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器械騎士と蛇女  作者: ティーケー
排除するリリム

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ヒツジ -2-

 「フリーズ・アウト……この姿は……?」


 イナ・フォグの目の前には翼の生えた熊の姿をした怪物が立ちはだかっていた。


 熊の身体は全身が氷で出来ていた。 まるでガラスのような透明度の高い美しい姿は、さながら氷の彫刻(ちょうこく)であった。 ゆっくりと羽ばたかせている翼もガラスのような氷で出来ており、バサバサと翼を動かすたびに刺すような冷気が辺りへ広がって行く。

 これだけ見ると、美しい姿をした熊の怪物だけのように思える。 しかし、この氷の熊を見た者は透明な氷から見える臓器の姿や、臓器を浸食する(おぞ)ましい回虫の群れに気を失ってしまうはずだ……。

 

 (巨大な氷の熊の体内には骨格が無く、ただピンク色の臓器だけが埋め込まれていた。 目玉、心臓、肝臓、肺、脳等……全ての臓器が氷の中に入っており、血管などで接続されていなかった。 代わりに灰色の(むし)や黒い線虫が絶えず臓器に()き出ていた。 臓器からウゾウゾと這い出ると氷の中をまるで水のように泳いで行き、別の臓器へ向かって行く……。 臓器から臓器へ気味悪い蟲がオタマジャクシのように不規則な動きをして行き来する様子は、嫌悪を通り越して恐怖すら覚える不気味さであった)

 

 イナ・フォグを見据えている大熊はその姿を見るだけで全身が凍り付く程の冷気を放っていた。 イナ・フォグは体内のエネルギーを熱に変えて身体の凍結から身を守っていたが、エネルギーを増大させるほど身体が重くなるのでスキルを使用した。 恐らく地上にいるゼルナー達がこの冷気を浴びたら一瞬で破壊されてしまう事だろう。

 イナ・フォグはすぐにでも地上にいるミヨシに呼びかけて、兵士達を退却させなければならなかった。 だが、彼女はこの大熊が言葉を発した事に絶句し、思わず動きを止めて、その様子を見つめていた。


 「……ボクが自我を無くしていない事にさぞかし驚いるだろう。 身体を急激に冷却して相転移(そうてんい)を起こした。 フリーズ・アウト……ミコ様が付けてくれた名は哀れなボクにふさわしかったという事さ」

 

 この熊の怪物はフルがアストラル体に変化した姿であった。

 イナ・フォグは黙ってフルの言葉を聞いていた。 だが、その裏では我に返って脳内でミヨシに連絡を取り、ゼルナー達を退却させるように呼びかけていた。 もちろん、ライコウ、ヒツジも一緒に……。

 そんなイナ・フォグの行動を気づいていない様子のフルは、イナ・フォグがよそ見をしている事に油断したのか、さらに言葉を続けた。


 「……でも、すぐにボクの意識は闇の中へ溶けていく……。 もう、二度とキミをキミと認識する事も無くなるだろう……」


 イナ・フォグは気を取り直して赤い蛇と化した右腕で禍々(まがまが)しい鎌を巻き付けながら、異形の姿となったフルを見据えた。 緊張した面持ちではあったが、彼女の瞳にフルに対する殺意は感じられなかった。


 「……アナタ、もうすでに全ての記憶が――?」


 イナ・フォグの問いに間髪入れず「そうだ」と答えたフルは言葉を継いだ。


 「キミの事はもちろん、ボクが愛したあの子の事も……。 そして、オナ・クラウド……」


 フルは何かを言いかけたようだが、躊躇(ちゅうちょ)して口を止めた。


 「――ボクにはもう時間が無い。 アマノシロガネが崩壊する前に、ボクがキミを消滅させなければならない。 キミの為に……いや、この星の為に……」


 氷の大熊は左右異なる色の瞳を怪しく光らせ、口から冷気を吐き出した。 イナ・フォグはいよいよフルが攻撃を仕掛けてくると見て、大蛇に巻き付けた鎌を手前に引き寄せた。


 「私は消滅しないわ。 ()()()()との約束を果たすまで……」


 イナ・フォグがフルにそう告げると、フルはガラスのような巨躯(きょく)を震わせた。


 「ふふっ、誰の事だか知らないがそうはいかない。 蛇蝎(だかつ)に乗っ取られた(あわ)れなキミを救って上げるのがボク達マルアハの役目だから……」


 身体を震わせたフルから猛烈な冷気が放出される――。 その冷気は“寒さ”と言うよりも刺すような“痛み”だ。


 『ミヨシ――! ここにいる全員に逃げるように伝えなさい!!』


 イナ・フォグは急激に低下する気温に危機感を抱き、ミヨシの脳内に大声を響かせた。 すると、間髪入れずにイナ・フォグの脳内にミヨシの声が届いて来た。


 『皆、もう逃げました! でも、ライコウ様とヒツジがそっちに――』


 『なんですって!?』


 イナ・フォグがミヨシの言葉に狼狽した様子を見せた時、フルはイナ・フォグに最後の言葉を投げた。


 「もう、ボクは間もなく声を出すことが出来なくなる。 だから、最後に言っておく。


 イナ・フォグ、ボク達の愛する妹……。


 忘れないでほしい……。 ボク達姉妹は決してキミを恨んでいない。 恨んでいるのはキミの身体を巣くう蛇蝎だけ。

 

 だから、キミを破壊して蛇蝎を滅ぼすボクを、どうか許してほしい……」


 イナ・フォグは仲間達の事が気になって、フルの言葉を話半分しか聞いていなかった。 だが、彼女の口から出た“妹”という言葉が酷く胸に響いたように感じ、再び意識をフルへと向けた。


 「……なっ、何? い、妹……?」


 その瞬間、イナ・フォグの脳裏に何者かの声が響いてきた。


 『――そう、お前は()()()()可愛い妹……。 イナ・フォグ……もう一度、自分の名前を思い出しなさい』


 呆気(あっけ)にとられるイナ・フォグを尻目に、フルはイナ・フォグにこれから始める無慈悲な攻撃を懺悔する言葉を告げた。 そして、ゆっくりと呪詛(じゅそ)を口に乗せた。


 『ヴォーチェ・マギカ……エフェス・ムクラット』


 「――さ、させないわ――!!」


 我に返ったイナ・フォグは慌ててフルを攻撃したが、時すでに遅かった……。 フルが呪詛を吐いた次の瞬間、彼女の言葉通り雪原全体が静寂(せいじゃく)に包まれた。


 イナ・フォグの眼前に広がった光景は、雪原から全く別の異世界へ一瞬で転移したかのような錯覚すら抱くほど異様な光景であった。

 音も無い、色彩も無いモノクロームの静寂な空間。 黒い雲は消え去り、横殴りに降りしきっていた吹雪は雪の結晶となりとなって空間に静止している。 その様子はまるで時が止まったかのようである。 向こうに見える氷柱の森林は霧氷(むひょう)に覆われて巨大な灰色をした氷のオブジェとなっている。

