機械の墓場
ライコウが地上へ出るのは何年振りだろうか――。 『エクイテス』という都市で製造されたライコウは、ヒツジに連れられて地上からハーブリムへ移動したはずだが、その時の記憶はライコウのデータベースには記録されていなかった。
ヒツジは西へとピョコピョコと歩いている。 ヒツジが歩く先には、切り立った高い崖から怒涛のように水しぶきを上げている大きな滝が見える。 水しぶきのせいで辺り一面は霧が立ち込めているが、その霧が赤い砂嵐と混じって、煙のような不気味な霧に変わっていた。 流れる水は気味の悪い乳白色であり、水が流れ落ちる広大な滝つぼにはボコボコと怪しい泡がしきりに立っていた。
目指すところは、その怪しげな滝の上の遥か遠くにある。 滝へと歩くヒツジの四角い足が赤い砂を踏みしめるたび、小箱のような足跡が出来た。 だが、それも激しい風によって、すぐにかき消されてしまう――地上に出た二人を待っていたのは、怪しい大滝と赤い砂嵐であった。
遥か南にはどんよりとした空に覆われた黒っぽい海が見える。 海上には巨大な竜巻がうねりを上げて赤い稲光と共に水をまき上げていた。
鉄仮面をかぶったライコウは、おもむろに手をかざし、立体的なホログラムを眼前に出した。
このホログラムを映し出す装置は『デバイス』と言う装置である。 器械に標準装備されているが、器械によって機能が制限されている。 ホログラム内のデータを表示する範囲は『フィールド』と呼ばれており、周囲を透過する薄い黒色のフィールド内に赤、青、黄、緑といったカラフルな枠で囲まれた小窓が立体的に表示されている。 枠の色は表示する情報の内容を表しているようで、天候や周囲の状況を表示する小窓は黄色、自身のメモリ内の情報やリターのデータベースに記録された情報を表示させる小窓は緑色、注意や警告を知らせる内容は赤色の枠に囲まれた小窓を表示させ、デバイスの使用者に確認を促した。
現在、ライコウのデバイスは、フィールド内に赤い枠の小窓が表示されていた。 小窓内の右下は滝の上の状況を拡大して映し出しており、小窓の上部には見たことのない文字が赤色で表示されていた。
『注意:ショル・アボル=オオカミ 群 ―63.926508,-121.290153 真素極微量……』
文字はこのような意味であった。 どうやら、崖の上にはショル・アボルが出没しているという注意のようだ。
「関所のゼルナーが言っていた個体じゃな? ……数は2……3……3体か」
ライコウがフィールドに黄色の小窓を出して周囲の状況を確認している間、ヒツジは立ち止まり、空を見上げていた。 深い緑色の薄気味悪い雲が渦のようにグルグルと激しく動きながら東へと走っており、上空に凄まじい強風が吹いている事が窺がえた。 空にショル・アボルの存在が確認出来ない理由は、あまりに風が強いせいだろうか……。
ライコウが東の方角に目を向ける。 東側にも数体のショル・アボルが闊歩しているようで、眼前に展開しているフィールドから度々注意喚起の赤い小窓が複数割り込んできた。
――すると、次の瞬間、フィールドが赤色に変わり、全ての小窓が強制的に閉じられた。 そして、フィールド全体に『危険』という意味の文字が大きく表示された。
フィールド内には、ここから東側に位置する『マーヴェット湖』と言われる湖の先にある『輝く森』と呼ばれている地点の映像が大きく映し出された。
『!!危険!! リリム=スカイ・ハイ 座標不明 真素極大 映像転送不能……エラーコードF0000……速やかな退避を勧告……勧告……防磁装置起動開始……』
勧告が表示されると、ライコウの着ていた白銀の鎧の表面が光沢のある銅のような色に変化して来た――。
『ハウジング……完了……』
赤く染まったフィールド内に防磁処理とやらが完了したという情報が表示された。
「……リリム!? なんじゃ、そら!? しかし、何という『マナス』の量じゃ! 何故、ワシのデータベースにこんなバケモンが記録されてないんじゃ?」
ライコウが知る限りでは、地上にはショル・アボルという怪物とマルアハしかいないはずだった。 ところが、とんでもないバケモノがもう一体地上にいる事がわかり、ライコウは急いでヒツジの傍へ駆け寄った。
――
「――うん? リリム? ああ、マルアハの事さ――」
「……へ? そうなのか?」
ヒツジの説明ではマルアハ達の別名を『リリム』と言うらしかった。 そもそも、マルアハ達の名――『アラトロン』やら『ベトール』などという名が別名であり、マルアハ達の本当の名はリリムを冠する名前だったのだ。
「なんじゃ、紛らわしい! 何故、そんな俗称をバケモノどもに付けるのじゃ?」
ライコウがヒツジに向かって怒ると、ヒツジはムスッとしたように赤い光を点滅させながら言った。
「――むぅ。 そんな事、ボクに聞かないでよ! 何で名前が二つあるのかなんて、キミがアラトロンに直接聞けばいいでしょ!」
ヒツジがそう言ってプンスカすると、ライコウは腕を組み「まぁ、それもそうじゃな」と言って、危険信号が発せられた『輝く森』と呼ばれるエリアを見た。
「それじゃ、あそこにいるマルアハは誰なんじゃ?」
「あそこを縄張りにしているのは『ベトール』さ」
ヒツジの言葉にライコウは驚いて飛び上がった。
「――なぬっ!? 通りで凄まじいマナスを持っておると思ったわ……」
そう言って、にわかに身震いをするライコウ。 ヒツジはライコウの様子を見て橙色の光を目に浮かべ「だから、あんな奴は放っておいて、アラトロンの縄張りへ急ごう!」と言った。
……とはいえ、ここは砂嵐が吹き荒れる、荒涼とした赤い砂漠の中である。 前方に見える大きな滝を越えて行くためには、砂嵐の中を徒歩で滝に向かい、滝の絶壁をよじ登らなければならない……。
「のう、ヒツジ――少しだけ飛んで行ったらどうじゃ?」
ライコウは砂嵐に耐え兼ねて、少しでも早くこの場所を離れたいと思ったのでヒツジにそう打診すると、ヒツジは「ダメ、ダメ! そんな事するとすぐにべトールが襲ってくるよ!」と言ってライコウの提案を拒否した。
ヒツジの話では、ベトールというマルアハは空を飛んでいる者を察知すると、すぐに襲い掛かってくる習性があるとの事であった。 自分の他に空を飛ぶ者がいると許せないらしい。 上空はとてもじゃないが空を飛べるような天候ではないが、それでもゼルナー達は航空機を使って風の影響の少ない低い高度で空を飛ぶことがある。 ところが、ベトールは少しでも宙に浮いている状態が継続している者がいると、どこからともなく襲い掛かってくるのであった。
ベトールの行動範囲と索敵範囲は星全体に及び、世界のあらゆる場所にいても、飛行している者を察知すると瞬く間に接近し、襲い掛かる。 したがって、この世界はベトールを消滅させない限り、自由に空を飛ぶことが出来ないのだ。 しかも、上空に激しい風が吹き荒れているのもベトールの仕業だと言われている。 ゼルナー達もベトールを倒し、空を取り戻そうと日々戦ってはいるが全く歯が立たないのが現状であった……。
また、ヒツジの話では、ベトールは金や銀、パラジウムなどの金属を集める習性があるそうだ。 幸い、ヒツジもライコウも特殊な金属で出来ており、ライコウの鎧や剣も金やパラジウムでは無いので、地上を移動する限り、ベトールが襲って来る事はないのである。
「――少しでも空を飛んでいるとあっという間に近づかれて襲われるから、とにかく地上を進むしかないんだ!」
ライコウはヒツジの忠告に腕を組み「うーん」とうなった。
「……うーむ。 そうは言っても、お主……アラトロンが潜んでおる『ダカツの霧沼』はここから1万キロ以上離れておる。 徒歩で向かうとなると剣呑じゃ……」
ライコウの訴えにヒツジは少し困った様子を見せた。 腕を組み、俯いて――そして、にわかに目を青色に光らせて「仕方ないなぁ……」と悲しげな様子をみせながら、下腹部の辺りを触りだした。
ヒツジの下腹部には四角いプレートが付けられていた。 ヒツジの体は古びた銅のような色だが、プレートの部分だけは輝くローズゴールド色をしていた。 プレートは下腹部だけではなく、両胸のあたりにも付けられていた。 両胸の二枚のプレートは円形のプレートであった。 これらヒツジの体についているプレートは、計器類やスイッチを格納するカバーであった。 ヒツジがプレートを外すと中にはアナログメーターやデジタルメーター、何かのボタンやらスイッチやらが接続されているのだ。
ヒツジは下腹部の四角いプレートの四隅に固着しているネジのようなものを、腕の関節の間から伸びるワイヤー式のドライバーで巧みに外し、プレートを開けた。
――すると、中には三つの押しボタンと小さいレバー型のスイッチがあった。 レバー型のスイッチは上に挙げられており、何かの装置が『ON』 になっているようだった。
ヒツジは三つのボタンの中の左端のボタン――黄色いボタンをポチっと押した。
ヒツジがボタンを押すと、ヒツジの体はみるみる変形した――。 そして、なんとヒツジは三輪のアメリカンバイクのような形に変わってしまったのである!
