憎しみの執念、愛の信念
『――バッちゃん、また来るからね!――』
雪原を駆ける一体のゼルナー。 迷彩柄のスカーフを巻いた銀色の毛並みの猫型ゼルナーはエメラルドグリーンの瞳に確固たる意思を秘め、凍て付いた大地で膝をつく氷の魔神を目指していた。
彼女はこの時を待っていた。 フルが力尽き、動きを止めるこの時を。
「速くっ! もっと、速くっ!」
放射性粒子射出装置が発射されるまであと五分とかからないだろう。 猫型ゼルナーはありったけのマナスを集中させ、加速装置を起動した。
彼女は何も武器を持っていなかった。 磁力や重力の影響を受けないように出来るだけ装備を外していたのだ……。 防具と呼べる物は首に巻いたスカーフだけであった。
そんな丸腰の状態でフルに接近しようとしている猫型ゼルナー。 無謀とも思える行動を取る彼女は、一体何を考えているのか?
猫型ゼルナーは雪原を駆けながら、イナ・フォグの言葉を思い出していた……
……
『……希望通り、新たな身体にアナタの器を移動したわ。 アイツの術を消去して、私の眷属によってバグズ・マキナを無効化し直したわ。 アナタの器に絡みついている蛇によってね』
『――なに、アイツに文句は言わせないわ。 アイツの術でバグズ・マキナを無効化した代償で、アナタはアイツにずっと監視されていたのだから。 私は器械達の思いを尊重するわ……アイツとは違ってね……』
『これでアナタは自分の意思でこの子にバグズ・マキナを除去するよう命令する事が出来る。
……でも、その時は……』
……
……イナ・フォグの言葉を思い出し、雪に塗れたヒゲをピンと張りながら大きく頷いた猫型ゼルナー。
「分かっている! チャンスはこの一度しかない! ワタシは――
――ワタシは自分の運命に決着を付ける!
そして、ミヨシを――」
――
猫型ゼルナーがフルに迫っている時、上空では巨大な機械が煙を出しながらゆっくりと降下していた……。
「ギィヤァァ――! 落ちるぅぅ――!!」
煙を吐き出しながらけたたましい警告音を発するペイル・ライダーにしがみつくエンドル。 目をグルグル回しながら混乱した様子で騒々しく叫び声を上げている。 ペイル・ライダーの身体は大量のレーザーを被弾して大砲型の右腕は破壊され、腹部の辺りに備え付けられていた三連装砲も拉げてしまっていた。
シビュラはペイル・ライダーの頭部――透明な防御シールドから顔をのぞかせているプラズマを放つ球体――に真っ黒い手を添えていた。 黒い手と言ってもただ手の形をしているだけだ。 シビュラの左腕は実態の無い漆黒の靄である。 シビュラは顔を歪ませて苦しそうな様子で球体に触れていた。
「――エンドル、騒いでないで貴方もマナスをペイル・ライダーに供給しなさい!」
「ふぇぇ!? どうやって――?」
「私の右手を握りなさい! 器械は手を繋ぐことでお互いのマナスを交換する事が出来るでしょ!」
(バハドゥル・サルダールがオフィエルに襲撃された時、重傷を負ったファルサにヘルート達がマナスを供給したのが、この手を繋ぐ方法であった)
ペイル・ライダーは自己修復装置を起動させ、破壊された部品を修復していたが、猫型ゼルナーの修復や長時間の稼働によって想像以上にマナスを消費していた。 このままでは放射性粒子射出装置の出力が上昇せず、発射を見送らざるを得ない……。
『出力低下……放射性粒子射出装置の発射を見送り――』
「――ダメ!! そのまま起動を続けなさい!!」
ペイル・ライダーが放射性粒子射出装置の起動を停止させようとした時、シビュラが大声を張り上げた。
「フルが動きを止めている今しかチャンスは無い!
マナスが足りないのであれば――
――私が全てのマナスを貴方にくれてやる!
