裏切り者達
女神像があった場所には未だに重油が広範囲にバラ撒かれていた。 ファルシュテルは黒光りして異臭を放つその液体に眉を顰め、鼻をつまんでいた。
(……うーん。 ヤツのあの不快そうな様子を見ると、やはりヤツが重油をバラ撒いた訳ではなさそうなのだ)
ラヴィは「オフィエルの眷属だ」と主張するファルシュテルが重油を撒いたのだと疑っていた。
『オフィエルは液体から液体へ瞬時に移動する事が出来る』
ラヴィはマザーからそんなオフィエルの能力を聞かされていたので、オフィエルの眷属だと自称するファルシュテルが、重油を移動手段として撒いたのだろうと思い込んでいた。
ところが、ファルシュテルの重油を見る様子は明らかに不快の表情を浮かべていた。 自分で重油を撒いておきながら、芝居でも難しいような露骨な嫌悪感を持った顔を見せるという事は考えられない。
したがって、ラヴィは「重油を撒いた事を否定していたファルシュテルの発言はウソではない」と考え直した。
すると、ラヴィの頭に三つの疑問が湧いて来た。
『ファルシュテルは本当にオフィエルの眷属なのか?』
『重油を撒いた者は誰なのか?』
『ファルシュテルは重油を移動手段とする事が出来るのか?』
まず、第一の疑問について、ファルシュテルがオフィエルの眷属なのかどうかは今のラヴィでは判断がつかなかった。 ただ、器械では無い事は間違いなく、もちろん人間でも無い事から「恐らくそうなのだろう……」とみなして自己解決を図るしかなかった。
そして、第二の疑問については……正直全く分からなかった。 当初、ラヴィはアザリアの仕業だと思っていたのだが、アザリアがこの場所に重油を撒く理由が分からない限りはアザリアだとみなす事も出来なかった。
だが、もしアザリアでなかったとしてもファルシュテルではないことは間違いなかった。 そして、ファルシュテルの重油に対する反応から「彼女が重油を移動手段として利用する事は出来ないはずだ」と第三の疑問は解決する事が出来た。
(ワガハイの考え違いだったのだ……。 オフィエルの眷属は液体内を自由に移動する事が出来ると言っても、水のように比重が高い液体しか移動出来ないのだ。
……考えてみれば、マザーの話ではオフィエルは自分の身体を『水のように液状化出来る』と言っていたのだ。 だから、水から水へ自由に移動する事ができる。 ところが、比重が低い油ではいくら液体だからと言っても移動出来ない。 油で弾かれてしまうから。
つまり、重油がこの付近にバラ撒かれていた理由は、オフィエル、もしくはオフィエルの眷属が地中へ侵入する事を阻止する為だったのだ)
オフィエルは水さえ有れば何処へでも瞬間移動出来る。 水は何も水溜まりで無くても良い。 彼女は降り注ぐ雨に身を隠すことができ、その雨が染みこんだ地中にも入り込む事が出来た。
だが、重油を染みこませた土であれば、オフィエルは地中を移動する事が出来ない。 液状化したオフィエルを油が弾き、さながら防壁の役目を果たすからだ。
ラヴィの予想が当たっていれば、オフィエルの侵入を阻止しなければならない何か重要な物が地中に埋設されているはずだ。 もしかしたら、マザーやオフィエルが探している“ラッパ”と呼ばれる物なのかも知れない……。
だが、地上からでは地中に何が埋まっているのか調べる事が出来なかった。
(うーん……。 デバイスでもこの場所だけは地下の様子を確認する事が出来ないのだ。
デバイスの透過機能は世界中の殆どの素材を透過する事が出来るはず。 地中にデバイスが設置されていない限りは……)
デバイスを持つ者同士であれば、相手が使用したデバイスの透過機能を妨害する事が出来る。 それは考えてみれば当たり前の機能であり、悪意を持った器械が透過機能を悪用して相手器械のプライバシーを盗み見る事を避ける為であった。
(一体、地中に何があるのだ……? デバイスが稼働しているとなると、器械か?
だが、器械であればそのまま地中に埋設されているとは考え辛いのだ。 器械自体が稼働していなければ、デバイスは機能しないから。
すると、地中に部屋のような構造物があり、その中に稼働中の器械がいるとか……?)
