転生
「かぁぁ――!! やっと“我が家”に着いたのじゃ!」
バハドゥル・サルダールへの長い旅路を経て、ようやくディ・リターに帰還したライコウ一行。 ライコウはアセナの屋敷を目の前にし、感慨深げに大きな伸びをして叫んだ。
門扉の前にはシャヤのような姿をしたメイド型作業用機械が二人で主人の帰りを出迎えて丁寧なお辞儀をしていた。 シビュラの隣にいたイナ・フォグは気持ちよさそう眠っているヤマネコ『ミヨシ』を両手で抱えながら、スタスタとライコウの傍へ歩み寄った。 ライコウは門扉の前でお辞儀をする作業用機械達の頭を撫でて労をねぎらっていた。
「ライコウ、早くヒツジの傍へ行ってあげましょう――」
イナ・フォグはそう言うと、平然と門扉を蹴り開けた……。 そして、ライコウに目くばせをすると、拉げてしまった門扉をくぐって庭へ入って行った……。
「あっ、おい、フォグ! ワシを置いて行くでない!」
作業用機械の頭を撫でていたライコウは、そそくさと門扉の奥へ消えて行くイナ・フォグの背中を追いかけて行った。
――アセナとシビュラはそんな二人の様子を後ろから飄々とした様子で眺めていた――。
「ふぅん……。 アセナ、貴方の家は結構立派みたい」
「まぁ、な……。 (たった今、立派だった門は壊れてしまったが……) お前はここ数十年の間、あのむさくるしい管理棟かボニーヤードにいたんだからな、こんな屋敷でも立派に見えるのも無理はない」
「ずっと、管理棟にいた訳じゃないみたい……。 エクイテスにはちょくちょく偵察に行っていた。 レヴェドの命令で」
シビュラがアセナの顔を横目で見ながら反論すると、アセナは「ハハハ――」と笑ってシビュラの言葉を否定した。
「お前はエクイテスへ遊びに行っていただけだろう。 途中でディ・リターへ寄れば良かったのに、私と会うのがそんなに恥ずかしかったのか?」
アセナがそう言ってシビュラを揶揄うと、シビュラは頬を膨らませてムスッとした様子で黙ってしまった……。
――ライコウとイナ・フォグはすでに屋敷の庭から玄関先へ向かっていた。 すると、アセナとシビュラの耳にコヨミとカヨミの懐かしい声が響いてきた――。
「お帰りなさいませ! ライコウ様、アラトロン様!」
「ライコウ様ぁ――! ウチ、寂しかったよぅ!!」
シビュラの耳に二人の声が届くと、シビュラは年輪の刻まれた頬を少し緩ませて微笑んだ。
「あの声はカヨミ? 懐かしい……。 もう一人の声は――?」
シビュラはカヨミの声は覚えていたが、コヨミの声を聞くのは初めてであったようだ。
「ああ、あの子は『コヨミ』――カヨミの妹だ。 お前、コヨミとはまだ一度も会ってなかったな――」
アセナはそう答えると、シビュラの肩をポンと叩いた。
「……そう言えば『カグヤ』がフルに破壊された後、貴方、カグヤのパーツを利用して自分の子供を造ったと言っていたみたい」
アセナはカグヤという妻がいた。 彼女はアセナとフル討伐戦に参加し、フルによって破壊された。 アセナはカグヤの遺体を回収し、彼女のパーツを流用してコヨミを造ったのである。
「――ああ、騒がしい子だが、良い子だ。 俺はあの子をライコウ殿の嫁にしようと思っているんだが……」
「……ふふっ、無理みたい」
アセナの突拍子も無い夢をシビュラが軽くいなす――。 アセナも無理だと分かっているのか、シビュラの笑顔に合わせてニッコリと微笑んだ。
「――ははっ、しかし、ライコウ殿はさっき『我が家に帰って来た』と言っていたぞ。 もはや、コヨミの求愛を受け入れて我々の家族になったものと、私は解釈しているのだがな」
アセナは笑いながらシビュラと共に屋敷の庭へ入って行く――。 拉げてボロボロになった門扉の前にいる作業用機械達は『ダンナ様、オ帰リナサイマシ』と二人が門扉を通り過ぎると丁寧にお辞儀をして、再び手に持っているメタリックなホウキで門の周りを掃き始めた。
「――センじゃあるまいし、貴方が冗談を真に受けるタイプだとは思わないみたい」
シビュラの背中には、そのセンがスヤスヤと寝息を立てて眠っていた……。
「……コイツもコヨミと同じで、寝てる間は大人しいんだがな」
アセナはそう言うと立ち止まり、後ろを振り向いた。 そして、シビュラの肩に頬を乗せ、ヨダレで肩を汚しているセンの寝顔を眺めた。
シビュラの背後には造花が咲き乱れ、人工植物の生い茂る美しい庭が広がっている。 燦燦と降り注ぐ地底都市の照明は、優しい陽の光となって天使のようなセンの寝顔を照らしていた。
「ふふっ、確かにそう思うみたい……」
シビュラはアセナの言葉に再び微笑みを返すと、肩を濡らしているセンのヨダレをそのままに、アセナの後ろをついて行った。
――
ディ・リターへ戻ってから数日の間、アセナとライコウはディ・リター軍の会合に出席したり、市民イベントに出席したりと忙しく動き回っていた。 そして、ようやくひと段落したと思ったら、今度はカヨミを連れて三人でディ・リターの隣接都市『エクイテス』へ行ってしまった。
ミヨシはディ・リターへ戻るとすぐに義母である『ライム』の自宅へ行き、ライムとの再会を喜んだ。 それからというもの、ミヨシは一日中ライムの自宅へ滞在しては、イナ・フォグに呼ばれるとアセナの屋敷へ帰るという生活を繰り返していた。
「バッちゃん! また、明日も来るからね!」
ミヨシが後ろを振り向いてライムに手を振った。
くたびれた灰色の毛並み、人工皮膚が剥がれた金属の片目、その片目から光らせているくすんだ緑色の瞳、折れ曲がった背中のフレーム……そんな満身創痍のライムが杖を突きながらミヨシに向かって弱々しく微笑んでいた。 ライムの隣では日本人形のような作業用機械『市松』が元気よくミヨシに手を振っていた。
……ライムの様子を見たミヨシは、何故だか急に不安になった。
(バッちゃん……また、明日も会えるよね……?)