ヒツジは胴が伸び四つん這いのような姿勢になった。 足も伸びて両膝から小さいタイヤが顔を出しており、足の裏からはトラップマフラーのようなものがニョキっと飛び出ていた。 足とは逆に腕は短くなり、水平に延びてハンドルのようになっていた。 そして、二本の太く、長いフロントフォークに挟まれた大きな前輪が胸から飛び出し、前輪よりも小さい後輪の方へ重心が少し傾いていた。
背中に背負っていたランドセルのような箱はそのままだったが、この箱がちょうどシートのように座れそうな位置にあった。
「ほら、早く乗って!!」
ヒツジは目の赤く点滅させてライコウにランドセルの上に乗るように促した。 ヒツジは何故だか少し怒っているようだった。 ライコウがヒツジの背中に乗ると、ヒツジの目はまるでヘッドライトのように白く光り、砂嵐の中を凄まじいスピードで走り出した。
――ヒツジのおかげで滝の前にはあっという間に到着した。 ヒツジはここでライコウに背中から降りるように促し、目を青色に光らせながら、再び腕から伸びたワイヤーで下腹部のボタンを押した。 すると、みるみるヒツジの体がもとに戻った。
ライコウは先ほどからヒツジの様子がおかしいことに気づいていた。
「……のぅ、ヒツジよ……。 お主、乗り物に変形するのが嫌なのか?」
ヒツジが乗り物へと変形した時、ヒツジの目は赤く点滅していた――ヒツジが怒っていた証拠である。 そして、今度は元に戻る時には悲しそうに青い目を光らせていた。
「……うん。 ボク……本当はこのままが良い……」
ライコウはヒツジが乗り物に変形できる事を知っていた。 ところが、ヒツジはウサギの工場から地底への出入り口まで徒歩で行き、ライコウが何を言っても頑なに乗り物へ変形しようとしなかった。 ならば、上空を飛んでいけば良かったのだったが、ヒツジはライコウから乗り物に変形する事を頼まれた時、少し不機嫌になった。 それで、当て付けの意味でひたすら徒歩で関所へと向かったのであった。
そして、先ほどライコウの為に仕方なく乗り物に変形した時も、少し怒っており、しかも、悲しげな様子を見せていた。
――ライコウはヒツジの言葉を聞いて、後悔した。 ヒツジが嫌がっている事は、ヒツジの目を見て判っていた事である。 だが、この砂嵐の中、滝まで歩く事が面倒であったので、ヒツジの気持ちに見て見ぬふりをした。 そんな自分の我儘と浅はかさ、そしてさもしさに激しい怒りを覚えた。
ライコウはヒツジの頭を優しく撫でて、そして、膝をついてヒツジを抱きしめた。
「――ゴメンな、ヒツジ。 俺はお前の気持ちも分からずに、お前に悲しい思いをさせてしまった……」
ライコウの言葉はいつもの口調とは違っていた。
「もう、これから先、お前はそのままで良い。 俺はこの先、お前に何があっても乗り物に変形しろとは言わない。 だから、お前も自分が嫌な事はもうしなくても良い。 俺の為でも、誰の為であっても――」
ヒツジの瞳には紫色のような光を帯びていた。 悲しさだけではなく、ライコウの優しさが愛おしく思ったのであった。 ヒツジは涙を流すことが出来なかった。
『涙を流す事は、人間の特権です――』
ヒツジはリターの言葉を思い出し、涙を流すことが出来ない自分が悔しく、そして苦しく思った。 ヒツジもライコウの首に手をまわし、ひしとライコウに抱き着いた。
「ありがとう、ライコウ。 しばらくはこのままでいさせて欲しいけど、いつか本当に必要な時が来れば、ボクはいつでもキミの為に――」
「――ほいじゃ、今なってもらおうかのぅ」
ライコウは元の口調に戻ったかと思ったら、いきなり軽口を叩き、悪戯っぽく笑った。
「なっ!? 今はイヤだもん! 全く、キミって奴は!」
「ガハハ! 冗談じゃ、ヒツジ! さぁ、早く滝を上って先へ進むぞ!」
そう言って、笑いながらヒツジの頭をゴリゴリと撫でるライコウに、ヒツジはプンプンと怒った様子を見せた。 しかし、ライコウの冗談にヒツジのココロは少し軽くなった気がして、瞳の色をピンク色に光らせたのであった。
――
赤い土と透明な水が混じった滝は白っぽいドロドロとした液体となって20メートルはあろう高さから豪快に落ちて水しぶきを上げていた。
周囲は煙のような霧が立ち込めており、その霧は粘っこく体に纏わりついてくる。
ライコウとヒツジはその不快な滝へと飛び込み、滝の裏側へ回った。 そして、崖に手をかけて上へと登り始めた。
「のう、ヒツジ。 ベトールの奴は高いところに登っている時も襲い掛かってくるのじゃろう? ワシらとは近い場所におるのに、何故、今襲ってこんのじゃ?」
崖を上りながらライコウが疑問を投げると、ヒツジも首をかしげて目を橙色に光らせた。
「うーん。 それはボクも良くわからないんだ……。 でも、そのおかげで滝から塩の台地までベトールに襲撃されずに行くことが出来る……」
二人が崖を登りながらこんな会話をしている間、ライコウの目の前に展開されているデバイスはフィールドを乱していた。
「なんだか、デバイスの調子が悪いのぅ……」
「うん、この滝の周辺は何だか電波の調子が悪いんだ……。 まあ、滝を越えれば調子は戻るから、早く上って滝から離れよう――」
ライコウとヒツジは崖を抉る程の握力でガシガシと崖を駆け上って行った。
――
崖を上ると大きな川が広がっていた。 二人は白濁した不気味な川を泳ぎながら上流に向かっていく――。 すると、徐々に川幅が狭くなって行き、二人はようやく陸へと上がる事が出来た。
ライコウとヒツジはもちろん金属製であるが、腐食に強い特殊な金属で造られているので、川に入っても腐食する事は無い。 とはいえ、この世界の半分以上を占める海は、信じられないような濃硫酸と濃塩酸の海であり、海の中に長時間いればさすがに腐食してしまう。 作業用機械などは海辺にいるだけで、海から発生するガスによって腐食してしまう程であった。
