エミュレーション
――今から40年前――
ディ・リターに『カグヤ』と呼ばれる類い希な能力を持つゼルナーがいた。
カグヤは人型器械であり、若い娘の姿をしていた。 その姿は愛らしく、おかっぱ頭の美しい黒髪を肩まで伸ばし、月のように輝く銀色の瞳を持っており、その瞳の欠片のような三日月の紋章を肩に付けたパイロットジャケットを着ていた。 顔立ちは目鼻立ちがはっきりしている訳ではなく、どちらかというと少し鼻ペチャの丸顔であったが、常に愛嬌がある笑顔を称えていた。
彼女はディ・リターの市民に慕われていた。 愛嬌が良いということも慕われていた一つの理由ではあったが、彼女の持つ能力がディ・リターのゼルナーの中では唯一無二であり、ゼルナーの中では五指に入るほどの優秀なゼルナーであったので、市民から絶大な支持を得ていた事が大きかった。
カグヤはマザーによって製造された器械であった。 器械達は例外なくマザーによって製造され、この世界の全ての器械は皆マザーの子供である。
マザーは事ある毎に「器械達の自主性を重んじる」などと言って、都市の内政に全く介入しようとしなかった。 だが、その裏では製造した殆どの器械をデータベースで管理しており、その性能や性格、都市での生活状況を把握していた。
ところが、カグヤはマザーのデータベースに登録されていなかった。 マザーが製造した器械であるにもかからず、何故、カグヤはデータベースに登録されていないのだろうか……?
その理由は、カグヤが人間から転生した器械であったからである。 極希に、この星で死亡した人間の記憶がマナスと結合し、そのマナスがアニマに取り込まれると人間の記憶を持った器械が誕生する。 人間の記憶を持った器械の中には、人間であったときの能力を利用できる者もおり、そういった器械は生みの親であるマザーですら詳細を把握出来なかったのである。
カグヤはマザーが把握できない能力を身につけているせいで、マザーのデータベースに登録出来ず『UNKNOWN ZELNER』としてマザーの管理外とされた。
“マザーの管理外になった”と聞くと、まるでマザーに反逆しかねない危険分子として目の敵にされそうな印象を持つだろう。 それは当たり前の考えであり、本来なら自分が管理できない器械は排除して然るべきはずだ。
ところが、マザーは管理外となった器械を排除しようとはしなかった。 それどころか、むしろ、積極的に彼らの能力を利用しようとしていたのである。
このように、マザーの管理外とされた器械は例外なく人間から転生した器械であった。 その事実をマザーが知った時、彼女は自分が計画している壮大なプロジェクトに管理外の器械達を利用しようと考えた。 計画を成就する為には人間から転生した器械達を自分の管理下に置くと色々と不都合があった。 その為、人間から転生したであろう器械達を一度たりとも自分の管理下に置かなかったのである。
このマザーが計画しているプロジェクトはマザーの他にもう一人の人物しか知らなかった。 そして、彼女はこのマザーの極秘プロジェクトを口外する事は無かった。 したがって、マザーの計画が恐るべき企みなのか、それとも希望に満ちた夢なのかは現段階では誰にも分からなかった。
――
カグヤには三人の親友がいた。 一人はヘルートという黒装束を纏った大男、もう一人はペロートという長い髪を太い三つ編みに纏めた美しい女性、そして、三人目はシビュラという魔道士が着るようなクロークを纏った若い女性であった。
ヘルート、ペロート、シビュラの三人はバハドゥル・サルダールで製造されたゼルナーであった。 三人はカグヤと出会う前は世界中を旅していた。 その後、悲劇的な事件を経てカグヤと固い絆で結ばれるようになった。
ヘルート達は何の為に世界中を旅していたのか? 別に三人で仲良くバカンスを楽しんでいた訳ではない。 彼らはマザーから特命を受けて世界中を旅していたのだ。 その特命とは――
『人類の生き残りを探すこと』
もちろん、人類は遙か昔に絶滅していたことは周知の事実であった。 だが、マザーのデバイスでは人間がまだ生存している可能性が示唆されていた。 そこでマザーは自身の側近であるセン、サン、セムの三姉妹と、能力のある一部のゼルナーに人類の生き残りを探すよう命じたのである。
ヘルート、ペロート、シビュラはマザーの命により長年に渡って各地を旅し続けていた。 しかし、人間が生存している可能性は一向に見つからなかった。 三人はそれでも諦めずに旅を続け、ついにある海岸に打ち上げられていた外部記録装置から人間が生存しているかも知れないという情報を手に入れた。
ハギトの縄張りであったオーメル草原から西へ向かうと、複数の大渦が犇めく海岸へ出る。 その海を越えると『トコヨ』という名の大きな島へ行く事が出来るのであるが、侵入する者を容赦なく海の底へ引きずり込む大渦が立ちはだかる。 うっかり海へ飛び込もうとすれば、たちまち大渦に飲まれて強酸の海底で錆と化してしまう。 その為、海へ飛び込む勇者など誰もおらず「海がダメなら空からなら――」と空を飛べばベトールにあっという間に破壊されてしまうので、厄災以来トコヨへ行った者はマザー以外に誰もいなかった。
ヘルート一行はハギトを回避する為にオーメル草原を避け、沿岸部を北上してこの海岸へたどり着いた。 巨大な大渦によって何もかも飲み込まれてしまう海岸に人間が生存している手がかりなど有るはずも無い……。 三人もそんな事は分かっていたので、長い旅路の中でこの海岸を調査する事など一度もなかった。 ところが最近、たまたまオフィエルがこの海岸に侵入し、竜巻のような渦潮を上空高く巻き上げたという事件があった。 三人はアイナを訪れた際にこの事件を住民から聞き、海底に沈んでいた遺物が巻き上がって海岸へ散乱しているという情報を手に入れたのだ。
こうして、三人は海岸へ行き、打ち上げられていた遺物の中から腐食性の金属で覆われている外部記憶装置を発見したのである。