――次の日――
イナ・フォグはライムの自宅から市松を連れて帰って来た。 ミヨシは何故イナ・フォグが市松を連れて来たのか疑問に思いイナ・フォグに聞いてみたが、イナ・フォグはミヨシの問いに答えようとせず、突然「今後は許可なくライムの自宅へ行かないように」とミヨシに命じた。 イナ・フォグの眷属であるミヨシは彼女に逆らう訳にも行かなかったので仕方なく命令に従ったが――今度はイナ・フォグがライムの自宅へ通うようになった。
不審に思ったミヨシは、度々市松に「何故、イナ・フォグがライムの自宅へ通うようになったのか?」 「ライムの身に何かあったのか?」と問い詰めた。 だが、市松はミヨシの問いに澄ました顔で『オトウ様ノ許可ガ無ケレバ、オ伝エスル事ハデキマセン』と繰り返し答えるだけで、ライコウの許可が無ければライムの現状について話す事は出来ないと口をつぐんでいたのであった……。
何を聞いても「ライムの家には行くな」としか言わないイナ・フォグ。 市松からも何の情報も得られないミヨシはライムと別れた時に頭を擡げた不安が現実のものになったように感じていた……。 その不安が胸の中で耐え難いほど大きくなって行った時、ついにミヨシはイナ・フォグへ向かって不満をぶつけた。
「――いい加減にしてください! 何でバッちゃんと会わしてくれないんですか! もう、フォグさんがなんて言おうが、今度ばかりはアタチも一緒に行かせて頂きます!」
屋敷の玄関扉を勢い良く蹴り開け、ライムの自宅へ行こうと庭へ出たイナ・フォグをミヨシが呼び止めた。
「……ふぅ、流石にこれ以上隠すのは無理ね……」
イナ・フォグは観念したように、ライムを会わせないようにしていた理由を伝える為、屋敷の応接間で待っているようミヨシに伝えた――。
――ミヨシは誰もいない応接間の椅子の上に緊張した様子で座っていた――
椅子の上で背中を丸めて両耳を反らし、不安気な様子を見せているミヨシ。 すると「コン、コン……」とノックの音が響いたと思うと、ミヨシが返事をする前に勢い良く扉が開け放たれ、ヒツジを抱いたイナ・フォグとラヴィが入ってきた……。
応接間は無駄に広く、使い勝手の悪い長テーブルが真ん中に鎮座しており、とても少人数で話が出来るような空間ではなかった。 そこで、仕方なくテーブルの隅でラヴィとミヨシが隣り合って座った。 そして、蹴り開けられた扉に近い手前側にイナ・フォグとヒツジが座り、テーブルを挟んでラヴィ、ミヨシと向かい合った。
――四人は少しの間、口を閉ざしていた。 普段ならメイド型の作業用機械が茶を運んで来るはずだが、応接を使用する旨をアセナに告げていないせいなのか、誰も茶を持ってくる者はいなかった。 ミヨシは、なんだか不気味な緊張感が漂うこの空間に息がつまるような思いがした――。
すると、イナ・フォグがゆっくりと口を開き、ミヨシの顔に赤い瞳を向けた。
「……ミヨシ、ゴメンなさいね……」
ミヨシはイナ・フォグに謝罪をして欲しい訳ではなかった。
「フォグさん、何で謝るんです! 何でアタチをバッちゃんに会わせてくれないんですか!?」
ミヨシが耳をピンと立てて叫ぶと、隣に座るラヴィがイナ・フォグの代りに口を継いだ。
「……汝には言いづらいのだが、ライムの病が突然変異を起こしたのだ……」
「えっ、病……って、まさか……」
ミヨシは椅子の上で立ち上がり、尻尾を膨らませて困惑した様子を見せた。 イナ・フォグはミヨシを一瞥すると、隣に座るヒツジのテカテカした銅色の頭に目を移して、まるでヒツジに向かって話すかのように口を開いた。
「――バグズ・マキナよ。 ライムの器を蝕んでいるバグズ・マキナの挙動が突然おかしくなったの……」
「バグズ……」
イナ・フォグの話を聞いて、ミヨシはどう答えて良いのか分からずに、ヒツジの方へ顔を向けているイナ・フォグを見つめた。
――数分の間、応接間は静けさに包まれた――
ミヨシはその間に混乱する頭を必死に整理して、言葉を絞り出した。
「つ……つまり、それが何だって言うんです? バグズ何たらの挙動が変わったからって、何でアタチがバッちゃんに会えなくなる理由になるんです?」
ミヨシの質問は三人がすでに予測していた質問であった。 ミヨシの質問に三人はお互いに目配せをすると、今度はヒツジがミヨシに答えた。
「バグズ・マキナというウィルスが突然変異を起こして器械に空気感染する事が分かったんだ」
「く、空気感染……?」
不審そうに眉を顰め、目を瞬かせるミヨシ。 イナ・フォグの隣に座っているヒツジは一つ目の青いライトをミヨシに向けてコクリと頷いた。
「うん……。 だから、もうライムとは会う事ができないんだ。 もし、キミが感染でもしたら、フルを消滅させない限り治療する事が出来ないからね……」
「――でも、アタチは――!!」
ミヨシは椅子の上に立ち、テーブルに肉球を付いて訴える。 すると、ヒツジがミヨシの言葉を遮った。
「治療が出来ない事はミヨシ――キミが一番分かっているはずだ」
「――!!」
ミヨシはヒツジの声に体中を震わせて、テーブルの上に視線を落とした。
――ミヨシはイナ・フォグの眷属となった後、スキルという不思議な呪術で器械達を治癒できるようになった。 そこで、喜び勇んでライムの身体からウィルスを除去しようと試みたが、どんな手を尽くしてもライムの身体からウィルスが消滅する事が出来なかった――。
「……」
ミヨシは黙り込んでしまった。 恐らく、無理にライムと会おうとしてもイナ・フォグ達に阻まれるだろう……。 ミヨシの頬から伸びているヒゲは消沈したように萎れていた。 ピンと立てていた耳もいつの間にか伏せており、尻尾も力なく垂れ下がっていた……。
「ミヨシ……今、汝をウィルスに感染させるわけにはいかないのだ。 フルとの戦いでは汝の力が必要となる。 汝にとっては辛いだろうが、皆の為に理解して欲しいのだ……」
ラヴィが悲し気な様子でミヨシに視線を向ける――すると、イナ・フォグが立ち上がり、ミヨシに近づいた。 そして、テーブルに両手を付いたまま椅子の上に立っているミヨシを後ろから抱きかかえた。
「……ミヨシ、アナタがライムを救う方法はフリーズ・アウトを消滅させる事。 ヤツを消滅させれば、ライムは長年に渡る苦しみから解放されるわ」
イナ・フォグはヤマネコのようなミヨシを両手で抱き、震えるミヨシの頭に顔を近づける――。
「……うぅ、でも、フルを消滅させた瞬間、バッちゃんは……」
ミヨシはイナ・フォグの胸に顔を埋め尻尾を震わせた。
「……確かにフリーズ・アウトを消滅させれば、たちまちライムの器は破壊される。 でも――」
イナ・フォグはミヨシの頭に口づけをすると、そのまま頬をミヨシの頭に擦り付けながら言葉を続けた。
「――アナタがライムを救ってあげなければならない。 永劫の時を苦しみ続けた彼女の魂を、アナタが……」
「……」
ミヨシはイナ・フォグの胸に顔を埋めたまま返事をしなかった。 イナ・フォグはそんなミヨシを抱きながら、フサフサした黒い背中をゆっくりと撫でた。
イナ・フォグの柔らかな手の温もりがミヨシの背中に伝わって来る――すると、ミヨシの抑えていた感情が一気に爆発した。
「――うわぁぁぁぁん――!!」
ミヨシは我を忘れてイナ・フォグの胸の中で嗚咽を漏らした……。 だが、悲しいことにミヨシの瞳からは一滴の涙も出てこなかった。 それでも、ミヨシは慟哭を絞り出さずにはいられなかったのだ……。
イナ・フォグは、悲痛な声を上げて顔を埋めるミヨシの頭に再び口づけをした……。
「もし、フリーズ・アウトを消滅させても、私がすぐにライムの器を保護するわ。 ライムの器をしばらくの間、爆発させないようにね。