左手に川を見ながら、陸へ上がった二人はさらに川上へと進む――。 すると、二人の目の前に広大な真っ白い大地が現れた。 『塩の台地』と呼ばれているこの場所は、地面に白く細かい結晶が堆積しており、強風が様々な幾何学模様を地面に描いている不思議な場所であった。
塩の台地と言われてはいるが、この白い結晶は塩ではない。 色々な成分が化合して出来た結晶であり、その中にはこの星では今までなかった成分も含まれているという。
ヒツジの話では、結晶がこの台地に降り始めたのは、『厄災』が起きた数年後の事であったと言う――。
「滝の下より風は多少止んだが、それでも煩わしいのう! しかも、細かい粉がスキマに入り込んで、なんだか体がむず痒いわぃ」
ライコウがしかつめ面をして右手を額にかざした。 ヒツジは何事も無いようにライコウの前を歩いている。
「体のスキマに砂が入ったところで、この砂は特に器械を故障させるような物質ではないよ。 何の結晶かは……メンドクサイから調べてないけど、今までこの砂が体に入って故障した器械はいないから、まあ、大丈夫でしょ……」
ライコウはヒツジの説明に何だかモヤモヤした気分であったが、鉄仮面で顔を覆ってデバイスを起動させると、先ほどまでとは違って鮮明にフィールドが表示されたので、ひとまず安心した。
ところが、ライコウがデバイスを起動させるとすぐに『注意』という表示が割り込んで来て、赤枠の小窓が奥の地点を拡大して映し出した。
そこには、4本足のオオカミのような巨大な生物が3体の群れで一体の器械を追いかけている様子が映し出されていた。
「――なんじゃ!? 誰かショル・アボルに襲われておるぞ!?」
ライコウが叫ぶと、ヒツジもその様子を把握していたようで、「うん。 助けに行かないと――!」と言って、すぐに下腹部に手を当ててボタンを押そうとした。
ところが、ライコウが一瞬でヒツジの傍へ駆け寄って、ボタンを押そうとしたヒツジを制止し、ヒツジを抱き上げた。
「――こりゃ、ヒツジ! お主はもう自分がイヤな事はせんで良いと言ったろう。 ワシが何とかするからお主は無理せんで良い!」
そう言うと、ライコウは凄まじい速度でヒツジを抱えたまま画面に映し出された現場へと向かった。 ヒツジはライコウに抱えられながら、瞳をピンク色に輝かせ(どうせだったら、ずっと抱っこして貰いたいなぁ……)と密かに思っていた。
――
ヒツジの話ではショル・アボルという怪物は、人間が造り出した『生体兵器』と呼ばれるものだそうだ。 人間は何故そんな怪物をわざわざ造り出したのか? それは、ご多分に漏れず、戦争の道具として使用する為に他ならなかった。
では、この生体兵器はどの様にして造られたのか? ヒツジによると、ショル・アボルの大まかな構造は、金属の骨格に水分、タンパク質、脂肪等の有機化合物を結合させた組織で覆い、ナノレベルの極細ケーブルを組織に張り巡らせ、巨大な集積回路で体全体を制御すると言ったものだそうだ。 有機化合物は人工で造られ、かつ、ショル・アボル体内で自己生成も出来る事から、自己を複製する事も出来る。 代謝を行い、自己複製も出来る事から『生体』という名がついているそうで、そこまで高度な処理を超高速で行う事が出来る集積回路には、この星にしかない技術が使用されていた。 それは、器械を器械たらしめるアニマという装置と同じく、『魔女』の心臓を材料に造られたものであった。
また、ショル・アボルは戦争の道具として造られた事もあって、全身を武装している。 多くは背中に大砲を背負っていたり、小型の機関銃を内蔵していたりするが、時には自爆をしたりする厄介な個体も存在する。
そして、ショル・アボルは様々な姿をしている。 殆どのショル・アボルはかつてこの星に生息していた動物を象った姿である。 ライコウが発見した今回のショル・アボルはオオカミのような姿をした個体であり、人工皮は剥がれて筋組織が丸出しになっており、ところどころ腐食して白く腫れあがった無残な姿をしていた。 骨格は金属で出来ているようで、脚の一部や尻尾などは金属がむき出しになっていた。 こんな、機械のゾンビのような姿をしているが、動きは俊敏で故障すれば自己修復をして再度ボロボロの姿になるまで獲物を追い続けるのである。
――ライコウが発見したショル・アボル達が追う先には、一体の器械が走っていた。 魔法使いのような先がくしゃくしゃの機械式のとんがり帽子を被り、帽子と同じく紫色のローブを羽織った、青い髪をした女性型の器械であった。
彼女は口元を黒いマスクで覆っており、切れ長の目に紫色のアイシャドーを付けていた。 彼女は逃げながら後ろを振り向いて手に持っている矢鱈に太い木目調の棒をショル・アボルに向けた。 そして、その棒から勢いよく炎を噴射して、襲ってくるショル・アボルを火だるまにした。
「ハァ、ハァ……。 全く、しつこいわねん! 火も効かないんじゃ、もう逃げるしか無いんじゃないん!」
女性が逃げる先には四輪駆動車が煙を出して転がっていた。 恐らく、この女性は四輪駆動車で移動中にショル・アボルに襲撃されて、しばらく周囲を逃げ回っていたのであろう……。
横転した車まであと僅かのところで、ショル・アボルの一体が口から機関銃を乱射した。
「――ウギャん!」
機関銃を背中へ派手に受けて転がる女性――その隙に先回りをしていたもう一体のショル・アボルが側面から女性に襲い掛かった!
「んギャァー!! ――!?」
女性が叫ぶと同時に、襲い掛かって来たショル・アボルの胴体が目の前で真っ二つに切断された。
「――えっ!?」
――そして、女性が驚きの声を上げると同時に、切断された胴体の間から、ヒツジを抱いたライコウが彼女の目の前へ飛び出て来た!
