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器械騎士と蛇女  作者: ティーケー
傲慢なリリム

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47/57

矛盾

 

 ハーブリムと地上を繋ぐ出入り口を出ると、荒涼(こうりょう)とした赤い砂漠が広がっている。 凄まじい風が吹き荒れる砂塵(さじん)(おお)われた過酷(かこく)な大地。 デバイスを使用しなければ一寸(いっすん)先も見えやしない。 赤い砂嵐は器械達の内部装置をあっという間に故障させる。

 まともな装備を持たない一般器械では、ハーブリムから地上へ出る事さえ困難である。


 そんな地獄の砂漠を東へ進むと『マーヴェット湖』という極彩色(ごくさいしき)の湖が見えてくる。 赤や青、黄色といった鮮やかな色をした湖だが、決して“美しい”とは言えない。

 湖底から器械達の身体を腐食させるガスを噴出するからだ。 ボコボコと泡が立ち上る様子はまるで魔女が鍋の中で怪しげな呪文を唱えながらかき回している邪悪(じゃあく)な毒液のようであった。

 

 そして決死の覚悟で恐ろしい湖を越えると、今度は枯れ木が密集する『輝く森』へ辿り着く。 マーヴェット湖から噴出するガスの影響で枯れ果ててしまった小さな森。 朽ち果てた大木の間から神々しい光を放ち、この星の行く末を見守っている。

 枯れ木の森が輝いている理由は単純であった。 それは光に反射する物体や、エネルギーを放出させる物体がそこら中に転がっているからである。

 何故、そんな物体がこの森に存在するのか? その答えは、この輝く森を住処(すみか)としているベトールが“光る物”を収集する趣味があったからである。

 

 ベトールは様々な電磁波を発生させる事が出来るマルアハである。 彼女は電磁波を利用して金属を探知し、綺麗(きれい)な光を放つ物体を好んで収集していた。 その為、時にはやたら(きら)びやかな鎧を身に(まと)ったゼルナーがベトールによって連れ去られてしまう事もあった。

 連れ去られたゼルナーは言わずもがな、無慈悲に鎧を()ぎ取られた上、無残に食べられてしまう。 ベトールの犠牲となったゼルナーは数千体にも及び、さすがにここ数十年の間は「あまり、派手な鎧は身につけないように……」とマザーからお達しが出た程であった。


 しかし、それでも異性の前で格好つけたがるのは、人間もゼルナーも変わらなかった。 彼等はマザーのお達しを無視し、無謀にもキラキラ光る鎧を身に付けて地上を闊歩(かっぽ)した。 隣に若い女性ゼルナーがいる男性ゼルナーなんぞは、誰よりも目立とうと丁寧に磨き上げた鏡面加工の鎧をこれ見よがしに装備した。 お目当ての男性ゼルナーがいる女性型ゼルナーに至っては、ゴールドのネックレスやシルバーのイヤリングを付けてお粧しし、男性型ゼルナーを誘惑した。

 だが、そんなキッチュな欲望に(とら)われるゼルナー達には度々悲劇が訪れる。 親の忠告を無視する子供には天罰が下るのが常であった。


 つい先日も、マザーの言いつけを無視したゼルナーの悲劇的な事件があった。

 ある男性型ゼルナーは都市の管理者の目を盗み、女性型ゼルナーと勝手に地上へ出た。 そして、憧れの“地上デート”を楽しんでいる時、ベトールによって犠牲になった。

 彼はお目当ての女性型ゼルナーに鼻の下を伸ばし、美しく輝く夕日が見える丘へと女性型ゼルナーを連れて行った。 そして、(しず)み行く夕日を眺めながらプロポーズの言葉を考えていたそうだ。

 すると突然、空からベトールが降りて来た。 背後から忍び寄ったハンターは、鷹のような強靱(きょうじん)な足で男性型ゼルナーの(かぶと)を砕き割り、そのまま彼の頭を持ち上げて飛び去った。 男性型ゼルナーは悲鳴を上げる(いとま)も無く兜ごと頭を砕かれて絶命した。

 だが、目の前でそんな惨劇(さんげき)が繰り広げられたにもかかわらず、女性型ゼルナーは動揺する風もなかった。 男性型ゼルナーの頭を(つか)み上げて飛び去って行くベトールの背中をただ呆然(ぼうぜん)と見送っていた……。

 無残に砕き割られた頭をベトールに(わし)づかみにされ、夕日に向かってブラブラと身体を揺らしながら飛んでいる男性型ゼルナー。 愛する彼女の為に精魂(せいこん)込めて磨き上げた鎧を、美しい夕日が切なく照らしている。 そんな哀しげな空の景色に“愛する彼女”は乙女(おとめ)チックな哀愁(あいしゅう)を感じたようだ。

 女性型ゼルナーは「切ないわ……」などとシットリとした言葉を口走り、愛する者を悪の化身に連れ去られた悲劇のヒロインのごとく、両手を握りしめて感傷(かんしょう)(ひた)った。

 ……ところが、そんなヒロインを照らしていた夕日もすっかり沈み、頭上から夜の(とばり)が降りてきた。 すると、乙女のお腹が『グゥ……』と鳴った。


 「あら、やだ。 もう、こんな時間……」


 乙女は顔を赤くして恥じらいを見せると、飄々(ひょうひょう)とした様子で立ち上がった。 (かたわ)らには兜の欠片(けっぺん)(むな)しく地面に転がっている。 無邪気な乙女はその破片を一瞥(いちべつ)すると「知ーらない」と一言(つぶや)き、暖かいオイルスープが待つ地底都市へそそくさと帰って行った。

 地底都市へ帰った彼女は、勝手に地上へ出た事を管理者に(とが)められた。 法律違反を犯した女性型ゼルナーにはキツい罰が与えられると思いきや、彼女は憤然(ふんぜん)とした様子で管理者にこう訴え、罪を(まぬが)れたそうだ。