破壊されたコヨミの為にも、今ここでフルを破壊するのよ!」
「……お師匠様……」
鬼気迫るシビュラの叫び声……。 エンドルは今までシビュラのこんな表情は見たことがなかった。
(お師匠様は、時々、悲しんでいるような、怒っているような不思議な顔をする。 でも、今のお師匠様の顔は……)
先ほどまで身を震わせてペイル・ライダーにしがみついていたエンドル。 しかし、シビュラの決意に満ちた瞳を目の当たりにして、まるで人が変わったようにペイル・ライダーの身体を軽やかな身のこなしで駆け上がった。
「お師匠様、私の手を繋いでん!」
シビュラの右手をガッチリ掴んだエンドルは、自分の身体から一気に力が抜けて行く感覚に襲われた。
「エンドル、限界までマナスを送り続けなさい!」
「望むところだわん!」
『――出力回復――放射性粒子射出装置発射マデ……308秒……』
ペイル・ライダーの本体である球体は灼熱の火球のように真っ赤な熱を帯びており、青と黄のプラズマがバチバチ迸っている。 凄まじいエネルギーにシビュラは吹き飛ばされそうになるが、かつて左腕であった暗黒の靄で球体を包みながら堪えている。 エンドルはシビュラの背後からシビュラの右手を掴みながら渾身の力を込めて後ろへ下がるシビュラを押し返した。
『あと五分でレーザーが発射される! 皆、ヤツの傍から離れなさい!』
シビュラがライコウとヒツジにデバイスで呼びかける。 その時、フルが大地を震わせ叫び声を上げた。
――
「アァァァ――!!」
それは咆吼でも怒号でもなかった。 嘆き、慟哭のような悲痛な叫びであった。 その叫びが雪原に響くと極寒の雪原はさらに気温が低下した。 横殴りの雪はキラキラと凍り付き、ダイヤモンドダストとなってゼルナー達の身体に容赦なく降り掛かった。
「ヒツジ、下がっていろ――!!」
ライコウの刀が青白い光を放つと、光は炎のように刀身を纏った。
ヒツジは凍り付いた吹雪の礫に当たりながら、頭を抱えて喚き散らすフルをただ見つめている……。
「お、お姉様……ボクだよ、ヒツジだよ……」
フルの目の前に佇む者は、銅色の金属で出来た無骨なロボットであった。 だが、ロボットのスピーカーから漏れる声は、1000年もの間探し続けたあのヒツジの声……。
彼女はプッツリと切れた記憶の糸を再びつなぎ合わせようと藻掻いていた。 しかし、アストラル体へ変化した身体は枯渇したマナスを補給する事を欲し、記憶を再び暗い海の底へと引きずり込んだ。
「ガァァァ――!!」
フルは不意に両腕を前に突き出し、ヒツジへ向かって突進する素振りを見せた――!
「うゎぁぁ――!!」
ヒツジは慌ててフルから離れようとするが、足がもつれてそのまま尻餅をついた!
「ヒツジ――!」
ライコウはすかさず居合抜きのような体勢で、刀剣を水平に振り抜いた。 すると、空気を切り裂く凄まじい衝撃波が放たれた。
『ヒュン――!』という風を切り裂く音がヒツジの頭上を掠め、ヒツジに掴みかかろうとしていたフルの胸を切り裂いた!
「ギャァァァ――!」
フルの氷の身体は胸の辺りを抉り取られたかのように破壊され、フルは胸から大量の液体を吹き出しながら後方へ吹き飛ばされた。
「――追撃するであります!」
吹き飛ばされたフルに追い打ちをかけるようにセンが虹色のリングを放ち、ミヨシが火球を放つ。
(このままではもう持たん……)
空間を切り裂くライコウの刀は力の弱い敵であれば一瞬で異空間に敵を消滅させる程の威力があった。 とはいえ、アストラル体となったマルアハにはそこまで有効ではなかった。 それは、彼がまだコヨミの瞳『ア・シティク=ルイネ』を使って『アマノハバキリ』というモジュール(部品)を擬似的に創り出し、出力増幅装置『ドウジギリ』を稼働しているだけに過ぎなかったからである。
ア・シティク=ルイネがもたらす膨大なエネルギーはアマノハバキリを具現化する事に成功した。 だが、その強大なエネルギーを維持する為にライコウのマナスは急速に減少した。 ドウジギリはアマノハバキリに内蔵されている出力増幅装置であり、本来ならそれ自体がマナスを消費する事はない。 しかし、アマノハバキリをエミュレーションする為のエネルギーを維持するには、それだけでマナスを大量に消費した。
したがって、ライコウは出力を最小限にしてマナスの消費を抑える必要があった。 アマノハバキリを維持するだけで膨大なマナスを消費するので、無闇に出力を上げる事が出来なかったのだ。 だが、それではアマノハバキリの性能の半分も引き出すことが出来ず、フルを破壊する事は出来なかった。
ライコウは世界の何処かに存在する真のアマノハバキリを見つけなければ、マルアハに勝つことは出来ないのである。
ライコウの切迫した状況を知ってか知らずか、雪煙を噴き上げながら雪原に倒れていたフルは起き上がり、再び耳を劈く咆吼を上げた。
「――!? これは、まさか――!?」
イナ・フォグは雄叫びを上げるフルの様子を見て目を疑った。 ライコウによって胸を抉られたフルは、胸から白い冷気と共に大量の液体を吹き出した……はずであったが、抉り取られた胸は氷によってあっという間に塞がれ、ガラスのように透明だった身体は真っ白になっていたのだ。 黒い毛で覆われた逞しい脚も、いつの間にか真っ白い氷に覆われており、その姿はまるで巨大なシロクマのようであった。
「――この異常な冷気……まさか、エフェス・ムクラットを――!?」
「オォォォォン――!!」
まるで慟哭のような咆吼は空気中の全ての物質を凍結させ、雪原を再び絶対零度の世界へと変えて行こうとしていた――。
「――うわぁぁ、身体が動かない!!」
『エネルギーを熱に変えて凍結を抑えるのあります!』
『ヒツジ、急激に熱を上げてはダメだ! 抵抗器を使ってエネルギーの暴走を抑えるんだ! 爆発するぞ!』
デバイスでヒツジに呼びかけるライコウも、もはや声を出すことが出来ない。
『!INF! 気温低下……マイナス69……80……121……』
急激な気温の低下に混乱するゼルナー達。 イナ・フォグは慌てて振り返り、仲間達を見る。 ヒツジの身体は真っ白な霜がかかり凍結しており、動くことが出来ないようだ。 ライコウの姿はサムライの姿では無く、銀色の鎧を纏ったいつものライコウの姿へと戻っていた……。 センも攻撃を止めて身体の温度低下を抑える事に必死で、熱を維持する事に意識を集中している。
ゼルナー達は瞬く間に不利な状況へ追い込まれた!
