遠い約束
「おい、アラトロン! 大丈夫か――!?」
ラヴィが心配そうな眼差しをイナ・フォグに向けると、先ほどまで赤いドレスを身に纏っていたイナ・フォグはいつの間にか元の黒いドレスに戻っており、背中から飛び出していた悍ましい大蛇は消え去っていた。 だが、白かった翼は未だにカラスのような黒い翼であり、苦悶に歪む赤い瞳には黒い渦のような靄が掛かっていた。
「……だ……大丈夫よ。 しばらく休んで毒を体から抜けば……」
イナ・フォグはそう言うと、耳たぶに手を当てた。 イナ・フォグの耳には三日月のイヤリングが付いていたはずだったが、耳から外したイヤリングは満月のような形へと変わっていた……。
イナ・フォグがそのイヤリングを床へ投げると、三日月だったエネルギー体は満月のような丸い球体となって床の上に姿を現した……。
「なっ、なんですか……!? このおっかない物体は……」
コヨミが顔をしかめて球体から目を逸らすのも尤もであった。
満月の形をしたエネルギー体は皆既日食のように真っ黒く変貌しており、表面から微かに光が漏れていた。 そして、黒い物体から数百匹はいるであろう大小様々な蛇が顔を出したり、尻尾を出したりして蠢いていた……。
真っ黒く、赤い目を光らせながらまるで球体に寄生する虫のようにウゾウゾと湧き出ている蛇達……。 イナ・フォグはそんな不気味な球体に躊躇なく這い上がり、疲れ切ったようにその身を球体の上に横たえた。
「……アナタ達、今すぐこの部屋から出なさい……」
イナ・フォグが不可解な指示を二人にすると、ペイル・ライダーを両手で抱えたラヴィとコヨミが首を傾げてお互いを見合った。
「――とにかく、早く部屋から出なさい! そして、五分経ったらまた此処へ戻って来なさい!」
イナ・フォグの言葉にラヴィがたまらず口を挟もうとする。 ところが、イナ・フォグはラヴィの言葉を遮るように口を継いだ。
「……此処へ戻れば私は小さい置物になっているわ。 申し訳ないけど、その置物を貴方達が運んで頂戴……」
イナ・フォグがそう言うと、ラヴィは何も言わずイナ・フォグに目配せをした。 そして、コヨミの右手を引っ張って鉄壁の向こうにある疑似アニマを生成する大部屋へと移動しようと鉄壁へ目を遣った。 高い鉄壁はペイル・ライダーとの激しい戦闘によって大きく拉げており、制御塔が倒れて来た箇所は上から押しつぶされるように凹んでいた。
――疑似アニマを生成する大部屋へ移動したラヴィとコヨミ――
辛うじて稼働していた疑似アニマを生成するガラス状の装置は制御塔が破壊されたせいなのか停止しており、天井を走っていたアーム状の機械も動かなくなっていた……。
『……制御塔は貴方達に破壊されてしまったから、全ての機械は稼働を停止しました。 今後、ショル・アボルも製造される事は無いでしょう……』
ラヴィに両手で抱えられているバスケットボール程の球体型機械――ペイル・ライダーがラヴィのデバイスに緑色の文字を表示させ、ラヴィに語り掛けてきた。
「……そうは言っても、ショル・アボルは自己複製出来るから絶滅する事は無いのだ。 しかし、“古代”のショル・アボルが製造されなくなる事は有難いのだ」
――ラヴィの言う古代のショル・アボルというのは、ラヴィとコヨミを苦しめたショル・アボル=グリパヘニルのような特殊なショル・アボル達の事で、複製機能が無い代わりに一般のショル・アボルよりも数段性能が上であった。
古代という名がつく通り、数万年前に製造されていた生体兵器であったが、製造コストが高い上にエネルギーを大量に消費したことから次第に製造されなくなった。 もっとも、それは表向きの理由でしかなく、こうした特殊なショル・アボルが製造されなくなった本当の理由は、その性能が余りにも強大であった為に軍事利用した際の被害が想像以上に及んだからであった。 こうした事情から、特殊なショル・アボルは、コストが安く自己複製も可能な一般型ショル・アボルに取って代り、その製造技術も忘れ去られてしまった。
ところが、厄災が起きる前――世界各国が戦争状態であった時代にペイル・ライダーを製造した国が再び特殊なショル・アボルの製造を試み、古代の遺跡からショル・アボルの製造技術の情報を探し出した。 そして、地下に巨大な軍需工場を建設し、ペイル・ライダーだけでなく古代のショル・アボルも製造する事に成功した。
その国が製造する事が出来た特殊なショル・アボルの種類は限られていた。 ショル・アボル=グリパニヘルの他、イナ・フォグが召喚したサソリの怪物に食われた鬼のような姿をしたショル・アボル=シェッド、そしてショル・アボル=ヨルムンガントの三体のみであった。 その三体の内、ショル・アボル=ヨルムンガントは他の二体と比べてコストが安い為大量に製造され、ペイル・ライダーと共に生体兵器として利用されるはずであった――。
「……ところでアータ、本当に人間様に封印されていたんですか?」
コヨミが出し抜けにペイル・ライダーに疑問を呈した。 軍需工場内に存在した人間の亡骸は殆どが白衣を着た研究員らしい人間と、同国の軍服を着た軍人であり、敵が侵入した様子は見受けられなかった……。 他国の人間がこの軍需工場を封鎖したのであれば、他国の人間の死体も一人や二人いてもおかしくないはずだ。 コヨミは一見いい加減に振舞っているような様子でありながらも意外と周囲の状況に気を配っており、避難通路からここまで来る間――遺体の着衣もしっかりと記憶していたのだ。
ペイル・ライダーはコヨミのデバイスからその疑問に答えた。
『いえ、違います。 工場は人間に封鎖された訳ではありません。 この工場を封鎖した者は――
――マルアハ「オフィエル」です』
――オフィエルは他のマルアハと異なり、海中を住処としていた。 常に清浄な水の膜で体が覆われており、毒ガスはおろか、放射線も体内を貫くことなく防ぐことが出来た。
また、海中を住処としているとは言え、陸上での行動が出来ない訳ではない――何年も陸上で生活する事も出来るし、陸上にずっといたからと言って体を覆う水の膜が蒸発する事もなかった。
だが、その人魚のような体では陸上で生活する事が不便であり、陸上では常に水銀のような液状の翼を羽ばたかせて飛んでいなければならず、結局、水中で生活する事が一番落ち着いていられるという理由があった。
オフィエルは厄災が起きる前に軍需工場を封鎖した。 今のように精神が不安定になっておらず、当時まだ生存していたミコの命により、軍需工場を封鎖しに来たのであった――
ペイル・ライダーはラヴィとコヨミにオフィエルが襲撃して来た当時の事を説明した。