 「あの男に無理矢理地上へ連れて行かれたんです! 私はイヤだって言ったのに!」


 ……結局、彼女は誘拐事件の被害者として処理される事となり、ベトールの被害にあった男性ゼルナーは(あわ)れにも乙女を誘拐した凶悪犯として地底都市に名を(きざ)むこととなった。


 この星ではそんな悲劇が連日繰り返されていた。 それもこれも全てベトールが悪いのである。 女性型ゼルナーの性格が(たくま)しいのも、今日の天気が雨なのも全てベトールが悪いのだ。

 このように明日の幸福を夢見るゼルナー達にとって、ベトールは倒さなければならない仇敵(きゅうてき)であったのだ。



 ――



 イナ・フォグがファレグに会おうと『スネーの森』へ降り立った時、ディ・リターにいるヒツジとミヨシは、真新(まあたら)しい墓の前で祈りを(ささ)げていた。

 白く輝く大理石のような石で造られた立派な墓石。 土台には人工花が供えられており、その脇では作業用機械『市松(いちまつ)』が土台に(すが)り付いて嗚咽(おえつ)()らしていた。

 

 「ウェェェン! ワタシハライム様ト離レタクアリマセン!」


 ミヨシの義母(はは)であった猫型ゼルナー『ライム』は、フルの死によって体内を(むしば)んでいたバグズ・マキナを消滅させた。 だが、長年にわたってキャパシティを超えたマナスを貯蔵していたアニマは著しく老朽化していた。

 彼女は数日の間、娘のミヨシと市松との三人で幸せな時を過ごし、ついにゼルナーとしての生涯(しょうがい)を閉じたのであった。


 ミヨシは彼女が亡くなった時、意外なことに取り乱したりする事はなかった。 義母の身体がすでに限界を超えており、いつ稼働を停止するか分からない状況に覚悟を持っていたからである。

 ミヨシはライムが稼働を停止した時、バハドゥル・サルダールから逃げてきた自分を大切に育ててくれた義母に感謝した。 そして、ヒツジから教えて(もら)った“死後の世界”という場所で、今は亡き義兄(あに)のアイムと共に「幸せに暮らせますように」と義母に祈りを捧げたのであった。

 

 ライムの訃報(ふほう)はフルと戦ったゼルナー達全員に知れ渡った。 当初はフルを討伐した英雄であるライムの死去を盛大に見送ろうという計画もあったが、その提案をミヨシが固辞(こじ)した。

 その結果、ライムは関係者だけの立ち会いの下、美しい墓石の下で静かに眠る事となったのであった。


 「コラ、市松、いい加減離れなさい!」


 いつまで経っても墓にしがみついて離れない市松。 見かねたヒツジが墓から引っぺがしながら(たしな)めた。

 市松は作業用機械であるにもかかわらず、目に涙を浮かべていた。 号泣するほど涙を流していた訳ではなかったのだが、感極まると瞳が(うる)んでくるようだ。

 ヒツジはそんな市松の姿に少し(うらや)ましさを感じており、市松の事をあまり好きではなかった。


 「それより、ミヨシ。 キミは何でフォグに付いて行かなかったのさ? あれだけボクが頼んだのに……」


 ヒツジは腕の中で暴れる市松を不機嫌そうに抑えながら、ライムの墓に肉球を(こす)り合わせて祈っていたミヨシに聞いた。


 ヒツジはイナ・フォグがスネーの森へ行こうとしていると知ったとき、ミヨシに「イナ・フォグに同行して欲しい」と頼んだ。 ミヨシは「当然です」とさも当たり前かのようにヒツジの頼みを引き受けた。

ところが、ヒツジが気付くとイナ・フォグはすでにスネーの森へ行っていた。 そしてミヨシはというと、のうのうとアセナの屋敷で茶を(すす)っていたのであった……。

 ヒツジは当然ミヨシに対して腹を立てた。 だが、その事であまりミヨシを責めると、ミヨシがイナ・フォグに告げ口をする可能性があったので、あまり強くは責められなかった。

 しばらく悶々(もんもん)としていたヒツジであったが、たまたまミヨシから「一緒にライムの墓参りに行きましょう」と誘いがあったので、これを機にやんわりと約束を反故(ほご)にした理由を聞こうと思ったのである。


 ミヨシはヒツジの問いに対し「フォグさんが『付いて来るな』って言ったからですよ」と答えると、続いて意外な事実を口走った。


 「――そりゃ、アタチだって付いて行こうとしましたよ。 でも、フォグさんが会おうとしているファレグは、アタチのような“猫型”をこよなく愛するマルアハだそうなんです。

 もし、アタチが目を付けられて『ファレグに(さら)われでもしたら大変だから』って、アタチを置いて行ったんですよ」


 ファレグはどうやら猫好きらしい。 ヒツジはそんな事実は知らなかったので、ミヨシの話しを聞いて瞳を緑色に点滅させて目を丸くした。


 (うーん……。 そうすると、フォグが誕生した後にファレグの嗜好が何らかの影響で変化したのかもしれないな)


 ヒツジはイナ・フォグが誕生する前に行方不明になってしまった為、イナ・フォグの事はおろか、『厄災(やくさい)』が起こった時の事も知らなかった。 したがって、厄災の時にマルアハ達の身に何が起きたのかは、アザリアかマザーに聞くしか方法はなかったのである。 (器械達が共有しているマザーのデータベースには厄災に関する情報は殆ど記録されていなかった)

 とはいえ、実際にはファレグの嗜好(しこう)はヒツジが思っている程変わってはいなかった。 確かに猫が好きになったのは厄災以後の事であったが、問題は嗜好の変化ではなかった。

 彼女自身の性格が、ヒツジの知っている彼女とは大きく変わっていたのである。

 ヒツジは今のファレグが自分の知っているファレグとは異なる性格になっているとは知らなかった。 ヒツジが知っている彼女は口が悪く、思い込みが激しい反面、人情味があって、好戦的な性格では無い。


 ただ、もし記憶を無くし、フルと同じように凶暴な性格になっていたら……?


