猫と戦車 -1-
――ライコウ、ヒツジ、イナ・フォグの三人は、途中ベトールの襲撃に遭いながらも、なんとか地底都市『アイナ』へ到着した――
「――アイナは隣接している『バハドゥル』と南にある『ディ・リター』に物資を運ぶための拠点なんだ」
ヒツジの説明では、アイナからそのまま地上へ出る事は禁じられており、東に位置する『バハドゥル・サルダール』という都市を経由しなければ、地上へは出られなかった。
だが、禁じられているとは言え、出入口に守衛がいる訳ではないし、バリケードが張られている訳でもない。 自由に出入りができて、しかも、罰則すらなかった。
それでも、アイナの市民達はハギトを恐れて地上へ出る事は殆どなかったのである。
バハドゥルに行けば、地上への出入口は『監視塔イル』と呼ばれる要塞に囲まれ、戦車などの大型車両が出入りできる。 しかも、ハギトの縄張りとは距離が離れており安全だ。
『監視塔イル』から東に行けば『監視塔イリン』があり、その先はマルアハ『ファレグ』の縄張りがあった。
監視塔イルと監視塔イリンの間は、唯一ショル・アボルが駆逐されたエリアだ。 バハドゥルのゼルナー達がこのエリアのショル・アボルを全て駆逐したのである。
その為、バハドゥルのゼルナーはエクイテスのゼルナーと肩を並べて『エリート』と称され、プライドが高い。
そのプライドの高さ故なのか選民意識が非常に強く、温和なエクイテスのゼルナーとしばしば小競り合いを起こしていた。
――
鉄塔の最上階から螺旋階段を降りて、地底都市の中心へと向かう三人――。 階段は錆びだらけでいつ崩れるか分からない程に老朽化していた……。
その様子を見ると、この地上への出口は殆ど誰も使用しておらず、ヒツジの説明通り、専ら地上へ出る者はバハドゥルを経由している事が窺えた。
――ようやく螺旋階段を降りきった三人は、そのまま地底のネチャネチャした泥が広がる道を歩いて、中心街へと向かった。
イナ・フォグは裸足なので、足が泥に浸かるのを嫌がり、白い翼をパタパタとはためかせて宙に浮いて進んでいた。
中心街へと進む三人の眼前にはハーブリムよりも小さな町工場が犇めき合っており、工場の中では忙しく作業用機械達が仕事をしている姿があった。
狭い泥だらけの道には三輪バイクや軽自動車が猛スピードで疾走しており、道を通るだけでも命がけの混沌とした様相を呈していた。
「なんだか、エライ雑然とした街じゃのう……。 ハーブリムもパイプだらけであまり美しい街並みとは言えんが、ここは輪を掛けて騒がしいのぅ」
工場は排水を垂れ流しており、道はヘドロのようにぬかるんでいる。
そのヘドロをはね散らかしてバイクやら車が走り抜けるものだから、道を通る者は常に洗浄機を持参している始末であった。
「これじゃ、服が汚れてしまうわ……」
イナ・フォグは工場から出る臭気に鼻をつまみながら、鼻声で「アラフェール・ライラ……」と呟いた。
三人の周りが薄い紫色の霧に包まれると、目の前を通り過ぎる車が跳ねた泥は三人に引っかかる前に霧に包まれて消えてしまった……。
「フォグが使うスキルとやらは便利なもんじゃのう! 工場から出るイヤな匂いもこの中にいれば全くせん――」
ライコウは清々しそうに薄い霧に包まれながら鼻をクンクンとさせた。
――そんなライコウの横で、ヒツジは瞳を白い光に変えてピコピコと点滅させながら、何やら辺りをキョロキョロと見渡している……。
「ヒツジ……。 お主、何やっとるんじゃ?」
ヒツジの様子がおかしいことに気が付いたライコウが訝し気にヒツジを見る――
ヒツジは「うん……。 デバイスでボクがアイナへ向かう事を事前に知らせていたヤツがいるんだ……」と答えながら、なおも白い光を点滅させた。
――すると、前から一台の泥だらけの軽トラックが見えて来た。
軽トラックはヒツジが発する白い光に気が付いたようで、ライトをしきりにパッシングしながらこちらへ向かってくる……。
そして『ブォォ――!!』とけたたましい音を上げながら、全く減速する様子もなく――いよいよ、ライコウ達の目の前まで突進してきた――!
「――うぉ! アブな――ぶつかる!」
ライコウは腰に佩いた鉄の刀に手を掛けた――
――と同時に、軽トラックは手前でブレーキを踏み、横滑りしながらライコウ達三人に向かって豪快に泥を跳ね飛ばしつつ――そのままバランスを崩して派手に横転してしまった……。
「――コラァ! ミヨシ、キミは一体何やってるんだよ!」
勢いよく転がり泥だらけになった軽トラックに、ヒツジが赤い瞳をピコピコ光らせながら、両手を上げてプンプン怒った。
「……ミヨシ?」
イナ・フォグがヒツジの様子を見て首を傾げる――。
すると、軽トラックは「いてて……」と呻きながら、側面の囲いに装着されているアームで器用にも自立して、丸い二つ目のライトを光らせてゆっくりと三人の傍へ近づいてきた。
「すいません……。 ヒツジと会うのが久しぶりだったから、つい……」
軽トラックはどうやらヒツジと同じく光で感情表現をするようで、今度はピンク色の光をうっすらと点滅させながら、恥ずかしそうにアイドリングを下げた。
「ヒツジ……コイツは……?」
ライコウがそう言って、ヒツジの前に出た瞬間――
「――あぁ! アナタがライコウ様ですか!」
と軽トラックは興奮した様子で黄色いライトを光らせながら、アクセル全開でライコウに突進してきた!
「――うぉ! 何じゃお主は! やっ、止めんかっ!」
ライコウは両手で軽トラックのフロントフェイスを慌てて押さえつけた。
どうやら、突進するのが軽トラックなりの愛情表現のようであった……。
――
軽トラック型の器械は型名を『0X158-ST』と言った。
恐らく『ミヨシ』と言う名は型名から取ったあだ名であろう。 ヒツジだけでなく、他の器械からも彼はミヨシと呼ばれていた。 あの『嘘つきアル』も正式な型名が存在し、当然ライコウとヒツジにも型名が存在する。
だが、デバイス上ではアルは虚偽の型名が表示されており、ライコウとヒツジに至ってはそもそも型名すら表示されないという珍しい器械であった。
――ミヨシは誰がどう見ても軽トラックであった。 ただ、普通の軽トラックよりは機能性に富んでおり、かつ、武器を積んだ物騒な軽トラックであった。
ボディーは泥を被ってこげ茶色になっているが、洗車をすれば真っ白のボディーカラーだという事が分かるはずだ。
フロントガラスは内側へ30度くらい『くの字』に曲がっており、少し飛び出たフロントフェイスには丸いヘッドライトが左右に二つくっ付いている。 左右のヘッドライトの間には、エアコンの通風孔のようなフロントグリルが付いていた。
フロントルーフには三連装機銃が装備されており、特殊な電波を受信できるドアミラー型のアンテナも左右に装備されていた。
後ろは荷台になっており、荷台にはしっかり金具で固定された小型のカノン砲が積まれていた。 どうやら、砲台の隣に設置されている排出口から内部に貯蔵している砲弾を吐き出しカノン砲に装てんする仕様であるようだ。 排出された砲弾をカノン砲に装てんする役割は荷台の囲いに装着されている伸縮式のアームが担っており、このアームは車体が横転した時には自動的に伸びて自立させる事も出来た。
「……面目ないです。 貴方がライコウ様だと知ってつい興奮して……」
ミヨシはヘッドライトを下に照らし、反省した様子を見せていた。
しかし、すぐにヒツジの顔へライトを照らすと、途端に怒り出してヒツジを詰った。
「――大体、ヒツジがアタチに『これからアイナへ向かう』と連絡をくれた時から一体何カ月経っていると思ってるのです!?