アナタはその間、残された最後の時間を――一時の安息をライムと共に過ごしなさい」
「分かったわね……」
イナ・フォグが優しくミヨシに呟いた。 だが、ミヨシはイナ・フォグの胸の中で涙を出さずに泣きじゃくっていた……。 ヒツジはそんなミヨシの悲痛な姿に胸を痛め、深く青い一つ目のライトを滲ませている。 ラヴィもまたパーカーの裾で涙を拭っており、可哀そうなミヨシの境遇に同情している様子であった……。
――
ミヨシは数日の間、酷く落ち込んでいた。 その間、ミヨシはイナ・フォグの話した言葉を何度も思い返していた……。
……
『――アナタがライムの魂を救ってあげなければならない――』
……
「……アタチが……バッちゃんの魂を……」
ミヨシは思った……。
(バッちゃんが稼働していた八十年以上もの間、バッちゃんは一瞬でも幸せだった時があったのだろうか……)
仲間達を自分の手で破壊したどころか捕食すらした罪深いライムは、正気に戻ると自ら壊れてしまいたい程に絶望した。 しかし、ライムは自死を選択する事すら許されなかった。 何時まで続くかさえ分からない無限の浮世で苦悶に喘ぎ、藻掻き苦しんでいた。
ミヨシはライムが今までただの一度も幸福であった時などなかったはずだと、ライムの過去を憐れみ、同情した。
――だが、もしライムがこの場にいたら、彼女はミヨシの問いにこう答えるだろう――
『――今も幸せですよ――』と……。
――バグズ・マキナに汚染され、我を忘れて仲間を破壊し続けたライムは、何者かによって助けられた。 そして、その後マザーによって『アイム』というネコ型の器械を育てるように命じられた。 アイムはライムにとってかけがえの無い一人息子となり、彼の存在がライムのココロに一時の安らぎを与えた。
ところが、アイムはゼルナーとなりライムの下から離れた後、イナ・フォグによって破壊された……。
息子を破壊されたライムにとって、イナ・フォグは憎むべき存在だったはずだ。 だが、ライムはイナ・フォグを憎むことは無かった。
アイムはそもそもマザーから「アラトロンを説得してマルアハを討伐する協力を取り付ける」という重要な任務を与えられたにもかかわらず、あろうことかその任務を放棄し、ラキア達と共にイナ・フォグを消滅させようと画策した。 その事実を知ったライムがそれでもイナ・フォグを憎むのであれば、それは単なる私怨に他ならない。 彼女はそれを分かっていたからこそ、イナ・フォグを恨まなかった。
それに、彼女はライムの身体を蝕む地獄の苦しみから解放してくれる唯一の存在であり、軽トラックであったミヨシのボディをライムと同じネコ型へと変えてくれた。
イナ・フォグがミヨシをネコ型のボディに変えた理由はミヨシの希望だった為であり、ライムの為にした事ではない。 しかし、ミヨシがネコ型のボディに変わった事で、ライムにとって軽トラックの家出娘であったミヨシが、アイムの妹である我が子に変わったのである。
再び我が子の無事を願い、幸せを願う事が出来るライムにとって、過去の悲劇やこの体を蝕むウィルスなど何の苦痛も感じなかった。 彼女の幸福は、自らが稼働を停止するその瞬間に笑顔のミヨシが傍にいてくれる事――その一瞬が、彼女にとって器械としての一生を幸福ならしめるのだ。
……しかし、ミヨシにはライムの本意を知る事が出来ない。 ミヨシはライムが今まで悲劇に満ちた人生を歩み、今も尚、ウィルスによって苦しんでいるはずだとココロを痛めていた。
「もう、これ以上、バッちゃんを苦しめる訳にはいかない!」
ミヨシは今すぐにでもライムと会いたかった。 ライムに抱き着いて、彼女の錆だらけの肉球で頭を撫でられたかった……。 しかし、フルを消滅させ、ライムの器を破壊しなければ二度とライムと会う事が出来ないのだ……。
……愛する者を救う為、その愛する者の命を奪わなければならないという悲劇……
その耐え難い運命にミヨシは立ち向かおうとしていた。
「――バッちゃんを苦しみから救ってあげたい!」
ミヨシはそのただ一心でフルを消滅させ、ライムを破壊する事を決心した。
――
ラヴィとヒツジはイナ・フォグからライムの病状を聞かされ「ミヨシがライムに会いに行かない様に説得して欲しい」と頼まれ、ミヨシとの話し合いに同席した。 その後、ミヨシは三人の説得に応じてライムの自宅へ行くことはなかったが、イナ・フォグは相変わらずライムの自宅へ通い続けていた。
ラヴィはそんなイナ・フォグの行動に疑問を抱き、屋敷の庭で造花を眺めていたイナ・フォグを見つけて後ろから声を掛けた。
「……アラトロン、汝は何故ライムの家へ通い続けるのだ? 汝の術であればウィルスの発症をしばらくの間抑える事など造作も無いはず。 四六時中ライムの家に行く必要もないだろう? もしかして、ライムはすでにウィルスが発症しており、容態が予想以上に悪いのではないのか?」
訝し気な様子でイナ・フォグに問いかけるラヴィ。 すると、イナ・フォグは造花をしげしげと眺めた後、ゆっくりと振り向いた。
「……ライムの容態は安定しているわ。 確かにアナタの言うように、私が毎日ライムの家に行く必要は無い。 でも、ミヨシだけでなく、誰にも会う事が出来ないライムを孤独のまま放っておいては可哀そうでしょ? だから、せめて私がライムの話し相手になってあげているの……」
意外な答えを返すイナ・フォグに、ラヴィは目を丸くして驚いた。
「えっ!? 汝がそんな慈悲を垂れるとは思わなかったのだ……!」
失礼な事を言うラヴィに、イナ・フォグはジトッとした目を向けた。
「……アナタ、私を何だと思っているの?」
イナ・フォグはそう不満を漏らすとラヴィから目を逸らし、空を見上げた。
「……私はライコウと会うまでの間、ずっと霧の中で孤独だった……。 ヒトであれ、器械であれ、意志ある者の全ては孤独を嫌う。 孤独に恐怖し、孤独を……憎む……。 もちろん、私もそうだった……」
空を見上げるイナ・フォグは悲哀に満ちた寂しげな表情を浮かべながらラヴィに向かって問いかける――
「――『ギルグル・ネシャモート』……未来永劫の時を生きるアナタなら、私の気持ちは理解できるでしょ?」
「――!! 何故、それを――!?」
イナ・フォグの言葉にラヴィは酷く動揺したかと思うと「……いや……」と一言呟いて、何か辛い過去でも思い出したかのように苦悶の表情を浮かべた。
「……す、済まなかったのだ。 冗談だったとは言え、汝に酷い事を言ってしまった……」
ラヴィは悄然と項垂れてイナ・フォグに失言を詫びた。 イナ・フォグはまさかラヴィがここまで落ち込むとは思っていなかったので少しラヴィを気の毒に思ったのか、ラヴィをフォローするように口を継いだ。
「私は別に気にしてないわ。 ただ、ライムに度々会う理由をアナタに伝えたかっただけ。 それに、アナタの失言なんて今に始まった事じゃないでしょ?」
イナ・フォグの言葉は何のフォローにもなっていないように見えたが、存外、ラヴィはイナ・フォグの言葉で気が軽くなったようだ。
「……ははっ、確かにそうなのだ。 でも、これ以上汝を怒らせて、汝に破壊されては困るから軽口は程々にしておくのだ。 もう一度転生する為には、しばらくはまた“あの場所”へ戻らなければならないからな。 ワガハイだって孤独は嫌いなのだ。 だから、あんな寂しいところへ戻るのは、まっぴらゴメンなのだ」
ラヴィはイナ・フォグの言葉を聞いて理解した――イナ・フォグには自分が何者であるかすでに知られている事を。 そんなイナ・フォグに対して、ラヴィはもはや自分の素性を隠そうとはしなかった。 とはいえ、聞かれてもいない過去を自分からペラペラ喋る気は無かった。
だが、もしイナ・フォグに自分の目的を聞かれたら――?