そんな中、イナ・フォグが纏う黒いドレスは凍り付くこと無く極寒の風に煽られ裾をはためかせており、大蛇となった両腕はフルに向かって鎌首を上げていた。
「ヤレアッハ・マレ!」
イナ・フォグが叫ぶと突然目の前に真っ赤になったエネルギー体が現れた!
(こうなったら、“終わりの月”へ移行するしかない……。 でも……)
目の前に佇むフルを見据えるイナ・フォグの脳裏に、ペイル・ライダーと戦った時の狂気に満ちた自分の姿が目に浮かんだ。
『イナ・フォグ、いけませんわ!』
イナ・フォグの頭の中から不意にアザリアの声が響いてきた!
『この星を破壊するつもりですか、イナ・フォグ! 貴方は……貴方は自分の恐ろしい力をまだ思い出せないの――!?
――あの、哀れな姿となったミヨシを見ても――!』
イナ・フォグの目に虹色の光を纏ったケセットが駆けて来る姿が見える。 イナ・フォグの気配の変化に気付いて、後方でゼルナーの支援をしていたアザリアが駆け付けて来たのだ。
「――! ミヨシ――!?」
イナ・フォグが慌ててミヨシに目を移す。 自ら食い千切った右手は真っ黒い大蛇に変化しており、全身の毛は逆立って怪しい瘴気を放っている。 眉間に皺を寄せて恐ろしい牙を剥きだしフルに向かって咆吼を放つミヨシの姿は、先ほどよりもさらに凶暴な猛獣の姿となっていた。
「そうだわ……これ以上は、もう……」
イナ・フォグは思い直し、赤黒く蠢く満月に大蛇の腕を突っ込むと、中から邪悪な鎌を引っ張り出した。
――
「ヴォーチェ・マギカ、エイン・ソフ・オール――!」
アザリアの声が響くと、凍り付いた雪原を駆けるケセットの身体が眩く光輝いた。 その光はケセットからあっという間に放射状へ広がり、ゼルナー達を包み込む。 すると、ゼルナー達を襲った強烈な冷気が急激に和らいで行った!
イナ・フォグはアザリアの援護を得て、再びフルに攻撃を仕掛ける。 もう、放射性粒子射出装置の発射まで五分を切っている。 フルを拘束し、レーザーを確実に当てなければこの戦いに終止符を打つことは出来ない。
「ミヨシ、どきなさい!」
ミヨシはフルに果敢に攻撃を仕掛け、八本に増殖した大蛇の尻尾から青白い炎を放ちながら鋭い牙でフルに噛みつこうとしていた。 フルはミヨシの攻撃を避けるが、尻尾から放った炎からは逃れられず次々と被弾し雪原へ叩きつけられると、周囲に白い雪煙と砕けた氷を撒き散らした。
ミヨシはもう、イナ・フォグの言葉が聞こえていないようだった。 目の前の敵にのみ意識を向け倒れ伏したフルの巨大な身体を右手の大蛇に絡みつかせると、大口を開けてフルの首元へ噛みついた。
「ガァァァ――!!」
『バキバキ――!』とフルの氷の首が砕け、ミヨシの太い牙が突き刺さった。 ミヨシはフルの首をガッチリ噛むと、ブンブンとフルを巨体ごと振り回した。
「ミヨシを引き離さないと――!」
イナ・フォグは大蛇となった右腕に絡ませる赤く滾る大鎌へ力をこめる。 すると、大鎌から真っ黒い炎が吹き出し「オォォォ……」と、まるで呻き声のような恐ろしい音を放ち出した。
「バット・コル!」
イナ・フォグが叫ぶと、イナ・フォグの視野が急に狭まった。 まるで時間が止まったようにフルとミヨシの動きが止まって見える。 恐らく、フルとミヨシの頭の中では“美しい鐘の音”が響いている事だろう……。 イナ・フォグはそのまま動きを止めるフルに近づくと、フルの首に噛みついているミヨシをフルから引き離そうとした。 ところが、ミヨシの力は凄まじく、イナ・フォグの渾身の力をもってしてもミヨシをフルから引き離す事が出来ない!