人間を滅ぼす為に地上へ出て放射能を撒き散らそうと画策していたペイル・ライダーはオフィエルの圧倒的な力の前に為す術も無く封印された。
軍需工場の地下にあったショル・アボルの製造工場に閉じ込められたペイル・ライダーはショル・アボル=ヨルムンガントを製造し、地下から脱出しようと試みた。 ところが、ヨルムンガントの力をもってしてもオフィエルが張った氷のバリアを破ることが出来ず、別の手段でバリアを破壊しようと考えたペイル・ライダーは、オフィエルが襲撃して来た際に、彼女の体から流れ出した水銀のような液体を採取して、その液体の成分を膨大な時間を費やして解析した。 こうして、ようやくオフィエルの体液を培養する事に成功したペイル・ライダーは、その液体を使用して『白い目を持つ黒騎士』を創り出したのである。
その馬の下半身を持つ白銀の目をした骸骨騎士は、水銀のような液体の槍でイナ・フォグの体を貫いた。 イナ・フォグでさえ苦しませたあの毒は、オフィエルの体液から培養された液体であったのだ。
ペイル・ライダーはオフィエルの体液から培養した液体でオフィエルが張った氷のバリアを破壊する事に成功した。 そして、ヨルムンガントを使って地下から地上へ向かって穴を掘り、地上へ出ようと画策したが――
――地上ではすでに人間が絶滅しており、ペイル・ライダーが地上へ出て人間を滅ぼす必要が無くなっていたのであった……。
目的を失ったペイル・ライダーは地上で何が起こったのかを調べる気も失せて、そのまま地下でショル・アボルを製造し続けながら隠居生活を送っていた。 しかし、1000年ぶりにイナ・フォグ、ラヴィ、コヨミの三人が軍需工場へ侵入し、ラヴィのメモリをハッキングしてみると――なんと、三人が再び人間を蘇らせようと企んでいると分かり、三人を破壊しようとしたのであった。
――
ラヴィとコヨミがイナ・フォグの指示で鉄壁に囲まれた部屋を出てから、すでに30分が経過していた。 二人はイナ・フォグから「五分くらい経ったら戻って来なさい」と言われていた事をすっかり忘れて、二人のデバイスに表示されるペイル・ライダーの言葉に集中していた。
すると、コヨミが我に返ってイナ・フォグの言葉を思い出し、慌てた様子でラヴィに向かって騒ぎ立てる。
「――あぁっ! もう、五分以上経ってるじゃん!? ラヴィさん、早く戻らないと“アラッち”に殺されちゃいますよ!」
ところが、ラヴィはコヨミを無視して目を瞑ったまま物思いに耽っていた……。
「ああ、もう! ウチ先に言ってますからね――!」
コヨミはそう言って地団駄を踏んだと思ったら『ボンッ――!』と勢いよく飛び上がり、鉄壁を飛び越えて隣の部屋へ行ってしまった。
ラヴィはそんなコヨミの様子もどこ吹く風で、ペイル・ライダーを両手で抱えたまま考え事を続けていた。
(……骸骨騎士と同じように液体状の武器を持つバハドゥル・サルダールのゼルナー達――彼らもオフィエルの体液から武器を創り出していたのであろうか?)
ラヴィはこの疑問を自問自答し、否定した。
(――いや、バハドゥルのゼルナーが使っている武器は、間違いなく単なる“液体金属”なのだ。 そうでなければ、今頃ディ・リターやエクイテスの後れを取っていない。 でも、バハドゥルのゼルナー達はペイル・ライダーと同じく、オフィエルの武器を見て、その武器を模倣したはずなのだ。 バハドゥルのゼルナーの誰かがオフィエルと遭遇し、オフィエルが持っていた武器を模倣した……。
……ワガハイがバハドゥルに住んでいた時は、液体金属で造った武器など無かった。 恐らく、ワガハイがレヴェドを追ってバハドゥルから出た後――つまり、レヴェドがマルアハの眷属となった後に製造されたのだと考えられる。
……なるほど……オフィエルの正体がこれで分かったのだ)
ラヴィはマザーからレヴェドが『リリム=イン・ケイオス』というマルアハの眷属となった事を聞いた。 そのマルアハがオフィエルであれば、レヴェドがオフィエルの武器を模倣してバハドゥルのゼルナーに与えたと考える事が出来ると推測した。
ラヴィの推測は間違っていなかった。
レヴェドはイン・ケイオスの眷属となった時に、イン・ケイオスの武器を模倣して自分の能力を使って金属を液状化し、その液状化した金属で武器を創ってバハドゥルのゼルナー達に与えていたのである。
――すなわち――
マルアハ『オフィエル』の真の名は『リリム=イン・ケイオス』であったのだ。
ラヴィは自分の考えに納得するように頷いて、目を開き――コヨミを追って鉄壁を飛び越えた。
――
制御塔が派手に破壊されてまだ煙がくすぶっている隣の部屋は、相変わらず夥しい数の黒騎士やショル・アボルの残骸が積み上がっている機械の墓場と化していた。
そんなオイルの匂いや鉄の匂いが充満する放射能に塗れた部屋の中、イナ・フォグの姿は何処にも見えず、代わりにコヨミが“とぐろを巻いた”ピンク色の小さな蛇”を右掌にチョコンと乗せて、その蛇をしげしげと眺めていた……。
「この蛇がアラトロン……なのか?」
蛇はツルツルとした血色の良いピンク色の肌に円らな瞳を称えており、まるで生きているようだったが、カチカチに固まった体は石のようであり、イナ・フォグの言う通り紛れもなく置物であった。
「……そうみたいですね。 なんか、こう見ると人間のウンコみたいですね……」
コヨミはそう言うと、右手の平に乗せている蛇を頭上へ放り投げたかと思うと、ポンと器用に頭の上に乗せ、そのまま歩き出した……。
「コラ、コラ……。 乱暴に扱っちゃダメなのだ」
「――大丈夫ですよ。 手の上よりも頭の方が安定するんです」
良く分からない理屈だが、コヨミは何食わぬ顔をしてツインテールの髪の毛を振りながら再び大きくジャンプして隣の部屋へ移動した。
――イナ・フォグは『マスティール・エト・エメット』を使用して、異空間へと身を隠し、そこで休息をしていた――
オフィエルの毒を模倣した液体はイナ・フォグのヨミノクロガネに甚大な損害を与え、数カ月の間休養を取らなければ回復出来ない程酷いものだった。
異空間で一日休息すれば現実世界では三カ月程の時間が経ってしまう。 したがって、傷を回復させる為に異空間に居続ける事は、出来るだけ早く傷を癒したいイナ・フォグにとって本末転倒な行動であるはずだ。 ところが、イナ・フォグは傷を癒す為にどうしても異空間へ身を隠さなければならない理由があったのだ。
その理由は二つあった。
一つは、彼女は着ていた服を脱いで一糸纏わぬ姿でエネルギー体の中に入っていたからであった。
『服を脱いだ姿を誰にも見られたくない……』
そんな恥じらいがあって、イナ・フォグはラヴィとコヨミを部屋から追い出した。