――
「――いっ!?」
女性の目の前で切り裂かれた怪物――その間から出て来た白銀の騎士は、女性を一瞥してすぐに小脇にロボットを抱えたまま右手の剣を前に突き出し、突進してくるショル・アボル二体を指し示した。 そして、瞬く間に怪物たちとの距離を詰めた。
オオカミのような姿のショル・アボル二体は迫るライコウを迎え撃とうと、所々に爛れた肉がぶら下がっている鉄の腕をライコウ目掛けて振り下ろそうとしている――。
「遅いんじゃ! アホ!」
ライコウは叫びながら膝を曲げ、剣を構えた。 ライコウが右手に持つ剣は、二体の怪物を同時に切り裂くには充分な大きさであった。
二体の鋼鉄の爪がライコウの顔に迫る中、ライコウが一瞬で剣を抜きつける――すると、二体の怪物の振り下ろした爪はライコウの顔を掠め、空しく地面を抉った。 そして、そのまま二体は真っ二つになって地面へ倒れ伏したのであった。
剣には酷い匂いをしたオイルが染みついていた。 どうやらショル・アボルの血液のようであった。 ライコウに切り裂かれたショル・アボル達は鉄骨からビリビリと電気を迸らせて、周囲に夥しいオイルを撒き散らし、機能を停止していた……。
剣を一振りしてオイルを振り払い、背中の鞘に剣を収めるライコウ。 そして、後ろを振り向き、呆気に取られている女性へと近づいて行った。
「おい、お主。 大丈夫か?」
ライコウがぶっきらぼうな様子で、その場でへたり込んでいる女性に聞いた。
「……へ?」
女性はまだ何が起こったのか理解が追い付いていないらしい……。 ライコウは小脇に抱えていたヒツジを降ろしながら「大丈夫かって聞いておる……」と再度女性に声を掛けた。
「――えっ!? イヤ、イヤ、大丈夫よん!」
半ば放心状態だった女性はライコウの再度の問いかけにようやく気を取り直して、バタバタと立ち上がった。
そして、慌てた様子で横転している車へ駆け寄り、何やらブツブツと言いながら、車の修理を始めた。
「ふーっ、ひとまずこれで大丈夫だと思うん……」
スパナを持った腕で額の汚れを拭った女性は、唖然として見ていた二人の器械に目を遣った。 そして、ライコウを見て指をさしたかと思ったら、そのまま指をさしながらライコウの前へズンズンと進んでいき、その指でライコウの胸をつついた。
「な、なんじゃ? お主……」
予想外の行動に慌てるライコウであったが、女性はライコウの様子にお構いなく指でツンツンと突きながら叫んだ。
「アンタ! アンタ、ゼルナーでしょん?」
睨みつける女性に目を丸くして頷くライコウ――すると、女性の顔が急に破顔したかと思ったら、女性はいきなりライコウに抱き着いた。
「イヤったー!! ようやく、ちゃんとしたゼルナーに会えたわよん!」
女性は呆気にとられるライコウとヒツジをよそに、喜びながらライコウの手を取って小躍りを始めた。
――
女性の名は『エンドル』と言った。 彼女は地底都市『ナ・リディリ』から物資の補給へ来ていた途中、ショル・アボルに襲われてここまで逃げて来たとの事であった。
ナ・リディリには仲間が二人待っているらしい。 彼女と彼女の仲間達は皆ゼルナーでは無いが、アラトロンをこの手で捕らえて武勲を上げてゼルナーになろうという野心を持っていた。
「――ふーん。 でも、ゼルナーでもない器械じゃ、アラトロンを捕縛する事なんて不可能でしょ?」
白い大地に車座になって座っている三人――エンドルの説明を聞いたヒツジは白い光を目に浮かべながら、エンドルに言った。
「……ふふふん。 バカね、アンタ。 私達にはとっておきの『奥の手』があるのよん」
エンドルはヒツジに対して小馬鹿にした言い方で答える。 ヒツジはエンドルの言葉に動じる様子はなく、相変わらず白い目をして「ふーん」とだけ返した。
「……」
「……おい、そんな事より、お主。 後ろの車でワシ等をナ・リディリに送ってくれんか?」
自慢げに主張した『奥の手』について、特に興味を持って聞かれることもなくサラッと流されてしまったエンドルは、二人に対して若干不愉快に思ったが、ライコウの頼みに何かを思いついたようで、二つ返事で「いいわん」と言って、おもむろに立ち上がった。
「……でも、この子を完璧に治してあげないとん」
いちいち語尾に「ん」を付けるエンドルの言葉遣いに、ライコウとヒツジは鼻白んだが、取り敢えずナ・リディリまで送ってくれると言うので、エンドルが車を修理するのを手伝った。
――ショル・アボルに攻撃されて横転した車はエンジンやらラジエーターやらが破損しており、電気系統もショートして破損してしまっていた。 それでも、応急修理の甲斐あって、車は何とか動くようになった。 車は一見すると普通の四輪駆動車であるが、リアから二本の極太マフラーが飛び出ており、ナイトロのような加速装置を装備していた。
車は三人で乗っても時速400キロ以上で加速するトンデモない代物であったのだ。
「――おお! これであれば、二日もかからずナ・リディリに着きそうじゃ!」
喜び勇んでヒツジを抱え、車に乗り込もうとするライコウ――ところが、車に乗ろうとするライコウの前に、いきなりエンドルが立ちはだかった。
「ちょっと、待ってん! アンタ達、タダで『この子』に乗るつもりん?」
エンドルの言葉にライコウとヒツジが顔を見合わせる。 そして、少し間を置いた後、ライコウは「やれ、やれ……」と言いながら、ヒツジが背負っているランドセルのような箱から何やら四角いブリキの缶を取り出した。
「ほれ、手をだせ!」
ライコウの言われるままに手を差し出すエンドル。 ライコウが缶をカラカラと振ると、エンドルの白い手袋をはめた手に3、4個の黄色いパウダーがまぶされたネジが飛び出て来て、手のひらで転がった。
「なっ、何よ……これん?」
エンドルが不審そうな顔をしてライコウに聞くと、ライコウは泰然とした顔をして答えた。
「ほれ、粉末にした『キャストロ』をまぶした高級アメじゃ。 これ食って、とっととワシらをナ・リディリに連れていけ」
キャストロとは高級オイルの事で、なかなか手に入らない貴重なオイルとして器械に重宝されているオイルであった。 エンドルは思わず目の前のアメを頬張りたくなったのだが、頭を横に振って踏みとどまり、ライコウの驕慢な態度を詰った。
「――何、器械をナメた事してくれてんのよん! こんなモノで私が満足すると思ってるのん!?」
エンドルとライコウの茶番を横目で見ながら、ヒツジが白い目を光らせて思わず口を差し挟んだ。
「――まどろっこしいなぁ。 キミは一体ボク達に何をして欲しいんだい?」
ヒツジの言葉に、エンドルは気を乗り直して「――コホン」と一つ咳払いをして答えた。
「……っえー、何……簡単なことよん。 私達のパーティーにアンタ達も加わりなさいってことよん」
ライコウが眉をひそませ、ヒツジが橙色に目を光らせて、お互いの顔を見た。 すると、不穏な空気を察したのか、エンドルが慌てて言葉を続けた。
「何、アンタ達! 私達は、今はゼルナーではないけど、これからゼルナーになる――いえ、もはや、ゼルナーなのよん! そんな私達がアラトロンの捕縛に協力してやろうっていうのに……有難いと思わないのん?」
なんとも自分勝手な理屈を振りかざすエンドルに、二人は肩を竦めて呆れた様子を見せた。
「……じゃ、ワシらはトボトボ歩いてナ・リディリに行こうかのぅ」
ライコウがヒツジに言うと、ヒツジも「うん」と言って、二人はトボトボと北へ向かって歩き出した……。 エンドルはその様子を呆然と見ていたが、やがて「――ハッ」と気が付いたように車に乗り込み、猛スピードで二人に追いついた。 そして、ブレーキを踏みながら急ハンドルを切り「ズザザザザ――」と砂を巻き上げながら車を横滑りさせ、二人の行く手を塞いだ……。
白い砂ぼこりが舞い上がると、二人は呼吸器に砂を吸い込み「ゲホゴホゴホ!」と迷惑そうに咳をした――。