外部記録装置を発見した三人はその場で記録装置を身体に接続して中身を確認した。 すると、その中に一つのデータが保存されており、データは人間が記録したものだという事が判明した。
三人は急いでバハドゥルへ戻ってマザーにその記録装置を提出した。 マザーがデータを確認すると、一人の人間のつまらない日常を記録した何の変哲もない動画であった事が分かった。 しかし、その中で当時の人間達が一体何に興味、関心があったのかを知り得る貴重な映像も残っていた。
マザーはこの記録映像から、当時の人間が『ドリーム・ボックス』の地下に隠されている施設内で人間が生き残っているかも知れないというウワサがあった事を確認した。
――
デモニウム・グラキエスを東へ進むとドリーム・ボックスと呼ばれる遺跡がある。 マザーのデータベースに格納されている記録によると、この遺跡は“ホムンクルス”と呼ばれる人工生命体を製造する為に人間が建造した研究施設であったそうだ。 そして、その研究施設はかつてフルによって破壊されたという記録があった。 その時、フルは施設を管理していた研究員達を抹殺し、ホムンクルスに関わる全てのデータを消去したという。
当時、この事件は世界中の耳目を集めた。 ドリーム・ボックスの研究員達は全員フルに殺害され、捕らわれていた女性達と研究所の監視ロボットはジングウ国の工作員に助けられたというのがこの事件の概要であった。 当時、女性達を拉致監禁して人道にもとる研究をしようと企んだ軍事国家を世界中が糾弾したそうで、軍事国家がフルによって壊滅的な被害を受けた事は「当然の報いである」という論調が大勢を占めていた。 この事件について、マザーのデータベースではこれ以上の記録は無かった。 (マザーがドリーム・ボックスについてこれ以上情報を持たないのは、ある事情があった)
当時、トコヨには二つの国が存在していた。 『ジングウ』という国と『ヤマタ』という国である。 二国は互いにいがみ合っており、政策も対極をなしていた。 ジングウは諸外国との関わりを一切持たない鎖国政策を行っており、ヤマタは積極的に諸外国と外交をし、多種多様な武器や工業製品を輸出入していた貿易国家であった。
ヤマタを含め世界各国はドリーム・ボックスから救出され、ジングウに保護された女性達がどのような待遇を受けていたのか知ることが出来なかった。 その為、各国の首脳は「ジングウは女性達を唆してホムンクルスに代わる新たな実験を行おうと企んでいる」などと狂言を流布したが、誰もそんな嘘を信じる者などいなかった。 民衆はそんな事よりもドリーム・ボックスの地下深くに隠されているという“裏切りの証拠”を突き止めようと躍起になっていたのだ。
当時の民衆は「フルが抹殺したはずの研究員の中で生き残った者が何人かおり、彼らはフルの攻撃から逃れてドリーム・ボックス地下の“フリジデール”へ隠れたのだ」というウワサを真しやかに巷談していた。
この“フリジデール”という聞き慣れない施設はデモニウム・グラキエス周辺を支配する軍事国家が核戦争を想定した造った避難施設であった。 この施設は冷凍シェルターとでもいうような施設であり、研究所の地下に造られていた。 内部は生物を仮死状態にさせる冷凍ガスが充満しており、もし、大規模な核戦争が勃発して地上が放射性物質で汚染されれば、この冷凍シェルターに避難した者達は自身の体を仮死状態にさせる。 そして、地上の放射性物質が少なくなるまで眠りにつくのである。
フリジデールは有事の際に、要人や研究者が国民を差し置いて避難する施設であったので、国民にはその存在を知らされていなかった。 しかも、このフリジデールの存在はその軍事国家だけでなく、ジングウを除く世界各国も知っており、世界規模の核戦争が勃発した際に要人達は極秘裏にフリジデールへ避難できるという密約まで交わしていた……。
一体誰がそんな機密情報を漏洩したのかは分からないが、そのウワサを聞いて世界中の大衆は怒り狂った。 デモニウム・グラキエスを支配する軍事国家は、世界各国で批難声明まで出す敵対国家であったはずだ。 にもかかわらず、有事の際には仲良しこよしでお偉いさん方は皆、軍事国家の独裁者に手招きされてシェルターへ避難し、民衆が死に絶えるのを傍観しようとしていたのだ。
各国は当然そんな密約など否定し「フリジデールなど存在しない」と共同声明を発表した。 しかし、いくら秘密にしてもいずれ漏れてしまうのは人の常。 一旦漏れた秘密に戸は立てられず、次々とフリジデールが存在する証拠が明るみになり、上級国民の選民意識に怒り狂った一般国民は世界各国で大規模なデモを起こした。 そして、いくつかの国はそのデモが拡大してクーデターとなり、戦争の原因にもなってしまったのであった……。
一つの情報漏洩から始まった混乱は世界を混沌に陥れ、タガの外れた大衆はその存在を確かめるべく度々ドリーム・ボックスへ行こうとした。 しかし、すでにジングウの管理下になっていたドリーム・ボックスにはマルアハ達が守護しており、彼女たちの圧倒的な武力の前に誰も侵入する事が出来なかった。 (もちろん、世界各国の上級国民達は秘密裏にジングウと交渉してフリジデールへアクセスする許可を取ろうと交渉していたのだが、そんな輩達の願いをジングウが受けるはずも無く、大衆を欺いた罪は自らの命で償う事となったのである)
その後、人類は滅亡し、誰もフリジデールの存在を確認する事なく、真相は未来永劫闇に葬り去られた――はずであったが、それから1000年後、ヘルート一行がアイナの西に位置する大渦だらけの海岸で、海の藻屑へ消え去ったはずの外部記憶装置を発見した事で再びその存在が日の目を見る事となった。
――果たして、ドリーム・ボックスの地下深くにフリジデールなるシェルターは存在するのか? 1000年以上の時を経て、ようやくその真偽を確かめる時がやってきた――
マザーはヘルート、ペロート、シビュラをデモニウム・グラキエスへ向かわせ、ドリーム・ボックス内を調査するように命じた。 (マザーがヘルート達に調査を命じたのは、ある事情があった)
