悪役令嬢とよっぱらい
短編版には数話分まとめてあげています。
「嫉妬にかられて殿下から婚約破棄を言い渡されるとは。それも公衆の面前で!恋人の一人や二人認めなくてどうする?」
「あなた・・・?」
母の笑顔が微妙なのはこの際どうでもいい。
「娘の心は深く傷ついているんですよ」
問題はこのむしゃくしゃした気持ちをどこに投げ捨てるかだ。
父母が、今後どうするかの話し合いを始めた。ほんの一時間前に婚約破棄を宣言された娘を放置して。
「お話がまとまりましたら、お知らせください」
不毛な口論に嫌気の差したエレナは美しいカーテシーと共に退室を告げ、ドレスのまま屋敷を飛び出した。両親はエレナの退室に気づきもしなかった。
◆
エレナは川に向かって指輪を投げようとして、
「いでっ」
失敗した。
河原で昼寝している男の額に見事に当たったのだ。
男はめんどくさそうにわずかに身を起こして、指輪を拾い上げる。
「石っころでも金になるんだろ。ちゃんと持ってろ」
男の見た目は二十歳過ぎ。黒髪に黒い目だ。服装はだらしなく、シャツのボタンは二つまで開いており、その上、一つづれている。ついでに貴族への言葉遣いがまったくなっていない。
「石っころ?」
この見事なダイヤが石っころにみえるとは、この男は。
「ぴかぴか光っているだけじゃないか。もしかして結婚指輪か何か?
「婚約指輪よ」
「ふーん。捨てるくらいなら換金したらいいだろ」
それ以上は関係ないとばかりに、男はズボンの尻ポケットに指輪を雑に突っ込んだ。
「あああ!!?」
「頭打ったんだ。どうせ捨てるんなら慰謝料代わりにもらっといてやるよ」
冷静になれば、王子からもらった物をそれも婚約指輪を怒りに任せて捨ててしまえば自分の方が罰せられてしまう。
「返して。・・・返して!」
エレナは男のポケットから指輪を奪い返そうとする。だが、当然寝ている男をひっくり返す力はない。
護衛はいない。逆に乱暴を働かれたら、いくらひょろそうな男とはいえ、自分一人では太刀打ちできない。
繊細な細工の指輪をよりによって尻ポケットに突っ込む事自体ありえない。
仮に彼をひっくり返すことに成功したとしても、結婚前の淑女が男の尻ポケットに手を突っ込むなんて、絶対無理!
今日はうまくいかないことばかりだ。
「・・・相手の男はどんなやつ?」
「王子様よ」
「はん」
男は鼻を鳴らすだけで本気にしてないようだった。
「五歳の時に決められたの」
「結婚相手が決まっているなんて楽でいいな」
また鼻を鳴らす。その態度に苛立ちを覚えるが、どうせたまたま会っただけの赤の他人だ。苛立ちをぶつけるのにはちょうど良い。
指輪を返さなかったら、黒髪黒目の男に『盗まれた』と衛兵に告げれば、三日で見つけ出してくれるだろうし。なんせここまで真っ黒な髪と目はこの国ではとても珍しいのだから。
このとき、エレナは『自分が盗まれる』可能性をまったく考慮に入れていなかった。男も盗む気はこれっぽちも無かったのだが。
「私が平民をいじめたって」
「まあ、平民なんて貴族様からしたら、無礼うちし放題の虫けらだからな」
「違うわ!」
確かにそういった貴族もいるが、少なくともエレナは違う。
「上履きに消しかすいれるとか、上履きをトイレにいれるとか、椅子に画鋲を置くとか、机に『○ね』って彫るとか白い花を置くとかー」
「上履きというのはよくわからないですけれど、そんな陰湿ないやがらせよく考え付きますね」
『上履き』が『スリッパ』と、頭の中で既存の知識にするりと置き換わる。
「なに今の?」
不思議な現象にエレナは首を傾げるが、男はエレナのことを気にも止めず、勝手に話を続けてている。
「無理矢理ナンパ橋に連れて行って『男引っ掻けてこい』とか?グループ分けのとき余ってしまって不良と組まされるとか?」
「なんだかよくわからないですが、やってません。
彼女がおっしゃるには『制服を破った、階段から落とした』と」
「制服ってくそ高いんだぞ。そして怪我させたなら治療費と慰謝料払え」
同情どころか、逆に険しい声が返ってくる。
「だからやってませんって!濡れ衣です!」
そう怒鳴って、エレナはうつむいてしまった。
ー数秒後。
「悪かった」
「恋の花って簡単に枯れるものなのね」
「謎ポエムはこの際置いといて、枯れない花をやろうか」
「は?」
指輪と一緒に渡されたのは。
ピンクの不思議な玉だ。花の模様の透かし彫りだろうか。
大きさのわりに軽い。力を込めると簡単に壊れてしまいそうだ。
「なにこれ。かわいい! もらってしまっていいの?」
「販促品だが、あんたご貴族様だろう。気が向いたら宣伝でもしてくれればいい。
西マール通りで折り紙工房ってのをやっている」
「これが折り紙?」
いくつか折り紙は知っているがこんな形ははじめてだ。
「これをひとつの紙で・・・素晴らしいです」
「感動しているところ悪いけれど、それ二十個のパーツをのり付けしたものだ。むしゃくしゃして暇なら作ってみたら?簡単だから」
そう言って男は立ち去ろうとする。すれ違った時、かすかに酒の匂いがしたので酔っぱらいだろう。
「次、指輪を投げるときは、『王子のバッキャロー』って叫びながら投げた方が、きっともっと遠くに飛ぶぞ!」
男はほんの少しだけ振り返り、手を振って去っていった。