「ゴホッ――何じゃ、お主は! まだ何か用があるのか!?」
「イヤ、イヤ、イヤ……。 さっきのは冗談よん! アナタたちの力が必要なのよん!」
エンドルはそう言いながら、ライコウの肩をユサユサと揺らす――ライコウは、エンドルの手をペシンと払いのけて答える――。
「何じゃ、お主! ワシらは二人で充分じゃ! 何もお主らの力を借りる必要などない!」
ライコウは砂ぼこりを掛けられ、生意気な口を利かれたことに腹を立て、エンドルの頼みを断った。 自業自得とはいえ困り果てたエンドルは、隣で白い瞳を光らせているヒツジにひしっとしがみついて懇願した。
「――うぇぇ、お願いよん! 私達だけじゃ、きっとあのバケモノに破壊されてしまうわん! アナタたちはこのか弱い仲間を見捨てて……可哀そうだと思わないのん!」
ヒツジは(そんなの、無理してアラトロンにちょっかい出さなきゃいいだけじゃん……)と思ったが、エンドルの泣いているフリがあまりにリアルであったので、少し気の毒になった。
『涙を流すことは、人間の特権です――』
ヒツジはリターの言葉を再び思い出し、少し体の左側が苦しくなった。
「ねぇ、ライコウ――。 カノジョがここまで頼んでるんだからさ、ボク達も協力してあげようよ……」
ヒツジがそう言って慈悲を垂れると、ライコウは「……まあ、お主がそう言うなら仕方ない」とあっさりとエンドルの頼みを受け入れた。
「――えっ!? ホントん!?」
エンドルは泣き落としが通じたことに思わず驚いて叫ぶと、ライコウは「うむ……」と言って、頷いた。
「ただし、その代わり、じゃ。 お主の車を使わせてもらうぞ! お主が車を運転してワシらをナ・リディリに連れていけ」
ライコウがそう言うと、エンドルは「ハイ、ハイ、ハイ! もちろんよん!!」と言って、スキップしながら運転席に飛び乗り――「さあ、早くお乗りなさいん!」と再び偉そうに後部座先を指さして二人に早く乗り込むように催促した。
――
『塩の台地』を抜けると、白い絨毯のような地上から徐々に焦げ茶色の大地へと変わっていった――。 エンドルの運転する車はジェット機のような爆音を立てて、猛スピードで荒野を駆け抜けていた。
「この辺りは、もう『テヴェル古戦場』のはずじゃが……」
ライコウはそう言って辺りを見渡した。
テヴェル古戦場では、所々に大きなクレーターが出来ており、錆び果てた戦車やトラックが焦げ茶色の岩と同化して大きな塊となっていた。 さらには、鉄くずと化した重火器も至るところに落ちており、この地で人間同士が激戦を繰り広げた事が想像出来た。
ライコウはデバイスを起動させ、辺りの様子を調べる――すると、至る所に『注意』というポイントが表示された。 そして、ライコウが手をかざし画面を拡大させると、そこにはハーブリムの『ウサギ』のような小さなショル・アボルが錆びた鉄の塊の周りをちょこまかと動いていた。 さらに拡大してみると、ムカデのような個体、ネズミのような個体など、多くの小さなショル・アボルが生息しているのが確認出来た。
「ここは至る所に小型のショル・アボルが潜んでおるのぅ……」
エンドルは前を向きながら、ライコウに注意を促す――
「小型だからと言っても、凶暴な奴らよん! ここで立ち止まると、たちまち奴らの餌食になるわん! 一気にこの子で突っ切って――」
そう言っているそばから、何だか車の調子がおかしくなった……。 すると、二本の太いマフラーからモクモクと黒煙が上がり始め、やがて火を噴いた。
「ギャー! 後ろから火を噴いたわん!?」
「ええぇー!?」
次の瞬間、エンジンから「ボンッ――!」と何かが爆発する音が聞こえ、たちまち車は速度を落として煙を出して止まってしまった……。
「ど、どうするんじゃ……お主……」
至る所に鉄くずが散乱する不毛の地の真ん中で立ち往生した三人……。 エンドルはライコウの問いかけに「止まっちゃったものは仕方ないじゃん! とにかく、もう一度修理よん!」と言って、車のボンネットを開けた。 ボンネットを開けると一気に火の手があがり、エンドルの帽子を焦がした。 焦げた帽子の鍔は機械の下地がむき出しになった。
「ウギャン――クソっ!!」
エンドルは手に持っていた木目調の杖を炎に向けた。 よく見ると杖の持ち手のあたりに小さなダイヤルとトリガーのようなフックが付いており、エンドルがフックを指で引っ掛けると、杖の先端から勢い良く冷たいガスが噴き出てきた――。
「チッソガスで落ち着きなさい!」
冷却ガスのおかけで火はたちまち消し止められた。 ところが、エンジンは完全に壊れてしまったようで、キーを回しても、アクセルを踏んでも全く反応しなくなった。
「……うそ……完全に焼き付いてしまったわん」
「――アホ! お主、何やっとるんじゃ!」
ライコウがエンドルを怒鳴る。 エンドルは悲しそうな顔で何か言い返そうとするが、ヒツジがエンドルの言葉を遮って、ライコウを窘めた。
「まぁ、まぁ――。 エンジンから火が噴けば消し止めるのは当然の事だよ。 それより、これから先、どうするの?」
「……『どうするの?』って歩いてナ・リディリに行くしかないじゃろ?」
ライコウが不貞腐れながら言うと、ヒツジは俯き加減に「……だったら、ボクが……」と何か言いかけたが、ライコウがヒツジの肩をポンと叩いて言葉を遮った。
「何、ゆっくり歩いて行けばいいんじゃ。 お主が気にする事はない。 元はと言えば、彼奴が悪いんじゃからのぅ」
ライコウはそう言うと、車のボンネットを呆然と見つめるエンドルに目を遣った。 すると、エンドルはライコウの視線に気づかずに、口元のマスクを外し、車に向かって何かつぶやいていた。
「ゴメンね……ん。 無理させちゃって……」
悲しそうな瞳で車に向かって謝るエンドル。
(……あ奴、それほど悪い奴ではないんじゃな……)
ライコウはエンドルの様子を見ながら、エンドルに強く当たった事に対して申し訳なく思った。
すると、ヒツジが急に叫び声をあげて、何か指さした。
「――あっ! ほら、ライコウ! ショル・アボルが一体こっちへ向かって来る!」
ヒツジが指をさす方を見ると、錆び果てたバイクの影からひょっこりとウサギのような個体が出て来て、こちらに向かって走り出している様子が見えた。
「何じゃ、ありゃ? ハーブリムのウサギが何だか小さくなったようで可愛らしいのぅ」
微笑みを浮かべるライコウとは裏腹に目の前に展開しているデバイスには「注意!」という表示がされている。 ライコウはデバイスの表示を見くびって、そのままウサギのようなショル・アボルに近づいて行こうとした。
「あっ! 待ってん――!」
エンドルがライコウを制止しようと叫んだが、時すでに遅く――ライコウがショル・アボルに近づいた瞬間、その小さな体がピカッと光り、『ドッカン!!』という轟音と共に爆発を起こした。
「……ゲホッ、ゲホッ……何じゃぁ、コイツは……?」
白銀の鎧は爆発の煤で真っ黒になり、口から煙を吐くライコウ。 エンドルとヒツジが慌ててライコウの傍へ駆け寄ってきた。
「――ったく。 だから言ったじゃないのよん! ここのショル・アボルは皆、凶暴なんだからん!」
――気が付いてみると、爆発したウサギだけでなく、巨大なムカデやアリと言った昆虫型の個体やリスやニワトリと言った小動物型など、多くのショル・アボルが三人の周りを取り囲んでいた。
「うぇぇ! 彼奴等が一斉に爆発しおったら溜まったモノではないぞ!」
ライコウが叫ぶや否や――ニワトリのようなショル・アボルが、矢庭にクルリと尻を向け、「コケェェ!」と声を上げた。 すると、凄まじい勢いで尻からタマゴ型の爆弾を「ボンボン」と発射した。
「ちぃ、このクソッタレめが!」
放物線を描いてこちらへ飛んでくる複数のタマゴに右手を向けるライコウ。 ガラス繊維のような透明な手袋をはめた左手で右手の腕を抑えると、右手の五指からマシンガンのように銃弾が発射された!