ヘルート達はハーブリムから地上へ出て、そのままデモニウム・グラキエスへ向かった。三人はデモニウム・グラキエスの入り口には難なく辿り着いたのであったが、そこで思わぬ強敵に出くわしてディ・リターへ退却した。 この時、三人は初めてカグヤと出会ったのであった。
――
ディ・リターのゼルナー代表としてヘルート一行と会ったカグヤは、ヘルート達の目的がマザーの命令による『研究所跡』の調査だと知った。
ヘルート達はマザーの存在を笠に着て、カグヤに対して施設調査に協力するよう強く求めたが、カグヤはこの要請を拒否。 逆にデモニウム・グラキエスには二度と再び近寄らないよう彼らに要請した。 だが、デモニウム・グラキエスのヌシであるフルは氷山に囲まれた大雪原からほとんど移動しない。 ヘルートはそう反論し「テメェもどうせデモニウム・グラキエスの入り口近くを徘徊する野郎を恐れているだけだろ! この臆病者が!」とカグヤを詰った。 ヘルート達はデモニウム・グラキエスの入口付近でオオカミ型器械に遭遇し、彼によって追い返されてディ・リターへ逃げてきたのである。 (尤も、三人は負けん気が強いので追い返された理由を「飲まず食わずでハーブリムから此処まで旅をして来たからだ」と弁明した)
ところが、カグヤはオオカミ型器械を恐れている訳ではなかった。 むしろ、デモニウム・グラキエス周辺を縄張りとしているオオカミ型器械を「そっとして置いて上げて欲しい」という願いから、ヘルート達の要請を拒否したのである。
――そのオオカミ型器械は東からやって来た流れ者であった。 当初はエクイテスへ侵入して安定した暮らしを求めたが、エクイテスから追放されてディ・リターへ流れ着いた。
彼がエクイテスから追放された理由は単に『東の遺跡から来た不審者』という理由だけではなかった。 彼はオオカミ型器械であるにもかかわらず、人型の器械にも変身する事が出来た事から、この奇妙な能力を警戒されて追放されたのだ。
本来、“型”の異なる器械の身体にアニマを転移させる事は出来ない。 アニマが拒絶反応を起こすからだ。 したがって、オオカミ型の身体をした器械が人型へ変更する事は出来ない。 ところが、このオオカミ型の器械は身体の構造を一瞬で変化させて人型になる事が出来た。 アニマを転移させて人型の身体に変更するだけでも不可能であるにもかかわらず、全く別の種族へ身体を変化させる事が出来たのである。 それは、器械達の常識として“あり得ない能力”であった。 そんな得体の知れない能力を持っている彼をエクイテスの連中が気味悪がるのも無理はなかった。
オオカミ型の器械は型名も特殊であった。
『130312 10512 10210101 130312 10510 1010213 130311 10512 10120212 130312 10512 10101010 130312 10512 10101012』
この通り、彼は簡易的に暗号化された数字だけの型名であった。 彼を製造したマザーの話では、彼は古代に製造されたショル・アボルのパーツを利用した試験的なアニマを使用しているので、型名にショル・アボルの名が残ったのだろうとの事であった。 だが、そんな説明では何故これだけ長い型名が付いているのか分かる者など誰もおらず、このままでは名を呼びにくいので、彼は器械達から『アセナ』という名で呼ばれるようになった。
アセナという名称は人間の言葉で『オオカミ』を意味するそうだ。 アセナはエクイテスを追放されてディ・リターへ移った。 だが、ディ・リターでも自分の能力を警戒されていたので都市に居づらくなり、地上へ出てデモニウム・グラキエスで暮らし始めた。
アセナは主にデモニウム・グラキエスの麓で生活していた。 氷山を登って高所へ行けば、フルと遭遇する危険が高いからだ。 フルはデモニウム・グラキエスの最も高い場所に位置する大雪原を縄張りとしており、そこから殆ど出ることはなかったが、やはり、氷山を登る者達にとっては最大級に警戒すべき相手であった。
エクイテスを追放され、ディ・リターにも居られなくなったアセナは自分をこんな境遇にしたゼルナー達を恨んでいたのかというと、そうでは無かった。 自分が他の器械達と違うことは知っていたし、マザーからも指摘されていた事なので、警戒されるのは当たり前だという思いがあり、自ら進んでディ・リターから出て行ったのだ。
当初はデモニウム・グラキエス付近に住み着いていただけのアセナであったが、やがて彼はフルを討伐する為にデモニウム・グラキエスへ侵入しようとするゼルナー達を悉く妨害するようになった。 エクイテスやディ・リターのゼルナー達は、そんなアセナを「フルの眷属となった愚か者のゼルナーだ」と厳しく非難し、大がかりな武装をして何度もアセナに戦いを挑んだが、結局、誰もアセナに敵う者はいなかった――。
「――アセナ? そんな奴、マザーから何も聞いていないみたい」
カグヤの説明にシビュラは、若々しい肌をした白い頬に掌を当てて可愛らしく首を傾げた。 ヘルート一行は事前にデモニウム・グラキエスへ侵入して研究所跡を調査する許可をハーブリムのマザーから得た。 その際に、アセナの事などマザーから何も聞いていなかったのだ。
「へっ、マザーが何も言わねぇって事は、やっぱ大した奴じゃねぇって事だ。 あいにく俺たちゃ、燃料も満タンで出力全開だ。 邪魔するんだったら今度こそぶっ壊して押し通ってやる!」
身長二メートルを優に超える屈強な大男であるヘルートが、被っていた黒頭巾を脱いで燃えるような瞳でカグヤを見据えた。 彼の身体は長年稼働しているのか、顔には深いシワが刻まれており、ツンツンした髪は色素が抜け落ちて一部白髪になっていた。
「全く、ヘルートはいつもそうやって油断する! この間、その大した事無い奴にコテンパンにやられた事をもう忘れたの!? 単にマザーが私達に言い忘れただけかも知れないじゃない!」
胸までかかった太い一本の三つ編みを揺らして調子付くヘルートを窘めるペロート。 彼女もヘルートと同じく長い間稼働していたのか、人工皮膚に少しシワが見えていた。