 分子や原子、全ての物体の動きが止まり、翼を羽ばたかせても空気を切る事が出来ず、呼吸する事も出来ない。 もし、人間がこの空間にいたら瞬く間に窒息死してしまうだろう。 そして、窒息すると同時に身体全体が結晶となりバラバラに砕けてしまうはずだ。

 

 イナ・フォグは『ナハーシュ・ネホシェット』を使用し、この冥界のような空間でも呼吸をする事が出来た。 だが、刺すような寒さは身体中の細胞を(きし)ませた。 体内のマナスを使用してエネルギーを放出し続けなければ、たちまち凍り付き、砕け散ってしまうだろう……。


 「……」 (空間を凍結させた? ここまでの低温は経験した事が無いわ……)


 声を出しても空気が振動しないので音が出ない。 もちろん、目の前でイナ・フォグを攻撃しようと身体を震わせるフルの声もイナ・フォグの耳に届かなかった。


 (フルが地上へ降りた時、ゼルナー達に超伝導(ちょうでんどう)を発生させるほどの冷気を放ち、彼等を瞬く間に破壊した。 その時、ゼルナー達のデバイスの温度計は間違いなく絶対零度(ぜったいれいど)を指していたのだが、今回のような現象は起きなかった。

 その理由は、フルがゼルナー達を殲滅(せんめつ)させる為に用いたスキルは広範囲の大地を凍らせ、大地に立つ物体を急激に凍結させただけであり、今回のように“空間を凍結”させた訳では無かったからである。

 あの時、凍て付いた大地から物体へ冷気が伝わり、物体そのものが瞬間的に絶対零度となった事で超伝導を引き起こした。 だが、ゼルナー達の身体エネルギーによる熱で超低温であった身体は温度上昇を続け、ついには超伝導状態が崩壊して爆発を起こしたのである)


 時が止まったかのような景色の中、雪原にいる器械達だけがその動きを止める事はなかった。 彼らはアザリアによってこの冥界の冷気から身を護る事が出来たのである。



 ――



 ケセットの身体を借りたアザリアは「フルの冷気を防ぐ」と言って冷気から身を護る呪術を使用した。 彼女がフルの使用した恐ろしいスキルの存在を知っていたからなのか分からないが、彼女の術のお陰で雪原にいるゼルナー達は皆、凍結しなくて済んだ。 だが、突然変わり果てた光景に兵士達は息を飲み、きっとマザーの愛が自分達の身体を纏う温もりがこの恐ろしい環境から身を守っているのだと勘違いし、マザーに感謝した。


 雪原に留まっているゼルナー達の中に、センと猫型ゼルナーもいた。 センはレグルスを雪原の外――アイズ・ゲノムへと逃がし、自分はマザーの言いつけを破って、イナ・フォグを援護しようとしていた。

 

 「――!?」 (この光景は一体、何でありますか!? それに、この身体を包む温もりは一体……)


 センは雪原の景色が急に変わる前、自分の身体が何故か温かくなった事を感じていた。

 

 首に下げていたゴーグル型のアイン・ネシェルを付け、変わり果てた白と黒の世界を見渡すセン。 吹雪は凍り付いて結晶となり空中へ漂っている。 地上に(うご)いていた器械のゾンビ達は氷の柱となっている。 声も、音も出すことが出来ない極寒の世界……。 普通ならあっという間に身体が凍結し、全ての機能が停止するはずの絶対零度の世界である。

 だが、雪原を脱出しようとしているゼルナー達は稼働を止めておらず、必死にアイズ・ゲノムへ退却しようと歩を進めていた。


 (身体を包む暖かい何か……たぶん、これは何らかの呪術。 しかも、この呪術はマザーの術ではない……まさか、奴が……?)


 センは冷気から身を守るこの術がマザーによって展開されたものでは無いと思っていた。 明確な理由は無いが、なんとなくそう思ったのである。 そして、この呪術を使用した者は、マザーの“仇”であるアザリアでは無いかと訝しんだ。


 (っく……とにかく、こうしてはいられないのであります! 不本意ながら、アラトロンの救援に向かわなくては――!)


 センが気を取り直して機械の翼を起動させようとした時、デバイスから二つの異常な個体が発見されたという警告が発せられた!


 「――!? (何でありますか、コイツは――!?)」


 驚きのあまり声を出すセン。 デバイスが警告を出す個体は紛れもなく器械であった。 ところが、その器械はセンの出力を優に超える出力を持っていたのである。

 謎の器械の出力はさらに増幅を続け、イナ・フォグとフルのいる場所へ向かっている。 こんな桁外(けたはず)れの出力を持つ器械は今まで見たことがない。 デバイスにはただ『UNKNOWN』と表示されるだけで何者なのか分からず、望遠カメラも機能しないので、器械の姿も確認出来ない。


 (なるほど、異常な冷気の影響でデバイスが故障しているのですか……)


 センは、尋常では無い出力を計測する器械らしき個体が、デバイスの故障によりフィールド上に表示されているだけのエラー表示だと判断した。


 (ん……? アレは――?)


 ところが、(すさ)まじい出力を出す器械から遠く離れた場所に、センはもう一人の器械の存在を確認した。 センはアイン・ネシェル使いその器械の詳細を調べた。 デバイスには『ACCESS DENIED』と表示され、器械の型名などは分からなかった。 だが、望遠カメラは通常に起動して器械の姿をデバイスのフィールド上に映し出した。


 (あっ、アイツは――!)


 先ほど反応した器械よりも数倍小さな出力でゆっくりと氷の地を進む器械は、先ほどセンが助けたはずの銀色の毛並みをした猫型ゼルナーであった。


 (どうして、アイツがあんな所に?)


 猫型ゼルナーの銀色の毛並みは真っ白に変化していた。 超低温の環境ではどんな物も白か黒にしか見えない。 そんな異常な環境の中であるにも(かか)わらず、猫型ゼルナーもアザリアの術に護られているのか、ゆっくりと氷の地を進んでいた。


 (……すると、あの異常な出力を出している個体はデバイスの故障では無い?)


 デバイスのフィールドにはもう一つの異常な個体が検出されていた。 それは、イナ・フォグのすぐ(そば)にいる個体であった。

 デバイスの望遠カメラがその個体の姿を捉えると、個体はガラスのような身体を持った大熊の怪物であった。


 (あっ、あれは……フル!?


 ……フルの様子に変化が? これがマザーの言っていた“マルアハの正体”……?)