もし、この場所の地下に器械がいる『ヒミツの部屋』があるとすれば、その部屋は地上から10メートル以上離れた地下に造るはずだ。 というのも、この近辺には壮大な建築物が建っていた跡地であり、未だに多くの杭が抜かれずに地中に残っていたからである。 杭の長さはおよそ4、5メートルほどであり、地下を造るとなると杭の下である事は間違いない。
(デバイスの検査によると50メートル下が硬質地盤になっているのだ。 すると、その硬質地盤まで掘削して分厚いコンクリ等で構造物を造り、その上に杭を打って地上に建物を建てたと思われるのだ。
むぅ……。 そうすると、かなり大規模な地下構造物であると思われるのだ)
ラヴィは地下に厚さ10メートルを超える堅固な素材で造られた広大な部屋があるのではないかと予測した。 そして、その中に稼働中の器械が存在し、デバイスの透過機能を無効にしている……。
さらに、その部屋と器械の存在を知っている“何者”かが、オフィエルの侵入を防ぐ目的で地中に重油を染みこませた。
その“何者”かの正体を、ラヴィはアザリアだと予想した。 ……というか、アザリア以外には考えられなかったからである。
(うーん……。 これ以上、考え込んでいても仕方無いのだ。 とにかく、重油が撒かれている理由はこれで分かったし、ファルシュテルが重油を移動手段として利用出来ない事は分かったのだ)
ラヴィは取りあえず「重油を撒いた者はたぶんアザリアだろう」と第二の疑問を棚上げした。 そして、地中に埋設されている物体の謎を解く為、次の作業に取りかかったのであった。
――
『クラルス……。 汝は運命というのを信じているか?』
ユラユラと海面を漂うクラゲのような物体は、誰かの声を頭に思い浮かべた。
『運命……? いえ、私は……。 そう……。 信じているかも知れない。 何故、私が“月の子”として生まれてきたのか……。
生まれてきた事が運命だと言われれば……
……諦めが付くかもしれないから……』
「……」
「……あれ? 私は今、何を考えていたのかしら?」
クラゲのような透明の物体から女性の声が響く。 すると、物体は徐々に色を成し、人の姿へ変わって行った。
その姿は月光のように青白い肌をした金髪の女性であった。
一糸纏わぬ姿で海面を漂う金髪の女性。 彼女は目を閉じたままライコウ達がいた港町の方へ流されていた。
「ふぅ……。 ファレグ様ってば、何で私にこんな面倒な事をさせるのかしら……。 本当に彼女は”月の欠片”を取り戻してくれるのかしら……。
どうせ、取り戻せやしないんじゃ……うぅ……」
弱気な独り言を呟きながらユラユラ港へ近づいていく女性。 彼女はどうやらファレグに何かを頼まれて古代遺跡に上陸しようとしているようだ。
「――はっ!? この気配は――!」
ところが、女性は突然驚いた様子で声を上げると、なんと海の上で起き上がった!
「ええぇっ!? な、何で“あの方”が……?」
女性は目を瞑ったまま海の上に立ち上がり、廃墟となった港町の方へ顔を向けた。 目を開く様子が無いことから、どうやら彼女は盲目であるようだ。 しかし、顔を少し上げて崖の向こうに視線を移す仕草から、目は閉じていても景色は認識出来ていると思われる。
海上に吹く風は吹雪のように冷たく、艶やかなお尻まで掛っている金色の長い髪は激しく振り乱されている。 しかし、女性は特に寒がる様子も無く、崖の上の向こうに視線を向けて何かを確認していた。
「い、いけない……。 ファレグ様に伝えないと――!」
どうやら崖の上の遺跡では、女性が想像もしていなかった事態が起こっているようだった。 彼女は慌てた様子で今把握した現状をファレグに伝えようと、踵を返して港から離れようとした。
「――あっ、そうだった!」
ところが、女性は何かに気が付いたように足を止めると、急に海上でバタバタと足を踏み鳴らした。 すると、足下から波紋が広がり、波紋から噴水のように海水が吹き上がった。
女性を中心として空高く吹き上がった円状の海水は、瞬く間に女性の姿をすっぽりと覆い隠した。
「そう、そう……うっかりしてたわ。 服を着ないと恥ずかしくってファレグ様に会えないじゃない」
空へ吹き上がった海水は『ビシャ、ビシャ』と海上へ驟雨のように落ちて来て、辺り一帯を水しぶきで覆った。 女性の姿は飛沫が邪魔して見ることが出来ない。
……しばらくすると吹き上がっていた海水が止み、徐々に女性の姿が露わになった。
水しぶきの中から再び現れた女性は、まるで別人のような姿に変わっていた。
水のように揺らめく青いドレスを身に纏った姿はまるで妖精のようであり、金色の長い髪は二本の三つ編みに纏まって、肩から前に垂らしている。
眼を閉じたままの女性は上唇の少し厚い口を『キュッ』と真一文字に閉じると、丘の上に建つ灯台の方へ顔を向けた。
(オフィエル様が動き出したわ! このままじゃ“お墓”が――)
女性はそうココロの中で叫ぶと、波も立てずに海上を滑るように走り出した。
――
女神像が建っていた台座の上に、ファルシュテルとライコウが佇んでいた。
ライコウは兜を脱いでおり、浅黒い肌に青い目をした素顔を曝け出して、首から提げていたコヨミの形見を悲しそうに見つめていた。
「ライコウ様、ファルシュテルの瞳と同じ位置でコヨミの瞳をかざして欲しいのだ……」