「ダダダダダ――」というリズミカルな音に合わせて発射された銃弾は、タマゴを迎撃しただけでなく、その後方にいたニワトリや巨大なアリの群れも巻き込んで大爆発を起こした。
ライコウは五指の銃弾を乱射して前方の敵を駆逐したが、四方八方から続々と虫型のショル・アボルと小動物型のショル・アボルが迫って来た。
「――ヒツジ! エンドル! 埒が明かん、逃げるぞ!」
ライコウの言葉にヒツジが「でも、このまま逃げても……。 やっぱり、ボクが――」と言いながら、下腹部に手を当てた。
「――安心せい! ワシがお主らを抱えて走る。 ワシの速力はマッハ5じゃ!」
……ライコウの脚はもちろんそこまで速くないが、それでもショル・アボルの大群を置き去りにするには充分な速さであった。
ライコウがヒツジを小脇に抱え、もう一方の腕でエンドルを抱えようとした時、エンドルは煙を出して乗り物としての役目を終えた四輪駆動車に縋り付き、ライコウに懇願した。
「――待って、お願いん!! 最後に『この子』を……この子をこの地に埋めてあげたいのん!」
「バカモン! お主……そんな暇あるか!」
エンドルは消えかかったヘッドライトがゆっくりと点滅している車のボンネットに顔を埋めている。 最後の命の灯がこの消えかかったヘッドライトだとすれば、もはや、この車の命は風前の灯であり、光をゆっくりと点滅させているその姿は、エンドルに別れを告げているようであった。
「イヤ! イヤ! お願いん!!」
そう言って、必死に車にしがみ付くエンドル。 ライコウはその姿を見て何だか体が熱くなったような気がした――。
ライコウは、車にしがみ付き泣き声を上げるエンドルの肩をポンと叩いた。
「……承知した。 お前の優しさ、俺が受け止めた」
「――ヒツジ!!」
ライコウの声色が変わった。 ヒツジはライコウの言いたい事が分かっていたようで、ライコウの言葉を遮り「分かってる!」と叫ぶ――すると、ヒツジの丸い瞳がパカッと開き、なんと、中からガトリング砲が出て来た!
「エンドル! 俺達がお前を護る! その間、お前はその子を弔ってやるが良い!」
――
エンドルが両腕に着けている白い手袋は『パワーグローブ』と呼ばれており、出力を飛躍的に上昇させる機械であった。 エンドルは急いで両手で穴を掘り、そこに自分の愛車を埋めようとしていた。
――エンドルはハーブリムで製造された器械であった。 ゼルナーに憧れ、自分もゼルナーになりたいと夢見て必死になって働き、ようやく『相棒』の四輪駆動車を手に入れた。 そして、相棒と共に一緒にナ・リディリへ旅立ったのだ。
滝を越えるだけで一年かかった。 長いワイヤーを相棒に括り付け、そのワイヤーの先端を持って上へと昇り、上から相棒を引き揚げようとした。 ところが、エンドルの出力では相棒は上がらず、仕方なくエンドルは再びハーブリムに戻り、出力が向上する高価な手袋を購入した。 こうして、ようやく相棒を滝つぼから引き上げ辿り着いた『塩の台地』では、ショル・アボルに襲撃された。 旅を始めたばかりのエンドルでは、小型のショル・アボル一体でも苦戦するほど脆弱であり、三キロ進めば二キロ戻るといった状況で旅は困難を極めた。 相棒と共にショル・アボルの追跡を振りきり、時には故障した相棒を直す為にまたハーブリムに戻ったりもした。
しかし、エンドルは三年の歳月をかけて、ついに、相棒と共にナ・リディリに到着する事が出来たのであった。
エンドルの相棒は意思もなく、感情もない機械である。
ただ単なる乗り物である。
だが、エンドルははっきりと分かっていた。
「『この子』が私を助けてくれた」のだと――。
――ナ・リディリに到着してから今日までの間、多くの試練をこの相棒と共に乗り越えてきた。 エンドルにとって、この車は単なる『乗り物』ではなく大切な『相棒』なのだ……。
その相棒が最後の時を迎えようとしている時に、そのまま見捨てて、自分だけ逃げる訳には行かなかった。
「今までありがとん……」
エンドルはそう呟いて、思いを込めて『この子』の為に穴を掘り続けた――。
――エンドルを庇うように敵を迎え撃つライコウとヒツジ。 すでに近距離まで接近してきているショル・アボル共へ、ヒツジがガトリングガンを掃射する――。 側面から襲い掛かって来ていたウサギの群れは大爆発を起こした。 そして、爆発は周囲に誘爆し、ムカデの大群を木っ端みじんにした。
ヒツジが接近していたショル・アボルを掃討した事で、三人の周囲に少し間隔が出来た。 ショル・アボルの第二波の大群が接近するまで少し余裕があった。
ライコウはすかさず右手の平を開き、前へと突き出す。 すると、手のひらから細い網状のワイヤーが扇のように広がりながら発射された。 ライコウは、まるで、投網のようにその網状のワイヤーを四方に広げ、敵の第二波が来る前にワイヤーの末端を束ねて右足でその束を踏みつけた。
「来たな――」
ライコウはデバイスを起動させ、周囲のショル・アボルの数を把握した。 古戦場でうごめいていたショル・アボルの数は14体――。 土の中で活動している個体を含めると、恐らくまだ相当数のショル・アボルがこの地に生息しているのだろう……。 出来るだけ早くこの場から離れなければならない……。
デバイスのフィールド上には何かが起動しているのか、青色のデジタルメーターが急激に上昇していた。 そのメーターが100パーセントに到達すると、前面に緑色の小窓が割り込んで来て、防護壁を展開した事を告げた。
『防御シールド……アパラトゥス・ムルス……展開完了……』
すると、ライコウとヒツジ、エンドルを取り囲むように青色の光がドーム状に広がった。
――ライコウの正面にはイノシシのような個体が10体、群れを成して突進して来ているのが見えた。 10体とも体を覆っていた被毛が剥げて、金属の体がむき出しになっているところを見ると、かなり古い時代から活動している個体だろう。 イノシシの中には背中に小銃を装備している個体もおり、レーザーのような黄色い弾丸をこちらに向かって打ってきた。
ヒツジが警戒する側面にはトカゲ型の個体がヒツジの目の前に迫って来ていた。 ヒツジのガトリングガンの乱射を巧みにかわし、大口を開けて口の中に装備しているレーザー砲をヒツジに向かって放ってきたが、赤いレーザーは青色の光に阻まれて消失し、ヒツジには届かない。 だが、トカゲ型のショル・アボルは、後ろを向いて硬質な金属で出来た尻尾を振り回し、ヒツジに向けてその尻尾を打ち付けようとした。
「――あっ!」
ヒツジが思わず叫び、身をかがめる――。 ところが、その瞬間、ライコウがヒツジの前に立ちはだかり、トカゲの尻尾を剣で弾き返した。 ショル・アボルは尻尾をはじき返された勢いで90度回転し、赤い目をした機械の顔を正面にさらけ出す――。 ライコウは、すかさず跳ね上げた剣をそのまま振り下ろし、あっと言う間にショル・アボルの首を胴体から切り離した!