ハーブリムからアイナまでせいぜいどんなに遠回りしても、6000キロ程度――一体、何処でアブラ売ってたんですか!」
そう言うと、ミヨシはチカチカとヘッドライトを点滅させて、プルプル車体を震わした……。
「アタチはヒツジの事が心配で、心配で……。 夜は寝たけど、昼寝も出来ずにずっと待ってたんですよ……。
だから、ヒツジの元気な姿を見て、アタチは――」
ミヨシはそう言うと、再びエンジンを吹かし始めてライコウに向かって突進する素振りを見せた。
「――うゎっ、やめい! 何故、ワシに突撃しようとする――!?」
慌ててライコウがミヨシを制止し、不可解な様子でヒツジに目を遣った。
「の……のぅ、ヒツジ、こ奴はそんな事言っておるが、ハーブリムからここまでおよそ三カ月弱の道のり……普通このぐらいかかるんじゃないのか?」
ライコウの問いにヒツジも「……うん……」と同意するが、なんとなく腑に落ちない感じで橙色の瞳を点滅させた。
「なぁに言ってるんですか!? かかっても、せいぜい一か月じゃないですか!
さては、ライコウ様――貴方がそこにいるオンナノコとイチャイチャしてたから遅くなったんじゃないんですか!?」
ミヨシは興奮してあらぬことを口走り、イナ・フォグに向かってライトを光らせた。
ライコウは、ミヨシが何を言っているのか分からずに唖然としていたが、イナ・フォグは何故か顔を赤くして「――そんな事してないわ!」と恥ずかしそうに叫んだ。
ヒツジはミヨシの指摘に困惑し、デバイスを起動させた。
すると、何故か体内時計の同期処理が止まっており、時計が随分と遅れていた事に気が付いた……。
「あれ? なんか同期が停止してた……。 そのせいでボクらは時間が遅く感じて、必要以上にゆっくりと進んでいたんだね……たぶん」
ヒツジとライコウは時刻の同期をし直した。 ミヨシは不貞腐れていたが、二人は何が問題なのか良くわからず、この件については「まあ、結果的に着いたんだから良いじゃないか」という事でサラッと水に流した。
――器械にとって体内時計が狂う事は重大なエラーである。 処理のタイミングは全て時間によって管理されているからだ。 そんな重大なエラーをさもよくある事とばかりに受け流すライコウとヒツジには違和感を抱くし、何故、体内時計が狂ったのかも分からない……。 イナ・フォグは何か知っているようだが、何も答えなかった。
それは、特に答える必要もない些細な理由であるからか……。 それとも、答えたくない別の理由があるからなのか……。
イナ・フォグの様子を見ても悪意を持って隠している訳ではない事は間違いないので、恐らく前者の理由ではないかと想像されたが、この一件からイナ・フォグは『マスティール・エト・エメット』を多用しなくなった。
――
都市の中心は、ガラクタを積み上げた小屋やトタン張りの長屋が軒を連ねていた。 その反面、中心から離れた東に見える高層マンションや高層ビル群は、ガラス張りのビルであったり、大理石のようなピカピカのマンションであったりと、華やかで高級感があった。
この高層エリアはバハドゥルから移住してきたゼルナー達の居住エリアであった。
バハドゥルの市民とアイナの市民との間には、激しい貧富の差と明確な身分差別があったのだ。
――というのも、もともと、アイナの市民は殆どがバハドゥルで製造された器械であり、性能評価の低い器械がアイナへと移転し、性能評価の高い器械がそのままバハドゥルの市民となっていたからである。
バハドゥルには世界で三体存在するマザーの内、一体がいた。
バハドゥルのマザーは市民の中で特に性能の良い者をゼルナーにしていたが、決して、市民を差別していた訳では無かった。 性能評価の良し悪しに拘わらず、製造された器械がどの都市へ移動しようが制限は無かったし、性能が低い器械もバハドゥルで生活してはいけないという法律など無かったのである。
ところが、器械達の自主性を重んじているマザーの意向をいいことに、いつの間にかバハドゥルのゼルナー達が勝手に市民の選別を行い、性能の低い器械をバハドゥルから追い出し始めた……。 そして、ゼルナーをアイナに派遣して、まるで、アイナをバハドゥルの属領のようにしてしまったのである。
こう見ると、アイナの美しい高層エリアの街並みなど、バハドゥルのゼルナー達の虚栄心と差別意識の写像に過ぎず、汚い街並みであるアイナにおける最大の『汚点』であると言えた――。
――ミヨシは三人を連れて、かねてからヒツジに頼まれていた宿へ案内していた。
「うぇ……。 酷い場所じゃのぅ……」
先ほどの泥に塗れた工場エリアよりもはるかに汚い中心街は、そこら中に悪臭を放っており、道行く器械は皆ガスマスクをするか、嗅覚センサーを遮断していた。
道路は一応舗装されていたが、ところどころに大きな穴が開いていたり、稲妻のような大きな地割れが入っていたりとまともに通行できるような道路ではなかった。
酒場や商店は住宅より酷い有様で、さながら屋台や露店のようであった。 酒場は粗悪なガソリンを提供しており、商店は怪しげな部品や武器を売っており、しばしば客と店員との小競り合いが起きたり、車両が店に突っ込んだりと混沌とした様子であった。
だが、ライコウにはそんな貧困を絵に描いたような街でも、道行く器械達が皆活気に満ちているように見えた。
イナ・フォグは翼を広げてフワフワと浮いており、市民達の注目を集めていた。
軒を連ねる露店のような雑貨屋はイナ・フォグをみるや手招きして呼び寄せ、あれやこれやと巧言令色を並べてイナ・フォグに商品を買わせようとした……。
イナ・フォグは物珍しさに立ち止まっては、ライコウとヒツジに手を引っ張られて後ろ髪を引かれるように二人の後ろについて行った。
ミヨシは三人を先導してトロトロと道路を走っており、時々後ろから車やバイクに煽られたりしていたが、本人は泰然自若と道路の真ん中を進み続けていた……。
――
ミヨシが案内した先は、年代物の錫の合金で造られた大きな平屋であった……。