すると、シビュラが「この前はお腹すいていたところを不意打ちに遭ったから、撤退しただけみたい。 今度こそ破壊すればいい」と飄々とした様子で左手に持っている杖を右手で撫でながらヘルートの言葉に調子を合わせた。 ペロートは二人の意見に「……ん、まぁ、確かにこの前は不意打ちを食らったという事もあるけど……」と一瞬同調する様子を見せたが、すぐに首を振り「いいぇ、もっと警戒して戦うべきよ!」と両手を握りしめて二人を怒鳴った。
カグヤはアセナがゼルナー達の邪魔をするのは「きっと、何か理由があるはず」だとアセナとの対話を三人に求めたが、もはや、カグヤの言うことなど耳を貸さない三人は「アセナをどう破壊するべきか?」という意見の相違で喧嘩を始める始末であった……。
三人の様子を見て「コイツらに何を言っても無駄だわ」と諦めたカグヤ。 だが、アセナがゼルナー達の行く手を阻むようになって以来、誰もアセナを退けてデモニウム・グラキエスへ侵入出来る者がいなかった。 それだけアセナの戦闘能力は高く、好戦的な三人と戦えばお互い無事ではすまないだろう。 三人よりもアセナの事を心配したカグヤは、仕方なくデモニウム・グラキエスへ同行する事にした。
――
オオカミ姿のアセナは予想通りカグヤ達を妨害しようとデモニウム・グラキエスの入口に立ちはだかった。 カグヤはアセナをまだ数回しか見た事がなかったが、アセナが本当は心優しいゼルナーである事を見抜いていた。 何の目的か分からないがデモニウム・グラキエスへ行こうとしない限り、彼はゼルナーを攻撃して来る事は無かったからである。
一方、アセナもカグヤが他のゼルナーとは異質な事を何となく感じており、彼女とはいつか話をしてみたいという興味を持っていた。 ところが、もともと不器用なアセナの性格では彼女に話しかける事など出来ず、時々地上へ出て自分を監視していたカグヤを遠くから眺めているだけであった。
――マザーはマルアハの討伐を器械達の宿命としていた。 アセナがマルアハの討伐を邪魔する事は、マザーに対する反逆と見なされてもおかしくない。 エクイテスやディ・リターのゼルナー達は大聖堂へ行ってマザーにアセナの所業を告発し、アセナを罰するように進言した。
ところが、マザーはアセナを罰するどころか、彼を擁護した。
『あの子がデモニウム・グラキエスを通せんぼしている理由は、貴方達の能力を信用していないからですわ……。
逆に貴方達があの子に信用されるくらい性能が良ければ、あの子はきっと貴方達に協力してくれる事でしょう』
マザーだって器械達の行動を何でも放任している訳ではない。 ゼルナー達がアセナを告発する前に、すでにマザーはアセナを呼びつけ、ゼルナー達がフルの討伐をしようとする事を邪魔する理由を聞いていたのである。
『どうせ敗北すると分かっているのに、何故、アホみたいに出撃を繰り返すのです……』
アセナはフルの討伐を邪魔する理由をマザーにそう答えた。 明らかに戦力が劣るゼルナー達がフルと戦ったところで、全員彼女の眷属となるか、破壊されるかのどちらかしかない。 彼は自分たちの性能を顧みずに無謀にもフルと戦おうとするゼルナー達を止めていたのである。
アセナの言葉にマザーは納得し、彼の行いをこれ以上咎める事はしなかった。 デバイスでも、現状では器械達がフルに勝てる可能性はゼロであると明確に表示されている。 少なくともアセナを退けるほど優秀なゼルナーで無ければデモニウム・グラキエスへ入ることすら出来ない現状をマザーは歓迎したのであった。
ヘルート、ペロート、シビュラがマザーに会ったとき、マザーはアセナについて何も話さなかった。 その理由は三人の性能であれば、アセナが三人に協力して道を通してくれるに違いないと思っていたからであった。
だが、結局マザーの予想は外れてしまった……。 アセナを発見するや否やバズーカをぶっ放したペロートのせいで、三人はいきなりアセナと敵対関係になってしまったのであった――。
アセナは遠くからカグヤ達を見るとデバイスで「帰れ……」と通信を送った。 そして、背を向けて氷山へ戻ろうとしたが、背中からヘルートの罵声を浴びて立ち止まり、後ろを振り返った。
「――なっ! いつの間に――!」
アセナが吃驚するのも無理はなかった。 後ろを振り向くと、目の前にカグヤが佇んでおり、可愛らしい微笑みをアセナに向けていたのである。
「……」
二人は黙ってお互いの顔を見つめていた。 カグヤは微笑んでいるだけで何を考えているのか分からなかったが、緊張した様子のアセナはどうやらカグヤに話をするタイミングを見計らっているようだった。 ヘルート、ペロート、シビュラはカグヤから少し離れて後ろから二人の様子を怪訝な面持ちで見守っている。
アセナと同じ銀色の瞳を持ったカグヤの瞳。 アセナは思った――彼女の瞳は自分の濁った瞳とは違い、美しく澄んだ瞳だと。
ところが、カグヤはアセナの思いとは全く逆の言葉を口にした。
「貴方の瞳は美しいですね……」
アセナは彼女の突然の言葉に毒気を抜かれてしまった。 恐ろしいオオカミの姿であるアセナは目を丸くしてキョトンとした様子で棒立ちした。
「ふふっ……。 どんな姿であろうと、貴方の瞳は美しいわ」
金縛りにあったかのように身動きが取れないアセナの頬を、精一杯背伸びをしたカグヤの両手が触れた。
カグヤの手の平から柔らかい光がにじみ出る……。 アセナが彼女の手の温もりを頬に感じると、何故か身体があっという間に人型へ変わってしまった。
人型へ変貌したアセナは金縛りが解けたように膝を付き、震える手でカグヤの柔らかい腕に触れた。
「私はそんな貴方の優しい瞳が好きです」
「――!」
アセナは自分のことが好きだと言われたことなど一度も無かった。 お世辞でも、社交辞令でも誰かに自分の事を良く言われた事など無かったのである。
「私は……君と一度話をしてみたかった……」
