逃亡
――腐乱した人型の肉塊を膨れ上がらせたオフィエルの姿は、見る者全てを恐怖に陥れた。 この恐ろしい天使は、白銀の淀んだ体液を身体から放出し、雨のように地表へ降らせた。
コブシ大くらいの雫となった体液は、触れる者を全て溶かしてしまう悪魔の液体であった。 石造だろうが、超合金だろうが、ガラスだろうが、ありとあらゆる物質を溶かし、消滅させた。 ペロートが飛ばしたドローンが展開したバリア、さらにゼルナー達が使用したバリアも何事も無かったかのように通り抜け、全ての器械を溶かそうとした。
避ける術も無い猛毒の驟雨が襲う、バハドゥルの街……。 きっと全ての物が破壊されてしまうに違いない……。
だが、バハドゥルに存在するバトラー達、ネクト達は辛うじて生き残っていた。
修道女の不思議な術のお陰で――
――
「一にして全、全にして一なる者。 変幻自在の限りなき深淵――全能なる玉虫色の実体。 夢想の光に空虚なる虹の天幕を掲げよ」
民衆が逃げ惑う喧噪の中、修道女の声が響く。
すると、街が一瞬の静寂に覆われた。
「……!?」
「――? ――!!」
全ての者が驚愕して上を見上げると、上空が薄い虹色の膜で覆われていた……。 まるでシャボン玉のような薄い膜が、オフィエルが降らせる白銀の雨を防いでくれたのだ。
……だが、この慈悲深い虹色の防壁は、邪悪な雨を全て防げる訳ではなかった。 大きな雫となって地を穿とうとする毒液は次々と防壁を突破し、建物を消滅させ、地を蒸発させ、市民の身体をあっという間に溶かしていった。
「……くっ、もう二、三度重ね掛けしなければ……」
オフィエルの攻撃を無効にする事が出来ずに唇を噛んだ修道女。 とはいえ、彼女のお陰で街の消滅を免れた事は間違いない。 虹の防壁で勢いが弱まった豪雨は、ゼルナーが使用する防壁や、ドローンが展開するバリアの機能を回復させ、少なからず器械達の身を護る事が出来たのである。
「――化け物が動き出すぞ!!」
市民の一人が北に聳える怪物に向かって指をさして叫んだ。 オフィエルはライコウを探しているのか、重そうな体躯を揺さぶり、ウネウネと下半身から延びる醜悪な触手を地に這わせながら、ゆっくりと管理棟からへと西――ダルヴァザ方面へ動き出していた。
民衆が彼方に見える巨大な怪物に目を向けると、何故か視界にノイズが入り、その恐ろしい全貌を見る事が出来ない。 ノイズはオフィエルから目を逸らすと解除されたが、その不可解な現象がさらに民衆を慄然とさせた。
「ギャー!!」
「助けてぇ――!」
その間にも、とめどなく降り注ぐ液体が器械達の身体を溶かし、アニマを損傷した器械達が次々と爆発を起こす。
――ところどころで炎が立ち上り、民衆の悲鳴と怒号が街全体を包み込む――
「――シャヤ、貴方は仲間達とアイナへ避難しなさい! 貴方達を護る光は、憎悪を振りまく全ての闇を消滅させるはず!」
ディー・ディー、ジャーベ、ネマ、そしてシャヤの四人は、修道女から放たれた不思議な光に守られて、周囲に降り注ぐ白銀の雨から身を護る事が出来た。
青や白、緑や赤といった色が混じり合うその聖なる光は、襲い掛かる悪魔の雨を一瞬で蒸発させた。
「ハ、ハイ……デモ……アナタは?」
シャヤは両手にメイド服を着た球体を抱えながら、修道女に問いかけた。 シャヤの隣で修道女の様子を心配そうに見ているディー・ディーは、破壊された箱型の機械を背負っている。 そして、彼女の後ろに控えるネマは、文鳥のような小鳥型の機械の亡骸をジャーベが着ていた“どてら”にくるみ、大事そうに抱えていた。
修道女は動き出した怪物に目を向ける。 そして、ダルヴァザの方角へ視線を移し、シャヤの問いに答えた。
「私は、一刻も早く“彼”と会わなくてはなりません」
――
シャヤ達がいる大通りと、二層へ続くゲートの間には大規模な商店が乱立していた。 セヴァーはファルサを抱えてダルヴァザの南端から商店を突っ切りながらゲートへ急いだが、オフィエルが放った毒の雨に被災してファルサと共に意識を失ってしまっていた……
……
『――ファルサ様!』
ファルサの目の前に、目も口も、鼻も無い“のっぺらぼう”の白い顔が見える。 だが、その白い顔から放たれる一筋の光は、暗闇の中で藻掻いていたファルサのココロを落ち着かせた。
『シャヤ……愛してる』
ツルツルとした陶器のようなロボットの身体にただメイド服を着せただけの作業用機械……。 ファルサはその機械に確かな愛を感じており、両手で優しく機械を抱きしめると、何も無い顔に口づけをした――
……
「……ん……シャヤ……?」
ファルサが目を覚ますと、そこにシャヤはおらず――
――ボロボロに腐食した青いロボットがファルサに覆いかぶさっていた。
「――! セヴァー!?」
ファルサに覆いかぶさっていた機械はセヴァーであった。
「ぬぉぉぉ――!!」
ファルサは重量のあるセヴァーの身体から何とか抜け出し、セヴァーの背中を見る。
「なっ……何だ、この姿は……!?」
セヴァーは目を覆いたくなるほどの悲惨な姿をしていた。 すでに巨大な外装はボロボロに腐食し、外装の中から人型の背中が露わになっていた。 背中から外装に接続されていたケーブルも何本か腐食して外れており、ケーブルから燃料や水がチョロチョロと漏れていた。
立派な三連装砲が装着されていた下半身は跡形も無く消えており、人型の両足もドロドロに溶けて白濁した液体となっていた……。
黒いバブルシールドを装着していたヘルメットのような頭も跡形も無く、胸のあたりまで溶解した外装の中から人型の頭が見えていた。
……至る所のケーブルがむき出しになっており、バチバチと火花を散らしているセヴァー……
ファルサはあまりの衝撃に一瞬呆然としたが、すぐに気を取り直し、まずはいつ爆発してもおかしくない外装部品――パワードスーツからセヴァー本体を引きずり出して、ヨタヨタとその場を離れた。
「――おい、セヴァー! しっかりしろ!」
前髪を下ろした少し長い黒髪を生やし、面長の金属製の顔を露わにするセヴァー。 ファルサにペチペチと頬を叩かれると、切れ長の目が漸く開いた。
「……ああ、サリード……。 無事で良かった……」
うっすらと開いた緑色の瞳には生気がなく、虚ろな様子でファルサを眺めている。
「ああっ!? お前、何言ってんだ! しっかりしろ!」
「一体何があったんだ! 何で俺を……俺を護ってくれたんだ!!」
ファルサはデバイスを起動させて、セヴァーの容態を見た。 すると、信じられない程の損傷を受けており、稼働しているのも不思議なくらいな状態であった。
ファルサの叫びを目に映る幻影と共に聞いているセヴァー。 彼には目の前に映るファルサの姿が、可愛がっていたサリードの姿に見えているようだ。
「サリード、私はお前の“兄さん”だからだよ。 兄が弟を護る事は当然のことだ……」
「……!? お、お前……何を言って……?」
デバイスで確認する限り、セヴァーのアニマは辛うじて傷を負っていなかった。 だが、人型の身体すら浸食したオフィエルの恐るべき体液は、冷却装置や内燃機関などあらゆる部品を腐食させていた。 そして、中央処理装置は内部処理エラーを引き起こし、緊急停止する事もなく、温度上昇を続けていた。
今のセヴァーは人間で言うと熱にうなされている状況だった。 本来ならあまりに体温が高くなればサーマルスロットリングが働いて中央処理装置の稼働を制限するはずだが、故障によって機能しなくなっているようで、急激な体温の上昇を続けていたのである。
セヴァーの身体は、このままではアニマが爆発する以前に、中央処理装置が爆発を起こしかねない危険な状態であったのだ。
「ああ、それじゃ、今度は俺がアニキを助けてやる――!」