 デバイスに映し出された怪物は、フルが変化した姿であった。 センはその異形な姿に息を飲んだが、それよりも、デバイスが故障していないという事実に驚かされた。


 (……やっぱり、デバイスは故障などしていない? でも、あのとんでもない出力を出している器械は一体……)


 センは異常な出力を発する個体をしばらく見つめていた。 しかし、センがやるべき事は謎の個体の正体を探る事ではない。


 (……むむ、ここで怪しんでも仕方ないのであります! アラトロンの傍へ行けば、何者なのかは自ずと分かるはず! それよりも――)


 センはゆっくりとイナ・フォグのいる方へ向かっている猫型ゼルナーを助けようと器械の翼を起動した。 しかし、空気も凍り付いた空では、空中で静止する事は出来ても進む事が出来ない。


 (くっ……仕方ない、マナスにエネルギーを加えて爆発の勢いで進むしかないのであります……)


 「――! (“運命の輪”よ――!)」


 センが叫ぶと、センの両腕の纏わり付いている銀色のリングが腕から離れた。 すると、リングは足下へ移動して熱を発したかと思うと、音の無い爆発を連続して繰り返し、爆発の勢いでセンの身体を前へ進めた。


 (マザー、申し訳ありません。 貴方から授かったこの武器をこんな風に使ってしまって……)


 空中を勢いよく飛びながら申し訳なさそうに下を見るセン……。 どうやらこの装置はマザーから譲り受けた物のようだ。 彼女の言葉から(さっ)するに、この銀色の輪は武器であり、本来、移動手段で使うものではないようである。 彼女はマザーの命令を反故にした後ろめたさもあって、マザーから(たまわ)った武器を移動手段で使用する事に躊躇(ためら)いがあったようだ。


 ――こうして、センは猫型ゼルナーを拾い、イナ・フォグの傍へ向かって行った。 その間、彼女は忽然(こつぜん)と消えてしまっていたシビュラとペイル・ライダー、そしてエンドルと合流した――。



 ――



 ミヨシはデバイスを使用する事が出来ず、この空気も凍り付いたモノクロの世界では声を発する事が出来なかった。 ライコウとヒツジはアセナを追って雪原の奥へ行ってしまった……。 ミヨシも追いかけようと思ったが、ライコウから「必ず、アセナを連れて戻ってくるから、此処(ここ)で待っていて欲しい」と言われ、蛇と化した尻尾を氷の大地に『ビタン、ビタン』と叩きつけながら、イライラした様子を見せながら後ろ足で顔を()いていた。

 兵士達は一斉に退却し、周りには破壊されたゼルナーの残骸と氷の塊となったフルの眷属(けんぞく)が転がっていた。 ついさっきまで兵士達の悲鳴と怒号が響いていた大雪原は色の無い静寂に包まれ、ミヨシはただ独り置いてけぼりになったような(さみ)しさを感じていた。

 

 (うぅ……一体これはどういう事なんでしょうか? 二人はまだ戻って来ないのかしら? 何だか身体は温かいから寒さは感じないけど、ココロは寒いですね……)


 色を無くした真っ黒い瞳で目をすぼめながら、寂寞(せきばく)とした氷の世界を(なが)めるミヨシ。 すると、向こうからバイクの姿に変形したヒツジがソリのような乗り物を引っ張って戻って来た。


 「――! ――!? (ヒツジ!?)」


 ヒツジはミヨシの目の前でワイヤーを発射して近くの岩に括り付けると、そのままミヨシを無視し、ミヨシの横を(かす)めるように猛然と通り過ぎた……。 ミヨシはヒツジが何をやっているのか分からず、慌てて叫ぶが全く声が出ない。 猪突猛進(ちょとつもうしん)するヒツジを唖然(あぜん)としたミヨシが見つめる中、ヒツジは岩に(くく)り付けたワイヤーに引っ張られてようやく停止した……かと思うと、急停止したせいで引っ張っていたソリと共に空中へ飛ばされた。

 すると、ヒツジと一緒に飛ばされたソリの中から気絶したアセナが飛び出してきた。 眠ったままのアセナは無意識のうちなのか分からないが、コヨミの頭をしっかりと抱きかかえており、そのまま地面へ叩きつけられてもコヨミの頭を離すことはなかった。

 

 「…… (うぅ……イテテ……)」


 氷の大地に叩きつけられたヒツジは、(うめ)きながらバイク型の身体を元のロボット型へと変化させた。 そして、呆然とするミヨシを横目に腹部の(ふた)をパカッと開くと、中からフワフワした毛に覆われたイヤホンを取り出した。

 ヒツジはそのイヤホンを、不審そうな顔をしているミヨシの耳に()じ込んだ。


 「ミヨシ、聞こえるかい?」


 「ニャッ!? 急に声が――!」


 ヒツジが取り出したイヤホンはデバイスの代わりになる物のようで、ヒツジの声がようやくミヨシの耳に届き、ミヨシの声もヒツジに聞こえるようになった。

 

 「一体、何が起こったんですか!? 何だか急に白黒の世界になったかと思ったら、声が出なくなって、周りの器械が皆凍り付いちゃって……」


 ミヨシは矢継(やつ)ぎ早にヒツジに質問をぶつけるが、そんな事ヒツジにも答えられるはずもない。 ヒツジはコヨミの頭部を抱いているアセナを両手で高く持ち上げると、ミヨシの質問を(さえぎ)った。


 「いちいち、ウルサイな! そんな事、ボクにも分からないよ! そもそも、ボク達の身体が何故こんな超低温の環境で動くことが出来るのだってね。


 それより――」


 ヒツジはそう言うなり、アセナを両手で持ち上げたまま、少しだけ身体を宙に浮かして言葉を続けた。


 「ボクはコヨミとアセナを連れてアイズ・ゲノムへ戻るよ。 キミはフォグの援護をしてくれ!」


 イナ・フォグは現在もフルと交戦中である。 イナ・フォグを追ったライコウもそろそろ彼女の傍に着く頃だ。 ヒツジの指示にミヨシは尻尾を立てながら「もともと、アタチはそのつもりだったんです!」と不満そうな様子でヒツジを睨んだ。


 「勝手なことばっかり言って! 貴方達がアタチを待たせなければ、とっくにフォグさんを助けに行けてたんです!」


 ミヨシの指摘にヒツジは「ああ、そうだった。 それはゴメンね――」と気のない謝罪をすると、ひっくり返ったソリを蹴飛ばして元に戻し、アセナをソリの上へ丁寧に乗せた。

 ミヨシは相変わらず不満げな視線をヒツジにぶつけていたが、ふと、アセナが抱いているコヨミの眼球が両目とも喪失(そうしつ)している事に気がついた。

 

