スベルと少女
お上品な曲からすごく楽しげな曲に切り替わる。兄達はさっさとトイレを終えていた。
「なんか...楽しそうだな」
「僕らちょっと先に戻ってるから、スベルはそこで待ってんだぞ」
「えー。僕も行く」
軽やかな曲が気になるし、置いていかれるのもいやだ。
「すぐ戻ってくるから」
「・・・うん」
◆
「おにいちゃん?」
左右を確認するが、兄はいないし、しばらく待っても迎えに来る気配もない。
廊下はだだっ広く、真っ白な大理石の像と厳めしい甲冑と高そうな壺が等間隔で並んでいる。
華やかな音が響く。音が鳴っているところに行けば、みんなのところに戻れるだろうが、反響して発生源がいまいちわからない。
じっと待っているのが正解だと思うが、待っている間に音楽が終わってしまったらどうしよう。
三人とママンがそのまま自分のことを忘れて帰ってしまったら・・・。
不安になってくると急にこわい甲冑がこちらをにらんでいるように思えてきた。
そこで、かつーん。と足音が響いた。肩をすくませて、音のほうにゆっくり視線を移してみる。
細くてふわふわした女の子がいた。銀の髪は冬の妖精みたい。
「お兄様方に置いていかれたの?」
くすくす笑いながらそんなことをそんなことを尋ねてくる。
「お屋敷の人ですか?」
スベルが、『言葉遣い注意』と心の中で念じながら、いじわるそうな女の子に尋ね返す。
「いえ。迷子?」
「おしっこからママンのところに帰りたいの」
もう、二日前の事件で、『ボス』力を使い果たしたスベルは幼児モードのゆるゆるモードに移行していた。
二日前の事件の前は『糸電話同盟』の時、その前はカス団ボスと出会った時。
ボス力は半年は貯める必要があるのだ。
「ママン?私とそんなに歳が変わらないのに子供っぽい」
「むっ、ちょっと人よりか遅くてもいいもん」
もうそろそろ『ママン』呼びを卒業しなければだが、『おかあさん』と呼ぶのはまだちょっと恥ずかしい。
「私は一度もそんな子供じみた呼び方許していただいたことはないわ」
「じゃあ、何て呼ぶの?」
「母上、お母様、もしくはひー」
「いっぱいよびかたあるんだね」
スベルは無邪気に返した。
長兄も最近はママンのことを『おふくろ』と呼んでいる。
「迎えに来ないお兄様がたなんか放っておいてわたくしに着いてきなさい」
「でも」
「わたくしこの屋敷に訪れるのは二回目ですわ。大丈夫、ちゃんと後で皆様のところにお送りします」
◆
「うわー。きれー」
秋の花と鮮やかな紅葉が冬差し迫る庭を明るく彩っていた。
「すごいでしょ?」
「うん。ありがと」
スベルは、花に近づくと、メモ帳を取り出して、絵を描き始めた。
「・・・何をやっているのかしら?」
少女は遊び相手として、スベルに声をかけたのに、完全に無視された状態だ。少女は眉をひそめるが、スベルは気づかない。
「おしごと」
将来、アクセサリー職人になるなら、絵はたくさん描いておいた方がいい。特にめったに見られない珍しい花の絵を描くとママンがすっごく喜ぶ。
教室に通って、新しいことを知るのは面白いが、その分仕事の方は兄たちよりも出遅れている。早く追い付かないといけない。
スベルはひたすら少女を無視して、きれいなお花の絵とか、葉っぱを描写していると急に少女が怒り出した。
「不敬です。無視してないで、名前くらい名乗りなさい!」
「じゃあ、君は?」
無視されたあげく、先に名乗れなんて言われたことのない少女の機嫌は非常に悪くなる。
「アデレートです!貴方は?」
「アデ...ル?」
そこで、スベルは再びアデレートと名乗る少女を無視して、紅葉をじっと見つめる。
「アデレート・・・名前も覚えられないのかしら?」
「みんな周りは三文字ルールだよ?」
「三文字ルール?」
「ママンはイザベルだけれどベルって呼ばれてるし、僕らはまとめてベル三兄弟とか。大・中・小って。ミッチも本当はへんな名前だけれどミッチだし、リタ姉ちゃんも本当はもっと長い名前だし・・・ビオラちゃんも本名忘れちゃった。」
「愛称にするならアリスのほうが可愛らしいわ」
「アリスよりもアデルのほうが分かりやすいよ」
『アリス』は知り合いに三人もいる。
「あなたの本名は?」
「スベル。ママンがイザベルでパパンがダネスって名前だから、僕らは一字づつパパンの名前もらっているの。いいでしょ?」
「あなたどこの家の子?お・・・妃殿下の茶会ではお見かけしたことがないけれど・・・」
ドレスと装飾品から、それなりに高位な貴族であることが伺える。令嬢の格としてはエレナとさほど変わらないように思える。
「えーっと実家は商売やってるの」
「商家?公爵家の結婚披露宴にお呼ばれしたからには、さぞ名のある中流階級なんでしょうね?」
『なめられないためには嘘でない程度に話を盛りに盛るのよ』
エレナは『アクセサリー職人では、おしゃれさが足りない』とかなんとか言って、ママンの職業に名前をつけていた。たしか・・・
「あ、アクセサリーデザイナー?」
デザインから、材料調達、作成、販売までほとんどママン一人でやっているのだが、間違いはないはず。
「どこの工房?」
なんで、この女の子はぐいぐい聞いてくるのか?