ファルサはうわごとを言っているセヴァーを抱え、背中に背負った。 燃料も冷却水も潤滑油も全て漏れ出てしまったセヴァーの身体は思いのほか軽かった。 ファルサはセヴァーのあまりの軽さに何故だが悔しくて堪らない気持ちになった。
「サリード……有難う……」
セヴァーは相変わらず幻影を見ているようだった。 ファルサの背中に抱かれたセヴァーはそのまま瞳を閉じて意識を失った……。
――
二層へ続くゲートは、街の中心を走る大通りを南へとひたすら進んだ端に位置していた。 逆U字型の建物の中心に壮大な門扉が設置されていた。 一見西洋風の建物のように見えるゲートだが、柱や壁の表面にはターコイズのような材質の四角いタイルが敷き詰められており、幾何学的な模様を描いたデザインはどこかエキゾチックな趣でもあった。
そんな美しいゲートは、オフィエルの放った液体によって柱と壁がドロドロに溶けてしまい、鉄製の門扉と鉄筋の枠を残すだけの哀れな姿となってしまっていた……。
アセナと別れたアミは、管理者達と仲間の器械を引き連れて、ゲートの前まで来ていた。 しかし、猛毒の雨によって負傷した民衆が雪崩のようにゲートへと押し寄せて来た為に、彼らの修理に忙殺され、未だゲートから二層へ降りる事が出来なかった。 アミは二層へ避難する事を諦めて、一緒に付いて来た管理者軍と仲間の器械達を先に二層へ避難するように告げた。
いつの間にか、上空はシャボン玉のような膜に覆われていた。 その膜は、遠くに見える怪物のさらに奥までも果てしなく伸びており、バハドゥルの空を覆い尽くしているようだった。
初めはアミもその膜が何なのか分からなかったが、オフィエルから放たれた砲撃のような液体の塊を『パリン、パリン』とガラスのように音を立てて防いでいる様子を見て、この膜が防壁である事が分かった。 そして――これは、どのゼルナーにも言える事だが――アミはこの慈悲深い防壁は、マザーがバハドゥルの未曽有の危機を救うべく張り巡らせた慈愛の御業だと(勝手に)判断し、マザーに感謝したのであった。
「――マザーの防壁でも、全ての攻撃を防ぐことはできないの! だから、第二波が来る前に貴方達は此処から離れて二層へ逃げるの!」
――空から降り注いだ白銀の豪雨は猛烈な勢いで都市を襲った後、小康状態になっていた。 今なら、民衆や作業用機械達が安全にゲートから二層へ降りるチャンスである。 もはや、敵も味方もなくなり共に逃げて来た管理者達は、アミの言葉を受けてレジスタンスと合流した民衆を率いてゲートへと急いだ――
「管理者殿、早くお逃げください!」
市民の一人が、座り込んでいるゼルナーに言った。
「もう、我々は管理者でも何でもない……」
今まで威張り腐っていた管理者の一人であったゼルナーは、悄然とした様子で市民に答えた。 彼が纏っている革のような素材で造られた茶色い鎧は毒の雨に侵されて黒ずんでおり、一部は溶けて穴が開いていた。
彼の傍には一体の作業用機械が控えていた。 ずんぐりとした丸太のような金属製のボディは前面にいくつかの接続端子が付いており、端子に接続されたメッシュホースはレーザーや油を噴出するノズルになっていた。 作業用機械はレーザーでオイルが漏れているゼルナーの傷口を塞いだり、薬剤の入った油を塗布したりしながら一生懸命ゼルナーを修理していた。
「お前達はレジスタンスの連中と一緒に、先に二層へ避難するが良い……」
ゼルナーは市民に向かってそう言葉を続けた。 市民は覇気のないゼルナーに怪訝そうな顔をしながら、ゲートの前で群衆を誘導しているレジスタンスの許へ駆けて行った。
管理者であったゼルナーは、付きっきりで自分の修理をしてくれている作業用機械をジッと見つめていた。
「すまんな……」
彼の言葉は一生懸命自分を修理してくれている作業用機械に対する感謝なのだろうか……。 それとも、今まで彼が奴隷として虐待していた作業用機械に対する謝罪なのだろうか……。
彼の作業用機械を見つめる瞳は、もう彼を奴隷として見下す蔑んだ瞳ではなかった。
アミ達がいる場所は、ゲートの目の前に位置する住宅街であった。 すでに住民達はゲートから近い為か、殆どが二層へ避難しており、家に残されたのは作業用機械のみという悲惨な状況であった。 各家庭に奴隷として当てがわれていた作業用機械達は無慈悲にも家主に置いていかれ、オフィエルが降らせた破壊の雨によって、隠れていた家屋もろとも原型を留めない程溶けてしまっていた……。
アミは逃げて来た市民を修理しながらも、破壊された家屋の中で生き延びている作業用機械達がいないか探し続けていた。
「おい、ネェちゃん、何やってんだ! お前も早く、二層へ避難しろ!」
ポッコリと腹の突き出たブタのような外見をした管理者が、立派な口髭を震わせながらゲートの前で叫び、アミを手招きしている。
だが、アミはゼルナーの呼び掛けに応じなかった。
「――私はここで皆の治療をするの! それに、これからもっと避難民が押し寄せて来る。 だから、貴方達が先に二層へ行くの!」
アミの言葉にブタ型の管理者は「おお、そうか! ネェちゃんは偉いな!」と叫び、狼狽しながら逃げて来た市民の尻を「もたもたすんな!」とペシペシ叩きながら、次々とゲートの中へ誘導した。
アミと一緒に逃げて来た管理者達の大半は、市民と一緒に二層へと逃げて行った。 だが、一部の管理者はアミの指示に従わず、自分の家族や仲間達がゲートまで辿り着く事を祈りながら、到着を今か今かと焦燥した様子で待ち続けていた。
一方で、レジスタンスのメンバーは全員一層に残っていた。 彼らは家族や仲間達が来るのを待っていた訳では無く、アミがこの場に留まると言ったから一緒に残っただけであった。
「アミさんが残ると言うなら、ワッチ等も一緒に残るでゲス!」
瓦礫をどかして生存者を探しているトカゲのような器械が言った。 彼は機械解放同盟のメンバーであり、ヘルートが同盟を立ち上げた当初からいる古株の器械であった。 こげ茶色のゴツゴツとした人工皮に赤いマフラーを首に巻いた姿は、さながらエリマキトカゲのようであった。
「……で、でも、いつまたマルアハが攻撃してくるか……」
アミが心配そうな目をトカゲに向けると、アミの後ろから管理者であったゼルナーが口を継いだ。
「貴方がここへ留まると言うのであれば、私も貴方に従おう。 もう、我々は貴方がたの敵ではない」
鎧の半分が解けて金属の表面がむき出しになったゼルナーは、先ほど作業用機械に修理してもらっていたゼルナーであった。
「……二層からアイナへ逃げても、きっと後悔するはずだ。 この街を汚し、この街を捨てた私達に一体何が残るというのだ」
ゼルナーの言葉に賛同した少数の管理者達もお互いに目を合わせ、頷いた。
――アミと一緒にゲートまで避難してきた管理者達は二百名近く――何名かは途中で白銀の液体を浴びて跡形も無く溶けてしまったが、百名以上の管理者が民衆と共に二層へ一目散に逃げて行った。 だが、管理者の中でも僅かながら、自分達が今まで犯してきた罪を省みる者もいたのである――
「……この街をメチャクチャにした貴方達の罪は消えないの。 でも、貴方達がそう言ってくれるなら、一緒に皆を助ける為に頑張るの」
今更、市民を助け、ネクト達を助けたとしても、管理者達の贖罪にはならないとアミは思っていた。 自己中心的な民衆が跋扈する街にした為政者の責任は、こんな程度で取れる程浅いものでは無い。 だが、もし、彼らが罪を背負ったままマルアハに破壊されでもしたら……。 アミはそう思うと、彼らが稼働している間に少しでも自分達の罪に向き合う事が出来る事を望んだ。
――すると、突然、トカゲの姿をした仲間が叫び声を上げた――!
「アミさん! た、大変でゲス――!!」
血相を変えて廃墟となった建物の先を指さすトカゲの器械。 アミと仲間達が何事かと急いで駆け寄ると――
――なんと、見た事のない器械を背中に抱いたファルサが気を失って倒れていた!
