皇子の島
泰時の母の素性が分からないのに、跡を継げたという事に、もしかして、その母が「何かをなしたから泰時が跡をつげた」 藤原房前の母(海女)の伝説と。
北条家の家督争(?)にインスパイアされました
壬申の乱で敗れた大友皇子は瀬戸内海に逃れそこで生涯を終えたという伝説がある島:大友島。
その島の水軍:大友党。
その起源のため、政治的には中立を保つことを旨としていた。
時代は平家が滅亡して鎌倉幕府が力を持ち始めた頃、承久の乱前夜。
水軍当主は滝夜叉。彼女は先々代当主(波夜叉)の一人娘:竜田の娘だった。
美貌で知られる竜田は、京の貴人との間に娘(滝夜叉)を儲けて島に戻り、「夫:当主」が必要だったかめ、壇ノ浦から落ちて来た平家の家人:勝盛を形ばかりの夫に迎え、次期当主の滝夜叉の後見とした。
勝盛は、壇ノ浦から守ってきた主筋の姫:祥子との間に娘:水瀬を儲ける。祥子は事実上は勝盛の正室であったが、形の上では「側室」だった。
滝夜叉には思い人がいると言われ、独り身を通し。次期当主は水瀬の許婚:浪牙と決められていた。
政治的に中立を保ってきたはずの一族であったが、朝廷と鎌倉幕府の対立にまきこまれていく。