 「あれ……? コヨミさん、確か片方の目は無事だったはず……」


 ヒツジはミヨシの問いを背中で受けながら、無骨な手でコヨミの乱れた髪を丁寧に整えた。


 「うん、コヨミの瞳はライコウが持っているんだ!」


 そう答えるヒツジの声は何だか興奮したように上ずっていた。


 「えぇぇ――! 何でそんな酷い事を――!?」


 ミヨシは驚きの声を上げ、何故ライコウがコヨミの亡骸(なきがら)から瞳を抜き取ったのか不審に思い、眉をひそめた。

 ヒツジはミヨシの顔を見ずとも、ミヨシが不審がっているだろうと感じていたので、ミヨシが口を開く前に言葉を続けた。


 「何でって、ライコウの為さ。 コヨミだってきっと喜んでいるよ」


 ヒツジは不可解な言葉を吐くと、再び身体をバイク型に変形させて自身の身体とアセナを乗せたソリをワイヤーで繋げた。 全てを一瞬で凍り付かす環境の中、ワイヤーはあっという間にカチカチになり、ワイヤーを繋げたジョイントも一瞬で真っ白に変わった。


 「ライコウ様の……」


 もしかしたら、ライコウはコヨミの形見として彼女の瞳を胸に忍ばせているのかも知れない……。 一度は不審に思ったミヨシであったが、そう思うと何だか救われるような気がした。


 「まあ、とにかくライコウに会えば分かるよ。 ボクは……フルに会いたくないから、アイズ・ゲノムで待機しているよ。 キミは早くフォグとライコウを助けてあげて」


 「……? いまさら何言ってるんです? フルに会いたくないなら、ディ・リターで寝てれば良かったものを……。 そんな事言うなら、そもそも何でアタチ達に付いて来たんですか?」


 ミヨシはキョトンとしながらも辛辣(しんらつ)な問いをヒツジにぶつけた。 すると、ヒツジは怒った様子で両手を挙げて「ウルサイな!」と再び怒鳴った。


 「ボクだけディ・リターへ残る事なんて出来る訳ないじゃん! ライコウも困るだろうから、仕方なく一緒に付いてきたんだ! いいから、早く行けってば!」


 ヒツジはしばしば癇癪(かんしゃく)を起こす。 ミヨシは「また始まった……」と思い、不機嫌そうな様子で大蛇となった尻尾を激しく振った。


 「フン、言われなくても行きますよ! 大体、誰の為に此処(ここ)で待っていたと思っているんですか、全く……」


 ミヨシはプリプリしながら大きく飛び上がる。 すると、ミヨシの背中からイナ・フォグのような漆黒(しっこく)の翼が生えて来た。

 ミヨシはそのまま上空に(とど)まると、ヒツジに向かって叫んだ。


 「――ヒツジ! フルに会いたくないなんてワガママ言わないで、アセナさんを運んだら戻ってくるんですよ!」


 「……分かってるよ……」


 ヒツジの感情を表現する一つ目のライトは冷気の影響で機能せず、ヒツジが今どんな感情を抱いているのか分からない。 だが、うつむき加減で力なくミヨシに返事をした様子を見ると「出来ることなら戻りたくない」という気持ちが窺えた。

 ミヨシもヒツジの感情はなんとなく理解していたが、フルを倒すにはヒツジの協力も必要だと思っていたので「必ず戻ってくるんですよ!」と念をついた。 そして、漆黒の翼を大きく広げて怪しげな(もや)を発生させると、翼を羽ばたかせずに滑るようにしてヒツジが来た方向へ飛んで行ってしまった……。


 (フリーズ・アウト……ボクはキミにこんな姿を見せたくはない……。


 それに、もう……キミは……)


 ヒツジはミヨシが飛んで行く様子を見送ると、下を向いて悄然(しょうぜん)とした様子を見せた。 そして、アセナとコヨミを乗せたソリを引き、アイズ・ゲノムへと戻って行った……。



 ――



 イナ・フォグはマナスを利用して飛行を維持し、アストラル体となったフルと対峙していた。 氷の大熊となったフルは目を閉じたまま、ガラスのように透き通る翼を広げて動きを止めていた。 翼を羽ばたかせる事もなく、空中へ浮かんだままのフル。 彼女もイナ・フォグと同じくマナスを利用して飛行を維持しているのだろう。 空気が凍った環境では風も吹かず、翼を羽ばたかせても飛ぶことは出来ないからだ。


 フルは全身からは異常な冷気を放出させながら、まるで金縛りにあったかのように動きをピタリと止めていた。

 

 (コイツ、何をやってるの……?)


 この時、フルの自我はもう(ほとん)ど失われていた……。


 フルはアストラル体に変化した瞬間、イナ・フォグとマルアハ達との幸せな日々を思い出した。

(はる)か昔の懐かしい記憶……。 二度と取り戻すことが出来ない穏やかな日々……。 思い出したくもない厄災の日……。 ほんの少しの間であったが彼女は全ての記憶を取り戻すことが出来た。 だが、不幸な事にそのまま自我を記憶の中へ置き去りにしてしまったのだ。


 イナ・フォグは静止したままのフルが「何か企んでいるのではないか?」と警戒し、スキルを使用して様子を見ていた。 言葉を発する事が出来ない状況なので『ヴォーチェ・マギカ』は使えない。 これから先はマナスを消費して言葉を出さずにスキルを使用するしかなく、イナ・フォグ自身もアストラル体へ変貌(へんぼう)する危険を(はら)みながらフルと戦わなくてはならないのである。


 (ふぅ……あまりマナスを使用すると、もう今の姿へは戻れなくなる。 とはいえ、奴はまだ“アレ”の存在に気づいていない……)


 イナ・フォグには勝算があった。 フルは体内の毒により消失したマナスを急速に回復させる能力は持っていない。 だが、イナ・フォグはマナスを回復させる術を持っていたのである。

 イナ・フォグは『アラフェール・ライラ』を使用して、自身を再び紫色の霧に包んでいた。 本来、このスキルを使用すると身体が紫煙(しえん)に包まれるはずだが、見渡す限り白と黒しか色が無い空間では、イナ・フォグの周囲が単にぼやけているようにしか見えなかった。


 フルはもう言葉を話すことが出来なかった。 彼女は一瞬だけ記憶を取り戻して懐かしい思い出に浸ると、再び何もかも忘れてしまった。 そして、ついに自我を無くし、人外の怪物へと変貌したのである。


 (アマノシロガネ……アレさえ破壊すれば……)


 フルのガラスのような身体の中では絶えず(おぞ)ましい(むし)が内臓から這い出ては別の内臓へ泳いでいた。 この気持ち悪い蟲達の正体は、ペイル・ライダーが放ったオフィエルの毒であった。 フルの体内に取り込まれた毒ガスは、蠱毒となって体内の臓器を食い荒らした。 一度侵入を許すと体液を養分として生き続ける為、臓器を食い尽くされるまで消滅する事はない。 フルの身体は謎の体液で満たされており、そのせいで蟲共は常に活動する事が出来たのである。