「くっ……ミヨシ、離しなさい! このままだと、フリーズ・アウトと一緒にアナタまでレーザーに巻き込まれてしまうわ!」
両腕を突き出して藻掻くフルを押さえつけながら、ミヨシを引き離そうとしているイナ・フォグ。 フルは両腕を大蛇に縛り付けられており、ミヨシとイナ・フォグに触れて溶かす事が出来なかった――。
(ヒツジ……ボクは……もう一度この手でキミを……)
ミヨシに首を噛みつかれたままのフルは必死に身をよじらせた。 白濁した液体を垂れ流す潰れた瞳はヒツジの姿を見つめている。 ヒツジの身体は凍り付いたままで動かない様子だが、アザリアの呪術のお陰で身体機能は麻痺していないようだ。
――放射性粒子射出装置の発射まであと2分――イナ・フォグはミヨシを引き離すことが出来ないどころか、必死に抵抗するフルを抑える事に精一杯であった――
『アザリア、このままでは皆の避難が間に合わないわ! レーザーの発射を遅らせるよう、ペイル・ライダーに伝えなさい!』
イナ・フォグはデバイスが使用できないので、器械達に直接指示を送る事が出来ない。 伝達役のミヨシは狂ったようにフルに噛みついており、イナ・フォグの声が聞こえていない……。 ケセットの身体を借りたアザリアでなければ、ペイル・ライダーに声を届かせる事が出来なかった。
『承知しましたわ――!』
アザリアはケセットの身体に内蔵されているデバイスからフィールドを展開させた。
ところが――
『――待ってくれ!』
アザリアとイナ・フォグの通信を猫型ゼルナーの声が遮った。
猫型ゼルナーは全身を凍り付かせながらも力を振り絞り、フルの傍へ近づいていた。 そして、ついにイナ・フォグとミヨシの前に悲壮な姿で現われたのであった。
――
(ミヨシ……こんな姿になってしまって……)
漆黒の翼を持った巨大なヒョウの身体へ変貌しているミヨシ。 暗黒の瘴気を放ち、右手、尻尾から大蛇やサソリの尾を生やすミヨシの恐るべき姿を、猫型ゼルナーはエメラルド色の哀しげな瞳で見つめていた。
「ミヨシ――!!」
猫型ゼルナーの身体は燃料やマナスが殆ど尽きており、これ以上稼働出来ないはずであった。 だが、彼女は力を振り絞り、フルを押さえつけるミヨシの背中へ飛び乗り、ピンと張ったミヨシの耳に自身の顔を近づけた。
「ミヨシ、良い子だからお止めなさい――」
ミヨシの耳に懐かしい声が聞こえてきた……。 その声は弱々しい声でありながら、慈愛に満ちた優しい声……。 ミヨシはいつもこの声に癒され、この声から紡がれる子守歌で眠りについていたのであった。
「……ガッ?」
「――!」
「バッちゃん――!?」
ミヨシの瞳に生気が戻った! ミヨシはフルの首元に噛みついていた口を離し、フルの身体を縛り付けていた大蛇を解いた。 そして、耳元から聞こえてきた懐かしい声に目を見張った。
「ヴォーチェ・マギカ、バット・コル――!」
イナ・フォグはミヨシがフルを離した事を確認すると、すかさず呪言葉を吐き、ミヨシをフルから引き離しにかかった。
『カーン、カーン……』
ミヨシの脳内から突然、澄んだ鐘の音が聞こえて来た。 その瞬間、ミヨシはあっという間にイナ・フォグによってフルから引き離された!
「シェム・ハ・メフォラシュ!」
イナ・フォグは立て続けに何かの呪文を唱えている。 頭の中に鐘の音が響き渡るミヨシには、イナ・フォグの声は届いておらず、自分が何故フルから引き離されたのかも分かっていなかった。
ミヨシからゆっくりと遠ざかるフル……。 その背中にしがみつく猫型ゼルナーのエメラルド色の瞳――まるで自分に別れを告げているような優しげな眼差し――を見たとき、ミヨシは猫型ゼルナーの正体を確信した。
『レーザーの発射まで後30秒切りましたわ! イナ・フォグ、異空間へ皆を飛ばす準備を――!』
『アナタは――!?』
『私は大丈夫ですわ!』
デモニウム・グラキエスにいる全てのゼルナー達の脳内に鐘の音が響き渡る。 鐘の音に満たされた全ての者の動きが遅鈍になった。 時間進行が遅くなり、器械達の同期が狂ったせいでペイル・ライダーの放射性物質射出装置の発射に少し余裕が出来た。
「バッちゃん――!!」
フルの背中にしがみつく猫型ゼルナー。 彼女はミヨシの母である『ライム』であった。
「――嫌だ! フォグさん、アタチを離してっ!」
ミヨシを縛り付けるイナ・フォグの両腕の力は凄まじく、ミヨシは為す術無くライムから遠ざかって行った。
溢れ出る涙をそのままに、ライムを見つめるミヨシ……。 すると、フルが倒れ伏す凍り付いた雪原から巨大なアナゴのような白い大蛇が地鳴りを起こして出現し、ライムもろともフルの身体を大地へ縛り付けた。
「ああっ……ああっ! バッちゃん! バッちゃん、逃げて――!!」
必死にライムに呼びかけるミヨシの脳内からライムの声が聞こえて来た。……。 それは、いつもと変わらない穏やかな母親の声であった。
『ミヨシ……私はどの道、壊れ行く身……悲しむ事はありません。 私はアイムと貴方の親であった事を誇りに思っているわ』
『そんな! アタチはバッちゃんが居なくなったどうすれば――!』
悲痛なミヨシの叫びをライムの優しい声が遮った。
『貴方はもう私が居なくても大丈夫……。 これからはアラトロンが貴方の“母”となって貴方を導いてくれる事でしょう。
――私はようやくフルに引導を渡すことが出来る……。 一人息子だったアイムを破壊したアラトロンによって、逆に私は救われる……。 そして、アラトロンは“私の娘”も見守っていてくれる』
ライムはイナ・フォグによって一人息子を破壊された。 だが、そのイナ・フォグによって彼女は朽ちた身体を若々しい身体に換装し、ついにフルへの復讐を遂げる事が出来るのである。
『――嫌だ! アタチのお母さんはバッちゃんだけです!