平屋の脇には厩のようなガレージが増築されており、そのガレージの中には燃料タンクや充電器などが置かれていた。
「バッちゃん――! 開けてよぅ!」
平屋の閉じられた引戸の前で、ミヨシがクラクションを鳴らしながら叫ぶ――。
すると『ズズズ……』と建付けの悪い扉が重そうな音を引きずって開き、中から瘦せこけた老猫がノソノソ出てきた……。
その猫型の器械はみるからに老朽化していた……。
顔を覆う人工皮膚は摩耗して皺だらけになっていた。 銀色の人工毛は所々抜け落ちてあちこちケバ立っており、その体裁を隠すように小豆色の半纏を羽織っていた。
緑色の目は右目だけまだビー玉のようなきれいな瞳をしていたが、左目は人工膜が剥がれてカメラレンズがむき出しになっていた。 そのカメラレンズもすでに耐用年数は過ぎているようで焦点が合わないのか、補正用の眼鏡型の機械を掛けていた。
痩せている割にはポッコリと膨らんだお腹は、元はツヤのある綺麗でスリムな白い腹だったと思われたが、今や毛もすっかり抜けて黒ずんでいた。
丸い尻尾も腹と同じくすでに被毛が剥げて、完全な機械の尻尾と化していた。
「……おや、おや、ミヨシ、お友達を連れてどうしたんだい?」
穏やかな声で三人に視線を向ける猫型の器械――ヒゲは重力に抗えずくたびれた穂先のように垂れ下がっていた……。
「バッちゃん! このヒトがバッちゃんにずっと言っていた英雄さ――!」
ミヨシはそう言うと、わざわざ振り返らずにストップランプを巧みに操って、ライコウに向かって赤い光を照らした。
「おや、おや! 貴方様がかの有名なライコウ様でいらっしゃいましたか! こんな足場の悪いところまでわざわざいらして……。 ミヨシがいつもお世話になっております」
猫型の器械はライコウの事をミヨシから聞いていたようで、もともと曲がっている腰をさらに深々と曲げて丁寧なお辞儀をした。
「は、はぁ……。 いや、それほど世話はしておらんのじゃが……」
ライコウは先ほど初めて会ったとは言えずに、はにかんだ笑みを浮かべて後ろ手に頭を掻いた。
「それはそうと、バッちゃん! ヒツジ達がアイナに着いたら宿を借りたいって……バッちゃん、家に泊まらせてあげてよ!」
ヒツジはハーブリムからアイナへ向かう時にデバイスを使ってミヨシと通信し『アイナへ着く前に宿を探してほしい』と依頼していたのであった。
ところが、ミヨシはヒツジがなかなかアイナへ到着しないので、その内依頼をすっかり忘れてしまって、仕方なくミヨシの自宅へ三人を泊まらせる事にしたのであった……。
――そんなミヨシのポカにヒツジは白い瞳を光らせてミヨシをジトッと見つめていたが、ライコウは「ほぅ! こんな立派な家に泊まらせてくれるとはありがたいのぅ――!」などとお世辞だか本音だか分からないような口ぶりで爽やかな笑顔を見せ、猫型の器械の前へ歩み寄り、優しく手を取った。
「ほほほ……。 貴方様は不思議な言葉をお使いになりますね……まるで……そう、トコヨの人間様のような……」
猫型の器械が微笑むと、ライコウは「そうじゃ、ワシはトコヨのサムライ様に憧れておるんじゃ! もしかして、婆さん――トコヨの事を詳しく知っておるのか?」と目を輝かせながら聞いた。
「――人伝てで聞いた昔話ですわ……。 私はそんなに詳しい話は存じていませんよ」
猫型の器械がそう謙遜すると、ヒツジがライコウの横から「あのさぁ……詳しくなければ話す必要ないんじゃない……。 それより、キミ……しばらく、この家を宿として使わせてもらうから」と橙色の瞳を光らせながら、つっけんどんな言葉を吐いた。
ヒツジの態度にライコウは少しムッとした様子で「こりゃ、ヒツジ! お主、何失礼な事を――!」と怒ったが、猫型の器械は「――もちろん、喜んでお貸ししますわ。 しばらくの間、ご自由に出入りして頂いてかまいません」と言ってライコウの言葉を遮り――ライコウの腰に手を添えて、部屋の中へと案内した……。
ライコウが猫型の器械に促されて部屋の中へ入って行く様子を訝し気に見つめるヒツジ……。
すると、イナ・フォグがヒツジの様子を気にして、後ろからヒツジをギュッと抱きしめた。
「ヒツジ、どうしたの?」
イナ・フォグが優しく囁くようにヒツジに聞くと、ヒツジは「……うん……」と言ったままなかなか言葉を出さない……。
すると、イナ・フォグはヒツジの頭を撫でながら、なおも優しく囁いた。
「……お母様はヒツジの味方よ。 アナタが何を考えて、どう行動するかはアナタの自由――
アナタがどんな秘密を抱いていてもね……」
イナ・フォグはヒツジが『特別な器械』である事を知っていた。
ヒツジが自分の知らないライコウの秘密を知っていることを……。
だが、イナ・フォグはライコウだけでなく、ヒツジもまた信頼しており、愛していた。
だからこそ、イナ・フォグはヒツジの記憶を無理に引き出そうとせずに、いつか自分に話してくれるまで見守っていたのである。
ヒツジもそんなイナ・フォグの偽りのない愛情を感じており、イナ・フォグに自分の秘密を打ち明ける事が出来ない事を心苦しく感じていた。
「フォグ……ごめんね。 ボクは『もしかしたら、あの器械が過去のトコヨの事を知っているかも知れない』と思って警戒したんだ……」
ヒツジが『過去のトコヨ』を知る者に対して何故警戒するのか分からなかったが、イナ・フォグは頭を振って「心配いらないわ……」とヒツジを宥めた。
「トコヨが滅びたのは1000年も前の話――。 それにトコヨの記録の殆どは『アイツ』によってアクセスが制限されているわ……。 アナタが知られたくない秘密をあの器械が知っているとは思えない……。
それに、もし、あの器械が全てを知っていて、それをライコウに話そうとすれば――
私があの器械を破壊するわ――」
イナ・フォグとヒツジの後ろに控えていたミヨシは、二人がなかなか家へ入らない事にイライラしながらライトをしきりにパッシングしていたが、このイナ・フォグの恐ろしい言葉は聞こえていないようであった……。
「――ちょっと、何やっているんですか! 早く家へ上がってください!
