想い
「……きっ、君は……ルズ!」
目の前に広がる雪原から飛び出してきた原型を留めていない器械達の群れ……。 エクイテス第二部隊に所属していたゼルナー『コウ』は、行方不明になっていた恋人の変わり果てた姿に目を疑った……。
――今から10年前――
エクイテスのゼルナーであったコウは、軍の指示でディ・リターへ派遣されていた。
コウはゼルナーとしては二流の性能であった。 性能が低い彼は定期的にエクイテス軍の輸送部隊としてディ・リターへ派遣され、ディ・リター軍と共にデモニウム・グラキエスへ同行していた。 エクイテス軍はディ・リター軍からデモニウム・グラキエスへ同行する兵士を要請される度に、コウのような性能の低い下級ゼルナーを派遣していたのであった。
エクイテス軍が下級ゼルナーしか派遣しなかったのは理由があった。 すでにこの時期になるとフルを討伐する事を諦めていた二都市は、慟哭の雪原の先にある『グレイプ・ニクロム』という世界一堅い鉱物を入手する為の戦略へと切り替えていたのである。 その為、戦闘能力が高いゼルナーは必要なく、むしろ戦闘能力は低いが機動力が高いような輸送特化型のゼルナーが重宝されたのだ。
ディ・リター軍にはルズという女性型ゼルナーが所属していた。 彼女もまたコウと同じく性能の低い下級ゼルナーであった。 ルズはグレイプ・ニクロムを採取する為の特別部隊を編成していたカヨミの下で補給係を担当していた。
エクイテスの人型ゼルナーは全て男性型であった。 したがって、ディ・リターにいる女性型ゼルナーは彼らにとって憧れの的であり、中でもルズはカヨミに次いで人気の高いゼルナーであった。
彼女の容姿は美しかった。 金色の髪は天使のようであり、青く輝く瞳は碧空を思わせた。 澄んだ小鳥のような声は可愛らしい思春期の少女のようであったが、その佇まいは凛としていた。 一見すると、声を掛けるのも躊躇うような美貌をもった彼女であったが、話をすれば人当たりが良く、どんな者にも嫣然とした笑顔を向けた。 それでいて、時々おっちょこちょいであるという稚気が、男性型ゼルナーの間で人気が高い理由であった。
対するコウは、地味でうだつの上がらないポンコツゼルナーであった。 パッツリと前を揃えたふんわりした茶色い髪はまるでキノコのようであり、子犬のような愛嬌のある瞳はとても戦いに赴く戦士の瞳ではなかった。 身に纏っている鎧も木刀で殴られただけでヘコみそうな使用感のあるくすんだ鎧であり、腰に下げている小刀は布も切れないのではないのかと思われるほど貧弱な物であった。
そして、そんなゼルナーらしからぬ姿に輪をかけて、彼は人一倍臆病でもあった……。
コウはいつも地面を見ながら背中を丸め、トボトボと遠慮がちに歩いていた。 ゼルナーであるにもかかわらず、道行く一般器械にぶつかれば「気を付けろ、馬鹿野郎――!」と頭を小突かれ、平謝りするという体たらく……。 さらに補給係としてデモニウム・グラキエスへ出兵すれば、身も凍るような吹雪の音で「ひぃぃ!」と耳を塞いで蹲り、下半身から冷却水を漏らすという醜態を晒した。
『エクイテスのコウは、控えめに言って“カス”だ。 何であんな軟弱者にアセナ殿は目を掛けているのか……?』
ディ・リターのゼルナー達はコウを嘲笑し、ディ・リターの司令官であったアセナの判断に疑問を呈した。
だが、一見なんの役にも立たないコウには唯一の特殊能力があった。 逃げ足だけは異様に速く、レグルスやキノといった一流のゼルナーにも後れを取らないという能力が……。
アセナはそんな常軌を逸したコウの韋駄天ぶりに目を付けて、彼であればグレイプ・ニクロムを採掘してデモニウム・グラキエスから無事戻って来る事が出来るかも知れないと知れないと期待した。
アセナはコウに厳しい訓練を課した。 逃げる時だけでなく、普段でも加速が安定する事を目指した訓練であったが、コウは何時まで経っても逃げ足だけしか速くならなかった。 結局、痺れを切らしたアセナは訓練半ばでコウを特別部隊へと編入させてしまった……。
特別部隊に配属されたコウは、そこで初めてルズと出会った。 ルズの美貌は仲間達から度々聞いていたが、実際に会ってみると美しいだけでなく、快活で人当たりの良いゼルナーであった。
彼女はネクトであっても、バトラーであっても、どんな者にも卑下することなく誠実に接していた。 いつも下を向いて自信なさげに会話をするコウですら、ルズと話す時だけは真っすぐ彼女の瞳を見つめながら屈託の無い笑顔を見せていた。
コウはルズとだけは何の緊張も無く話をする事が出来た。 とはいえ、コウは上級ゼルナー達にも人気のあるルズを“高嶺の花”と思っていたので、彼女に対して特別な感情を抱いている訳ではなかった。 ところが一方、ルズはコウと出会った時からずっとコウに好意を寄せていた。
一見ただの臆病者に見えるコウ……だが、ルズはコウと初めて会った時から、コウの臆病なココロの奥底にある“優しさという勇気”がある事に気づいていた。 ルズはそのコウの優しさに惚れ、コウの事を愛していたのであった。
特別部隊はグレイプ・ニクロムを採掘する重要な任務を遂行する為、近々にデモニウム・グラキエスへ出兵する事が決まっていた。
(特別部隊は300名程度の小規模な部隊であり、もともとはフルに見つからず雪原の南に位置する『氷柱の森林』の奥をひたすら目指すという単純な独立部隊であった。
ところが、そんな何の戦術も持たない特攻部隊ではいつまで経ってもグレイプ・ニクロムを採掘する事など出来なかった。 それどころか、フルを無視してひたすら南を目指すという単調な作戦を長年続けていたせいか、さすがのフルもゼルナー達の行動を不審に思って、南端の崖地でゼルナー達を監視するようになってしまった。
毎度のことながら大損害を出してデモニウム・グラキエスから遁走するゼルナー達……。
そんな状況についにマザーもゼルナー達に苦言を呈するようになった。
マザーの失望に焦ったディ・リター軍の司令部は、グレイプ・ニクロムを採掘する為の戦略を急遽練り直した。
アセナは特別部隊をグレイプ・ニクロムの採掘を担当する採掘班と、フルを挑発して引き付ける為の戦闘班、燃料の補給と物資の輸送を担当する補給班の三つのグループで構成した。 いわずもがな、単なる”囮作戦”を実行する為の構成である……。
『はぁ……司令部は「戦略を練り直す」などという偉そうな事を言っておきながら、結局は誰でも考え付きそうな囮作戦しか思いつかなかったのかよ……』
この作戦に兵士達の間では失望の声が溢れていた……。