彼女は正直に全ての事実をイナ・フォグに伝えるつもりであった。 たとえ、その瞬間からイナ・フォグが忌むべき仇敵となろうとも……。
――ラヴィは自分の疑念が勘違いであった事をイナ・フォグに詫びた。 そして、イナ・フォグに引き続きライムのフォローを頼んで自室へ戻って行った――
イナ・フォグはラヴィの背中を見送った後、しばらく屋敷の中へ入らずに物憂げな様子で庭を逍遥していた……。
……
『ウソによって誰かの希望を掬えるのであれば――俺はウソを付いて咎を負う事を選ぼう』
……
イナ・フォグはライコウが言った言葉を思い出した。
「……ライコウ、私もアナタと同じでミヨシの為に咎を負う事を選ぶわ……」
イナ・フォグはそう呟くと再び空を見上げた。 地底都市の天井は煌々とした明かりから、穏やかな夕暮れのような橙色の光へと変わっていた。
(誰かを想うココロ……。
……私は……
私はいつまでこのココロを……)
――
ライコウはアセナ、カヨミと共に隣接都市『エクイテス』に滞在していた。 フルとの戦いに備え、連日、エクイテスのゼルナー達と戦略会議を続けていたライコウ……。 ここ数日の間で話し合いはようやく纏まり、エクイテスは殆ど全ての市民を動員し、総力を挙げてディ・リターを支援すると約束した。
エクイテスはディ・リターと異なり人口二万人程度の小さな都市であるが、全ての市民がゼルナーであるという特異な軍事都市であった。 ただ、エクイテスにはマザーが常駐しておらず、その為、何か問題が発生すればディ・リターにいるマザーが仕切る事になっていた。 だが、マザーは今までたった一度しかエクイテスに干渉したことは無かった。 エクイテスのゼルナー達はバハドゥル・サルダールのゼルナー達とは違い、私利私欲に塗れた者はいなかった。 マザーはバハドゥルのように市民の狼藉に頭を悩ませるような事はなく、安心してゼルナーに全てを任せる事が出来たのである。
とはいえ、全てのゼルナーが“生真面目”なのかと言うとそうではない……。 女性型のゼルナーをこよなく愛する煩悩逞しいゼルナーや、事あるごとに下らないダジャレを吐く目障りなゼルナーなど個性的なゼルナーも数多く存在していたのである。
エクイテスはフルとの戦いに向け、都市にいる九割近くのゼルナーをディ・リターへ集結させた。 この決断に至るまでの間には、ディ・リターとエクイテスの間で喧々諤々の言い争いがあり、ようやくエクイテスがディ・リターの主張に同意してゼルナーの派遣を決めたのであった。
エクイテスが兵力の殆どをディ・リターへ集中させる事に難色を示した理由は二つあった。 一つはショル・アボル=ヨルムンガント等、地底を住処とする生体兵器からの襲撃に備える為、もう一つの理由はマルアハ『オフィエル』の眷属による襲撃に備える為であった。
オフィエルの眷属はレヴェド以外にもう一体いた。 女性型の眷属であり、ある事件がきっかけでオフィエルの眷属となって以来、オフィエルの許から行方をくらましていた。 ところが最近、マザーの側近であるゼルナー『セム』から「エクイテスの東――地上にある広大な遺跡で眷属の姿を見た」という報告があり、セムが遺跡の調査に乗り出していた。 結局、セムはオフィエルの眷属を発見する事は出来なかったが、眷属が遺跡周辺に潜んでいるという痕跡は発見出来た。 マザーは「やはり、危険極まりないオフィエルの眷属が遺跡の何処かに潜んでいる事は間違いなさそうだ」とみなし、エクイテスのゼルナー達に警戒するよう呼び掛けていたのであった。
したがって、フル討伐戦にエクイテスのゼルナー達を全員投入する事はエクイテスにとってリスクが高く、万一、オフィエルの眷属がエクイテスを襲撃すれば、もぬけの空の地底都市は為す術がない。 こうして、エクイテスの全兵力をフルにぶつけたいディ・リターと、都市を護りたいエクイテスとのせめぎ合いによって、長期の間ライコウ達はエクイテスに滞在する事を余儀なくされたのであった。
――結果として、エクイテスは兵力の九割をフル討伐戦に割く事となり、ディ・リターの主張がほぼ全面的に通ったかたちとなったが、この決定を下したのはマザーであった。
マザーはディ・リターのゼルナー達に「フルを討伐する為にはライコウ達がハギトと戦った時のように『万全の態勢を整えた後、時間を掛けずに一気に叩く』という戦術以外無い」と説得され、時間を掛ければ掛けるほど戦いが不利になると進言された。 ハギトを討伐する事が出来たのも、イナ・フォグの協力により一気に最大戦力で畳みかける事が出来たからであり、マルアハとの戦闘において、徒に時間を掛けて慎重に戦い続ける事は悪手であったのだ。
マザーも彼らの指摘は承知しており、マルアハのマナスを回復させる時間を与えずに一気呵成に攻撃する事が理想だと考えていた。 そこで、マザーはディ・リターのゼルナー達の要望を全面的に支持する代わりに、オフィエルの眷属へのけん制としてセムをエクイテスへ常駐させる事を、エクイテスのゼルナー達に約束した。
セムはセンの妹にあたるゼルナーであった。 『セン』『サン』『セム』というマザーの側近であるゼルナーのうち最後に製造されたゼルナーであり、センからすると末妹にあたった。 オフィエルの眷属の危険性を考えると、本来なら三人の中で一番性能の低いセムよりも、最も性能の高いサンをエクイテスへ常駐させるべきある。 エクイテスのゼルナー達もサンを派遣するべきだとマザーに反発した。 ところが、マザーは「サンはバハドゥルの治安維持に努めており、すぐに配置転換させる事が出来ない」とエクイテスのゼルナー達の要求を拒否したのであった。
エクイテスのゼルナー達はサンの事を良く知っていた。 かつて、エクイテスに未曽有の大事件が起こった時、瞬く間にその惨劇を食い止めてエクイテスを救ったゼルナーがサンであった。
サンは全都市の中で最強のゼルナーであった。 恐らく彼女の性能は今のライコウよりも上であろう……。 だが、マザーは彼女をマルアハと戦わせようとはさせなかった。 それどころか、マザーの本音は彼女だけでなく、センとセムもマルアハと戦わせたくないと思っていたのである。
マザーが三姉妹をマルアハから遠ざけていた理由は単純であった――。 三姉妹が全世界で一、二を争うほど高性能なゼルナーであろうが、マルアハからすれば“所詮”器械であり、『スキル』と呼ばれるマルアハが使用する呪術に対しては一般器械と変わらず脆弱な人形であったからだ。
マザーにしてみれば、苦労して創り上げた高性能ゼルナーをマルアハなんぞに一瞬で破壊されたくなかったのである。 (特にサンはマザーにとって、自分が創造した全てのゼルナーの中で最高傑作であるという自負があった)
マザーはそんな自身の本心をライコウ達に隠していた。 バハドゥルから追放されたセンをライコウ達に同行させ、ライコウ達に「マザーがフルの討伐に協力する為にセンを寄越してくれた」と勘違いさせた。
ところが、マザーはセンを前線で戦わせようなど毛頭考えていなかった。 後衛でゼルナー達の支援をし、フルと直接戦闘する事は避けるようセンに厳命していたのであった。
センはライコウ達には内緒でマザーの命令を素直に従っていた。
しかし、ライコウ達と行動を共にする事で、彼女が徐々にマザーの命令に反発するようになっていく事は、今のマザーには知る由もなかった――。
――
エクイテスとの話し合いを終えたライコウ達は一カ月ぶりにアセナの屋敷へ帰ってきた。
イナ・フォグとヒツジは久しぶりにライコウに会える事を楽しみにしていたようで、二人でライコウの帰りを門扉の前で待っていた。 そして、ライコウの姿が見えると二人揃ってライコウへ向かって突進していき、ライコウが気を失うまで抱きしめた……。