ライコウの気持ちを慮り、ラヴィが遠慮がちに声を掛ける。 すると、ライコウは「ああ……」と一言返事をすると、少し顔を上げているファルシュテルの瞳と同じ位置にコヨミの瞳を掲げた。
『おーい、キノ! 反射板の位置はどうなのだ?』
キノは小型の赤いロボットに担がれて灯台の目の前を飛行し、巨大な反射板の前で反射板の角度を調整していた。
赤いロボットの中にはセムが入っていた。 セムは足の裏からジェット機のように炎を噴射させながら、その場でホバリングしている。
「うーん……キノ、少し太った? 重いよ……」
「ええっ、マジで!? これでもお姉ちゃんは少し痩せたんだからね!」
セムがキノの体重が増えた事を指摘すると、キノは顔を赤くして否定した。 そして、少し不機嫌そうに頬を膨らませたまま、反射板を少しだけ上向きにセッティングすると、デバイスのフィールドを目の前に展開させた。
「おし! まぁ、こんなモンだろ!」
キノはデバイスで反射板の角度を測定すると満足そうに頷いて、デバイスのカメラに写るラヴィに向ってO.K.サインを出した。
『よし、それじゃ早く下に降りるのだ! 高所を飛行し続けるとベトールがやって来るかも知れないのだ』
ラヴィはセムとキノに地上へ降りるように促した。
「……ん!? 何だか、妙な悪寒がするのだ……」
すると、ラヴィは何だか背後にイヤらしい視線を感じ、慌てて後ろを振り向いた。
「……な、汝は一体何をしているのだ?」
ラヴィが後ろを振り向くと、眼鏡を光らせているベースケが「ハァ、ハァ……」と犬のように舌を出してラヴィの身体を凝視していた。
「アルちゃん♡ いつの間に“黒”にしたの? 昨日まで“ピンク”だったのに……」
「――なっ!? な、汝はまさか――!?」
ベースケの謎の言葉にラヴィは一気に顔を赤らめると、何故か両手で胸を隠して蹲った。
「……な、汝、ワガハイの“下着”を透視したな!」
……そう、ベースケの牛乳瓶の底のような眼鏡は、なんとも破廉恥な“透視機能”が内蔵されていたのだ。 そして、その眼鏡の映像は彼の悪友であるアルスにも転送されていたのである。
『ヴォイヤリズーム』と呼ばれるベースケのメガネ型透視装置は、透過機能を妨害するデバイスの付加機能を無効にする事が出来る優秀な装置であった。
ラヴィはベースケがそんな如何わしい機械を装備していた事を知っていた。 常に呪術を使ってベースケに透視されないように身体を保護していたはずだったが、下着を替えた時にうっかり呪術を解除したままであったのだ。
「くっ! ちょっと気を抜くと汝等はすぐ……この、ド変態共!!」
怒髪天を衝いて両拳を上げ、慌てて逃げ出したベースケとアルスを追いかけようとするラヴィ。 すると、彼女の様子を見ていたペイル・ライダーがラヴィを止めた。
「ラヴィニア! そんな事している時間は有りません! あと10分で14時になります。 恐らく、14時になると台座から電流が流れるはずです。 そのエネルギーを用いて光を灯台に向けて照射するのです!」
ラヴィはペイル・ライダーの声で立ち止まり、逃げる二人を睨み付けながら仕方無くペイル・ライダーの言う事に従った。
「むぅぅ……汝等、覚えてろ! ……って、それはそうと光を照射して首尾良く海に沈んだ建物に当てた後、一体どうなるのかはワガハイも予想が付かないのだ。 せめて、地下にどんな構造物があるのかが分かれば……」
すると、悩ましげに眼を瞑るラヴィの頭上に『ピコン』と電球が付いた。
「あっ、そうなのだ!」
ラヴィは何かに閃くと、台座に立つファルシュテルの傍まで逃げていたベースケにデバイスで呼びかけた。
『ベースケ、汝の“変態メガネ”で地下に何があるか透視し、至急ワガハイに教えるのだ!』
すると、ベースケはすでに地下に何があるか分かっていたようで、すぐに答えが返ってきた。
『アルちゃん、地下にはコンクリートのような分厚い壁に覆われた”人間達のお墓”があるよ♡』
……ベースケはラヴィの思った通りの返事をした。
しかし、ラヴィはベースケの答えに違和感を覚えた。 その違和感の正体をラヴィはまだ分からなかった。 すると、ベースケは間髪入れずに言葉を続けた。
『”ボニーヤード”は”ハラリート”まで続いているんだ♡』
ベースケはここまで知っておきながら、何故、ラヴィ達にその情報を隠していたのか……。 ラヴィはこの時初めてベースケの発言の不自然な点に気付いた。
「人間の墓? ハラリート? 何故、そんな事を……? 透視で地下に墓石がある事でも知っていたのか? いや、それにしても……まるで……」
ベースケの連れのアルスにしてもそうだ。 彼はベースケと情報を共有しているはずである。 にもかかわらず、何故地下について何も言及しなかったのか?
「ラヴィニア! あと、一分で14時になります!」
ラヴィはベースケの言動に不信感を抱きながらも、ペイル・ライダーの言葉に頷いて、台座にいるライコウとファルシュテルに声を掛けた。
「二人共、準備は良いか?」
ファルシュテルはラヴィの声にコクリと頷いて遠くに見える灯台を見上げた。 ライコウはラヴィの声に『ああ、大丈夫だ……』と少し元気のない声をラヴィのデバイスに響かせると、左手に持ったコヨミの瞳をファルシュテルの視線の位置に合わせて高く掲げた。
「3、2、1……」
――ラヴィがカウントダウンを取った瞬間――
台座が紫色の輝きだした!