だから――
――死なないで!
お母さん――!!』
ミヨシは初めてライムの事を母と呼んだ。 ミヨシの悲痛な叫びがライムのデバイスに響き渡ってきた。
『……ありがとう……ミヨシ』
ライムは初めて母と呼んでくれたミヨシを見つめながら瞳から涙を流した。 彼女が涙を流したのは、後にも先にもこの一回だけであった。
『――放射性粒子射出装置、発射までアト5……4……3……』
ペイル・ライダーの声がゼルナー達のデバイスから聞こえてきた。
(このままだと爆発に巻き込まれる! フォグは一体何を考えて――)
イナ・フォグがミヨシを縛ってフルから離れると同時に、ライコウは凍結したヒツジを抱きかかえ、慌ててフルから離れた。 アザリアは身体を借りているケセットの身体から虹色の翼を生やすと、立ち往生していたセンを抱え上げて猛スピードで上空へ退避した。
しかし、もしペイル・ライダーの放ったレーザーによってフルが破壊されたら、恐らく爆発の規模は雪原全体を覆うほどの大規模なものになると思われた。 いくら逃げたところで到底逃げ切れるような状況ではない……。
「ヒツジ、何があっても俺から離れるな!」
ライコウはヒツジを抱きしめる。 ヒツジは怯えるようにライコウにしがみついて顔を伏せた。
『――3……2……1……
……発射シマス!』
「お母さん――!!」
ミヨシの悲痛な叫びがこだまする。 その叫びをイナ・フォグが受け止めると、イナ・フォグは目一杯の声で呪言を叫んだ――!
「ヴォーチェ・マギカ、マスティール・エト・エメット!」
――イナ・フォグが叫ぶと、雪原にいる全てのゼルナー達の目の前が突然、真っ白になった。 いや、大雪原だけでない……。 氷山に隔てられたアイズ・ゲノムで待機していたゼルナー達全員が突然意識を失い、あっという間に異空間へ転送された――
ライムは極限の集中力を持って、黒豹の化け物となった娘が虚空へと消えゆく様を見つめていた。 だが、彼女の瞳には山猫の姿をした可愛らしいミヨシしか映っていなかった。
(ミヨシ……私の可愛い娘……
……さようなら)
――
「な……なんだ、この空間は……」
紫煙に渦巻く空を見上げてレグルスが呟く。 隣にはキノとロイトが呆然と辺りを見渡している。 フルによって凍らされたロイトは無事アザリアによって治療されたようだ。
「ちょっと、ここは何処なのよ! ええっ!?」
雪ダルマ型器械のユキは、相棒のモニタ型ゼルナーのヴァイプに向かって“味付けのり”の様な眉をV字にひそませて詰問するが、ヴァイプにそんな疑問など答えようがない。 ヴァイプは「俺に聞かれても知るかよ!」と何処までも続くアメジストのように輝く床にドッカリと胡座を掻いて座り込んだ。
「皆さん、心配しなくても、ここはアラトロンが創った異空間なのであります!」
気が付いたら突然謎の空間に移動して目を白黒させているゼルナー達。 そんな彼等に向かってセンが拡声器を使って叫んだ。 この不思議な空間はデバイスが使用できず、しかも空気が薄いようで声が響かないようだった。
……にもかかわらず、ミヨシの慟哭だけが何もない紫色の空間に響き渡っていた……
「うゎぁぁん――!!」
ミヨシは山猫の姿に戻っており、イナ・フォグの胸の中で泣き叫んでいた。 イナ・フォグは黙ってミヨシの背中を撫でている。
「フォグ……ライムは……」
ライコウがイナ・フォグの背中から声を掛けると、イナ・フォグはライコウを見ずにミヨシを撫でながら黙って頷いた。 ライコウはヒツジを抱いたままであり、ヒツジはライコウの白銀の鎧にしがみ付いて未だに顔を伏せていた。
「……そうか、彼奴はついに復讐を果たしたという訳か……」
「――復讐?」
ライコウの言葉を聞いたシビュラがライコウの後ろから声を掛けた。 シビュラは右手で目を回しているエンドルを引きずっていた。 その後ろではペイル・ライダーが巨大な機械の身体から蒸気を吐き出しながら、エンドルの身体に細いケーブルを数本接続して治療に当たっていた。
「ライムはフルに仲間達を殺されたのじゃ……。 その復讐の為にフルを自分の手で破壊したいと願い、自分の身体を新たなボディに交換するようワシらに頼んできたのじゃ……」
……
……ライコウとイナ・フォグは、バハドゥル・サルダールからディ・リターへ帰還した後、ライムから「自分の身体を新たな身体に交換して欲しい」と頼まれた。 ライコウは出来るならそうしてあげたいと思ったが、イナ・フォグはライムの頼みを断った。
イナ・フォグが断った理由は、ライムの身体を新たな身体に変えたとしたとしても、移植するアニマはバグズ・マキナに冒されたままであり、フルを倒さない限りは同じ事の繰り返しであったからだ。 すなわち、ライムはフルが存在する限り、たとえ新たな身体になったとしても自爆する事も出来ず、未来永劫ウィルスに冒されたアニマによってマナスを体内に取り込み続ける事に変わりは無いのである。
ところが、ライムは「そんな事、知っている」とイナ・フォグに再び新しい身体へ自分の記憶を転送するように頼んだ。 そして、フルの呪縛から逃れる唯一の方法――イナ・フォグがライムに教えた恐ろしい方法――を実行するようイナ・フォグに頼んだのであった。