「――ファ、ファルサ――!!」
驚愕するアミと仲間達に、トカゲ型の器械が発見した時の状況を説明した。
「ワッチが瓦礫をどかしながら生存者がいないか確認していたら、奥の瓦礫の中から何やらランプのような光が見えたんでゲス。 それで、何だろうと思って恐る恐る瓦礫をどかしたら……まさか、ファルサさんが倒れているとは……」
――アミはトカゲの説明を話半分に聞きながら、大急ぎでファルサの治療に取り掛かる――
「ティクン・マジア・マキナ……」
アミがそう呟きながら身体に纏ったケーブルダクトを伸ばすと、ダクトは複数に分岐して空気が充填されたかのように膨らんだ。 すると、ホースのようになったダクトの先からワラワラと機械式のミツバチが大量に飛び出てきて、負傷したファルサの治療を始めた。
「……こ、この器械は一体誰なの?」
アミはファルサの背中に乗っている器械を抱え、ファルサの隣に横たわらせた。 アミはデバイスの疑似空間を展開し、器械の型名を確認する――すると、アミは驚きのあまり、顔を覆っていたダクトが外れかかり、素顔を露わにしそうになった。
『!INF! 型名:SHVERD-セイバー……真素中……座標未計測 CHK?』
「……この器械! ま、まさか、セヴァーなの!?」
アミが知っているセヴァーは巨大な青いロボットであり、バブルシールドを付けた丸い頭をしており、全身を機銃やレーザーなどの銃器で武装している武骨なゼルナーであったはずだ。 だが、ここに倒れている器械は人工皮膚こそ付けては無いが、ほっそりとした人型の器械であり、黒い髪に、目尻の上がった鋭い目をした精悍な姿をしていた。
デバイスで確認する限り、この人型の器械は間違いなくセヴァーであった。 セヴァーは内部部品の殆どが損傷しており、放っておくと凄まじい熱で爆発を起こし、アニマにも傷がついてしまう危険な状況であった。
アミはファルサと同様にダクトから大量のミツバチ型の機械を放出し、セヴァーの修理に取り掛かった。
――
シビュラは崩壊した管理棟を離れ、ミヨシと共にダルヴァザへ逃げて来た。 ヘルート、アセナと合流したシビュラは、背に抱いていたライコウをそっと地に降ろし、ライコウの修理をミヨシに任せた。 そして、アセナ、ヘルートと共に、上空に展開する虹色の膜を次々と突破して来る液体の塊からライコウを護るため、防壁を張り巡らせた。
シビュラの漆黒の左腕から煙のように立ち上る暗黒子の塊は、ライコウとミヨシの頭上に広がり、降りかかる白銀の雨を轟然と飛び散らせ、四散させた。 ヘルートは『シュヴェルドシステム』という自身の刀に内蔵されている機能で刀を振動させて、降りかかる液体に切りつけて霧散させた。 アセナはデバイスを起動させ、上空を飛ぶペロートのドローン『ファルちゃん』達の防壁を強化し、ファルちゃんが展開している蜂の巣のようなバリアを幾重に増殖させた。
だが、それでも猛烈な毒の雨を完全に防ぐことが出来なかった。
ヘルートの黒装束はボロボロに破れ、幼い身体が露わになった。 シビュラは自らの危険を顧みず、ライコウを治療しているミヨシの頭上に暗黒子を展開し続けている。 上空を飛び交うファルちゃんは一機、また一機と鈍く光る銀色の液体に侵食されて、ドロドロに溶けながら墜落していった……。
「――おい、ネコ野郎! まだ、ライコウは起きやがらねぇのか、あぁ!?」
ミヨシに向かって叫ぶヘルート。 彼の身体は液体に侵食され、刀を持った右腕は人工皮膚がはがれて金属の下地が見えている。 もう、これ以上耐える事は出来ないようだ。
「アナタ誰ですか、失礼な! ライコウ様の修理はもう終わってます! 後は目覚めるのを待つだけなんです!」
ミヨシはヘルートの目を見ずにそう叫ぶと「それに、アタチは野郎じゃありません、女の子ですよ……」と銀色の液体が少しかかってしまった尻尾をブルブルと振り、毒気を抜いた。
……この時、ライコウは夢を見ていた……
その夢は自分ではない誰かが、目の前にいる女性と笑い合っている日常の夢であった。
ライコウはこの女性の事を良く知っていた――いや、良く知っているはずだと思った。 彼が見る夢に度々登場するからだ。 会った事も無い女性だが、夢の中では妙な懐かしさを感じた。 女性はライコウの夢に出てくると、きまって自分ではない誰かと話をしており、夢の中ではライコウはいつも傍観者であった……
……
『心配しなくても、大丈夫ですわ。 私は私……。 こうなっても、貴方の事を愛していますわ。 何も変わりはありませんのよ――』
白いキャスケット帽を被った女性は笹の葉のような細い眉を下げ、アヒルのような可愛らしい口角を上げて微笑んだ。 穏やかに称えている杏核形をした紫色の大きな眼は、色は違えども、ライコウの眼と良く似ていた。 肌の色もライコウのように小麦色であった。
彼女の顔から下はどんよりと霞みがかっており、どんな服装なのかまでは分からなかった。 だが、その背に何色とも言い難い光を放つ翼を生やし、左肩にラッパのような楽器を掛けている事はボンヤリと見て取れた。
彼女が一体誰と話をしているのかは分からない……。 だが、彼女はこちらを見ながら話をしている。 もしかしたら、ライコウに向かって話をしているのかも知れないが、ライコウには彼女が一体誰なのか、何のことを話しているのかも全く分からなかった。
彼女はこちらに視線を向けて微笑みながら、話を続けた。
『……それに、私がこうなる事で「あの子」を探しやすくなるでしょう? 私と貴方の大切な子……。 あの時、貴方とあの子が私を救ってくださらなければ、私は研究所でこの体を切り裂かれ、この“器”を利用されていたことでしょう……』
女性はそう言うと、こちらへ近づいてきた……。
『……さあ、早くあの子を見つけて、また、あの時のように三人で幸せに暮らしましょう――』
――その為には――
……
「私がアイツを止めるわ!!」
――ライコウは女性の叫び声を聞いて目が覚めた――
「きっ、君は……」
ライコウの目に先ほどまで夢に見ていた女性の顔が映し出された。 修道服を着ており、背に十字架を背負った姿は夢の中で見た女性の姿とは違う……。 だが、そのアヒルのような可愛らしい口と紫色の大きな瞳、小麦色の肌をした顔は紛れもなく夢で出て来た女性そのものであった。
「あっ……!」
修道女はライコウが目覚めた事に気が付いたようだった。 一言驚きの声を上げると、何故だか少し顔を強張らせてライコウの青い瞳を見つめた。
――二人は一瞬時が止まったかのようにお互いを見つめた――
すると、ライコウの頭上からミヨシの叫び声が聞こえて来たかと思ったら――ミヨシがライコウの腹の上にズドンと乗っかって来た。
「ウゲェ――!!」
ライコウは思わず苦しそうに呻く。 しかし、ミヨシはお構いなしに、頭をライコウの顔に擦り付けて喚いた。
「ライコウ様、やっと目が覚めたんですねぇ! アタチはもう心配で眠れなかったんですよ!」
「馬鹿野郎! こんな時に寝る奴がいるか!」
ミヨシの言葉にいちいち反応して突っ込みを入れるヘルート。 その隣にはオオカミの姿のままのアセナがホッとした様子でライコウに視線を向けていた。
――修道女はダルヴァザへ到着するなり、ライコウを護っていたミヨシ達に不思議な光を放ち、白銀の毒から彼らを護った。 そして、再び呪文のような言葉を紡ぎ、上空に虹色の防壁を展開させた。 彼らが多少余裕を持った表情になったのはその為である。 もちろん、修道女が放った不思議な光はライコウの身体も優しく包み込み、岩を溶かし、鉄をも溶かす地獄の驟雨からライコウを護っていた――
「この光は……?」
ライコウはミヨシを抱きながら起き上がり、自分の身体に纏う光に目を遣った。 その光は夢で見た女性が背に生やしていた翼と同じ光であった。
「無限光……。 イェネ・ヴェルトの先から称える光は、この星のあらゆる災害から身を護る事が出来るの」
修道女が口を開くと、ライコウは驚いたように目を見開き、彼女の顔を再び見つめた。
「……俺は、君の事を知っている……」
「……」
ライコウの言葉に修道女は何も答えなかった。 すると、背後からシビュラが声を掛けてきた。
「貴方、“墓守”の事を知っているみたい?」
シビュラは修道女の事を墓守と呼んでいた。
「……墓守?」
ライコウが後ろを振り向きシビュラを見た。
シビュラの羽織っているクロークはボロ切れのようにズタズタになっており、クロークの下に着ているワンピースも所々溶けてしまって素肌を露わにしていた。 頭に被っていた魔導士のような帽子も何処かへ飛んで行ってしまったようで、長い藍色の髪を靡かせていた。 左右対称に伸びる横髪は先端をリボンで結んでいたが、そのリボンもすでに外れてしまい、解けた長い髪が風に靡いてサラサラと後ろへ舞っていた。
ライコウの困惑した様子に、シビュラは首を傾げた。
「――あら? 貴方、彼女が墓守だって事を知らないみたい? じゃあ、一体どうして彼女の事を知っているの?」
シビュラの問いにライコウは再び前を向いて、修道女を見た。 修道女は澄ました顔をして、ミヨシの方へ視線を向けていた。
「いや、俺の勘違いだ。 知っている気がしただけさ……」