そして、凄まじい電流が発生し、ファルシュテルとライコウの身体を紫電の輝きで覆うと、銀色の光が灯台に向って照射された!
――
「――キャッ! 来た、来た、来たぁ♪」
すでに赤いロボットから出ていたセムは、キノにしがみついて灯台に向って来る二つの光に眼を輝かせていた。
「セム、しっかりお姉ちゃんに捕まってて!」
凄まじいエネルギーを内包している銀色の光。 そんな光が灯台に反射すれば、衝撃波に見舞われる危険性があった。 その為、はしゃいでいるセムとは対照的に、キノは緊張した面持ちで反射板へ向って来る銀色の光を見守っていた。
『――ピュン、ピュン――』
二本の銀色の光は円状の反射板に衝突すると、レーザーのような音を出してラヴィの予想通りの角度で反射した。 そして、何事もなかったかのように南西の方角へ向かって行った。
「……爆発でもするかと思ったら、以外とアッサリ跳ね返って行ったな……」
セムを抱きしめながら緊張した面持ちで反射板を見上げていたキノは、拍子抜けしたように目を丸くした。
「うゎぁ、キレイな光♪」
セムはキノに抱かれながら銀色の煌めきにココロを躍らせた。
この時セムは思っていた。
(もう、ママの所には戻りたくない……)
彼女にとってキノと過ごすこの瞬間が、楽しくて堪らなかった。 幸福で仕方無かった。 いつも暗い地下にある赤錆びた鉄壁の部屋で一日を過ごしていたセムにとって、こうしてキノに抱かれながら流星のような美しい光を見ることがどれだけ幸福な事か……。
もし、セムの楽しそうな姿を姉のセンとサンが見ていたのなら、彼女達もきっと目を細めていたに違いない。
二本の光は一直線に海面から顔を出しているピラミッドのような黒光りした建造物へ向って行き、表面に描かれた目のような文様に衝突した。
すると、真っ黒い御影石のような建物がまるで火山が噴火するかのように真っ赤に変色し、周囲の海面がボコボコと泡を立てて沸騰し始めた!
『ゴゴゴゴ……』と地底から地鳴りが響き、大地が大きく揺らぐ! あちらこちらで地割れが起こり、女神像が建っていた台座にも亀裂が入った。
「ラヴィニア、皆を避難させるのです! 早く――!!」
台座に立っていたライコウは慌てて兜を被ると、台座から飛び降りた。 そして、ライコウの背後で狼狽えているラヴィに一瞬で近づくと、彼女を片手で抱え上げ中心から離れた。
ペイル・ライダーは足裏からアフターバナーを放って空を飛び上がり、先ほどまでライコウの隣にいたファルシュテルを探した。 ところが、ファルシュテルはおろか、彼女にくっ付いて回っていたベースケとアルスの姿も忽然と消えていた。
「彼等は一体どこへ――!?」
『おい、地面が盛り上がっている! 爆発するぞ!』
丘の上から女神像のあった中心部の様子を見ていたキノは、大地の異変に気付いてデバイスで皆に声を掛けた。
「キノ、セム達もアッチへ行こう!」
セムはキノをその小さな身体で抱えると『アクセラレータ』を起動させ、一気に丘を駆け降りて中心部へ向かって行った。
一方、キノの掛け声を受けてライコウは空を飛び、ペイル・ライダーと共に下を向いた。 すでに台座は粉々に砕けており、地面は爆発せんとばかりに大きくうねり、隆起している。
「な、何か出てくるぞ!」
隆起した地面が『ボコンッ!』と破裂するように爆発すると、陥没した地面から巨大なモニュメントのような構造物が飛び出して来た。
地響きを掻き鳴らしながら出現した黒光りした斜めの石碑は10メートル程の高さまで伸び上がるとピタッと止まり、それと同時に地鳴りも止んだ。
「な、何だ……あれは?」
巨大な石碑は、表面に先ほど銀色の光を当てた建物と同じ“大きな瞳”が描かれていた。 石碑は目の他に何やらビッシリと文字が刻まれており、その文字は常にボンヤリと青や緑に光っていた。
長方形の一辺を斜めに削った石碑。 この形にライコウは見覚えがあった。 それはバハドゥル・サルダールの地下で見た石碑と酷似していたのである。
(アレはもしかしたら墓標……?)
表面に刻まれている文字は恐らく人間の名前に違いない。 大きな目は何の為に描かれているのかは分からないが、海に沈んでいたピラミッド型の建物と同じ模様であったので、恐らく人間が信仰していた宗教か何かの名残であるとライコウは考えた。
もし、ライコウの予想通り、突如として出現した物体が人類の墓標であるなら、その地下には間違いなく人間達の遺体が埋葬されているはずだ。
(この下に人間達の遺体が……? では、あの灯台の中には何が……?)