イナ・フォグの“ハグ”によって背中のフレームが折れたライコウはミヨシによって治療されて一命をとりとめた。 しかし、屋敷の中でさらにコヨミとラヴィに抱き着かれて再び気絶する羽目になり、帰って来た早々に理不尽な拷問を受ける事になったのであった……。
――ライコウが屋敷に戻った一週間後――
屋敷の応接間に馴染みのあるゼルナー達が集合していた。 応接間は先日、イナ・フォグがミヨシを宥めた時と変わっておらず、中央に大きな長テーブルが置かれており、木目調の椅子がテーブルの周りに並べられていた。 椅子にはアセナ、ライコウ、カヨミはもちろんの事、イナ・フォグ、ヒツジ、ミヨシ、ラヴィ、コヨミ――さらにはハギト戦で負傷していたソルテスとアロンが元気な様子で座っており、その他見た事のあるゼルナーも何人か座っていた。
バイク型の器械であるサクラ2号は応接間の扉の前でスタンドを下げて留まっており、彼女の背中には相棒のジスペケが跨っていた。
一見、顔なじみのゼルナー達が全員集合しているかのように見えたが、ライコウ達と共にバハドゥルからやって来たシビュラの姿だけ見えなかった。 ラヴィの話では、現在シビュラは『ペイル・ライダー』を管理している工場に居るとの事であった。
ペイル・ライダーはイナ・フォグ、ラヴィ、コヨミの三人が、人間によって地底深くに建造された『軍需工場』から回収して来たM・ビナー型機械であり、フルが弱点としている毒ガスや、核ミサイルも使用できるという恐ろしい大量破壊兵器であった。
ラヴィはライコウがバハドゥルへ行っている間、黒い球体の姿をしたペイル・ライダーを自走式の兵器へと改造した。 その改造されたペイル・ライダーを、さらにシビュラが魔改造を施していたのである……。
そんな忙しいシビュラの代りなのか、ディ・リターから追放されたはずのエンドルが長テーブルの末席にチョコンと座り、緊張した面持ちでテーブルの上に置かれている茶菓子をモシャモシャ食べていた……。
(な……なんで私がこの場に呼ばれないといけないのかしらん……)
魔女のような三角帽子を被ったエンドルは、長テーブルの前で勢揃いしているゼルナー達を横目でチラチラ見ながら自分が置かれている境遇に疑問を抱いていた……。
――エンドルはディ・リターを追放された後ハーブリムへ戻り、機械技師であるウサギの家に居候していた。 ところが、先日、ウサギの家にディ・リターのゼルナーが訪ねて来て「会わせたいゼルナーがいるとのカヨミ様のご命令だ」と訳が分からないままディ・リターへ連れて来られたのであった。
エンドルはまさか、ディ・リターに自分の“師匠”が滞在しているとは思ってもいなかった。
ディ・リターに連れて来られてカヨミと面会したエンドルは、持っていた杖状の武器をカヨミに奪われ、何の説明もされないまま応接間で行われる会議に出席するように命じられたのである――。
だが、そんな可哀そうなエンドルの様子など誰も気にする者などいなかった……。 アセナは思い思いに騒いでいる仲間達が落ち着くまで待ち続け、彼らがようやく落ち着いた頃を見計らっておもむろに席を立ち、作戦会議開始の音頭を取った――。
――アセナ達が応接間で戦略会議を始めている時――
都市の東端に位置する『器械の砦』と呼ばれるエリアには、エクイテスからやって来た大勢のゼルナー達が続々と集まっていた。
――器械の砦とは、エクイテスとディ・リターとの境界を隔てている大規模な城塞である。 地底都市の底から天井を抜けて、なお地上へ突き出しているという想像を絶する高さの擁壁は、さらに地上から50メートル程の高さまで伸びていた。 砦の中は戦車や大型車両が並列して通行できる程広く、宿舎や食堂、ドッグなど様々な施設の他、社交場やキャバレーなどの娯楽施設などもあり、城塞というよりも大規模な複合施設であるとも言えた。 そして、事実上、この建物が世界で最大の建築物であった。
この大規模な建造物は器械達が建築したものではなかった。 もともと器械の砦は、エクイテスの東にある遺跡に大都市を築いていた人間達が建築した塔の跡地を利用して、マザーが建てたものであった。 『ミグダル・バベル』と呼ばれたその塔は、伝説によると地上から数千メートルにも及ぶ途方もない高さの塔であったとされている。 しかも、巨大な塔の直径は南北へ数千キロにまで及んでおり、塔というよりも途轍もなく高く、長い長城のようであった。
そんな世界で一番高い建造物は『厄災』が起こった時にあっけなく破壊された。 記録によるとミグダル・バベルが破壊された時、空からまるで隕石のような塔の残骸が降り注ぎ、人間の都市を破壊せしめたそうだ。
人類が滅亡した後、破壊された塔の周辺は夥しい瓦礫の山と化して誰も立ち入る事が出来なかったのだが、マザーが長年かけて瓦礫を撤去し、ミグダル・バベルの残骸を利用して新たに砦を築いたのである。
マザーは新たに築いたこの砦を『器械の砦』と名付けた。 マザーがこの砦に器械という名を付けた理由――それは、この砦にはアニマが接続されていたからであった。
器械の砦の何処かに『中央制御室』と呼ばれる広大な部屋がある。 その部屋に砦を管理する大量の機械と、アニマが設置されているのである。
アニマが接続されている砦は、言わずもがな、自ら思考する事が出来る意思のある器械であったが、そもそも、何故マザーが砦にアニマを接続させて意思を持たせたのかは、ゼルナー達の間でも大いなる謎であった。
いずれにせよ、今の砦はディ・リターとエクイテスの境界を隔てる関所の役割を果たしているのみであり、一方の都市に無許可で侵入しようとする器械を阻止したり、都市間を往来するゼルナー達に宿を提供したりする程度の“みみっちい”業務をこなしているだけであった――。
さて、そんな器械の砦に集結していたエクイテスのゼルナー達はこれからディ・リターのゼルナーに先導され、フルの縄張りである『デモニウム・グラキエス』に近い地上への出入口がある『西の壁』というエリアにしばらく滞在する事となっていた。 彼らはそこでディ・リターのゼルナー達が出撃準備を整えるまで待機する予定であった。
普段は千人程度のゼルナーしかいないような砦には、ディ・リターのゼルナーを含めた二万人以上のゼルナーが集結し、砦の周辺はゼルナー達で騒然としていた。 武装車両や戦車も続々と砦から出てきては、真っすぐ西の壁方面へと向かって行く――。
そんな緊迫した状況など今までディ・リターの市民は見た事がなかった。 しかも、エクイテスからゼルナーの大群がやって来たという、これまた初めて経験する状況を目の当たりにしたディ・リターの民衆は、ただでさえ、バハドゥル・サルダールがオフィエルの襲撃に遭って壊滅的な被害を受けたという事件があったばかりなので「もしかしたら、ディ・リターでも何か良からぬ事が起きているのではないか……」と不安がっていた。
砦の周辺では、そんな不安に駆られているディ・リターの市民の為に、新聞記者であるペリカン型の器械や、拡声器のような頭をした情報屋などのマスコミ達がこぞって情報を入手しようと集まっていた。 彼らは隠し事をするゼルナー達の目的を市民の為に暴くべく、砦を出入りするゼルナーに対して次々と正義のインタビューを試みていた……。
「ちょっと、もしもし? 貴方はエクイテスのゼルナーさんでございますか?」
赤いブリキのバケツを頭に被り、大きな白い球体の上に一回り小さな白い球体を重ねた雪ダルマのような外観の器械が、砦から出て来たネコ型のゼルナーにマイクを向けている。
「あんた、誰よ! ウルサイわね!」