 ファレグが凶暴な性格に変わってしまっている可能性がある事をヒツジは懸念していた。

 厄災から生き残った人間達を全員殺害し、人類を絶滅させたのはファレグであったからだ。 だが、ファレグが人間を滅ぼした理由はヒツジにはよく分かっていたので、それだけでファレグが凶暴化したと断定する事は出来なかった。


 ファレグは人間を絶滅させた後、誰にも会おうとしなくなった。 目立った活動もせずスネーの森へ引き()もり、飼い慣らした作業用機械達と共にひっそりと暮らしていた。

 時々、バハドゥル・サルダールのゼルナーがファレグにチョッカイを出してくるので仕方なく器械を破壊する事もあったが、積極的に器械に危害を加える事はなかったのである。


 ファレグの今までの行動を調査していく中で、ヒツジはファレグがフルのように記憶を無くして凶暴化している可能性は極めて低いと感じていた。 そこで、自分自身でファレグの様子を確認しようと今まで何度かファレグに会おうとした事があった。

 ところが、ライコウ、イナ・フォグと行動を共にするようになってからファレグに会いに行ける機会を一向に作れなかった。 結局、ヒツジはファレグに会えないまま、フルを討伐するまで至ってしまったのである。 


 そんな中、イナ・フォグがファレグに会うためにスネーの森へ行こうとしている事をライコウから聞いた。

 ヒツジは酷く狼狽(ろうばい)した。 イナ・フォグが今ファレグと会うことは、ヒツジにとって好ましくない状況であったからだ。

 そこでヒツジはミヨシに「イナ・フォグに同行し、ファレグに会って欲しい」と頼んだ。 イナ・フォグとファレグをなるべく二人きりで会わせないようにする為に。 さらに、ミヨシから今のファレグの様子を聞いて、昔のファレグと変わり無いかどうか確認しようとしたのである。


 そんなヒツジの計画も、ヒツジとの約束を重要視していなかったミヨシによってあっけなく失敗に終わった。 ところがミヨシとの墓参りの後、イナ・フォグが「ファレグと会えなかった」とミヨシへ連絡を寄越(よこ)していたと知ったので『ホッ』と胸をなで下ろした。


 このように、ヒツジはイナ・フォグをファレグと会わせたくなかった。 少なくともトコヨへ行くまでの間は。 もし、会ってしまったとしても、二人だけで会話をさせたくなかった。

 ヒツジが何故イナ・フォグとファレグを二人きりで会話させる事を阻止しようとするのか? それはフルがイナ・フォグに告げた通り、トコヨへ行ってイナ・フォグの記憶が戻ってからファレグと会うことがベストだと思っていたからである。 それがイナ・フォグの為でもあり、自分の為でもあると思っていたのだ。


 ヒツジはイナ・フォグとライコウに多くの隠し事をしていた。

 そもそもヒツジは何の為にイナ・フォグ、ライコウと行動を共にするのか、その目的をはっきり言った事がなかった。 ただ、イナ・フォグとライコウの「人間になりたい」という夢を共有している素振(そぶ)りを見せていた。


 しかし、ヒツジの夢は人間になる事ではなかった。 それは、ヒツジの今までの言動と過去を垣間(かいま)見た者であれば分かる事だろう。

 ヒツジの目的にイナ・フォグは直接関係しない。 だが、ヒツジはその目的の為にイナ・フォグを排除しようとは思っていなかった。 むしろ、イナ・フォグと行動を共にすることで、出来ればイナ・フォグと一緒に目的を達成できたら良いとも思うようになっていた。


 ――イナ・フォグとずっと一緒にいる事――


 それはヒツジ自身、愛する者を裏切る事を意味していた。


 『愛する者を取るか、イナ・フォグを取るか』


 ヒツジはいずれこの選択に迫られる日が来るだろう。

 その時、ヒツジはどちらを取るのであろうか? また、イナ・フォグはその時どうなっているのだろうか?

 

 「私はライコウ、ヒツジとずっと一緒にいたい……ずっと……」


 イナ・フォグの切なる願い。 出来ればこの願いがヒツジに届いて欲しい。

 それはイナ・フォグだけでなく、彼女の姉もそう思っているに違いないだろう。



 ――



 『器械(きかい)(とりで)』から地上へ出て東へ進むと、『デル・タテンズ・ベソイレム』という古代遺跡が存在する。 かつて栄華(えいが)(ほこ)った人間達が造った都市の成れの果てである。

 『(あるじ)の墓場』という意味の古代遺跡はその名の通り、()()()()()人間達が生きた最後の地であった。

 地上を支配していた人間達は厄災によって死に絶えた。 厄災発生時からしばらくの間生き延びた人間達もこの地で力尽き、地下シェルターに避難していた人間以外は全て死滅した。


 ――初め、厄災はトコヨの島から発生した――


 ある日、トコヨの国家『ジングウ』から月のような巨大な物体が出現した。 その物体は空を飛び、上空で血のような赤い輝きを放った。 そして、間もなくその赤い月は闇に侵食されていき、日食のような暗黒の影を放った。