『アナタ、ナハーシュ・ネホシェットを……?』
イナ・フォグが召喚する青銅色のトグロを巻いた蛇は、フルのバグズ・マキナを消滅させる事が出来た。 しかし、バグズ・マキナをライムのアニマから除去すれば、マナスはたちまち破壊されて大爆発を起こす……。
……イナ・フォグは悩んだ。 ライムは青銅の蛇を使って自らの命を引き換えにフルを破壊しようとしていたのである。
『アラトロン様、私は長く生き過ぎたのです……。 だから、最後はせめて仲間達の無念を晴らすために……』
ライムはイナ・フォグにそう告げると、一人娘のミヨシをイナ・フォグとライコウに託そうとした。
『ミヨシは貴方様の部下となったと聞いております。 私がいなくなってもライコウ様とアラトロン様がいれば、ミヨシはきっと元気でいられる事でしょう』
……どの道、フルは破壊しなければならない相手。 遅かれ速かれ、フルを破壊すればその瞬間、ライムの身体は木っ端微塵に破壊される……。
『分かったわ……。 アナタがそこまでの覚悟を持っているなら、アナタの希望通りにして上げる……』
――こうして、イナ・フォグはライコウに頼んで、新たな身体となる猫型の機械をエクイテスから持って来てもらった。 ライコウが度々エクイテスとディ・リターを往来していたのはエクイテスでの作戦会議の為だけでなく、ライムの新たなボディを持って来る為であったのだ……。
……
「……ライムは立派に復讐を果たしたのじゃ。 ミヨシを残す事は心苦しかったに違いないがの……。 だが、彼奴の願いはワシとフォグが責任を持って全うしよう」
シビュラはライコウの話しを黙って聞いていた。 そして、ライコウの話が終わった後、寂しげな瞳でライコウの顔を見て一言呟いた。
「羨ましい……」
「――? お主、何を言って……?」
怪訝そうな瞳をシビュラに向けるライコウをよそに、シビュラは後ろを振り返った。 そして、おもむろにペイル・ライダーの身体へ飛び乗った。
「貴方もよく頑張ったみたい」
シビュラはそう言うと、モクモクと煙を吐き出しているボディに向かって右手を添えた。
――
「ヴォーチェ・マギカ、ハツァーラット・エメット……」
イナ・フォグが呟くと、異空間へ転送されていた器械達全員が元いた場所へと戻って来た。
「「――ひゃぁぁ、何これ!?」」
ほんの小一時間の間だけ異空間へ滞在していたはずだったが、吹きすさんでいた吹雪は嘘のように止んでいた。 あれだけ降り積もっていた雪や厚く張った氷は所々溶けており、大地の土や岩肌をむき出しにしていた。
エンドルとユキが絶叫して目を見張ったのは、このような環境の変化だけではなかった。
ゼルナー達の眼前に現れた巨大なクレーター……。 先ほどまでフルとライムがいたはずの場所を中心として大きく抉られた大地に、この場にいた全ての者が呆気に取られていたのであった。
『放射性粒子射出装置は無事にフルへ命中したようです……。 現在の放射線濃度は……
――!?
……そ、そんな馬鹿な……!?』
「どうしたの、ペイル・ライダー?」
ペイル・ライダーが測定した雪原に飛散した放射線量は想像よりも低い数字であった。
『……た、確かにレーザーはフルに衝突したはずですが……現在の放射線量は100ミリSVより少ないのです……。 私達が異空間へ転移している間に一体何が起きたのか……理解不能……』
――『放射性粒子射出装置』はその名の通り、大量の放射性粒子を放出する恐るべき兵器であった。 しかも、放射性粒子はマナスを纏い、さらにシビュラが放った暗黒子がマナスと放射性粒子を結合させた。 すなわち、マナスのエネルギーを有した核爆発を起こす極めて危険な兵器であったのだが、放射性粒子が纏うマナスは微量であり、爆発自体はさほど威力は無い。 この兵器の恐るべき点は、爆発によって高濃度の放射性物質が大量に飛散する事である。 その量は10KミリSVを越え、マルアハさえも致命的な健康被害を与える程の量であった。
ところが、爆発によって大量の放射性物質が飛散したはずであるにもかかわらず、放射線量は人間でもかろうじて生存できる量まで低下していたのである――。
イナ・フォグはこの現象を『マスティール・エト・エメット』による影響であると考えた。 異空間の中は現実世界よりも時間進行が非常に速い。 その速度は異空間へ小一時間いる間に現実世界では4、5日経過する程である。 イナ・フォグはその間に放射性物質が吹雪に乗って飛散し、除去されたのだろうと推測したのである。
しかし、一度放射線物質に汚染された物質から放射性物質を除去する為には途方もない時間が必要である……。 5日程度のごく短い時間で恐ろしい量の放射性物質が除去されるはずもなく、下手すれば数百年以上の途方もない時間が必要だ。 放射性物質に汚染された物体から放射性物質を除去する事は、イナ・フォグが考える程簡単な事ではないのである。
「……そんな事はどうでも良いわ! とにかく、フリーズ・アウトが破壊されたのであれば石化したアマノシロガネが何処かにあるはずよ!
