Merry Christmas Ms.Flawlence
シリアス系が苦手な方はご注意を。
冷たい
鳴り止まぬ銃声と悲鳴の阿鼻叫喚。
冷たい
止まることを知らない怪我人。
冷たい
降り止まぬ灰。
「…冷たい」
口から零れでた意味のない言葉。白い息。
昨日隣で夢を語り合った友人が翌日には身体の一部だけとなり帰ってくる。
ついさっき抗生物質を打って「もう大丈夫」と励ました者がすでに息を引き取っている。
ようこそ。
此処は戦場。
死と生が隣人の現世の地獄である。
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衛生兵として私がこの戦場に来てどれくらい経っただろう。もしかしたらつい1時間ほど前からかもしれないし、半年前からかもしれない。
心臓はすでに一生分の鼓動を打ったと思うくらい常に速く、痛みはとうに感じない。
頭と肩に積もった雪を払い落とす気力すら残っていない。トレンチコートに染み込んだ気持ち悪い湿気と、肩にかけている残弾が一発の狙撃銃の重さを感じるたびに自分が生きているのだと再確認する。
数秒後に迫撃砲が落ちて自分がただの肉塊になるかもしれないなど、考え過ぎて既に慣れてしまった。
味方の小隊からはぐれた時点で私の命運は決した。
死地から脱するための足は片方が流れ弾に当たって使い物にならない。そもそも両足が無事だったとして、疲労の限界に達したこの足がどれほど使えるのかはたかが知れているが。
一応の応急処置はしたが生還はもはや絶望的だし、患部が化膿して壊死するだろうからこの片足は切断しなければならないだろう。
そもそも死地から脱すると言っても、こんな戦場にそもそも安地なんてないのかもしれない。
どこでもいい。銃声も爆音も、悲鳴も聞こえない…そんな場所に無性に行きたいのだ。
私に家族はいない。帰る場所も、それを待っていてくれる人もいない。所謂戦争孤児というやつだ。
だから私は戦争が嫌いだ。大嫌いだ。憎んでさえいる。
そんな私が戦場の兵士となってお国の為に戦っているのは皮肉としか言いようがない。
「戦争なんて…大嫌い」
戦争は私達のような平民の為じゃなく、もっと上の人達が自分たちの利益の為にするものだ。「国民のため、国益のため」とはよく言われるが、結局その富は私達のところまでは降りてこないのだ。
最初は必ず話し合いから始まる…お互いに結果がわかっていながら。
戦争はビジネスだ。軍需産業だけではなく、ありとあらゆる戦争に関わる物の需要が跳ね上がる。必然的に消費が増えて経済が一時的に良くなる。
そして戦争は終わる…お互いに大切なものを奪って。
「お金より大切なものを守るためにお金があるのにね…」
偉い人にはそれがわからない。わかるのは紙の上に書かれた人口が減った…それだけだ。
…ザッザッザッ
誰かがこちらに歩いて来る。
足音の数は一人、足を引きずるような足音からして相当疲れているようだ…と、既に癖になってしまった敵の情報予測をしているものの、今の私にはどうすることもできない。
いっそ一思いに殺してくれた方が楽になれるというものだ。でも痛いのは嫌だし、死ぬのは恐ろしいものだ。
殺られる前に殺るがモットーの戦場で敵と遭遇した場合、条件反射で相手を殺す。
こんな場所まで来る味方はまずいないので、十中八九敵兵だろう。
せめて最期くらいは暖かい布団で寝たり、お風呂に入ったり、具が沢山入ったスープを飲んだりと幸せな妄想でもしながら死のう。
目を閉じると心音がやけに五月蝿く速い。心とは裏腹に、体は生にしがみついているらしい。
…ザッザッ
足音が近づいて来る。
心音が本当に五月蝿い…まるでこの世での最期の仕事をやり尽くしているみたいだ。
ザッ。
足音が止まった。
私のすぐそばで立っている気配を感じる。
「…ねぇ、生きてる?」
その声は戦場において驚くほどによく通る綺麗な声だった…硬く閉じていた目を開いて声の主を見て私は息を呑んだ。
泥と返り血で汚れてもなお美しいと言える、十人中十人が美しいと褒め称えるほどの美少女が立って私を無機質な赤い隻眼で見下ろしていた。右目があるべき場所は血の滲んだ包帯で覆われていて、見ているこちらまで痛々しい。
そんな“彼女”は私の予測通り、私の国と戦争をしている敵国の軍服をその身に纏っていた。
「隣…座るね」
そう言うや否や半ば崩れ落ちるように私の隣に座り込み、私の肩に寄りかかってくる。もしかして私が敵兵と気が付いていないのではと一瞬だけ思ってしまったが、いくら片目でもこの距離ではさすがに気がつくだろうと一瞬浮かんだ疑問を振り捨てる。
「ねぇ、寒いの…」
「…え?」
そう言った彼女は確かに震えていた。
私にはそれが温度以外にも理由があるように思えてならなかった。
「痛いのは嫌、怖いのも嫌、戦争は嫌」
「…」
彼女は静かに泣いていた。子供のように。
彼女は嫌だと言った。この戦争に関わる全ての被害者の代弁者のように。
「私達は国の為に、死ぬ為に生まれてきたんじゃない…誰かの幸せを奪う為にこの手があるんじゃない」
きっと彼女は誰よりも優しい人なのだろう。いっそ心が壊れてしまったほうが楽になれるだろうに、未だに他人を思いやってしまう。
「毎日考えるの…私がこの手で奪ったものは、その犠牲は本当に必要だったのかって」
偉い人ならきっと「尊い犠牲」と言うのだろう。私たちは自国では英雄でも、敵国にとっての殺人犯だ。