 影は漆黒(しっこく)の雲となって雷鳴を(とどろ)かせながら、トコヨの上空に渦巻いた。 そして、世界中に恐ろしい悲鳴と苦痛に(あえ)いだ(うめ)き声を響かせた。

 悲鳴は天から鳴り響き、呻き声は地から湧き上がった。 すると、全ての電子機器が一瞬にして破壊され、通信が遮断(しゃだん)され、大気の流れが止まった。

 この現象は世界中で同時に起こった。 全ての生物はこの超常現象に呆然(ぼうぜん)とし、息を()み、世界中が異様な静寂(せいじゃく)に包まれた。


 トコヨから発生した不気味な月は、暗黒の影から巨大な大蛇を産みだした。 真っ黒い大蛇は赤い大口を開けながら地上に向けて真っ赤な火炎を放った。 その火炎はまるで太陽から吹き出す紅炎(こうえん)のようであり、ほんの数秒でトコヨは火の海に包まれた。 トコヨが火の海になった事を皮切りに、暗黒の影は瞬く間に世界中の空に広がった。 そして闇から次々と大蛇を生み出した。

 大蛇は灼熱(しゃくねつ)の炎、凍て付く吹雪、破滅の雷を地上へ放ち、偉大な竜巻を呼び寄せた。 黒い月がトコヨで発生してから一日も経たずに、世界中が未曾有(みぞう)の大災害に襲われた。


 あまりにも一瞬の出来事に世界中が慄然とした。 どうしたら良いのか分からず呆然とする者、パニックに(おちい)る者、気力を無くしてへたり込む者、多くの人間が炎に焼き尽くされ、氷漬けにされ、切り刻まれ、砕け散った。

 人間達は突然湧き出た化け物に対抗しようとした。 しかし、世界中が団結して大蛇を攻撃しようにも、通信が途絶(とだ)えて各国との連携(れんけい)が出来ないのでは()(すべ)が無かった。


 全ての生物は自分達の無力を嘆いた。 そして、(ひざまず)いて上空を見上げ、ただひたすら祈った。 


 ――怪物達と戦っている天使(マルアハ)達の勝利を――


 炎に包まれたトコヨから飛び出してきたマルアハ達は『夢見る星』を護る為、人間を護る為に大蛇達と戦った。 そして、大蛇達を生み出した厄災の元凶がベエル・シャハトと呼ばれる場所へ向かうのを阻止しようと命懸けで戦った。


 しかし、厄災の元凶『蛇蝎(ダカツ)』の力は(すさ)まじく、マルアハ達は一人、また一人と蛇蝎に飲み込まれて消滅していった。

 上空から湧き出る大蛇は口から不気味な(いなご)(おぞま)ましい(さそり)を吐き出し、地上の生物を食い尽くそうとした。

 大地は裂け、地底から暗黒の炎が吹き出した。 地上には地獄の烈風が吹き荒れ、空からは赤い雷と青白い(ひょう)が地を穿(うが)った。 立ち上がる事の出来ない程の巨大な地震、全てを押し流す大海嘯(だいかいしょう)が生きとし生けるものを飲み込もうとした。 愛する者を護ろうと必死に逃げる人間に無慈悲な怪物が襲いかかった。


 もはや、地上の生物が生き残る事は不可能であった。 暗黒の雲が太陽を支配した一日の間で9割の生物が消滅した。 だが、残された人間達は最後まで希望を捨てず、運命に(あらが)い続けた。


 ボロボロになりながらも人間達を護ろうとする二人のマルアハと、一人の戦士を信じて。


 マルアハ達の必死の抵抗によってベエル・シャハトへの侵入を阻止された蛇蝎はその邪悪な力を解放し、生き残ったマルアハ二人とたった一人のトコヨの戦士と戦った。 一人のマルアハは蛇蝎との戦いの最中に力尽き、仲間のマルアハとトコヨの戦士にその思いを(たく)して地上へ()ちていった。

 死力を尽くした戦いの果て、ついに最後のマルアハとトコヨの戦士は蛇蝎を追い詰めた。

 追い詰められた蛇蝎はトコヨの戦士に助けを求めて懇願(こんがん)したが、その身体を切り裂かれて地上へ墜ちていった。

 蛇蝎が致命傷を負い地上へ墜ちて行くと、空を支配していた漆黒の太陽はみるみる勢力を失っていった。 地上に蔓延(はびこ)っていた蠍はヘドロになって消滅し、空を飛び交う蝗は青い炎を上げて燃えだした。 大蛇は数を減らしていき、暗黒の空にようやく光が射した。


 だが、時はすでに遅かった。 巨大な地震と荒れ狂う暴風、大渦の海が大地を削り、破局的な噴火が大地を砕いた。 マナスが消失し、夢見る星が目覚め始めていたのである。


 ――夢見る星が目を覚ます――


 それは、この星が消滅する事を意味していた。


 蛇蝎を退けたマルアハとトコヨの戦士は、生き残った人間達を東の果てにある大都市へと誘導しようとした。 災害の影響が比較的少なく、この地であれば生き残れる可能性があると考えたからだ。

 しかし、もはやマルアハとトコヨの戦士も瀕死の重傷を負っていた。 彼等にはこれ以上、人間を守護する力は残されていなかった。 トコヨの戦士は空から放たれた無慈悲な雷から人間の子供を護る為に犠牲となった。


 結局、命を懸けた二人の努力も空しく、生き残った人間達も全滅した。 トコヨの戦士も“破壊”され、滅び行く世界でたった一人のマルアハだけが残った。


 残されたマルアハは最後の力を振り絞った。 自身が手に持っていた壊れかけたラッパを吹き鳴らし、全ての悲しみと怒りを美しい歌声に乗せた。


 彼女の歌声は破滅した世界全域に広がった。 

 『ディエス・イレ(怒りの日)』と呼ばれるその歌は、蛇蝎が引き起こした全ての災害から星を護った。 その歌は愛する姉妹を失い、護るべき人間達を失ったマルアハの怒りの叫び、哀しみの慟哭(どうこく)であった。 彼女の(うた)は地から湧き上がる炎を凍結させ、地上へ降り注ぐ雹を砕き、荒れ狂う烈風(れっぷう)を爆風で吹き飛ばした。


 こうして、夢見る星は再び安然(あんねん)たる眠りについた。


 星が静まる様子を見守っていたマルアハはついに力尽きた。 彼女は姉妹達との思い出を胸に抱きながら、破壊されたラッパと共に地上へ()ち、行方不明になった。



 ――


 