灯台は確かに『ボニーヤード』とデバイスで表示されていた。 灯台の中にも墓があるというのか? 地下がどれだけの規模か分からないが、通常共同墓地を造るとなると、一つに集約するはずである。 何故、わざわざ丘の上の灯台と墓地を分ける必要があるのかライコウには分からなかった。
突然出現した石碑を上空で訝しげに眺めていたライコウ。 すると、右手に抱えていたラヴィがファルシュテルの姿が何処にも無い事に気が付いて、声を上げた。
「ライコウ様、ファルシュテルがいないのだ! それに、ベースケとアルスのデバイスにも反応が無い!」
「何だって!?」
ライコウはペイル・ライダーと共に急いで地上へ降りた。 デバイスを起動させ、目の前にフィールドを展開させてベースケとアルスの反応を探る。 すると、南西の海に沈んだビル群の方で二人の反応を捉え、フィールド上に二人の映像を表示させた。
「――なっ!? アイツら一体何やってる!?」
そこにはベースケとアルスが二人仲良くファルシュテルの尻を追っかけて、真っ黒い海へ入ろうとしている姿が映し出されていた。
三人が何をしようとしているのか理解出来ないライコウ達。 しばらくフィールド上の映像を見つめていると、三人は真っ赤になったピラミッドを目指して海へ入って行った。 そして、信じられないことに未だ『ボコ、ボコ』と地獄の釜のように煮え滾る海を平然と潜り、海中へと消えて行ったのである……。
「まっ、まさか……」
ライコウはこの時、嫌な予感がした。 恐らく、ペイル・ライダーとラヴィもライコウと同じ予感がしたに違いない。
「まさか、ファルシュテルは……」
ライコウが言葉に詰まると、ラヴィとペイル・ライダーがライコウの言葉を継いだ。
「ファルシュテルはオフィエルだった!」
――
「ライコウ! もう、調査は終わりです! 逃げましょう!」
ペイル・ライダーはガラスのような頭部の中にある丸い球体を真っ赤に光らせて、ライコウに逃げるよう警告した。
ファルシュテルがマルアハ『オフィエル』であると分かった以上、逃げなければ危険だ。 ラヴィもペイル・ライダーの呼びかけに頷くと、キノとセムにも逃げるようデバイスで伝えた。
ところが、すでに二人はラヴィ達の傍まで戻ってきており、キノはラヴィの呼びかけに対して「アイツらはどうした!?」とベースケとアルスが居ない事をラヴィに問いかけた。
「ベースケとアルスは、オフィエルに洗脳されているのだ! 二人の様子はヤツと出会ってからおかしかったから、間違いないのだ!」
「何ぃ!?」
キノはラヴィの襟首を掴んで怒鳴り声を上げた。
「は、離すのだ! まだ、二人がどういう状況なのか分からないのだ!
助けられるのか、助けられないのか!」
ラヴィはパーカーの襟を掴むキノの手を振りほどき、必死に叫ぶ。 ベースケとアルスはオフィエルに洗脳されていることは間違いないはずだが、二人の洗脳を解くことができるかどうかは今の段階では分からない。
――だが、これだけははっきりしている――
「二人の無事を祈りながら――
――逃げるのだ――!!」
そうラヴィが叫んだ瞬間だった。
『……ゴゴゴゴゴ……』
再び地鳴りが響き渡り、オフィエル達が消えていったピラミッド型の建築物が怪しく光った。
そして、表面に刻まれた眼のような紋章から、凄まじいエネルギーを持った銀色のレーザーが放たれた!
ラヴィとキノ、セムの三人は地中から出現した石碑のすぐ近くにいた。 レーザーは石碑に向ってうなりを上げて一直線に向ってくる!
「こ、これは――!」
(避けられねぇ――!)
キノは思わずセムを抱きしめた。
『この子だけは、私が――!!』
キノは何が起こっているのか分からずに眼を丸くしているセムを見つめると、何故か彼女を『命懸けで護らなければならない』という衝動に駆られた。
ラヴィは空中に不気味な本を浮かばせて呪術を唱えようとしているが、もうレーザーは間近に迫っている。
「――間に合わないのだ――!」
ラヴィがそう諦めかけたその時、彼女の身体がフワッと浮いたかと思うと、ラヴィはいつの間にかライコウの背中に乗っていた。
――サムライの姿に変貌したライコウの背中に――
「つ、月の欠片……」
ラヴィが呟いた瞬間、巨大な石碑に光り輝くレーザーが衝突した!
『ガラガラ、ビシャン――!!』というまるで稲妻が落ちたかのような轟音を響かせ、石碑はあっという間に粉々に破壊され、地上の一部が音を立てて崩れて行く!