「えー、次期公爵夫人のアクセサリーを何個か」
平民と同じ空気を吸っているだけで気に入らないって貴族もいる。 だから、使用人区画と貴族招待席を分けている。
手洗いもたぶん貴族用の金ぴかが用意されていたはず(※スベルのイメージです)なのになんであんなところをうろついていたんだろう?
「さぞ、名のある工房なのでしょうね」
(いや、全く無いんだけれど)
「いや、正式なものじゃなくて・・・ちょっとお出掛けするとき用のとか」
うっかり住所を答えて貴族に気に入られる、おバカな逸話を知っている身としては、なるべくこちらの正体を隠しておきたい。
(甘いものとボス力が圧倒的に足りない)
「わたくし、庶民というものをよくわからないの。なんでもいいから・・・いえせっかくなら面白い話を教えなさい」
10分後。
「焼き物やのおじさんはちょっと意地悪で、道に商品を一杯はみ出させて、割った子供の親を呼びつけて買い取らせようとするの。ちょっと嫌い」
「ふーん。面白い商売のしかたしてるわね」
「に・・・食堂のオムライスにはエレナ姉ちゃんがかわいい絵を描いてくれるの。エレナ姉ちゃんが描くとオムライスが百倍美味しくなるんだ。自分で描くのも楽しいよ」
「ソースをそんな遊びみたいに使うなんて」
「ミッチは面白い話したくさん知っているの。女の子の秘密の集会が行われていて、男の子がそれを目撃するとゆーふぉーにゆーかいされちゃうんだって。だから絶対近づいちゃダメなの」
「ゆーふぉー?」
「空飛ぶおっきなお皿?ミッチの話は半分ホラだけれど」
「見てみたいわ。女の子なら入会資格あるんでしょ。エレナ公爵令嬢が会員なら危険はないでしょうし。変わった食堂の話も聞かせて」
「ラーメンはちょっと固いけれど、たこやきおいしくてたのしいんだ。みんなで真ん丸になるまでつつくの!」
「スベル、その食堂にわたくしを連れていきなさい」
「だ、ダメだよ。汚いし、きれいじゃないし、貴族のお嬢様がご飯食べられるようなところじゃないよ」
「エレナ公爵令嬢が大丈夫ならわたくしも大丈夫でしょ?」
「ダメ」
エレナお姉ちゃんは『ごうにいればごうにしたがえ』精神を持っているが、この子がそうだとは限らない。
世の中には『汚いからこの一帯を壊しなさい』って貴族もいる。現に、スベルたちもそういった貴族に家を追われた身だ。
「じゃあ、あなたのお屋敷に遊びに行くわ」
(屋敷じゃないし!)
「もっとダメだから。スッゴく狭いしきれーなドレスが汚れちゃう」
「では、わたくしのお・・・屋敷に招待いたしますわ」
「うーん。そのうちね?」
子供の『また明日』なんてものは、大抵口約束で終わるものだ。大人の予定でいくらでも左右されるし、約束を交わした子供たちも翌日にはすっかり忘れてしまう。
明日にはこの女の子もすっかり忘れてしまうだろう。
「馬車で迎えに行かせるわ」
「だから、馬車通れないって。本当に狭いんだから。他の店も一杯看板とか椅子とか机とか樽とか出してるから」
「お・・・我が家の一番小さな馬車で行くから」
そこで、イザベルの声が聞こえてきた。
「スベルー!さっさと出てきな!おいてっちまうよ!それとも飯抜きがいいか!10、9、」
声音からして相当怒っている!
「ママンが呼んでる。さようなら。あ、これきれいに描けたのあげる」
珍しい花に夢中になって、あまり相手をしなかったのは悪かったと思い直し、メモ帳を一枚ちぎって少女に渡した。
もし、この場にミツヒロがいたら、『貴族の女の子に不用意に花を渡すんじゃない。特に枯れない花!』と警告しただろうが・・・
アデルの手には、きれいに描かれたガーベラの花の絵が残された。
「・・・せっかくなら色を塗ったものをくれたらいいのに」
現時点での子供組の年齢。満年齢で。作者の都合で一年ずれることはありますが、年の並びはこれでOKなはず。
ダベル(11)、ネソベル(10)、スベル(8)
アンリエッタ(ワンズ家のご令嬢。11)、ミリム(エレナの異母妹。10)、アデレート(スベルに興味を持った少女。9)
ヴェルサイユには銀ピカがあったようですが、数が...。この世界はもうちょいましなはずです。