 W・W=ラヴィニアは古代遺跡にある巨大な円筒状の施設を見上げていた。 全体が錆びだらけの朽ち果てたサイロのような建造物。 直径一キロはあろうかという著大な廃墟の前に立っていたラヴィはその悲しげな(ただず)まいを見上げながら、“夢見る星の外”から厄災が起こった当時の凄惨(せいさん)な様子を思い出し、涙していた。


 ラヴィはデモニウム・グラキエスから帰還した後、しばらくの間、キノの自宅で療養(りょうよう)していた。 当初はレグルスの自宅に居候(いそうろう)する計画であったが、レグルスは「ハーブリムのマザーに用件がある」との事でハーブリムへ行ってしまった。

 ラヴィが(ふところ)に忍ばせている不気味な本はまるで悪魔のような恐ろしい顔を表紙に刻んでいたが、ラヴィの体力が回復してくるにつれて(おだや)やかな顔となり、その内消えてしまった。

 デモニウム・グラキエスから帰還して一ヶ月、ようやく元気になったラヴィは、キノとセムを連れて古代遺跡へやって来た。


 彼女がこの地へ来た目的は、セムが遭遇(そうぐう)したと主張するオフィエルの眷属(けんぞく)痕跡(こんせき)を調査する為であった。

 貴重な古代遺跡の建物群はセムによって無残に破壊されてしまっていた。 その惨状は歴史学者の器械達が見れば、目を(おお)って卒倒(ショート)するような有様であった。 だが、ラヴィは歴史学者でも何でもなかったので、人間が造り上げた輝かしい過去の栄光が破壊される事など特段気にする(ふう)もなかった。

 

 オフィエルの眷属は、バハドゥル・サルダールの首長として横暴の限りを尽くしたレヴェドの他、女性型ゼルナーがいると言われていた。

 その正体は誰も分かっておらず、全ての器械をデータベースで管理しているマザーですら、どの器械がオフィエルの眷属になったのか判断することが出来なかった。 その理由はオフィエルの眷属である器械がシビュラと同じ『未登録』であったからだ。 しかも、彼女はシビュラと違い、ゼルナーではない一般器械であった。 したがって、マザーも何者なのか把握出来なかったのである。


 ラヴィはこのオフィエルの眷属に興味を持った。


 (オフィエルの眷属が人間から転生した器械であるなら、もしかしたら自分が知っている者なのかも知れない)


 そんな期待もあって、古代遺跡を調査しに来たのだが……調査の途中で酸鼻(さんび)を極めた厄災の光景を思い出し、思わず涙してしまったのであった。


 「アル、お前、何ボーッとしてるんだ?」


 ラヴィの背後からキノの声が聞こえてきた。 キノは眠ってしまったセムを抱きながら黒ずんだ水溜(みずた)まりを不審(ふしん)そうに見ていたところ、ラヴィの様子に気付いて声を掛けた。


 「ん……ああ、ちょっと厄災の事を思い出してしまったのだ……」


 キノは厄災が起こった当時の事を、マザーの共有データベース内に格納されている記録でしか知らなかった。 マザーが器械達に公開している情報は単に『ダカツという怪物と人間が戦って相打ちになり、人類が滅亡した』という事しか記載されていなかった。 そして、その記録にアクセスした後には決まって『星を護る為に命懸けで戦った人間達を復活させる事が器械達(われわれ)の使命である!』というプロパガンダがデバイスに表示され、器械達を鼓舞(こぶ)していた。

 ところが、レグルスなど一部のゼルナーは「ダカツに滅ぼされた人間は、とどのつまり因果応報(いんがおうほう)なのではないか?」という口に出すのも(はばか)られる疑念を持っていたせいで、人間を復活させようなどとは真剣に考えていなかった。 ヘルートに(いた)っては「逆に人間を復活させることは器械にとって有害である」というリベラルな思想を胸に隠していたのである。 (もちろん、マザーはヘルートのようなリベラリストの存在を把握していた。 だが、彼女は器械達のそんな”反骨心(はんこつしん)”を逆に利用しようと、あえて監視するだけに留めていた)

 

 キノは今まで聞いた事が無かった過去の話をラヴィから度々聞かされていた。 器械達がこの星の歴史を知ろうとする時、マザーが公開する共有データベース内に存在する記録でしか知ることが出来ない。 それはキノも例外ではなかった。 キノにしてみればマザーのデータベース以外の情報は、全て真偽不明(しんぎふめい)のガセ情報だと思っていた。 しかも、話している相手はあの『嘘つきアル』である。

 当然、キノは厄災の話しもラヴィが勝手に妄想(もうそう)した創作(そうさく)だと思っていた。 ところが、ラヴィの話しは妙にリアルであった。 そして、感情を全面に出して訴えかける瞳には偽りの影など何処(どこ)にも無かった。

 

 「なぁ、アル……。 お前は厄災の事を良く知っているようだが、記録にも残っていない事を何故そんなに詳しく知ってるんだ?