だが、アセナとしてみれば、囮作戦しかグレイプ・ニクロムを採掘出来る可能性を見いだせなかったという止むを得ない理由があった。
フルは慟哭の雪原を縄張りにし、雪原から殆ど出る事はなかった。 しかも、フルの視界は広く、ただ氷山の影に隠れながら南を目指してもあっという間に発見されてしまい、殲滅されてしまう……。 マザーはそもそもグレイプ・ニクロムを採掘する目的に協力的ではなく『そんな事をしているヒマがあったら、早くアラトロンを仲間に引き入れなさい』と苦言ばかり言い放つ……。
そんな現状では、結局「フルの監視の目をいかに搔い潜ってグレイプ・ニクロムを掠め取るか」という戦略しかなかったのである)
コウは当初、ルズと同じく補給班に配属されていたが、しばらくすると採掘班へ異動させられた。 そもそも、アセナがコウを特別部隊に入れた理由は彼の機動力を生かして採掘したグレイプ・ニクロムを迅速に輸送する為であったので、コウが採掘班に異動する事は当然の人事であった。
コウはこの危険な任務を指示されてから震えが止まらなかった……。 もちろん、フルに破壊されるかも知れないという怯懦が彼を震えさせた理由の一つであったのだが、それよりも、ルズも一緒に採掘班へ異動して来た事に対しての恐怖が彼を震えさせたのである。
『前回の作戦では、フルによって採掘班が全滅したと聞いている……。 今回もフルに発見されれば、無事では済まないだろう。 僕も君も生きて帰って来れるか分からない……』
コウはそう言ってルズに採掘班から離脱する事を勧めた。 ところが、ルズはコウの忠告を聞き入れず『もし、自分を採掘班から離脱させたいのなら、コウも一緒に離脱して欲しい』などという条件を付けて、コウを困らせた。
『ルズ、どうして君はそんなワガママを言うんだい?』
コウの困惑した顔に対して、ルズは穏やかな微笑を返して呟いた。
『……それは、私が貴方を愛しているから』
コウは思いも寄らないルズの告白に驚愕して飛び上がった。
『なっ、何で僕なんかに君が――!?』
目を丸くして顔を赤らめるコウに、ルズは仄かに頬を紅に染めながら言葉を贈った。
『……貴方が誰よりも優しくて、強いヒトだから……』
ルズの言葉にコウは戸惑った……。 “優しい”という言葉は臆病者の言い訳でよく使われる言葉である。 コウは自分が臆病だと思ってはいたが、優しいとは思っていなかった。 ルズの言葉は自分の臆病な性格を良いように判断しているだけだと思った。
さらに、コウはルズの“強いヒト”という言葉に対し明確に否定をした。
『……ぼっ、僕は……アセナ司令官やカヨミ隊長、コヨミさんとは違う……。 一生懸命頑張ってはいるけれど、僕はいつも仲間達に助けられてばかりいる弱いゼルナーなんだ。
こんな僕を慕ってくれるのは嬉しいけど、僕は君が考えている程……
……!』
コウはつらつらとルズに弱音を吐いていると、ルズが悲しそうな顔をして自分を見つめている事に気が付いた。 そして、このままではルズのココロが自分から離れてしまうと感じて、自分の本音をルズにぶつけた。
『でっ、でもっ――!! どんなに弱くても、笑われても――! 僕は皆を助けたいという思いは誰にも負けない! ……そ、そりゃ、時々逃げることもある……けど、僕は……
……もし、君が僕の恋人になってくれるなら――
僕はもう絶対に僕から逃げない!!」
事実上、コウの叫びはルズに対する求愛であった。 ルズは透き通るような青い瞳を称え、微笑みながらコウの傍へ近寄り、コウを抱きしめた。
『ルズ、僕は君を愛している! 君が一緒にいてくれるなら、僕は何があっても君から離れない!』
――それから出撃までの短い間、コウはルズと逢瀬を重ねた。 時には二人で部隊を離脱してアイナへ逃げようかとも画策した。 だが、特別部隊はその絶望的な生存確率ゆえに脱走者が多く、アセナ達上級ゼルナーの監視の目が特に厳しい為、二人は過酷な運命に従うしかなかった……。
――二人は願った。 この短い幸福が永遠に続くように――
だが、迫り来る時は残酷であった……。 二人を引き離す出撃の時がいよいよ訪れたのである。
今回の作戦は今まで以上に大規模なものであった。 今までは特別部隊のみの少数での出撃であったが、今回はカヨミ率いるディ・リター軍とロイト・ヘイム率いるエクイテス軍がフルの気を引かせる為に雪原へ出撃し、その間、採掘班が雪原を囲む氷山の間を縫って南を目指し、氷柱の森林の奥に顔を出すグレイプ・ニクロムを採掘するという二都市による共同作戦であった。
『ルズ、消磁装置が停止しないように気を付けて! ついて来れなくなったら僕の肩につかまってね』
ルズと出会う前はいつも下を向いて皆に馬鹿にされていたコウ。 だが、コウはもう下を向くことはなかった。 命を懸けて愛する者を護りたいという彼の想いが、悲鳴のような吹雪が吹きすさぶ極寒の地でも凛然と前を向いて突き進む勇気を与えたのである。
『もう失敗は許されん――! マザーの為に我々は命を懸けてこの任務を遂行する!
――作戦開始!!』
カヨミの勇猛な掛け声と共に、ディ・リター軍とエクイテス軍の出撃の叫びが鯨波となって響き渡った。
コウとルズは仲間達と共にディ・リター軍とエクイテス軍が雪原へ突撃してフルと戦闘を開始したタイミングを見計らい、全速力で南へと走った。
――作戦は順調に進んでいた。 フルは戦闘班に気を取られ、採掘班に気付いていないようだった。 時折、強烈な重力が採掘班を襲い、後ろを振り向けばゼルナー達が撃つレーザー砲がグニャグニャに曲がる様子が見えた。 デバイスからはフルによって破壊されたゼルナー達の悲痛な叫びが聞こえてきて彼らの胸を締め付けた。
彼らはフルに気づかれず、ようやく氷柱の森林へ到達した。 仲間達の中には消磁装置が故障して走れなくなった者もいたが、コウがその者に肩を貸し、また、仲間達もコウに肩を貸した。
もはや、今のコウを馬鹿にする仲間など一人もいなかった。
仲間達は互いに助け合い、励まし合いながら森の中を進んだ。 そして、ついに切り立った崖が聳える麓に顔を出しているグレイプ・ニクロムを採掘する事に成功した。
『作戦が成功したぞ!』
歓喜する仲間達と共に、コウとルズは互いに抱き合って喜んだ。 そして、ディ・リターへ無事帰還したらマザーの許可を得て“結婚”をしようと固く誓い合った。
『さあ、ルズ、一緒に帰ろう――』
コウがルズの手を取って微笑むと、ルズは頬を染めて可愛らしく頷いた。
ところが、コウ達が帰還しようとした次の瞬間――
『――なっ、そんな馬鹿な!?』
――コウ達の目の前にフルが立ちはだかった!