ライコウは修道女に顔を向けながらシビュラに答える。 修道女はミヨシに視線を向けながらも、ライコウの視線を気にしているようで、その小麦色の頬が何処となく紅潮しているように見えた。
シビュラはライコウの返事に「そう……」と一言返事をし、上を見上げた。
上空には幾重にも張り巡らされた虹色の膜が張られており、しつこく降ってくる大粒の雨を弾いていた。 虹色の膜がオフィエルから放たれる液体を弾く時、決まってガラスが砕けるような音が響き渡り、街の至る所で上空から『――パリン、パリン――』という破壊音がこだましていた。
シビュラは再び視線を下げ、管理棟の方へ顔を向ける。
レヴェドの肉塊から湧き出た巨大な怪物は、破壊した管理棟の周囲を探索するようにうろついた後、大蛇のような触手を這わしながらゆっくりとこちらへ向かって来ていた。
「……私は再びボニーヤードへ行って、お墓の様子を見に行くわ」
シビュラは管理棟の地下深くにある墓地が気になって仕方なかった。 しかし、修道女はシビュラを止め、二層へ逃げるように勧めた。
「シビュラ、貴方は少し認識が甘いようね。 イン・ケイオス――いえ、オフィエルは下半身の口から大量のマナスを放出するわ。 彼女の体液である白銀の液体に混ざったマナスは、洪水となってこの街をあっと言う間に覆い尽くす。 今この瞬間だって、彼女がいつマナスを放出してもおかしくないのよ。
だから、貴方達はすぐにでも二層へ――」
「――冗談じゃ無い!! このまま墓を放って逃げるって言うの!!」
シビュラは凄い剣幕で修道女に楯突いた。 普段はほんわかした様子で激昂するような性格には見えないシビュラだが、シビュラの様子を心配そうに見つめるヘルートとアセナには、彼女が何故ここまで必死になるのか良く分かっていた。
シビュラは誰が止めようとも自分は瓦礫と化した管理棟へ再び向かい、地下墓地を確認すると主張して憚らない……。
すると、興奮するシビュラをヘルートが宥めた。
「おい、シビュラ……。 だったら、二層からボニーヤードへ行ったらどうだ? 何も危険を冒して一層から地下へ行く必要もあるめぇ。 二層の入口が埋まっちまっていたら、穴でも掘ってまた開けちまえばいいだろう」
ヘルートはそう言うと隣に控えているアセナに顔を向け「――なぁ?」とアセナに同意を求めた。 アセナはヘルートの意見に同意した。
「うむ、ヘルートの言う通りだ。 ……何、お前が泳げない事は知っている。 だから、私がお前に付いて行ってやろう」
――ライコウが管理棟へ侵入したように、管理棟の地下墓地は二層の貯水池から侵入する事が出来た。 ところが、シビュラは水に入る事を極端に嫌っており、水中からでないと侵入する事が出来ない二層からのルートを選択肢から外していたのだ――
「むむむ……貴方、相変わらず意地が悪いみたい。 何も泳げない訳じゃない……」
シビュラは眉間にシワを寄せて、頬を膨らませながらアセナを睨んだ。 いくら泳げても水に入ろうとしなければ、泳げないのと同じであるが、シビュラにとっては同じではないらしい……。
「とにかく、もう時間が無い! 能書きは良いから、早く二層へ向かうぞ!」
アセナはオオカミの姿のまま、シビュラの手を引っ張った。
実は、アセナは早く二層へ行って、オオカミの姿から人型へ戻りたかったのだ。 全てを溶かす雨が降り注ぐ一層では防壁を張らねば瞬く間に身体が腐食してしまうので、迂闊に変身を解除する事は出来ない。 二層に行けば少なくとも白銀の雨の脅威は避けられるので、人型へ戻る余裕が出来る。 オオカミ型ではマナスだけでなく、燃料も大量に消費するので出来るだけ人型でいたかったのだ。
こうして、シビュラとアセナは崩壊した管理棟の地下にある墓地へ行くために二層へのゲートへ向かった。 ヘルートは「ペロが心配だ」と言って、ボロボロの黒装束と刀身が溶けてしまった刀をそのままに、市街地へと向かった。
残った修道女とライコウ、そしてミヨシはこちらへ向かって来るオフィエルを迎え撃つ準備を始めた。
――
修道女が上空に展開した虹の膜が二重、三重に折り重なって行く様は、白濁した悪魔の液体を避けながらゲートまで必死に逃げる群衆の目にも確認出来た。
折り重なった虹色の防壁は空から降ってくる猛毒の雨を弾き、地底には殆ど届かなくなった。 逃げ惑っていた民衆は、虹色のバリアが補強されて行くのを見て安堵の表情を浮かべ、何故だかマザーに対する感謝を口にした。
「マザー万歳!!」
彼らは上空に張られた虹の防壁がマザーによる御業だと信じ、今回の惨劇に何一つ対処出来ていないマザーを称賛し始めたのである……。
そんな的外れな民衆を尻目に、ディー・ディーはシャヤの手を引きながらアミのいるゲート前へ辿り着いた。 ディー・ディーの背後からはジャーベ、ネマの二人がヨタヨタと付いて来ていた。 二人はそれぞれ壊れた作業用機械を背中に抱き、至る所に散らばっているドロドロに溶けた市民の残骸に目を背けながら、ディー・ディーと共にゲート前に着くと、緊張の糸が切れたのかその場でへたり込んでしまった。
「ふぇぇ、もう歩けない……」
ネマが泣き言を言うと、ディー・ディーが「何言ってんの! ほら、早く行こうよ!」と節のようなネマの手を引っ張った。
「イテテ……って、あっ、あれは――!」
ネマがディー・ディーに手を引っ張られて痛そうに顔を横に背けると、視線の先に見覚えのある器械の姿が映った。 ディー・ディーもネマの言葉に反応し、二つ目の大きなライトをチカチカと点滅させながら、ネマが顔を向けた方へ視線を移した。
「あっ、アミ!」
二人の視線の先にはアミの姿があり、アミはレジスタンスの仲間達と地面に座り込み、必死に何かをやっているようだった。
ディー・ディー、ネマの二人は急いでアミの許へと駆けて行った。 二人の後ろからは、両手にメイド服を着た球体の機械を抱えているシャヤと、巣箱のような姿をした機械を背負ったジャーベが付いて来た。
「アミっ――!」
「――!?」
「……えっ……? これ、どういう事……?」
ディー・ディーとネマはアミの傍へ駆けつけるなり狼狽して腰を抜かすと、目の前に起きている事が理解出来ずに呆然とした。
「……そ、そんな……な、なんで……?」
言葉に詰まっているネマの横で、ディー・ディーは目の前に見える光景が夢であって欲しいと願った。
――ネマとディー・ディーの目に前には、凄惨な姿をしたファルサが横たわっていた――
ファルサが着ている一張羅の古臭い上着は、オフィエルの体液によってさらにボロボロになっており、もはや上着の体をなしていなかった。 長い黒髪はほどけ、所々液体が掛かって茶色に変色している……。
ファルサはセヴァーを庇って逃げていたのか、特に背中の傷が酷かった。 アミによってうつ伏せに寝かせられていたファルサの背中は、金属の下地まで溶けて体内の機材やフレームが目視できるほどに大きな穴が開いていた……。
呆然とファルサを見つめるディー・ディーとネマ……。 だが、ネマが後ろから近づいて来たシャヤの気配を察知して、咄嗟に我に返った。
「――シャヤ! 見ちゃダメだ!」
だが、ネマの制止は一歩遅かった……。 シャヤはファルサの悲惨な姿を目の当たりにすると、思わず両手に持っていた球体の作業用機械から手を放し、愕然とした言葉を絞り出した。
「ア……ア……ウソ……」
シャヤの白い顔に表情などない。 怒っているのか、悲しんでいるのか、はたまた笑っているのかなど分かるはずもなかった。
だが、彼女の言葉に詰まった震える声と悲壮感漂う佇まいが、何も無い顔から苦悶の表情を浮かべているは誰の目からも想像する事が出来た。
「アア――!! イヤ、イヤダ、アア――!!」
シャヤはその場で取り乱し、ジャーベとネマに抑えられた……。 だが、シャヤは二人を跳ねのけてファルサの許へ駆け寄った。
「ファ、ファルサ様……」
悲痛な様子でファルサの手を取り、膝を落とすシャヤ。 シャヤの手から離れた球体の機械はワイヤーのような手をシャヤの首に絡ませると、そのままクルリとシャヤの背中へ移動した。
「シャヤ、どいて! ファルサはまだ治療中なの!」
アミはファルサの修理を必死に続けていた。 セヴァーはすでにアミが施した修理の甲斐あって中央処理装置のエラーも解消され、器械達によって二層へと運ばれていた。 ところが、ファルサはセヴァーよりも傷の程度が酷く、体内に入り込んだオフィエルの体液が、ほんの僅かだがアニマにも浸食していたのだ。
ファルサのアニマは液体によって損傷し、一部の機能が故障したようだった。 アニマに貯蔵されていたマナスがどんどん体外へ放出され始めたのである……。
知っての通り、器械に接続されているアニマは、マナスが無くなると大爆発を起こす。 その為、アミは自身のマナスをファルサへ転移させて、ファルサのアニマからマナスが枯渇する事を防ぎながら、大急ぎで内燃機関等を修理し、取り敢えずファルサの意識を回復させようと奮闘していた。
アニマの修理は器械達には不可能である。 アニマに付いたほんの少しの傷でも、マルアハ以外にアニマを治す事は不可能なのだ。 だが、アニマが傷ついても、他の部品が正常であれば器械を稼働する事は出来た。