“コレ”と同じような石を探しなさい!」
イナ・フォグは首からぶら下げていたハギトのアマノシロガネを手に取った。 彼女の腕は、いつの間にか悍ましい大蛇の腕から美しい白い肌をした細い腕に変わっていた。
イナ・フォグがハギトのアマノシロガネをペイル・ライダーに見せると、ペイル・ライダーはデバイスでアマノシロガネの姿を記録した。 そして、雪原にいる全てのゼルナーにアマノシロガネの映像を転送し、アマノシロガネを探すように要請した。
「……とは言え、石化したアマノシロガネがある場所は大体分かっているわ」
……目の前に出来た巨大なクレーターの底……恐らく、この中でフルはアマノシロガネを残して、その存在を消し去ったはずである。 ミヨシの母『ライム』と共に……。
「バッちゃんは――!?」
イナ・フォグの頭上を飛び越えて彼女の前に躍り出るミヨシ。 ミヨシは再びその身体を黒ヒョウのように巨大化させて、一目散にクレーターの底へと駆けて行った――。
「ミヨシ、待ちなさい――!!」
ライコウがミヨシの後を追いかけるイナ・フォグの姿に気を取られている隙に、ヒツジもライコウの腕からするりと抜け出し、矢庭にクレーターの底へと駆けだした。
「あっ――! ヒツジ、待て――!」
イナ・フォグとライコウは大穴へ消えたミヨシとヒツジを追いかけた。
崖のような穴の表面を滑るように降りる四人……。 中心にはまだプスプスと蒸気のような煙がモクモクと湧き上がっている。 ライコウとヒツジのカメラは辺りを覆う煙に包まれ、中心の様子が見えなかった。
しかし、イナ・フォグとミヨシの目には、氷で出来た熊のような身体を横たえているフルの姿を捉えていた!
うつ伏せに倒れているフルの背中には所々亀裂が走っていた。 亀裂から漏れている液体は『シュー、シュー』と白い冷気を立ち上らせていた。 頭部は首から破壊されており、両腕は辛うじて無事であったが、黒い毛で覆われた逞しい脚は見るも無惨に消失していた。
一見、すでに息絶えているかのように見えるフル。 ところが、イナ・フォグはフルに再び攻撃を加えんと、彼女の背後からくっ付いて来た三日月型のエネルギー体からいつもの鎌を引っ張り出した。
「二人共、下がっていなさい――!」
ライコウとイナ・フォグより先にフルの傍へ駆け寄っていたミヨシとヒツジ。 ヒツジはフルの無残な姿を発見すると、瞳を青く光らせながら目を背けるような仕草を見せた。 だが、ミヨシはフルの姿を確認するや否や燃えるような真っ赤な瞳に憤怒の炎を滾らせながら「ガァァァ―!!」と咆吼を上げ、倒れ伏しているフルに向かって飛びかかった――!
「ミヨシ、止めなさい――!」
ミヨシはイナ・フォグの制止も聞かずにフルの腕に噛みついた! そして、怒りに身を任せて氷の大熊の腕をグルグル振り回し『ドスン――! ドカン――!』とクレーターの底にフルを叩きつけた。 その衝撃で地の底が揺れ、クレーターの壁面に亀裂が走る! あまりの勢いでイナ・フォグもミヨシに近づくことが出来ない。
ミヨシはひとしきり地面にフルを叩きつけると、ピクリとも動かないフルに追い打ちをかけるべく、フルの大きな身体を空高く放り投げた。
「――ミヨシ、止めて!」
ヒツジが悲痛な叫びを上げてミヨシを止めにかかる。
「うわぁ――!」
しかし、ヒツジはミヨシの強力な蛇の尻尾の一振りで吹き飛ばされた!