貴方達がそこにいるとアタチが部屋に入れないんです!」
イナ・フォグとヒツジは平屋の脇にあるガレージの出入口をちょうど塞いでいた。 ミヨシが二人に催促すると、イナ・フォグはヒツジを抱きかかえた。
ヒツジはミヨシに向かって「ああ、ゴメン、ゴメン……」と手を上げ、二人はライコウの後を追って家の中へと入って行った。
ヒツジはイナ・フォグに抱かれながら、ココロの中で呟いていた……。
(……ありがとう……『お母さま』……)
――
猫型の器械は型名を『L-I06』と言い、皆からは『ライム』と呼ばれていた。
ライムは稼働してからおよそ108年経過していた――つまり、現在108歳であった。
本来、老朽化した器械は稼働から80年経過すると、マナスを結合する装置『アニマ』が老朽化し、マナスが四散して爆発する危険があるので廃棄処分にされる。
その時、器械の記憶はマザーの記憶装置に転送されて、器械が80年の間に経験した事はデータとして蓄積され、今度の器械製造に役立つ情報となる。
だが、ライムの体内に設置されているアニマはある事情により全く老朽化しておらず爆発の危険性が無い為、ライムは廃棄処分されずに生きながらえているのであった。
ライムの家に上がったライコウ達三人は中央の居間に案内され、そこで食事を振舞われた。 ミヨシは家の中へは入れないので、自分の部屋として使用しているガレージでくつろいでおり、皆との会話はデバイスを経由して行っていた。
居間は掘りごたつの様な機械式の暖房機の上に、古めかしい木目調のテーブルが置いてある田舎風の部屋であった。 テーブルにはネジや釘やら入っているオイルスープや、マグネシウムを固めた三角形の固体に海苔のような薄い金属を貼りつけたオニギリの様な食べ物が置いてあり、三人はテーブルの上の食事に舌鼓を打ちながら、ライムの話を聞いていた。
「――トコヨの事は私も詳しくは知りません。 何せ、もう1000年も前に人間様だけでなく、生物すら滅びてしまったのですからねぇ……。
ただ『トコヨの事を良く知っている』というゼルナーが私の家を訪ねていらした時に1000年前のトコヨについて色々と教えてくださいましたの。
その方は、私が80年以上も稼働し続けている理由を聞きたかったそうで、私が詳らかにその理由をご説明申し上げましたら『そのお礼』という事で、トコヨなど色んな都市について教えてくださいました」
ライコウの隣でライムの話を黙って聞いていたヒツジは『トコヨの事を良く知っている』と嘯いた者の正体を想像していた。
恐らく、ヒツジの想像通り、その正体は『嘘つきアル』であろう……。
アルはアイナで『理想郷を見た』と放言して回り、警察に逮捕された。 アルがアイナに滞在していた時にライムの家へ訪ねて来た可能性も有る事は想像に難くなかった。
ヒツジは自分の憶測をあえてライムには言わずにそのまま黙って、ライムの話に耳を傾けた――。
「――当時のトコヨは『ジングウ』という国と『ヤマタ』という国で争っていたそうです。 いずれの国も人間様が治めておりまして、ライコウ様と同じような言葉をお使いになっていたと聞いております」
ライムはそう言って、向かいに座るライコウに微笑みかける――。
「――うむ! ワシはトコヨで暮らしていた人間の戦士に憧れて、同じ言葉を使っておるのじゃ!」
ライコウは偉そうに腕組みをして自慢げに言葉を返すが、ヒツジは(トコヨの人間はそんな話し方しなかったと思うよ……)とココロの中で突っ込みを入れて、瞳を白く光らせた。
――ここまでのライムの様子を見ると、ライムは(恐らく)アルにトコヨについての差し障りの無い話を聞いただけで、ヒツジが思っているよりもずっとトコヨに関する知識は浅いようであった。
ライムは『トコヨは1000年前まで人間が統治していたが厄災と呼ばれる災害で滅びてしまったという事ぐらいしか知らず、トコヨが原因で厄災が起こった事については全く知らない様子であった――。
――
こうして、ライコウはライムからトコヨについて期待していたほど詳しい話を聞く事が出来なかった。
ただ、現在トコヨへ行くためには、夥しい数の渦潮が巻いている海峡を渡って行くしか方法は無く、空を飛んで行こうにもベトールを討伐しなければならならない事は分かった。
「うーむ……やはり、ベトールを倒さねばトコヨへは行かれんのか……。 しかし、その渦潮だらけの海峡からトコヨまでの距離によっては、ベトールに襲われる前に辿り着く事は出来んかのぅ?」
ライコウがライムに聞くと、ライムは「どうでしょう?」と首を傾げた。
「オーメル草原を西へ進むとトコヨの島が見える海峡が見えて来ます……。 ただ、オーメル草原にはご存じの通り『ハギト』がおりますので、私達では実際に行って確認する事が出来ません。
先ほどお話した例のゼルナーは『トコヨに上陸した』なんて仰っておりましたが、あの方は嘘つきで有名だと聞いておりますので、何処からが本当で、何処までがウソなのか分かりません……」
ライムの言葉にライコウは「うーん……。 『トコヨに行った』なんていう奴がどこまで信用できるかわからんし、結局はトコヨへ行けるかどうか調査する為だけに『ハギト』を討伐せにゃならんという事か……」と頭を抱え――
「剣呑じゃのう……」
といつもの口癖をボヤいて、テーブルに置かれた湯呑を手に取って口に運んだ。
ライムの話でヒツジとイナ・フォグは、ライムの家へ訪ねて来たゼルナーがアルだという事を確信した。
だが、ライコウはそのゼルナーがアルだという考えすら思い浮かばなかった……。 というのも、ライコウはイナ・フォグの話を信じて、アルの事を『ただ自分を食べたいだけの怪物である』というイメージしか持っていなかった為である。 アルが嘘つきかどうかなどどうでも良く、そんな怪物の事など知りたくもないし会いたくもなかったので、記憶の片隅に打ち遣っていたのである。
――すると、ここまで黙っていたイナ・フォグが突然口を開き『何故、ライムが80年以上も稼働し続けていられるのか?』という理由を聞いた。
ライムはイナ・フォグの正体をすでに知っていた。 器械や人間とは明らかに違う者であり、その外見から『例のマルアハ』であるという事は気が付いていた。
ライムは手元に置いてある湯呑を手に持って一口お茶を啜った後、イナ・フォグを穏やかな瞳で見つめ話始めた――。
――
ライムはもともと『ディ・リター』という都市で製造されたゼルナーであった。 その後、ディ・リターに隣接している『エクイテス』に移転し、エクイテスの仲間と共にマルアハ『フル』と戦った。
その時、ライムは20歳であった。
総勢50名の仲間と共に『デモニウム・グラキエス』へと侵攻しフルと交戦したが、フルの使用したスキルによって50名の仲間達は同士討ちを始めてしまい、仲間同士の凄惨な殺し合いの果て、為す術なくエクイテスへ撤退した……。
ライムは生き残った数人の仲間達とエクイテスへ逃げ、エクイテスの市民達もライム達を傷が癒えるまで保護していた。
ところが、ある日――彼らの体を蝕んでいたフルのスキルが発動し、彼らは突如として市民を襲い始めた……。
ライム達ゼルナーが一般の市民を無慈悲に破壊せしめる姿は、まるで鬼か悪魔のようであった……。
ディ・リターのマザーはすぐに護衛のゼルナー達を派遣して、ライム達を捕縛しようとしたが、護衛のゼルナー達の手におえず、エクイテスは都市の至るところに器械の残骸が横たわり、血のようなオイルが充満する阿鼻叫喚の地獄絵図と化した……。