首を切られたショル・アボルの体から激しい電流が迸り、爆発が起こった。 ライコウは咄嗟にヒツジを抱きかかえショル・アボルの爆発からヒツジを護った。
「ヒツジ、大丈夫か!」
「うん――それより前のショル・アボル達が『トラップ』を踏んだよ!」
先ほどライコウが地面に張り巡らせたワイヤーの上を、イノシシ型のショル・アボル達がお構いなく踏みつけながらこちらへ向かって来ていた。 そして、その後ろから続いてやって来たハイエナのような外観のショル・アボル3体もワイヤー内に侵入してきた。
「――ちょうど良いタイミングだ!」
ライコウはそう言うと、剣を左手に持ち替えた。 そして、張り巡らせたワイヤーの末端――自らが纏めておいたワイヤーの束へ向かって大きくジャンプし、太いワイヤーの束に向かって剣を突き刺した。
その瞬間、剣から高圧の電気が流れ、ワイヤーを踏んでいるショル・アボル達が一斉に感電し、大爆発を起こした。
――ひと先ずはショル・アボルの猛攻をしのいだライコウとヒツジ――ちょうどエンドルも『相棒』を埋葬し、別れを告げた直後であった。
「二人ともありがとん……」
相変わらず言葉遣いは変だが、エンドルからの感謝の気持ちはライコウとヒツジに充分伝わったようだ。
「――さて、この場所はもうコリゴリじゃ。 早いとこ、この場を離れて……ん?」
ライコウがいつもの口調に戻り、疲れた顔でヒツジとエンドルに話しかけた時、ライコウが起動していたデバイスのフィールドに『警告』という文字が割り込んできた。
『――警告:ショル・アボル=ヨルムンガント 個 -66.3001025,-99.998057 真素中 ……地中を移動中……目標地点 53.201941,119.311461……到着予想 8730.4649M……』
ショル・アボルの情報と共に、どうやって映し出しているのか不明だが地中の映像が表示された。 その映像には、巨大な芋虫のようなショル・アボルが気味悪く体をうねらせながら地響き立てて地中の土を砕き進んでいる様子が映し出されていた。
ショル・アボルは、10メートル以上はあろうかという芋虫の姿をしており、先端には巨大な口がぽっかり開いていた。 口はまるで溶鉱炉のようであり、口の奥は真っ赤な液体が煮えたぎっていた。
丸い口の外周には牙のようにとがった金属の棒が等間隔にぐるりと刺さっており、一本一本がドリルのように回転していた。
体は一見軟体生物のように見えるが、硬質な金属で造られており、産毛のような毛が生えた人工皮膚からは絶えず黒い瘴気を発していた。 その瘴気が周りの土に触れると、その土が泥のように溶け、その泥を大口で飲み込みながらショル・アボルは地中を掘り進んでいたのであった。
ショル・アボルはどうやら南西の海底から塩の台地付近まで進んできたようで、幸いハーブリムとナ・リディリのある方向から逸れて、そのまま北東へと進んでいた。
だが、いつ気が変わってこちらに進路変更して来るか分からない。 今はちょうど塩の台地の真下を進んでいたので、こちらへ近づいて来る前にテヴェル古戦場を離れる必要があった。
「ライコウ――! 厄介なショル・アボルが近づいて来ているようだね!」
ヒツジもショル・アボルの接近は把握していたようで、ライコウと同じく「早く、この場から離れよう」と促した。 とは言え、ライコウはもうヒツジを乗り物へと変形させたくはなかった。
「……うむ。 そうじゃの。 だが、このまま歩いて行くと追いつかれる。 かくなる上は――」
ライコウはそう言うと、いきなりヒツジとエンドルを両脇に抱えて走り出した。 ヒツジはこのスタイルに慣れていたが、エンドルは初めての体験であり、ライコウに抱えられながら、奇声を上げて暴れていた。
「ギャァァ! アンタ、離しなさいよん――!」
ライコウの腕に噛みつきながら叫ぶエンドル。 ヒツジは大人しく黄色い瞳を光らせてブランと四肢を脱力して抱えられていた。
「やかましい! お主らと一緒に歩いていると何日かかるか分からん! ワシの速力はマッハ3じゃ!」
「――んな訳、無いじゃないん!!」
ライコウの冗談も通じずに「ギャーギャー」と騒ぎながらも、二人はライコウに抱えられながら、ようやくテヴェル古戦場を抜け出したのであった。
――
テヴェル古戦場を抜けると、前面に空高く聳える高い岩山が見えてきた。 その岩山の麓にナ・リディリへの入口はある。 ライコウ達は岩山の麓へ向かう途中の『鉄の樹海』という名の不思議な場所で野宿をしていた。
鉄の樹海はその名の通り、鉄製の巨大な棒が至るところに設置されている奇妙な場所であった。 マザーの記録では、はるか昔に人間が何かの施設として利用していたようだ。 その鉄製の棒は微量ながら放射線を放っており、恐らく何かの軍事施設か、発電施設として利用していたのであろうとの事だが、マザーのデータベース内の記録でも詳細は分からなかった。
そんな鉄の棒が立ち並んでいる場所に焚火を囲みながら、ライコウとヒツジ、そしてエンドルが雑談をしていた。
「――ところで、アンタさ、何で変なしゃべり方するのん? 普通にしゃべればいいじゃないん」
エンドルは、両足を思い切り伸ばして大きな石の上に座っており、ライコウに開けっぴろげな言葉を放ち、金色のクッキーのような形をした金属を小さい口に放り込んだ。 焚火を挟んでエンドルの正面に胡坐をかいて座っていたライコウは、鉄仮面をすぐそばの小さい石の上に置き、杏子眼の色黒の顔に呆れた表情を浮かべてエンドルに言い返した。
「あのなぁ、お主……。 変な喋り方をしているのはお主の方じゃろ……」
すると、ライコウの隣にチョコンと座っているヒツジがライコウをフォローしようと言葉を出した。
「ライコウはこの話し方が気に入っているんだよ。 なんでも、『サムライ』という人間の戦士がそういう言葉づかいで話していたそうなんだけど……。 ボクの……いや、マザーのデータベースではサムライと呼ばれた人間は、もうちょっと複雑な表現を用いていたと記録されてるんだよね。 そもそも、ライコウみたいに自分の事を『ワシ』なんて言わなかったようだし」
ヒツジの言葉はライコウのフォローになってなかったようで、ライコウはふくれっ面をして、「余計なお世話じゃ!」と言って、皿に盛られたオイルソースのかかったスチールウールをモシャモシャと食べ始めた。
「まあ、別に良いけどねん。 ただ、普通にしゃべっている方がカッコいいと思っただけよん♪」
ライコウはエンドルの感性に共感が持てず、この話し方こそが自分の中で一番『カッコいい』と思っていた。 ただ、エンドルに悪気が無い事は分かっていたので、そのままムスッと食事をしながらエンドルの雑談話を聞いていた。
「――それはそうと、アンタ達。 テヴェル古戦場には何であんなに戦車とか武器の残骸が多いか知ってるん?」
エンドルは自分の持つ知識をひけらかそうと、ドヤ顔をしながらライコウとヒツジに聞いた。
「そりゃ、お主……あの場所で人間同士が戦争をしておったからじゃろう。 数百年は続いたと聞いていたが……」
ライコウがそう答えると、エンドルは少しムッとした様子で「全然違うわよん、バカ!」と言い放ち、話を続けた。
「そんな事、人間様がする訳ないじゃないん! あそこはね、人間がこの星を護るために、恐ろしい『蛇の化け物』と戦いをした聖地よん! 伝説の場所なのよん!」
ライコウはヒツジの顔を見て、首をかしげた。 エンドルはライコウの様子にお構いなくさらに話を続ける――。
「――マザーの記録だと、結局、人類はその『蛇の化け物』と相打ちになって絶滅したってことになっているけど、実は『最後の生き残り』をマザーが守護しているのよん。 私達はマザーと一緒に、その最後の生き残りの人間様を『この星の希望』として守り抜いて、人間様の為にショル・アボルとマルアハを滅ぼさないといけないのよん! 分かるん?
