死ぬ気で走る!
西マール通り沿いの家。
「かーちゃん。でっかい馬車が通りかかったらなんでもいいから投げて!」
そういっている間にも派手に装飾された馬車が近づいてくる。
「小さな女の子がさらわれたんだよ。大丈夫。俺らにはエレナ様がついているって」
親に嫌がられたらそう言えと言われた。
「まあ、たまたま夫婦喧嘩で包丁が道に落ちることもあるわよね?」
母親がにっこり物騒なことをいう。
◆
馬車は乗り手の乗り心地とは関係なく天井に何かが当たっている音や、馬が大きなものを蹴散らしていてひどい揺れに見舞われていた。先程はどすっと嫌な音がした。
たまに御者の「ひぃー」という声が漏れ聞こえるが、馬車を止める気はないようだ。たいしたプロ根性だ。
「君には淑女の恥じらいがないのか!」
王子が叫ぶ。
エレナは、狭い車内で揺れを利用してなるべく王子から距離をとり躊躇なく王子の急所を狙っていた。せめてもう少し馬車のスピードが落ちてくれれば・・・多少の怪我をしても馬車から脱出するのに!
「紳士の優しさを身に付けてから言いなさい!」
揺れる馬車では急所は狙いにくい。エレナは気合いの蹴りを王子の腹をめがけて入れた。
◆
「ミッチ、引き離されて迷子になったら、身ぐるみはがされて、川に沈められるぞ!しっかり走れ!」
「ぜえ、はあ。そ、そんなこと言われても。ぜえ」
貧民街との境界線をダベルとサンドラ...若干遅れぎみで光弘が走る。
「カス団とは」
それは光弘も知らない。
サンドラの問いに答えたのはダベルだった。
「スリの徒党だな。オキゾク様が馬車を降りて脇道に入ったんなら、一発で見つかる」
「なぜそのカス団が我々に協力するのですか?」
「伝統的に西マールと教会、カス団は仲が悪かったんだけれど、いろいろあってスベルがそこの裏ボス...らしい。」
「はあ?ギャングの裏ボスって」
いじめられてピーピー泣いているイメージしかないが。
「親父が亡くなってからしばらくはスベルだけ家に留守番だったが、そんときに知り合ったみたいで、かつあげされているかと思ったら、ボスの金をスッたとか。それからカス団の裏ボスに」
「え。スベルすりとかやってたのか?」
意外な過去に驚く。サンドラから「足を止めない」と叱責が入る。
「スベルは堅気からはすらないよ。俺がリンゴ盗んだときも『僕がやったら絶対ばれなかったのに』ってぼやいてたがな・・・実際スベルがスッていたらカス団との戦争が勃発していたな」
そこで、狭い路地から子供の声が聞こえた。
「こっちにはまだ入り込んでねえ。あんたらには絶対手出しするなって言われているから今日のところは助けてやるよ!」
ああ、何度かスベルに連れられて試食会に来て、ご飯をお持ち帰りをしていた子供だ。夏場はさすがに臭って庭で食堂の店主、シスターと三人で子供たちを丸洗いしてたっけ。
子供たちの家の前を通過。
「カイルのお袋が植木鉢、家具屋は木材ばらして上からペンキぶちまけたってよ。女もんのパ○ツまで被っているらしいぜ」
「酒場は空樽転がしたって!」
その頃には、光弘は睡眠不足と疲労でぶっ倒れる直前だった。
◆
「エレナがさらわれた?」
「お義母様!?」
卒倒する公爵夫人を二日後に嫁になる予定の令嬢が支える。
「馬車は西マール出て北に向かっているらしいよ」
カス団の少年が駄賃をくれと手を出す。
「すぐに衛兵に検問の手配を」
その手に金貨を握らせつつ、エレナの兄が執事に命じた。
(護衛は何をしていた?)
今移動している馬車の方向を正確に知ってるのが気になるが、誰にも悟られずエレナを速やかに助け出さなければならない。
「後で始末するつもりじゃないだろうな?」
多すぎる報酬に子供が疑惑の目を向ける。
「これは純粋に口止め料として受け取ってほしい。今は各所への手配に忙しいし、後日君らがなにか言いふらしたとしても聞く耳を持つ者はいないだろう。どうしてもなにかをしゃべりたいというのならお仲間全員分のクッキーを進呈するが?」
少年は意味を正しく理解したようで、ぶるりと震えて、「いや、クッキーと茶は遠慮するが、ちょっとだけ待たせてもらっていいか?」と返した。
(さっさと逃げ帰るかと思っていたが)
が、この頃には投げられた賽は地面を転がり始めていた。
◆
「だから、怪しい馬車がきたら、ちょっと中を確認してくれるだけでいいんだよ」
西マールの子供たちよりも先に衛兵のもとにたどり着いていたのは、カス団だった。
「馬車なんてたくさんあるからな。本来はお前らみたいなこそ泥捕まえるのが俺らの仕事なんだ。こっちは忙しいんだ。今日は見逃してやるからさっさと散れ!」
馬車通りに面している教会の関係者が唐突に始めた『施し』のせいで、馬車の流れが悪くなっている。
「毎年馬車の事故が多発しているので、前方左右を注意しながらゆっくり走らせるよう教えを説いている所です」
と毎朝挨拶をしていただいている大司教に言われてしまえば、衛兵としてもどうしようもない。
「皆さんもおひとつどうですか?甘いですよ」
衛兵にデーツがそれぞれ二粒渡される。「さっきもいただいたのにすみません」と返し衛兵はその場で一粒食べる。
カス団の少年たちは、無害な子供のふりして手一杯にもぎ取り、汚い巾着袋に放り込み、一人が気づいた。
「あ、来た!」
◆
「さっき、馬車通りを出て北側に向かったって。もう、『糸電話』網の範囲外だ!スベルが『なんとしても追い付け』って」
カス団の少年の一人が最後にそう報告してくれた。
「ぜえ、ぜえ、」
なんで走っているんだろう。相手は17、8のガキとはいえ国家権力を引っ提げている。向こうは馬車、こっちは走り。追い付けっこないし、追い付いても止めるすべはない。頭がガンガンいたい、呼吸がくるしい。しかいがぐらぐら揺れる。
やり方が少々強引でも王子とエレナが元の鞘に収まるならそれで...