二つ目の理由は、ヨミノクロガネが汚染された状態で使用する『マスティール・エト・エメット』は、通常よりも強い効果を発揮したからである。 その効果はイナ・フォグがこの世界の人間を一人残らず消滅させたという事実を首肯せざるを得ない程、絶対的な力であった。 イナ・フォグはその恐ろしい力が二人に作用しないようにする為に、二人を部屋から追い出したのであった。
こうした理由でイナ・フォグは異空間に身を隠したが、そのままでは膨大な時間をロスしてしまう……。 そこで、イナ・フォグは月のような球体の力を利用し、マナスの回復を急ごうとした。
イナ・フォグについて回る三日月になったり、満月になったりする月のような黄金色の物体は彼女の言葉通り、マナスを集束させたエネルギー体であった。
イナ・フォグはそのエネルギー体の中へ潜り込み、休息を取っていた。 エネルギー体の中にいる事で急激にマナスが回復するからである。 だが、それは折角蘇らせつつあったイナ・フォグの過去の記憶を、再びマナスの深層へ封じ込める事にもなってしまった。
彼女はマナスを回復する過程で、過去の自分の姿を再び忘却の彼方へと置いて行った。
……それは、イナ・フォグにとって、幸福であるのか、不幸であるのか……
イナ・フォグはエネルギー体の中で、ライコウの姿を思い出しながら一時の安らぎを得ていたのであった。
――
ラヴィとコヨミはペイル・ライダーを回収し、研究室へ戻ってきた。 研究室には行きと変わらず数体の研究員の遺体が椅子に座ったまま机に突っ伏していた。 その遺体の中で旧式の拳銃で頭を打ち抜いたと思われる研究員――彼こそが、ペイル・ライダーを開発した技術主任者であった。
ラヴィは両手で抱えていたペイル・ライダーに、優しく言葉を掛ける――
「……汝の生みの親……このままでは忍びないので、回収して地上で埋葬しようか?」
ペイル・ライダーはラヴィのデバイスに返事を返した。
『いえ……。 お父様はこのまま居させて上げてください……その方がお父様もお喜びになるでしょう』
ペイル・ライダーの答えでラヴィは、ペイル・ライダーがシャヤや市松のように自由意志を持っている事を確信した。
「……何故、そう思うのだ?」
ラヴィがそう聞くと、ペイル・ライダーは球体の表面のランプを所々光らせながら、再びラヴィのデバイスに言葉を送った。
『……お父様は人間を滅ぼす事で、この星を救ったと信じています。 その思いのままこの場所に留めて置いた方が良い……そんな気がするのです』
ラヴィは両手で持っているペイル・ライダーの体に目を遣った……。 表面で光るランプは薄っすらと青い光を称えており、いかにも悲しそうな雰囲気を醸し出していた。
「……汝がそう言うなら、強要はしないのだ。 確かに、己の正義を貫いた満足のまま永遠に時を止めておくのも良いかも知れないな……」
ラヴィはそう言うと、白骨化した遺体を寂しそうに見つめた……。
「――ちょっとアータ達、何やってるんですか!? とっとと帰りましょうよ――!」
頭に蛇を乗せたままラヴィに向かって叫ぶコヨミは、右腕で子熊型のショル・アボルを抱えていた。
「あっ、クマちゃん――♡」
ラヴィはショル・アボルの姿を見ると、ブルーのマスカラに彩られた目尻を下げた。
だが……
「……ん? なんか、グッタリしているのだ……」
子熊型のショル・アボルは舌をダランと出して、コヨミの腕の中で白目をむいていた……。
「な、な――!? クマちゃん!」
異変に気付いたラヴィは慌ててコヨミから子熊を奪い、気を失っている子熊の頬をペチペチ叩いた。
「……な、何があったのだ!?」
狼狽するラヴィを横目にコヨミは――
「――ほえっ? 何もないですよ。 シェルターから出そうとしたら抵抗したんで、ちょっとシメただけですから……」
――などと何食わぬ顔をして鼻歌を歌いながらラヴィの横を通り過ぎた……。
「……うぬぬ! この子はもうワガハイの仲間なのだ! 今後、気を付けて扱うのだ!」
ラヴィがコヨミの背中に訴えると、コヨミは蛇の置物を頭に乗せながら「はーい」といい影加減な返事を背中で返した……。
――一見するとラヴィに対して冷たい対応だと思われるコヨミだが、こんな様子でも製造当初と比べると、驚くほど温和になっていた。 恐らく過去のコヨミであれば、ショル・アボルが少しでも抵抗しようものなら粉々に破壊していただろう……ショル・アボルがラヴィのペットであろうが仲間であろうがお構いなく……。 そんなコヨミが今となってはラヴィの為にショル・アボルを気絶させるだけで済ましている事実は、彼女が昔とは違って人間的な慈愛のココロを獲得した証明だろう――
コヨミの過去など露知らず、ラヴィは子熊に対して乱暴な扱いをしたコヨミに不満を抱きつつ、意識の取り戻した子熊を抱きかかえてコヨミの背中を追おうとする。
ところが……
『あのぅ……』
ラヴィのデバイスから遠慮がちな言葉が表示された。
『……放っておかないで、私も連れて行って下さい……』
ラヴィは子熊をコヨミから奪う際に、両手に抱えていたペイル・ライダーを放り投げてしまっていた……。
「あゎゎ――! 済まんのだ!」
ラヴィは子熊を背中に背負ったリュックの上に乗せ、慌てて両手でペイル・ライダーを拾い上げた。
『……貴方はショル・アボルも機械も一人の人間のように扱うのですね……。 思えば人間は人形でも乗り物でも勝手に名を付けて、まるで生物のように愛でる習性がありますね。
私達にとっては不思議な習性で理解不能ですが……
……それが貴方達人間の良いところでもあるのかも知れません』
ラヴィはデバイスに表示されたペイル・ライダーの言葉に困惑した表情を浮かべた。
「……何も人間だからといって、機械やモノを愛する訳では無いのだ。 バトラーだって、ネクトを愛する者もいるのだ」
ラヴィは機械を愛するファルサを思って、ペイル・ライダーの言葉を否定した訳では無かった。 ファルサがシャヤを愛している事は、ラヴィは知らなかったからである。
ラヴィは自分が器械となっても、人間であった時と同じ感情を持ったままで居続けたいと願っていた。 器械だろうが人間の時と同じ喜怒哀楽を忘れないでいたい――その思いから、あえてペイル・ライダーの意見を否定したのである。
(この身が機械になろうとも……汝との友情は変わらないのだ……)
――遥か昔のこの星で交わした親友との約束――
器械となった今でもラヴィのココロに変わらず残り続けていた。 そして、共に戦った仲間達の死を看取った無念は、悲しみと共にラヴィのココロに永遠に残り続けていた。
(……あの時の喜びも……そして、苦しみ、悲しみも『アル・アジフ』が破壊されるまで、ワガハイは絶対忘れないのだ。 忘れてなるものか!)