アセナはいつも遠くでカグヤを見つめていただけだった。 遠くから眺めている彼女の姿は美しかった。 だが、アセナは彼女に一目惚れしたという訳ではなかった。 アセナはカグヤに何か他のゼルナーと違う匂いを感じ取っていた。 自分と同じような異質な能力を持つ者が放つ匂い――そんな匂いを持つ彼女であれば自分を受け入れてくれるかも知れないという期待感がアセナにはあったのだ。
「私もですよ♪」
カグヤはアセナの頬から両手を離し、首を傾けて茶目っ気のある笑顔を見せた。
――
……アセナはカグヤと出会ってから今までの事を思い出していた……
カグヤ達と共にドリーム・ボックスへ向かい、最後の人間を発見した事。
カグヤと契りを結び、分け合ったオイルでカヨミを生んだ事。
ファレグに人間を殺されたシビュラの無念を目の当たりにした事。
そして――
――フルによって、最愛の妻を殺された事――
「……私は彼女を二度も死なしてしまったのだ……」
コヨミはカグヤのパーツを利用して生み出された。 しかし、容姿だけでなく、言葉遣いも性格もカグヤとは全く似ていなかった。 似ているのは銀色の瞳と母を慕って着るようになったパイロットジャケットだけであった。
だが、アセナが最後に見た娘の横顔――迫り来る光線から彼を守ろうとしたコヨミの姿は、在りし日の妻にそっくりであった。
自分を守るために死んでいった二人。 自分が守るべき二人に、逆に守られた後悔と絶望。 アセナはそんな現実を直視する事が出来ず、過去の記憶へと逃げたのである。
――ラヴィが展開していた黒い靄が晴れてきた。 目の前には破壊されたゼルナーの残骸が折り重なっている。 アセナを囲むように生き残ったゼルナーがフルの次の攻撃に備えていた――
過去から戻ってきたアセナは、恐る恐るコヨミの亡骸の方へ顔を向けた。 アセナの目にはミヨシの背に乗せられて気を失っているカヨミの姿が見えた。 だが、コヨミの亡骸は何処にも見当たらない。
「コ、コヨミ……?」
一瞬、アセナは「先ほどの出来事は夢ではないか?」と期待した。 もしかしたら、いつものように「お父様!」とコヨミが抱きついてくるに違いない……。
だが、その期待はすぐに打ち砕かれた……。
ライコウは微かに光る物体を抱いていた。 アセナがその青白い光に気づいた時、ライコウの胸に抱かれている物体が何なのかを受け入れざるを得なかった。
コヨミの瞳は母親の瞳にそっくりであった。 それもそのはず、コヨミの瞳はカグヤの瞳そのものであったからである。 つまり、コヨミはカグヤの瞳を利用して製造された器械であったのだ。
「ル、ルイネ……」
アセナはライコウを照らす光を呆然と見ながら呟いた。 そして、いつかカグヤにこの悲しげな光について聞いた時の事を思い出した……。
……
カグヤには不思議な能力があった。 彼女の瞳に内蔵されている『ア・シティク=ルイネ』という装置は不思議な光を生成し、彼女はその光を掌と瞳から照射する事が出来た。 この光に触れるとオオカミ姿のアセナはたちまち人型へと戻った。
アセナはもともと『メタモルフォーゼ』という装置を内蔵しており、夜に降り注ぐ月光のエネルギーを吸収し、オオカミ型と人型のどちらの形態にも自在に変化する事が出来た。 しかし、身体の形状を変化させる為には夜でなければならず、日中の光ではメタモルフォーゼは起動しなかった。 ところが、カグヤが放つ光は昼夜問わず、アセナの身体を強制的に変化させる事が出来たのである。
カグヤはこの装置をエミュレータという装置だと言った。
「この装置は遠い記憶で見た月の光をエミュレートするものなの」
月の光はこの星でも夜になれば地上へ降り注ぐ。 わざわざ月の光を人工的に作り出さずとも夜を待てば良いはずだが、カグヤは「この星の月の光と、自身が作り出す光とは全く異なっており、この星の月の光は自身の作り出す光の“模倣”に過ぎない」のだとアセナに説明した。
「もともと、私達が生きているこの『夢見る星』はマナスによって別の惑星を仮想化したものなの。 私の身体に内蔵されているルイネは仮想化した月ではない本当の月を模倣するエミュレータなのよ。 もちろん、本当の月よりも力は劣るけどね」
カグヤの聞き慣れない言葉にアセナは困惑したが、そもそも何故カグヤが月を模倣する装置を内蔵しているのか疑問であった。
「……月の光は不思議な魔力を持っているわ。 マナスを利用せずとも様々な呪術を使用する事が出来るの。 人を癒やすことも、破壊する事も出来る。 人の潜在能力を引き出すことも出来れば、奪うことも出来る……」
カグヤの答えは、まるで自分が人間であるかのような言い方であった。 アセナは彼女にその事を指摘すると、カグヤは少し悲しそうな微笑を漏らながら俯くだけであった……。
……
コヨミの亡骸から放たれる光にカグヤの面影を見たアセナ……。 彼は人型に戻っていたにも拘わらず、まるでオオカミの遠吠えのような慟哭を響き渡らせた。
「――ウォォォン――!!」
彼の叫びを咎める者は誰もいなかった。 薄らいで行く闇は上空に光る二つの光を映し出す。 愛する娘の仇がアラトロンと戦っている姿であった。
――
多くのゼルナー達を破壊した大きなタマゴのような飛行物体は『クリパー・ノガー』という呪術であった。 それは、フルの灰色の翼から生み出され、始めはタマゴのような形でポンポンと音を立てて弾けるように飛び出すが、すぐに割れて二つの殻となり、中のレーザー砲を露出させて一方の殻に向かってレーザーを放つ。 殻はレーザーを反射する時にさらに細かく砕け、砕けた殻もレーザーを反射するので、結果的に大量のレーザーが反復し、威力が増幅するのである。
さらに、フルが放つ重力子の影響で、増幅したレーザーは予測不可能な動きで地上へ降り注ぐ。 その為、デバイスでもレーザーの進行方向を予測する事が出来ず、ゼルナー達は為す術がなく破壊されてしまったのである。
そんな恐ろしいスキルもシビュラとペイル・ライダーの活躍、それと、ほんの少しのエンドルの活躍によってようやく駆逐された。 次にこんな危険な術を使われれば、今度こそゼルナー達は全滅してしまう。 イナ・フォグはフルにスキルを使わせまいと、徹底してフルに接近し、一分の隙も与えずに絶え間ない攻撃を繰り返していた。