 厄災の事だけじゃねぇ……。 人間が生きていた時代の事も、俺達が生み出された時の事も……」


 ラヴィはキノの疑問にこう答えた。


 「それは(なんじ)に何度も言っているはずなのだ。 ワガハイはメカシェファの遺体から脳を摘出して過去のあらゆる情報を入手したのだ。 もちろん、マザーにはこっぴどくお仕置きされたがな」


 ラヴィのこの説明は明らかな虚偽(きょぎ)が混ざっていた。 さすが『嘘つきアル』と言ったところだ。 

 とはいえ、彼女がバハドゥル・サルダールの大聖堂からメカシェファの遺体を盗んだことは事実である。 実際にはレヴェドが盗み出し、レヴェドからラヴィが“強奪”した訳だが盗んだことには変わりない。

 しかし、ラヴィは過去の情報を入手する目的の為にメカシェファの遺体を盗んだわけではなかった。 別の目的でメカシェファの遺体を盗んだのだが、過去の情報を知っている理由付けに都合が良かったので、キノに噓を付いたのである。

 器械達はどんな者でもマザーの共有データベースに自由にアクセスする事が出来る。 その為、器械達はそのデータベースの記録から『メカシェファは人類が夢見る星へやって来る以前から存在していた先住民であった』事を知っていた。

 そのことから、キノはラヴィの噓を信用した。 過去の膨大(ぼうだい)な情報を記憶したメカシェファの脳から情報を取得出来れば、当然マザーのデータベースに記録されていない情報も得る事が出来るはずだと思ったからだ。


 「ふぅん……。 しかし、そんなチート(わざ)を使ってよくマザーに“お仕置き”されるだけで済んだな」


 キノが不審がるのも(もっと)もであった。 マザーが公開した情報以上の情報を知り得た器械はマザーにとって危険分子になる可能性がある。 人間を神とした共和制も崩壊する危険を秘めており、マザーとしては当然排除するべき対象となるはずだ。

 事実、マザーはかつてラヴィのような器械達を地底都市ごと滅ぼした過去があった。 ところが、マザーは内に秘める野望を実現する為にいままでの行いを翻意(ほんい)した。

 マザーが心変わりしたことは、今を生きる器械達には全く与り知らない事であった。 マザーが排除した地底都市はデータから削除され、初めから地底都市など“無かった事”にされてしまっていたからである。 したがって、殆どの器械達は「マザーは大いなる寛容(かんよう)さをもって子供達を愛する優しき母である」という意識を刷り込まれてしまった。


 そして、キノに抱かれてスヤスヤと眠っている幼稚園児のようなゼルナー『セム』もその一人であった。


 セムはキノに抱かれながら眠っていた。 だが、何か嫌な夢でも見ているのか、時々顔を(しか)めると懇願(こんがん)するように寝言を呟いていた。


 「ママ……オオ(ねえ)ちゃんをイジめないで……。


 セム、良い子にするから……お願い……オオ姉ちゃんを……」


 キノは夢にうなされるセムの頭を優しく撫でた。


 セムの姉であるセンは、フルと戦った時に重大な命令違反を犯したとして、マザーから“再教育”――つまり、拷問(ごうもん)――を受けていた。

 再教育という言葉はゼルナー達の間でも噂されている恐ろしい言葉であった。 その意味するのは拷問であると誰もが知っていた。 だが一方で、その言葉はゼルナー達の間ではある種の都市伝説のような言葉であった。 役所の管理者が(おど)し文句に使うだけで、あの女神(めがみ)のように慈悲深(じひぶか)いマザーがゼルナーに対して拷問を行うとは誰も思っていなかったのである。

 ところが、セムはレグルス達を前にして、センがマザーから再教育を受けていると明言した。 その言葉に一同驚愕すると共に、再教育という名の拷問が現実に行われていると知って慄然(りつぜん)とした。

 セムはその時「ママのやる事だから何も心配はしていない」と皆の前で強がって見せた。 しかし、実際は姉の身を心配しており、子供特有の忍耐力でココロの痛みを隠していただけだったのだ。

 

 セムがマザーを愛している事は間違いない。 マザーの言う事を何でも聞いて“良い子”でいたいと願っていた事に(いつわ)りはないのである。

 だが一方で、大好きな姉がマザーによって想像を絶する拷問を受けている事にココロを痛めていた。


 (出来れば姉を救ってあげたい……)


 セムは柔らかく暖かいキノに抱かれた時、その願いが思わず寝言として口をついてしまった。 セムはマザーを信頼するココロと、姉を愛するココロとの間で矛盾(むじゅん)葛藤(かっとう)を抱えていたのである。

 キノはそんな健気(けなげ)なセムを(いと)おしく思った。 そして、ムニャムニャと口を動かしているセムの頭を撫でると、センに対して思いをはせた。

 

 恐らくマザーはセンに苛烈(かれつ)な罰を与えているのだろう……。 酸鼻を極めたフルとの死闘の中、皆を護る為に必死に戦っていたセンを見ていたキノは、何だか彼女に申し訳ないような気がした。 そして、レグルスがセンの事をあれだけ心配していた事が分かるような気がした。


 「チッ……。 マザーは何でお前には優しくてセンには厳しいんだろうな……」


 メカシェファの遺体を盗むという大罪を犯したラヴィは、留置場に収監(しゅうかん)されただけで済んだ。 しかも、その留置場から脱走すらしており、脱走後に確保されても尚マザーからお(とが)め無しである。

 一方、センは命令一つ(そむ)いただけである。 しかも、一聞(いちぶん)すれば大した命令ではない。 それにも(かか)わらず、皆が心配する程の罰を受けているのである。


 そんな理不尽な現状を目の当たりにすれば、キノでなくともマザーに不満を持つのは当然だろう。 キノが舌打ちする気持ちも良く分かる。 ラヴィもそんなキノの気持ちを()んだのか、キノの言葉に大きく(うなず)いた。

 だが、次に出たラヴィの答えはキノにとって突拍子(とっぴょうし)の無い言葉であり、ラヴィの真意(しんい)(はか)りかねるものであった。

 

 「それは、マザーにとってワガハイ達など歯車に過ぎないからなのだ……」


 キノにはラヴィが何を言いたいのか良く分からなかった。


 「歯車……?」


 キノはラヴィにそう問いかけると、不審そうに首を(かし)げた。 すると、キノの怪訝(けげん)な様子に気付いたのか、ラヴィは(あわ)てて言葉を訂正した。


 「――いや、マザーはそれだけ三姉妹(さんしまい)の事を大事にしているのだ。 ワガハイ達よりもな」


 ラヴィはそう言い直すと、キノの横に広がっている黒い水溜まりへ歩み寄った。



 ――



 「この黒い水溜まりこそ、オフィエルの眷属(けんぞく)がこの地に出没した痕跡(こんせき)なのだ」


 キノの横に広がるオイルをぶちまけたような黒い液体を指さしたラヴィ。 セムがオフィエルの眷属を発見してからすでに一ヶ月以上が経過しているにも拘わらず、蒸発せずに残っている。