ラヴィが過去に思いを向けている様子に、ペイル・ライダーは何も語らずにただ球体の表面のランプをボンヤリと光らせていた。
「――ちょっと、アータ達、さっきから行動が遅いですよ! 早く地上へ脱出しましょう!」
研究室の壊れた扉の前に立っているコヨミが待ちくたびれた様子でラヴィに向かって叫んだ。
ラヴィは「――すぐ行くのだ!」とコヨミに返事をし、リュックサックの上にショル・アボルを乗せたまま、ペイル・ライダーを両手で抱えて歩き出した。
「……ペイル・ライダーよ、ワガハイの素性は皆には内緒にするのだ。 ワガハイはもう人間ではない。 マザーによって造られた器械なのだ。 今更、人間と思われるのも鬱陶しいからな」
『……』
ラヴィの言葉にペイル・ライダーは返事をしなかった。 だが、ピコピコと球体のランプを光らせ了解したような様子であったので、ラヴィはペイル・ライダーの返事を待たずにコヨミの傍へと駆け寄って行った――。
――
その後、二人は途中で出会ったコンテナのような四角い箱型の自走式ミトゥルを捕獲し、そのミトゥルに乗って避難通路から地上へ目指してひたすら進んで行った。
――ミトゥルはまるで昆虫のような外観であった。 箱型のボディーの側面に八本の節のような鉄骨が接続されており、鉄骨の先にはゴム製のタイヤが付いていた。 鉄骨にはサスペンションが仕込まれているようで、悪路を走行する際にもガタガタ揺れる事は無い。 また、ボディーの前面には楕円形の球体が接続されていた。 球体の前面には網状の丸形ライトが二つ付いており、ライトの上部には触覚のようなアンテナが二本飛び出ていた。 おそらく、他のミトゥルと通信をするアンテナだろう。
ミトゥルの体は人間が乗る事を想定しているのか柔らかい素材で覆われており、快適な乗り心地であった。 さらに、舗装された道を照らす天井の灯と、少し蒸し暑い程度の気温も相まって、行きに通った暗然とした灼熱の洞穴と比べると帰りは天国のようであった――
コヨミはミトゥルの体の縁に腰を掛けながら足をブラブラ動かして、流れゆく天井の灯りを見ている。 頭には“とぐろ”を巻いたピンク色の蛇を乗せ、時々何かの言葉を口ずさんでいた。 そんなコヨミの後ろでは、ミトゥルに積まれていた砂袋の上で子熊を抱きながら熟睡しているラヴィがいた。 ペイル・ライダーはラヴィの足元にチョコンと鎮座しており、時々ライトを点滅させていた。
――車両型のミトゥルは二人を乗せて避難通路の出口を目指してゆっくりと坂道を登り続けている――
コヨミは後ろを振り向いて、幸せそうに寝ているラヴィと子熊を見つめた。
「……ショル・アボルなんてただの食糧……。 ペットとして愛でる行為が理解出来ない……」
コヨミは満足そうに寝ている子熊を見つめ、そう呟くや否や――まるで自ら吐き出した言葉をすぐさま否定するように黙って首を横に振った。
コヨミにとってみれば、ショル・アボルなど敵か食料でしかなかった。 たとえ、ショル・アボルの形態が可愛らしい子熊であっても、獰猛な大熊であっても、ショル・アボルという存在自体を仲間だと認識した事は皆無であった。
「……いえ、ラヴィさんがこのショル・アボルを仲間というなら……ウチは……」
ラヴィがこのショル・アボルを仲間というのであれば、コヨミにとっても仲間である。 そして、仲間である以上、コヨミのココロには『命を懸けて守らなければならない』という強い信念があった。
……コヨミは再び前を向き、流れゆく通路の景色を眺めながら、自分の意識を過去へ遡らせた。
――
コヨミの体内を巡るオイルには、アセナのオイルと母親のオイルが混ざっており、その体の一部は母親のパーツが流用されていた。 姉であるカヨミは、まだ母親が存命だった時に製造されていたのだが、コヨミは亡くなった母親のパーツを流用して製造された器械であった。
母親はマルアハ『フル』との戦いの末、フルによって破壊された。 アセナは自分の妻であったコヨミの母親の残骸を回収し、マザーに頼んで残ったオイルと一部のパーツを使って新たな器械――コヨミを製造した。 したがって、コヨミは自分の母親の事を全く知らなかったのだが、そもそも器械達が母親を持つことなど稀である。 一般の器械はマザーが直轄する『ユータラス』という工場で製造され、母親も父親もいない状態で生まれて来るので、父親と姉がいるコヨミの境遇の方が特殊であった。
コヨミの母親は優秀なゼルナーであった。 そんな優秀なゼルナーのパーツを継承したコヨミは当然、製造した瞬間からゼルナーとしての性能を期待された。 彼女は製造されてすぐにゼルナーとなり、一日も経たずにショル・アボルとの戦闘へ参加させられた。 時にはたった一人で数百匹のショル・アボルの討伐を命じられたりもした。 父親であるアセナや姉であるカヨミとは殆ど口を聞く事も無く、製造されてからしばらくの間、それこそ”機械のように”ただショル・アボルと戦うだけの日々を過ごしていた。
――そんな日々が続く中、しだいにコヨミは自分の力を過信するようになり、アセナやカヨミの命令に背いて勝手にショル・アボルを破壊したり、フルがいる『デモニウム・グラキエス』へ行こうとしたりして、二人の手に余る存在となって行った。
人当たりの良いカヨミと比べ、無口で人を見下した態度をとるコヨミはゼルナー達の中でも鼻つまみ者であり、ディ・リターの市民の間でもコヨミの評判は最悪であった。
だが、それでもコヨミを慕って行動を共にするゼルナーも少数ながら存在した……。
……
『――コヨミ、貴方なら必ずマルアハを倒してくれると信じています』
少したれ目気味の目を細め、屈託のない笑顔でコヨミに語り掛けるショートヘアの黒髪の女性――彼女の名は『エステル』といった。 エステルはアイン・ネシェルを模したゴーグルを額まで上げ、コヨミと似たようなパイロットスーツを着ていた。 彼女はコヨミに憧れて同じ服装を真似たゼルナーであった。
『コヨミさん、オイラ達は貴方が本当は優しいヒトだと知っています! だから、オイラ達は貴方についていくんです!』
エステルの言葉を継いで、フサフサの黄色い人工毛で覆われたキツネ型のゼルナーがコヨミに言った。 二本足で立つキツネは胸に金属製のプロテクターをつけて、手には銃身の長いレーザー銃を持っていた。
彼の後ろには機械式のタヌキが赤い目を光らせてキツネの言葉に頷いていた。
――彼らは地上に蔓延るショル・アボルを掃討する為に組織された討伐隊のメンバーであった。 コヨミはアセナの指示によりフルとの戦いには参加させてもらえず、彼らと同じ討伐隊に編入されていたのである――
