラヴィはイナ・フォグの発言に驚く事はなかった。 ラヴィはイナ・フォグの変化に気が付いていたからである。
「……汝はその“呪われた運命”に抗おうというのか? 皆を犠牲にしてでも」
ラヴィは皮肉を言った訳ではなかった。 ベトールを破壊する事は器械達の悲願である。 その悲願の為にその身を犠牲にする事は、器械達にとってこの上無い喜びである。
だが、イナ・フォグは器械達の為にベトールを破壊するのではない。
彼女は自分の為にベトールを破壊するのだ。 自分の幸福の為に。 自分が憧れた夢を実現する為に器械達を犠牲にするのである。
その意味でイナ・フォグは利己的であった。 しかし、利己的な彼女が夢を実現させる事こそ、この先器械を存続させる唯一方法なのである。
ラヴィはその残酷な現実を知っていた。 だからこそ、イナ・フォグに残酷な現実に立ち向かう覚悟を聞いたのであった。
「……そう。 ワタシはアナタ達を犠牲にしてでもこの身体に巣くう“ダカツ”を消滅させる。 かつて“ダカツ”と戦い、その魂を“アル・アジフ”へと置いていったアナタの力を借りてね」
イナ・フォグの決意は揺るがなかった。 彼女は自分の身体に巣くう“忌まわしい魔女”を消滅させる事こそ、この星を救うことが出来ると確信していた。
そして、ラヴィもまたその彼女の思いを否定する事は無かった。
「うむ……。 ワガハイはその為に“転生”を繰り返してきたのだ。 時にはショル・アボルとなり、時には器械となってな。
……だが、それも限界なのだ。 もう“アル・アジフ”が耐えられないのだ。 今の世代こそ――汝が記憶を取り戻し、ライコウ様が存在する今こそが“ダカツ”を消滅させることができる最後のチャンスなのだ。
このチャンスを逃す訳には行かないのだ。 死んでいった人間達の為――仲間の為にも。
だから、ワガハイも汝と同じく、皆を犠牲にする咎を負おう」
――この“夢見る星”を護る為――
――
イナ・フォグとラヴィがハーブリムへ戻って来ると、ハーブリムの広場で大規模な集会が行なわれていた。
大勢の民衆が見守り中、中心の壇上には立派な黒い鎧を身に纏った大柄のゼルナー『リクイ』の姿があった。
彼は多くのゼルナーを背後に従えて、民衆へ何か訴えていた。
「良いか、お前ら! この戦いはあの憎きマルアハから我々の星を取り戻す為の聖戦なのだ!
今まで多くのゼルナーがヤツ等の恐るべき力の前に犠牲となった。 一瞬で身体を切り裂かれ、粉々にされた仲間達を俺達は弔うことすら出来なかった。
100年以上の間、マルアハの犠牲となったゼルナー達の数は数千万を超えるだろう。 我々は地上を蔓延るヤツらの影に怯えながら細々と地底での暮らしを余儀なくされた。
今やゼルナー達の数は数万体を数えるのみ。 器械達の生活は日に日に苦しくなるばかりだ。
それも全て地上を支配しているマルアハのせいである。 我々はマルアハを討伐しなければ未来はないのである」
リクイの周りに集まった民衆は「何をいまさら……」と言わんばかりの呆れた様子でリクイ達ゼルナーを見つめている。 時々まばらな拍手は起こるが、大々的に集会を行なうと喧伝したにもかかわらず、大した事を言わないゼルナー達に嫌気がさしていたようだった。
ところが、リクイの演説が熱を帯びてきた後、彼の言葉から出る自己犠牲の決意が民衆の心を動かした。
「――我々はこれから始まるベトールとの戦いに参加する!
ここに集結したゼルナー達はハーブリムの未来の為、器械達の繁栄の為に先陣を切ってベトールと戦うのだ!」
イナ・フォグの戦略は全世界のゼルナー達に通達されていた。 ハーブリムの西に位置する大きな滝へとベトールを誘導し、彼女を滝の底へと引き摺り込む戦略を。
その為の囮部隊がここにいるリクイ率いるゼルナー達の一団であったのだ。
ハーブリムの民衆はリクイの決意に困惑した。 ここにいる全てのゼルナー達が自分達の為に死んでいくと知り、お互い顔を見合わせながら言葉を失っていた。
「我々はここにいるハーブリムの市民の為に喜んで死を受け入れよう! この集会は我々の決意と皆への別れの挨拶である!
――しかし、情けは無用だ! 憐れみを垂れる必要は無い!
我々は未来の為に散って行く。 ハーブリムを愛し、仲間達を愛する我々の勇姿をどうか見届けて貰いたい!」
リクイの訴えは民衆の心を打った。 彼の口から出る力強い言葉。 背後に並ぶゼルナー達に滲み出る決意の姿勢。 それは決して虚飾でもなく、虚勢でもない。 ハーブリムを護る為に死を覚悟した紛れも無い戦士達の勇姿であった。
「うぉぉ! ハーブリム万歳!!」
感極まった民衆の雄叫びが都市全体へ響き渡る。 その叫びにマザーに対する賞賛の言葉はない。 皆、この都市を護る為に命を懸けようとしているハーブリムのゼルナー達を賞賛し、喝采を浴びせた。
その“異様な光景”をマザーが見たとき、彼女はどう思うのであろうか?
器械達の自立した姿に目を細め、喜びの涙を流すのであろうか? それとも、器械達の反乱を懸念し、粛正しようとするだろうか?
マザーは当然リクイによる演説を聞いていた。 その演説に対する民衆の反応を目の当たりにして、彼女は安心していたのであった。
『ふぅ……。 あの子達は私の予定通りに動いていますわ』
マザーは器械達に自立心が芽生え、自分から離れていく事などとうに予測していたのである。 かつて、何度器械達を修正しようとしたのか分からない。 言う事を聞かない都市を滅ぼした事もある。 それでも、自我を持った器械達は自分の下から離れていった。
そんな経験からマザーは新たに創造した器械達に対して強要する事を止めた。 自分から離れていく器械達とそうでない器械達を“聖別”する事に決めたのである。
フルを討伐した後、世界中の器械達が急速にマザーから離れていくように思われた。 この不可思議な現象はイナ・フォグの記憶が蘇った事が影響していた。 その事実をマザーは気付いていなかった。
遅かれ早かれ一部の器械達はマザーから離れていく。 それはマザーも承知していたのだが、まさか殆どの器械が自分から離れてきつつある事などその時のマザーは全く想像していなかった。
つまり、器械達はマザーの予定通りになど動いていなかったのである。
器械達のココロの変化がイナ・フォグの影響であるとマザーが気付いた時、彼女はどうするのであろうか? もちろん、彼女は器械達を“リセット”するに違いない。 かつて、一都市を滅ぼした時のように。
しかし、今はまだ気付いていなかった。 死に行く運命にあるゼルナー達を目の前にして『仲間達の未来の為に』と一致団結した器械達の底力を。 所詮は自分が創り上げた“モノ”に過ぎないという慢心が仇になる事を気付かずに、ゼルナー達にエールを送る民衆の様子を温かく見守っていたのであった。