背中にラヴィを抱き、両腕でキノとセムを抱えて空中へ逃げたライコウ。 その隣にはペイル・ライダーが従っており、彼等は崩れ落ちていく大地の中から見た事の無い光景が広がっている事に言葉を失っていた……。
――
「こ、この景色は……ら、楽園……か?」
崩れ落ちた大地の中から覗いている光景。 それは緑豊かな自然に囲まれ、色取り取りの花が咲き乱れる楽園のような光景であった。
ライコウに抱えられているキノとセムは地上から見える美しい光景に眼を奪われ、呆然としている。
しかし、ラヴィとペイル・ライダーは冷静だった。
「ライコウ様、今は地底に見える景色などどうでも良いのだ! オフィエルがやって来る前に逃げるのだ!」
「あっ、ああ……
……なっ!?」
一瞬、地底から見える美しい光景に心を奪われてしまったライコウは、後ろから迫ってきた“器械の影”に気が付かず、不意打ちを食らった。
「グァ――!」
「キャァァ!!」
後ろから何者かに体当たりされたライコウは地底から覗く楽園のような場所へ真っ逆さまに落ちて行く。 ペイル・ライダーももう一体の“器械の影”に不意打ちを食らい、ライコウ達と一緒に地底まで落ちて行った。
『――ドカン――!!』
岩石でも落ちたかのように派手に砂煙を上げながら、楽園と思しき地底まで落ちていったライコウ達。
「みんな、大丈夫か!?」
落ちた衝撃で離ればなれになってしまったキノとセム。 ラヴィはライコウの背中から手が離れ、ペイル・ライダーが落ちた場所の近くで美しい花に囲まれながら眼を回していた。
「ライコウ、キノが両足を故障しましたが、他の者は無事です! さぁ、早く逃げるのです!」
ペイル・ライダーはそう叫ぶと倒れているラヴィを抱え上げた。 ライコウもペイル・ライダーの言葉に頷くとキノとセムが倒れている方へ眼を遣った。
『――楽園――』 ライコウがそう呟いた通り、廃墟となった都市の地底には色鮮やかな草木が生い茂り、色取り取りの花が咲き乱れる美しい場所であった。
「そ、そうか……。 やはり、此処がボニーヤード――人間の墓場――か」
キノが倒れている場所はちょうど綺麗な石畳が敷かれており、真っ直ぐ奥へ続いていた。 緑と花に囲まれた石畳の向こうには、十字架が刻まれている巨大な石碑が見える。
広大な地底の空間、この空間が人間の墓場であったのだ。
「こんな景色に眼を奪われているヒマは無い!」
サムライ姿となったライコウは気を失っているキノを片手で抱え上げると、生い茂る草木の中で倒れているセムの許へ駆け寄ろうとした。
しかし、セムが倒れている場所に異変が起こった!
「な、何だ、あれは!?」
セムの周りを取り囲む草木が、突然色を失って枯れ出したのである……。
「ウフフフフ……。 ヨリミツ……♡」
すると、突然上空から聞いたことがある不気味な声が響き渡ってきた。
「あは、アハハハハハハ!!」
不気味な声が高笑いを響かせると同時に、セムの周囲がみるみる白濁した水のような液体に浸されて行く……。
「マズイ! セム、逃げろ!」
セムは相変わらず気を失っている。
(あの白い液体をセムに触れさせる訳には行かない!)
ライコウは咄嗟にキノをその場に残し、持てる出力を全て使って稲妻のような早さで一瞬でセムの傍まで行くと、セムを抱きかかえた。 すると、セムはライコウに抱えられた勢いで眼を覚まし、見ず知らずのサムライに抱かれている事に驚いて喚きだした。
「うわぁぁ! 誰だ、オマエっ!?」
「セム、俺だ!」
ライコウが叫ぶと、セムはすぐにその声がライコウだと分かり「えっ? ライコウ……? 何でそんな格好してるの?」とキョトンとした円らな瞳をライコウに向けた。
セムは今の切迫している状況がまるで分かっていないようだ。 すると、彼女は石畳に横たわっているキノの姿に気付くと「あっ、キノ!」と叫んで、ライコウの腕から離れた!
「――バカ! セム、俺から離れるな!」
ライコウが慌ててセムを追いかけようとしたその時だった。
「――見ぃ付けた――♡」
オフィエルの妖艶な声がライコウの耳元を掠めると、草木を枯らす白い液体がみるみる形を成し、ファルシュテルの姿が現れた!
「お、お前は……」
ライコウはそのあまりに不気味な声にセムから眼を離し、立ち止まってファルシュテルの姿を見つめた。
「ウフフ……貴方、すっかり騙されちゃったのね♪ この私の“愛の力”に……ウフ♡」
ファルシュテル――いや、オフィエルは訳の分からないことを口走り、セムを追いかけようとして背中を見せているライコウに向って銀色の瞳を怪しく光らせた。
「逃げようとしても無駄……。 私が”奇しきラッパ”を回収するまで貴方は大人しくしててね♪」
オフィエルがそう言い放つと、突然ライコウの両足が鉛のように重たくなった!
「な、何だ!?」
慌てて下を向くライコウ……。 すると、なんと液体のようにフニャフニャになっているベースケとアルスが彼の両足を掴んでいる姿が眼に飛び込んだ!
「き、貴様ら! マザーを裏切ったか!?」
ライコウはもはや液状となった二人に向って声を張り上げる。 ところが、二人はそんなライコウの声など、もはや届いていないのか「ああ……オフィエル様……気持ち良いですぅ……」などと呟きながら恍惚な表情を浮かべている。
「クソッタレ! 貴様ら、離さんかっ!」
ライコウは激昂して腰に佩いた刀を抜くと、紫電の雷を放ちながら二人の背中に刀を突き刺そうとした。
ところが、その時セムの叫び声がライコウの耳を劈き、ライコウは慌ててセムが向った方へ顔を向けた。
「オマエ、誰だ!? キノを虐めるとセムが許さないぞ!」
ライコウが目を離した隙に、なんとオフィエルは一瞬でセムの目の前に移動していた! セムは小さい身体を震わせながらオフィエルに向って両腕を向けてキノを護ろうとしている。
「セム、ダメ! 逃げなさい!」
キノは両足をくじいており、足首から煙を出している。 オフィエルは二人を見下すように目を窄めると、小さな女の子に向かって酷い悪態をついた。
「はぁ? なぁに、このクソガキは……?