イナ・フォグはフルを攻撃しながら涙を流していた……。 彼女はコヨミがクリパー・ノガーによって破壊された事をなんとなくだが気づいていたのだ。 フルの攻撃を避けている時にコヨミの意識が突然頭の中を駆け巡ったからである。
コヨミが破壊されたと分かったとき、イナ・フォグの胸は張り裂けそうになった。 同時に、フルに対する憤怒が立ち上り、彼女の身体に多少ながら変化をもたらした。
――イナ・フォグの真っ赤な瞳には少しだけ黒い影が混じっていた。 コウモリのような羽根の無い翼は悪魔のようである。 手に持っている大鎌はもはや鎌にあらず、三日月型の灼熱の刃をガッチリ握る白骨化した人間の腕であった。 身に纏っていた黒いドレスはいつの間にか真っ赤なドレスに変わっている。 その姿はラヴィが召喚した『深紅の女王』に似ていたが、燃えるような大蛇と化している片腕が彼女を深紅の女王とはまるで異なる“禍々しい何者”かにならしめていた――
(……まだ、大丈夫。 “あの子”の死に悲しむことが出来るのであれば、私は……まだアイツの手には……)
イナ・フォグの真っ赤な瞳から流れる涙はコヨミを弔う為の悲しみであった。 彼女は今まで器械達の死に悲しむどころか、慈悲を垂れるなどした事がなかった。 むしろ、そんな事をしようと考える余地などなかったのだ。
ところが、今の彼女はコヨミが破壊された事を感じ取り、コヨミの喪失を悲しんでいる。その悲しみを忘れない限り、身体が多少変貌して自身がアストラル体へ近づきつつあっても、自我を失う事なくココロを平静に保つ事が出来るはずだと自分に言い聞かせた。
対するフルも体内のマナスが殆ど無くなっており、自我の崩壊から自分の意識を保つ事で精一杯であった。 彼女もまた、イナ・フォグと同じく自我が崩壊する事を恐れていたのである。
「ヒツジ……君は一体何処に……?」
まさか、1000年もの間探していたヒツジが目の前にいるとも知らず、苦しそうに息を漏らすフル。 彼女もまた、厄災によって絆を引き裂かれた被害者であったのだが、それはマルアハ全員に言える事だろう……。 だからと言って、イナ・フォグの哀しき刃は止まる事は無いのである。
「プルサ・デ・ヌーラ」
徐々に動きが緩慢になって来たフルの隙を逃さず、イナ・フォグが呪術を吐いた。
『しぃ※S※……※※……※※……死※主……主……※S4H※※タ……※シュタ……他……』
イナ・フォグの呪詛を全身に浴びたフルの耳元に不気味な声が聞こえてきた。 地から湧き上がるような奇妙な声は、初めは『ペチャ、ペチャ』という微かな子供の囁き声であったが、徐々に大きな声になったり、呟くように小さな声になったりして不快な不協和音を吐き散らかし、フルの頭を狂わせた。
『……4ュタ……TA※R……ある……※BN……※※※※…たる……※ベン……※……SHTARBN………しゅたる……べん』
頭を破裂させるほどの大きな声が響いたかと思うと、骨の軋むほどの針のような小さな声が全身に突き刺さる。
あらゆる忌まわしい言葉を吐きながら、その声はやがて一つの言葉を紡ぎだした。
『……シュタルベン……シュタルベン……シュタルベン……』
フルは頭を押さえて発狂したように叫んだ。
「ウゥゥ――! 止めろぉぉ――!!」
すると、彼女の背後に真っ赤な血のような空間が現れた!
『クスクス……フフフ……』
子供のような声はフルの頭の中で笑いながら嫌悪すべき言葉を吐き続ける……。
(……このままでは……)
フルは自分が背後の血のような恐ろしい空間に吸い込まれると、どうなるか予想していた。 恐らくアストラル体に変貌するまで戻って来る事は出来ないだろう。 それどころか、もしかしたら、邪悪な血の海に圧殺されてしまうかも知れない。
(このイナ・フォグが使用した『プルサ・デ・ヌーラ(呪殺)』というスキルは文字通り、対象者を呪い殺す恐ろしい呪術である。 血のような壁をした空間に閉じ込められると徐々にその空間が狭まり、閉じ込めた者をじわじわと押し潰す。 どんな手段を使おうとも逃げる事は出来ず、閉じ込められた者は乾いた笑い声とうめき声が混在する血の部屋の一部となるのだ。
ところが、この呪術の真に恐ろしい効果はそれだけでは無かった。 この血のような壁の向こう側にはありとあらゆる邪悪が潜んでおり、その全てが解放されるとこの星をも呪いによって消滅してしまう可能性すらあるのだ……。 イナ・フォグはこの呪術の危険性をそこまで認識しておらず、また、現段階でこの呪術にそこまでの効果が発揮される事はなかった)
「ヒツジ……ボクは……もう、この姿ではキミに会うことが出来なそうだ……」
フルは血の空間に吸い込まれる恐怖で気が触れたのか、自分の頭に銃を突きつけた。
だが、フルの行動はイナ・フォグの想定通りであった。 フルは自身に銃弾を打ち込むことで自身の質量を増大させて、重力の作用を強める。 イナ・フォグの妨害を振り切って地上へ落下した時もこの銃弾を使用した。 したがって、イナ・フォグは先ほどと同じようにフルが地上へ逃げようとしていると確信し、素早くフルの下へ回り込んで落ちてくるフルを返り討ちにしようとした。
フルのこめかみに向けられた生き物のように蠢く細胞に侵食され奇妙な銃。 その銃口から『――ズドン――!!』という乾いた銃声が響き渡る――。 イナ・フォグの予想通りであれば、次の瞬間にフルは背後を不気味に蠢く真っ赤な空間から逃れんと落下してくるはずだ。 落下した勢いでフルを下から鎌で切り上げれば、きっとフルは自身の落下する勢いと相まって真っ二つに切り裂かれるに違いない……。
……ところが……
銃声が響いた瞬間にフルの姿が忽然と消えてしまった! それと同時に当たりを張り詰めた冷気が支配した。
「――何っ、このスキルは――!?」
イナ・フォグはフルが使用したであろうスキルに戸惑いを見せた次の瞬間――
――イナ・フォグは背後から凄まじい衝撃を受け、吹き飛ばされた!