 ラヴィはその成分を調べる為なのか、液体を採取して試験管に入れると『ブン、ブン』と試験管を振って中の液体の様子を(にら)んだ。 液体は粘着性があるようでヘドロのように試験管の内側を汚したが、特に変化はなさそうだ。

 ラヴィは納得したように頷くと、腰から下げているポシェットへその試験管を乱暴に()じ込んだ。

 

 「おい、おい……。 そんないい加減に扱って大丈夫なのか? もし、オフィエルの眷属の体液なら毒液の可能性もあるだろ?」


 キノが不安そうな顔をラヴィに向けると、ラヴィは泰然(たいぜん)とした様子で「大丈夫なのだ」とキノの心配を一蹴(いっしゅう)し、言葉を続けた。

 

 「ワガハイの試験管は特殊なガラスで造られているのだ。 液体はマナスと結合している物質ではなく、腐食性もなさそうなのだ。 だから、さほど気にする必要は無いのだ」


 ラヴィが液体の採取に用いた試験管は耐食性の強い特殊なガラスで造られていた。 このガラスはマナスと結合した物質を入れると割れてしまう性質を持つ。 したがって、液体を試験管に入れた時点でその液体がマナスと結合しているかどうか調べることが出来たた。

 もし、マナスと結合している液体であれば、強い衝撃が加わると爆発が起きる危険性がある。 試験管を振って液体に衝撃を与えるなど自殺行為である。 だが、この試験管を使用すれば、液体を入れた時点で割れなければその液体にマナスが結合していない事が断定出来た。 その為、ラヴィは平然と試験管を振って液体の様子を確認することが出来たのである。

 ラヴィが試験管に入った液体を振った理由は、液体を空気と混合させた時に有毒ガスが発生するか確認する為だったようだ。 結果、液体は何の変化も無かった事から、ラヴィは特段慎重な様子を見せなかったのであろう。

 また、ラヴィはこの液体がオフィエルの体液のような毒液では無いとみなした。 その理由はオフィエルの体液はマナスが含有(がんゆう)している液体であったからという理由と、そもそもオフィエルの体液とは色も性質も異なっていたからであった。


 「オフィエルの体液は腐食性が強く、器械が触れれば一瞬で溶けてしまうのだ。 しかも奴の体液はバリウムのような乳白色(にゅうはくしょく)。 こんな真っ黒い液体では無いのだ。 ペイル・ライダーが培養(ばいよう)したオフィエルの毒も乳白色になる事を考えると、恐らく毒素自体が乳白色をしていると思うのだ。 したがって、この黒い液体にオフィエルの毒が入っている可能性は極めて低いのだ」


 この液体がオフィエルの毒液で無いことは間違いなさそうだ。 ただ、キノが必要以上に心配する理由も理解出来る。

 オフィエルの体液は器械を一瞬で溶かす凄まじい毒である。 フルでさえオフィエルの毒で体内を蝕まれ、ゼルナー達に敗北する直接的な原因となった。 この恐ろしい毒は解毒する術が無い。 体内に毒が入り込めば死を待つしか無く、触れればあっという間に身体を溶かされる。 しかも、マルアハでさえ解毒する事が困難な毒である。

 確かに液体を吐き散らかした者はオフィエル本人ではなく、オフィエルの眷属である。 ラヴィの言う通り、オフィエルが吐いた液体では無いのでそこまで警戒する必要は無いのかも知れない。 だが、眷属とは言え、あの危険なオフィエルの能力を持っている化け物である事には変わりない。 何らかの強力な毒を持っている可能性が高く、キノが警戒するのも無理からぬ事であった。


 続いてラヴィはキノに興味深いことを言った。 


 「デバイスではこの液体を『重油(じゅうゆ)』と断定しているのだ。 念の為、持ち帰って調査しないと断言は出来ないが、恐らくただの重油だと思うのだ」


 オフィエルの眷属は何の変哲もない重油を吐き散らかしたのだとラヴィは予想したのだ。 何故、オフィエルの眷属はそんな液体を撒き散らしたのか?

 

 「たぶん、この液体は攻撃する手段ではなく、移動手段として利用したのではないかと思うのだ」


 オフィエルや彼女の眷属であるレヴェドは、液体と液体の間を自由に移動できる。 そんな魔術のような事が何故出来るのかは分からないが、そもそもマルアハの眷属は化け物である。 化け物にとってはさほど驚く能力でも無いかも知れない……。 したがって、レヴェドと同じく化け物であるこの“尋ね人”も液体と液体の間を自由に移動できると考えるのが妥当(だとう)だろう。

 

 それを証拠にラヴィの眼の前に広がる液体の他に、古代遺跡の至る所に同じような黒い液体が撒かれていた。 そして、特に液体が多く撒かれていた場所は、今ラヴィ達がいる錆果てた塔の(そば)と、かつて女神像が建立(こんりゅう)していた町の中心であった。

 

 「もし、オフィエルの眷属が移動する為の手段として重油を用いたのであれば、何故重油なのか? 水やその他の液体ではマズイ理由があったのだと思うのだ。

 そして、液体が集中している場所が、何故、この塔の近くと町の中心なのか?」


 オフィエルの眷属が移動手段として液体を撒いたと仮定したラヴィは二つの疑問をキノに投げかけた。

 

 「……って、そんな事俺に聞かれても分かるわけねぇだろ!