 (オフィエルの毒はフルが使用する『バグズ・マキナ』とよく似ていた。 いずれも蟲を体内に寄生させ、身体の中から対象者を破壊する。 だが、バグズ・マキナとオフィエルの毒は明確に異なる点が一つあった。 オフィエルの毒では寄生した宿主(やどぬし)の体内を腐食させて破壊するだけだが、バグズ・マキナは寄生した宿主を生かし続け、フルの命令に従う操り人形にしてしまうのである。 寄生された者は無事では済まないのはどちらも共通しているが、仲間だった者が次の瞬間には敵となるバグズ・マキナの方が器械達にとっては恐ろしい攻撃であった)


 フルの身体には人間と同じような臓器が幾つもあった。 肺のような臓器の間には、心臓と思われる光輝く物体――アマノシロガネが鼓動(こどう)していた。 全ての色が消失した中で、アマノシロガネは煌々(こうこう)と白い輝きを放っており、体内の臓器を浸食する(むし)の群れはアマノシロガネだけには近寄らなかった。


 体液はフルの口からヨダレのように()れていた。 全てを凍らせる極限の冷気にさらされているにも(かかわ)わらず、凍り付くこと無く口元を離れて地上へと垂れている。

 そして、口だけで無く、灰色に(にご)った瞳からもその液体は漏れていた。 イナ・フォグの目には瞳から漏れる体液がまるでフルの涙のように見えた。


 「フリーズ・アウト……アナタはもう……」


 アマノシロガネから放たれる光は流れる涙に反射した。 キラキラと光を散らしながら(かな)しく地上へ落ちていく涙……。 その涙を見てイナ・フォグは思った。


 もう、マルアハ『リリム=フリーズ・アウト』は死んだのだと……。


 今、目の前にいる怪物は“夢から覚めた『外の世界の者』”。 夢見る星に侵入したダカツを排除する為に造られた神の化身なのだと……。


 (あの液体は危険だわ……)


 イナ・フォグは、恐らくフルが体液を口から吐いて攻撃してくるだろうと予測した。 すると、フルはイナ・フォグの予想通り、彼女に向かって大量の液体を吐き出した――!

 

 (やっぱり――!)


 イナ・フォグはすでに回避の体勢を取っていた。 口から吐き出された体液は浴びせかけるようにゆっくりと弧を描き、イナ・フォグに迫る。 イナ・フォグの素早さであれば難なく回避する事が出来そうだ……。


 「なっ――!?」


 ところが、吐き出された体液の周囲の空間がにわかに(ゆが)んだ! その瞬間、イナ・フォグの身体は重くなってフルの体液を避けきれず、大蛇となった左腕にかかってしまった!

 

 「しまった――!」


 イナ・フォグは油断していた訳ではなかった。 だが、ラヴィから聞いていたフルの能力をすっかり忘れていた。

 フルは重力子という粒子を体内に宿しており、その重力子とマナスを結合させて空間を歪ませて重力を発生させるのだ。 重力子を纏った体液が周囲の空間に作用し、イナ・フォグの身体に重力をもたらした。 身体が重くなったイナ・フォグは体液を避けきれずに腕に浴びてしまったのである。


 もともと燃えるような真っ赤な大蛇であった左腕は色を無くして白く変化していた。 その大蛇の腕が液体に触れるとあっという間に凍結し、凍結した腕は何トンもの重りを付けられたかのように重くなった。


 「うぅ……。 奴から離れて戦わないとっ――!!」


 次から次へと体液を吐き散らしてくるフル。 その度に周囲の空間が歪み、歪んだ空間の中に入れば(すさ)まじい重力によって身動きが取れなくなってしまう……。

 だが、空気をも凍らせるこの超低温の環境では満足に飛行する事も出来ず、しかも、凍った腕は鉛のように重い。 対するフルは、まるで地上を走るかのように何事もなく空中を移動してイナ・フォグとの間合いを詰めてくる。

 

 「キャッ――!」


 今度はイナ・フォグの左足に液体がかかり、鉄球を付けた足かせをはめられたようにイナ・フォグの左足が動かなくなった。 こうなってしまっては、もうフルの攻撃を避けきる事は出来ない!

 

 「助けて……」

 

 声の聞こえない世界でイナ・フォグは助けを呼んだ。 もし、次にフルが液体を吐き出せば、液体を全身に浴びて凍り付いてしまうだろう……。


 ……全てを凍らせて粉々に破壊するフルの体液が口から吐き出される時、イナ・フォグはサムライに身体を切り裂かれたあの日の記憶が再び脳裏によぎった……


 ……


 『……タスケテ……』


 イナ・フォグの涙ながらの訴えに深く兜を被ったトコヨの戦士は、イナ・フォグを切り裂かんと青白い刀を構え、そして呟いた。


 『許してくれ……君は悪くない……。


 だが、君の中の蛇蝎がこの世界を壊すのであれば……


 神の夢を覚まそうとするなら……


 君を……』



 ……



 「君を―――!!」



 「俺が救う――!!

 

 

 ――



 「……アナタ……は……?」


 過去の記憶から戻ったイナ・フォグはあの時のトコヨの戦士に抱かれていた……。 フルの口から吐き出された体液を信じられない速度で避けたトコヨの戦士はイナ・フォグを抱きかかえ、あっという間にフルから距離を離し、涙目のイナ・フォグを見つめていた。

 

 「その優しい瞳……ライコウ……」


 イナ・フォグに慈悲深い瞳を向ける戦士は、ライコウその人であった。


 「フォグ……大丈夫かい?」


 空気が止まった環境で声など聞こえるはずがない。 だが、トコヨの甲冑を身に纏ったサムライ姿のライコウの声は、イナ・フォグの耳にはっきり聞こえた。


 「うん……。 でも、その話し方……キライ……」


 「では、いつも通りに話そうかのぅ、フォグ」


 二人はそう言うと、穏やかな笑みを浮かべた。 氷の大熊は一瞬二人の姿を見失ったようだったが、すぐに遠くにいる二人を見つけると、凄まじい早さで迫ってきた。


 「ライコウ、気をつけて! アイツはアストラル体に変化したフリーズ・アウトよ!」


 負傷したイナ・フォグを背に隠し、フルに向かって青白い刀を構えるライコウ。 そして、フルがまだ遠くにいる中で何やらブツブツ呟きながら、刀を一閃(いっせん)した――。


 ――その瞬間、なんとガラスのようなフルの巨体が切り裂かれた!


 『ガァァァ――!!』


 フルは苦しそうに叫び声を上げて、空中で立ち止まる! しかし、その轟音(ごうおん)のような咆吼(ほうこう)はライコウの耳は届かない。

 

 「空気が無かろうと、嵐が吹こうと、空間を切り裂けば問題ない」


 ライコウはフルの目の前の空間を切り裂いて、フルを攻撃したのだ。 一体どうやってそんな事が出来たのか?