――そんな中、一体のマルアハらしき者がエクイテスに現れた。
彼女は理性を失くしたライム達の仲間を一瞬で破壊し、ライムの首にも手を掛け破壊しようと右手に持つ剣を振るおうとした。
……しかし、彼女はライムを破壊しなかった。
「私を……破壊……して」
ライムの苦悶に満ちた悲痛な叫びが、彼女のココロの中に響いて来たからであった……。
マルアハは剣を収め、気を失ったライムを抱き上げ、ライムに向かって呟いた。
『貴方にはこの罪を償う機会を与えましょう――』
――こうして、ライムはその後80年もの間、ディ・リターの隔離施設で自分が破壊した仲間と市民達の為に祈りを捧げていた……。
隔離施設で強制労働に従事し、祈り、再び労働に従事する……。 そんな贖罪の日々を一日たりとも欠かさず行っていた。
10年、30年、50年――日が経つごとにライムの体は油が切れ、ギシギシと音を鳴らすようになった。
銀色の美しい毛も抜け落ちて、金属の地肌がむき出しになっていった。
ついには片目も見えなくなり、瞳の色は剥げ落ちてレンズがむき出しになってしまった。
腰は曲がり、髭も折れ曲がり、もう立っているだけで熱暴走でも起こすのではないかというくらい中央処理装置は老朽化していた……。
……しかし、それでもアニマはライムの体に鞭を打つかのようにマナスを取り込み、器械達を破壊するように中央処理装置に命令を送り込む……。
それは、ライムに永遠の贖罪を強要する地獄の責め苦のようであった……。
――こうして、80年の月日が経った後、マザーはフルのスキルの発動を抑える技術を開発した。
その技術でスキルの影響を完全に消し去る事は出来なかったが、フルのスキルを半永久的に発動させないようにする事が出来るようになり、ライムはようやく隔離施設から出ることが出来た。
それはライムにとって、ようやく地獄の責め苦から解放された瞬間であったはずだ。
……ところが、ライムはその技術の提供を受けずに、自分を破壊してもう二度とこの世に転生させないで欲しいとマザーに懇願した。
ライムにとっては地獄の責め苦も贖罪にはならなかったのだ。
ライムにとっての贖罪は、自らの死――
死ぬ事も出来なかったこの80年は地獄より苦しい日々であったのだ。
ライムはもうこれ以上、この苦しみに耐える事が出来なかった。
……だが、マザーはライムの願いを拒否した。
『貴方に課せられた償いは、自分自身を破壊しても消えませんのよ……。
貴方に破壊された器械達の未来――その未来を受け継ぐ子供を、貴方が命を懸けて育てる事――
それが、貴方が出来る唯一の償いですの』
マザーは、ライムの仲間達が遺したアニマをフルのスキルを研究する材料として回収しており、そのアニマを利用して新たに器械を製造していたのである。 その器械を自分の子供として育てるようライムに命令したのであった。
――こうして、ライムは仲間のアニマを利用して作られた器械を『I-06』――『アイム』と名付け、自分の子供として育てる事になり、ディ・リターからエクイテスへ戻ってアイムと共に生活をした。
だが、二人の生活は苦難に満ちたものであった。
エクイテスの市民は80年前の惨劇を昨日の事のように記憶しており、その忌まわしき当事者であったライムに迫害を加えた。 その迫害は、筆舌に尽くしがたいほど峻烈で痛ましいものであった。
当然、迫害の矛先は子供であったアイムにも向けられた……。
彼は鉄クズを投げつけられ、オイルを撒かれ、車で引きずり回されるなど苛烈な虐めを受け続けた。
それでも、アイムは母親を恨む事はしなかった。
アイムはゼルナーとなってフルを討伐し、母親の汚名を返上し、エクイテスの市民を見返してやる為に必死に努力を続けた。
――こうして、アイムはゼルナーとなって、彼の同僚であったラキア、アカネ、フリーグス、アルカと共にチームを組んだ。
ゼルナーとなったアイムは、すぐにでもフルと戦うつもりであった。 ところが、マザーにアラトロンを味方につけるよう命令され、アイムはマザーの命令に逆らえずに、不承不承、仲間と共に『ダカツの霧沼』へ向かう事となった……。
アイムは仲間と旅に出る前に、ライムをアイナへ転籍させた。
ライムへの迫害と差別は未だ続いていたので、ライムをエクイテスに留まらせる訳にはいかないと考えたのだ。
――ライムはアイナで息子の帰りを待つことになった。
息子が無事アラトロンを味方に引き入れてフルを討伐し、仲間と共に英雄と称賛される事を夢見ながら……。
ところが、息子は三年経っても帰ってこなかった……。
その内、一体の車両型器械が『バハドゥル・サルダール』から追い出されるようにアイナへとやってきた。
彼は『ミヨシ』という若い器械であり、スラム街でガソリン泥棒をしているところをライムに窘められて、そのままライムの息子として、ライムの家に居候する事になった。
一緒にアイムの帰りを待ちながら……。
――
ライコウ達三人は、ライムの過去を神妙な面持ちで聞いていた……。
「……バグズ・マキナ……」
ライムが悲劇的な話を終えた後、イナ・フォグが不意に口をついた。
「……? なんじゃ、フォグ? 突然、何を言っておる?」
ライコウが目を丸くしてイナ・フォグの言葉に首を傾げた。 すると、イナ・フォグは「ふぅ……」と一言ため息をついてから言葉を続けた。
「ライム、アナタの体を蝕んでいる『フリーズ・アウト』のスキル……。 それは『バグズ・マキナ』という器に寄生するウィルスだわ」
「――あっ、貴方様はこの忌まわしい病の事を……!?」
イナ・フォグの言葉にライムは吃驚してイナ・フォグを見つめる――ヒゲをピンと伸ばしたその顔は、何かをイナ・フォグに期待しているような様子であった。
イナ・フォグはライムの問いにコクリと頷き、言葉を続けた。
「……バグズ・マキナは磁石のように器械の器――つまり、アナタ達のいうアニマに寄生するわ。 そして、アニマに結合しているマナスを利用して中央処理装置を制御する……。
中央処理装置を制御したバクズ・マキナは他の器械のマナスを欲して、彼らを食らい尽くすように器械に命令を送るわ……。
そして、その体が壊れようが際限なくマナスを取り込む……いずれ、器械の体が朽ち果ててもアニマだけが際限なくマナスを取り込み続けるの……」
ライコウはイナ・フォグの話を聞いて、顔を青くして身震いをした。 ヒツジも瞳を青く光らせてライコウの手を握りしめている……。
ライムはイナ・フォグの言葉に頷いて、片目に宿した悲壮感に満ちた瞳でイナ・フォグに訴えた。
「私の……このバグズ・マキナを取り去る手段はあるのでしょうか?」
イナ・フォグは、長きに渡る苦痛を受けきたライムの瞳は、イナ・フォグに救いを求めるかのようにレンズを光らせている……。
「あるわ……。
私の『ナハーシュ・ネホシェット』を使えばすぐにでも消去できる……」
イナ・フォグの答えにライムの瞳は一瞬輝きを取り戻したかのように見えたが……すぐに、イナ・フォグの悲劇的な言葉にその輝きを失った……。
「……でも、その瞬間、貴方の器は破壊され……
貴方はこの都市もろとも跡形もなく吹き飛んでしまうわ……」
イナ・フォグの言葉は、デバイスを通して、ガレージにいるミヨシにも聞こえていた。
「――な――!?