「はあ、はあ、はあ」
それでも、エレナの意志を無視して、王子に預けることはできない。
「見つけました!」
サンドラの声に光弘は最後の力を振り絞った。
見つけた黒塗りの高級馬車は○物や派手な下着やまだらに汚れたシーツ、割れた植木鉢の破片とで無惨に飾られ、ペンキが道々に痕跡を作っている。
いろんな意味で完全に痛車と化した馬車の前で、光弘は疲労と睡眠不足で倒れ込んでしまった。
◆
どさどさと物が馬車の屋根に当たる。たまに何か固いものも混じっている。植木鉢が落ちてド派手な音立てられてしばらく、角を曲がったところでやっと少し静かになったと思ったら、スピードが明らかに緩んだ。エレナはそっとカーテンを開ける。
(馬車通りに出た?)
「今度はなんだ!」
「渋滞です。教会の者が馬車に声をかけながら施しを行っています」
「施しだと?」
道行く子供たちが、馬車を指差してゲラゲラ笑い、親がそれをたしなめている。
「王族の馬車を指差して笑うとは!」
相当イライラが募っているようだ。
馬車通りは交通量が多い。少々危ないが今のうちに外に出てしまうか。いや、もう少し行けば大聖堂前。施しを行っている聖職者にすがりつくか、大聖堂に強引に駆け込むかすれば保護してもらえる...はず。
「肥桶が載っているようです」
御者の言葉に、王子の顔が怒りが爆発し、御者台側の壁を蹴った。
「は!?なんなんだ!!犯人は後程必ず捕まえるが、今は他の馬車など追い越してさっさと貴族街入ってしまえ!」
(こんな男に好きにされてたまるか!)
「このまま貴族街へ向かうのは目立ちま、人が!」
馬がいななく。
「馬車通りで昼寝している奴が悪いんだ!轢き殺ー」
ガタンっ。
派手な音と激しい揺れで馬車が止まる。
「行け!」
「衛兵がっ!」
「誰か助けて!」
エレナは身を乗りだし馬車の窓に取り付けられているカーテンを破り捨てて、どんどんと叩く。
「どうされましたか」
奇っ怪なものでも見るように馬車を眺めた衛兵が声をかけてくる。エレナはそこで一瞬ほっと胸を撫で下ろし叫ぶ。
「この男が私を拐いました!」
「君、名前と住所は?」
クズ王子に衛兵が尋ねる。
「っ!私は」
往来で、名乗るつもは無いようだ。エレナは王子が衛兵に気を取られている隙にこっそり自分側の鍵を解除。『施し』の影響か、肥桶の馬車に気を取られているのか、反対車線の馬車の動きも若干鈍い。ここで王子が盛大にしょっぴかれたら面白いのだが。
「詳しいことは詰め所で。ここでは...」
エレナと王子の姿をじっくり見比べた衛兵は、内々に処理することを選んだようだ。
王子だと気づいたのか、気づいてないのか...。
おまけにエレナのことを身分の低い娘とみなしたのかこちらを冷たい目で見て「痴話喧嘩か」「あーめんどくせ」と言いやがった。
「すみません。ちょっとで良いので降ろして下さいません。安心したら...その...吐きそうなんですの」
衛兵二人が互いに顔を合わせ、「あのー、開けてくれませんかね」と弱腰姿勢でお話にならない。王子は「ちょっとした行き違いだ。彼女の名誉のためにもできるだけ大事にしたくない」などと言っている。
(いや自分のためだろ!)
エレナは反対車線を確認し、こっそり扉を開けると、念のため頭の上をハンカチでガードしつつ馬車の後ろから衛兵の側に回り込んで、気づく。
(馬車結構多く止まってる?)
エレナは大声で叫んだ。
「私はエレナ・スリーズ!第三王子アルフレッドに拐われたところをこの二人の衛兵に助けていただきました!!」
同じことを三回も連呼する。
もうこの二人が昇進と左遷どちらに転ぼうとも構わない。
「片はついたようですね。エレナ様ご無事...ですよね?」
「イザベルと女子会のおかげで無事よ!」
「本当によかっだああ゛あ゛」
サンドラはエレナに抱きついて号泣した。
馬車の前に飛び出したきり睡眠不足のため気絶した光弘は、一応衛兵の問答の間に某聖職者とダベルによって馬の前から道の端に避けられた。
が、馬車を止めた一番の功労者の存在にエレナが気づくのは五分後のことである。
◆
「貴族に連れ去られた女の子は無事救出。みんなありがとう」
その言葉に『わー』と子供たちの歓声が糸電話の向こうから響く。
「カス団は悪いけれどもう一仕事。桜と花園に連絡して」
スベルがふうっとため息をついたところで、パチパチと拍手が鳴った。
「まだまだ改良の余地はあるだろうけれど面白いシステムだね」
だから大人には見せたくなかったんだ。ナクト皇子のアドバイスは役に立ったが、これだけは注意しておかないと。
「戦争に利用するとか、自国の利益とかほんとやめてよね」
マール...ブドウの搾りかす。ぶどうの酒粕から作られるブランデー。(らしいです。お酒には詳しくないので)
カス団...酒粕の意味でつけています。本人たちは自虐的に使っていますが。




