罠
R15注意報
公爵家の一室で光弘と公爵夫人は対峙していた。
三次会の喧騒はここまでは届かない。
「夫は、宴の方に出ています。エレナはさすがに疲れて早めに休んでいます。」
(いや、疲れているのはこっちも同じなんだけれど)
「ご説明はしていただけるんですよね?いつ婚約したことになったのか。何で僕なのか?『ドゥ』って」
「本日づけでエレナの婚約者になりましたが?」
それが何か?って感じで公爵夫人は首をかしげる。
「そーじゃなくて。一切了承していない」
「あなたは本日づけでドゥ家の養子になり、同時にドゥ=ボロ男爵の地位とエレナの婚約者の資格を手に入れました。小さな領地といくつかの肩書きを付ければ体裁は整います」
そう言って公爵夫人は書類を机に広げる。
「ほら、サインもこちらに。」
『婚約誓約書』『男爵位ナントカ』『養子縁組契約書』
サクラマークと二つの砂時計。あと大鷲と蔦バラとあやめの印鑑がバンバン押されている。大鷲と薔薇とあやめはたぶん王家だ。
(あ、これ詰んでいる)
確かにサインはされている。が...筆跡が違う。字は全体的にぎざぎざだし、跳ねが用紙をはみ出してる。ここまではひどくないはずだ。
「サインなんてした覚え・・・」
「間違いなく昨日、あなたがペンを握り、あなたの手で書いた契約書です」
公爵夫人が扇で口元を隠しながら微笑む。
つまりは寝ている間にペンを握らせ、無理矢理書かせたということか。
「エレナは了承している...んでしょうね。」
でないとあの場でき・・すなんてするわけがない。
キスされた瞬間は何がなんだかわからなかったが、改めて思い出すと恥ずかしい。
契約書は回収され、続いて机に広げられたのは新聞。
「ミツヒロ殿がこんな噂を立てられた娘の行く末が心配ではないんですの?」
『エレナ嬢、白昼堂々自ら傷物発言』『王子と二股疑惑再燃』『密室の馬車で何が!?』『王子に暴行』
「人の噂も四十五日...いや七十五日だったか。そんなことわざこっちにはないんですかね~」
「貴族の令嬢として一番致命的なのが『王子に暴行』です。」
王子に○蹴りを食らわすという記事をすっぱ抜いたのは当然『ピンク』だ。『王子は○能になった?』と伏せ字を被せまくって新聞を発行したピンクは虚偽の記事を書いたとかで、現在行政処分で休業中だ。・・・チャレンジャーだな。
それでも、ここ二、三日で、強引に話をまとめようとする理由がわからない。
それこそ七十五日くらい様子を見てから今後のことを決めてもいいはずだ。
「身内になればヴィーナウェルの作品を書いてくれるとか?」
「そ、そんなわけ。」
公爵夫人は軽く咳払いし、話を続ける。
「なんの地位もない異国の平民を愛人にし、再度王家から出された縁談を渋り、王子の寵愛を身勝手に蹴ったあげく誘拐犯と決めつけ、大聖堂前で傷物になったと自ら宣言。その上、このような記事が載ってしまっては・・・。今回の件で夫の言うところのエレナの商品価値がゼロになりました」
「いや愛人じゃないし、誘拐犯は誘拐犯。別に傷物になったわけじゃないって言っても、まあ馬車の中で何があったかなんてわからないわな」
疑われて評判に傷がつくのは女の方だもんな。いや、馬車で王子を蹴ろうとしたのは事実らしいが。
「王子の子を宿していた場合は...第二王子のせいで現状養育費、慰謝料の支払いは望み薄。認知さえされないかもしれません。
そのような者を引き取って、『王子』が生まれでもしたら教育にいくらかかるか。それどころか下手に王位継承権を主張すれば、お家取り潰しの可能性も」
第二王子・・・第二王子・・・。
「あーリアルハーレムの人?」
王家は第二王子の子供たちへの養育費が既にかさばっているのだろう。
「細かなことは、また後日。客間を用意していますのでゆっくりお休みください」
◆
「やっと寝られる」
ふらふらの頭でよたよたと寝室に入る。
さすが公爵家の寝室なだけあって、テーブルと椅子二脚が置いてある。テーブルの上には水差しとコップが二つ。ベッドは天蓋つきで、当然でかい。枕も三つも並べられている。そしてー
「なんだこれ」
用意された寝室のベッドの真ん中には真っ赤なバラの花束が・・・。
邪魔なので、テーブルの上に置く。テーブルの上にあった水差しに視線を移した途端喉の乾きを自覚して、コップに水を汲み一気に飲み干す。
「エレナに貴族としての商品価値がないなら、いきなり平民に嫁がせようって」
そんなに簡単に決めてしまっていいのか。
とりあえず、自分の総資産を思い浮かべてみる。貴族の女の子どころか、普通の庶民の女の子の食い扶持すら、定期的に稼げるか不安だ。
(けっこん・・・結婚ねえ。)
現実感がわかない。そもそも光弘の意思など一切問われていない。今後、自分の意見を言える機会があるかさえわからない。
(貴族の結婚って自分の意思とか関係なく、あっさり決まるもんなんだな)
と、思っていると奥の壁が、がちゃりと音を立てて、開いた。
◆
「きゃー」
部屋に入ってきたのは・・・
「エレナ?寝てたんじゃないの?」
「ここ私の部屋なんだけれど、どうしてこちらにミツヒロがいるのかしら?」
「いや。案内されたのが、ここだっただけで不法侵入したわけでは」
明かりもつけずにベッドに座り込んだのでろくに部屋の中を確認していなかった。
(公爵夫人の考えがさっぱり読めねえ!)
王子と三十分少々馬車に揺られていただけでアウトなら、男と寝室にいたらもっとアウトだろう。
とりあえずよたよたとベッドから立ち上がる。めちゃくちゃ眠い。
だが、速やかに出ていかないとならない。
足も思考もふらふらになりようやっとたどり着いた扉を開けるとサンドラがいた。
「ちなみに、水差しに入っている液体は無色透明無味無臭の液体です」
「お、おい。普通に『水』だろ?何でもって回った言い方しているの?もしかしてただの水じゃないのか!?ヤバイ系の薬が入っているとか!?そうなのか?」
(具体的には○力薬とか、エ○い薬とか?惚れ薬とか!?)
妄想を膨らませる光弘にサンドラは聖母の笑みを浮かべる。
「部屋の扉は開いています。出ていって頂いて構いませんが、ここで部屋を出た場合は二度とお二人を会わせないそうです。どうぞお好きな人生をお選びください」
降って湧いた選択に光弘は完全に固まった。