――何、言ってるんですか!? そ、そんな事……ダメです!!」
ミヨシの悲痛な叫びが、皆のデバイスから響き渡った……。
「だ、だって……バッちゃんはアイナに来てから、そんなウィルスなんてモノの影響も無く、アタチに優しくしてくれたじゃないですか!
そんなモノが体内にあっても、もうバッちゃんのアニマには何の影響も無いはずですよ!」
イナ・フォグはミヨシの言葉に頷いて「そう……。 この先、アナタはこのままでも他者に危害を加える事はないわ」とライムを見据えた。
「……でも、フルが消滅しない限り、アナタの体が故障して動かなくなっても、アニマはマナスと結合したままよ……。 この先、100年、200年……アナタは動かないまま、ずっとフルが消滅するのを待つ事になるわ。
……まるで人形のようにね……」
「な――!? なんて事を言う――!!」
イナ・フォグの言葉にミヨシは激昂し、外から『ブオオォ――』とアクセルを吹かす大きな音が聞こえた……。
だが、そんなミヨシをよそに、イナ・フォグの言葉を穏やかな瞳で聞いていたライムは、ミヨシの気持ちに反して「いえ……」と呟き微笑んだ。
「アラトロン様……私は、すでに耐用年数が過ぎた体……。
もとより、このアニマを本来すでに朽ち果てていたはずです。
それに……
これ以上、私は『あの者』にこのココロを弄ばれている事に耐えられません」
ライムはイナ・フォグがマルアハ『アラトロン』である事を見抜いていた。 もちろん、普通の器械や人間とは違う雰囲気であるのは分かってはいた……しかし、信じたくはなかった。
「知っていたのね……」
イナ・フォグの言葉にライムは「はい……」と頷いて、自身の悲痛な胸の内を明かした。
「……貴方様がライコウ様といらした時に、私は貴方様が『アラトロン様』だと気が付きました。 なにせ、貴方様は100年前にあの『ハギト』と『ベトール』の二体と、それは、それは凄まじい戦いをこの地で……。
当時の恐ろしい惨状は、幼いながらも良く聞かされておりました」
――100年前にイナ・フォグはベエル・シャハトへ向かおうとハギト、ベトールの二体と戦った。 その時はアイナだけでなくバハドゥルも戦火に巻き込まれてしまい、甚大な被害を被ったのだ。
ライムはまだ製造されたばかりの器械であったが、当時の様子はディ・リターやエクイテスにも漏れ伝わっており、アラトロンの姿も器械達の間で語られていたのであった……。
「――ライコウ様がアラトロン様の助力を得ることが出来たという話は、アイナの民にも伝わっておりました。 私の息子ではなく、ライコウ様がアラトロン様の助力を……。
そこで、私は全てを悟ったのです……。
私の息子……アイムはもう……壊れてしまったのだと……」
ライムの言葉をミヨシが必死に否定する――その声はまるで慟哭のような叫び声であった。
「――そんなことない!! だって……だって、バッちゃんはアタチにお兄ちゃんを会わせてくれるって……
……約束したじゃないか!!」
ミヨシの痛ましい声に、ライコウとヒツジは悲しそうな様子でライムの次の言葉を待っていた。
「……ミヨシ……お兄ちゃんはアラトロン様を連れてくるようマザーからご下命賜ったのよ。
そのアイムではなく、ライコウ様がアラトロン様を連れて来られた……。
恐らく、アイムはお仲間達と志半ばで夭折したと考えざるを得ない……。
だって……あの子は……私を放って三年も連絡を寄こさないなんて……
そんな、薄情な事をしませんもの……」
……ライムは涙を流す事が出来なかった。 恐らく、涙を流す事が出来れば、その年老いた青い瞳から大粒の涙が流れていたに違いない……。
息子の死を受け入れたライムの様子は、悲愴に満ちた痛ましい姿であった……。
ミヨシはデバイス越しにライムの様子をみつめていた……。 もはや、ライムにかける言葉が見つからず、ただ一人玄関の前で呆然と青いヘッドライトをボンヤリと光らせていた。
イナ・フォグは、ライムの哀苦に悶える姿を見て少しだけ胸が締め付けられるような感情を抱いた。
イナ・フォグは今まで他者にそんな感情を抱いたことなどなく、それはイナ・フォグにとって得体の知れない感情であった。
だが……
『この者を助けてやりたい……』
そんな思いがイナ・フォグの胸をかすめた。
「ふぅ……。 アナタの気持ちは良く分かったわ……。 アナタが『そうして欲しい』なら、私はいつでもスキルを使用する。
でも、その前に……
私もアナタの贖罪を少しだけお手伝いしてあげる……」
イナ・フォグは八重歯を隠してライムに優しく微笑みかけた。
「お手伝い……と申しますと?」
ライムはイナ・フォグの意外な言葉にヒゲを動かし、クシャクシャの顔をイナ・フォグに向ける――。
「アナタの仇敵――『リリム=フリーズ・アウト』を私が消滅させるわ。 でも、その時アナタはフリーズ・アウトのスキルが解除されて、その場で大爆発を起こすでしょう……。
どうせ、アナタは自死を望んでいるのでしょう? ……ならば、せめてアナタの仇敵を私が討ってあげるわ。 それが、アナタの仲間達への償いになるのであれば……」
――
ライムはイナ・フォグの気遣いを喜んで受け入れ、フルが消滅するまでミヨシと共に生きる事を約束した。
だが、ミヨシはフルが消滅するとライムが破壊されてしまうのであれば、いっその事フルをこのまま放置しておいて欲しいと言い出した……。
ライムはミヨシを説得しようとしたが、ミヨシは自分の主張を曲げず、もし、ライコウ達がフルと戦うのであれば、自分が壊れても阻止すると言ってアクセルを吹かした。
ライコウは困り果てて、夜通しミヨシの傍について、あらゆるウソや冗談を言ってミヨシの気を落ち着かせ――ようやく次の日にはミヨシも現実を受け入れるようになってきた……。
――翌日の夜、イナ・フォグがふと目覚めると、隣で寝ていたライコウがいない事に気が付いた。
どの地底都市も昼と夜を人工的に創り出しており、器械の労働時間と休息時間を明確に管理していた。 現在のアイナは夜の時間帯――器械達が休息する時間帯であった。
「ライコウ……?」
イナ・フォグは一緒に寝ていたヒツジに毛布を掛け直し、ライコウを探して家中を歩き回った。 しかし、ライコウの姿は見えない……。
「外かしら……?」
イナ・フォグが外に出ると、外はすっかり夜が更けていた。
ライコウはガレージの前でミヨシが眠っている様子を見守っていた……。