ファルサの周りにはアミだけでなく『機械解放同盟』の仲間達も集まっていた。 そして、その中にはヘルートとペロートもいた。 ヘルートはダルヴァザでシビュラ達と別れた後、すぐにペロートと合流し、逃げ惑う民衆を先導してゲートの前まで到着していたのである。
「――シャヤ、残念だがオメェにはファルサを助けられねぇ。 ファルサはアニマに傷を負っちまって、マナスを放出し続けてる……。 アミの修理が終わるまで、俺らがファルサにマナスを送り続けなけりゃならねぇんだ。
だから、俺らに任せて、お前はちょっと後ろに下がってろ、な?」
言葉遣いは汚いが、穏やかな調子でシャヤを宥めるヘルート。 シャヤの後ろで気が動転してへたり込んでいたディー・ディー達は、ヘルートの言葉を聞くや否や気を持ち直し、シャヤと共にファルサの無事を祈った。
アミの身体に絡みつくダクトはその内の数本がファルサの身体へ伸びており、人工皮膚が剥がれた下地の表面にあるコネクタに接続されていた。 そして、さらにいくつかのダクトはヘルートの背中と、ペロートの背負うランドセルの中へ伸びていた。
――アミはマナスと燃料を分離させ、マナスだけをダクトから自由に輸送し、体内へ取り込む事が出来た。 当然、彼女のアニマの許容量以上は取り込めない。 しかし、ダクトからマナスを取り込み、ダクトを介して再び外部へバイパスするだけなら、彼女の身体がポンプの役割をするのみなので、対象から無尽蔵にマナスを抽出する事が出来たのである――
アミはヘルートとペロートに協力してもらい、まるで輸血でもするかのように二人のマナスをファルサに送り続けていた。 そして、自分は出来るだけ早く体内の部品を修理し、ファルサの意識を取り戻そうと死力を尽くしていたのであった。
「……み、みんな……ファルサ様を助けてあげて、お願い……」
ディー・ディーが悲痛な声でアミ達に懇願する。 その横では膝をついたシャヤが、両手を握りしめてファルサに向かって祈りを捧げていた……。
「ディー・ディー、シャヤ、大丈夫――心配しないで。 私達が必ずファルサを助けてあげるわ」
ペロートが二人に頼もしい返事をする。 すると、ヘルートがペロートの言葉に続けて、呆れたような声で気を失っているファルサに向かって悪態をついた。
「へっ、全くコイツは大馬鹿野郎だぜ。 俺とペロにまで気ぃ遣わせた挙句、皆から心配までされてやがる……全く、ホントに幸せ者の馬鹿野郎だ」
ヘルートの額からは汗のように水が滴り落ちていた。 マナスを急速に失っていたヘルートの身体は中央処理装置の制御が追い付かなくなり、体温が上昇していたのである。 それは隣にいるペロートも同じであった。
ペロートはヘルートの手を握りながら体中から滴る汗をポタポタと地面に垂らしてる。 ペロートの頭上には大きなカラス型の器械『シュヴァルツ』がホバリングをしており、口から冷気を吐いてペロートを冷やしていた。
二人は自らのマナスを限界までファルサに転送し、ファルサを救おうとしていたのだ。
そして、二人だけではない。 いつの間にか、機械解放同盟のメンバー全員が集結し、ファルサの無事をただひたすら祈っていた。
――ファルサを必死に修理するアミと、彼女をフォローするヘルペロ夫妻、そしてシャヤ達――いつ再び恐ろしい雨が襲ってくるか分からない中、全ての仲間達が二層へ避難することなくファルサの無事を祈り、ファルサの為に命を懸けていた――
「神サマ……ドウカ、ファルサ様ヲ、オ救イクダサイ……」
シャヤ達が祈りを捧げる神様――それは、マザーでは無かった。 彼らも誰が神様なのかは分からなかった。 ただ、マザーではない別の何か、慈悲深い何かが必ずファルサを救ってくれると、そう信じてその得体の知れない神様に祈りを捧げていた。
――
――一方、ダルヴァザでは迫りくるオフィエルを前にして、修道女とライコウ、そしてミヨシがオフィエルに対抗する手段を話し合っていた――
「ライコウ、貴方は“眷属の子”と一緒にイン・ケイオスから逃げ続けて」
オフィエルがダルヴァザへ迫っている中、修道女はライコウに無茶な要求をしたかと思うと、どこかで聞いたことのある呪文のような言葉を吐いた。
「這い寄る混沌、千の無貌――闇をさまよう黒き風……。 無数の創造に唯一の破壊をもたらす地獄の風。 仇なす王を破壊せしめる魔王の風、虚飾なる王の墓場――王の谷に安息無きを示せ……」
修道女が言葉を紡ぐと、にわかに周囲が薄暗くなった。 そして、何やら空中から得体の知れない影が大量に湧き出て来たかと思うと、こちらへ近づいてくる著大な怪物へ向かって一斉に飛んで行った……。
「一体、君は……?」
ライコウとミヨシは修道女の術に不審の目を向けた。
「そ、そういえば、貴方達に自己紹介をしていなかったわね……」
訝し気な視線を向けられた修道女は少し動揺した素振りを見せ、俯き加減に言葉を返す。そして、ライコウにチラッと視線を送ったかと思うと、再び言葉を続けた。
――修道女はライコウとミヨシに『アザリア』と名乗った。 アザリアは管理棟の地下に埋葬されている何者かの墓を数十年にわたって管理していたので、シビュラ達から『墓守』と呼ばれていたのだそうだ。
そもそも、管理棟は故人を弔うための慰霊塔として建立されたものであった。 およそ50年前にこの街のゼルナー達がマルアハ『ファレグ』と戦い、殆どのゼルナーが破壊されてしまった。 管理棟は特定の故人だけでなく、ゼルナー達の慰霊も兼ねて建設されたのだ。 ところが、その後、行方不明になっていたレヴェドが街へ戻ってきて、その強大な力と狡猾な誘惑でゼルナー達を次々と配下にしていった。 そして、慰霊塔を勝手に自分の住処とし、この街のゼルナーと市民を管理する為の拠点という意味で『管理棟』と名付けた。 だが、管理者などというゼルナー達が蔓延る前からこの街で暮らしていた器械達は、レヴェド達が勝手に名付けた管理棟などという呼び方は好まなかった。 彼らは、この美しく輝く紫色の宝石のような尖塔を未だに『ボニーヤード』と呼んでいたのである――。
ライコウとミヨシに自分の事を「ただの墓守だ」と告げたアザリアは、マザーの声とよく似ていた。 だが、マザーの声よりもずっと若い年齢に思えるような声色であった。 また、言葉遣いも少しマザーとは異なっていた。
「……成程。 それにしても、君の声はマザーにそっくりだな」
ライコウはアザリアがマザーでは無いかと疑っていた。
ライコウも他のゼルナーと同じく、マザーの姿は一度も見た事が無い。 鏡のような銀色の球体から発する声から、彼女の本当の姿を想像するのみである。 そして、ライコウがマザーの姿を想像する時に頭の中で描かれる姿は、決まって夢の中で出て来る小麦色の肌をしたアヒル口の女性であった。
アザリアはライコウの夢に出て来る女性とよく似ていた――いや、同一人物ではないかと思える程瓜二つであった。 服装と背中に生える翼の有無しか違いは無かったのである。
「本当は、君は墓守なんかではなく――
――マザーなんじゃないのか?」
アザリアはライコウの問いに「……いいえ」とだけ答え、言葉を遮った。
アザリアがオフィエルを『イン・ケイオス』と別名で呼んでいる事で、ライコウは彼女が間違いなくマルアハと関係している者か、マザーに関係している者だという事が分かった。 だが、アザリアが「マザーではない」と否定している以上、彼女はマザーでは無いのだろう……彼女が嘘を付いていない限りは……。
「それより、申し訳ないけど、貴方はイン・ケイオスの囮になってもらうわ」
アザリアはライコウの問いに答えず話題を変え、唐突にオフィエルに対抗する作戦を指示した……。
「囮……?」
オフィエルは地底に根を張るようにミミズのような触手を伸ばし、何かを探していた。 彼女が探している者――それはライコウであった。
「イン・ケイオスはアストラル体となって、理性を無くして貴方を探しに来たの。 何故、アイツがアストラル体になったのかは分からないわ。 ともかく、貴方が目の前に現れれば貴方以外の者には目もくれず、襲い掛かって来るでしょう」
ライコウはアストラル体という言葉を知らなかった。 だが、そんな事などどうでも良かった。 ライコウにとっては、何故、オフィエルが自分を狙っているのかという疑問の方が重要だったのである。
「……あのバケモノが俺を狙う理由がどこにあるんだ?」
アザリアはライコウの質問に「……知らないわ」と素気ない返事をしてライコウを少しムッとさせた。
「知らない訳ないだろう。 アイツが俺を狙っている事を知っているのだから、その理由も知っていて当然だろう?」
ライコウの突っ込みに、アザリアは言葉を出すのを躊躇するかのように、目を伏せて唇を噛んだ。
「……そ、それは……。 アイツが人違いをしている……のだと思う……」
傍にいなければ聞こえないほどに消え入りそうな声で答えるアザリア。 目を伏せてたどたどしく答える姿は、明らかに嘘を付いているように見える。 だが、彼女が今にも泣きだしそうな声で話す様子を見たライコウは、彼女を困らせるのも気の毒だと思い、これ以上、彼女の言葉を否定しなかった。
(嘘を付くことを躊躇っている……?)