『そ、そんな……。 連合軍は一体――!?』
採掘班がデバイスでディ・リター軍とエクイテス軍の状況を確認すると、すでに軍は壊滅しており、バグズ・マキナを発症した仲間達に囲まれた兵が必死に戦っている映像が映し出された。
『……コソコソとボクの領土から資源を盗むドブネズミ共め……キミ達には、もっとキツイお仕置きが必要だね』
愕然とするコウ達の部隊の前に立ちはだかったフルは、灰色の髪に隠した赤い瞳を怪しく光らせる。
……すると、突然、周りの空気が歪んだかと思ったら、立っていられないくらいの重力が彼女達の上からのしかかり、次々と仲間達が深い雪の中へ沈んで行った――。
コウとルズは空気の歪みが比較的薄い後方にいたためか、前方の仲間達よりも体にかかる重みが比較的軽かった。 だが、まるで底なし沼のような雪は徐々にコウとルズの身体を凍り付く大地の底へ引きずり込んでいく――。
『コウ、助けて――!!』
身体の半分が雪に埋もれてしまったルズ……。 コウも自分の足が殆ど雪に埋もれてしまい、ルズを助けようにも助ける事が出来ない!
『あぁぁ、ルズ、ルズ――! マザー、僕に力をっ! ルズを助ける力を下さい!』
『――神様――!!』
コウは必死に思いで力を振り絞り、ルズの下へ歩み寄る――。
すると、上空から微かに誰かの声が聞こえて来た……。
『外なる神々を恐怖せしめる異界の女神――我が主は汝なり。 悲しき光を放つ全ての存在に慈悲深き愛の光を与え給へ――』
不思議な声が上空から響き渡ると、今度はフルの叫び声が聞こえて来た……。
『――お前、またボクの邪魔をしに来たのか!?』
フルの怒鳴り声が聞こえると、コウの身体は急に軽くなった! コウは雪の中へ沈んでいくルズの手を必死に掴み、自分でも信じられない程の出力を発揮してルズを引き摺り出した。
『ルズ――! 僕はこの身体が壊れても君を護る! 君を――
――君を――!!』
コウはルズを抱きしめて、二人は悲愴な口づけを交わした。
『コウ……』
……だが、コウはルズを護る事が出来なかった……
突如として上空から現れたアザリアによって間一髪救われた採掘班であったが、その後、フルが使用したバグズ・マキナによって、コウ以外の仲間は全てフルの眷属となってしまったのである……。
『ルズ、ルズ――!!」
夥しい虫の群れがルズの身体を覆いつくし、ルズを奇怪な怪物へ変えようとしている……。 コウはカヨミの手を振りほどいてルズの下へ這って行くが、途中でアザリアに阻まれた。
『行ってはいけません! もう、あの子は助かりませんわ!』
アザリアの前方には神々しい光の壁が張り巡らされており、襲い掛かって来る虫の群れを焼き払っている。
しかし、哀れなことにアザリアの張った光の壁が間に合わず、ルズと仲間達は虫たちの餌食になってしまったのだ……。
『コウ……コウ……』
虫たちの群れの中へ消えて行くルズの姿……。 コウはその絶望的な光景の中、デバイスから響き渡って来たルズの声を聞いた……。
『コウ……さっきは助けてくれてありがとう……。 貴方はやはり強いヒト……。
だから、私が死んでも、どうか悲しまないで……。
きっといつか、また会えると信じているから……。
その時、もし……貴方が……私の事を覚えていたら……
今度こそ、ずっと一緒に……』
……
(ルズ……僕は君の事を絶対に忘れない! この身体が朽ち果てても忘れてなるものか!)
――コウは十年の時を経て、再びこの大雪原でルズと再会した――
かつて仲間であったゼルナー達が有機物に侵食された悍ましい姿となって、雪原へなだれ込んだ数万の兵に襲い掛かる。
阿鼻叫喚の地獄絵図のようなこの光景は、確かに現実のものであった。
顔見知りであった仲間の無残な姿に立ち尽くした兵が、その仲間によって食い殺されるという目を覆いたくなるような凄惨な光景がそこら中に展開されていた……。
「ギャァァ――!!」 「――ヒィィ――!」
絶望の叫び、悲痛な声、苦悶の呻きが聞こえる雪原に、コウは恐ろしい姿となったルズと再会した。
『コウ……愛してる……』
コウにそう言って微笑んだ美しい金髪を靡かせていた青い目の女性は、今やコウの目の前で引き千切った仲間の腕を貪りながら青い瞳を濁らせる怪物へと変貌していた……。
「ルズ……君のその美しい瞳が教えてくれた。 こんな姿になっても、間違いなく君だっていう事を……」
かつてルズであった怪物はコウに目を遣ると、引き裂かれた大口に咥えていた仲間の腕を『ペッ――』っと吐き出し、コウを目掛けて突進して来たー―!
コウは突進して来る怪物を避けようともせず、そのまま怪物に突撃されて吹き飛ばされた!
激しい雪煙を上げて転がるコウ――。 だが、彼を食らいつくさんと肩をかみ砕く怪物を話すまいと両手でしっかりと怪物を抱きかかえ、怪物の顔にぶら下がる金色の髪のようなものが付着している耳のような肉片に向かって囁いた。
「ルズ……僕は……僕は絶対に僕から逃げない」
怪物にはコウの声は届いていないようだった。 呻き声を上げながら、鎧ごとコウの肩を嚙み砕いてコウから離れようと藻掻くが、コウは信じられないような出力で怪物の身体を離さない!
「……ルズ……ルズ! 僕は……僕は君がどんな姿になろうとも、君を愛している……」
激しい痛みの中でコウは再び怪物に語り掛けた。
――すると、かつてルズであった怪物の瞳から器械では決して流れない涙が一筋流れ、コウの頬へポタリと落ちた……。
『……コウ……ありがとう……』
恐らく、二人の様子を見た者には怪物が単に呻き声を発しただけに聞こえただろう。 だが、コウにははっきりとルズの声が聞こえた。
「……ルズ……もし、君が僕の事を覚えていてくれるなら、“この先”ずっと僕と一緒にいてくれるかい?」
(コウはすでにある覚悟をしていた。 自らの身体を腰に下げていた小刀で貫き、アニマを傷つけていたのだ……)
コウの瞳にはすでに怪物の姿は無かった。 美しい姿に戻ったルズが、涙を流してコウの顔を青い瞳で真っすぐ見つめている姿が目に映っていた。
ルズがゆっくりと頷くと、ルズの頬と伝っていた涙がコウの口元へ落ちて行った……。
『コウ……これからは、ずっと一緒……』
「ああ、ルズ……僕達はずっと一緒だ……
……さあ……」
「一緒に、帰ろう」
――コウが呟くと同時に、二人は赤い光に包まれた――
コウは自爆装置を稼働させた……。
赤い炎に包まれて爆散した二人は、何処か別の世界で再び出会うのであろうか……?