ライコウは普段鎧を脱がずに兜だけ脱いで休んでいる事が多かったが、この時は鎧も脱いで、小麦色の肌に薄い金属製のシャツを着ていた。
「……ライコウ」
イナ・フォグがライコウの後ろから声を掛けると、ライコウは驚いた様子で金色の髪を靡かせてイナ・フォグの方へ振り返った。
「フォグ……どうした? 寝られないのか?」
杏子のような無邪気な眼を細めたライコウにイナ・フォグが黙って頷くと、ライコウはイナ・フォグの傍らへとゆっくり近づいて来た。
「ミヨシが心配でのぅ……。 もう、あ奴は寝おったから大丈夫じゃ……。 じゃが……
ワシももう疲れたから寝るわぃ――」
そう言うと、ライコウは大きく欠伸をしながらグンと伸びをした。
「ライコウ、ごめんなさい……。 私がライムにあんな事を言ったばっかりに……」
イナ・フォグは自分がライムに真実を語らなければ、ライコウにこんな負担を強いる事は無かっただろうと思うと、ライコウに申し訳ない気持ちになった……。
「――なに、フォグが謝る必要は無い。 フォグの話は真実じゃ。 それがミヨシにとって過酷な真実だったという事じゃ……残念ながらのぅ」
ライコウはそう言うと、イナ・フォグの頭を優しく撫でて、微笑んだ。
「……惜しむらくは、フォグが真実を語る前にこの事実を知っていれば……。 ワシがもうちょっと気の利いたウソを付けていたのに……」
「……? どうして、ウソを付こうとするの?」
イナ・フォグは、赤い瞳を丸くしてあどけない表情をしている。
すると、ライコウは建付けの悪い斜めになった玄関を見て、そのまま視線を上に向けて空を見上げた。 空はアイナの天井に掛かっている照明が幾つも光っており、まるで夜空の星のように輝いていた。
「……ウソを付いた者は咎を負うべきじゃ。 じゃが、真実によって誰かを絶望に落とすのであれば……
ウソによって誰かの希望を掬えるのであれば……
……
俺は、ウソを付いて咎を負う事を選ぼう――」
ライコウの目にはマザーの面影が浮かんでいた。
マザーがライコウを人間にすると言った事がウソだとは限らない……よしんば、ウソだとしても、マザーがマザー自身の為にウソを付いたのではないと思いたかった。
ライコウはマザーに対して不信感を持ってはいたが、同時にその言葉を信じたいという葛藤が今も消えずに残っていたのである。
イナ・フォグはライコウと同じく、空を見上げた。
空に輝く光は美しいとは思わなかったが、なんとなくライコウと一緒だと悪い見た目では無かった。
「アナタが咎を負うのであれば、私はアナタの身代わりになるわ。 アナタは思う存分ウソを付けば良い……」
イナ・フォグの言葉にライコウは思わず「ワハハ――」と笑い、イナ・フォグの肩を抱き寄せた。
「そんなに、ワシだってウソは付きたくないぞ! だから、フォグが身代わりになる事など無いから安心せい――」
ライコウはそう言って、イナ・フォグの頭をポンポンすると、イナ・フォグは「そうね――」とライコウに八重歯を少し出して茶目っ気のある笑顔を見せた。
「アナタはウソを付く事がヘタだから、やっぱり、あまりウソは付かない方が良いかも知れないわね」
イナ・フォグの言葉にライコウは「なんじゃ? そりゃ、貶しているのか褒めているのかようわからんのぅ――」と言いながら、イナ・フォグの頭をクシャクシャと撫で込んだ。
「ふふふ……くすぐったいわ」
イナ・フォグは嬉しそうに頭を抑えると、二人はそのまま家の中へと入って行った――。
――二人が家に入ると、ミヨシが寝ているガレージの前で、何者かの声が微かに聞こえて来た……。
「うぅ……。 ライコウ様……」
その声は女性の声で、どうやらライコウの言葉に胸を打たれて泣いているようであった。
――
「アタチはもっと強くなって、フルをやっつけます!」
ミヨシはそう息巻いてエンジンを吹かし込み、後ろにいたライコウを「ゲホ、ゴホ」と咳き込ませた。
「……ミヨシよ、強くなると言っても、お主の体を改造するにはちっと強度がアレじゃぞ……」
軽トラックであるミヨシの体では、これ以上改造しようにもフレームの強度が足りず、アカネやサクラのようにフレームを強化するか、軽トラックの体から別の車両の体へと乗り換える必要があった。
すると、ライコウとミヨシのやり取りを眺めていたライムが――
「もし、アイムが乗っていた戦車がどこかにあれば、その戦車をミヨシに使わせてあげたいんですけどねぇ……」
と残念そうに口をこぼした。
ライムはもはや、アイムの乗っていた戦車など何処かで鉄くずとなっており、見つかるはずは無いと思っていた。 ところが、イナ・フォグがライムの言葉を聞いて、思い出したように口を開いた。
「アナタの息子が乗っていた戦車、もしかしたら見つかるかも知れないわ――」
イナ・フォグは、自分が破壊したアイムの事など顔すら忘れていた。
だが、ラキアが仲間と共にイナ・フォグを討伐しに沼地へやって来た事は覚えており、ラキアの仲間に確か猫型のゼルナーがいた事は朧気ながら記憶の隅に残っていた。
恐らく、アイムはイナ・フォグのゴーレムに食い尽くされて鉄クズすら残っていないだろう……。
ところが、アイムの乗っていた戦車はかなり強度の高い特殊な金属で造られていたようで、ゴーレム達も簡単に食える代物ではなかった。
イナ・フォグは、ゴーレム達がラキア一行を蹂躙した後、戦車だけを沼地に残してそのまま沼の中へと戻って行ってしまった様子を「よっぽど、不味い戦車なのかしら……」と不思議に思っていた事を思い出したのである。
「アラトロン様……それは、本当ですか?」
ライムが青い瞳を輝かせて、イナ・フォグを見つめる――。
イナ・フォグは「確証は無いけど、思い当たるフシはあるわ……」と言って、ライムの記憶からその戦車の姿を確認した。
「……むぅ。 確か、こんな感じの戦車だった気がするわ……」
イナ・フォグは、自分の記憶を手繰り寄せるように眉を潜ませて、人差し指を唇に当てている――。
すると、ミヨシが「じゃあ、早速『フォグさん』が見たという戦車がお兄ちゃんの戦車なのかどうか、確かめに行きましょうよ!」と、はやる気持ちを抑えきれずにアクセルを『ブン、ブン』踏み鳴らした。
イナ・フォグはミヨシの『フォグさん』という呼び方に少し違和感を持ったが、いちいち呼び方を正すのも面倒であったので、ミヨシの呼びたいように呼ばせてやった。
「それじゃ、ミヨシと沼地まで戻りましょうか……」
