サンドラと幻の原稿
「ーですので、次の記事が出るまで処分は待っていただければと」
エレナは帰宅後、両親に記事の説明に上がった。机の上には、今日の昼に刷り上がったばかりの『週刊ピンク』が拡げられている。
「愚か者! 文屋の口車に軽々しく乗りおって」
父は予想通り激昂していた。
「あなたは、ミッツ先生を愛しているの?」
母は扇で口許を隠しながら尋ねる。
「ノー。彼の折り紙の技術は愛していますが、本人は至って覇気のないただの青年です。婚姻を結ぶのにふさわしいとは一ミリも思っていません」
たまに胸が跳ねようが、きっと気のせいだ。
「よろしい。ただし条件があります」
「おい」
父が母に抗議の声を上げるが、母はにっこり黙殺する。
いったいどんな条件を突きつけられるのか。
「苦労をかけるサンドラのためにミッツ先生のサインを三枚と、没になったというマルド編の原稿を手に入れてきなさい」
「はい?あの、なぜ三ま...」
「お、奥さま! ありがとうございます!!」
◆
「『飾っとく用』『保管用』『布教用』だろ」
翌日、母から出された不思議な条件をミツヒロに伝えると、彼はあっけらかんと答えた。
「そういうものですか?」
エレナが首をかしげる。
「え...ええ、」
サンドラが少々歯切れの悪い返答をする。
「まあ、サインくらいならいくらでも書くけれど」
ミツヒロはため息をつき、色紙三枚に文字を書く。
「これは?」
が、見慣れない文字だ。
「片仮名でミッツ・スギータって書いただけ」
「カタカナ?」
ミツヒロは下手でもばれないカタカナをカッコいいサイン風に(実際は日本人でも読めないほど下手に崩)しただけなのだが、エレナの目にはとても新鮮に見える。
「俺の国の文字...名前は三枚とも『サンドラさんへ』でいいの?」
「いえ...一枚だけで...大丈夫です」
どうも歯切れが悪い。
「そう。つづりはこれで合ってる?」
ミツヒロは新聞の余白にロゼリア語で『サンドラ』と書いた。
「はい」
「で、公爵夫人の命令でも、原稿を渡す義理まではないと思うけれど・・・。たしかにエレナちゃんのおかげで助かったことはあったけど、これからはマイナスの方が多そうだし」
「そんな」
つまりは実質の解雇通告だ。
始終記者に付きまとわれる生活は貴族なら『注目されるのも仕事の内』とある程度割りきれるが、ただの一般人では神経をすり減らすのはわかっている。でも...
「いえ!決して、公爵夫人のご命令ではなく!」
『ご迷惑をかけませんから』とは決して言えない状態だが、こんなにさっくりと切り捨てられるなんて。公爵令嬢ってそんなに邪魔?
がっくり力を落とす。ここで原稿をもらえなければ、もう二度と工房にこれないかもしれない。
彼と出会ってからの短くも充実した日々の記憶が次から次へと溢れ鼻先がつーんとしてきた。
こんなことで泣いてはダメだ。私はエレナ・スリーズ公爵令嬢なのだから。
「えーっと、メモ書きだし、アイディア自体は再利用するかもしれないから、本体は持ち出し禁止。書き写すのならいいよ」
「え?」
エレナは彼の言葉に一瞬呆ける。自分はここにいて...。
「は、はい!ミッツ先生の生原稿! 我が儘お嬢様のメイドやっていて良かった!」
「そんなに、成分が足りなければ自分で続き書けばいいだろう?」
ミツヒロの提案にエレナとサンドラは同時に「「へ?」」っと声を上げる。
「二次創作、アンソロジー、シェアードワールド、同人誌、『仲間うちで』妄想する分にはこっちとしては『勝手にやってくれ』としか言えんな。どっかに発表する(だす)なら週刊ピンクに二次創作権を買うとか」
「二次創作...」
「盛り上がってくれて、二次創作使用料までいただけるならこっちは、ありがたい限りですよ。ちゃんと人気が出るのでしたら」
「わっ!?」
背後から声をかけてきたのはブンバーだった。
「これは急な療養にならずに何よりですなー。さっそくいくつかの新聞社から問い合わせが殺到していますぜ。たぶんここももう何人かに張られていると思います。というか私らピンクの記者一人一人ついてきていますね」
「カーテン閉めといて良かった。明日からは雨戸もガッツリ閉めといた方がいいか。ってことで勝手にカーテンめくるなよ。イザベルさんたち一旦どっかに避難してもらった方がいいか」
「うう。せっかくの窓ガラスが、もったいない」
明かり取り用のすりガラスと、カーテンの隙間からわずかな光が漏れてくるが、やはり店内はいつもより暗い。
「窓から部屋の中見られて新聞に書き立てられるとか最悪だよ。プライバシーの侵害だ。やっぱり全面すりガラスにしときゃよかった」
いや、店内を見せるために大きな窓ガラスを取り付けたのに、それでは、本末転倒である。
まあ、さすがに新聞の一面を飾るには部屋は汚すぎる。
はじめて訪れた時よりかはほんの少しましになってきているが、作業机は相変わらずとっ散らかっているし、椅子には上着がかけられている。靴下の一方と『ピンク』の中身が丸見えの状態で転がっている。
(子供の情操教育によくないし、散らかしっぱなしの習慣が子供たちにも移ったらどうするんですか?)
そういうエレナも自分の部屋の掃除さえ一度もしたことがない。工房での整理もほぼサンドラの指導の元にちょこっと触るだけである。
「私たちが続きを書くだなんておそれ多い」
サンドラはなぜか恍惚として震えている。
「出来がよければ、穴埋め記事として買い取らせていただきますよ」
「あったあった」
汚い箱をしばらく漁っていたミツヒロは、箱から紙束を取り出した。が、
「えーっと、これが原稿ですか?」
「うん。そう。どうぞ。いくらでも書き写して」
見たことない複雑な文字が紙に箇条書きで書かれている。
「えーっと、ブンバー?」
ミツヒロの仕事仲間のブンバーなら、解読できる可能性があると踏んだサンドラがブンバーに目を向けるが、
「ちょっとは発音できるがほとんど意味がわからんな」
望む答えは得られずに、サンドラは床に膝と腕をついた。
「原稿はどうしてたんですか?」
燃え尽きかけのメイドに代わりエレナが尋ねる。
「メモ書きを読み上げてもらって、ですな」
「読み上げてください。後生です!」
サンドラがミツヒロの足にすがり付く。
「えー。なんで女子の前で闇歴史を読み上げなきゃなんないんだよ」
「わかりました。この国随一の言語学者に」
ぶつぶつ呟きだすサンドラを尻目にブンバーが今日の本題を切り出した。
「あの、・・・今後の予定の話をしたいんですがねぇ?」
後日、ミツヒロはある女性の前にひきづりだされて朗読会をさせられ、「こんなことならあんとき朗読しといたら良かったorz」と嘆くことになるのだが、それはまた別の話である。