きっと、そうであるに違いない……。
そして、もしかしたら、二人はいずれ人間として転生するかも知れない。 その時は、今度こそ、幸せそうな笑顔を称える二人の姿を見ることが出来るはずだ……。
――
すでにミヨシから要請を受けた全軍は、フルが待つ慟哭の雪原へと雪崩れ込んでいた。 彼らは氷山の割れ目からアイズ・ゲノムへと向かう夥しい数の“器械のゾンビ達”を破壊しながら、長いフルとの戦いに終止符を打つために、全軍が決死の覚悟で戦いを始めていたのである。
『――総員、攻撃配置を乱すな! 我々が破壊するのは“フルの眷属”――かつての仲間達だとは思うな! 躊躇せず破壊しろ!』
オオカミ姿のアセナがデバイスで全軍に指示する。 すでに、数万を軽く超えている器械の亡霊達は、尚も雪の中から蠢きながら悲劇的な復活を遂げようとしていた……。
『――アセナ、あのデカいバケモンはどうする?』
『ペイル・ライダーが何とかする! 私達はとにかくコイツ等を破壊しながら、アラトロン嬢の援護をするんだ!』
アセナとレグルスは互いに会話をしながら、襲い掛かるフルの眷属をいなしている。 レグルスは背中に抱えていた筒のような銃を、フルの眷属に向かって放つ――。
すると、筒のような銃から真っ赤な弾丸が発射され、眷属に当たると同時に凄まじい炎を噴き上げて周囲の眷属達に引火して大爆発を起こした!
「ヒュゥゥ――! 凄い火力ですねぇ、アチラさん達は!」
遠くから火柱が立ち上る様子を横目で見たソルテスが、エンドルに向かって叫ぶ。
「――貴方達、調子に乗っているとライコウに殴られるわよん!」
エンドルが飄々としているソルテスとアロンを一喝しながら、杖から真っ黒い火炎を放出する――。
火炎は目の前に迫る肉塊と化した器械達を焼き払い、絶叫がこだました。
「ふふん――! 私の方が凄いんだからん♪」
エンドルはこんな時に自慢げに鼻を高くし、ソルテスとアロンを呆れさせた。
――ライコウが率いる第一部隊は、バグズ・マキナに感染した100名の仲間を失った。 彼らは感染が確認されると、軍によって中央処理装置を破壊され、アイズ・ゲノムで待機している輸送部隊に監視された。 ディ・リターの輸送部隊はコヨミが部隊長であったが、コヨミは仲間達の目を盗んで忽然と消えてしまった……。
部隊長が突然いなくなった部隊は混乱に陥り、アセナはコヨミの勝手な行動を再び詰った。 だが、レグルスがアセナを宥め、ディ・リターの輸送部隊はエクイテスの第二部隊から転籍となった『ケセット』というゼルナーが部隊長となる事で部隊は落ち着きを取り戻したのであった。
(ケセットは元々ディ・リターのゼルナーであった。 耳の垂れた犬のような姿をしたケセットは、身体を覆っている短い毛が薄っすらと虹色に染まっていた。 彼は主に四本足で移動する機動性を重視したゼルナーであり、背中に背負った大砲はあの『スペクトル・エクスィティ』であった。 今回はレーザー砲が効かないという事もあり輸送部隊に回ってしまったが、ショル・アボル達との戦闘では頼もしい存在であり、足の裏に装備された肉球型の加速装置によってレグルスよりも素早く移動する事が出来た。
ケセットはエクイテス軍のマスコット的な存在であった。 あの仏頂面のキノでさえ、ケセットの前では笑顔を浮かべて頭を撫でるという“器械たらし”の愛嬌のあるゼルナーであった)
ケセットはレグルスの命令を「ワン!」と一声喜んで受け入れた。 彼はディ・リターの輸送部隊へ配属され、アイズ・ゲノムで物資の輸送指示を待っていた――。
ライコウは自分が指示する第二部隊と距離を置いた前方の眷属達と戦っており、上空でフルと戦っているイナ・フォグを気に懸けていた。
(くっ、地上からではフォグに声を掛けても聞こえやしない……。 俺もミヨシのようにフォグと遠隔で意思疎通が出来るようになれば……)
ライコウにはフルと鍔迫り合いをしているイナ・フォグを気にしている余裕などないはずだ。 彼の目の前には巨大な生物が背中を見せており、南端の崖地から雪原へ降り立ったペイル・ライダーの銃撃を正面から受けていたのである。
――その巨大な生物はフルが慟哭の大地から創り出した奇妙な生命体であった――
(怪物の身体はまるで巨大な猿のようであったが、下半身は牛のような四本脚をしていた。両腕は人間のような腕をしており、首の無い一つ目の頭からはマンモスの鼻が伸びていた。 鼻の下には二つの牙を持った大口が咆哮を上げていた。
背中は茶色い毛で覆われていたが、所々金属の下地が見えていた。 金属が見える背中に部分には血管のような気持ち悪いダクトがウネウネと伸びており、両肩に抱えている38センチ大砲に接続されていた。 大砲はフルが持つ銃のように細胞のようなピンク色の有機物に浸食されており、ペイル・ライダーに向かって砲弾を発射している。
体の正面も背中と同じく茶色い毛で覆われていたが、腹の辺りに溶鉱炉のような青白い火を噴く丸い穴が開いており、その穴から噴き出す炎は雪原の雪を一瞬で溶かす地獄の炎であった)
怪物は、数十メートルはあろうかと言う巨体をズシンズシン響かせながら、ペイル・ライダーに向かって火炎を放射し、砲弾を放っている。
対するペイル・ライダーは強力な磁場をものともしない巨大な51センチ大砲から黒い靄に覆われた鉛の玉を発射させ、怪物の腕を木っ端みじんに打ち砕く。 ところが、大地から創られた怪物は、トカゲの尻尾のように腕を復活させて、ディ・リター軍のゼルナーを数人鷲掴みにするとペイル・ライダーに向かって投げつけた。
「ギャァァ――!」
断末魔と共にペイル・ライダーに衝突し、大爆発を起こす兵士達。 こんな状況でライコウはイナ・フォグを心配している余裕など無いのである。 フルはイナ・フォグに任せてこの雪原から湧き出す慟哭の騎士達を消滅させ、目の前にいる醜悪な姿を晒している怪物を退治しなければならないのだ。
ペイル・ライダーの肩にはシビュラが乗っていた。 センとミヨシの姿は見当たらない……。 シビュラはペイル・ライダーの後頭部にあたる給排気口に、左手から湧き出た暗黒子の塊を吸収させていた。
ペイル・ライダーの体内に吸入された暗黒子が内部機器にどのような作用を及ぼすのか不明だが、右手の図太いガトリング砲から照射される黒い銃弾が、目の前に立ちはだかる一つ目のバケモノの身体を貫く様子を見ると、暗黒子の作用で殺傷能力が大分強化されているようだ。
シビュラは左手で暗黒子を吐き出し、右手にはゼルナーの亡骸から拝借した太い金属製のパイプを武器代わりにして、ペイル・ライダーに近寄る器械のゾンビ達に火炎を放射していた。
シビュラが右手に持つパイプは何の変哲も無い短い単管であった。 金属製であるが消磁装置のお陰で磁場の影響は微弱であり、軽快な手さばきで襲い掛かるフルの眷属達を次々と焼き払っていた。
一方、ライコウも襲い掛かるフルの眷属をいなしながら、背に背負った大剣を颯爽と抜いて巨大な怪物に斬りかかろうとしていた。 だが、内部に高圧電流を蓄電している左手のグローブで大剣を握って電気を放電させると、大剣が吹き飛ばされるほどの強い力が働いて、満足に振るう事すら出来なかった。
「一体、何なんだ? 何故、剣が重い……?」
マナスを宿した高圧電流で強化した大剣でなければ、これほど大きなバケモノに大した傷を負わせる事が出来ない。 ライコウは仕方なく剣を収め、右手に仕込んだワイヤーで怪物の巨体を拘束し、間髪入れずに電流を流した。
――すると、どう見ても重そうな巨体が突然フワリと宙に舞った――!