 『外なる神々を畏怖せしめる異界の神よ――汝は我が主なり……。 次元を切り裂く偉大な刀をもって、全ての邪悪を破壊せしめよ』


 ライコウはアザリアと同じ呪文めいた言葉を口に出し、青白い刀で空間を切り裂いたのである。 つまり、ライコウもマルアハと同じスキルを使用する事が出来たのだ。


 「ラ、ライコウ……その力……は?」


 ライコウの背中に護られているイナ・フォグは、ライコウの凄まじい力を目の当たりにして名状(めいじょう)しがたい恐怖に震えた。


 「怖がる事はない、大丈夫じゃ……」


 イナ・フォグを見ずとも、彼女が(おび)えている事を悟っていたライコウ。


 「コヨミがワシの力を取り戻してくれたのじゃ……少しの間じゃがの」


 ライコウが被るサムライの兜はそり上がった二つの金色のブレードが装飾されており、その真ん中には色を失った空間でも煌々(こうこう)と光を放つコヨミの瞳が装着されていた。



 『貴方の本当の力……。 その力があれば、どんな敵にも負けやしない』


 

 コヨミの瞳は『ア・シティク=ルイネ』と呼ばれる月の光を生成する装置であった。 ライコウはコヨミの亡骸を抱きながら、この瞳から放たれる光によってサムライに変貌(へんぼう)したのである。



 ――



 ヒツジはソリを引きながら、ライコウが変貌した理由を考えていた。


 (エミュレータ……。 たぶん、コヨミの目から出た光がドウジギリをエミュレーションしたんだろう。 何でコヨミがそんな装置を……? いや、そんな事よりライコウの記憶は――)


 ヒツジはコヨミがエミュレータを内蔵していた事については、あまり深く考えなかった。 それよりも、ライコウが一時的に”昔の姿”を取り戻した事にヒツジは興奮していた。

 ヒツジは後ろを振り向いた。 そして、牽引しているソリの中で眠るアセナと、父に寄り添うように永遠の眠りについているコヨミを見つめた。

 

 「お父さま……か……」


 ヒツジが呟いた声は誰にも聞こえなかった。 スピーカーから出た音は消え、ヒツジの入力装置に出力した自分の声がこだましただけであった。

 

 (お父さま、お母さま……お姉さま……)


 ヒツジは自分の家族の事を思い出した。 ライコウの姿が元に戻った事で興奮していたはずのヒツジであったが、姉の事を思い出すとココロが締め付けられるような気がして、打って変わって落ち込んだ様子に変わった。


 もともと、ヒツジに姉などいなかった。 だが、ある日、一人のマルアハがヒツジの姉となった。 姉は自分の事を可愛がってくれた。 ヒツジはそんな姉の事が大好きだった。

 しかし、厄災の後、その姉は全ての記憶を失ってしまった……。 器械を食い、ショル・アボルを食って氷山に囲まれた雪原で暮らす姉は、もうヒツジの姉ではなくなっていたのであった。


 そして、ヒツジもかつて姉が可愛がっていた愛らしい姿ではなくなっていた。


 (こんな姿でボクは……お姉さまと会いたく……)


 ヒツジがフルに会おうとしなかった理由は自分の変わり果てた姿にあった。 そうは言っても、自分だけディ・リターへ留まる訳には行かなかった。


 ヒツジはディ・リターにある地上出口へ向かう間、終始落ち込んでいた。 イナ・フォグに落ち込んでいる理由を聞かれたとき「エクイテスの仲間達と会うことが嫌だ」と答えたのだが、実はフルとの戦いに参加したくなかったという本音を隠していたのである。

 確かに、エクイテスには良い思い出がなかった。 だが、仲間達と会うことは特に抵抗なかった。 本当は「デモニウム・グラキエスへ行きたくない」 「フルに会いたくない」と言う理由をイナ・フォグに言えなかったので、嘘をついたのだ。

 ヒツジはデモニウム・グラキエスへ向かっている間も感情が不安定であった。 ギヤマン杉を見て過去を思い出したときも、()りし日の優しく微笑(ほほえ)む姉の姿を脳裏に浮かべ、胸が締め付けられる思いがした。


 (もっと早くライコウが記憶を取り戻していれば、ライコウだけでマルアハを倒すことが出来るのに……)


 いつまでも過去の記憶を忘れたままのライコウに対して理不尽な怒りをぶつけたのも、そんな思いが胸に去来(きょらい)していたからであった。


 刻々(こくこく)と迫り来るフルとの戦い……。 どの道、フルと対峙(たいじ)する事は避けられない。


 (でも、こんな姿になったボクをお姉さまはボクだとは思わないはずだ……)


 ヒツジはそう言い聞かせてココロの平静を保とうとした。 フルはもう自分の事など忘れてしまっているはずだ。 ただでさえ、“こんな姿”になってしまった自分の事など……。

 

 こうして、ヒツジはライコウと共に雪原に攻め入った。 ところが、フルはイナ・フォグと上空で戦っており、ヒツジは運良くフルと対峙しなくて済んだ。 ヒツジはフルと会わなかった事に内心ホッとした。 ところが、今度はココロの奥底から別の感情が沸き起こり、ヒツジを不安にさせた。

 

 (ボクは本当にお姉さまと会いたく無いの?)


 ヒツジは自問自答した。 本当はフルに会って確かめたかった。 自分のこの異形な姿でもフルはまだ自分の事を覚えてくれているのかを……。


 この機会を逃せば、フルと二度と会うことはないだろう……。 


 (やっぱり、ボクはお姉さまと会わなくちゃ……)


 ……ヒツジはアセナとコヨミをアイズ・ゲノムへ送った後、再び雪原へ戻ろうと決意した。


 (ボクは今まで現実から逃げていた。 でも、もう逃げる訳にはいかないんだ)


 ヒツジの心境が変化したのは、ライコウが過去の姿に戻った事も一因だった。


 (本物のドウジギリはトコヨにある。


 『アマノハバキリ』……。


 ミコが造ったあの刀をライコウに接続させれば……)


 ライコウが過去の姿に戻ったとはいえ、それはドウジギリというシステムをエミュレートしたものであり、一時的なものだ。 本来なら、アマノハバキリというモジュールを接続させる事でしかドウジギリというシステムは稼働しない。

 マザーによるとアマノハバキリは厄災の時に所在不明となったそうだが、今もトコヨの何処(どこ)かに眠っているそうだ。 (マザーの言っている事が本当であれば……)


 ヒツジはマザーの言葉を信じて、ライコウと共にトコヨへ行こうとしていたのである。 だが、トコヨへ行くためには障害となるベトールを破壊しなければならない。 ベトールを破壊する為には、ベトールが苦手とする『グレイプ・ニクロム』という鉱物がどうしても必要であった。 したがって、グレイプ・ニクロムが存在する場所を縄張りとするフルと戦わなくてはならない事は必然であった。



