走った後
光弘が目を開けると、エレナのドアップが目の前にあった。
「うわっ!!」
「よ、良かった〜」
エレナに抱きつかれて、呆然としながら問う。
「ここは?」
「馬車通りにある一泊100万ロゼのホテルのスイートルーム?」
「は、あああー!? すぐちぇっくあうとー!!」
立ち上がろうとするが頭がくらくらするし、エレナにしがみつかれて身動きが取れない。
「何があったか覚えていますか?」
サンドラの声がし、そちらに目を向けてみると、サンドラの他に公爵と公爵夫人までいた。
◆
「そのままさらわれていたらよかったのに・・・」
「はあああ!?」
ポツリと呟いた父は、ぶちきれたー鬼女と化した母に扇で打ちのめされていた。
「ありえない!ほんんとありえない!あなたにとって娘はミリムだけですか!?私の生んだ娘は道具ですか!?」
「奥さん、落ち着いてください!」
途中から扇の柄を打ち付けながら、母は泣いていた。
町医者がさすがに止めに入る。
「あなたのお望みの離婚をしてあげますわ。息子に爵位を譲って二度と我が家の敷地に入らないのであれば」
「わしはだな。ただミリムと一緒に暮らしたいだけなんだ」
「ミリムを迎えるなら当然あの女もセットなのでしょう?あの女に我が家の敷居を跨がせるつもりはありません」
エレナが複雑な気持ちで、夫婦の危機を眺めている横でー
「この惨事はなんなの?つうか静かにしてくれる?」
光弘は不快げに眉を潜めた。
深入りするのは避けたいが、頭がぐらぐらしてて脱出は無理そうである。
◆
「で、サンドラが御者のおっさんに剣を突きつけて、俺と教会のおっさんが馬車の前からミッチーを歩道に移動させたんだ。衛兵は仕事したくなさそーだったけどサンドラにすごまれてしぶしぶ職質していたな」
「あ、ありがとー。で、なんなのあの騒ぎ?」
徹夜明けに全力で走り、爆走する馬車の前に決死の覚悟で飛び出し(睡眠不足でたまたまぶっ倒れただけ)、頭の打ち所が悪ければ死んでたという話を聞かされて・・・。
・・・いる最中に同じ部屋で、離婚調停が勃発していた。もうどこを突っ込んで良いかわからない。
今回の件でぶちきれた公爵夫人は『愛のない夫婦生活』でどんだけ虚しい思いをしたかエンドレス説教。公爵は、ついそれに口答えしてしまった。
「おまえなんて最初っから愛してなかった!クインのほうが何倍も可愛いげがある!」
「私なんかよりもかわいげがあるってどういうことですか」
「大体エレナはおまえに似て何を考えているかわからないし、全然私に似ていないではないか!」
(いや、予想もできないぶっ飛んだことを考えているのはたしかにそうだが。眉の感じとか間違いなくあんたの娘)
で、エレナ母は無言だが、何本目かわからない扇の柄がボッキリ折れている。
すぐさまサンドラが公爵夫人に新しい扇を差し出す。
「まあ、無事でよかったよ」
本当に、エレナが無事でよかった。体も心も無事で本当によかった。
例え、ハイヒールで王子の弱点を狙いまくったと聞かされても。三発ぐらいはかすめたとか聞かされても。
「ええ、本当に、ミツヒロが無事でよかったわ」
お互いうっすら涙を浮かべている。
「ほんとだよ。ミッチ、スベルじゃないんだから馬車の前でこける大ポカやらないで」
「ボクたちお邪魔?」
「そんなことないぞ。おまえたちよくやった!」
ベル三兄弟を手招きして一人一人がしがしなでてやる。エレナにしがみつかれた状態で。
「ホントにしんじゃったのかど、おぼったんだぞ。ばがああ!」
追加でダベルがすがり付いて泣く。
(お願いだから、スイートルームのシーツは汚さんでくれよ~)
「しっかし糸電話ってそんなにすごかったんだ」