「――な、何だ!? この力は――!?」
ライコウが吃驚するのもつかの間、ワイヤーを引きちぎる程の勢いで空高く舞い上がった怪物は、再び地上へと落ちて来る――
――そして『ドカンッ!』と爆弾でも落ちて来たような衝撃を放ち、雪原を揺らして大地を抉った。
(……そうか、なんとなく分かったような気がする。 磁場が強い事は、意外と俺達に有利に働くかも知れないな……)
ライコウは、怪物が突然空へ浮かび上がった理由は強い磁場に関係していると推測した。ライコウが何故そう思ったのかは分からないが、彼の推測はあながち間違ってはいなかった。
そして、この現象が後に圧倒的な力を持つフルに対抗する大きな武器となった。
――
イナ・フォグは吹きすさぶ吹雪をものともせずに上空を飛び廻り、フルに一騎打ちを仕掛けていた。 イナ・フォグはフルにスキルを使用する隙を与えまいと、骨の大鎌を自在に操り、四方八方からフルを斬り付ける――。
一方、フルはイナ・フォグから離れてバグズ・マキナなどの遠距離で攻撃しようとしていたが、いくら離れてもイナ・フォグが付いて来るので引き離す事が出来なかった。 しかも、禍々しい大鎌で斬り付けられた身体から血が流れると、再びイナ・フォグの呪詛によって流れる血が大蛇へと変わり、フルの肢体を締め付けた……。
戦況は明らかにイナ・フォグが有利であるかのように見えた……。
オフィエルの毒に冒されたフルは焦りの色を隠せずに、灰色の髪に隠れていた赤い瞳を露わにしたまま、怒りの形相でイナ・フォグに向かって怒鳴る――
「――イナ・フォグ! お前はこの星に居てはいけない存在なんだ!」
イナ・フォグはフルの怒鳴り声を無視し、彼女の頭を目掛けて鎌を振り上げる。 しかし、フルは避ける素振りを見せずにそのまま鎌を受け止めようと腕を上げた。
もし、フルの手が鎌に触れると、恐るべき呪術によって鎌は一瞬で溶けてしまうだろう……。 イナ・フォグは鎌を大きく振り上げて致命的な一撃をフルに与えようとするつもりであったが、フルの行動を見て慌てて鎌を引いた。
その隙をフルは逃さなかった。
「――ガレイ・クヴィダー!」
フルが叫ぶと同時に周囲の空気が再び歪み、イナ・フォグの身体が急激に重くなった!
「くっ――! また、このスキルを――!」
イナ・フォグの動きが止まり、彼女の身体は地に吸い込まれるように降下して行く――!
フルは間髪入れずにイナ・フォグの鎌を掴んであっという間に溶かすと、再び細胞に侵食された悍ましい鎌を造り出してイナ・フォグを攻撃した。
「キャッ――!」
イナ・フォグは自身の鎌の一撃で胸を裂かれ、赤い鮮血を迸らせた! イナ・フォグの流した夥しい血は彼女の身体と共に垂直落下していき、血の雨のように雪原を赤く染めた。
傷を負ったイナ・フォグはフルから離れるため、自ら勢いをつけて地上へ落下する――。 フルは余裕を見せずに色の違った両目を見開いて、イナ・フォグを追撃する呪詛を吐いた。
「ヴォーチェ・マギカ! バラド・ハミシュパット――!」
――この恐るべき呪術は、上空に吹き荒れる吹雪を一瞬で巨大な雹に変えた!
まるで砲弾のような数千、数万の雹が雪原の大地に降り注ぐ――
雪原のあちこちでゼルナー達のアニマが破壊され、轟音と共に爆炎が立ち上る……。
『――ギャー! 助けてくれ――!』
『総員、退避しろ――!!』
『――俺はもうダメだ!』
悲鳴、絶叫、怒号、咆哮……敵味方無くあらゆる叫びが響き渡り、雪原を火の海へと変えた……。
……地上へ落ちて行ったイナ・フォグは黒煙に包まれて姿が確認出来なかった。 ライコウとヒツジも上空からではどこにいるのか全く分からない……。
フルの放った幾千もの雹は雪原を地獄へ変えた。 それでもフルは攻撃の手を緩めず、さらにスキルを使用しようと毒に侵された胸を押さえながら「ヴォーチェ・マギカ……」と呟いた。 ところが、フルは砲弾のような雹の間を縫って近づいてくる赤い光を見て驚愕し、慌てて言葉を飲み込んだ!
「――!? アレは、ま……まさか、イナ・フォグ――!?」
イナ・フォグは先ほど鮮血を撒き散らしながら、地上へ落ちて行ったはずだ……。 猛スピードでフルに近づいてくる者がイナ・フォグであるはずはない……。
「――いや、違う!!」
フルの目の前まで迫った赤いドレスを着た少女は、確かにイナ・フォグでは無かった。 だが、イナ・フォグが持つ骨の大鎌を思わせる燃え盛る鎌を両手で持ち、グルグルと大鎌を振り回す姿は明らかに器械では無かった。
「クソッ――!!」
フルは銃を構えるなり、赤い少女に向かって目玉のような銃弾を乱射する。 ところが、赤い少女は雹の雨を避けながらも、銃撃を巧みにかわしてフルの間合いに入り込んだ。
(こ、この異常な素早さ……まさか『外の世界の者』!)
「ギャァッッ!」
フルが赤い少女の正体に気付いた時には、すでに彼女は少女の凄まじい膂力を持った蹴りで吹き飛ばされていた――!
――
「這い寄る混沌、千の無貌――大いなる使者、深紅の女王。 万物がひれ伏す破滅の女神よ、無限なる冒涜の暗影。 ハクチの夢を守護する紅き力を我に示さん……」
フルの前に現れた赤いドレスを着た少女は、ラヴィの呪文によって召喚された『深紅の女王』と呼ばれる『外の世界の者』であった。
ラヴィは多くの仲間達に護られながら、懐から取り出した魔導書を片手に深紅の女王を召喚した。 それだけでなく、彼女は深紅の女王を召喚した後も別の呪文を唱え続け、次々と外の世界の者達を召喚していたのである。
「暗黒のもの――全ての闇は汝の僕。 その偉大なる血によって暗黒の壁を張り巡らし、全ての力をその暗き漆黒の結晶へ誘い給え!」
立て続けに呪文を吐きながら魔導書のページを捲り続けるラヴィ……。 額に滲む汗と、苦痛に歪む眉間から、明らかに無理をしている様子が見て取れた。
「偉大なる生の音――全ての声、全ての音は汝にあり。 生きとし生ける者、聾の者すらこの大いなる音を拒絶する事能わず……うぅ……」
ラヴィが呪文を並べると、魔導書の表紙に彫られた醜悪な顔をした悪魔から長い舌が飛び出した。
「はぁ、はぁ……」
紫色をした悪魔の舌がラヴィの手を這うと、ラヴィは苦しそうに胸を抑えた。
(深紅の女王以外にラヴィが召喚した外の世界の者達が、どんな名前で、どんな姿なのかは分からなかった。 だが、ラヴィが呪文を唱えた後、外の世界の者が召喚された事は確かなようで、不思議な事にラヴィの声がデバイスを持たないイナ・フォグの耳に届くようになった)
「アラトロン、聞こえるか――?」
ラヴィが上空にいるイナ・フォグに向かって何度も声を掛けるが、イナ・フォグからの返事は無い。 そんな中、フルによる破壊の雹が大地に降り注いだ――!