イナ・フォグはえらくアッサリと言い放つが、ハーブリムを経由するにもティルナング大陸とキーテジ大陸を結ぶ鉄骨の橋は粉々に壊れてしまっている。 戻るためには空を飛ぶしか方法はなく、空を飛べばあの恐るべきスカイ・ハイに襲われる……。
それに、トンデモない距離を往復する事になるのでとてもじゃないが現実的ではなく、ライコウとヒツジは互いに顔を見合わせて、イナ・フォグに再考を促そうとした。
ところが……
「うわー、やったぁ! それじゃ、早速行きましょう――!」
とイナ・フォグの言葉にミヨシが興奮し、グルグルとその場でドリフトをはじめ――ついには、感極まってライコウに突進して来た……。
「おゎー! じゃから、何でお主はワシに突進してくるんじゃ!」
ライコウはミヨシを押さえつけながら、観念したように沼地へ戻る事に同意した……。
――だが、ライコウは、皆で仲良く沼地へ戻る事は時間の無駄だと主張した。
「――ワシはここへ残ってハギトの動向を調査するから、フォグとヒツジの二人でミヨシを沼へ連れて行ってくれんか?」
ライコウはイナ・フォグ達が戻って来るまでの間、ハギトと戦う為の準備をしようと考えたのだ。
すると、ライコウの提案にイナ・フォグは――
「――イヤ!!」
と即答し、赤い目を潤ませ頬を膨らませた……。
「イヤ、イヤ、イヤ――! アイツが来たらどうするつもりなの!」
イナ・フォグの言葉にミヨシとライコウ、そしてヒツジはキョトンとした顔をイナ・フォグに向けた。
「「「アイツ……って?」」」
三人の声が同時にイナ・フォグに向けられた。
「――アルよ、アル! アナタ、アイツに食べられちゃうわ!」
イナ・フォグは自分が不在の間に、アルが何処からライコウの居場所を嗅ぎ付けて来てライコウを誑かすのではないかと心配し、大慌てでライコウも同行するように説得しようとした、が……そこで思わぬ邪魔が入った。
「……アル? ああ『あのアル』さんであれば、ライコウ様を食べるような方ではありませんよ」
ライムが「ほっ、ほっ、ほっ――」と笑いながら、イナ・フォグの狂言を否定した。
「――えっ!? じゃあ、婆さん……お主の過去を聞いて来たというゼルナーは『あのアル』の事なのか?」
ライコウが目を丸くすると、ライムは「そうですよ。 あの方は貴方様を食べるような方ではありません」と言って「もっとも、アラトロン様がご心配されている『アイナへやって来る』と言った事も無いとは思いますが……」とアルがアイナへ来る心配はないと、イナ・フォグに口添えをした。
「そ、そうなのか? よかった……」
ライコウはホッと胸をなでおろし、イナ・フォグに向かって嬉しそうに――
「良かったな、フォグ! どうやら、アルはワシを食おうなんて考えてないらしいぞ! お主は心配性なんじゃ、全く……」
と言って「ガハハ――!」と高笑いをした。
イナ・フォグはライコウにつられて「あっ、そう……ははは……」と乾いた笑いを返しながら、ライムにジトッとした視線を送った……。
――
こうして、ライコウの提案通りイナ・フォグとヒツジ、ミヨシの三人は再びハーブリムへ戻り、ダカツの霧沼へと向かう事となった。
イナ・フォグは、途中で横切るベトールの縄張りは『アラフェール・ライラ』でやり過ごす考えでいた。
「――まあ、橋が壊れた事はアタチがヒツジから聞いていましたし、マザーにも報告が行っていますから、今頃は修復工事の真っ最中だと思いますよ!」
――ミヨシの話では、壊れた橋は、大陸間を結ぶ大事な橋なので、マザーの命令で橋の修復工事をしているはずだとの事であった。
もし、橋の修復工事をしているなら、工事に駆り出されているゼルナー達はベトールの襲撃に怯えながら作業しているに違いないと思われる……。
しかし、地上にいる者にとってベトールはそれほど警戒する相手ではない。
彼女は自身の領空を侵犯する者を容赦なく攻撃するか、上空でも目に付くような輝く物体を身に着けている者を攻撃するだけで、それ以外には地上にいる者に目もくれない。
輝く物体であればどんな物でも収集する事がベトールの趣味であり、その為、ベトールの縄張りは自身の収集した物で溢れ、常に光輝いていたので、枯れ果てた森であるにもかかわらず『輝く森』などという名が付けられていたのであった――。
――
イナ・フォグとヒツジ、ミヨシの三人がいよいよ地上へと出発する日――ライコウとライムは三人を見送る為、地上の出入り口のあるボロボロの鉄塔まで同行した。
ライムはミヨシが食事に困らないようにと、大量の燃料や金属をミヨシに持たせた。 その為、ミヨシの荷台は窮屈になってしまい、イナ・フォグとヒツジは、例の三日月のような物体に乗って鉄塔まで移動した。
地上へと向かう昇降機は車一台分の広さしかなかったが、ミヨシ一人で先に行かせる訳にもいかず、イナ・フォグを先に地上に上げようとした。
ところが、イナ・フォグが先に地上へ上がる事を頑なに拒否したので、仕方なくヒツジがミヨシの窮屈な荷台へ乗り込み、先に二人で地上へ上がる事になった。
ミヨシは必ずアイムの戦車を見つけ出す事をライムに約束し、心配そうに見つめるライムにクラクションを鳴らし、意気揚々と地上へと上がって行った――。
――二人が地上へ上がり、昇降機が再び地下へ降りてくるまでの間――イナ・フォグはしきりにアルの存在を気にしていた。
「いい、ライコウ……。 ライムはあんな余計な……いえ、楽観的なこと言っていたけど、私はヤツの事が危険だと思っているの。
だから、ライコウーー。 アナタはあんなメギツネ……いえ、あんなヤツと関わってはゼッタイにダメよ……分かった?」
イナ・フォグは妙な言葉遣いをしてライコウに念をつくと、ライコウは「……うむ。 ワシはフォグの事を信用しておるから、大丈夫じゃ! ヤツを見たら一目散に逃げる!」と宣言して、イナ・フォグの頭を撫で込んだ。
――こうして、イナ・フォグは地下へと戻ってきた昇降機へ乗り込んだ。
昇降機が上昇を始め、ライコウの手を振る姿が徐々に小さくなっていく――。
イナ・フォグは後ろ髪を引かれる思いで、ライコウの姿が見えなくなるまでジッとライコウを見つめていた……。
――
ライコウとライムが三人の出発を見送っている背後では、何やら空間を歪ませて蠢く人型の透明な物体が見えた……。
その透明な物体は、イナ・フォグがライコウに抱き着いていた時「あのオンナ……ムカつくのだ」などと呟いてイナ・フォグを睨みつけていた。
そして、イナ・フォグが地上へと上がって行く間――その透明な物体は拳を握りしめて小さくガッツポーズをしていた……。