コヨミはそんな自分の待遇に強い不満を持っていた。 アセナやカヨミよりも自分の方が強いと自負していたコヨミは、早くフルと戦いたくて仕方なかった。
『――もっとショル・アボルを壊し続ければ、二人もきっとウチを無視する事が出来なくなるはず……。 “奴ら”は自分たちより強いウチを恐れてワザとフルと戦わせないようにしているに違いない!』
コヨミは親であるアセナ、姉であるカヨミに対しても憤りを感じており、二人の事をまるで信用していなかった。 二人がコヨミに自分たちの地位を奪われる事を恐れ、意図的にフルから遠ざけようとして、コヨミにショル・アボルの討伐を命じているだけだと思い込んでいた。
コヨミはそうはさせまいと、こうなったら地上のショル・アボルを討伐し尽し、二人の命令など聞かずマザーに直訴し、マザーの命令としてフルを討伐しようと考えていた。
『ウチは一人でも良い……。 弱い仲間なんていらない……』
『どうせ、オマエ等はウチに付いてくれば楽出来るから付いて来てるだけでしょ……』
『……何の役にも立たないガラクタがウチに擦り寄ってきても迷惑。 ……まあ、捨て駒程度には使えるかも知れないか……』
コヨミを慕って集まって来た仲間達にすら、仏頂面な仮面の下から侮蔑の言葉を吐き捨てていたコヨミ……。 コヨミはショル・アボルごときに苦戦をし、ショル・アボルとの戦闘のたびに助けてやらないと壊れてしまう脆弱な仲間達に呆れ、軽蔑していた。
ところが、コヨミが彼らを突き放そうとしても、コヨミに助けられたゼルナー達はコヨミを慕って付いてきた……。
――彼らは知っていたのだ。 コヨミはプライドが高いだけで、本当は誰よりも仲間思いであり、人一倍正義感が強いゼルナーだという事を――
コヨミを慕うゼルナー達は皆コヨミに助けられた者達であった。 ある者は、あと一撃でショル・アボルに破壊されるといった危機的な状況の中、コヨミによって救われた。 またある者は、ショル・アボルの大群に襲われた時、何処からともなくやってきたコヨミによって助けられた。
(コヨミが本当に仲間の事を思っていなければ、わざわざ仲間を助ける事などしないはず――)
仲間達は皆、コヨミに対してそう思っており、一見冷たい態度を取るコヨミに絶対的な信頼を寄せていたのであった……。
……
コヨミが製造されてから今日までの間、ディ・リターではすでにフルを討伐する事を諦め、フルが縄張りとする『デモニウム・グラキエス』に存在する『グレイプ・ニクロム』という鉱石を採掘して強力な兵器を製造し、軍事力を強化しようという作戦へ変わっていた。 アセナとカヨミはその作戦の指揮を執っており、しばしばデモニウム・グラキエスへ侵入し鉱石を採掘しようとしていたが、フルに邪魔されて悉く失敗していた。 そこで、今度は隣接する都市『エクイテス』の人員を投入し、フルを攻撃する素振りを見せてフルの意識をそらしつつ、その間に鉱石を採掘しようという大規模な作戦へ切り替えた。 その作戦を実行する為にはもちろんエクイテスの協力が必要であり、アセナとカヨミはエクイテスのゼルナー達の協力を得るため、エクイテスにしばらく滞在する事となった。 二人はコヨミも一緒にエクイテスへ同行させようとしたが、コヨミは二人に対する当て付けなのか命令を拒否し、ディ・リターへ留まって地上のショル・アボルの掃討を優先すると主張した。
……ところが、コヨミの心意は二人に対する当て付けではなかった。 コヨミは二人が不在である事をいいことに、命令に背いてフルに戦いを挑もうと画策していたのであった……。
……
コヨミはある日忽然とディ・リターから姿を消した……コヨミだけでなく、彼女を慕うゼルナー達と共に。
エクイテスに滞在していたアセナとカヨミは、ディ・リターのゼルナーからコヨミと一部のゼルナー達が失踪したとの報告を受け、コヨミを探して迷うことなくデモニウム・グラキエスへと急行した。 彼女の日頃の言動から、仲間と共にフルと戦おうとしている事に気づいたからであった。
――アセナとカヨミの予想通り、コヨミは仲間のゼルナーおよそ100人を引き連れて、デモニウム・グラキエスへ向かっていた――
巨大な氷山が連なる極寒の地は強力な磁場が発生しており、器械は思うように動けないだけでなく、ビームやレーザーといった光線はグニャグニャにゆがめられて使用する事が出来ない。 そんな最悪な環境を縄張りとしているフルは、鉛色の翼を羽ばたかせて縦横無尽に氷山を飛び回り、いたるところから侵入者を攻撃してくる……。
冷静に考えてみれば、何の策も考えずに少数で敵の縄張りへと突撃する事が、いかに無謀であるか分かりそうなものだが、製造されてから日が浅く、自分より強力な敵と戦った経験も無い井の中の蛙であったコヨミに冷静な判断をする事など出来るはずも無かった……。
……
『……つまらない。 弱すぎて話にならない……』
氷に覆われた凍える大地に這いつくばるコヨミの背中から、フルの失望の言葉が聞こえてきた。
――コヨミ一行はデモニウム・グラキエスの入口付近でフルと遭遇した。 一行がフルを視認するや否や、戦闘態勢に入る間もなく数人の仲間がフルに捕食された。 そして、残りの仲間達が戦闘準備を整えた頃には殆どが異形の怪物と成り果て、フルを発見してから五分も立たずに半数の仲間たちが戦闘不能となってしまったのである――
『……こう弱すぎては破壊するのも面倒だ。 このまま眷属達に食われるといい』
まるで針のように尖った無機質で冷酷な声の主は、ゼルナー達の残骸の中で身を隠すコヨミの仲間達に向かってそう嘯いた。 そして、すぐにコヨミの耳へ『バサ、バサ』と翼の羽ばたく音が聞こえて来た。 フルはコヨミ達を無視して縄張りへ戻って行ったようだった。
『……こんな事っ……! ……ありえない……』
目で追うことも出来なかったフルの一撃で、あっけなく両足を破壊されてしまったコヨミ……。 立ち去ったフルの失望の声に身を震わせた彼女は、破壊された両足を踏ん張り何とか立ち上がろうとしたが――
――目の前に広がった絶望の光景に慄然とし、再び力なくその場でへたり込んでしまった。
……コヨミの目に映る光景は、異形の怪物となった仲間達が他の仲間を襲い掛かっている地獄のような光景であった……
……
自尊心を粉々に打ち砕かれたコヨミはすでに戦意を失っていた。 両足を破壊され立ち上がることも出来なかったコヨミはただ仲間達が殺しあう姿を呆然と見つめているしかなかった。 そんなコヨミにも容赦なく襲い掛かる異形の仲間達……。 その姿は先ほどまで笑いかけてきた仲間たちの姿ではなかった……。
(コヨミさん――!)