……チッ、テメェ! 生意気なクチ利きやがって、このカスが!」
銀色の目を怪しく光らせて恐ろしい形相で牙を見せるオフィエル。 初めて出会った時の麗しいファルシュテルの姿はもはやそこには無かった……。
「うるさい、うるさい! オマエなんかセムがやっつけてやる!
喰らえ――!」
セムの太い両腕が身体から離れ、オフィエル目がけて飛んで行く。 だが、オフィエルは避ける風もなく右腕を上げると、迫り来るセムの両腕を受け止めるように手を開いた。
すると、オフィエルとセムとの間の空間が、まるで水面のように歪み始めた!
「えぇっ!? な、何だ……アレ!?」
セムの眼前に見える水の壁に両腕から放たれたロケットパンチが衝突すると、まるで水中に打ち込んだかのように『ボコ、ボコ!』と音を立て、水しぶきを上げながら歪んだ空間の中へ消えて行った。
「――セム、お願い、逃げて――!!」
ただならぬオフィエルの力の前に、キノは負傷した両足で必死に立ち上がり、セムを抱きしめた。 そして泡を食っているセムに覆い被さると、オフィエルを前にして背中を向けた。
キノはこれからオフィエルが何をするのか知っていたのだ……。 彼女の『セムを護りたい』という本能が、次に繰り出されるオフィエルの恐ろしい攻撃を予想したのである。
「消えやがれ! カス共が――!」
オフィエルが口汚く罵ると、目の前に張られた水の壁から飛沫が噴き出した。 氷柱のように尖った白い水しぶきはまるで水で出来た槍のようであり、キノの背中に向かって容赦なく襲いかかった!
――
「――キノ、避けろ――!!」
ライコウはベースケとアルスに両足を掴まれたまま二人の傍へ駆けだした。 ところが、ライコウよりも一歩早く“真っ赤な炎”がキノの前に現れ、迫り来る水の槍に立ちはだかった。
「深紅の女王! オフィエルをやっつけるのだ!」
紅い炎を吹き出している大鎌を自在に回転させながら、槍となった水を弾き飛ばす赤い目の少女。 その姿はまるで赤いドレスを着たイナ・フォグのようだ。
彼女はラヴィの呪術によって召喚された“外の世界の神々”の化身であった。 言葉を話すことは無く、ただ目の前の敵を殲滅する為にラヴィに召喚された。
……はずであった……。
「キィィィ――!! また、キサマか!? 邪魔しやがって、この“メギツネ”が!」
オフィエルは意味の分からない言葉を吐き捨てると、何を思ったのか深紅の女王を前にして背中を見せ、逃亡を図った。 ところが、深紅の女王はラヴィ達を唖然とさせる速さでオフィエルの目の前に回り込むと、燃えさかる鎌の柄でオフィエルの股を思い切り叩き上げた!
『ジュゥゥ――!!』とオフィエルの股を焼く痛々しい音がすると、白い蒸気が充満し、彼女の絶叫が響いた。
「――ギャァァ――!!」
オフィエルはそのまま鎌の柄に叩き上げられ、地底の天井を突き破って地上へ飛び出した。
すると、深紅の女王は空へ叩き上げたオフィエルへ向って人差し指を差し、ラヴィを驚愕させる行動に出た。
「……ディ」
なんと、深紅の女王が言葉を発した。 いままで、ラヴィの前では無言で敵を殲滅していた彼女から“鼻声”のような聞き取り辛い声が聞こえて来たのだ!
「――なっ!? こ、声を……!?」
ラヴィは予想もしなかった深紅の女王の様子に言葉を詰まらせた。
深紅の女王が声を出すと、その声に応えるかのように彼女の指先から凄まじいエネルギーを持ったレーザーが照射された!
ベースケとアルスに足を掴まれていたライコウも、セムを抱きしめているキノもその光景に唖然としている。
深紅の女王はそんな彼等の様子を意に介す事無く、次々と指先からレーザーを発射しながら、言葉を紡いで行った。
「ツォルン」
「フォン」
「デア」
「ズン」
(――太陽の怒り――)
深紅の女王が声を発す度に指先からレーザーが次々と放たれ、オフィエル目がけて飛んで行く。 レーザーが放たれる度に高熱の衝撃波が地底を襲い、焼け付くような熱風が木々を吹き飛ばす。 美しい花々は灼熱の衝撃波によってあっという間に枯れ果て、熱波は豪風となって地底の壁を破壊した。
「ウワァァ――!!」
ラヴィは恐ろしい衝撃波に身体を煽られて吹き飛んだ。 キノはセムを抱きながら、大地にアンカーを打って飛ばされないように踏ん張っている。 ライコウの両足を掴んでいたベースケとアルスは吹き飛ばされたのか忽然と消えて、ライコウは自由になった。
「ラヴィ――!!」
ライコウは吹き飛ばされたラヴィに向って一気に駆けだした。 そして、深紅の女王が彼の声に気付いて一瞥する一瞬の間でラヴィを抱きしめ、ラヴィが壁に激突する前に彼女の代わりに衝撃を背中で受け止めた!