首に迷彩柄のバンダナを巻いたネコ型のゼルナーは、エメラルドグリーンの美しい瞳で雪ダルマ型器械を煩わしそうに睨みつけ、立派な銀色の毛を靡かせながら、何も答える事は無いと言わんばかりにピンク色の肉球が付いた手をブンブン振ると、小走りに西の壁方面へ去って行った。
「……ご覧の通り、我が都市のゼルナーばかりでなく、エクイテスのゼルナー達も一様に口をつぐんでおり、一体何故、エクイテスからゼルナー達が大挙してディ・リターへやって来たのかは謎のままです……」
雪ダルマはニンジンのような鼻をヒクつかせ、デバイスの疑似空間を展開している液晶モニタのような体をしたゼルナーに向かって現状の報告をしている。 雪ダルマが発信したリポートは、モニタ型ゼルナーのデバイスを介して市民が所持する端末へ転送されていた。 ディ・リターの住民はそれぞれの自宅で雪ダルマの報告を聞いており、端末の画面に映し出された物々しい砦の状況に眉を顰めていた。
「うーん、こりゃもしかして、マルアハが攻めて来ているのかも知れんな……」
雪ダルマのインタビューを無視して走り去って行ったネコ型のゼルナーは、背中にマシンガンを背負っており、体中に弾帯を巻いた重装備であった……。 他のゼルナーも皆、バズーカやらレーザー銃を手に持っており、武装車両もひっきりなしに走り回っている。
端末の画面越しでそんな緊迫した砦の状況を眺めていた民衆は益々不安が大きくなり、市民の中では「軍は、すでにフルが街を襲撃しに来ている事を隠している!」と騒ぎだす者も出始めていた……。
――
ライコウ達は戦略会議を終え、全員で西の壁へ向かっていた。 すでに器械の砦から西の壁に到着していたエクイテスのゼルナー達と合流する為である。
「……ヒツジ、エイクテスのゼルナーと会っても大丈夫なの……?」
ライコウが運転するトラックの助手席にはイナ・フォグがヒツジを抱いて乗っており、イナ・フォグは心配そうにヒツジの顔を覗き込みながら優しく語り掛けていた。
「うん……。 別に皆と会いたくないという訳じゃないから……」
ヒツジはライコウがエクイテスに行っている間、イナ・フォグが見ても明らかに寂しがっている様子であった。 そこで、イナ・フォグが「ライコウの後を追ってエクイテスに行ったらどうか?」とヒツジと共にエクイテスへ行こうとしたが、ヒツジがイナ・フォグの提案を断った。
そもそも、イナ・フォグはヒツジが自分の傍にいてくれる事が嬉しかった反面、ヒツジがライコウと一緒にエクイテスに行かなかった事を疑問に思っていた。 そこで、イナ・フォグはヒツジに「何故エクイテスへ行きたがらないのか」と、ヒツジにその理由を聞いてみた事があった……。
……
『ボクはあまりエクイテスに良い思い出がないんだ……』
ヒツジはエクイテスに行きたがらない理由をイナ・フォグにそう告げた。 イナ・フォグはもう少し詳しい説明をヒツジに求めた。
『ボクが「リター」の事をキライなのも、エクイテスでの出来事があったからなんだ……。 アイツはボクを騙したんだ……。 ボクを騙して、ライコウを……。 ボクの……を……』
一つ目の青い光を称えていたヒツジは、怒りに震えるようにその光を赤く変化させた。 イナ・フォグは断片的なヒツジの言葉を全て理解する事は出来なかったが、ヒツジは製造されたばかりのライコウを何らかの目的でエクイテスへ連れて行き、その時マザーに騙されて自分の目的が達成出来なかったのだろうという事は何となく分かった。
『そう……。 そんな辛い思い出なら無理に思い出さなくていいわ。 “お母様”はアナタが話せるようになった時に何があったのか聞ければ良いから……』
イナ・フォグは怒りに震えるヒツジをギュッと抱きしめて、ヒツジを慰めたのであった――。
……
西の壁へ向かっているライコウ達は、あと30分もすれば西の壁へ到着するところまで車を走らせていた。
「ヒツジ、お主もあ奴らと会うのが楽しみじゃろう?」
ヒツジの気持ちを何も知らないライコウは、ヒツジが仲間達を会える事を楽しみにしているはずだと思い、嬉しそうに青い瞳を輝かせた。 ところが、ヒツジはライコウの顔を見ないでコクリと頷いたかと思うと、何も言わずにイナ・フォグの胸に頭を擦り付け、眠ってしまった……。
「なんじゃ? ヒツジは何処か不具合でもあるのか?」
ライコウはヒツジがどこか体調でも悪いのかと心配した。 ヒツジの気持ちを理解していたイナ・フォグは「……ミヨシの事で色々あって、ヒツジも少し疲れたのよ」とヒツジを気遣った。
「……そ、そうか……。 ミヨシの事はフォグにも色々と面倒をかけたのう……」
ライコウが申し訳なさそうに目を伏せると、イナ・フォグは「ふふっ、何言っているの? ミヨシは私の眷属よ。 可愛い眷属の為に何かしてあげるのはあたりまえでしょ?」と微笑んだ。
「……すまんのぅ。 それより、ライムの事はミヨシに……」
ライコウはそう言いかけるとバックミラーに目を遣った――バックミラーに映る後ろのトラックの荷台には幕屋が張られており、幕屋の中にラヴィ、コヨミ、ミヨシがいた。
ラヴィとコヨミはミヨシからオフィエルが襲撃して来た時のバハドゥルの様子を緊張した面持ちで聞いていた。 ミヨシは二人に催促されて、ひたすらバハドゥルで起こった事件を喋り続けており、ライムを心配するどころではなかった。
……因みにラヴィ達の乗るトラックの後ろでは、コンテナを積んだ大型の輸送車両が追従していた。 コンテナ内には得意そうにバハドゥルで起きた事件を朗々と語るジャーベと、彼の話に一喜一憂して拍手喝采を送るゼルナー達が乗っており、彼らに混じってソルテス、アロン、エンドルが楽しそうに酒盛りをしていた……。
そんな後ろの状況など露知らず、イナ・フォグはライコウに心配を掛けさすまいと、言葉を継いだ。
「……大丈夫、ミヨシは私が説得したわ。
――ライムはバグズ・マキナの治療で会えないという事にして……」
イナ・フォグはライコウにそう返事すると、膝の上で眠るヒツジの頭を丁寧に撫でた。
「かたじけないのぅ……」
ライコウはヒツジの様子を横目で見ながらイナ・フォグに詫びると、車のアクセルを踏んだ。
(……ライコウとフォグは、ミヨシに何か隠し事をしているの?)
寝たふりをしていたヒツジは、二人の会話を聞きながらそんな疑念を持った……。 とはいえ、もし、二人がミヨシに何か隠し事をしていたとしても、恐らく二人の事だからミヨシの為を思っての行動だろう……頭の中でそんな事を巡らせていたヒツジは、イナ・フォグの温もりで徐々に気持ちが良くなっていき――やがて、意識を夢の中へ沈ませた……。
――
西の壁はディ・リターの南西に位置するエリアである。 市民からは『嘆きの壁』とも呼ばれているが、正式には西の壁という名称であった。
西の“壁”と言われているように、もともと地底都市の端である壁しかなかったエリアだが、壁の側面を長年かけてくり抜いて巨大な箱型のトンネルを建造した。 表面に衝撃を吸収する液体金属を塗布したトンネルは、そもそも地上へ続く出入口を設置する為に造ったものであったが、今ではトンネル内をどんどん拡張し、大規模な要塞を造り上げるまでに至った。
一見すると、要塞を造った目的は地上を往来する出入口がフルの縄張りに近い為、フルが出入口を通って都市に侵入して来るのを防ぐ為なのだろうと思われる。 ところが、要塞が建造された理由はそうではなかった。 もし、フルが地底へ侵入してくれば、強固な金属で造られたこの要塞すら難なく破壊し、都市を蹂躙するであろう……。 出入口の手前に要塞を築こうが、フルにとっては屁のツッパリにもならないのだ。
では、この要塞は一体何の為に造ったのか?