「ドカン――!」と砲弾でも破裂したような衝撃音を響かせ、クレーターの側壁に叩きつけられたヒツジ……。
「うぅぅ……ミ、ミヨシ……」
ヒツジは雪の交じった岩に埋もれながら呻き声を上げた。 背中の一部は激突した衝撃で亀裂が入ったようで、デバイスから警告音がけたたましく鳴り響く。
「ミヨシ、お前、何をしてる――!!」
ライコウは正気を失っているミヨシを怒鳴りながら、慌ててヒツジの下へ駆け寄った。
「ヒツジ、大丈夫か!?」
壁に叩きつけられたヒツジを優しく抱き寄せるライコウ。
『……ヒツジ……ヒツジ……』
「うぅ……行かなきゃ……」
ヒツジは誰かの呼ぶ声に従い、ライコウの腕を放す。 そして、夢遊病のようにヨロヨロとフルへ近づいていく……。
「おい、ヒツジ!? 何処へ行くんだ――!」
慌ててヒツジの行く手を阻み、再びヒツジを抱き上げようとするライコウ。 しかし、ヒツジが譫言のように発した次の言葉に何かを思い出したように手を止めた。
「お……お姉様……」
ライコウはヒツジの言葉で過去の断片を思い出した。
「確か……俺はあの時、ヒツジの傍で……“あの女”と一緒に……」
(ライコウの脳裏に灰色の髪を靡かせた天使の姿が浮かんできた。 その顔は笑顔で満ちあふれており、白く美しい両手で幼い子供を抱き上げている)
「……リリム=フリーズ・アウト、俺は……俺達はお前に救われて……」
ライコウは記憶の断片を蘇らせ、ミヨシによって地に叩きつけられている氷の大熊へ目を移した。
ミヨシはイナ・フォグの制止を聞かずにフルを空中へ放り投げると、尻尾から大量の火球を放った。
ライコウのフルに目を遣った時には、夥しい火球を被弾したフルが再びクレーターの底へ落下していく姿であった……。
力なく落ちていくフルは恐らくもう死んでいるに違いなかった……。 少なくともライコウの目にはそう見えた。 しかし、ミヨシはそんなフルに対してさらに追い打ちをかけようと、大蛇の尻尾を悍ましいサソリの尻尾へと変貌させ、落ちてくるフルに向かって大量の毒針を放った。
「――ミヨシ! アナタ、アマノシロガネまで破壊する気なの――!?」
イナ・フォグは自身の命令に従わないミヨシに対して細く白い両腕を真っ黒な大蛇へと変化させ、ミヨシの身体をあっという間に縛り付けた。
「ガァァァ――!!」
ミヨシはイナ・フォグに縛られながらも抵抗し、暴れ狂っている。
ミヨシによって一方的に攻撃されたフルは、そのままイナ・フォグとミヨシの目の前に『ドスン』という音を立てて落ちて来た。
(フリーズ・アウト……。 アナタのアマノシロガネはもう鼓動を停止しているはず……。 なのに……なのに何故アナタの身体は消滅しないの?)
――マルアハの体内に宿る心臓のような形をしたアマノシロガネ――この物体がその鼓動を停止するとマルアハの身体は砂となって消滅してしまう……。 しかし、フルはその氷で出来た首の無い大熊のような姿を保ったままである……。
(……アマノシロガネはまだ鼓動をしている……? でも、フリーズ・アウトは何故ここまでの執念を……?)
ミヨシの尻尾から放たれた毒針を大量に浴びたフルは、全身から白濁した液体を垂れ流しながらピクピクと全身を痙攣させている……。
「――!? フリーズ・アウト――!?」
ミヨシを羽交い締めにしているイナ・フォグの赤い瞳が大きく見開き、彼女の口から驚愕の声が上がった。
『……ヒツジ……』
『……ヒツジ……もう一度、ボクはキミを……』
首の無い氷の熊は、白濁した液体を垂れ流しながら必死に身体を動かした。 まるで何かを求めるように震える氷の腕を目一杯伸ばし、『ズル……ズル……』と悲壮な音を上げながらクレーターの底を這いずっている。
先ほどまでゼルナー達を恐怖のどん底に貶めたマルアハの哀れな姿……。 その姿は見る者に憐憫の情を抱かせるほど悲痛であり、悲惨であり、悲劇的であった……。
「フリーズ・アウト、お前は……」
ライコウは過去の記憶の断片に気を取られ、ヒツジが加速装置を使用していた事に気付いていなかった。
フルの悲惨な姿を呆然と見つめるライコウを尻目に、ヒツジはデバイスを使って一気に加速してフルの傍へ駆け寄って来た。
「お姉様――!」
ヒツジは必死に腕を伸ばす氷の手を、無骨な金属の腕で掴んだ!
『ヒツジ……!』
だが、その時――
「ミヨシ、もう止めなさい!」
イナ・フォグがミヨシを制止しようとした瞬間、ミヨシの口から凄まじい火炎がフルに向かって吐き出された!
そして、その憎悪の業火はフルの目の前に辿り着いたヒツジに猛然と襲いかかった!
「「ヒツジ――!!」」
イナ・フォグとライコウの悲痛な巨大な穴底から叫びが響き渡る中、ミヨシが吐き出した業火によって周囲の氷があっという間に溶け、辺り一面が真っ白な蒸気に包まれた――!
――
……モクモクと立ち上る蒸気の中から薄らと人影が見える……
一糸纏わぬ姿をしている少女。 その年は人間でいうと14,15歳くらいであろうか……。 灰色に桜色が混じった髪はドロドロのオイルと埃が混じり合い、肩まで伸びていた美しかった髪の面影はもはや無い。 右目はすでに潰れており血のような液体が流れていたが、まだあどけなさの残る左の眼は無事であった。
白く透き通っていた肌は見る影も無く赤黒く腫れ上がり、所々炭化して黒ずんでいた。 灰色の翼が折れた痛々しい背中からは赤い血がしたたり落ちており、凶暴な暗黒の獣の前にその悲壮な背中を晒していた。 背中から流れる血が大地に落ちると瞬く間に白く凍結し、コロコロと真珠のような玉になった。
目を背けたくなるほど凄惨な姿の少女はもはや立ち上がる事も出来ないのか、皮膚が剥がれた悲痛な両膝を一生懸命立てている。 そして、震える両腕で無骨なロボットを抱きしめていた。
「……フリーズ・アウト……」
瞠若するイナ・フォグの目の前で、哀れな背中を見せながら銅色の小さなロボットを抱きしめるボロボロの少女。 それは、紛れも無くリリム=フリーズ・アウトであった……。
「……ヒツジ……ボクは……
……ボクは、キミを……
もう一度……キミを抱きしめたかった」