「クッ――!」
イナ・フォグは黒い翼を大きく広げ、空中に静止した。 真っ赤なドレスは背面がカチカチに凍り付いており、翼も所々氷に侵食されていた……。
「まさか――!?」
心なしかあれほど激しく吹いていた吹雪は勢いを弱めているようだ。 地上ではゼルナー達が絶叫し、所々大爆発が起こっている。 だが、上空の張り詰めた空気は地上の騒音を拒絶し、あらゆる音を遙か遠くで鳴っているような小さなノイズに変えていた。
上空で広がっていた紫色の光はすでに無くなっていた。 マザーが張り巡らせた虹色のバリアももう消滅しており、薄暗い灰色の雲の中から月のような光がイナ・フォグと彼女の目の前にいる“一体の怪物”の頭上を照らしていた。
――
イナ・フォグがフルと戦っている間、地上のゼルナー達は全軍撤退を始めていた。 レグルス率いるエクイテス第二部隊はセンの先導によって、すでにアイズ・ゲノムを目指して氷山の渓谷まで到達していた。 燃料が殆ど残っていない中、何故、短時間でこれほどの距離を移動出来たのか? その理由はロイト・ヘイム率いるエクイテス第三部隊が燃料を運んで来てくれたからであった。
第三部隊は前線へ物資を運ぶ輸送部隊であった。 ロイトを筆頭にアクボル、ハトゥールという有能なゼルナーが、雪原で立ち往生している部隊に補給物資を迅速に運び、雪原からの撤退を促していたのである。
ハツカネズミ型ゼルナーのアクボルは、唯一無二の能力である『ネズミコウ』という装置を使い、自身の分身を次々と生み出して雪原に放った。 ネズミ達はゼルナー達に取り付いて体内の燃料をゼルナーに補給し、保温性のある人工毛から熱を発してゼルナーの身体を温め、さらには小さい二本の牙から薬剤を投与して身体の損傷を修復した。
一方、トラ柄の猫型ゼルナーであるハトゥールは、恰幅の良い腹の中に燃料や食料を大量に備蓄する事が出来る装置を内蔵していた。 この装置は『Q・D・S』と呼ばれている装置であり、マザーによると装置内に異空間を生成してマナス以外の様々な物質を大量に保管できるという便利な機械だとの事であった。 備蓄量の上限はなんと大型トレーラー十台分というとんでもない量であり、一体どうやってそんな大量の物品を腹の中へため込むことが出来るのかは、この装置を製造したマザー以外には誰も分からず、装置を使用しているハトゥール本人すら分かっていなかった。 (ちなみに、マザーによるとこの装置の正式名称は『クワットゥオル・ディメンシオニス・サックリー』と言う長ったらしい名だそうだ……) だが、そんな便利な能力を持ったハトゥールであったが、致命的な欠点があった……。
鈍足……。 彼は致命的に足が遅く、磁力を無効化しても雪に足を取られてダルマのように転げ回り、アクボルのように迅速にゼルナー達の燃料を補給する事が出来なかったのである。 その為、サクラ2号がハトゥールを背中に乗せて雪原を駆け回り、ハトゥールの足となってゼルナー達の燃料を補給して回った。 (尚、ハトゥールにはもう一つの致命的な欠点があり、その欠点によりサクラ2号から嫌われていた)
こうして、レグルス達は輸送部隊の活躍のお陰で残り少なかった燃料を補給する事が出来、短時間で無事アイズ・ゲノムへ退却する事が出来たのである。
アイズ・ゲノムへ退却したレグルス隊に続き、残ったゼルナー達も皆、サクラ2号とアクボルから予備燃料を受け取り次々と退却していた。 ミヨシは急速に低下している気温を懸念し、もはやフルの討伐はイナ・フォグに任せるべきで、自分たちも撤退するべきだとライコウに伝えた。
「ああ、分かっている。 これ以上犠牲者は出したくない」
ライコウはミヨシの意見に同意して、周囲の状況を見渡した。 多くの仲間達の残骸がそこら中に転がっており、生き残った者達も少ない燃料を絞り出してヒーターを稼働させている有様だ。 ラヴィはすでに身体の損傷が激しく、到底戦えるような状態ではない。
(ラヴィが危険な状態だ……。 もう、戦わせる訳にはいかない)
ラヴィは彼女を慕うエクイテス第一部隊の連中によって、無理矢理担架へ寝かしつけられていた。 ライコウが心配せずとも愛しいラヴィにこれ以上の無理はさせまいと、第一部隊の親衛隊はラヴィを連れて退却する準備を進めていたのである。
「うぅ……。 ワガハイもコヨミの仇を討ちたかった……」
担架に寝かされたラヴィはもはや起き上がる出力もないようで、ベースケとヤシュに担架を持ち上げられると、ライコウに向かって涙声を出した。 ラヴィの隣では、アルスが気を失っているカヨミを背負っている。
ライコウはラヴィの訴えに悲しそうな微笑を浮かべて頷くと、アルスとベースケに顔を向けて目配せをした。 二人はライコウの目配せに首肯を返すと、ラヴィとカヨミを担架ごと大型のスノーモービルに乗せた。
「それじゃ、俺らは撤退すんぜ! コヨミの仇、絶対討ってくれよな!」
アルスとベースケを先頭にして、この場にいる生き残ったゼルナー達は皆退却を始めた。
ところが――
「アセナは何処へ行った!?」
ラヴィの様子に気をとられていたライコウは、いつのまにかアセナの姿が見えない事に気がついた。 アセナだけでなく、コヨミの亡骸も忽然と消えてしまっている……。
「――アイツ! まさか……」
アセナはライコウ達の追跡を逃れる為にデバイスの通信を遮断していた。
『――シビュラ! アセナがそっちへ向かっているはずだ! アセナを発見次第、君がアセナを保護してくれ!』
シビュラは上空でクリパー・ノガーの残骸を掃討していた。 エンドルとペイル・ライダーの尽力もあって、コヨミの命を奪った無慈悲なレーザー砲は殆ど破壊した。 後は、前方でフルと戦っているイナ・フォグの加勢をするだけである。
『アセナはこっちに来てないみたい! 私達はこれからアラトロンの援護をする! 貴方も早く――!
――!?』
シビュラがライコウの呼びかけに応答していた時、不意に何処からともなく若い女性の声が聞こえてきた。
『ダメ……。 逃げて……』
その声はデバイスの通信に割り込みして、フィールド上にも『逃げて』という警告を表示させた。
「なっ、何者――?」
シビュラが不思議な声に狼狽した次の瞬間――彼女の目の前が突然真っ白になった!