『ドドドドド――!!』
ライコウが激突した衝撃で壁が崩れ、天井がから巨大な岩石が落ちてきた。 その間、天空ではその壁が崩れるよりももっと凄まじい衝撃がオフィエルを襲っていた。
「――ギィィィャアァァ――!!」
天へ向って放たれた無数のレーザーは的確にオフィエルを襲い、彼女は絶叫を上げながら炎に包まれていた。
液体となった彼女をも蒸発させようとする地獄の炎は、深紅の女王の“怒り”そのものであった。
深紅の女王から放たれる大量のレーザーはオフィエルに衝突し続け、空を真っ赤に染まらせた。 膨張した炎はまるで巨大な太陽にように膨らみオフィエルの身体をオレンジ色の炎で包み込んでいる。
「ギャァァァ――!! ……あ、あは、アハハアハ!!」
すると、炎に包まれて絶叫していたオフィエルが、気が触れたようなけたたましい笑い声を赤い空へ響き渡らせた。
『――シュゥゥゥ――』
オフィエルが笑い声を上げると、上空にもくもくと白煙が立ちこめた。 そして、燃えさかる太陽がみるみる内に萎んで行くと、空から銀色の雨を降らせた。
深紅の女王は上空の炎が消えて様子を見つめると、空を指していた指を降ろしてライコウに抱かれているラヴィへ顔を向けた。
「……この身を化身に変えてお前を助けて上げていたけど、それももう限界ね……。
イン・ケイオスは化身では倒せない。
残念だけど、もうこの姿でお前に協力することは出来ないわ」
なんと、ラヴィの召喚に応じて今まで無言で戦い続けていた深紅の女王が、ラヴィに向かって話しかけてきた。 マイクの感度を上げていたラヴィの耳にも聞き取り辛いその言葉はまるで意味が分からず、ラヴィは困惑した表情を浮かべている。
「な、な……汝は……一体?」
ラヴィの唖然とした様子を黙って見つめる深紅の女王……。 すると、彼女の纏っている赤いドレスから炎が吹き出して、彼女の全身を覆い尽くした。
炎に包まれた深紅の女王は、その姿を瞬く間に変化させた。
炎のような赤いドレスは、腰の辺りを窄ませて“コルセットドレス”のような形へと変化した。 真紅の髪は桜色に変化し、コルセットドレスの裾と同じく先端を黒く染め上げている。 桜色の髪の上には、立派に尖った二つの犬のような耳がピコピコと音を拾って動いていた。
手に持った灼熱の鎌は青白い炎へと変わっている。 全身を包んでいた炎は頭から足下へと消えて行き、彼女のお尻の辺りまで炎が消えると、お尻から生えているキツネのようなフサフサした尻尾が露わになった。
「な、汝はもしかして……ファレグ……?」
灰色がかったピンクの翼をはためかし、イナ・フォグのような美しい赤い瞳を称えている犬耳の少女。 パッチリした二重の瞳でラヴィを見つめる姿は眠たそうにも見える。
彼女はラヴィの問いに答えずに、顔を上げた。 上空はもはや炎が消失して霧が立ち籠めており、オフィエルの狂ったような笑い声が響いていた。
深紅の女王はオフィエルの姿を霧の中から確認すると、ふっくらした赤い唇を窄めた。 そして、相変わらず聞き取り辛い鼻声で「折角、ここまで育てた草木と花を……」と残念そうに呟くと、オフィエルを見ながらライコウとラヴィに言葉を投げた。
「ここに“奇しきラッパ”は無いわ……。 あるのは人間達の屍と、美しい草木と花の悦びだけ……。 それもアイツのせいで嘆きに変わってしまったけどね」
草木が枯れたのは彼女の恐ろしい炎のせいである……。 突然の事でライコウとラヴィもその事を突っ込めなかったが、オフィエルが出現したせいで彼女が力を解放したと考えれば、まあ、オフィエルの責任だと言えなくもないだろう。
深紅の女王に責任を擦られたオフィエルは、彼女の声が届いていたのか分からないが、地から湧き出るような怨念の満ちた怒声を響き渡らせた。
「キィィィ――ギィィガアアア!! イナ・ウッド……イナ・ウッドォォ……イナ・ウッド! この裏切り者……この古ギツネめ、このハイエナがっ! 許さなイ……呪ってやる……殺してヤル! ブッ殺してヤル――!!」
耳を劈く女神の声と、耳を塞ぎたくなる悪魔の声が混在した恐ろしい声。 あらゆる罵詈雑言を吐き散らかすその声の主はもはや美しい女性の姿ではなかった。 タコのような無数の触手をうねらした下半身を持つ、夥しい眼が張り付いた醜悪な怪物であった。