まあ、アンタは見た感じ、勉強するようなタイプじゃないから『人間同士の戦争』だなんて、誰から聞いたか分かりゃしない妄言を吐いてるけど、人間様がそんな事する訳ないじゃないん! マザーのデータベースにはそういう記録があるんだからん。 まったく、ちゃんと勉強しないとダメよん……」
ライコウはエンドルの説教を聞いて、目を丸くしてヒツジの顔を見た。 ヒツジは緑色の目を光らせながら、ライコウに向かって小さく頷いた。
ライコウは、ヒツジが何を言いたいのか何となく分かったので、エンドルの話を「……そっ、そうじゃのぅ……。 ワシも勉強しようかのぅ」などと肯定するフリをして話を流した。
――その後、エンドルは一人で自分の趣味や好みのタイプの器械等、聞いてもいない事をしゃべくり倒した。
暫くして、エンドルは話疲れたのか、石に座りながら両手を組んで前に腕をグッと出して大きく伸びをした。 そして、激しく雲が暴れまわる夜の空を見上げながら悲しそうな顔をして呟いた。
「……あの子には随分と無茶させちゃったわん。 もうそろそろ、キツイかなって思って覚悟はしていたけど……。 でも……いざ、いなくなっちゃうと後悔するものねん……。 もちろん、エンジンを乗せ換えれば、あの姿で走る事は出来たのかもしれない。 でも、私にとってはエンジンを乗せ換える事は新しい子を迎える事と同じなのん……だから、お別れを……。
けど……だけど、本当にそれで良かったのかどうか……」
ライコウは寂しそうに空を眺めるエンドルを見て、エンドルが心優しい器械である事を確信した。 話し方は変であり、少々利己的なところがあるが、ヒツジの言う通り、エンドルに協力してあげようという思いが強くなった。
「お主の判断は間違ってはおらん。 あの子もきっと喜んでいる事じゃろう。 お主が最後まで看取ってくれてな……」
ライコウがエンドルを慰めるとエンドルは「うん……ありがとん」と言って、俯いたかと思ったら、また顔を上げて大きく伸びをした。
「うーん、さぁ、そろそろ寝ましょうか――。 もう少し歩けば、ナ・リディリへの出入口に着くわん。 ただ、出入口はショル・アボルに侵入されないように、常に金属を腐食させる毒ガスが噴射されているから気を付けてねん」
エンドルの話を聞いて、ライコウは、ふと、エンドルがナ・リディリに二人の仲間を待たせていると言っていた事を思い出した。
「そういえば、お主。 仲間が二人おるって言ってたが、その仲間とやらはどんな性能をしているのじゃ?」
エンドルはライコウの問いに、含み笑いを浮かべて自慢げに答えた。
「ふっふっふっ……。 私が言っていた『奥の手』というのが、その二人の事よん」
「奥の手? そんな事言っとったかのぅ――」
ライコウがヒツジの顔を見ると、ヒツジも『そんな事聞いた記憶はない』とばかりに肩を竦めた。
「――まったく、アンタ達はまるで私の話を聞いてないのねん!」
エンドルは二人の反応を見て腹を立てて「そんなもんは、二人に会って教えてもらいなさいよん、もう!」と言って、不貞腐れてしまった。
「まぁ、そう怒るな――さて、ワシも『マナス』を回復させるから、お主も大人しく寝ておれ」
エンドルがいきり立つのを軽くいなしたライコウは、焚火の前でゴロリと横になった。
――
ヒツジはライコウとエンドルの間に挟まって横になっていた。 横になりながらエンドルの顔を見ると、エンドルは相棒の車の事を思い出していたのか「今までありがとん……」と言いながら、今にも泣きだしそうな悲しげな顔をして眠っていた。
(ボクたち器械は涙を流す事はない……。 涙を流す機能なんてそもそも不要なものだから? でも、涙を流す事が出来ない事がこんなにも苦しいのなら……ボクは……)
器械に感情を持たせたマザー、すなわち、リターは、器械に利他的な感情をもたらした。 それは、他人の不幸を悲しみ、涙する感情であるはずなのだが、器械達は人間とは違い、涙を流す事が出来なかった。 リターはヒツジの言うように涙を流す機能が不要であるという考えは無かった。 だが、結果として器械に感情を持たせても、器械は涙を流す事が出来なかったのだ。
器械が涙を流す事が出来ないのは何故か?
それは、器械が『アニマ』という『魔女』の心臓を利用した装置によって感情を与えられたからである。 人間から『魔女』と呼ばれた者達は、涙を流す事が出来なかった。 そんな者達の心臓を利用した装置によって器械達は感情を与えられているのだから、涙を流す事が出来ないのは当然であった。
リターの言葉――『涙を流す事は人間の特権です』という言葉の本質はそこにあった。
――つまり、器械にどんな技術を使おうとも、器械は創造主たる人間にはなれないのである。
だが、リターはライコウに対して、全てのマルアハを消滅させればライコウを人間にするという約束をした。
リターは器械が人間になる事など出来ない事を知っていて、ライコウにウソを付いたのであろうか? それとも、マルアハを消滅させる事によって、器械を人間にする事が出来るようになるのであろうか?
ヒツジにもリターの真意は分からなかった。
――ヒツジはムクリと起き上がり、ライコウの顔を覗き込んだ。 ライコウはエンドルに背中を向けて、幸せそうな顔をして熟睡している。
「……あの時……『お母さま』がなんで血の涙を流したのか……ボクは何となく分かったような気がするよ……」
ヒツジはそう呟くと、ライコウの正面に周り、ライコウの隣で横たわった。 そして、ライコウの胸に顔を埋めた。 青い光を称えていたヒツジの目が徐々にピンク色に変わって行き、ヒツジはそのまま眠りについた――。