「――うわぁぁ、何だ!? 隕石が降ってくるぞ――!」
細かい雪の結晶が変化した砲弾のような雹は、ゼルナー達にはまるで小隕石が襲来して来たかのようだった。
地表に降り注ぐ雹はゼルナー達の身体を貫き、輸送車を破壊し、地形を変える程の破壊力を持っていた。
『――総員、デバイスの防壁を止めるな! 最大出力で身を護れ!』
アセナとレグルスから各部隊へ激が飛ぶ! 無残な姿となったかつての仲間達と戦っていた者達は慌てて防壁を起動させるが、すでにマナスの使い過ぎてしまった者は襲い掛かる雹の餌食となって爆発四散して行く……!
『バカモン! 上空にばかり気を取られるな!』
降り注ぐ雹に気を取られていると、地上に蔓延るフルの眷属に食いちぎられてしまう……。 また、防壁にエネルギーを使い過ぎ、消磁装置を持続出来なくなったゼルナーも出始めた。 彼らは強い磁力により身動きが取れなくなり、襲い掛かる眷属たちの群れにただ食い殺されるしかなく、雪原の至る所に悲鳴がこだました。
ディ・リターとエクイテスの連合軍は、つい先ほどまでは順調だった。 むしろ、フルの眷属達を圧倒し、イナ・フォグの援護が出来る程の余裕も見せていた。 ところが、フルが使用したスキル一つであっという間に戦況がひっくり返り、各部隊は大混乱に陥った。
『――テメェら、アルちゃんを護れ!』
『オオッ――!!』
そんな中、ラヴィが率いるエクイテス第一部隊だけが、隊列を乱すことなく整然としていた。 彼らは集団で防壁を張り巡らして雹の襲撃から身を護りつつ、四方八方から襲い掛かる器械のゾンビを次々と撃破して行った。
見た目は立派な兜に如何わしいハチマキを巻いていたり、丹精な鎧の上にキッチュなハッピを羽織っていたりと奇抜な服装をした連中であったが、煩悩を昇華させた結束力は大したものであった。
ラヴィはそんな頼りがいのある仲間に護られながら再び言霊を紡ごうとしたが、突如として天から聞き覚えのある声が響いて来て声を止めた。
『……エイン・ソフ・オール』
雪原にいる全ての器械達に聞こえたその声は、確かにマザーの声であった。
「――何だ、空が――!?」
声が響くと同時に鋼鉄の雹が降り注ぐ薄暗い空に光が射した。 光はイナ・フォグが張り巡らせた紫色の光をも吸収し、薄い虹色の膜となって雪原を覆った。
器械達を襲った雹の礫は虹色の膜に触れるとあっという間に溶解し、虹の矢となってフルの眷属達の頭上に降り注いだ。
『ヴォーチェ・マギカ「ウピンデ・ワ・ムヴァ」――』
虹色の矢に貫かれて次々と消滅する器械のゾンビは、心なしか満足げな顔を浮かべて雪の中へ溶けるように消滅して行く……。
その様子を呆然と見つめていたゼルナー達の耳に再びマザーの声が響いて来た。
『さあ、私の可愛い子供達、マルアハ「フル」を消滅させるのです――』
ライコウとヒツジ、そしてラヴィ以外のゼルナーは、マザーによる慈悲深い助力に感激し、興奮した。
「マザー万歳――!!」
生き残っていたゼルナー達は再び気力を取り戻した。 マザーの加護をもってすれば「恐れるものは何もない」と防壁を突破して降り注ぐ雹をものともせず、雪の中から湧き出る哀れな仲間達を次々と成仏させていった。
「――フンッ! いくら数を減らそうともすぐにまたキミ達の残骸から新たな眷属が生まれて来る!」
フルは地上で気勢を上げるゼルナー達を横目で見ながら、しつこく攻撃してくる赤いドレスを着た少女の鎌を銃身で跳ねのける。 そして、禍々しく脈打った銃を構えて再び地上に向けてバグズ・マキナを放った。
――
イナ・フォグはフルによって胸を酷く斬り付けられて地上に落下した後、駆け付けたミヨシによって治療を受けていた。 幸い、首から下げていたハギトのミタマが盾となり致命傷を免れたイナ・フォグは、氷山の窪みに隠れて空から降ってくる雹の驟雨をやり過ごし、度々聞こえて来るラヴィの呼びかけに応答した。
「アル、アナタ今何処にいるの!?」
イナ・フォグの問いかけにラヴィは「――そんな事より、フルの能力が分かったのだ!」と彼女の質問を無視して話を続けた。
「ヤツは重力子を放出して空間を歪曲させるのだ。 その結果、質量やエネルギーを持つ物体に強力な重力をもたらすのだ。
マナスと結合した重力子は性質を変えるのだ。 それ自体が質量を持ち、重力となって他の物体を引き寄せる――」
「……? な、何言っているのか、良く解らないわ……」
ラヴィの回りくどい説明ではイナ・フォグの理解が追い付かない。
「――簡単に言うと、重力を操るという事なのだ!」
(ラヴィが言うには、フルはマナスと物体を媒介する素粒子として重力子を利用しているとの事であった。
重力子を媒体として空気中の物質と結合したマナスは物体を引き寄せる重力を発生させる。 イナ・フォグの動きを止め、地上へ落としたのも重力子を媒介としたマナスの仕業であった。 この場合、星から発生する重力との相互作用でより強力な力で大地に引き寄せられ、イナ・フォグは単純に落下するよりもさらに強い力によって地面に叩きつけられたのである)
「ワガハイの故郷では、重力子なんて言う素粒子は存在が確認されていなかったのだ。 理論的には存在すると推測されていたが、実際は物体にどんな作用を及ぼすのかは不明だったのだ……」
(重力子の存在が確認出来ずに、よく“ワームホール”を使用して他の星に転移出来たものだと不審に思うところである。 だが、ラヴィの故郷にもマナスが存在していれば、ワームホールを創り出すエネルギーを得られるのかも知れない……。 もっとも、ラヴィの故郷にマナスが存在していたとしても、それは宇宙に漂うマナスの断片がラヴィの故郷に迷い込んだだけのものであるはずで、マナスはこの“夢見る星”だけで発生する物質なのである)
「……それで、フリーズ・アウトのスキルの正体が分かった事で、何か対抗できる方法が有るの?」
「無いのだ」
「……」
「――それじゃ、そんな説明聞いても意味ないじゃないの!」
イナ・フォグは「こんな時に余計な能書きを聞かされた」と怒ったが、フルが使用するスキルの正体が分かれば対抗できる方法が無くとも、事前に防御策は考える事が出来る。
フルが重力を発生させるのであれば、バハドゥル・サルダールの床やゼルナー達の足裏にも利用されている“反重力装置”を利用して、重力の影響を多少なりとも和らげる事は出来る。 ラヴィの説明は無駄ではなかったのだ。
