思い出せ! 僕の小さな脳みそ。 メンデルの法則ってやつを!
僕は事なかれ主義だ。
とりあえず長い物には巻かれろの精神で生きてきた。
なので今、僕の目の前に居る自称眷属に恐怖を覚えていた。
「お前にしては早かったな」
ポンさんは全長10メートルはあるドラゴンを見上げると、そう褒めていた。
『グルルルル』
ドラゴンは嬉しそうに喉を鳴らした。
真っ黒い巨大な巨躯。
両翼はゴツゴツとしている。
尾はトゲトゲが至る所にあり、まるでクロコダイルみたいだ。
瞳は灼熱の炎のように真っ赤。
身体はちょっとしたアパートぐらいの大きさ。
僕はおしっこをちびりそうになった。
想定を超えていた。
怪物だ。
目の前に怪物が居る。
「ポンさん。ポンさん」
僕はポンさんを手招きする。
ポンさんは僕の傍まで来ると、
「どうしたのだ?」
「あの~。こちらの方は?」
「我が眷属だ」
け、眷属。
眷属ってなんだよ。
辞書がないんだよ。この世界。
「ペットの事だよね?」
僕は確認の為、訊き返す。
「ペット? ああ。放し飼いの犬の事だったな。
ああ。そうだ。驚いたのか?
」
何でもないようにポンさんはそう答えた。
「ふ。ふ~ん。ちょっとね。少し……大きくてね」
僕は精一杯やせ我慢した。
ペットじゃないよね。
これもうボスじゃん。
勇者とか英雄とかが戦うボスだよね。
ポンさん。
君は嘘つきだ。
はぁ~。
いつも僕の事をからかってくるよね。
こういう風に。
ムーさんが力持ちなのも黙ってたし。
初めてムーさんが巨木を担いで来た時、僕はびっくりして腰を抜かしたんだよ。
勘弁してほしいんだよなぁ。
僕のメイド服の嘘なんてちっぽけに思えてくるじゃないか。
「大丈夫なんだよね?」
僕は念押しして訊いてみた。
「何がだ?」
『何がだ?』じゃないよ!?
こんなものに踏みつぶされたら死んじゃうじゃん。
噛まれたら身体なんて木端微塵だよ。
「噛まないよね?」
動揺して意味不明な質問をしてしまった。
「噛む訳なかろう」
ポンさんは、『ハハハッと、何を言ってるんだ』という風に笑った。
「ペット……なんだよね?」
僕は恐る恐る同じ事を訊いてみた。
「知能はないがな。複雑な思考が出来ない分、命令には忠実だ」
「訊いていいかな? どうやってペットにしたの?」
こんなものペットにできる訳ないだろ。
飼ってる途中で殺されちゃうよ。
「?」
ポンさんは疑問符を顔に浮かべた。
それでも目をグルグル回し、必死に僕の言った事を理解しようとしてくれている。
う~ん。と考え込み、口を開いた。
「私が生み出した」
「は?」
産み出した? 出産したの?
え? マジで?
ポンさんって既婚者なの?
いや、今はそこじゃない。
ポンさんは爬虫類系の亜人。
決して不思議じゃないのかもしれない。
僕はこの世界の常識を知らない。
だから自然科学の知識をフル回転させろ。
よく思い出せ。
メンデルの法則を。
え~っと。
ポンさんは人型。
例えば。
お爺さんが人だったとしよう。
お婆さんがドラゴンっぽい爬虫類。
この1人と一匹が結婚したとしよう。
どっちが優勢かはさておき。
【AA × aa】
①Aa = 亜人
子供は爬虫類型亜人になるのかもしれない。
次にこの子供……爬虫類型の亜人同士が結婚したとしよう。
【 Aa × Aa 】
このパターン同士の場合。
できる組み合わせは、
①AA = 人
②Aa = 亜人
③aa = ドラゴン
③番……ドラゴン。
か、可能だ。
出来てしまう。
僕は今、異世界の常識が僕の知る自然科学の知識の前に証明されてしまった事に驚愕した。
「ふ~ん。そ、そうなんだ。でもひどいよ。ポンさん。そうならペットは言いすぎだ」
「ひどッ……一体どういう事だ。放し飼いの犬の事だろ?」
「あのさ。自分の子供を眷属……いや放し飼いの犬だなんてひどい。ひどすぎる」
「何を言ってるんだ?」
「はぁ~。僕は確かにこの世界のルール……常識は知らないよ。
郷に入っては郷に従え。
それは分かってるさ。この世界にも独自の文化があり慣習がある。
だから細かい事には口を出す気はない。
それはホント。
でもね。これだけは言いたい。