「確かに君の言う通り、あのバケモノは俺を変な名で呼んでいたから、俺の事を誰かと勘違いしているのかも知れないな。
――まぁ、そんな事はどうでもいいさ。 とにかく、人違いだろうとアイツは俺を狙っているという訳だから、君の指示に従って俺が囮になろう」
「ありがとう……」
アザリアがライコウに“はにかんだ笑顔”を見せる。 ライコウは彼女の恥ずかしそうな笑顔に少し胸の苦しさを覚えると同時に、妙な懐かしさを感じた。
――
肉塊の塊から女の身体が大木のように生えている醜悪な怪物は、街全体を見渡せる程巨大に成長していた。
白銀の液体の塊は、上半身からボコボコと大粒の雨となって吹き出していた。 アザリアが展開している虹色の膜はオフィエルの腰のあたりを透過して、三重に重なった七色の光で街全体を覆っていた。 オフィエルから吹き出す液体を虹色の防壁が受け止める度にガラスのような『パリン』という音が鳴り、全てを溶かす溶解液を霧散させた……。
『――アァァ!! ヨリミツ、何処、ドコ、ドコォ!!』
すでに美しい顔は崩壊し、頭を鉈で真っ二つにカチ割ったように縦に裂けた大口を持つ化け物は、無数の牙をガチガチと鳴らしながら醜悪な涎を垂らしている。 その姿はまるで地獄の食虫植物のようであった。 オフィエルは相変わらず誰かを探し求めて嗄れ声で喚きながら、全身に纏わりついた幾つもの黒い影を取り払おうと、体をくねらせて藻掻いていた。
……この黒い影はアザリアが使用した術であった……
アザリアの術は、オフィエルの動きを遅鈍にさせた。 だが、オフィエルはそれでも止まる事なく極大の体躯を揺すらせて、ライコウとミヨシが待つダルヴァザまでゆっくり近づいてきた。
腐敗した肉団子のようなオフィエルの下半身は、前から見ると聳え立つ肉の壁のように見えるほど威圧的であった。 その肉団子を切り裂いたように開いている悪魔のような口は、ライコウとミヨシだけでなく、周囲の崩壊した建物までも一口で飲み込む程に途方もなく馬鹿でかく、無数に生える肥大化した人面ミミズが地面を這いずる度に不気味な高笑いを響かせた。
『――アアン! いひぃぃひ! やっと、会えたワァァ――』
漸くライコウの姿を見つけ、えらく恍惚な声色で喚くオフィエル。 漆黒の影に取りつかれながらも、次々と肉塊から湧き出て来た触手をライコウとミヨシに向かってゆっくりと伸ばして来た。
「――ヘヘン♪ こんなヘナチョコのスピードじゃ、アタチを捕まえる事は出来ません」
黒い影に勢いを殺された無数の触手は、十分な余力を持って避けられるほど緩慢な動きであったが、ミヨシが調子に乗るほど“軽い攻撃”ではなかった。
触手が地を叩きつける度に、まるで隕石でも落ちたかのような轟音を響かせ、岩を抉る度に街全体を揺るがせた!
至る所で建物が崩壊し、民衆の悲鳴が遠くから聞こえて来た。
触手に張り付いた夥しい数の無表情な人面は、地面を叩きつける度にグチャグチャに崩壊し、どす黒い血に塗れた無残な顔をライコウとミヨシに晒している。
『ヒィ――!』
『キャァァァ――!!』
『――ウヘアハハハ!!』
悲鳴や嬌声、笑い声――狂ったように鳴動する声は聞く者の耳を軋ませる。 不気味な声が響くたびにライコウの視界にノイズが走った。
「カメラがノイズだらけで良く見えん!」
砂嵐のようなノイズで視界を遮られながらも、ライコウは触手の攻撃を左右へ避ける。
「あっ、ライコウ様! 前から顔が――!!」
ミヨシはライコウに向かって伸びる触手を、サソリのような尻尾から放たれる毒針で攻撃した。 複数の毒針が触手に湧き出た顔面に当たると、ボコボコと泡のような腫物を膨らませて、汚らわしい赤黒い液体を吐き散らし爆発した。
「ミヨシ! このまま出入口までコイツを誘導するぞ!」
ライコウは紫電の剣の切っ先に出力を集中させ、無数の触手を切り裂きながらオフィエルをダルヴァザの関所まで誘導して行った。
――
ライコウとミヨシはアザリアの術のお陰で、オフィエルが飛び散らす体液から身を護りながら、なんとか廃墟となった関所の近くまでオフィエルを誘い込んだ。
何時まで経ってものライコウを捕らえる事が出来ないオフィエルは、徐々に闇を纏った身体を赤く変色させていき、轟然とした憤怒の声を町中に響かせた。
『キィィィィ――!! どうして私の愛を受け入れてくれないの!』
肉塊のようなオフィエルの下半身から金切声がこだまする。 すると、オフィエルの巨躯が震え出し、紫色に腫れあがった大口から醜怪な怪物達を放出した!
「――なんだ!? 化け物を吐き出したぞ!!」
――オフィエルから吐き出された怪物共は全て形状が異なっていた。 長い爪を持つ半魚人のような化け物や、サメのような肌をした女性のような形をした生物、人間の足が生えたマグロのような姿をした人魚、ワニの身体に逆さまになった女の頭が付いている不気味な怪物など、どれもまともな姿ではなかった。 しかも、吐き出された怪物は全て腐敗しており、腐乱した肉はダラリと下がり、体の至る所から骨が見えていた――
「コイツ等、器械じゃない!」
ライコウはデバイスを使用して怪物共の詳細を確認するが、案の定『……unknown……』という表示がなされるだけで、正体が全く分からない。
「……たぶん、アタチと同じような奴らですよ!」
半魚人のような怪物が腕をブンブン振ると、空気を切り裂く真空波のような刃がミヨシ目掛けて飛んできた。 ミヨシは上空に張られている虹色の防壁の近くまで高くジャンプして真空波を避けると、サソリの尻尾から大量の毒針を地へ向けて放った。
「ミヨシ! お前、その姿は――!?」
ライコウはしつこく迫る触手をいなしながら、空中を飛ぶミヨシの姿に驚愕した。
なんと、ミヨシの尻から生えている尻尾が三本に増えており、真ん中に生えているサソリの尻尾の両側に真っ黒い大蛇が生えていたのである!
――二体の大蛇は血のような真っ赤な口から青白い炎を吐き出し、オフィエルの口からウゾウゾと湧き出た怪物共を焼き尽くす――
ライコウの目の前に迫っていたサメ肌のゾンビのような黒髪の女も、ミヨシの放つ炎に包まれ体中を爛れさせながら悲鳴を上げた。
その青白い炎はライコウの目の前で猛然と化け物共を焼き焦がした。 だが、不思議なことにライコウの周囲が業火に包まれていたにもかかわらず、炎はライコウに燃え移ることもなく、少しも熱も感じなかった。
(なっ、何だこの炎……? いや、これは炎じゃない?)