 ――



 アイズ・ゲノムへ戻ったヒツジは色を取り戻し、声を出せるようになった。 ヒツジがアイズ・ゲノムに入ると、重傷を負った多くのゼルナーが雪の降りしきる大地で横たわっている姿が目に飛び込んだ。 全ての兵士達が満身創痍(まんしんそうい)の状態であり、再び雪原に攻め入ろうなどという気力のあるゼルナーは誰一人居なかった。


 「……みんな」


 負傷し、項垂(うなだ)れている仲間達を見て、ヒツジは何て声をかけて良いのか分からなかった。 多くの仲間達を失った悲劇に対し、ありきたりな哀悼(あいとう)を言葉に出す事さえ(はばか)られるほど、彼らは打ちひしがれているように見えたのである。


 ヒツジは横たわる兵士に二言、三言励ましの言葉をかけながら、ソリを引いて兵達が固まっている集団へ向かった。

 雪原に攻め込む前は整然としていた部隊も、今やディ・リター軍とエクイテス軍の分け隔てもなく、ゼルナー達が数カ所に固まって雑然と群れをなしているだけといった様子である。 その中で一際大きな群れをなしている集団――レグルスがいる部隊とカヨミがいる部隊の内、ヒツジはカヨミがいる部隊を目指して歩を進めていた。 


 デバイスからの情報でカヨミの容態は聞いていた。 カヨミは妹を失ったショックで今も気を失ったままであるという事を……。 時折、譫言(うわごと)のようにコヨミの名を呼んでは暴れ出すので、ソルテスやアロンが彼女を押さえつけておかなければならず、彼女の精神状態は予断を許さなかった。


 ヒツジがカヨミのいる部隊へ近づくと、ヒツジに気がついたゼルナー達が一斉に駆け寄ってきた。 そして、ヒツジが引いていたソリの中で気を失っているアセナを見て愕然(がくぜん)とし、変わり果てたコヨミの姿を見て言葉を失った……。


 「ヒツジ、無事で良かった……」


 ヒツジを囲んで悲嘆に暮れるゼルナー達の間からソルテスとアロンが顔を出し、ヒツジに声をかける。


 「うん、ありがとう。 それより、カヨミは――?」


 ヒツジの問いに、周りのゼルナー達はお互い悲しそうに顔を見合わせた。


 「……申し上げにくいのですが、カヨミ様は処理装置に異常をきたしておりまして……」


 「――!? 何だって――!」


 伏し目がちにヒツジの問いに答えたゼルナーに向かって、ヒツジは(だいだい)色の瞳を点滅させて急いでカヨミの下へ急ぐ――。 その間、兵達は気を失ったままのアセナをソリから降ろし、コヨミの遺体はソルテスが大事そうに抱きかかえた。


 カヨミは仲間達に囲まれて不凍液に満たされたカプセルのような装置に入っており、何かの治療を受けていた。

 

 「カヨミは無意識の内に暴れっから、オイラ達が押さえつけてたんだけど、スゲー力でよ……。 仕方ねぇからコイツの中でおとなしく寝ててもらってるんだ」


 ヒツジがカヨミの様子を見ていると、ドラム缶型の身体から頭をピョコッと出しているアロンが心配そうな様子でヒツジの背後から声をかけた。


 カヨミの身体には様々なダクトが接続されていた。 カヨミの目は(おだ)やかに閉じており、液体の中で眠っているようだったが、口は(かす)かに動いていた。


 『コヨミ……』


 唇の動きからカヨミがコヨミの名を口にしている事に気づいたヒツジは、瞳を青色に光らせて身を震わせた。


 「ソルテス、アロン……コヨミの遺体はカヨミには絶対見せちゃダメだよ」


 ヒツジの背後にアロンと並ぶソルテスの両腕にはコヨミの頭部が抱かれていた。


 「分かっています……。 コヨミさんのご遺体は丁重(ていちょう)に取り扱い、決してカヨミさんには見せませんから」


 ソルテスはそう答えると、周りのゼルナー達と共にカヨミの遺体を抱いたまま、後ろへ下がった。

 アロンはソルテスの背中を見送ると、ヒツジの隣へ移動した。 そして、カヨミの様子をヒツジと一緒に見つめながら、ヒツジに次の行動をどうするべきか聞いた。


 「ボクには分からない……。 でも、もう、みんな戦える状態じゃないのは確かだ。 ……だから……」


 ヒツジはライコウ達を残してデモニウム・グラキエスから全軍撤退するべきだと言葉に出そうとした。 ところが、ヒツジの思いを真っ向から否定するように意気揚々とした声がゼルナー達の中から聞こえて来た。


 「私達はまだ戦えるわ――!」


 モニタ型のゼルナー『ヴァイプ』を従えて兵士達の前へ(おど)り出た者は、雪ダルマ型の一般器械『ユキ』であった。


 「こぉの馬鹿野郎――! 余計なこと言いやがって! お前らなんかがどうやって、あんなバケモンと戦おうってんだ、コラ!」


 矢庭(やにわ)にヒツジの目の前に飛び出して来たと思ったら、勝手にゼルナー達の気持ちを代弁するかのように戦う意思を表明したユキ。 すると、勝手な事を言い出したユキに怒った兵達が、ユキとヴァイプを()って(たか)ってシバきだした。

 

 「イタタ――! ちょっと、何も私が戦う訳じゃ無いってば――」


 「ちょ……ちょっと、キミ達、何やって……」


 ヒツジが慌てて止めようすると「コラァァ、お前ら――!!」という怒声と共にユキとヴァイプを袋叩(ふくろだた)きにしていた兵達が一斉に吹き飛んだ。

 

 「あっ、キノ!」


 騒ぎに集まってきた兵達を押しのけて前に出てきたのは、エクイテスのゼルナーであるキノであった。

 

 「ヒツジ、オレはまだ戦える。 一緒に連れて行け」


 女学生のような格好をしておきながら男勝りの言葉を使うキノ……。 ヒツジはそんなキノに冷めたような白い目を光らせ、ぞんざいな言葉を放った。


 「連れてけって……。 別に一緒に来てもいいけど、なんでボクが連れて行かなきゃならないのさ。 勝手に付いて来ればいいじゃんか」

 

 ヒツジはそう言うと後ろを振り返り、出発の準備をしようとした。

 すると――


 「私もご一緒しますわ」


 ヒツジの背後からアザリアの声が聞こえてきた。



 ――



 「――! キミ、まだいたの!?」


 ヒツジは再び(きびす)を返し、瞳を橙色に光らせた。 そして、不審そうな様子で周りを囲む兵達を(にら)むと、彼等の足下をすり抜けるようにして犬型ゼルナーのケセットがヒツジの前に現れた。