フルはバグズ・マキナで操った器械達を「自分の眷属」だと言っていた。 だが、実際はミヨシやレヴェドのような眷属とは全く異なる存在であり、云わば単なる”操り人形”であった。
バグズ・マキナに侵された器械達は、フルの命令に従って仲間達を破壊しようとする。 先ほどまで共に戦っていた仲間が、次の瞬間、自分に向かって襲い掛かって来るのだ……異形の怪物へと姿を変えて……。
フルの傀儡となった器械達は、ただフルの命令に従って仲間達を地の果てまで追いかける……自分が破壊されるまで永遠に……。
ゼルナー達は、そんな悲しき仲間達を断腸の思いで破壊するのだ……自分達の都市を護る為に……。
つまり、要塞はフルの侵入を防ぐ目的でなく、フルに操られた哀れな器械達の侵入を防ぐ為に造ったのである。 そして、要塞を建造したトンネル内を強固に補強した理由は、自分達が破壊した仲間の爆発によってトンネルが崩れないようにした為であった。
そんな悲劇的な場所である西の壁には「仲間をこの手で破壊したゼルナーの嘆きの声が夜な夜な聞こえてくる……」という噂があった。 住民達はその噂話を真に受けて、西の壁を『嘆きの壁』と呼ぶようになったのである。
――現在、西の壁周辺はディ・リターの市民が立ち入らないように厳重に擁壁が築かれ、武装したゼルナーがそこら中にうろついているという物騒な様相を呈していた――
器械の砦で取材活動をしていたディ・リターのマスコミ達は、西の壁へ大移動したゼルナー達を追いかけて、立ち入り禁止となった西の壁周辺で再び取材活動を開始していた。
自都市のゼルナー達だけでなく、エクイテスのゼルナーまでもが大挙して西の壁に集合し、戦争準備をしている様子を不安そうに見守る住民達……。 記者達は市民の為に何とか情報を収集しようとドローンを飛ばしたり、昆虫型の作業用機械を放って西の壁エリアへの侵入を試みたが、上空に張り巡らされた障壁に悉く阻まれて、結局、何の情報も得る事が出来なかった……。
「――嘆きの壁の中にあります要塞に、数十メートルを超える巨大なロボットが運ばれているのを見たという住民がいます。 バハドゥル・サルダールに出現したとされるオフィエルが攻めて来るのでしょうか? それとも、フルが街に侵入しようとしているのでしょうか?
軍から公のコメントは未だありません……」
雪ダルマ型器械がマイクを持ちながら、丸い目を三角にしてモニタ型ゼルナーに向かって語り掛けている。 モニタ型ゼルナーのデバイスが発生させたフィールドには3Dのウィンドウが表示されており、鋼鉄の擁壁と擁壁からエリア内を出入りする為の門扉が映し出されていた。 ウィンドウの右端に表示されている小窓には門扉の前で警戒をしている多くのゼルナー達の拡大映像が表示されていた。
――すると、突然、モニタ型ゼルナーのフィールドが消え、映像がプッツリと途絶えてしまった――。
「えっ、何、何――!? 一体、何が起こったの!? デバイスの故障?」
雪ダルマが慌ててモニタ型ゼルナーを問い詰める――。
「――いや、何者かの妨害電波だ! こりゃ、強力な電波だぞ! このままじゃ、もう映像は流せない」
モニタ型ゼルナーの返事に雪ダルマは「えーっ! ちょっと、何とかしなさいよ! 貴方ゼルナーでしょ!?」と無茶な要求をして、まるで故障したテレビを叩くかのようにモニタ型ゼルナーの頭を木の枝のような細い手でペシペシ叩いた……。
「――いてて……おい、コラ、止めろ! 俺の性能ではもうどうにもならん! 後はアナログで映像を記録して市民に発信するか、新聞でも配るしかない!」
「くっそー! 軍は何故、こうまでして自分達の行動を隠すのよ! 市民の知る権利を奪う暴挙だわ! 暴挙!」
雪ダルマはボディを赤くしてプンプン怒りながら、門扉を警備するゼルナー達を睨みつけた。 雪ダルマに理不尽にも殴られたモニタ型ゼルナーは、怒り心頭の雪ダルマを宥めながら撤退を促した。
「おい、雪ちゃん、お前がそんなに睨んでも、あそこにいるゼルナー達はエクイテスのゼルナーだぞ。 俺達ディ・リターの市民がいくら叫ぼうが奴らは全く耳を貸そうとしない。 文句言っても無駄だ、もう撤退しよう」
――雪ダルマが睨んでいたゼルナーは確かにディ・リターのゼルナーとは外見が異なっていた。
ディ・リターのゼルナーはどちらかと言えば、人間と同じような私服姿である事が多かったが、西の壁にいるゼルナー達は殆どが立派な西洋式の甲冑を身に着けていた。 そして、西洋式の甲冑を着たゼルナーに交じって、ピシッとしたスーツ姿のゼルナーも何人か交じっており、見た目からして彼らが上級のゼルナーであろうと思わせた――。
「くそー、覚えてらっしゃい!」
雪ダルマは何故か捨て台詞を吐き、偉そうに枝のような手をクイッと曲げてモニタ型ゼルナーに撤退する合図を出した……。
どういう訳か一般器械の雪ダルマに頭が上がらない様子のモニタ型ゼルナーは、走り去る雪ダルマの背中を追っかけて行き、二人は市街地へと消えて行った……。
――そんな二人の様子を遠くから眺めていたスーツ姿のゼルナーが、ため息を吐きながら肩を竦める――
「……はぁ、うっぜ。 やっと、帰ったか……」
黒く艶のあるスーツを身に纏い、パリっとした白いシャツにえんじ色のネクタイを締めている青年型ゼルナー。 スーツの上にはこげ茶色の外套を羽織っており、頭にはコートと同じくこげ茶色のキャスケット被っている。
「――おい、お前ら、疲れてないか?」
スーツ姿の青年は門扉を警備しているゼルナーに問いかけた。 すると、周りのゼルナー達が皆一斉に青年の方へ身体を向けて敬礼をした。
「いえ、レグルス様! 我々は問題ありません!」
レグルスという名の青年に向かって一斉に答えたゼルナー達は、皆一様に立派な甲冑を身に纏っていた。
甲冑の色こそ銀色であったり、真鍮色であったりしたが、ゼルナー達の胸には龍のような動物の紋章が刻まれており、ガントレットや脛当てにも美しい葉の文様が彫り込まれていた。
「うん、そうか。 しかし、無理はするなよ。 燃料補給は余裕をもってするようにな」
青年はゼルナー達に優しい言葉を掛けると、門扉を自分の手で開いて中へ入っていた。
――
スーツ姿の青年は『レグルス』という名のゼルナーである。 型名は『EL-SHALOM』と言った。 彼はエクイテスのゼルナー達のリーダーであった。 ライコウと同じ時期に製造された若い器械であったが、ライコウがハーブリムへ向かった後ですぐゼルナーとなり、その性能の高さ故、瞬く間にエクイテスのゼルナー達のリーダーとなった。 一足先にゼルナーとなったライコウをライバル視しているが、同時にライコウの事を慕ってもいた。 どうやら、彼はライコウの事を“良きライバル”として見ているようだ。
彼にはライコウも知らない秘密があった。 もっとも、その秘密はレグルス自身も気づいていなかった。 それどころか、マザーを含めたこの星にいる殆ど全ての者が知らない秘密であった――一人の女性を除いては――。
――市街地と西の壁エリアを隔てる擁壁内は、多くの戦車や武装車両が集結していた。 車両だけでなく、ヒツジのような姿をしたロボットや、シャヤのような姿をしたアンドロイド等が銃器を抱えて待機しており、彼らを指揮するディ・リターとエクイテスのゼルナー達が隊列を成して戦闘準備を進めていた――
レグルスは慌ただしく動き回るゼルナー達を横目で見ながら、西の壁の奥に聳える要塞へ向かっていた。 すると、途中でシビュラの姿が目に留まった。
「おお、シビュラじゃないか! 何時来たんだ?」
レグルスはシビュラの事を知っているようで、大きく手を振りながらシビュラに向かって叫んだ。
「……大分前から来てたみたい。 ペイル・ライダーの改造が終わったから」
