寝室の二人
R15注意報
「もう知らん。寝る」
ミツヒロはそう言って、ベッドの真ん中にどんっと寝てしまった。
エレナに場所を譲る気は無いようだ。
「ちょっとこんな薄着の私を部屋から放り出すつもり?」
この時期にしては若干薄い寝巻きを着せられたなとは思っていたが、まさか寝室にミツヒロがいるとは。こうなったら、覚悟を決めて、仕組んでくれた誰かの思惑に乗ろうと思ったが。
「公爵家なら他に客間が一杯余っているだろう。そっち行けよ」
「今夜だけはお客様の休憩室になっているわ」
酔った客に襲われるかもしれないし、宴を抜け出した男女がイチャイチャしているところに出くわすかもしれない。
「じゃあ、そこのソファーか椅子で寝れば?」
ミツヒロは不機嫌を隠しもしない。
「はあー」
仕方がないから、続き部屋から毛布を持ち込んだ。続き部屋にも柔らかいソファーくらいはあるが、こっちだって覚悟を決めたのだ。簡単には引いてなるものか。
(だいたいなんで私が出て行かなきゃならないのよ!)
テーブルにばらの花束と水差しとコップ。
惚れ薬とかちらっと聞こえたけれど、喉が乾いているのは事実なので、一杯わざとごくごくと音を立てて飲んでやる。
(うん。ただの無色透明無味無臭のおいしい水だ)
と言っても、“ただの水”は庶民にはなかなか手に入れにくいものだが。恐らくこれも川のうんと上流から汲んできたものだろう。
「マジ勘弁してくれよ。静かに心穏やかに寝かせてくれ」
ミツヒロを包んでいる毛布がぶるりと震える。
「静かにしてるから」
「存在自体がうるさい」
「みっ!?」
自身を全否定された動揺で、変な声が出てしまう。「ぷっ」とベッドから声が漏れる。
存在自体がうるさいとか言われたのはショックだし、笑われるのは恥ずかしいし、それでも、言いたいことは伝えなければ。
「ありがとう。助けてくれて」
「・・・別に。昨日も聞いたし。睡眠不足で馬車の前でぶっ倒れただけだし」
ふてくされた声が返ってくる。
「怒っている?」
「そりゃ怒っているよ。勝手に婚約者にされたのも、知らない家の養子にされたのも。それに...」
......
数秒待つが、彼は毛布を頭から被ってしまった。
「それに?」
「君はどうなんだよ?いっとくが俺に公爵令嬢を養う財力はないぞ」
「自分の食いぶちは自分で稼ぐわ。むしろあなたの分もガンガン稼ぐわ。折り紙で!」
「そう言うのは殿様商売って言ってな?大抵うまくいかないんだけど」
「お金はしばらくの生活に困らない分は持たせてくれるでしょうし。最近夢見がいいの。子供は五人、海外展開もしてビッグになるわ!」
「夢って。そんな都合よく......」
「もちろん悪い夢だって普通に見るわよ。第三王子に誘拐されたり、牢屋に投獄されたり、超かっこよくなった知り合いの男の子にぐっさり刺されたり。庶民に牢屋から助け出してもらったと思ったら食堂の店主さんとヒューが怖い顔で石を投げてきて、『私よ』って叫んでも気づいてもらえなくて、先生に処刑されそうになったり」
「っ!」
思い出すだけでも背筋がぞくりとする。闇の中でもミツヒロの気配がこわばった。
「先生って誰?」
(気になるのはそこ?)
「南ロゼリアの数学者で折り紙の先生ね。それも初めて会う前夜にそんな夢を見たのよ。それが私の秘密」
◆
「もう一つ、謝らないといけないことがあるの。ソジャの......」
「ああ、今日のソースに使われていたな。醤油」
ローストビーフにホースラディッシュ(わさび)とソジャのソースがかけられていたから、さすがに気づいたのだろう。
「隠してた訳じゃなく、いえ途中から隠していたのですけれど、最初は本当にローストビーフの肉汁だと信じていて。ナクト皇子に教えてもらったの」
「そっちは怒ってないから。あるってことは買えるってことー」
「コンプラ瓶一瓶15万ロゼ」
「ぐっ。どこの高級醤油だよ」
このとき光弘が思い浮かべていたのは一升瓶サイズだったのだが、500mlペットボトルサイズのお値段であることが発覚するのはもう少し後である。
「あらかた王公貴族が買い占めちゃって、一般市場にはほとんど出回らないわ。見かけたとしても馬車通りの高級レストランくらいかしら。ソースギルドが再現を試みているらしいけれど......出来上がったとしても似せ物ね」
そこで、エレナは「くしゅん」とくしゃみをしてしまう。
「毛布一枚じゃ互いに寒いな。ほら」
「え?」
少しだけ、移動してスペースを作ってくれる。
「変なことしたら本当に追い出すから」
(それ普通は女性の台詞だと思うんだけれど?)
「怒っているんじゃないの?」
「まあ、怒っているよ。初めてだったんだからムードとか、もうちょっと考えてほしかったっていうか・・・あんな訳もわからないまま・・・」
「?」
エレナは目をぱちぱちさせる。なんのことだろう?
「今日のこと!」
そこで、ようやっと思い至る。
「ご、ごめんなさい。ピュアだったのね」
あんな小説を書いているわりには。
これは・・・自分のファーストキスは十二才の時にあの王子と済ませていたことは一生黙っておこう。
(レーコが現れるまではそこそこ仲良かったものね)
「エレナと付き合うまで女の子と付き合ったことないよ」
ごそごそとベッドの空きスペースに入り込んで、
「じゃあ、やり直し。次はミツヒロのしたいようにして」
ささやいてみる。
「したいようにって。そういうところが情緒もへったくれもないって言っているんだが」
う~とミツヒロが唸ったあと、優しい口づけが頬に一度だけ落ちる。
「あなたはどこから来たの。このショーユのある『桜花』から来たの?」
オーカ国...遠い東の海の果てにある国だ。文字の意味からスリーズとも呼ばれているだけで、当然我が家の先祖とオーカ国は全くの無関係。
「醤油があるから、気候的にももしかしたら地理的にも似ているかもしれないけれど、たぶん全然違うね。僕が来たのはここではない、決して帰れない遠くの国からだよ。あれは死神だったか、悪魔だったか...」
「帰れないならどうやって...」
「自分の命、五年を引き渡して...ふぁあ。寝るまでで良ければ話すよ」