ライコウは疑似空間を展開し温度計を確認する。 すると、気温は正常値を示しており、この青白い炎のような物質は炎ではない何か別の物質であるように思われた。
大きくジャンプしたミヨシは青白い炎のような物質を放ちながら地面へ降りる。 すると、間髪入れずにお尻から湧き出た二体の大蛇を分離させた。
大蛇は鎖が解けたかのように鎌首を上げると『シャァァ――!!』と牙を剥き、青白い狐火に包まれた怪物の群れに飛び込んだ!
「――ミヨシ! 大丈夫か!?」
ミヨシの身体はいつの間にか少し大きくなっていた……。 ヤマネコのような身体だったミヨシは、すでにクロヒョウのような大きさになっており、額に光る赤い月の紋章が殊更怪しく光り輝いていた。
「大丈夫! たぶん、フォグさんが何者かと戦っているんです! それで、身体に変化が……」
「――フォグが? 誰と戦って――!?」
ライコウがミヨシに尋ねる暇もなく、オフィエルの身体から白銀に光る鎌のような刃が大量に噴出し、ライコウ達に迫った。
「――ックソ!!」
ライコウが着ている白銀の鎧は至る所にヒビが入り、砕けた鎧の穴から太いケーブルが露出していた。 刃が一発でも体に当たればただでは済まないだろう……。 ライコウは金色の髪を逆立てながら全身に紫電を纏い、迫りくる白銀の刃を大剣で発止と弾き飛ばした!
『アアァァァン――!! ヨリミツ、ヨリミツ!! なんで、貴方はそんなに愛しいの!!』
上空から化け物の嬌声が聞こえてくる度、ライコウの視界にノイズが走る。
「クソッ! いちいち騒がしい奴めっ!」
ライコウは煩わしそうに耳を塞ぎ、触手の攻撃を左右に避けながら後退して行った。
――オフィエルは地上への出入口まであとわずかの位置まで近づいて来ていた。 地底都市の天井に大きく開いた出入口の先にはアザリアがいる。 アザリアは地上へ出て、オフィエルが出入口の真下へやって来るのを待ち構えていた――
『――ライコウ! お願い、もう少しだけ――! 頑張ってオフィエルを此処まで誘導するのですわ!』
(この場にイナ・フォグがいれば、彼女はきっと同じような言葉を夢の中で聞いたと感じ、デジャヴに陥る事だろう)
「――!?」
ライコウはアザリアの叫びをデバイスから聞いた。 アザリアは器械ではないにも関わらずデバイスに音声を伝達させることが出来るようだ。 それよりも、ライコウが驚いたのは、アザリアがまるでマザーのような言葉遣いをしたことであった……。
(やはり、彼女はマザー? いや、しかし……)
「――むっ!!」
ライコウがアザリアの声に気を取られた時、突然、目の前にワニの身体を持った女が躍り出て来た!
首を百八十度まげた天地逆にくっついている頭は、長い黒髪を地面にバサバサと擦りつけて小刻みに震えている。 ライコウのデバイスは電波障害を受けているのか、索敵機能が著しく低下しており、怪物が高速で近づいて来ていた事を察知出来なかった。
悍ましい姿の妖怪は、ケタケタと笑い声を上げながら口から伸びる長い舌をムチのようにしならせてライコウに襲い掛かって来た!
『キン、キン、キン!』
真っ赤な舌をライコウが大剣で弾くと、まるで丁々と金属同士が接触するような音が響いた。 耳まで避けた大口を開けた怪物は、舌で攻撃しながらもライコウを噛み殺そうと太い四つ足をバタバタと動かし、恐ろしい速さでライコウを追いかける。 ライコウは後ろに下がりながら攻撃を弾いており、背後にはミヨシの尻尾であった二体の大蛇がライコウを護るように怪しげな火の玉を吐き出して、四方から近づく魚人の群れを攻撃していた。
『!!警告 出力制限解除装置「インドラ」:起動中……出力増幅装置「※※※※※」未接続 超高圧発電装置「ヴァジュラ」:機能停止……Pu94燃料残存量低下 真素残存量低下……残20 内部温度上昇 映像転送不能 その他不明なエラー エラー番号:F1FFF:FF031:10000:E0000:EF01F:D0001:11111……』
ライコウのデバイス上には大量のエラーコードが表示されており、マナスの残存量も燃料も著しく低下している事を警告していた。
「――これ以上、逃げ続ける事は出来ない!」
アザリアが召喚した黒い影は、依然としてオフィエルの身体に纏わりついていたが、漆黒だった影が徐々に薄くなるにつれ、オフィエルの動きも素早くなってきていた。
ライコウとミヨシは、すでに地上へ続く出入口の真下にまで辿り着いていた。 都市の天井に開いた巨大な穴からは穏やかな日の光が地底に差し込んでおり、シュヴァルツが制御装置を破壊したせいか、大穴は閉じる気配が無かった。
――オフィエルの巨体はすぐ目の前まで迫っていた――
混沌とした下半身からは未だに数体の怪物が湧き出て来ている。 巨大な触手はいくら切り飛ばそうが、焼き焦がそうが、ワラワラと一定数湧いて出て来る始末で、復活した触手には相変わらず夥しい人間の顔が能面のような神妙な表情のまま、ライコウへ一斉に視線を向けていた。
「ライコウ様、もうこれ以上、防ぎきれません! 一旦、退却しましょう!」
そう言って、ライコウの目の前に迫って来ていたワニの怪物の尻尾に嚙みついたミヨシは、凄まじい力でブンブンと尻尾を振り回したかと思うと、後方に蠢くオフィエルの触手向かってワニを放り投げた。
女の頭を持つ醜悪なワニは触手にからめとられ、縦に切り裂かれた大口に飲み込まれて行った。
「――うぇぇ!? 自分が出したバケモノを自分で食ってる! キモチワル!」
顔を顰めながらバケモノが食われる様を見るミヨシ。 だが、ミヨシの身体も、もはやヒョウのような大きさまで急激に成長し、尻から生えるサソリの尻尾は三本にまで増えていた。 そして、巨大な四肢は覆っていた黒い毛がはげ落ちて蛇の様な鱗に変わっており、ワニの化け物の事を言えないくらい、恐ろしい外見へ変貌していた。
ライコウはミヨシの様子を見てイヤな予感がした。 このまま、ミヨシが戦い続けると益々怪物の様相を呈し、いずれはオフィエルのような眼を背けたくなるような醜怪な生物へと変わってしまうかもしれない。 その時には理性を失くし、もしかしたら自分を攻撃してくる可能性もある……。
ミヨシはライコウにそう恐怖させる程、急激に変貌して来ており、このままミヨシを戦わせる訳には行かないと危機感を募らせた。
「――アザリア、もう俺達は限界だ! 地上へ上がるぞ!」
ライコウが遥か上の天井に開いた大穴を見上げて叫ぶ。 すると、デバイスからアザリアの声が響いて来た。
「承知しましたわ!」
アザリアがライコウに返事をすると、ライコウとミヨシの足元から光り輝くサークルが浮かび上がってきた。 地に浮かび上がったサークルはグルグルと回転しており、何やら見た事のない文字が表示されている。
「――きゃぁ! 何ですかコレ!?」
ミヨシは大きな体を飛び上がらせて、ライコウに抱き着いた。
「――グェェ――!」
ライコウはミヨシの太い四肢に締め付けられて呻き声を上げる。 すると、二人を囲んだサークルが急激に浮き上がったかと思うと、二人の身体を透過してグルグル回転しながら天井に開いた出入口まで上昇すると、ライコウとミヨシの身体を浮かび上がらせた。
「――な、何だ、この装置は!?」
急速に上昇して行く魔法陣のような光は、ライコウとミヨシを出入口まで運んで行く。 ライコウは今までこんな移送装置を見た事がなかった。 それもそのはず、この光は機械によって生成された光ではなく、アザリアが使用した術であったのだ。
『――グゥヘヘヘ!! ニガサナイワ――!!』
咆哮のような野太い声を響かせて、光に向かってワラワラと触手を伸ばすオフィエル。 だが、触手が光に触れるとまるで鉄が焼けるように『ジュッ――!』っと音を鳴らして触手を焼き焦がし、ライコウとミヨシに触れさせなかった。
オフィエルはその巨体を揺らして、出入口に吸い込まれるライコウへ迫りくる。 下半身から湧き出た怪物共もライコウとミヨシを捕らえようと大きくジャンプしたり、舌を伸ばしたりするが、光に触れるとドロドロに溶けてしまって二人を捕らえる事が出来なかった。