(因みに各都市や器械達に利用されている“反重力装置”なるものは、マイナス質量をもつ物質が斥力を発生させるなどという高度な代物ではない。 暗黒子を媒介したマナスと空気中の粒子を結合させた物質を生成し、その物質に力を加える事でマナスがエネルギーを放ち物体を浮上させるという装置であった)
「――ともかく、フルは重力を操る事が出来るのだ。 ワガハイはその事実を皆に伝え、反重力装置を積極的に使用するように伝えるのだ。 もっとも、磁場が強力である事には変わりがないから消磁装置を止める事は出来ないのだが……
……それだけでなく、様々な装置を連続稼働させなければならないのだ。 そんな状況で我々のエネルギーが何処まで持つかどうか……」
デモニウム・グラキエスへ侵入した時点で、器械達はマナスを利用した消磁装置を稼働し続けていた。 フルと戦わずともただデモニウム・グラキエスにいるだけで徐々に体内のマナスが消費されていくのである。
その状況でさらに反重力装置を稼働させるとなると一気にマナスの消費量が上がり、待機している輸送部隊はともかく、前線で戦っている者達の燃料が持つかどうかラヴィは懸念したのである。
「大丈夫よ! 皆のマナスが枯渇する前に私がフリーズ・アウトを仕留めれば良いだけ……」
ミヨシと共に岩陰に隠れていたイナ・フォグは、再び雪原へ姿を現した。 ミヨシはヤマネコのような身体から、クロヒョウのような獣の姿へ変わっていた。
「ミヨシ、私はもう大丈夫。 アナタはライコウを助けてあげて!」
「ガルッ? フォグさんは――!?」
「――私はフリーズ・アウトを相手にするわ。 彼女の恐ろしさはこんなものじゃない……」
フルがオフィエルの体液から培養した毒を体内に取り込み苦しんでいる事は間違いない……。 そして、イナ・フォグの事を思い出したという事は、フルの体内に満たされていたマナスが消費されて来ているという事の証左に他ならない。 だが、フルが“アストラル体”へ変化するまでマナスが消費されなければ、この戦いに勝機を見出す事は出来ないとイナ・フォグは考えていた。
――ミヨシはイナ・フォグの命令に従って、薄暗い雪原の奥へ消えて行った……。 ラヴィもフルの能力をゼルナー達に共有する為、イナ・フォグとの通信を切ろうとする――
「――それじゃ、ワガハイはしばらくアセナとレグルスを援護するのだ!」
すると、イナ・フォグが「待ちなさい――!」とラヴィを呼び止めた。
「アナタ、外の世界の者をこれ以上召喚させちゃダメよ!」
イナ・フォグの忠告にラヴィは「心配いらないのだ――」と答え、言葉を継いだ。
「――ワガハイが今召喚している『深紅の女王』はそろそろ消滅するのだ。 再び召喚出来るまでの間、汝の援護をする事が出来ないから皆の援護に回るだけなのだ。 だから、外の世界の者を召喚したくても出来ないのだ」
イナ・フォグはラヴィの説明に少し訝しんだが、これ以上、ラヴィに注意を促しても仕方がないと思い、ラヴィの言葉に従った。
「……分かったわ。 それじゃ、アナタにはゼルナー達の援護を頼むわ。 くれぐれも、ライコウには近づかないようにね!」
イナ・フォグの声は少し茶目っ気のある冗談交じりの声であった。 ラヴィはイナ・フォグの言葉に「はははっ! どうせ、この戦いが終わった後にライコウ様にハグしてもらうから意味も無く近づかないのだ。 だから、汝もライコウ様に気を取られずに自分の事に集中するのだ」と言うと、にわかにその声が重々しくなった。
「――特に、汝の中にいる恐るべき存在……。 汝が逆にアストラル体にならない様にマナスの管理は充分気を付けるのだ……」
ラヴィの重い言葉にイナ・フォグも「分かっているわ……」と自戒を込めた重々しい声で返事を返した。
(……もう、これ以上アイツの自由にはさせない。 私はもう、あんな光景は見たくはないから……)
イナ・フォグは赤い瞳に決意の輝きを放ち、上空を見上げた。 上空では自分に良く似た赤いドレスを着た女性がフルと鍔迫り合いをしている。 だが、女性の姿は薄っすらと景色に同化しているように見え、その存在が徐々に消滅しようとしているのが見て取れた。
「……リリム=フリーズ・アウト。 アナタをこの地で消滅させる」
イナ・フォグはそう呟くと『ボンッ――!』と雪煙を巻き上げながら上空へ飛び立った――!
――
フルが放ったバグズ・マキナは川のように空中を旋回しながら地上のゼルナー達へ迫ったが、何故か空中で発生した黒い渦に吸い込まれて行き消えて行った……。
恐らく、ラヴィが唱えた呪術に依るものかと思うが、詳細は誰にも分からなかった。 フルはバグズ・マキナが暗黒に吸い込まれる様子を見て、イナ・フォグの仕業だと勘違いし、顔を歪ませて歯ぎしりをした。
「クソッ、コイツ等ッ!」
ラヴィが召喚した深紅の女王は赤いドレスを靡かせながらフルに背中を見せており、何かに気を取られているようであった……。 フルはその隙を見逃さずに、イナ・フォグから奪った鎌を少女の背中目掛けて振り下ろした。 ところが、深紅の女王はまるで背後に目が付いているかのようにフルの一撃をスッとかわして、イナ・フォグと取って代わった。 フルは目の前に突然現れたイナ・フォグによって身に纏うジャケットをズタズタに引き裂かれた。
「――きゃあ!」
乳房を丸出しにしてあられのない姿になったフル。 彼女はさすがに恥ずかしかったのか、顔を赤らめながら慌てて切り裂かれたジャケットを破き、サラシのように胸に巻き付けた。
「くく……ガレイ・クヴィダー!」
再び重力波を放とうとするフル。 イナ・フォグの目の前の空間が捩じるように歪みだす――!
「ギャァ――!」
しかし、フルがイナ・フォグに向かって右腕を突き出した瞬間、フルは横から紅の少女に突き飛ばされた!
自ら吹き飛ばしたフルを稲妻の速さで追いかけ背後に回り込んだ深紅の女王は、間髪入れずにフルの背中を切り続ける。
「調子に乗るなっ!」
フルは後ろを振り向くと、鎌を振る赤い少女の腕を掴もうとした。 ところが、少女はフルの捕捉からスルリと逃げだし、爆音を轟かせながらあっという間にフルとの距離を離す。 一方、フルはイナ・フォグから目を離したせいで背後に回られたことに気が付かず、イナ・フォグが繰り出した漆黒の鎌の一閃をまともに頭部に受けてしまった!