駆け寄って来たレグルスに向かって不愛想な返事をするシビュラ。 レグルスは何かを思い出したように栗色の瞳を大きく開け「――ええっ!? アレ、アンタが改造したのか?」とペイル・ライダーの姿をすでに見たかのような口ぶりで驚きの声を上げた。
「そうみたい。 強そうでしょ?」
シビュラが少し得意そうな顔を見せると、レグルスは「……ああ、まあ、強そうというか、凶悪そうというか……」と言葉を詰まらせて悩まし気な顔を見せた。
「……それより、そろそろアセナがライコウを連れて来る頃。 要塞の中で貴方の仲間達も首を長くして待っているみたい。 こんなところでアブラ売っていないで、私達も要塞の中に入って、ライコウ達の到着を待ちましょう」
シビュラはそう言うとプイッと後ろを振り返り、奥に見える黒い要塞へ向かって歩き出した。
「あっ、そういえば、シビュラ――!」
レグルスはシビュラを呼び止めると、シビュラは再び後ろを振り返った。
「アンタ、インターセプトを使って町中の電波を妨害しただろ。 俺たちのデバイスも使えなくなるから止めてくれないか?」
(ディ・リターのマスコミ達が市民へ向けて配信していた映像が突然途絶えた理由――それは、シビュラがインターセプトという妨害電波を発生させたからであった――)
「……それは構わないけど、またマスコミ達が大挙して押し寄せる。 万一、フルと戦う前にディ・リターの市民が騒ぎ出すと厄介みたい。 今、インターセプトを消そうとしなくても、私達がデモニウム・グラキエスへ到着すれば自然と消滅する。 放っておいた方が良いみたい」
インターセプトはシビュラの身体から発生している特殊な妨害電波である。 当然、シビュラが地上へ上がり、ディ・リターからいなくなれば電波も届かない。 シビュラが妨害電波を発生させた理由は作戦開始までの間、ディ・リターの民衆に情報が流出する事を懸念していたからである。
……それと、先ほどの雪ダルマのようなマスコミ達がチョロチョロと自分の周りで情報を嗅ぎまわるマネをしている事が煩わしいという単純な理由もあった。
「なるほど……じゃあ、まあいいや。 地底でデバイスが使えないなんて大した問題ではないからな。 まあ、強いて影響があると言えば、今ライコウと一緒にこちらへ向かっているアラトロンの姿が確認出来ない事かな。 アンタが妨害電波を発生する前にアラトロンの顔を一目見ておけばよかったよ……」
意外と軽い性格をしているレグルスは、シビュラが妨害電波を止める事を拒否しても飄々とした様子で受け入れた。
「……どの道すぐに会えるわ。 ……けど、貴方が会う事に対しては何とも思わないけど『アルス』に会わせるのは、今からでも嫌な予感しかしないみたい……」
「あー、なるほど。 ……という事は――」
シビュラの言葉にレグルスは何か感づいたように、納得した様子でキャスケット帽のつばに手をやり少し上を向いて心配そうな表情を見せた。
「――そう、アラトロンは美しい姿をしている」
シビュラの言葉にレグルスは心配そうな表情から「――はぁ、うっぜ」と面倒くさそうな表情に変わり、ため息を吐いた。
「まあ、アラトロンに何かチョッカイ出そうものなら、一瞬で破壊される事は一目見て分かるみたい。 アルスも馬鹿ではないようだし大丈夫でしょう。 それに、ライコウだってアルスがアラトロンにチョッカイを出す事を許さないみたい」
「――? ライコウが? もしかして、ライコウはアラトロンに惚れているのか?」
「……まあ、私は少なくともそう思っているみたい……。 彼は否定するでしょうけど」
アルスというゼルナーがイナ・フォグと会う事を剣呑に思っていたレグルスであったが、ライコウがイナ・フォグに惚れているなどというシビュラの勝手な憶測を聞いてにわかに元気になった。
「はははっ! へー、そうなのか! そりゃ、面白いな。 ……ふん、ふん、そうか、そうか。 それじゃ、アイツを色々とイジれそうだな、ハハハ!」
レグルスは嬉しそうにシビュラの肩をバンバン叩くと、シビュラは迷惑そうにレグルスの手を払った……。
「……まったく、貴方、相変わらず子供じみた性格みたい。 それより、もう要塞の中へはいりましょう――」
シビュラはそう言うと踵を返して要塞へ向かって歩き出した。 レグルスは含み笑いを浮かべながらキャスケット帽を深くかぶり直して、シビュラの背中を追いながら、ある女性の事を思い出した。
(……そういえば、あの女の子……ラヴィと言ったか? あの子はライコウ達と一緒にこっちへ来るんだろうか……?)
レグルスがラヴィを知っている理由は、先日、会議の為にエクイテスに帰還していたライコウからデバイスに記録していた映像を見せてもらったからである。 もともとレグルスはラヴィに会った事も無ければ、彼女の名前すら知らなかった。 しかも、ライコウから過去の記録映像を見せてもらった理由も、ラヴィの姿を確認したかった訳では無く、イナ・フォグの姿を確認する為であった。
この時、レグルスはライコウに「アラトロンの記録映像を見せて欲しい」と何度もせがんでいた。 しつこくせがむレグルスに、ライコウは仕方なくホログラムディスプレイを起動させ、デバイスに記録していたイナ・フォグの映像を見せた。
……ところが、レグルスはイナ・フォグではなく、彼女と一緒に映っていた女性の姿に一瞬にして目を奪われたのであった……。
……
レグルスはその女性の笑顔に思わず言葉を失った。 彼は瞬き一つせず、ポニーテールを揺らしながら微笑む白衣を羽織ったパーカー姿の女性を見つめていた……。
(こ、この子は……何処かで……?)
ライコウはレグルスの目がラヴィの姿を追っている事に気が付いた。
『なんじゃ? お主、ラヴィの事を知っているのか?』
『ラ……ラヴィ?』
レグルスは明らかに動揺している様子であった。 もはや、彼の目にはイナ・フォグの姿など映っていなかった。
『おお、そうじゃった! そういえばラヴィの奴は「ウソつきアル」とも呼ばれておったのぅ。 まあ、全くウソつきではなかったのだが、世間では大ウソつき扱いされて可哀そうな女子なのじゃが……』
『そっ、そうなのか……?』
レグルスはライコウの言葉を話半分しか聞いておらず、ただラヴィの様子をジッと見つめている……。
『……? お主、さっきからラヴィしか見ておらんじゃないか。 もしかして、何だ――? ラヴィに一目惚れというヤツでもしたのか?』
ライコウはレグルスの様子を見ながら悪びれない様子で言い放った。 ライコウは一目惚れという言葉の意味をよく分かっていなかったのである。 一目惚れとは、単に初めて見る相手を気に入る程度の意味としか捉えていなかった。
『――そ、そんな訳ないだろ! ……ただ、何となく気になっただけだ!』
レグルスはライコウの憶測を否定した。 そして、ライコウに指摘されたのが恥ずかしかったのか、イナ・フォグの姿を確認せずに映像から目を離したかと思うと、おもむろに立ち上がった。
『……ありがとう。 もう、充分だ――』
レグルスはライコウに映像を見せてくれた礼を言うと、カツカツと艶のある茶色い革靴の底を鳴らしながら歩き出した。 そして、美しいガラス造りの噴水の前を通り過ぎ、奥に見える扉へと消えて行った……。
……
レグルスはラヴィの姿を見て、自分のココロの中に名状し難い違和感を抱いた。 その違和感の正体が何なのかはよく分からない。 ライコウの指摘のように、ラヴィの姿に一目惚れしたからであろうか? レグルスは誰かに一目惚れをした経験などなかったので、違和感の正体が一目惚れかどうかも分からなかった。 レグルスはどの道、ラヴィと会ってみればこの違和感の正体が分かるだろうと期待した。
……だが、残念な事にレグルスがラヴィと会ったところで、彼の違和感は何一つ解消されないだろう……。
しかし、ラヴィにとっては別であった。 彼女がレグルスと再会した事は、彼女にとって自分の期待を確信に変える程重大な出来事であった――。