そう言って常にコヨミに付いて回っていたキツネ型のゼルナーは、いまや黄色い毛がところどころ残る金属にカビのような有機物がうごめく奇怪な塊へと変わっていた……。 キツネのような愛嬌のある姿は見る影もなく、ドロドロの塊の中から口のように開く穴をモゾモゾと動かして、まるで助けを求めるかのようにコヨミへにじり寄ってきた……。
『あっ……あ……』
変わり果てた仲間の姿にコヨミは言葉も出ずに、腰が砕けて身動きが取れない……。
コヨミの背中にはかつてタヌキの姿であったゼルナーが、いまや膨れ上がった腹に口を持つ異形の怪物となってコヨミに鋭い牙を向けて近寄ってきていた。
コヨミが後ろから近づいてきていた怪物に気が付いて後ろを振り向く――すると、コヨミの前からにじり寄ってきたカビのような怪物が矢庭に飛び上がり、コヨミに向かって襲い掛かってきた!
『――コヨミ!!』
コヨミが慌てて前を向き直そうとしたと同時にコヨミを呼ぶエステルの叫び声が聞こえた。 そして、コヨミの目の前に背中を見せたエステルは、襲い掛かってきた怪物を払いのけ後ろを振り向いた。
――コヨミの周りには、知らぬ間に生き残った仲間達が集結していた――!
『――みんな、俺たちは今までコヨミ殿に散々助けられた! 今度は俺たちがコヨミ殿を助ける番だ!』
コヨミのすぐ後ろで怪物となった仲間の攻撃を防いだ大柄のゼルナーが叫んだ。 司祭のような服を着た彼は両手に持っている巨大なハンマーを振り回し、肩を食いついてきた怪物を引き剥がしながら、襲い掛かる仲間の頭を叩き潰した。
コヨミの目の前ではエステルが機銃を手にして、次々と襲い掛かって来る怪物達を打ち砕いている。
『――コヨミ、貴方は私達の希望です! このまま逃げてください――!』
エステルは怪物となった仲間たちへ向けて機銃を乱射しながら叫んだ。
『……なっ、何を言って……!?』
コヨミはエステルの言葉を遮ろうとするが、彼女の様子がおかしい……。
『うぁぁ――!!』
吹雪が吹き荒れる極寒の地にエステルの苦悶の叫び声が響く――だが、仲間達の悲痛な叫びと怒声、銃声にかき消され、その叫びはすぐそばのコヨミの耳にしか聞こえなかった。
『ココロが壊れる……身体も、もう……コヨミ……逃げて』
機銃を打ち捨てて両手で頭を抱えるエステル……その顔はすでに人工皮膚がドロドロに溶けて金属の表面がむき出しになり、金属すらもまるでカビが生えているかのように緑色の気味の悪い胞子に侵食されてきていた……。
『あ、ああ……ウチは……ウチは……』
先ほどまで笑顔を見せながらコヨミに語り掛けていた仲間達……その仲間達が苦痛に喘ぎながら怪物へと変貌していく……。
そうしている間にも、異形の姿へ変わった仲間達が次々とエステルとコヨミの間に集まり、二人を食らおうと襲い掛かってきた。
『――ぐっ……私は……この命を懸けても貴方を守ります――!』
ついに全身が溶け始め、その瞳もすでにくすんだガラス玉のようになっていたエステルは、震える手で腰に佩いていた剣を抜いて、最後の力を振り絞ってコヨミを守ろうとする。
『――無理だ! エステル、やめろ!』
両足を失ったコヨミは必死に這いながらエステルに近づこうとする。 エステルはコヨミの気配を察知して、異形の体になりつつある片手を広げてコヨミを制止しようとした。
『――コヨミ殿! 近づいてはいけません!』
コヨミのすぐ後ろで彼女を守っていたハンマーを持った大柄のゼルナーがコヨミをエステルから引き離す!
『――やめろ! エステルを見殺しにする気か!』
大柄のゼルナーに腕を引っ張られたコヨミは、彼の手を振りほどこうとした――
――その瞬間――
「パァン――!!」
という音とともにコヨミの頬に痛みが走った。
『――命を懸けずして、誰の命を守れると言うんだ――!』
コヨミの頬を平手打ちした男性型のゼルナーは、そう叫ぶと襲い掛かる鉄の塊に向かってハンマーを振るいながら言葉を続けた。
『俺たちはオマエを守る! この命に代えてでも!
――だから――
そんな俺たちのことを少しでも信じてくれるなら――
――オマエは後ろを振り返らずに逃げろ!』
――コヨミの父であるアセナと同じような司祭服に身を包んだ大柄のゼルナー、彼の名は『カマル』と言った。 彼はもともとアセナの部下であったが、性能が低いためにアセナの直属の部隊から外されてショル・アボル討伐隊へ配属されたのであった。
彼はショル・アボル=ヨルムンガントとの戦闘で毒に侵され、破壊されそうになったところをコヨミに助けられた。 コヨミは彼を助けた後、何も言わずに討伐隊が苦戦しているショル・アボルだけを狙ってひたすら戦い続けた。
カマルはそんなコヨミに惹かれて、コヨミと行動を共にするようになったのであった――
……
もはや、コヨミを守るゼルナーはエステルとカマルだけになっていた。 生き残ったゼルナーはフルのスキルによって怪物となり、容赦なく三人に牙を剝いてきた……。
エステルの片腕は丸太のように膨れ上がり、錆が混じった気味の悪い液体が滴り落ちていた。 あの愛嬌のある垂れ目はすでにつぶれており、顔の人工皮膚はすっかり剥がれ落ちて、ブクブクに膨れ上がって目を背けたくなるような悲惨な姿をしていた。
瀕死のエステルはすべての出力を使い果たし、コヨミを護る為に異形の仲間達を破壊せしめた。 だが、いずれその異形の仲間達と一緒にコヨミとカマルを攻撃してくるに違いない……。
『――カマル! 準備は良いですかっ!』
カマルはウィルスに侵されておらず、ただひたすらコヨミに襲い掛かる仲間達をハンマーで叩き潰していた。 彼はエステルの叫び声を聞いた途端、いきなりコヨミを抱きかかえた!
『――なっ!? アンタ達、何を――!?』
カマルの太い両腕に抱えあげられたコヨミはジタバタと抵抗するが、すでにマナスが尽きかけ、あらゆる箇所が故障していたコヨミはカマルの鬼気迫る力に抗う事が出来ない……。
『グゥゥ――!』
カマルは怪物となった仲間達に肩や足を嚙まれながらも出力を両腕に集中させた――。
『まっ、まさか――!? ウチを――!?』
コヨミはカマルが何をしようとしているのか理解した。 そんなコヨミの様子を見たエステルは腰に佩いていた剣を抜き、コヨミとカマルに群がってくる怪物を切り裂きながら二人の傍へ駆け寄って来た。
『――コヨミ、私は貴方の事を信じてます! 貴方がきっとフルを倒して、このディ・リターの英雄となってくれる事を!