「めちゃくちゃ頑張ったよ~。とこまで音が届くとか、どうやったら音を曲げられるかとか、箱と糸はどれがいいか、一から調べて『ボーサイムセン』の代わりにってスベルが教会の子とカス団にオススメしたんだ。
教会の鐘の音だけじゃどこで火事が起こっているか分かりにくいから。
大人に勝手に撤去されたら別ルートで張り直して。月一で保守点検して」
まあ大人の立場からしたら、そのまま物干しロープとして使うか即撤去。運が良ければそのまま放置だろう。
「おれらに飯おごれよ」
「今年稼いだ分が全部消えるくらいおごらされそうだ」
通帳の額面が音を立ててゼロになっていく様を思い浮かべて、一瞬遠い目になる。
「イザベルもわざわざ赤風車通りに先回りしてくれてたんだろ?ありがとう」
イザベルの視線の先に気づく。がっつり公爵夫妻の方を見ている。
「どうしたの?」
「んー。貴族は変わらない、と思っただけさ。あ、会場の準備は順調に進めている」
「あんな騒ぎがあった後で?」
「あんな騒ぎがあった後だからです!不祥事があるなら、それ以上の慶事で塗りつぶせば良いだけのこと。ということで、最大の功績者のミツヒロ殿とイザベルさん、ダベルさん、ネソベルさん、スベルさんを我が家の結婚パーティーに招待いたしますわ。後ろの方の席ですし、ご協力くださった皆さま方をお呼びできないのは残念ですけれど」
公爵夫人は自らの手で光弘、イザベル、子供たち一人一人にまで、金縁の招待状を渡す。
子供たちは不思議そうに首を傾げる。
「あんなけ頑張ったのに」「紙?」「ちょっと残念」
「アホー!!」
光弘の言葉と同時に、子供たちに母親のげんこつが落ちてきた。
(公爵夫人相手になんつーこと言うんだ)
「それはおいしくて珍しいご飯を一杯食べるお食事券だ。ただし、周りには偉い大人が一杯だから、イザベルから離れず大人しくご飯を食べなきゃならない」
子供たちの瞳がキラキラ輝き出すが、現実が見えているイザベルは。
「もらっといてなんだけれど、着ていく服がない。」
無難にお断りの言葉を伝えた。
「表向きは会場の設営にか関わった方としてのご招待ですから、ドレスもこちらでご用意いたしますわ。もちろんお子さまたちの分も」
数秒黙考した後、逃げられないと諦めたイザベルが「わかったよ」と短く答える。
「俺は体調不良のため欠席で...なんなら今から入院したい」
「ミツヒロ今日はしっかり休んで、明日に備えてね」
(逃げられないか)
「エレナもしっかり休んで。隈の上に、目まで赤くなっているよ」
「エレナがあなたの子供でないというならもう結構です!エレナの嫁ぎ先は私が決めます」
まあ、公爵が決めるよりも、公爵夫人が選んだ方が、エレナもちょっとは幸せなところに嫁げるだろう。
「ふん。あんな記事が出回ってしまったんだ。わしの伝がなければろくなのが見つからんだろうよ」
公爵は負け犬っぽい台詞を吐いて、スイートルームを出ていってしまった。
「休む前に、これの説明してくれます?」
エレナの手には、なぜか青く輝くペンダントがあった。光弘が自分の首にしていたはずのペンダントだ。
光弘は「いや...その...」と言葉を濁す。
こっそりペアリングを買って毎日首から下げていたなんて、さすがに一から説明するのは恥ずかしい。
「まさか、他にも同じ手口を使って」
「していません!全然モテないですよ!ほんとマジ変な疑惑向けないで!」
いわれない疑惑に光弘は結局すべてを白状することになった。
ミリム・・・エレナの異母妹。
クイン...公爵の恋人。
糸電話に関しては女神様が多少は助けてくれたかもしれません。