「私が犯した罪は赦されない…償う方法なんてない。この罪悪感を一生背負って生きていくしかないって分かってる…でも、私は…私は耐えられない。他人のあるはずだった未来を奪って、背負って生きていくなんて…」
いつの間にか彼女は私の対面の位置に来て頭を私の胸に預けていた。小刻みに震える肩には少し雪が積もっていて、それを払い落として頭を抱えるように抱きしめてあげると少し肩の力が抜けたような感じがした。
「この手は大切な人と繋ぐため...この声は想いを伝えるためにあるのに...」
彼女も両手で私のことを軽く抱きしめ返してきて、いよいよ子供じみて可愛らしく思える。
一体彼女はどれほどの苦しみを溜めながらこの戦場を生き抜いてきたのだろう。
一体どれほど自分で自分自心を傷つけてきたのだろう。
一体どれだけの…、
密着している場所以外も暖かく感じるのは私の気のせいだろうか?凍り付いた心が少しずつ溶けていくような感覚だ。
「私ね、もう死んじゃうんだ」
「…えっ?」
だからだろうか。唐突な彼女の死の告白に私は思考が真っ白に凍り付き、一瞬何を言われたのか理解できなかった。
「あっ」
塹壕の堀はぬかるんでいる。常に湿気っていて、水虫に煩わされない兵士はいない。
例に漏れず私達が腰掛けている場所も湿っていて、だから彼女に言われるまで気がつかなかった。
私の腰掛けている周囲が、土や泥の色とは明らかかに違う...赤褐色の血の海だった。
「っ?!す、すぐに応急手当をしm...んっ」
言い終える前に私の言葉は唇と共に彼女に塞がれていた。それも彼女の唇で。
チュッ、チュッと、戦場に似つかわしくない甘く官能的な音が鳴る。
先に言っておくが私は決して同性愛者ではない...はずだった。
拒めなかった、いや、拒まなかった自分自身に驚いていた。
少なくとも嫌悪感は感じない...それどころか、心地いいとすら感じている。
「んっ、チュッ...ぷはぁ。ハァ、ハァ...私、初めてだったのに」
私が少し怒ったように言うが、彼女は悪びれた様子すら見せない。私の頬が上気しているのに対して、彼女の顔からは完全に血の気が引いている。
「貴女だけは、私を覚えていて...私を忘れないでいて」
嗚呼、これは願いだ...一方的な愛の呪縛だ。
彼女がいなくなった後の世界で、私は彼女を忘れずに生きていかなくてはならない。
「ねぇ、最期に名前...聞いても、いい?」
掠れるような細い声。
私が愛してしまった美しい声。
もう二度と聞くことができない声。
「フローレンス...フローレンス・ナイチンゲール」
「そう...フローレンス、ナイチンゲール。良い名前ね」
何度も噛み締めるように名前を、決して忘れまいと口ずさむ彼女を見ていると、私はどうにかなってしまいそうだった。
きっと私の顔は涙や鼻水やらでぐしゃぐしゃの酷い事になっていることだろう。
「もっと、貴女と、話が...したかったわ」
「待って!お願い...お願いだから...行かないで...」
出会って間もないと言うよりもさらに短い時。お互い敵国の兵士。しかし私達は国境を越えた親愛を育んでいた。
「私の、名前は...アンネ。アンネ・アイビニオン」
一方的な呪いにも似た愛を一方的に渡され、私はそれを受け取ってしまった。
「さよう、なら...愛してるわ...フローレンス」
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それから二ヶ月後に戦争は終結した。
私の国は戦勝国になったが、手放しで喜ぶ国民はほとんどいなかった。
毎日慰霊碑の前には大勢の遺族が訪れ、花束を置いては涙を流して去ってゆく。
私は運良く戦地から生還し、国からの補助金を貰いながら色のない世界をただ生きている。
後から知ったことだが、私が彼女と出会って別れた日はちょうどクリスマスだったらしい。
クリスマスになると私は敵国...今は我が国の属国だが、そちらの国の慰霊碑まで足を運んび彼女を思い出しては独り涙する。
そして今年も雪が降るクリスマスに慰霊碑の前に花束を添える。
例年と違うのは私が帰らない人になるだけ。
戦場で無くしたと嘘をついて今まで隠し持っていた拳銃を頭の右側に押し当てる。
「ごめんなさい。やっぱり貴女がいない世界じゃ生きていけないや......ごめんなさい、アンネ」
引き金を引いた後のことは覚えていない。
目を開けると、一面の花畑だった。
全て血のように赤い彼岸花。
「待ってたよ」
とても懐かしい。もう一度聞きたいと願っても叶わなかった声がする。私が愛してしまったあの声だ。
「ずっと見てた。毎年毎年クリスマスにお墓参りに来ては泣いてる貴女を、慰めてあげたかった」
咄嗟に私は目蓋を固く閉ざした。私は目を開けるのが怖い。
目を開けたらこの優しい夢が覚めてしまいそうで。
「世の人々はクリスマスになると家族や恋人同士で幸せそうに過ごしてるのに、貴女はいつもいつも独りで泣いているんだもの」
きっと私はこの後地獄へ堕ちるのだろう。罪を清算するための罰が待っているに違いない...これは最後に地獄へ行く私に神様がくれたクリスマスプレゼントなんだ。
「ずっと、ずっと...こうしてあげたかった」
優しく抱きしめてくれるその手は、語りかけてくれる声は...私が愛してしまった彼女その物だ。
恐る恐るゆっくりと目を開けると、彼女の真っ赤な目と私の目が合った。
「メリークリスマス...ミス・フローレンス」
そう言って彼女はあの時のように私の唇を奪った。
死別した後にあの世で再会する百合...てぇてぇ。