『あぁ、ヨリミツ! 待って、行かないで!』
急に美しい声色へと変化したオフィエル。 巨大な体は相変わらず崩壊した脂肪の塊のような肉塊であり、縦に避けた口から異臭を放つ白濁したヨダレを滴らせていた。
ライコウとミヨシが漸く地上と地底を隔てる大穴を超えようとした時、ライコウが下を見渡した。
すると、街中の建物が殆ど崩壊している姿が目に移り、多くの市民の残骸がそこかしこに転がっている様子が瞳に映った。
「くっ、何故こんな事に……」
真下にはこの大災害を引き起こしたオフィエルが必死に触手を伸ばしながら天を仰いでいる。 地底から三百メートル以上もある都市の天井まで上がって行けば、三十メートル近い体躯から伸ばした触手でもさすがに届かない。
オフィエルは白銀の液体を全身から飛び散らせながら『行かないでぇー』とまるで泣いているかのような女々しい声を出し、それから『ウヘェアハハハ!!』と狂ったように笑った……。
「――地上へ出たらすぐに穴から離れて!」
アザリアの指示に従って、ライコウとミヨシは地上へ出るや否や、すぐに出入口から離れた。 そして、太陽が照り付ける豪風の空を見上げると、大穴の真上に白い翼を背中に生やしたアザリアが上空で待機しており、背中に背負っていた大きな十字架を両手で持ちながら何かを呟いていた。
「……翼が生えている? 彼女はマルアハなのか?」
ライコウは頭が混乱した。 マザーのような言葉遣いで話すアザリアは、翼を生やしてマルアハのような姿をしている。 それだけ見ると、彼女がマザーである可能性が極めて高い。
だが、それでもライコウは彼女がマザーである可能性を否定した。
マザーはライコウに対して息を吐くようにウソを付く。 さも、真実かのように偽りを騙る。 ライコウはウソを躊躇うアザリアの様子を見て、彼女がマザーではなく、別のマルアハであると予想したのであった。
(彼女がマザーでなくても、マルアハなのは間違いない……。 問題はマルアハの誰なのか……。 もしかしたら『ファレグ』かも知れないな)
――ファレグについては、イナ・フォグの口から言及された事が一度も無かった。 したがって、ライコウはファレグがどんな姿なのか、なんて言う別名なのかも分からなかった。 だが、ライコウはファレグが器械に仇をなす極めて凶暴なバケモノだとは想像できなかった。
ライコウがバハドゥルへ向かっている時に、ジャーベが暇つぶしにファレグとバハドゥルのゼルナー達との激闘の物語をライコウに話してくれた。 ジャーベの物語は多分に誇張と誇大、欺瞞に満ちたものであったが、そういった表現を差っ引いても、バハドゥルのゼルナーがしつこくファレグを攻撃し続けている場面が殆どであるのに対し、ファレグが自ら好んで器械達を攻撃してくる場面は一度も無かった。
まるで、バハドゥルのゼルナー達を悲劇の英雄として称えていたジャーベであったが、ライコウはジャーベの物語を聞きながら『事ある毎にケンカを売っていたのは、お主らのほうではないか……』と違和感を禁じ得なかった事を思い出したのである――
ライコウがアザリアの正体について想像を膨らませている時、彼女はブツブツと呪文のような言葉を唱えていた……。
『外なる神々を恐怖せしめる異界の女神――我が主は汝なり。 かの邪悪なる蛇蝎を打ち滅ぼす天の逆鉾を我に示せ』
――ライコウとミヨシは天から光輝く何かが落ちて来るのを見た――
「なっ……何だ、アレは……?」
『ゴゴゴゴ……』とまるで隕石が落ちて来るかのような不気味な音を立てながら地上へ迫って来る物体――それは石造の雄大な槍であった!
バハドゥルの出入口より遥かに巨大な石柱のような槍が、刃先を天に向けたまま唸りを上げて地上へと落ちて来る。 そして、轟然たる速さで地上へ迫ると、そのまま地底への出入口を粉々に粉砕した!
「――ミヨシ!!」
「うぁぁあ! ライコウ様ぁ!!」
強烈な風圧で吹き飛ばされそうになったライコウは、ミヨシの身体にしがみつく。 ミヨシは地上の岩に強靭な爪を立てて、恐ろしい烈風に耐え続けた。
――天を突いた石槍はその柄を立てて、オフィエルが蠢くバハドゥルの地底を穿つ――
一層にいた全ての者達は、地上への出入口に巨躯を伸ばすオフィエルの姿を見ていた。 すると、出入口が地鳴りを上げて崩壊し、目を疑うほどの巨大な石柱がオフィエルの身体に突き刺さる様子を目の当たりにしたのであった!
喧噪に満ちていた街が一瞬の静寂に包まれた瞬間――
『――ドンッ――!!』
二層までも揺らすほどの衝撃が地底を襲った!
――そして、次の瞬間――
逆さの槍が巨大な怪物の身体を貫きながら地底へ突き刺さると、その瞬間、無数の刃が地中から飛び出してきて、オフィエルの身体を下から貫いた。
『ガ……ガ……ア……』
巨大な柄によって貫かれ、さらに下から氷山のような無数の刃に串刺しにされたオフィエル……。 断末魔の叫びも出来ずにピクピクと全身を震わしながら、力なくバハドゥルの地に束縛された。
――
二層に続くゲート前では、皆の祈りが通じたのかファルサが意識を取り戻し、仲間達は歓喜の渦に包まれていた。
ところが、そんな歓喜の声を遮るような轟音が町中に響き渡ったかと思うと、地上から目を疑う程の巨大な槍が降ってきた! 逆さまに降って来た槍は出入口を粉砕し、黒い霧に包まれたダルヴァザ地区に落ちて行き『――ズドン――!!』という爆音と共に黒い霧を払いのけた。
「な、何だ!? あのクソでけぇ槍はっ!?」
ヘルートが吃驚した声を上げる。 視線の先には闇の中で蠢いていた巨大な怪物が頭上から槍に貫かれ、さらに下から勢いよく飛び出した無数の刃で串刺しにされたまま磔になっている姿があった。
「……な、何が起こって……?」
その様子を見ていた全ての者は、言葉も出せずにただ茫然と身動きの取れない怪物を見守っていた。
……オフィエルの身体は数分の間串刺しにされたままだっただろうか……
しばらく経つと、地から湧き出た刃がスッと消えた。 すると、怪物の身体から洪水のように白い液体が放出され、肉塊のような身体が崩れ出した。 ボロボロに崩れ落ちて行くオフィエルの身体は、白濁の液体と化してダルヴァザ地区へ広がり、やがて、消えて行った――。
――
ダルヴァザ地区には地上から降って来た尖塔のような石槍の柄が突き刺さっており、その壮大な姿を晒している。 巨大な槍の周囲一帯はオフィエルの白濁した血の池となり、ボコボコと不気味な泡をそこかしこに立てていた。
「やっ、やったのか……?」
ミヨシの背中にしがみついて難を逃れたライコウは、恐る恐る地上から地底の様子をデバイスで確認した。
すると、白濁した池の中から、青い髪をした少女が顔を覗かしている様子が確認できた。
「なんだ、アイツは?」
ライコウがカメラを拡大させて、少女の様子を観察する。 すると、青い髪をした銀色の瞳をした少女はライコウが管理棟で見た怪物となる前のオフィエルの姿である事が分かった。
オフィエルは人型へと戻り、自ら吐き出した白銀の体液に体を潜らせて、頭だけ出して怯えた様子で辺りをキョロキョロと見まわしている……。 オフィエルの近くには、見覚えのある禿頭がプカプカと浮いていた。
紫色の法衣が所々破け、尻を出してうつ伏せに浮いているレヴェド。 挙動不審なオフィエルは、レヴェドを見つけるとオドオドしながら近づいて行った……。
すると、突然、崩壊しかけた建物のいくつかが先ほどの衝撃に耐え切れなかったのか『ドドドド――!!』と轟音を響かせながら崩れ落ち、オフィエルを飛び上がらせた。
「ひゃ――!? ひ、ひぃ――!!」
オフィエルは建物が崩壊する音に怯え、狼狽しながらレヴェドの腕を掴むと、そのまま池の中へ頭を突っ込んで潜り出した。
「――あっ、逃げるぞ!」
ライコウが思わず声を出す。 だが、オフィエルにはライコウの声は届いていなかった。
『……ポチャン……』
オフィエルの魚のような下半身をした尾ひれが水中に沈むと、白濁した水面に波紋が広がった。
こうして、彼女はレヴェドの醜体と共に水の中へと消えて行った……。