『バカンッ!!』
武骨なフルのヘルメットはイナ・フォグの強烈な鎌の一撃を防ぐほど強固なものであった。 だが、さすがに鎌の一撃に耐え切れなかったのか、ヘルメットは音を立てて割れてしまった……。
(ヘルメットを深くかぶって素顔を隠していたフルが、ようやくその素顔を曝け出した。
灰色の毛に桜色が混じった二色の髪は内側にカールしており、肩にかかるくらいの長さであった。 二重の瞼のくっきりとした瞳は美しかった。 左目にはハシバミ色の瞳を宿し、右目には燃え盛る赤い瞳を宿しており、キリッとした眉をとがらせてイナ・フォグを睨みつけていた。
真一文字に結んでいるピンク色の唇は弓のようであり、口の周りは乾いた血で汚れている……。
彼女はジャケットを引き裂かれて、裸同然になっていた。 引き裂かれたジャケットで大きな胸を隠してはいたが、殆ど白い素肌が露出しており、背中に生やす灰色の翼も片方が折れ曲がってしまっていた。
だが、下半身は相変わらずダボダボの軍パンを履いており、熊のような逞しい脚は健在であった)
「クソッ! また気配を消したな!」
イナ・フォグは紫の霧で体を覆い、フルの意識を逸らしていた。
フルの目ですら追うことが困難な深紅の女王の動きを意識すると、イナ・フォグの存在を見失ってしまう……。 だが、赤いドレスを翻し、真っ赤に燃え盛る炎を纏った鎌を持った少女の存在は否が応でも意識せざるを得なかった。
――フルがイナ・フォグにここまで苦戦していたのは、すでに彼女の身体にオフィエルの毒が回っていて力が弱まっていたからであった。 さらに、まさか『外の世界の者』を召喚する『媒介者』が器械達の味方になっていようだとは思ってもおらず、深紅の女王の出現に面食らったという理由もあった――。
(――クソッ! こんな事になるなんて……)
フルは戦いの当初から自分に油断があった事を悔やんでいた……。 しかし、彼女が油断したのも分からなくはない。 もし、彼女が初めからイナ・フォグの事を覚えていたならば、イナ・フォグに遭遇した時からもっと慎重に戦いをしていたはずである。
(どうやら、ボクは長く生き過ぎてしまったようだ。 力も、体力も、感覚も……全てが衰えてしまった……。
でも、ボクは……
……ヒツジ……
ボクはキミに会うまでは……)
ヒツジは今この雪原でライコウと共に戦っていた……。 だが、今のヒツジはフルの記憶の中にいるヒツジの姿では無かった。
彼女はヒツジの存在に気が付いていなかったのである……あまりにも変わり果てたヒツジに姿に……。
フルはヒツジの姿を目に浮かべながら、走馬灯のように過去の記憶を思い出した……
……
『ねえ、フリーズ・アウト。 キミは何でボクの口真似をするの?』
幼い子供の可愛らしい声がフルの耳を優しく撫でる。
『――ん? ボクがキミの事を大好きだからさ!』
色の異なる瞳に穏やかな光を称えたフルは、ニッコリと笑顔を浮かべて子供の影に向かって手を差し伸べる。
『ええっ!? だ、だってボクはキミと同じ……』
子供の影は動揺しているのか、恥ずかしそうな声を出してモジモジしている。
『好きっていうのはそういう事じゃないよ。 ボクもキミのパパとママと同じ気持ちでキミの事を想っているという事さ――』
フリーズ・アウトはそう言って子供の頭をゆっくりと撫でた。
『……ふぅん。 キミはボクのお母さまになりたいの?』
子供の問いにフリーズ・アウトは少し寂しげな顔を浮かべて、言葉を返した。
『……それは無理だと分かっているさ。 ボクはキミのママと違って人間じゃないからね。
だから、ボクはキミのお姉ちゃんになりたいと思っているんだ』
『――それだったら、良いよ! フリーズ・アウトがボクのお姉さまになるんだったら、ボクも嬉しいよ!』
フリーズ・アウトの言葉に幼い子供の影が嬉しそうに近づいた。 フリーズ・アウトはその子供の影を抱き寄せる――。
(ボクは……生まれて初めて幸福を感じた……)
(そして、生まれて初めて……絶望を……キミを失くした絶望を……)
……
幼い子供は敵対する国家による空爆を受けて、行方不明になってしまった……。 子供の父親と母親は空爆に巻き込まれて死んでしまった。
だが、子供の“残骸”は何処を探しても見つからなかった。 もしかしたら、母親が子供を何処かに逃がしたのかもしれない……。
幼い子供を失ったフリーズ・アウトは深い悲しみに打ちひしがれた……。
子供を探して世界中を飛び回るフリーズ・アウトの悲愴な様子に、マルアハの母であるミコはいたく悲しんだ。 そして、末妹であったフリーズ・アウトを慰めるべく、リリム=イナ・ウッドを誕生させた。
だが、フリーズ・アウトの悲しみはイナ・ウッドでは癒す事が出来なかった。 彼女はジングウには殆ど戻らずに幼い子供を探し続けた。 その後、最後に誕生したイナ・フォグによって厄災が引き起こされたのである……。
厄災後、フリーズ・アウトは記憶を失った。 だが、彼女はマナスの海に沈んだ記憶の糸を辿って、デモニウム・グラキエスへ辿り着いた。
かつて、自分がヒツジと二人の人間を救った地……。
フリーズ・アウトはヒツジ達を発見した『ドリーム・ボックス』と呼ばれた施設を訪れた。 だが、施設は廃墟と化しており、生物の気配は全く無い。
『うぅ……ボクは……ボクはキミを……』
フリーズ・アウトは必死に記憶を呼び起こそうと、小さな頭を両手で押しつぶすように抱え込み、死の世界となった施設の前でしゃがみ込んだ……。
――その後、フリーズ・アウトはドリーム・ボックスを離れた。 もうヒツジを探すことに疲れてしまったのか、それとも、薄っすらと繋がっていた記憶の糸がマナスの海にもまれてプッツリと切れてしまったのか……彼女はデモニウム・グラキエスの南端に位置する大雪原へ移動し、そこを自身の住処とした。
フリーズ・アウトはイナ・ウッドやイナ・フォグだけでなく、仲間達の名前も、顔も、一切の記憶を無くしてしまった。 彼女に残った記憶はただ一つだけ――『ヒツジ』という名の子供型器械が自分にとってかけがえの無い存在であったという事だけだった。
『あのモコモコした愛くるしい姿……ボクはキミの事は絶対に忘れない! 忘れるもんか!』
……
そして、現在――大雪原でライコウに抱かれているヒツジは、かつてフルが愛したヒツジの姿とは全く異なっていた。 フルは自分が探し求めていたヒツジが目の前にいる事に気付いていなかったのだ。
その為、フルはイナ・フォグを滅ぼす為に、愛するヒツジもろとも全てを破壊するスキルを使用するという過ちを犯そうとしていた……。