 ねぇ、セムちゃん♡」


 キノはラヴィの疑問への答えに匙を投げ、穏やかに眠るセムに頬ずりをした。


 ラヴィはキノが何らかの予想を述べると期待していた。 ところが、キノは期待に反して疑問に全く答えようとしなかった。 ラヴィはそんなキノに少し残念そうな様子で「はぁ、全く……」とため息を一つ吐くと、自分の予想をキノに語り始めた。


 「……まず重油を用いた理由は、長期間にわたってこの地に一瞬で移動出来るようにしたかったからだと思うのだ。

 水やガソリン等の揮発性(きはつせい)の高い液体ではすぐに蒸発して移動出来なくなるのだ。 そこで、不揮発性(ふきはつせい)の液体である重油を用いたのだと考えられるのだ。


 次に液体が特定の場所に集中している理由は、その場所をオフィエルの眷属が重点的に調査していたからだと考えられるのだ」


 つまり、ラヴィはオフィエルの眷属が長期にわたって古代遺跡を調査する為に、別の場所にいてもすぐ古代遺跡に移動出来るショートカット(転移ポイント)として、重油をばら撒いたと考えた。 そして、そのショートカットが集中している場所こそ、オフィエルの眷属が重点的に調査していた場所だと考えたのである。


 「恐らく、この錆果てた施設の内部に何らかのヒミツがあると思うのだ。

 そして、町の中心部……。 一見何にも無さそうに見えるが、恐らく何処かに地下へ繋がる出入り口でも有るのではないかと、ワガハイは思っているのだ」


 キノはラヴィの予想を聞きながらセムの頭を撫で込んでいる。 「ふーん」とか「成る程」と相槌(あいづち)を打っている割には、ラヴィの言葉を半分程度しか理解していないようだった。

 ラヴィはそんなキツネにつままれたような顔をしているキノに再び「……はぁ、全く」とため息を吐くと、今後自分達がしなければならない仕事をキノに伝えた。

 

 「とにかく、まずはこれからエクイテスへ戻ってこの液体が間違いなく重油であるか、念の為確かめるのだ。

 もし重油である事が間違いなければ再び此処へ戻って来て、この老朽化した塔と町の中心を調査するのだ。

 再調査する時、もしかしたらオフィエルの眷属が出現する危険もあるのだ。 だから、(なんじ)とセム、そしてペイル・ライダーもワガハイと一緒に同行するのだ」


 ラヴィは淡々とこれからの予定をキノに指示した。 キノは内心「何で俺がまた此処(ここ)へ戻って来にゃならんのだ」と苦い顔をしたが、セムも同行するという事から不承不承(ふしょうぶしょう)ラヴィの指示に(うなず)いた。

 キノはセムの事が大好きであった。 セムがいるならラヴィと一緒にかったるい遺跡調査に付き合っても良いと考えた。 だが、それと同時に「セムを同行させる」と勝手に決めているラヴィの言動に疑問を持った。


 「でもよ、お前が勝手にセムを連れ回すと、マザーが怒ったりしねぇのか? 何せ、セムはマザーの“お気に入り”だぜ?」


 キノはセムを連れて行く事に対してマザーが難色を示すのではないかと懸念を持った。

 ところが、ラヴィはそんなキノの心配を一蹴した。


 「なに、心配無用なのだ。 ワガハイからマザーに『古代遺跡の調査にセムを同行させるから、ヨロシク』と言っておくのだ」


 そう平然と言い放つラヴィに、キノは複雑な顔をした。


 (うーん、やっぱり納得いかねぇな……。 コイツ、元犯罪者だろ? にもかかわらず、マザーはコイツに罰を与える訳でもねぇ。 それどころか、コイツの言う事をホイホイと了解しやがる……。

 コイツはさっき『三姉妹の事をマザーが特別だと思っているからこそ、他の奴らとは待遇が違う』と言っていた。

 でも、これじゃ“待遇の違い”という意味がまるで逆じゃねぇか。 俺達よりセン達の方が酷い扱いを受けているって事が待遇の違いという事なのか?


 ……だとしたら、さすがにセンが可哀想じゃねぇか。 それにセムがもしセンのような目に遭っていたらと考えると……俺は……)


 キノはラヴィがマザーに優遇されている事に対して不満に思っている訳ではなかった。 ただ、フルとの戦闘時に命令違反を犯したセンが“再教育”という名の酷い罰を受けている現状がある中、ラヴィとセンとの待遇の違いにどうしても納得いかなかった。

 ラヴィが他のゼルナーには無い特別な能力があることは承知していた。 マザーが他のゼルナーよりもラヴィを優遇するのは、彼女の能力の点で理解できる。

 だが、センだってマザーの手で直接製造された優秀なゼルナーのはずだ。 そのセンが些細な命令違反だけで、再教育という名の恐ろしい拷問をマザーから受けている。 セムから聞いた話によると、それはまさに背筋の凍るような酷たらしい罰であるそうだ。


 セン、サン、セムの三姉妹はマザーから特別扱いされている故に、他のゼルナー達よりも過酷な扱いを受けているという矛盾。 その矛盾にキノはどうしても違和感を覚えざるを得なかった。

 それだけではない。 今自分の腕の中で天使のような寝顔を見せているセム。 その可愛いセムが恐ろしい拷問をマザーから受けている事を想像すると、キノはマザーに対して“得体の知れない感情”がこみ上げて来るのを(おさ)える事が出来なかった。 そして、その感情に対して罪悪感を抱かざるを得ず、自分自身、相反(そうはん)する感情の矛盾に戸惑いを覚えたのであった。

 

 「それじゃ、汝も良く理解してくれた事だし、すぐにエクイテスへ戻って準備に取りかかるのだ」


 ラヴィはキノの心の内を知ってか知らでか、満足そうにキノに向かって微笑(ほほえ)むと視線の先にある車へ向かって歩き出した。


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