『――おい、シビュラ! どうしたんだ――!?』
突然、応答しなくなったシビュラに必死に呼びかけるライコウ。 すると、ライコウの背後から不意に「ワン――!」という犬の鳴き声が聞こえてきた。
「――! 何だ――!?」
ライコウの隣にいたヒツジとミヨシも犬の鳴き声に驚いて一斉に後ろを振り向いた。 すると、三人の後ろにはエクイテスに所属するゼルナーであるケセットが尻尾を振りながら舌を出している姿があった。
「君は……?」
ライコウはケセットの事を知らなかった。 デバイス上ではケセットは『2216:ケルビム』という型名が表示されており、エクイテスのゼルナー達が何故彼をケセットと呼んでいるのか不明であった。
ライコウの呼びかけにケセットは再び「ワン!」と一声鳴くと、三人の脳内に直接声を届かせた。
『アセナは娘を殺された怒りで、無謀にもフルに戦いを挑もうとしていますわ。 ライコウ、貴方が彼を救って差し上げるのです』
「――! 君は、まさか――!」
このマザーの言葉遣いを真似した女性の声にライコウは聞き覚えがあった。
(アザリア――)
ライコウがアザリアの名を口に出す前に、アザリアは外の世界の者を召喚する呪文を口に乗せた。
『這い寄る混沌、千の無貌――変幻自在の大いなる使者。 ハクチの夢を守護する霧よ、唯一無二、普遍たる絶対を夢想の住民に示せ』
アザリアが呪文を唱えると、極寒の地に一瞬、暖かい風が吹いた。 そして、次の瞬間、雪原にいる全てのゼルナーの身体が穏やかな春のような温もりに包まれた。
「――これは!?」
ライコウ達が身体を包む温もりに驚いている中、ケセットが再びアザリアの声を紡ぎ出す。
『フリーズ・アウトの冷気から貴方達を守護しましたわ。 さあ、早くアセナを――!』
ケセットはアザリアの声を三人の脳内に響かせると、くるりと踵を返して駆けだした――。
「まっ、待て! 君は――」
ライコウが呼び止めるも、ケセットはそのまま吹雪の中へ消えていった……。
――
凍り付いた毛皮を吹雪にさらし、一匹のオオカミ型器械が壊れた器械の頭部を大事そうに抱えながら雪原を進んでいた。
彼は何故、娘の亡骸を抱えてフルと戦おうとしていたのか?
アセナは自分の力ではフルに敵わない事はよく分かっていた。 それでもフルに戦いを挑もうとするのは、コヨミを破壊された復讐の為であった。 勝ち目の無い絶望的な戦いを挑もうとしているにも拘わらず、コヨミの亡骸を抱えて両手を塞いでいるアセナは、すでに多くの矛盾を抱えているように見えた。 しかし、彼にとってはコヨミが傍にいる事こそ、フルに復讐する為に必要な事であった。
アセナは娘と共に自爆しようとしていたのである。
フルの前で自らの手でアニマを破壊し、大爆発を起こしてフルを道連れにする……。 そして、彼は永遠にコヨミと……妻のカグヤと共に一緒にいようと考えたのだ。
だが、そんなアセナを引き留めるように何処からともなく声が聞こえてくる。
「……お願い、死なないで……」
アセナの耳元にコヨミの声が響いて来た。
「――コヨミ!?」
驚いたアセナは吹雪の中で立ち止まり、両手に抱えるコヨミの亡骸に視線を落とした。
煤けた顔に片方しか無い瞳……。 光は消え、もの言わぬ金属となった変わり果てた娘は、確かに稼働を永久に停止していた。
「空耳か……」
アセナはそう呟くと、立ち止まったまま空を見上げた。 前方の空に二つの光が互いにぶつかっている様子が目に映る。 フルとアラトロンが戦っている姿である。
(あの光の下まで行って、タイミングを見て奴に特攻する。 飛行できるのは一度きり……。 タイミングを逃せば燃料切れで飛ぶことが出来なくなる)
アセナは音速を超えた出力で一気に飛び上がり、そのままフルに突撃して自爆しようと考えていた。 イナ・フォグを巻き添えにしてしまう事を避ける為に、イナ・フォグがフルから離れるタイミングを見て飛び上がろうという計画であった。
アセナは空から目を外し、前を見据えた。 そして歩き出そうとした時、再びコヨミの悲しそうな声が耳に響いてきた。
『……残されたお姉ちゃんはどうするの?』
アセナは思った。 恐らく、この幻聴は自分が少なからずカヨミの未来を気にしているから聞こえてくるものだと……。
「大丈夫だ、カヨミは私が居なくても仲間達と強く生きていける……」
アセナは幻聴にそう言い返すと、再び歩を進めようとした――。
「――!?」
ところが、今度は何者かに肩をつかまれ、歩みを止められた。
「……ライコウか……」
アセナは振り返らずとも肩をつかんだ者がライコウであると感じていた。
「邪魔しないでほしい……。 これは私のコヨミに対する償いなんだ」
アセナはそう言うと、後ろを振り向く――。
ところが――
「――なっ!? キサマは――!?」
後ろを振り向いたアセナは驚愕した表情を浮かべた。 彼の目にはライコウの姿が映っていなかったのだ。
慌てて戦闘態勢に入ろうとしたアセナであったが、コヨミの亡骸を抱いていたせいで瞬時に攻撃する事が出来ない!
次の瞬間、アセナの腹部に激しい痛みが襲った! デバイスから機器の損傷を知らせる警告が発せられる――。
「グゥゥゥ……キッ、キサマは一体……」
アセナは何者かに腹部を強打され、気を失ってしまった……。
『!INF 出力制限解除装置「インドラ」:起動中……エミュレータ「ア・シティク=ルイネ」出力増幅装置仮想化完了……出力増幅装置「ドウジギリ」エミュレーション開始中……出力増幅210……250……300……』
アセナを襲撃したゼルナーはデバイスのフィールド上に身体情報を表示させたまま、アセナの手からこぼれ落ちたコヨミの亡骸を拾い上げた。
食中毒でダウンしており、しばらく振りの更新です。 更新をお待ちしていた方には申し訳なく思っております……。 食中毒も40度以上の熱が出るものなんですねぇ。 初めて経験しました。
皆さんも、体調管理にはお気を付けください。