「いや。投げないし、作れないでしょ。これ」
◆
そして、現在エレナは確実にむしゃくしゃして暇だ。
両親は「なんとかするから、今は学園に行かないほうがいい」
午前数単位だけ出たが、授業に身は入らない。まとわりつくのは好奇の視線。
教師に早退を告げると、エレナはとある通りの『ガント紙工房』にたどり着いた。
少しだけどきどきしながら、一部が紙で出来た不思議な扉に手を伸ばす。
「たのもー」
どうも声は届かなかったようだ。
いつもは店の者を呼びつけるか、ショッピングを楽しむときも護衛や友人と連れだってだ。
扉から覗くと、工房の中では職人がたがたと機織り機みたいな何かが動かしている。
そろりと中に入っていく。客商売というより、完全に職人たちの工場という感じだが、棚には、いくつかの作品が値札つきで販売されている。
「あのこれ」
「ん?折り紙だよ。」
やっと最年長かと思われるおじいさんがこちらに気づいて寄ってきた。ずいぶん筋肉がガッツリついた老人だ。
折り紙は色も模様も違うがあの飾りだ。値段を見るとビックリするくらい安い。
「もっと高くても売れると思いますけれど」
「この紙工房の端材とのりしか使ってないからそんなもんだろ」
「こんなにきれいなのに?」
「ただの紙細工に買い手がつくわけじゃないからな。たまにこの商店街や、卸し問屋が買っていく程度だ」
「これは?」
他にも天井から何かが釣り下がっている。グラデーションを利かせてとてもきれいだ。
「『鶴』だそうだ。そっちは『クスダマ』」
鶴はわかるがクスダマ?
「助けたお礼にって作ったものがこれだったんだ。縁起物だそうだ。で貴族のお嬢様がなんの用で?」
「えっと、その・・・黒髪の」
エレナがそう言ったとたん、老人は短くため息を吐いた。
「・・・ここにはいない。案内するが、悪いやつじゃないんだよ」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「あーのみすぎた」
完全に太陽は昇っている。
昨日、河原で昼寝していたら、変わった女の子と出会った。
『白馬の王子さまとかどんなけ夢見がちなんだが』
服装から中産階級よりかは上、もしかしたら貴族だったかもしれない。
「にしても、王子様はないわな」
『お前お貴族様にそんな口聞いちまったのか?』
『もしかして切腹?』
昨晩は紙工房のじいさんと酒のつまみにその話をしながら、さんざん盛り上がった。
『腹はどうかしらんが首の一つくらいは切られるんじゃないか?』
『しばらくかくまってくれよぉ!』
『俺だって自分の首が惜しいわ!』
昨晩はでろでろに酔った状態でゲラゲラ笑っていたが、一度酔いから醒めると背筋に寒気が走った。
男のいた世界には貴族なんていなかった。が、この世界は違う。
確かな権力を持って庶民の上に存在する。
「まさか暗殺者とか来たりしないよな?」
(なんで、あんとき酒のんで昼寝こいてたんだ俺!?)
嫌な考えを頭の隅に追いやり、目玉焼きとパン、昨日の残り物の野菜のスープ、しがしがのリンゴ半分をかじり・・・
(大丈夫だ。名乗ってもいないし、住所だって言っていな・・・)
『西マール通りで・・・』
「って、言ってるぅう?」
いやいやお貴族様もわざわざチンケな酔っぱらいを探すほど暇じゃないだろう。
飯をすませてしっかり手を洗ってから仕事に取りかかる。
来年の五月の見本用に兜を折る。何度か折り間違えたが、折っていくうちに、感覚を取り戻し、やっと一個完成した。
もう一度折りながら、今度は手順をノートに書き写す。
「でも、五月の節句とかってこっちにないしな・・・。この世界の兜、形違うし」
せっかく拾った命、わざわざ暗殺者に取られたくない。
暗殺者といえば忍者。忍者といえばー
「次は手裏剣かな。どうだったけ」
首をひねりながらも、手が覚えている感覚を頼りに折ってみるが、途中の行程が思い出せずに投げ出したところで、扉が擦れた音と共にじいさんの声が聞こえた。
「邪魔するぞ」
「じいさん、パンツでも忘れてったか」
飲むと暑くなるのか、よく靴下やらシャツやら、そこらにほっぽって帰ってしまうのだ。床を軽く確認してから、振り向くと予想通りの客と、予想外の女の子がいた。
「お二人はそのようなご関係で」
「まて、ワシには四十年連れ添ったうるさいかかあがいるんだ!」
「俺は独身だが、女の子が好きだ!じいさんなんてアウトオブ眼中。だから腐ったものをみる目でこっち見ないで!って昨日の女の子?」
「エレナ・スリーズと申します」
昔の少女漫画に出てきそうなお目目ぱっちり、金髪碧眼、トイレットペーパーの芯にでも巻き付いているのかと思うほどの、棒巻きの髪。女の子は今にもバランスを崩しそうな変なお辞儀をする。
彼女の名乗りにひきつった声をあげたのはガントだった。
「エレナ・・・すりーず? スリーズって、公爵家の!?」
「公爵家?それってご三家的な?めちゃ偉かったり?」
ガントは何度もうなずいた。それを確認した男ー杉田光弘はスライディング土下座をかました。
「す、すんませんでした!平にご容赦のー」
「で、弟子入りさせてください」
「は?」
「へ?」
「ほ?」
彼らは三者三様の声を上げた。
登場折り紙『八重桜』『鶴』『花くす玉』