……だから、貴方も私を信じて逃げてください!
貴方を――
――貴方を守ると言った私達を信じて――!!』
エステルの悲痛な叫び――この叫びが、コヨミが聞いたエステルの最後の声であった。
エステルの叫びに呼応するように、カマルはコヨミを抱えた腕を思い切り振り下げ、コヨミを遠くへ放り投げた――!
『――エステル! カマル! みんな――!! ウチは、みんなの事を――!!』
空高く舞い上がり、デモニウム・グラキエスから離れていくコヨミは仲間たちに自分の本音を打ち明けようとした……。
……だが、コヨミの声はもう彼らには届かなかった……
――ドーン――!!
爆発と共に巨大な火柱が薄暗い上空へ舞い上がる――空気が震え、あたりには黒煙と共に器械達の破片が散らばった……。
エステルとカマルは自らのアニマを破壊して、異形の怪物となった仲間達とともに大爆発を起こした……二人は命を懸けてコヨミを守ったのだ……。
――
「――はっ!」
……コヨミの意識が過去から戻って来た……
いつの間にか避難通路の明かりが全て消えており、ミトゥルが放つ二つ目のライトの明かりが薄暗い避難通路の数十メートル先を照らしていた。
「……エステル……みんな……ウチは……」
ミトゥルが照らしているライトの先の薄暗い通路に目を遣るコヨミ。 薄暗い通路はすぐにライトに照らされて明るくなるが、コヨミはその度にライトが照らす場所から薄暗い通路へ視線を向けて再び過去へと意識を向け始めた……。
……
デモニウム・グラキエスへと続く道の途中――氷山に囲まれた険しい岩場で気を失っているコヨミをアセナとカヨミが発見したのは、コヨミ一行が壊滅した二日後の事であった。 二人に助けられディ・リターへ帰ったコヨミはそれから一週間、自宅で療養した。 その間、コヨミは誰とも話さず、ひたすらカプセルベッドの上でエステル、カマル、仲間達の顔を思い出しては繰り返し謝罪の言葉を呟いていた……。 アセナはグレイプ・ニクロムを採掘する為の作戦会議の為、コヨミを心配しつつもエクイテスへ再び行ってしまった。 カヨミは妹を心配してアセナには同行せず、コヨミの身の回りの世話をしていた。
真っすぐ天井を見つめる銀色の瞳――カヨミがベッドの脇から声を掛けてもコヨミはカヨミの声に応える事無く、まるで壊れたラジオのように仲間達の名前を列挙しては後悔の言葉を呟くだけであった……。
その後、コヨミはアセナの命令に背いて勝手にデモニウム・グラキエスへ出兵した罪で、マザーによる聴聞にかけられた。 コヨミは移動型のベッドに乗って、マザーいる大聖堂へ連れて来られた。 マザーはコヨミの生気の無い姿を見て、コヨミに対して『一年間、大聖堂内へ留まり再教育を受ける事』という処分をコヨミに命じた。
“再教育”という行為が何なのかはマザーにしか分からなかったが、コヨミに同行したカヨミはマザーの命令に背く訳にもいかず、黙ってマザーの命令を受け入れてコヨミをマザーに引き渡した。
――マザーはコヨミがフルのスキル『バグズ・マキナ』に感染している事を見抜いていた。だが、コヨミ以外の者は皆バグズ・マキナが発動して異形の怪物へと変貌し、フルの眷属となったにもかかわらず、コヨミだけバグズ・マキナが発動せず、体内のアニマを侵食しているだけであった。
マザーはかつてミヨシの母『ライム』に施したバグズ・マキナの発動を抑える処置を、コヨミにも施した。 その時、ついでにコヨミが何故バグズ・マキナの発動を抑える事が出来たのか、コヨミの体内を検査したのであった。
コヨミはマザーによってバグズ・マキナの発動を抑制され怪物にならずに済んだ。 だが、コヨミはライムと同じくアニマが劣化する事なく、その体が朽ち果てようがアニマはマナスを取り込み続け、劣化して行く体に鞭を打ち続けるだろう――フルを消滅させない限り……。
……
『……貴方を慕って共に戦った仲間達。 貴方を守る為に命を懸けた仲間達に、貴方が少しでも贖罪をしたいと思っているのであれば、それは愚か者の考えですわ』
マザーはそう言って、コヨミの後悔の念を詰り、否定した。
『仲間達は、貴方がフルを討伐する事を期待して貴方を守ったのですよ。 貴方が彼らに償いをしたところで、彼らは喜ぶどころか貴方に失望するでしょう』
コヨミはマザーによる修理によってすっかり正常に戻った体を直立させ、黙ってイソギンチャクのような姿をしたマザーを見つめていた。
『――いいこと、コヨミ。 貴方は彼らの期待を裏切ってはいけません。 貴方はフルを討伐し、貴方を守るために犠牲となった仲間達の期待に応えなければなりませんのよ』
マザーはそう言うと、イソギンチャクの姿の体を回転させながらピカピカと緑色の光を放ち、言葉を続けた。
『フルが使用したバグズ・マキナは今も貴方のアニマを侵食していますわ。 バグズ・マキナを消滅させる為にはフルを消滅させるしか方法は無い。 貴方は、貴方自身の為にもフルを消滅させなければなりませんのよ』
マザーはさらに『……もはや貴方のアニマに巣食うバグズ・マキナは発動する事は有りません』と言って、コヨミがフルの眷属とならないような処置を施したとコヨミを安心させようとした。
だが、コヨミはマザーの心遣いに首を振りながら『有難うございます』と答えると――
『――もし、ウチがヤツの操り人形になるなら、ウチは――』
と言いかける。 すると、すぐさまマザーが口を挟んだ。
『――アニマを破壊して自爆しようというのですか?