自分の子供の事を雑に扱うのは違うと思うよ」
僕は冷たい目線をポンさんに向けた。
「な……んだと」
ポンさんはポカンとしていた。
「ポンさんさ。
僕はポンさんの事を大切な友人だから言ってるんだ。
僕はさ。眷属? 意味はよく知らないよ。そんなに頭が良くないから。
その眷属、まぁいわば子供でしょ。
それを大切にしないとダメだよ
」
僕はやんわりとポンさんを説教した。
「………う。うむ?」
大きな美しい深紅の眼をクルクルさせながらポンさんは渋々納得したように見えた。
「わかってくれたなら。いいんだ。で? この子。なんて名前なの?」
「名前?」
ポンさんは再び疑問符を顔に浮かべた。
「まさか……ないの?」
信じられない。
普通我が子なら名前を付けるだろう。
ペットであっても呼び名があるんだ。
それはあんまりなんじゃなかろうか。
「名は……ない。そんなものを付ける酔狂な者はいない」
ポンさんは僕に軽蔑されているのを感じ取ったのか、か細い声であった。
「ひどいね」
僕はバッサリと切り捨てた。
「な……」
声を失ったポンさんは、珍しくしょんぼりしていた。
「じゃあ、名を付けよう」
「いや。やめておけ」
ポンさんは必死に止める。
「なんで?」
「魔物に名を与えるなど。それは禁断の術なのだ」
出たよ。
禁断の術とかいう中二病の設定。
よく言うんだよね。
なんでも禁断とか禁術とか、かっこいい単語を使えばいいと思ってる。
名前ぐらい魔物にもあるよ。
みんな本名を未だに教えてくれないし。
ポンさんもみんなもあだ名で呼ぶしかなくなってしまった。
教えてよ。
僕たち友達じゃん。
そんな事を考えても仕方ない。
僕が名付けの親になるのも忍びないが。
「じゃあ。ワイで」
ワイバーンっぽいからワイという名前にした。
ちょっとネット掲示板の一人称みたいになっちゃってるけど。
まぁいいや。
―――瞬間―――
「我の名は……ワイ……素晴らしい名だ。主の主よ」
どでかいポンさんのお子さんは、突然とてもダンディーな声で僕に語りかけてきた。
「ああ……」
ポンさんはそれを見て、目を見開いて驚いていた。
「なんだよ。喋れるじゃん。ポンさん。またも僕をからかったね」
僕は白い眼でポンさんをチラリと見る。
「いや!? これは違う。なぜだ!?」
ポンさんお得意の都合が悪いと動揺する演技。
勘弁してよ。
僕をおちょくってそんなに楽しいのかよ。
「我が主の主よ。貴殿の望みは……」
ドカリと巨大な頭を地面に擦り付け僕と目線を合わせた。
こ、こえぇぇぇぇ。
で、でも。
なんとか会話はできるぞ。
僕は何とか平常心を保ち。
「う、うん。そのちょっと頼みがあってね。
街に行ってみたんだ。
ほんの少しでいい。ちょっと見てみるだけでいいんだ。
だから君の……ワイの背中に乗せてほしいんだ」
僕は早口になりながら、巨大なドラゴンに説明した。
「………承知した。容易い事である」
大きな口を開け、鼻息を吹きかけた。
「うッ」
僕は顔をしかめた。
くっさ~。
ドブ川のニオイがした。
よし。
こんな強そうなポンさんのお子さんに乗って行けば道中安全に違いない。
「じゃあ。ポンさん。街に行こう。楽しくなってきたぞ」
これでようやくこの世界を知る事ができる。
「あ、ああ」
ポンさんは少しげんなりしていた。
少し冷たくしすぎたかもしれない。
あとで一緒に狩りにでも行こう。
「外の世界……ようやく見れるのか……」
期待で胸が膨らんだ。
やばそうな世界ならすぐに戻ってこよう。
みんなが言うぐらいだ。
油断なんて僕はしないぞ。
万全の準備。
逃げ足の早さを遺憾なく発揮してやる。
僕は一般人の雑魚。
恐らく現地の人とは言葉も通じない異邦人。
パスポートも、身分証も、在留資格も、税金も納めてない異邦人。
治安の良い国でも暮らすのは難しいだろう。
だからほんのちょっぴりでいいのだ。
すこ~しだけでもいいから外の世界を見てみたい。
死なない事が一番。
最悪ここで引きこもりになっても仕方ない。
いいじゃないか。
ここには友達も居るし仲良く暮らしていければいい。
でも、それはこの世界を知ってからでも遅くはない。