 「私が来たから“彼女”は退散してしまったみたいね。 だから、しばらくは貴方達のお手伝いが出来るわ」


 彼女というのはどうやらマザーの事のようだ。 アザリアの声を出すケセットは、つぶらな瞳で舌を出し、尻尾を振りながらヒツジを見ている。 ヒツジはそんなケセットに(いぶか)しげな瞳を向けながら「フン、別に手伝ってもらわなくても良いよ」と鼻を鳴らした。


 「……そんなに警戒しなくても良くてよ。 貴方と私は“敵同士”だけど、今はフリーズ・アウトを倒すという同じ意思を共有している仲間じゃない」


 マザーと同じような言葉(づか)いでヒツジを(たしな)めるアザリア。 ヒツジはそんなアザリアの言葉遣いにイライラし、橙色の瞳をほんのり赤色に染めた。


 「別にボクだってキミを敵だなんて思ってないよ! ただ、キミの望む事とボクが望む事が違うだけさ」


 ヒツジはそう言うと、少し落ち着いたのか再び瞳を橙色に光らせて、言葉を続けた。


 「……キミが協力したいんだったら、勝手にすれば。 でも、キミはボクに協力したいんじゃ無くて、ライコウに協力したいだけなんでしょ?」


 ヒツジは嫌みったらしい言葉をアザリアにぶつけた。 すると、相変わらず愛嬌(あいきょう)のある瞳をヒツジに向けているケセットから、再びアザリアの声が(つむ)ぎ出された。


 「もちろん、ライコウに協力したいと思っているわ。 でも、イナ・フォグと貴方にも協力したいと思っているのよ」


 「キミはフォグの何を――」


 アザリアがイナ・フォグの名を出したことで、ヒツジはイナ・フォグについてアザリアに何か聞こうとしたようだった。 しかし、アザリアとヒツジのやり取りにしびれを切らしたキノが「テメェら、いい加減しろ!」と横から口を挟んだ。


 目尻(めじり)に薄いアイシャドーを塗った美しいキノの瞳。 その瞳は少し怒りの色を(にじ)ませながらケセットに向けられていた。


 「大体、テメェはケセットの身体を乗っ取って何を企んでる! コソコソ隠れてないで、テメエの身体を使って話せ!」


 キノはケセットの身体を使って言葉を伝えるアザリアに対して怒っていた。


 「……誤解ですわ。 私は別に“ケルビム”の身体を乗っ取っている訳ではないわ。 ケルビムは元々“こういう子”なのよ」


 まるでアザリアの言葉を伝える役目がケセットにあるかのような言い方に、キノは顔を(しか)めて不満の色を(かく)さなかった。 しかも、ケセットの名前をわざとらしく型名で口にする事がさらにキノの怒りを(あお)った。

 アザリアはそんなキノの様子を意に介していないようだった。


 「そんな事よりヒツジ、早く雪原に戻らなくてはなりませんわ。 すでにフリーズ・アウトはアストラル体になって、凄まじい冷気で全てを凍り付かそうとしている……」

 

 アザリアはそう言うと、ブツブツと呪文を唱えだした。 すると、キノとヒツジの身体が急に暖かくなった。 さらには何故かユキとヴァイプの身体も不思議な(ぬく)もりに包まれた。


 「わゎ、これは一体なんですか!?」


 ユキとヴァイプは互いに顔を見合わせて唖然(あぜん)とした……。


 「もはや、あの氷山に囲まれた先はこの世界ではありません。 全ての物体を凍らせる冷気が覆う別世界。 このまま雪原に侵入したら、貴方達は“器”もろともあっという間に凍り付いてしまうでしょう」


 アザリアは再び雪原へ行こうとするヒツジ達の為に身体の温度低下を防ぐ術を使ったのである。

 

 「ありがとう……。 もしかして、雪原全体を覆っている障壁もキミが――?」


 氷山に囲まれた雪原からアイズ・ゲノムへ冷気が漏れて来ないのも、銀色の膜のような障壁で雪原全体を覆っていたからである。 ヒツジが空を見上げると赤みがかった月のような物体が浮遊しており、銀色の光をキラキラと大地へ注いでいた。

 ケセットはヒツジの問いに顔を上げ「ワン――!」と一声月に向かって吠えると、再びアザリアの言葉を継いだ。


 「――違いますわ。 あの障壁はイナ・フォグのエネルギー体から生成されたもの。 彼女はフルと戦っている間に上空でマナスを蓄積させていたの」


 イナ・フォグがフルに勝算を見いだしていたのは、自身が上空に展開させていたエネルギー体をフルに悟られていなかったからであった。


 「あのエネルギー体は『ローシュ・ホデッシュ』と言うの。 マナスの量とイナ・フォグの“状態”によって形を変えるわ。 今は『ヤレアッハ・マレ』という状態に近い……。 早くイナ・フォグを休ませないと危険ですわ」


 アザリアはイナ・フォグのスキルを詳しく語った。 その様子を見ると、イナ・フォグの事を良く知っているように思われた。 ヒツジは『ダカツの霧沼(むしょう)』でイナ・フォグと初めて会うまでイナ・フォグについて全く知らなかった。 ヒツジはその事実に何故だか少し悔しく思った。


 「そんな事はどうだって良いよ! それより、早くライコウとフォグを助けに行こう!」


 ヒツジはフルと戦う事に覚悟を決めていた訳ではなかった。 まだ胸に引っかかる躊躇(ためら)いがどうしても残っていたのである。

 だが、もうヒツジはこれ以上逃げる訳にはいかない。

 胸につかえた蟠りはそのままで、ヒツジは「ライコウとイナ・フォグを助けなければ」という思いで自らを奮い立たせ、再び雪原へ向かおうとしたのであった。


 ――こうして、ヒツジ、キノ、ユキ、ヴァイプの四名がケセットの身体を借りたアザリアと共に再び雪原へ突入する事となった。 ところが、アザリアはもう一人のゼルナーを同伴(どうはん)させるようキノに指示した――


 「貴方達の仲間で『ロイト・ヘイム』という者がいるはずよ。 彼を一緒に連れて行きなさい」


 「ロイトを――? 何でアイツを連れて行かなきゃならんのよ」


 アザリアは不審(ふしん)そうな顔をしているキノの疑問に不可解な答えを返した。


 「フリーズ・アウトが優しい子だから……。 あの子はいつも仲間思いだったのよ」


 アザリアの答えにキノは「はぁ? まあ、アイツもまだ元気だから構わんけど……」と首を(かし)げながらロイトがいる部隊へと走った。

 対するヒツジはアザリアの言葉に胸が締め付けられるような思いがして、瞳を青く光らせながら、(はる)か昔の“お姉さま”の言葉を思い出した……。


 ……


 『……ヒツジ……ボクは何があってもキミを護るから……


 ……たとえ、ボクが……ボクじゃなくなっても……』

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