――エステルのように』
コヨミの言葉を間髪入れず遮ったマザーの発言にコヨミは思わず目を見張り、鏡のような球体の中で蠢くイソギンチャクを見た。
『……命を懸けるという事は、命を捨てるという意味ではありませんわ。
命を懸けて誰かを守る者は勇者。 でも、命を捨てて誰かを守る者は愚者』
コヨミはマザーの言う勇者と愚者の違いが分からなかった。 マザーは困惑するコヨミを横目に触手をクルクルと回転させながら言葉を継いだ。
『――命を懸けて守ろうとする者の未来を期待するからこそ、命を懸ける勇気が生まれるのです。 何も期待できない者を守るために自分を犠牲にする者は、単に命を大切にしない愚者以外の何物でもありませんわ。
だから、誰かの命を犠牲にして助かった者は、助けた者が自分の未来に一体何を期待して助けたのかを良く考えなければなりませんのよ。 自分を助けた者が愚者としての烙印を押されない為にも――』
マザーはそう言うと、少し残念そうに体全体を窄ませて青色のライトゆっくり点滅させた。
『……それを貴方は「フルの眷属になるんだったら、死んでやる」なんて利己的な自暴自棄を主張して……私は貴方に失望を隠せませんわ……』
――エステルやカマルはコヨミがフルを必ず討伐してくれるに違いないと信じて、コヨミを助ける為にその命を犠牲にした。
コヨミはそんな彼らの期待に応える事こそ犠牲になった者達に対する責任であり、贖罪などして立ち止まっていることは彼らの期待を裏切る事になるのだ――
――
「……ウチは……」
コヨミの意識が過去から戻って来る――いつの間にか薄暗かった通路は再びその光を取り戻し、目の前に広がる避難通路の灯りが後ろへ流れて行く様子が目に映った。
コヨミが再び後ろを振り向くと、相変わらずラヴィがスヤスヤと子熊を抱えて眠っており、ラヴィの足元に転がっているペイル・ライダーは球体に付いているランプを幾つか光らせていた……。
……
コヨミはマザーの大聖堂で一年過ごした後ゼルナーとして復帰し、グレイプ・ニクロムを採掘する為エクイテスとの共同作戦に参加した。 その時、コヨミは初めて姉のカヨミと父のアセナと共にフルと戦った。
コヨミはもう償いなどという言葉を口に出す事はなかった。
自分が何故仲間達に救われたのか? 仲間達が自分に期待した事は何だったのか?
その答えは、すでにコヨミ自身が良く分かっていた。
彼女の活躍によって、少量ながらもグレイプ・ニクロムを採掘する事に初めて成功し、コヨミはその功績を称えられ、ディ・リターでも三本の指に入るゼルナーとして名を轟かせた。
だが、コヨミは以前のように慢心はしなかった。
『みんながウチに期待してくれた事……
フルをこの手で必ず倒す!』
コヨミにとって、その一点が器械として生きる唯一の目的であった。 しかし、グレイプ・ニクロムの採掘の時も、襲撃して来たフルに手も足も出ずに退却を余儀なくされ、力の差を歴然と見せつけられた。
(……みんな、ウチは本当にフルを倒すことが出来るの?)
グレイプ・ニクロムを初めて採掘して以来、フルはゼルナー達に警戒をしてグレイプ・ニクロムが豊富にあるエリアに住処を変えた。 それからというものの、ゼルナー達は一度もグレイプ・ニクロムを採掘する事が出来ず、フルによって破壊され続けて甚大な被害を受けていたのであった。
――絶望感がコヨミのココロに暗い影を落とし、自信を失いかけている中――
なんと、エクイテスからハーブリムへ移転したライコウというゼルナーが、誰も従える事が出来なかったマルアハ『アラトロン』を屈服させたという信じられないニュースがコヨミの耳に飛び込んで来た。
『まさか――!!』
コヨミはにわかに色めきだった。 コヨミだけでなくアセナやカヨミ、ディ・リターのゼルナー全員がこの情報を誤報だと断じ、マルアハを従わせるゼルナーなどいやしないと信じなかった。
だが、それから数週間が経ったある日――ライコウを従えていると嘯くエンドルという魔女のような恰好をした胡散臭いゼルナーが『ライコウがハーブリムのゼルナー達と共にハギトを討伐するゼルナーを募集してるわん。 アンタ達ディ・リターの連中も一緒に作戦に参加しなさいん』と偉そうな顔をして、アセナの屋敷へ訪ねて来た。
『アータ、何ほざいてんですか! ナメた事言わないで下さい!』
コヨミはエンドルの襟首を掴み上げ、苦しそうに青い顔をしているエンドルを引っぱたいて屋敷から叩き出そうとした。 しかし、エンドルは自分の言葉を釈明するように、コヨミ達にライコウが戦っている姿を隠し撮りした動画を見せた。
『……な、何者だ? 彼は――!?』
デバイスのフィールドに映し出されたライコウの姿に、コヨミだけでなくアセナとカヨミも目を丸くした。
『す、すごい……。 こんな、動きが出来るゼルナーなんて……』
コヨミはライコウの姿を見て、にわかに希望が湧いてきた。
(ライコウ……様、このヒトと一緒ならウチは必ずフルを倒す事が出来る!)
――アセナは当初、ハギト討伐の為ハーブリムに協力して欲しいなどというエンドルの要求を鼻でせせら笑っていた。 いくらライコウというゼルナーが噂通り強くても、マルアハを従えたなどという話は狂言に過ぎず、所詮ハギトを討伐出来るはずが無いと思い込んでいたからである。
ところが、エンドルが見せた動画に映っていた小悪魔のような少女の姿は紛れも無くアラトロンの姿であり――その隣にいたライコウの動きは、アセナよりも素早く、力強かった。
その驚愕の事実にアセナは自分の考えを翻意し、コヨミと同じく『彼らとなら本当にハギトを討伐する事が出来るかも知れん……』とエンドルの言葉を信じ、ハーブリムに協力する決意をしたのであった――
こうして、アセナはディ・リターの精鋭部隊を招集し、カヨミを隊長としたハギト討伐隊を組織してエンドルに従った。
エンドルは1000人規模の軍隊を先導する事で益々増長したが、その後の顛末は先に述べた通りであった……。 もちろん、コヨミもライコウに会うべくハギト討伐隊へ参加しようとしたが、アセナは精鋭のゼルナー達がディ・リターを不在にする間、都市の警備が手薄になる事を懸念してコヨミをディ・リターへ残した。 ところが、コヨミはアセナの指示を素直に聞いたと見せかけ、アセナがフルの動向を探る為にデモニウム・グラキエスへ行った隙を見計らい、ハギト討伐隊に潜り込んでアイナへ行ってしまったのであった……。
――
コヨミはラヴィの寝顔を見つめながら、先ほどのペイル・ライダーと戦っていた時の事を思い出していた。
(さっき、ウチは『もう駄目だ』と思った時、何故かお父様とお姉ちゃんの顔を思い出した……)
コヨミが危機に瀕した時に咄嗟に思い浮かべたのは、アセナとカヨミの姿であった。 コヨミはその事に強い自己嫌悪を抱き、唇を噛んで天井を見上げた。
『――コヨミ、貴方なら必ずフルを倒してくれると信じている――』
天井の灯りにボンヤリと“人型”であった時のエステルの笑顔が浮かび上がった……。 コヨミはエステルの言葉に応えるように、天井へ向かって呟いた。
「エステル……。 ウチは……必ずフルを倒す……。
だから……その為にウチは……」
いつも飄々とした様子でラヴィとイナ・フォグに接していたコヨミ。 だが、彼女のココロには過去の仲間に対する痛切な悔悟の刃が刺さっていた。 涼しい顔をした仮面の下の素顔は常に悲痛と苦悶に歪んでいたのである……。 そして、苦痛に耐える彼女の体を支えているのは、今の仲間に対する悲壮な決意であった。
「……ウチは仲間達の為に命を懸ける――
貴方達がウチにしてくれたように――」




